第四章 trannspire ――四月十五日 2

「じゃ、そろそろ作業しよっかー。――じゃ、隆樹?」

先輩たちに加えて、大林さんやココロまで色仕掛けの仕方について一通り盛り上がった後、成瀬先輩がテーブルに両手をついて宣言する。僕らは家庭科室の、膝を入れるスペースがないテーブルの一つを囲んで丸椅子に腰掛ける。

そんな家庭科室用テーブルの洗い物用のシンクの前に立った蔵原先輩は両手を腰においてこれからの作業について説明を始める。

「じゃ、はじめるでー……今回の衣裳については――金曜日にメモを見たやろうけど、当初の予定通り出演者全員メイド服でいくつもり。ただ、カネの問題もあるからなるべく安うしたいねん」

「それって、普通に売ってるのじゃダメなんですか?」

大林さんが控えめに手を挙げる。

「せやねんー。宴会グッズみたいなメイド服には安いのがあるんやけど、俺が着れるサイズやと高くなるやん?」

「あー……」

確かに、男子の平均よりもいくらか背の高い蔵原先輩が着れるメイド服となると、探すのも一苦労だろう。

「逆に、市販のメイド服に似た生地を買ってきて、俺の分だけ作るのも統一感がないんやないかな、と思う。だからといって、ちゃんとした布地を使ってそうな、ホンマもんのメイド喫茶で着てるようなメイド服は高いねん。ネットで調べてみたんやけど、一番安いのでも五千円くらいするし、俺の分はやっぱりちょっとオーダーメイドになる可能性がある。それやったら、『そこそこの布地のワンピースからメイド服を自作できへんかなー』と思って、ネットで色々研究してみたんやわ……そこでっ!」

蔵原先輩の目の奥が怪しく光る。

「そこで俺は気がついたっ……! メイド服のメイド服たる所以は、肩のあたりをゆったりとふくらませた袖――パフ・スリーブと呼ばれるその袖にこそあるのだよ! 分かるかね、ワトソン君っ?」

先輩が、あまりに突然僕を指差すので、風船からゆっくりと空気が抜けるような「ほぇぁ……」という声でしか応えられない。

「いいかい。黒いワンピースというだけであれば、いろんな生地やデザインのものが普段からよく見られるもの。普段着としては、秋冬を中心にするものの、シンプルなものはオールシーズン着れる万能品。白やピンクといった、はっきりした色味のリボンやレースが付いていても可愛いし、淡い色のストールなんかと組み合わせたら結婚式の二次会なんかに着ていけそうなドレスにもなる。――そういえば、未亡人ファッションとしての黒い喪服ってのはあるが、あれはどちらかというとドレッシーな要素を排した黒いスーツの文脈で、ワンピースとしては些か生地が厚いのかな? 若い夫の想定外の死に泣き暮れる未亡人の黒いワンピースと黒タイツを……――ああ……うーむ、これもアリだな」

何がアリなのか、先輩の妄想の中身を想像はできるがツッコむだけ僕が損をする。あと、ふと『蔵原先輩はなぜここだけ標準語の演説口調なんだろう……?』という疑問が湧いて来たがツッコむ間がない。

「いや、ともかく、だ。メイド服とは何か、ただのワンピースと何が違うのかをずっと調べていたのだが、俺はついに気が付いたっ! それがパフ・スリーブっ! ふくらんだ袖! 優しくも芯の強いメイドを包み、それでいてご主人さまへの秘めたる想いをやわらかく隠すパフ・スリーブ……っ! ――いやいや、パフ・スリーブだけではないんだよ、警部? 淑女の嗜み、ホワイト・ブリム。これは単なるカチューシャとは違う。例えば……帽子は必要だろう、英国紳士としてはね。メイドにとって、紳士にとってのハットに対応するのがホワイトブリム。ヘッドドレスとも言うがね。艶やかな髪を飾る装飾品としても十分機能しているが、それだけじゃあない。髪を留めることで衛生を扱う者としてのマナー――エチケットと言ってもいいけど、それを満たしていることも重要なんだ。見えないおしゃれってのも大事だな。今回はパニエだけにするつもりだけど、本来であれば下にドロワーズを履く方がいいね。ドロワーズ、分かるかい? そうだな……『不思議の国のアリス』のアリスが履いてて、ワカメちゃん並に見えてそうな白いズボン型の下着を思い浮かべてくれたらいい。アリスのアリスたる由縁、水色のワンピースと共に少女性を象徴していると言っても過言ではない。ああ、そうか。パニエも分からないヒトがいるよね? パニエはスカートをふんわりと浮かせるために履くものでね。バレリーナなんかがチュチュで踊るときに履いているアレだ。そうだよね、のぞみん?」

「……」

「そして、忘れてはならないものがもう一つ。それは絶対領域! 主人とメイドの距離のごとく、近しくも遠くまさに不可侵。英語で言えばZETTAI‐RYOIKI! これはもはや世界各国の共通語と言っていい。時は1573年、徳川家康が三方が原の戦いに敗れ浜松城に篭ったとき、篝火を焚き城門を開け放ったままにすることで敵軍に『罠ではないか』と疑わせた。絶対領域とはこの空城の計に似ている。見えていて、そっと触れられそうでいて触れてはならない柔肌。谷崎潤一郎の美学にすら通じる。とはいえ、絶対領域の幅が広すぎてはならない。というのも――ああ、この話をもっと早くすべきだったね。メイド服のスカートは確かにロング丈であるべきだ。ご主人さまに仕える以上、あまり短いのは品がなく、メイドが本来有すべき慎ましさに欠ける。しかし、あまり長いとせっかくの絶対領域が消失してしまう可能性もある。スカートを多少長くしたところで、踊るうちに一瞬だけ生成する絶対領域というのも……いいですね……。いやいやいやいや、これは可愛らしさと気品の反比例(トレードオフ)! 今回の文化祭でたまたま通りかかった人の足を止めるべく、たった十何分のうちにダンス部の持つ全てを投入し、燃やし尽くす必要がある。加えて、ショート丈は冒険心と危うさがあふれる若いうちにしか着られない。これは『泣いて馬謖を斬る』がごとく、気品より可愛らしさ、ロング丈よりショート丈を採るしかないと思うんだ。――この決断をした俺はもう引かぬ、媚びぬ、省みぬ……っ!」

握り締めた拳を天井に向けて高く突き上げる蔵原先輩の姿は、何に人生をかけたのかは分からないけれど、一片の悔いもなさそうに見える。

「隆樹……なにそれ?」

成瀬先輩のあきれ返ったようなツッコミを受けて、蔵原先輩はゆっくりと腕を下ろすと、

「んー? ぶっちゃけノリでやっただけやねんけどな」

と、すっかり関西弁モードに戻ってる。

他の皆はポカンとした様子だったり苦笑いしてたり。ココロは腹を抱えて笑っている。

「ま、隆樹がヘンタイなのは仕方ないとして……」

成瀬部長はため息を一つテーブルに載せる。

「話を戻すと、ド変態のおかげで衣装を安くあげられそうなの。――黒いノースリーブのワンピースを人数分買って、それと似た生地でパフ・スリーブをつけよう、ってことで」

「それで買ってこれたのがコレ、ですか?」

ココロが隣のテーブルに並べてあるワンピースを指差す。

「そうなの! 幸い、古着屋で同じデザインのノースリーブ・ワンピースが見つかったの。Mサイズの予備も一着買えたし」

「せやから、今からこいつらにパフスリーブを縫い付けるわけや。布はこれ、型紙は――っと」

蔵原先輩が大きめの――A3サイズの紙を何枚も机の上に広げてく。


僕らは作業を分担して、メイド服作りを始めることになった。新藤先輩がCD‐Rにまとめてきてくれた本番用の曲が、雨滴の音に覆いかぶさる。

先輩たちと大林さんは買ってきた布を型紙に沿って裁ち切って、幅が3センチくらいの白いゴム紐を、軽く引っ張って伸ばしながら袖口になる部分に直接縫いつける。その布を筒型にしたあとは、袖の上のほうが膨らむようにギャザーを作ってワンピースに縫いつけていく。紐ゴムの部分は、近くで見るとちょっと安っぽく見えるけど、少し離れて見るとあまり気にならない――それどころか、真っ黒なワンピースに対してワンポイントとして映える。

僕はミシンも針も家庭科の授業以外でしか使ったことがないけど、ミシンを使うと失敗したときに外すのが大変そうなので、僕はエプロンの裾に針と糸でレースを付ける担当。

エプロンはシンプルな形をした学校の備品だけど、使い終わったら元に戻して洗濯して返すって約束で、溝口先生が家庭科の先生から使用許可をもらったらしい。そこで、メイド喫茶風になるように、テープみたいに長くて、可愛らしい柄をしたレースをエプロンの裾の長さに合わせて切って、端と真ん中の何ヶ所かを、針と黒い糸で緩めに縫い付けてしまう。レースを留めるだけなら安全ピンでもいいんじゃないかなと思ったんだけど、「万一、踊ってる最中に安全ピンが外れたら針が危ないから」という理由で安全ピンは使わないほうがいいんだとか。

こうして一時間あまりで北野さんの分と予備を含めて九着分のワンピースとエプロンができ上がり、次にホワイトブリムを作る――といっても、これまた百均のお店で買ってきたカチューシャに、エプロンと同じレースを接着するだけなんだけど。

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