第四章 trannspire ――四月十五日 1

transpire[動]  1.(自)(物事が)起こる、生じる

2.(自)(itを主語にして)判明する

3.(自)(汗などを)発散する


  1

今日は――いや、週末は最初から不穏だった。

金曜日の夜ごろから、だんだんと曇りだして、土曜日の朝から大雨。雷が何度も家の近くに落ちて、ココロがかなり怖がってた。それに続いて今日も雨。風は強くないけど、なんか肌寒くて制服の白いYシャツの上からブレザーに加えて、セーターの一枚でも羽織りたくなる。

いや、天気の話は別にいい。どちらかというと、不穏な兆候は一昨日の夜――石井先輩の振付メモのコピーを家で読んでみたときだ。メモの最初に書かれてたのはこんなのだった。


時間:十分~十五分くらい (人数的にも?)→五分くらいの曲を二~三曲+α

体育館の壇上では見辛い? →別の場所? 教室? 食堂?

メイド喫茶のイメージ=四人ともメイド →振り付けもそれっぽく

メイド服の作り方 →蔵原  (興味持ちすぎ)


ほら、不穏だ。特に《四人ともメイド?(蔵原も)》のあたり。「もしかすると僕もメイド役にされるんじゃないか……?」という不安が一瞬脳裏をよぎる。……いやいや、このメモが最初に書かれたのは三月って話だし、今は人数も増えたし。それに、そもそもの「メイド喫茶のイメージ」ってコンセプトだって変わる可能性だってあるんだし――と、その妙な不安を打ち消してその日は眠った。


今日――日曜の朝は、ココロと一緒に少し早めに家を出て、学校の本館の階段を三階まで上がっていくと、家庭科室には成瀬先輩と蔵原先輩の二人が既に来てて、衣装の材料をビニール袋の中から取り出してた。

「お二人とも早いんですねー」

と、ココロがカバンを肩から近くのテーブルに下ろす。

「着いたんはついさっきやねんけどな。衣裳もあるし、今日は雨やし。仕方ないからオカンに車出してもらったわ。あんま頼りたないねんけどな……」

蔵原先輩は頭からかぶってた青いタオルで髪の毛を絞るように拭く。

「――で、これが衣裳ですかー?」

と、ココロが駆け寄ったテーブルの上に、先輩たちが昨日K市の古着屋でまとめ買いしたという九人分のワンピースと、布専門店で入手したという白いレースとが何巻かと、ワンピースの布地と同じ黒い布。

やっぱり現実は……不穏だ。僕は恐る恐る先輩に訊いてみる。

「……先輩。……蔵原先輩?」

「んー?」

「全部ワンピースですか?」

「せやでー」

「男性用の、ってないんですか?」

「ないでー」

「ワンピースから男性用の衣裳を作るってことも……?」

「サイズが違うだけやな」

「……もしかして、僕もココロと同じメイド役ですか?!」

「ココロちゃんや真くんだけやないよ。俺も、やし。出演者全員」

 結局、最初の振付メモから変わってなかったのか……。首が頭の重さに耐えられなくなったみたいに、なんだか下を向いてしまう。

「あれ? 真くんにまだ言うてなかったっけ?」

なんて、蔵原先輩がうそぶく。

「聞いてないですよ、全然っ! もっと早く言ってくれてれば……」

「参加するかどうか悩んだ?」

「……かもしれません」

「のぞみんからは?」

そう、昨日の昼休みに教室に来たとき……

「んー、言い忘れてたかも……。ごめんなさい」

ココロが後ろから「でもさ」と割り込んでくる。

「わたしはマコトに、テルミからのメールを見せたでしょ?」

「『ダンス部に入ってくれたらいいね』?」

「そうそう、『双子揃ってのメイド服姿も見たいし、真くんがダンス部に入ってくれたらいいねー』ってヤツ」

「なにそれ?……! もしかして前半を指で隠してなかった?!」

「あれ、そうだっけ?」

ココロはわざとらしく、右手で作ったこぶしで頭に軽く当てる。

「ココロちゃん、それはひどいなー」

「え……、蔵原先輩はホントに言い忘れたんですか……?」

「そうそう。俺はホンマに真くんにも伝えてたつもりになってたんやって。ホンマごめん。――まあ、ココロちゃんに『真くんにメイドのことは言わんほうがいいかも?』くらいの話はしたような気もするけど」

み、みんなしてひどい……ひどすぎる……。いや、まだ何か手立てはあるはず!

「えーっと、たとえば今から蔵原先輩と僕だけでも男の衣裳にできないんですか?」

「それは難しいなー」と蔵原先輩は即答する。

「二人の衣裳を変えると振り付けも今から全部作りなおすことになっちゃうからねー。さすがにちょっと時間がないと思う」

成瀬部長も準備してたみたいに蔵原先輩のフォローに回る。

「あとね。元々、二年生だけで踊る場合でも、四人の経験に差がありすぎる状態だったの。隆樹とあたしは子供の頃から踊りを習ってたけど、果歩と恭子は今回が初めて。ま、それは仕方ないことなんだけど、もし隆樹がメイド喫茶の――例えばそうね……男性客役をやるとなると、あたしたち三人でメイドをやることになるでしょ?」

「それじゃだめなんですか?」

「うん。メイド三人のうち、唯一ダンス経験のあるあたしが中心にならなきゃいけない。それで果歩や恭子の出番が減ってしまうのは良くないなーって。せっかくのダンス部なんだから、一緒に楽しく踊りたいじゃない? だから、二年生の四人だけでやる場合でも、蔵原含めて全員メイド役の予定だったの」

確かにメモにもそう書いてあったけど……。僕は、胸の中にある複雑な気持ちが渦巻くときの摩擦熱に浮かされて反論する。

「でも、今は八人いるじゃないですか? 男二人で――」

「うん、言いたいことは分かるよ。でも、さっきと同じ理屈なんだけど、隆樹と真くんが男性客役をやると今度は真くんに出番がなくなっちゃうの。こういうのを言うのは好きじゃないんだけど、もし強引に同じ振りを躍らせたら悪目立ち――悪い意味で目立っちゃうだろうし……」

成瀬先輩の言うことは分かる……。蔵原先輩と同じように踊ろうとして全然できてない僕の姿、そして、それを人に見られて笑われる様子が容易に想像できて背筋が凍る。《それなら、僕がウッチーをダンス部に誘えば!》と思いついたけど、――成瀬先輩は僕の思考が読めてるかのように、

「何日か前にあと一人男子が入ってたら、確かに『女子がメイド、男子は客』って分担もできたかもしれないけど、これから誰かをダンス部に口説いて、男子用の振り付けも作って――となると文化祭には間に合わなくなっちゃうと思う」

と、僕が思いつきを言葉にする前に消し去ってしまう。

「……あと、隆樹は慣れてるし、真くんもメイド服がすっごく似合うと思うの。ココロちゃんと一緒に踊ったら思うとすっごく楽しみなんだけど――」

《蔵原先輩は慣れてる》ってのはどうなんだろう……。

いや、それは後で考えよう。正直、僕は似合うのが一番困る。二卵性双生児とはいえ、幼い頃から「似てる」と言われてきたんだ。同性の双子だったとしても――普通に年の離れた兄弟姉妹だったって『もう一人』と間違えられるのがイヤなもんだと思うけど、ましてや異性の『もう一人』に似てるだなんて――困る。

「楽しみと言っていただいても……」

「そっか……『似合う』とか『似てる』ってことばっかり意識して、真くんの気持ちまでちゃんと考えられてなかったかも。それはごめんなさい……」

「いえ……」

「――でもね、同じくらいの姿形で、同じくらいの経験の心ちゃんがいるから、真くんが一緒に踊ったときに、二人で『踊るのって面白いな』って思えるんじゃないかな――って私はそう思うの。そういう、二人だからこそできる振りを踊ってもらいたいし」

「たった二週間後の、たった一回きりの公演やから、やってみぃひん? 俺も成瀬もみんな同じ服やし……」

蔵原先輩のことばを聞きながら、でも、それを意識に上げないまま考える。確かに先輩やココロが黙ってたことを思うとなんというか……複雑な気分になる。でも、僕も一昨日の夜、メモを読んだ時点で薄々勘付いてはいたんだ。それでもなんの行動(アクション)も起こさなかった。それに……それに、こういうときに強引に話を進めそうなココロが泣きそうな顔をしてる。残念な姉の癖にそんな表情をされたら、僕のキモチじゃ――

「……分かりました。一度『やる』と言ったからには、やります。文化祭までは、少なくとも」

――断れないじゃないか。

「ホンマ?!」

「よかったー……」

先輩たちも胸を撫で下ろす。

「でも、一つだけ条件というか、お願いがあるんですけど……」

「なになに?! できるだけ頑張るから!」

成瀬先輩が身を乗り出す。

「えーっと……これから三年間もメイド服をネタにされるのは困るので……」

ココロが同じ学校にいるってだけでイジられるのは間違いないのに、さらに自分からネタを提供するなんて面倒この上ない。

「あー、なるほどなあ……どないしよ……」

と、蔵原先輩が家庭科室の天井を見上げて、からだをゆっくりと揺らす。

「何とかならないですか?」

「真くんやと分からへんようにする、とか? 俺と同じメイクにして」

「それだと笑いが半減する上に、別の意味で笑われるわよ?」

笑わせるメイク……? 成瀬先輩のツッコミに反応したくなるけどここは我慢する。

「あとは……そうね。小里の文化祭って幸い四月だから、あと二週間はダンス部にいるってことをあまりアピールしないとか。黙ってれば真くんのクラスメイトが観に来るってことは少なくなるかも」

「まあ、観てもらわれへんのは残念っちゃ残念やけどなー。あとは、チラシやポスターに真くんの名前も写真も載せへんくらいかな」

「うん、そうね」

成瀬先輩がカバンから可愛らしい薄黄色の手帳を取り出して、メモを取り始める。

「すいません。お願いします」

「うんん。一緒に踊れることになってすごく嬉しいから、あたしや蔵原も気を付けなきゃいけないトコは気をつけないとね。だから――改めてよろしくね、真くん」

「……はい、こちらこそよろしくお願いします」

「もー、マコトったら先輩に気ぃ遣わせちゃダメじゃんっ!」

僕が一つ大きな覚悟をしたというのに、ココロが僕をたしなめるように、ボブカットの髪に触れる。

――いやいやいやいや、僕がダンス部にいるのってほとんどココロのせいじゃないか! さっきの表情はなんだったんだよ……。仕方ないから、あとでこっそり仕返ししてやろう。――そうだ、晩ご飯の麦茶に砂糖入れてやる……ココロなら気付かずに飲み干しそうな気もするけど。


僕らはミシンを何台か引っ張り出してきて電源をつないだり、衣装に使う布地をそれぞれテーブルにセットしたり。そうして作業の準備を始めて間もなく、十時を少し回ったところで大林さんと新藤先輩が一緒に家庭科室にやってくる。新藤先輩は窓際の作業台の上にカバンを置くと、「ねえねえ、のぞみちゃん?」と成瀬先輩のところへ駆け寄り、何かを囁きあってる。

さらに十分ほどが経ち、ミシンも材料も用意し終え、成瀬先輩が「恭子ちゃんがまだ来てないけど、作業始めよっか?」と口にしたところで、遠くから高い足音が近づいてきて、慌しく戸を開けたのは石井先輩だった。

「ごめんごめん。乗り遅れちゃったよー。もう作業はじめてた?」

廊下を走ってきたんだと思うけど、石井先輩は息を切らす様子もなく、一気にまくし立てる。

「うんん。ちょうど始めようと思ってたとこ」

「よかったー! ……んで、例の話は?」

「うん、さっき話して……」

成瀬先輩が僕に微笑むと、石井先輩は振り返り、真正面から両手で包むように――一瞬抱きしめられるのかと思ったけど、その手前で――僕の肩を掴むように叩く。

「マジ?! OKなの?! っていうか、OKなんだよね? そうだよねー! 偉いっ、偉いぞ真くん!」

たぶん、メイド服のこと――なんだろうけど、突然褒められても返事に困る。

「はぁ、ありがとうございます……」

「いやー、真くんが『やらない』って言ってたらどうしようかなって、バスの中でもドキドキしてたからさー」

「そんなに……」

石井先輩がバスの中ですらドキドキするようなことを僕にさせようとしてたのか……とは思うけど、不思議と怒りは湧いてこない。

「ところで、先輩……僕が『やらない』って言ってたらどうするつもりだったんですか?」

先輩同士で「んー……」と黙ったまま顔を見合ったあと、成瀬先輩が口火を切る。

「綿密な策を二つも三つも練ってたわけじゃないんだけど、昨日話してたのは……」

成瀬先輩が他の先輩たちの顔を見まわすと、蔵原先輩が右腕を真っ直ぐ伸ばして、人差し指を垂直に立てた右手を僕に向ける。

「第一候補『果歩っちの色仕掛け』、第二候補は『恭子ちゃんが目の前で瓦割り』」

「ボクは色仕掛けでもよかったんだけどねー。今日は瓦が重くて……」

石井先輩は右手で左肩をさする。《っていうか瓦割りって……?》と質問する間もなく成瀬先輩が三本指を立てる。

「三つ目は『蔵原の色仕掛け』」

おい……。

「四番目は『のぞみんの色仕掛け』――でも、これはたぶん真くんはオチないので五つ目の大林さんの色仕掛け。」

成瀬先輩は蔵原先輩に一つ「相変わらず失礼よねー」と一つツッコミを入れ、「――で、最終手段は」と続ける。

「最終手段は『心ちゃんにお願いして、真くんの弱みを握る』という……。あ、でも、安心して。まだ実行してないから」

一安心した……いやいや! いつかやる気かもしれない。っていうか、色々おかしい。三つ目とか、僕をなんだと……。と考えてるうちに、色仕掛けの仕方について蔵原先輩が寸劇をはじめて、僕はさらに呆然としてしまう。

窓の外では雨が少し小降りになって来てる。

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