第五章 perspire ――四月二十一日 2

午後は四時まで、午前の場当たりの続きと数度のリハーサル。体力を消耗したところにリハーサルで三曲続けて踊るとやっぱりミスをしてしまうし、ダンスの出来もまだまだなんだけど、午前に比べれば案外ミスした箇所は少なくて済んだ。自分の汗が染み込んだメイド服を食堂のガラスで何度も見ているうちにその自分の姿に慣れてきたんだと思う――相変わらず恥ずかしいことには違いないけど。

練習を終えて、昼食を摂った教室――蔵原先輩と僕はその隣の――で制服に着替えたあと、正面玄関で明日の集合時間を確認して解散する。その直後、ココロが僕の左肩を軽く叩く。

「ねえねえ、マコト」

「ん?」

「帰りにちょっとコンビニ寄りたいんだけど」

「うん、寄ってくれば? 買い食いしすぎんなよ?」

「何言ってんの? マコトも来んの。テルミと恭子先輩もいるし」

「え?」

「来―るーのー!」

「……まあいいけど」

昼に一番怒らせてしまった石井先輩も、午後は何ごともなかったかのように接してくれてたから、僕もなるべく意識しないようにしてたけど、帰り道で顔を合わせるのはちょっと落ち着かない。先輩の前でどんな顔をしていいのか分からない。改めて謝るほうがいいような気もするけど、なんて言えばいいんだろう……?

バス停に着くとバスを待つ客が誰もいない。大林さんが左手を膝に沿えた姿勢で時刻表を確認する。

「あー、残念。さっきバスが出たとこみたいですね」

「そっか。でも待つのは十分とか十五分くらいでしょ? その間に――私もちょっと買い物して来ていいかな?」

「それならアタシも行きますー。心ちゃんと真くんは?」

「行くー」

「じゃあ、僕はここで荷物見てますよ。行って来てください」

「マコトの分、何か買って来ようか?」

「んー……いや、いいよ」

「あ、そ」

三人の女子はバス停の青いベンチにカバンを置いてコンビニでさっと買い物をする。

石井先輩と大林さんはコンビニのビニール袋を提げてベンチに座り、ココロは紙パック入りの――今度はオレンジジュースをコンビニのドアを開けてからずっと飲み続けてる。

「そういえば、恭子先輩は何でダンス部に入られたんですか?」

と、大林さんがシュークリームと缶コーヒーを袋から取り出す。石井先輩は一瞬驚いたように見えたけど、少し間を置いてゆっくりと答え始める。

「そうねぇ、のぞみが困ってたから、ってだけなんだけどね。それに二月に入ったばかりだから」

「二月って、今年の?」

「そうそう。だから、一年のみんなと比べて『上手い』ってわけじゃないでしょ?」

 先輩はサイダーの入ったペットボトルのふたをひねる。中に溜まった炭酸の抜ける音が小気味いい。

「えー、そんなことはないですよー。恭子先輩にもいつも色々教えてもらってるじゃないですかー。動きとかキビキビっとしてるし。やっぱり、運動部にいたんですか?」

「うーん……ボクは子供の頃から空手やってたんだよね。父親が格闘技好き――っつうか、父方の実家が空手の道場で」

「へー!」

僕らは声をそろえて驚いた……けど、石井先輩は見るからに空手が似合う。僕の中ではすぐに腑に落ちた。姿勢が良くて実際の身長よりも少し高めに見える健康的な体躯。それに、真っ黒なボブの髪と、キリッとした濃褐色の瞳が空手の修練を通じて得たであろう意志の強さを匂わせる。

「あ、それで、子供の頃からずっと空手の道場に通わされてたし。高校でも最初は空手部に入って、大会とかで結構イイとこまで行っちゃったりして。でも……今もからだ動かすのは嫌いじゃないんだけれど、空手がなんとなくイヤになっちゃったんだよね、突然。なんていうのかなぁ――」

と、石井先輩は悩んでいるようにも照れているようにも見える。

その横で、ココロがまだストローを吸って紙パックの底をジュルジュル言わせてる。飲み終えるのも早すぎるし、何よりデリカシーがない。先輩の横顔にくらべて、あまりにミスマッチな音が流れるから、それを遮るように僕は思い切って聞いてみる。

「スランプ、ですか?」

「うーん……スランプは確かにスランプ、だよね。ある瞬間、なんか自分が空手やる理由が分かんなくなっちゃって」

「ほえっけはんれら……」

ココロの口から、軽く歯形の跡の付いたストローをはずしてやる。

「それってなんでですかー?」

「んー、細かい話は恥ずかしいからまた今度、ね。……んで、『ボクの空手ってなんだったんだろー?』って考え出したらもっと分かんなくって、空手部の練習もおじいちゃんのやってる道場にも行く気になれなくなって。そんなときに、のぞみから『ダンス部が解散のピンチだー! 困ったー! 助けてー!』って聞かされて」

先輩は手元のペットボトルに視線を落とす。透明な気泡が夕陽を受けて、沸騰してるみたい。

「――あ、一年のときはのぞみと同じクラスでよく話してたのね。果歩っちのことは見たことはあったけど、ダンス部に入るまで話したことはほとんどなかったかな。『すっごい美人だなー』とは思ってたんだけど。――で、のぞみに話を聞いてみると、色々あって部員が減っちゃって廃部寸前だっていうから、なんとなく『ダンス部入っちゃえー!』って。それが二ヶ月前」

「ほえー、色々あったんですねー……って先輩の乗るバスが来ましたね」

「あ、来たね」

一つ向こうの信号が青に変わり、先輩たちが乗るバスが近づいてくる。

「じゃ、輝美ちゃんは先乗って。ほーら、先、先」

「え、はい。じゃ、心ちゃんも真くんもお疲れさまー」

先輩は大林さんの背中を押して先にバスに乗せたあと、くるっと振り返り、僕の目をじっと見て

「真、さっきはホントにごめん。えーと……うん、また明日」

とバスの乗降口を駆け上がっていく。僕が返事を返す間もなくバスの扉は閉まってしまった。ゆっくりと加速する車中で大林さんと石井先輩が小さく手を振る。

ココロは「先輩、照れてたねー」なんてひどいことをさらっと言う。こういうあたりは普段どおりの『残念な姉』だ……。でも、僕は僕で情けない顔をしてると思うから、そんな顔をココロに見られないように、ココロの横を後ろ向きに歩く。先輩と大林さんを乗せたオレンジ色の車体が夕焼けと青空の境目を抜けてくのを見送るフリして。


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