第四章 trannspire ――四月十五日 5

学校近くの弁当屋で――当然、僕は制服に着替え直してから――買ってきた昼食を平らげたころに北野さんも合流する。僕らは家庭科室と準備室に分かれて練習着に着替える――今日の僕は、中学のときに使ってた水色のジャージと白いTシャツ。

校舎の外はすっかり雨も上がったけれど、僕らが練習するピロティを、中庭から校門に向けて吹き抜ける風が冷たい。それでも、一昨日の続きで三曲目のユニゾンを繰り返し練習するうちに、自然とからだの内側が熱を強く発してくるのが分かる。

四時を告げるチャイムが流れたところで僕らは練習を終える。蔵原先輩と僕はさっさと準備室で着替え、女子グループの着替えをぼんやりと待つ。

「蔵原―、真くんー。こっちの着替えは終わったよー」

石井先輩が家庭科室から大きな声で僕らを呼ぶので、カバンを持って家庭科室へ移ると、成瀬先輩が部屋の真ん中あたりで手招きしてる。僕らは成瀬先輩の前にあるテーブルを囲むように座り、今後の練習スケジュールについて確認するので、僕は新たに用意した練習用ノートにメモを取る。

「で、スケジュールのほかに、一年生のみんなにお願いがあるんだけど……」

成瀬先輩は口元で手のひらを合わせて傾ける。その姿は、幼い女の子が父親に甘えておねだりするかようで、わざとらしいような、年上なのにかわいらしいような不思議な雰囲気をたたえていた。

「……真くんと心ちゃんで一つ、大林さんと北野さんで一つ、《必殺技》を考えてみてほしいの」

「必殺技……?」

僕は無意識に復唱する。

「うん。《二人組だからこそできるダンス》みたいなイメージをしてるんだけど、短くて簡単なのでいいから、二人一組で踊る振りを一つずつ考えてみてほしいなーって。踊ってみたい振りがあれば既にそれでいいし、さらにその振りが派手でカッコよければ言うことないわね」

昼前に『ダンス経験者の先輩たちですら難しい』と言ってた振り付けなんて、素人の僕たちには無理だと思う……のだけれど、ココロは妙にやる気があるみたいで困る――というかその瞳の輝きっぷりに驚かされる。大林さんは筒状にした右手を口元に近づけて――どんな振りがいいかをもう考え始めてるみたい。

「どれくらいの……ですか?」

僕は恐る恐る手を挙げて部長に尋ねる。

「ほんの短いのでいいよ。『シュババッ、パッ!』って感じ?」

「……?」

「んー、そうねえ……。ケガしそうなくらい難しいのじゃなくっていいから、動きに入るまでの動作も含めて、八拍から十六拍分くらいかな。それよりも長くても短くてもいいけど、『二人組だからできる動き』ってのがいいなー。たとえば、手をつないで振り回すとか、体育の授業でやる二人一組のストレッチみたいのとかを思い浮かべてくれたらいいと思う」

「動画とか他のダンスを参考にしていいんですか?」

北野さんが控えめに手を挙げる。それでも、もう《振付を考えなきゃ》って前向きに考えてるらしいあたりから、北野さんの芯の強さが窺える。

「うん、何か参考になりそうなものが思いつくようだったら、もちろん」

今度は僕がもう一度手を挙げる。

「部長、すいません……。僕はダンスやそういう動画を見たこともないので、参考になるものが全然思いつかないんですけど……」

「そうねえ……。 あ! じゃあ――真くんのノートに書いていい?」

そう言って成瀬先輩が僕のノートに二つの単語を書きつけると、ココロや大林さんが立ち上がってそれを覗き込む。

「この二つのフレーズを検索して出てくる動画で、良さそうな振りが見つかったらいいんだけど……あ、もちろんそれ以外にもやってみたい振りがあったら教えてくれる? それで、もしこの二つのダンスでやってみたいのが見つかったら溝口先生に、それ以外で見つかったら二年生に相談してくれるかな?」

「あ、はい……。でも、先輩は分かるんですけど、この二つのだったら溝口先生……でいいんですか? 顧問の?」

「そうそう」

成瀬先輩が力強く頷くと、蔵原先輩たちもノートを見てすぐに納得した表情を浮かべる。

「なるほどなー。コレやったら確かに俺らよりセンセが適任やわな」

「北野さんと大林さんもこのフレーズをメモしといてくれる? 二人も牧野さんたちと同じようにその動画から探してもいいかも。みんなが同じ振りを選んだり、いいのが見つからなかったら、そのときに考えるし。――ね? お願いっ!」

成瀬先輩からの《お願い》に、まったくの素人である僕は応えられない気がしたし、他の三人だって不安そうに見える。でも、僕以外の三人は好奇心のほうが上回ったんだろう、結局、踊ってみたい振りを一年生だけで考えてみることになってしまった……。


ゲタ箱から取り出した靴を放り投げるように地面に置く。外はまだ陽も高くて明るいのに、振り付けのことが頭から離れなくて途方に暮れる。

「ねえ、マコト!」

ゲタ箱の棚の向こうから、ココロが靴を履ききらないまま駆け寄ってくる。

「さっきの振り付けの話なんだけどさ、今からテルミと北野さんにウチに来てもらって、一緒に動画見たらいいと思うんだけど」

「え?! 今から?」

「そう、今から」

「んー……確かに早いうちに決めちゃうほうがいいしなあ……」

「でしょー? で、明日香ちゃんもテルミも帰る方向が違うし、それならウチで見るのがいいんじゃないかなーって」

「うん、一理あるかも。ココロにしてはいい提案じゃないかな?」

「何よ、『ココロにしては』って! オトウトのくせに偉そうね」

ココロの非難を僕は無視する。

「んで、僕はいいんだけど、大林さんと北野さんは?」

「校門のところで待ってもらってる」

ウチのパソコンはリビングにあるから……まずはリビングの片付けしといた方がいいよな……。

「そっか。――じゃあ、ゆっくり歩いて連れてきてよ。僕はちょっと先に帰って片付けとくからさ」

「えー、別にいいんじゃない?」

「急にお客さんが来たら母さんだってびっくりするだろ」

それにウチのリビングが散らかってたら恥ずかしいし――大抵はココロのモノが放ったらかしになってるんだけど。ココロがようやく両足の靴をかかとまで履ききる。

「んー……じゃ、お願い」

「うん。ココロも」


学校から家まで小走りだと五分あまり。家には灯りが点いてなかったから、父も母も出かけてるんだろう。僕はリビングにあった雑誌やチラシを片付けたあと、電気ポットに水を入れて電源を入れ、パソコンも立ち上げておく。ココロが二人を連れて家に着いたときには、ちょうどお湯が沸いた音が鳴った。

「おじゃましまーす」

「はーい、どぞどぞ。そこらへんのソファーにでも座っててー。……あれ、ママは?」

三人がリビングに入ってきて、ココロはダイニングテーブルの椅子にカバンを乱暴に置く。

「マコト、ママとパパは?」

「いないみたい。買い物か何かじゃない?」

「ふーん。……あ、テルミと北野さんは何か飲む?」

「うんん、おかまいなく」

「うーん……じゃ、ひとまず紅茶入れるよ。ポットにお湯は――っと、入ってるねー。マコトが用意してくれたの?」

「一応ね。パソコンも立ち上げてあるから」

「気が利いてるねー。――じゃあ、早速だけどマコトがネットで検索してくれる? 紅茶はわたしがやるからさ」

「はいはい……」

ココロはあまりパソコンや映像機器にあまり触りたがらない。自分が触ると壊れてしまうとでも思ってるんだろうけど、その割には電気ポットや電子レンジといった、ご飯関連の機械には抵抗がないらしい。残念な上に、現金な姉だ。

僕はパソコンラックの前に座って、自分のダンス部用ノートを開く。その僕の背後から大林さんと北野さんが画面を覗き込んでくる。――家で女の子に挟まれるなんて初めてのことで、心臓がいつもより早く強く鼓動を打つ。僕はそれをごまかすように、一つ目の検索ワードをキーボードで入力するとき、わざわざそれを読み上げてみる。

「『ハ・ゲ・ワ・シ・ズ』と……」

「へぇー、ヘンな名前だねー」

「うーん……『スーツダンスカンパニー・ハゲワシズ』? これでいいのかな……?」

「ねえ真くん、とりあえずどれか再生してみてよ」

「うん、ちょっと待ってね……」

少し間があって流れ始めた動画ではスーツ姿の男の人たちが踊ってて、その動きには確かにコミカルで、子供にもできそうなくらい簡単な動作をやってるだけのようにも、技術的に難しいダンスを踊ってるようにも見える。

「へー。でも、なんか面白いよね……コミカルなのにカッコいいし」

大林さんがモニターに見入っているうちに、ココロはソファー用のテーブルに置いたティーカップに、琥珀色の液体をゆっくりと注いでいく。

「ふーん、そんなんあるんだねー。――テルミは知ってた?」

「うんん」

「北野さんは……――って下の名前はなんていうの?」

 ココロが突然、話題を変える。

「え? 明日香っていうの。北野明日香」

「じゃあ、明日香ちゃんって呼んでいい?」

「うんっ! じゃあ、ワタシも心ちゃんと輝美ちゃんって呼んでいいかな?」

「もちろん! ――あ、それでそのグループって明日香ちゃんは知ってた? ……名前、なんだっけ?」

僕はパソコンのモニターに浮かび上がってる文字を読み上げる。

「『スーツダンスカンパニー・ハゲワシズ』だって」

「うーん……ワタシは知らないなあ」

振りかえると、北野さんがティーカップを手に取りながら頭を振る。

「真くん、ちょっとパソコン操作させてもらってもいい?」

「あ、うん」

「真くんが検索してくれた結果を見ると、テレビとか映画にも出てたり、ミュージシャンにも振り付けたりしてるみたいなんだけど……」

僕は大林さんにモニター前の椅子を譲り、今度は僕が彼女の後ろからモニターを覗き込む。大林さんはいくつかのウィンドウを立ち上げて調べていると、何年も前に投稿されたらしい古い動画の一つを指差す。

「あれ?! ねえ、これ見てみて?」

「どうしたの?」

 ココロと北野さんもパソコンのモニターを囲むように立つ。

「ほら、この……坊主頭のヒト」

「んー、このハゲ……先生に似てる……?」

「先生って――溝口先生?」

僕はモニターに顔を近づけてみたけれど、『髪の毛が無い』というだけで確かに溝口先生によく似てる。

「そういえば、成瀬先輩も蔵原先輩も『このキーワードなら、溝口先生が適任』みたいなこと仰ってたじゃないですか? あれってもしかして……」

「うーん……本当にこれが溝口先生だとしたらそうかも」

北野さんの言うとおり、このハ……坊主頭が溝口先生であるかどうか分からないけど、確かになにか印象に残る。真ん中で踊ってるメガネのヒトがこのカンパニーの中心人物なんだろうけど、その人と溝口先生っぽいヒトが一緒に踊るシーンがいくつかの動画に共通して複数あった。

「ね、ね、マコト。このハゲのダンスもなんかカッコいいよねー。さっきの、この動き――片方が支えて跳んだのとか」

「うーん、かっこいいけど僕らにできるのかなあ……」

ココロが指差した動きは、ハゲとメガネが走りながらすれ違う瞬間、お互いを支えに、二人が足をハサミみたいに開いて同時に飛び上がるというもの。そんなレベルの高そうなことができるとは思えなかったけど、ココロは大林さんからマウスを奪い取って、その動画をブックマークに入れてる。

「できるかどうかは明日溝口先生に聞いてみよーよ。これが溝口先生なのかどうかと一緒に」

「……まあ、ココロがそういうならそれでいいけど……」

「大丈夫だって。わたしたちにできなさそうなら、それはそれで似た感じの振りを教えてくれるかもしれないじゃん?」

「うーん……」

「――じゃ、もう一つのキーワードの、『ダンスクロック』を見てみない?」

僕が逡巡してると、大林さんが僕のノートを見ながら、入力していく。

その検索ワードに引っかかった動画は、ファッション・ブランドがテレビで一時期展開していたCMだった。そのブランドの服を着たダンサーの女性たちが整然と並んで、一本のムービーのなかで短いダンスをいくつも立て続けに踊ってる。

そのCMは僕も前にテレビで見た気がするけれど、『自分が踊れるかどうか』とか『踊りたいか』って視点で見るのは――当たり前のことだけど初めてだ。

「カッコいいけど、できるのかな……」

北野さんがポツリと漏らす。

「確かにねー。って、明日香ちゃんって何かダンス習ってたの?」

「うんん、全然。ワタシはホントに観るだけだったから」

「そっかー……。あ、今のくらいだったらできるんじゃない? ね、マコト?」

「……『今の』って、椅子に座っただけじゃん」

ココロの不遜な意見も分からないではない。動画の中には『椅子に座るだけ』とか『指をすばやく折るだけ』といった、僕らにも何とか真似できそうなシンプルな振りがあった。でも、シンプルだからこそ踊ってる人たちは『みんな子供の頃から踊ってきたんだろうなー』と僕にでも推測できる上手さとキレイさがあって、かえって真似できなさそうに見える。


何杯目かの紅茶を淹れ直したころには、僕らは多くの振りを見すぎて処理限界を超えてしまったので、もう一度それぞれ家で――といっても、ココロと僕はあとでここで――動画を見て、どの振りを踊ってみたいか考えることにする。

「ふあー……」

大きなあくびをしながら、ココロはクッションを抱えてソファーに身を預けきってると、壁掛け時計が六時を知らせる。

「あ、そろそろアタシ帰らないと」

「じゃあ、ワタシも」

互いの舞台干渉遍歴を語り合ってた大林さんと北野さんが時計を確認すると、ココロが勢いよく立ち上がる。

「じゃあ、送るよ――マコトが」

「なんで僕だけなんだよ」

「可愛い女の子たちにかっこいいとこ見せたいでしょ?」

「本当にそうだったら、ココロのせいで台無しだな。――ココロも来るだろ?」

「仕方ないなあ」

「――二人ってホント仲いいんだねー」

北野さんがカバンを肩にかけながら微笑む。残念な姉とその対応に苦慮する僕も、北野さんには仲が良く見えるのか……。

「「えー、どこが?」」

「そういうとこが、だよ」

「「……」」

北野さんへのツッコミがココロと重なってしまい、ココロと顔を見合わせて黙り込むと、北野さんと大林さんは「さすが双子だよねー」なんて言ってる。


家の外は昼まで降ってた雨にまだ濡れていて、点きはじめた街灯を照り返す。そんな中を、お喋りしながら歩く三人の後姿を見て、僕はふとさっき見た古いミュージカル映画の、降りしきる雨の中で主人公が楽しそうに踊り歌ってたメロディを思い出す。

僕らは北野さんを駅で見届けて、次にコンビニ前のバス停へ向かう。日曜日ということもあってか、バスの本数がちょっと少ないみたいでしばらく待たなきゃいけないみたいだ。次のバスまで十分くらいあるのを確認したココロが「ジュース買って来るー」といってコンビニへ入ってしまった。もうすぐ晩ご飯だというのに。

バス停の古びたベンチ――パイプのところどころに錆が浮いてて、くすんだ青色の、プラスチック製の板が張られてるタイプの――はまだ雨に濡れてて、座ることもできない上に、大林さんと二人きりだから落ち着かない。

「ねえ、真くん」

大林さんは腕を組む。

「ん?」

「真くんは覚えてる? 前に言ってくれたこと」

「いつ?」

「去年の夏休みに、ここで。――でも、それで動画も作ったし、小里高でダンス部に入ろうと思ったんだよ?」

「そんなに大事なこと言ったっけ?!」

「あー。でも、真くんは覚えてないかも。本当に何気ない一言だったと思うから」

まずい。何を言ったか思い出せない。そんな偉そうなことを言ったのかな……と恥ずかしさと不安を感じる。

「えーっと……」

「だから、真くんは覚えてなくていいんだってば」

大林さんはカバンをからだの前で、両手で持ちなおす。

「……何か、ごめん……」

「謝らなくてもいいし。――あ、そうだ。真くんのメアド教えてもらっていい?」

「あ、うん。大林さんのは赤外線付いてる?」

「うん、たぶん」

大林さんはカバンから携帯を取り出す。互いに携帯の赤外線通信機能を立ち上げたところで、携帯を持つ手を寄せて、接続口が触れるか触れないかの距離まで近づける。

「赤外線、なかなか始まらないね」

「うん……こうしたらいいのかな……?」

と、僕が携帯をゆっくり傾けてくとようやく通信が始まったんだけど、大林さんの手に触れそうになってしまって困る。

コンビニから出てきたココロの「お待たせー!」ということばに、通信完了を告げる電子音がかき消されそうになる。

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