第五章 perspire ――四月二十一日 1

perspire[動] 1.(自)汗をかく

2.(他)汗にして出す


今朝のテレビではニュースキャスターが「四月の観測史上最高気温を記録するでしょう」と言ってた通り、窓から差し込む朝陽の温かさもあっていつもより早く目が覚めてしまった。加えて、緊張もあったと思う。

今日は本番で踊る中庭で、衣裳のメイド服を――僕も含めて全員が着て練習する。今日の僕が冷静さを欠いているのはそのせいだったんだ――そう思いたい。


この一週間、仮入部早々にしては毎日が部活らしい日々だったと思う。放課後は先生に追い出されるまでずっと練習。といっても、放課後で練習にあてられるのは実質一日に二時間弱しかない。六限目が終わってから教室の掃除を済ませて、練習着に着替えて、スピーカーを持ってきて、ストレッチをして――。練習を終えたらクールダウンのストレッチをして、着替えて、片付けて――。

学校を追い出されてからも時間があれば駅前の公園で「あそこの踊りは――」とか「この組がコンビネーションをやってる間に誰はコレをして――」って段取りや練習中の問題点を話し合ったり、他の生徒が通りかかっても少しからだを動かしてみたり。公園にいつも八人でいたから、ベンチが子供の頃に作った秘密基地のようにすら思えるくらい。

僕とココロの――『必殺技』と言われてた――コンビネーションも、先週見たハゲワシズの動画を参考にして決めた。他にも、ヒトの組み合わせが違うコンビネーションも先輩や先生が作ってくれて、一年生が踊るパートは昨日まででようやく一度ずつは練習したことになる。でも、僕が覚えるべき振りの数は先輩たちより少ないはずなのに、僕は未だに間違いだらけだし、からだを動かすだけで正直大変だ。そんな僕に比べて、ココロ・大林さん・北野さんの一年女子三人衆は、やるべきことはほとんど変わらないはずなのに僕より踊れてるし、何より楽しそうに見える。

ちなみにハゲワシズの動画に映ってたのは、本当に溝口先生だった。学生時代からコンテンポラリーダンスというダンスの分野――説明を聞いたけど僕にはまだよく分からない――に興味があって、数年前までそのカンパニーに参加していたらしい。動画の中で先生が坊主頭だった理由は「当時はすっきりしたかったからだ」とは教えてくれたけど、踊りをやめて先生になった理由や他のプライベートなことは何度訊いても答えてくれないし、先輩たちもあまり知らないみたい。僕らに振り付けを教えてくれるときも先生自身が踊って見せてくれる、ということもほとんどない。先輩やココロは「文化祭の打ち上げで先生を問い詰めよう!」なんて言ってる。


今度の文化祭でダンス部が披露するのは、特に題名がついてるわけではないけど、メイド喫茶『だんすぶ』の様子をコミカルに描くというモノで、僕らは店員のメイドという設定。

文化祭で劇やダンスをやるなら、普通は体育館の舞台を使うものだろうし、実際に演劇部や英語研究部はそこで上演する。でも、今年の僕らが舞台として想定している空間(アクティング・エリア)は、僕がダンス部を見学した最初の日に、モデルウォークの練習をしたあの――桜のない方の中庭。というのも、体育館の広い舞台を使うには、今のダンス部はヒトがちょっと少ない。一方、文化祭期間中の中庭には、茶道部がお客さんにお茶を提供するために椅子やテーブルを置いている上に、放送部は生放送用に中庭全体に音が届くくらいの音響装置を整える。「それらを生かせば踊る人数が少なくても面白い作品にできるんじゃないか」と考えた先輩たちは二つの部に頼み込んで、ダンス部の本番中だけそれらを借りられることになり、その舞台空間(アクティング・エリア)を生かすべく、メイド喫茶の振り付けを考えることにしたらしい。――その代わりに、僕らは放送部と茶道部の文化祭の準備を手伝うことになってて……まあ、仕方ないとは思う。

こちらの中庭は、南北に食堂や体育館のある附属棟と、二・三年生の教室がある一般教室棟に、東西には本館と運動場に挟まれていて、中庭の真ん中あたりには附属棟と一般教室棟をつなぐ渡り廊下が二階部分にかかってる。文化祭当日は運動場以外の場所はどこもヒトが通るから、東の本館・南の一般教室棟・西の渡り廊下・北の附属棟と四方から観客に囲まれる。でも、四方を向いて踊るわけじゃなく、僕らは本館を《前》、渡り廊下を《舞台空間(アクティング・エリア)の後ろのライン》と決めて、《前》を向いて踊るのが基本形。加えて、《前》の方の、本館と一般教室棟の角には放送部の音響ブースと椅子が数十個、一般教室棟――僕らが踊るときの右側――に沿って茶道部用のテーブルと畳が設置されるので、そういうモノの置き場所を差し引くと、舞台空間(アクティング・エリア)の広さはだいたい七メートル四方といったところだろう。

踊る曲は三曲で、一曲が五分弱――曲と曲の間も何かあったりするから全体で十五分から二十分くらい。その中で、僕が踊るのは一曲目と三曲目で、二曲目が流れてる間はいくつかの準備作業をこなすだけ。――といっても、音楽の流れる時間の短さと自販機の前にあるベンチの狭さの制約があるから、二曲目にやる作業の練習は今日と明日の二日間しかできない。

本番と同じ条件での練習――専門用語で「場当たり」というらしい。舞台空間(アクティング・エリア)や衣裳は違っても、三曲全部を途切れることなく通して練習することを「通し稽古」、本番と同じ条件で、かつ通して練習するのが「リハーサル」になる――を、何度もできればそれに越したことはない。でも、僕の「メイド服を着てる姿をクラスメイトに見られたくない」というわがままを部のみんなが聞き入れてくれたおかげで場当たりとリハーサルは土日――つまり今日と明日だけになったわけだ。

それでも僕は、中庭近くの教室で衣裳のメイド服に着替えた後、上からジャージを羽織ったまま、「場当たりやリハーサルのときは、ジャージを着たままじゃダメなんですよね……?」とみんなと溝口先生に聞いてしまう。

「マコトはまだそんなこと言ってんのー? ホント往生際が悪いよねー」

ココロにもそう言われてしまったけど、何度言われても恥ずかしいものは恥ずかしい。

成瀬先輩は腕を組んで苦笑いを浮かべてる。

「『モノが衣裳に引っかからないか』とか、逆に『衣裳のせいで踊りにくくないか』とか、そういうのって、実際に衣裳だけで踊ってみないと分かんないでしょ?」

「ええ、それは頭では分かってるんですけど……」

僕のメイド服姿がクラスメイトに見られる機会が少なくなるように――とリハーサルの日を減らしてもらっただけでもダンス部のみんなに感謝してる。でも、文化祭前最後の週末ということもあって、二・三年生はもちろん、上級生の部活を手伝いに来た一年生も結構登校してて、すごく緊張する。その点、メイド服を着た蔵原先輩がむしろ積極的に「本番、観に来てなー!」と手を振ってるのは――先輩に友達が多いだけなのかもしれないけど――妙な迫力がある。

「本番はどうせもっとたくさんのヒトに見られるんだから、もう多少のことは諦めなよー。それに真(まこと)の希望はなるべく叶えてると思うんだけど? 真はそれで『やる』って言ったんだし」

石井先輩はジャージのポケットに両手を乱暴に突っ込む。

――そう、確かに自分で『やる』って言った。そのことに対して当然、僕は先輩に何も言えない。僕は覚悟を決めて、ジャージのジッパーを首元から勢いよく下ろす。


陽が中天に達するまでに、振りの間違いや失敗を溝口先生に確認してもらったり、少しの休憩を挟んだりしながら一曲ずつ場当たりをしていく。その全部の回で僕は何度もミスを犯した。同じ振りを何度も間違え、タイミングを合わせられず、スカートを食堂前のツツジにひっかけ、二曲目の準備作業ではティーカップを盛大に割って――。挙句の果てに、午前最後の三曲目の場当たりでは、この一週間で覚えたはずの全てが頭とからだから抜け出してしまったように、僕は舞台空間(アクティング・エリア)の中で立ち止まってしまった。仮入部前の練習ですら「勝手に踊るのをやめるな」って言われてたのに、だ。

「……くん、……牧野くん?」

 呆然としていると、花壇に腰掛けた先生が僕を呼ぶ声が聞こえる。今はまだ、部員全員で最後の場当たりに関する情報共有をしているところだった。

「あ……すいません」

「大丈夫? 気分でも悪い?」

「いえ、そういうわけでは……」

言い訳はいくつも思い浮かぶ。『ココロに比べて踊れてなくって』『二曲目の作業でミスができないので緊張してて』『恥ずかしくって』――。いや、単にミスっただけなんだから、言い訳なんてするべきじゃない……。

「それならいいんだけど、普段出来てたことをさっきも間違えてたから、午後のリハーサルではしっかりしてほしいな」

溝口先生の優しそうなテノールがかえって僕には冷たく聞こえて、一つの弱音が――でも、致命的な弱音が出てくるのを止められなかった。

「はい……いや、先生。――僕、文化祭に出ないほうがいいんじゃないですか?」

「……今さらどうしたの?」

「足手まといになってるじゃないですか、僕は。もう本番まで時間がないのに」

「……」

先生が困惑気味に、組んでいた足を戻して、持っていたバインダーを膝に乗せる。

「ただでさえ恥ずかしいのに、踊るのは初めてだし、ミスしまくるし……」

と口にしてしまったところで僕はようやく後悔しはじめたけど、そのときにはもう間に合わなかった。

「牧野くん……」

「ホンットにイライラする!」

石井先輩が先生の言葉を遮る。

「『出ないほうがいい』? 『足手まとい』? 『恥ずかしい』? 全部ただの言い訳じゃん、マジで」

「キョーコちゃん……」

蔵原先輩が石井先輩をたしなめようとする――メイド服のまま同士で。

「いーや、蔵原もこの場面でコイツをフォローする必要ある? コイツ、単に逃げたいだけじゃん。朝からブツブツ言ってさ。自分が踊りたくないならやめたらいい。踊るが初めてなのも恥ずかしいのもミスするんのも、果歩でもボクでも同じじゃん? でも、コイツはミスしまくった上に勝手なこと言ってるわけだし」

「……」

「――うん、やっぱこんなこと言われるのはヘンだよ。――ねえ、みんなさ。もう真(まこと)は出なくていいよね? 今日だったらまだコイツのいない振り付けにだって作り直せる――先生が大変になるとは思うんですが、そうしませんか?」

石井先輩は先生の目をじっと見つめた後、他の部員を見回す。成瀬部長や大林さんは少しうつむき、蔵原先輩は空をナナメに見上げたまま――誰も何も答えない。ココロは僕を真っ直ぐに見て、スカートの裾を不安そうに握り締める。

――僕は何の言葉も持っていなかった。脳は煮えたぎってて、思考回路が焼き切れてる。その上を上滑りするように、髪の隙間から汗が首に流れ落ちる。

石井先輩は僕の方だけ見ずに、もう一度見回す。運動場から校門までの通路をサッカー部員たちが、コンクリートとスパイクの衝突音を響かせながら、こちらの様子をジロジロと見てる。

「……先生も四人で踊る振り付けから八人用に作り変えてくれましたよね? のぞみと蔵原はみんなが帰った後でもずっと練習してるじゃないですか。振り付けだって……」

「恭子」

成瀬部長が短く、しかしはっきりと石井先輩の名前を一度口にする。石井先輩が手の甲で額のあたりを拭うのを確認すると、ゆっくりと先生のほうへ向きなおる。

「先生、もう昼休憩にしませんか? 時間も時間ですし。――で、蔵原?」

「ん?」

「真くんと、先生とアンタとあたしで少しだけ話そ?」

成瀬先輩がそういうと、蔵原先輩は強く頷く。それと同時に、新藤先輩が石井先輩のブラウス袖を強く握って、衣裳に着替えた教室へ一緒に戻ってく。それにつられて、北野さんが戻ろうとしたとき、ココロがその場の空気に踏ん張るように、足を開いて立ってる。

「先輩、マコトの話のとき、わたしがいてもいいですか?」

「できればアタシも……」

と、大林さんも手を強く握りしめる。僕はもう二人のほうを見られない。

「……えっと、二人の力は後で借りることになるかもしれないから、今は先にお昼休みを取ってくれる? そんなに時間かからないと思うし……」

「……分かりました」

ココロと大林さんのささやかな足音が少しずつ離れていくと、さらにしばらくの間をおいて成瀬先輩が先生に向かって話し出す。

「すいません、先生。あたしの考えから言っていいですか?」

「はい、お願いします」

「ありがとうございます。――真くん、いいかな?」

「……」

 僕は無言で顔を上げる。

「真くんが『一週間の練習ではなかなか上手くなれない』って焦る気持ちも分かるけど、それは後でちゃんとやってくれればいいと思ってるよ。この衣裳が得意じゃないってのも理解してるつもりだけど、今後もずっとコレってわけじゃないし。この一週間を懸命に頑張ってきたのも見て来たから、文化祭を一緒にやりたいと思ってる。だけど……『だから』なんだけど――恭子の言いたいことも分かるの、すごく。――それでね、本当に文化祭に出たくないのかどうか、気持ちを教えてくれる?」

「……」

 太陽を遮った小さな雲の影が僕らを包み、すぐさま光に引き剥がされていく。

「個人的なことを言えば、もちろん、出て欲しいよ。わたしも蔵原も恭子も、みんな。だから――無理強いはしたくないから」

「少し――三十分だけでいいんで一人で考えさせてください、すいません」

「……うん、分かった。――ということでいいですか?」

 成瀬部長の瞳がぼくを真っ直ぐ捉えたままそう問うと、蔵原先輩と溝口先生が静かに頷く。


ゆっくりと一般教室棟へ入っていく先生たちの後姿を目で追っていながら、ベンチに引っ掛けていたジャージを手に取る。

しばらくして、メイド服のままのココロが走ってくる――手に僕の財布と携帯を持って。僕はベンチにへたり込んで顔を伏せると、ココロはそれらを僕の後ろ頭に載せる。

「昼ご飯、食べるでしょ?」

「……ありがとう」

僕は積載物を手にとってゆっくり顔を上げる。ココロの――怒ってるとも泣いてるともつかない、複雑な表情が見えた瞬間、ココロは身を翻して校舎に戻っていく。――ココロに気を遣われるなんて……。『残念な姉』だなんて呼んでおいて、『残念な弟』になってる自分に、ひとり自嘲気味に笑ってしまう。

僕は財布と携帯を傍らに置いて、ベンチの背もたれにからだを預ける。昼食を買いに行ってもいいけど、きっと今は何ものどを通らないし、そもそも立ち上がる気力が湧かない。目の前の食堂は閉まっていて真っ暗なまま。体育館で朝から鳴ってた、ボールの衝撃音やシューズの摩擦音、部員の掛け声は、今は聞こえない。それに対して、食堂横のトレーニングルームからは卓球部の、激しいラリーが続いているときの打球の小気味よい音と、激しい呼吸とも静かな叫びともつかない声が響いてくる。――このまま黙って月曜日になったら、僕はダンス部で練習してたことなんか全部忘れて体育館の入り口にでもおずおずと立って、誰かに「一年生なの? 部活、見てく?」なんて声をかけられて付いて行くんだろうか。

さっきの僕は、思いついたことをそのまま話したと思うけど、それはたぶん伝えたかったことじゃない。でも、ソレって……? 僕がダンス部を、文化祭の公演に出るのを辞めたかったかというと、半分は当たってるかもしれないけど、少し違う気がする。『足手まといになりたくなかっただけ』というのは間違ってないけど、それが全てじゃないとモヤモヤする……。さらに、あのときの自分の気持ちを追跡してみるけど、今ではもう変質して別モノになっててイメージすらうまく掴めない。


タイミング悪く――ある意味、とてもタイミング良く――僕の携帯の表面で小さな青が明滅する。

《練習がんばってる?》

ウッチーからの脱力するような、しかし今の僕を見透かすような一言のメールに、僕は絶句する。「このメールに返信しないでしばらく放っておこうか」とも考えたけど、空を仰いでゆっくりと息を吐き出した後、《失敗しまくり。先輩に嫌われたかもしれない》と書いて送った。

すると、十秒も経たないうちにウッチーから電話が掛かってくる。

「おう、大丈夫?」

「んー、どうだろ……」

「かなり暗いなー。何があった?」

何をどう話していいのか分からなかったけど、さっき僕が言ってしまったことと今の考えを、思いついた順に話していった。ウッチーはただ相槌を打って話を聞いてくれるだけだったけど、僕が大体の話を終えると、ウッチーが静かに尋ねる。

「まこっちゃんは、ダンス部が嫌いなわけではないよな?」

「……うん」

「今日の練習でミスったことと、まこっちゃんがどうしたいかは別問題だよな?」

「……たぶん」

「なら、あとは『文化祭の公演をやるかやらないか』っつう、まこっちゃんの気持ち次第――なんだけど、どっちの結論になるとしても『言い方が悪かった』とか『言うべきじゃなかった』とか、そういう風には謝っとくほうがいいんじゃないか? 実際、まこっちゃんがどう言ったのか分からないけど、卓球部のときにまこっちゃんに同じようなこと言われたら俺もショック受けるし」

「……そっか。そうかもね」

そう言ったあと、二人でしばらく黙り込んでいたら、ウッチーが出し抜けに「それに俺はまこっちゃんのメイド服姿が見たいけどなー」なんて言うので僕もつい噴き出してしまった。

僕も一応、「今言うことかよ?!」とだけツッコンでおく。

「――ひどい冗談だろ?」

「ああ、笑える。……ウッチー、電話、ありがとな」

「ん」

「じゃ、また」

 僕は携帯の通話終了ボタンを押して、ゆっくりと深く息を吸うと、一気に吐き出して立ち上がる。先輩たちのいる教室に向かって走り始めると、中庭を吹き抜ける風とともに僕の衣裳が激しく舞う。


まずは石井先輩と成瀬先輩に謝ろう。そう思って僕は一般教室棟・一階の教室前の廊下に立つ。引き戸は閉まってるけど、中から談笑する――普段に比べるとトーンが幾分落ち着いた――声が聞こえてくる。その中には蔵原先輩の関西弁も混じってる。

どうやって謝るべきか数十秒ほど悩んで、中から聞こえる声が止んだ瞬間に僕は勢いよく身を翻して教室の中へ入る。――そこにはみんな、いる。教室の真ん中あたりまで早足で進む。緊張が足の重りになっているような、逆に振り子みたいに足に変な勢いを加えているような感覚。みんなが椅子とテーブルを集めてお昼ご飯を食べている、そこで一度深く礼をする。

「さっきはすいませんでした。午後の練習も……やらせてください」

「うん――文化祭、ホントにやる、ってことでいいのね?」

ゆっくりと顔を上げると成瀬部長が神妙そうで真剣な表情で、でも口元を少し緩ませる。

「はい」

「ってことだけど、みんなはそれでいい?」

みんなが声を発しないまま頷いてる――ただ一人、石井先輩だけは横を向いてる。

成瀬先輩が笑みを崩さずに「恭子は?」と訊くと、

「……ああ。ボクもごめん」

と石井先輩は肘をついた手に顔を載せたまま答える。そっけない姿勢のままの石井先輩は、まだ納得してないのかもしれない。

「よし! んで、真くんはなんか食べた?」

 いつのまにか立ち上がってた蔵原先輩が僕の背中に手を置いて、近くの椅子に座るよう僕を促す。僕は首を少し横に振ると、ココロが「はい、これ」とコンビニのサンドイッチとパンを一つずつ、僕のほうに押し寄せる。

僕はたまごハムサンドイッチを手に取ってココロのほうを見ると、

「マコトが食べないならわたしが食べるから。あと、食べた分だけ後で払ってよねー」

と、紙パック入りのりんごジュースのストローをくわえて、わざとらしく片目のまぶたをパチリと閉じる。

相変わらず残念な姉だな――今回は一応、いい意味で。僕はサンドイッチのビニールを切り開く。

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