第四章 trannspire ――四月十五日 3
大林さんがカチューシャにレースを載せて接着剤を厚く塗りながら「そういえば……」と部長に尋ねる。
「せんぱーい、質問なんですけど」
「ん?」
「ああいう振り付けってどうやって考えてるんですか?」
「振り付けかー。そうねえ……、今回のは『人数が少なくってもできること』ってのが最初にあって……」
成瀬先輩は、ココロと一緒に、袖をつけ終わったワンピースの首もとに、百円均一ショップで買ってきた赤いチェック柄のリボンを付けながら答える。
「あー、メモにありましたね」
「そうそう。それで他の部の企画に乗っかることも考えて、『どんなことやるの?』って聞いて回ったんだよね。それで、みんなで話し合った結果、人数が少なくてもできそうな――中庭を舞台に使ったメイド喫茶って設定にすることにしたの。だから、振付を考えるときも、メイド喫茶で実際やってそうな動きを創作ダンス風にしてる、って感じかなー」
「ふむふむ」
「他の学校(ガッコ)やと、体育の先生が振り付けてくれたりするらしいんねんけどなぁ」
大林さんが身を乗り出すと、蔵原先輩もテーブルに青い丸椅子を引き寄せる。
「去年もこんな風にみんなで考えてたんやけど、そのときは今の三年の先輩がいたし、俺ものぞみんも創作ダンスとかモダンダンスってダンス部以外でやったことないから、今回のは初めて尽くしやで、ホンマ」
「振付ってそんなに違うんですか?」
「そりゃあもう、全っ然!」
「でも、成瀬先輩と蔵原先輩はダンスの経験者なんですよね?」
「うん。あたしがバレエで、隆樹が日舞」
成瀬先輩がそう答えると、ココロが「にちぶ?」と繰り返す。
「日本舞踊、略して『日舞』。広い意味では、昔からの日本の踊り全般を指すねん。ま、『和服着て踊ってるヤツ』やと思ったらええわ」
「能とか歌舞伎とかみたいなのとは違うんですか?」
「流派によっては歌舞伎と日舞はつながってるから、ま、そんなイメージでええと思う」
「で、蔵原のお母さんが先生なんだよね、日舞の」
「へー! そうなんですか!」
大林さん――だけじゃなくみんなの手がすっかり止まってる。かくいう僕も。
「でも、今の振り付けには全っ然役立てへんけどな」
蔵原先輩が珍しく苦笑いを浮かべる。
「今回のはホント、テーブルを拭いたり、コーヒーをお客さんに出したり――そういうのを振付として加工してる感じかなー。学校の授業でも創作ダンスってあまりやったことないし」
「へえー、そんなに違うんですか……。じゃあ、メイド喫茶に行ってみたり、とか?」
「あ、そうそう! そうなんだよ!」
成瀬先輩だけじゃなく、石井先輩や新藤先輩の表情もいつも以上に明るくなる。
「昨日の買い物で時間が余ったから初めて行ったんだけど、メイドさんがすっごくかわいかったんだよねー」
「可愛ないのもおったけどなー」
蔵原先輩がカバンからペットボトルを取り出しながら、テーブルに腰掛けなおす
「隆ぁ樹ぃ! 可愛かったでしょ、みんな?」
「いやいや、アレやったらのぞみんとかカホとかキョーコの方が似合うわ、絶対」
「恥ずかしいことをしれっと言うわね……」
「まあ、俺が一番似合うやろけどな」
「……アンタねぇ……」
二ヒヒと笑う蔵原先輩に成瀬先輩が呆れ顔をする。とはいえ、いつもみたいに鋭いツッコミを入れないあたり、成瀬先輩も蔵原先輩にメイド服が似合うと思ってるようだ。
「でも、行ってみたおかげでメイドさんのイメージはよく分かったかも」
「うーん、アタシも行ってみたかったですー」
大林さんが残念そうに肩を落とすと、ココロもがぜん盛り上がる。
「うんうん! ワタシも行きたい行きたい!」
「だよねー! じゃ、次の休みの日とか?!」
と、二人がメイド喫茶へ行く日を考え始めると、成瀬先輩が顔の前で両手を合わせて苦々しそうな顔をする。
「う……ごめん。来週の土日、両方とも練習にしたいんだけど……」
「あれ、本番が?」
「再来週だから……」
「あー、じゃあ、本番前は難しそうですね……」
今度はココロも肩を落とす。
「ごめんねー、昨日の買い出しのあとにメイド喫茶に行けるかどうか分かんなかったから……でも、今作った服も全然負けてないくらいカワイイよ、ね?」
「うん、私もそう思う。――どうですか、デザイナーさん?」
新藤先輩がテーブルの上のメイド服を一着、空気を含ませるように置きなおしながら、蔵原先輩に問いかける。
「せやな。あとは腰周りをちゃんとできれば……」
「腰周り、ですか?」
「えーっと、今の、このワンピースにエプロンを着けるやろ……」
と、新藤先輩が置いたメイド服の上、腰のあたりに蔵原先輩がエプロンを乗せる。
「このとき、エプロンのひもを腰で結ぶときに、他のトコより腰が細(ほそ)なるように注意せなあかんかなって。大事なんは腰の括(くび)れ――外見(そとみ)で言うとからだの横側のヘコミがあるほうが可愛く見える」
「可愛く?」
大林さんとココロの目の底が怪しく光る。
「そう。『なんでそう見えるのか』を全部は説明できへんねんけど――なんというか女の子の体型をよりそれっぽく見せるというんかなー。女性の服ってブラウスとかでもウェストが細めになってるやん? 他の『出てるほうがいい』ところが相対的に出てるように見えるから」
「なるほど……」
大林さんが腰に両手をあててつぶやく。
「せやから、振り付けでも腰を捻(ひね)る動きを意識して入れるようにしてんねん。腰のくびれが括(くび)れて見えるから。――そや。真くんもグラビアとか見るやろ? アイドルとか女優とかの」
「はあ、あんまり見たことないですけど……」
僕はマンガ雑誌のアタマに載ってるのですら読み飛ばすくらいで、そういうのにはあまり詳しくない。
「ムッツリなん?」
「そんなことはないと思いますけど……」
「じゃあ、女の子に興味ないとか?」
「いや、そんなことはないですよ」
「ほほーう。『真くんは女好き』と」
「なんでそんなに極端なんですかっ?!」
ニヤニヤ笑う蔵原先輩に、つい語調を強めてツッコんでしまったのがなんだか気恥ずかしくて、目線をナナメ下に落とす。――そして、制服のスカートから顕わになったココロの膝が自然に目に入ると、僕の目線に気付いたココロがスカートの裾を両手で握って、布がピンと張るように伸ばす。
「マコトのえっちっ!」
「え?」
「実の姉をそんな目で見てたなんて……っ!」
「え? ……えっ?」
「真くんって……そう、なの?」
大林さんまで、右手の甲を――少女マンガみたいな手つきでわざとらしく――左頬に添えて驚く。
「いやいやいや、ココロが突然ヘンなことを言っただけで、僕は……」
こういうとき、
「はい、僕はえっちです」 → エロいって認めたのでエロい
「いいえ、僕はえっちではありません」 → ムッツリでエロい
の、どっちの回答が正しいのかといえば……たぶん、その手の話題が振られた時点で諦めるしかないんだろうな……。
蔵原先輩が何かを招くように手を上下に振りながら、話を戻す。
「ごめんごめん。ちょっとした冗談のつもりやってんけど……。んで、ああいうグラビアで女の子が振り向いてるポーズがあるやん? 真くんは見たことない?」
「うーん、あるような、ないような……」
「あるねんって、そういうのが。――それはやっぱり腰のくびれをよりキレイに見せるためやと思うねん」
「はあ……」
僕は接着剤を塗り終わったカチューシャを窓際に置いたミシンに載せる。雨足は弱まってきたけど、接着剤が乾くまではしばらくかかりそう。次のカチューシャを手に取りながら丸椅子に座りなおす。
「そら、元からよほどスタイルのええコは首で振り返るだけでもキレイに見えるやろうし、あえて首を捻るだけにしといて、他のところをうまいことアピールしてる場合もあるやろうけど……。でも、『どう見せたら自分がキレイに見えるか』って鏡の前でポーズを研究したりストレッチしたり、時間をかけて練習した分だけ、人前でキレイに見るようになってる……って真くんは思わへん?」
「うーん、考えたことないです……」
「……そっか。まあ、そういう訓練をせんでもキレイに見えるのが世阿弥が言うトコの《花》で、練習して身に付けられるのが《芸》なんやでーって教わったんやわ。……その、俺の日舞の先生には」
成瀬先輩が「蔵原のお母さん、ね」と補足する。
「まあ、にくたらしいオカンやけどな。まあ、踊りもモデルも空手も、自分のからだを活かすには《芸》が大事っちゅうことなんかなあ、と思うわけ。――どないよ、果歩っち?」
「うーん、確かに技術は必要だと思う。私には全然足りないなーって意味で、そう思うってことなんだけど……」
僕は一瞬接着剤を塗る手を止めて「なんで新藤先輩に話を振ったんだろう?」と首を傾げると、石井先輩が答えてくれた。
「果歩っちってモデルさんなんだけど知らなかった?」
「! そうなんですか?」
「あ……ええと、モデルそのものじゃなくて、モデル見習いとかモデルの卵とか、それくらいのものよ?」
僕が――多少予想していたとはいえ――驚嘆の声を上げると、新藤先輩が恥ずかしそうに目を細めて手を左右に振る。
「でも、なんか納得できました。腑に落ちた、っていうか」
「どこらへんが?」
「『どこらへんが』って……。新藤先輩ってなんというか……キレイじゃないですか」
僕の顔が耳たぶまで発熱してるのが分かる。そんな僕のことを知ってか知らずか、ココロが横で囃したてる。
「やっぱマコト、エロすぎー」
「いや、違っ……。こないだ教えてもらった歩き方って確かにすごくモデルっぽくってキレイだったよなーって」
「えー、じゃあ先輩が可愛くないとでも?」
「だーかーらー、そういうわけじゃ……。ほら、容姿も技術も、っていうか……」
やっぱりこういう話題も振られた時点で負け、だ。ココロからの追撃が激しくなる前に、新藤先輩がフォローしてくれる。
「ありがと、真くん。でも、こないだの練習で見てもらった私のウォーキングなんて、プロのヒトから見ればほんの小手先だよ。事務所のレッスンで習ったことをそのまま話してるだけで、私が上手いわけでもなんでもないの。みんなすごいんだもん、実際」
「新藤先輩から見ても、ですか?」
大林さんがテーブルに身を乗り出して先輩に聞き直す。
「うん、みんな可愛いくてキレイだし、その上、ウォーキングがすごい上手かったり、フォトジェニックだったり」
僕が無意識に「フォトジェニック?」と呟くと、蔵原先輩が「写真だけ可愛いってこっちゃ」と耳打ちするようなしぐさで――そのくせ、周りにも聞こえるくらいの声で――教えてくれる。
「ひどーい」
「女の敵ですよ、敵っ」
蔵原先輩の説明にココロと石井先輩がツッコむと、新藤先輩が困ったような顔をして微笑む。
「さっきの蔵原くんの話で言うと『スチールを撮られる技術を持ってる』ってことになるのかなあ、フォトジェニックって。――あ、スチールって写真のことなんだけど。事務所に同じ時期に入った小学生の子とかホントすごいの。普段は静かっていうより『落ち込んでるのかな?』って心配になるくらい大人しい感じなんだけど、写真だと小学生には見えないくらいの色気が出てるんだもん。私はウォーキングも上手くないけど、スチールはもっと苦手だから、その子がすごい羨ましくって」
「確かに、小学生や中学生の時点で色気が出てたり、すごい技術があったり、容姿や骨格レベルで才能に恵まれてたりとか、そういのってあるもんね……」
成瀬先輩がミシンの上に最後のホワイトブリムを載せて、既に接着剤を塗った分の乾き具合を確かめながら話す。――なんだか先輩のその声も背中もどこか寂しそうに見えた。
それは僕の勘違いだったのかもしれない、ってくらい開放感のある声で成瀬先輩が、最初に作業したカチューシャを手に取って振り返る。
「うん、最初の方のは乾いてるっぽいね。雨だから乾くまでもっと時間がかかるかなー、って心配だったけど。――で、練習前に衣裳のチェックをしたいから、誰か一人に着てもらいたいんだけど……」
「じゃ、マコトがいいと思いまーす」
ココロの突然の提案に、僕は反射的に「なんでだよ?!」とツッコむ。
「わたしが見たいから」
「あー、アタシも見たいなー」
「ボクも!」
先輩女子たちや大林さん、さらには蔵原先輩までもが手を挙げてココロの提案に乗っかる。
「と、女の子はみんな一致して言うてるで? ちなみに、俺も真くんに着てもらいたいなぁ」
「そんな……」
集団の暴力だよ……。
成瀬先輩が家庭科室のテーブルに飛び乗って腰掛ける。
「まあ、『見たいだけ』ってのは冗談だとしても、今度チラシ用の写真を撮るときに真くんは写れないでしょ? 写真摂るのは早ければ明日か明後日になるけど、そのときに真くんが写れないんだったら今日着てもらわないとー」
そういえば、ついさっき「目立ちたくない」と僕から先輩たちにお願いしたばかりだ。僕は懸命に逃げ道を探す。
「……そうだ! じゃあ、別に今日は全員着替えても……」
「ほら、まだ接着剤が乾いてないのもあるでしょ? ホワイトブリム、だっけ」
と、石井先輩が機先を制して、成瀬先輩が次の矢を放つ。
「ま、確かにどうせ写真撮るときにはみんな着替えるんだけど、今、接着剤が乾いてないままだと髪がくっついちゃいそうだしねー。まず今日誰かに着てもらって、具合が悪いポイントがあったら他のヒトが着る前に直せるし。それだったら後日写真に写らない真くんに先に着てもらうのがいいかなー、と」
「う……」
確かにそうかもしれない、けど……と迷ってるうちに、ココロが出来上がったばかりのメイド服とエプロンを僕に押し付ける。
「はいっ! マコトは一人で着替えられる?」
「たぶんね。でも、ココロにだけは手伝ってほしくない」
こういうことはココロにしか言えない。でも、僕の正直な気持ちだ。
「なにそれー、ひどーい」
「まあまあ。――じゃあ、俺が手伝うのはええかな? 服選んだのも俺やし、男やし」
「あー……そうですね、お願いします」
「よーし、ほな行こか!」
蔵原先輩は僕の手からメイド服に加工したワンピースを受け取ると、さっと家庭科準備室の扉を開ける。
窓の外は――雨雲の切れ目ができたのだろう。日中らしい明るさを取り戻しつつある。
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