第三章 connspire ――四月十三日 5

教室にカバンを取りに戻ると、そこにはもう誰も残ってない。西の空が段々と赤く染まってきているのを見ながら、周りに誰もいないのを確認して、廊下でさっと着替えてしまう。

正面玄関には着替えの終わった部員と溝口先生がいて、最後に北野さんが来て、全員揃ったところで成瀬先輩が「北野さんと真くんにメモして欲しいことがあるんだけど……いいかな?」と話し出す。

「あ、はい」

僕は無言でカバンに手を突っ込んで、最初に触れたノート――まだ数ページしか使ってない数学のノートをやや乱暴に開き、カバンを地面に落とすように置く。成瀬先輩は数呼吸の間――北野さんと僕が立ったままメモを取れる状態になるのを待って、メモの取りやすいスピードで言葉をつむぐ。


・練習のときには、専用のメモ帳を持ってくること

・これから毎日、お風呂上がりに家で全身のストレッチをすること

・本番に使う予定の曲をまとめたCDを一日一回は聴くこと

・日曜日までに、これまでの振付メモに目を通しておくこと


「えっと……本番まであと半月しかないじゃない? それまでに少しでも上手くなって、ダンスを楽しんで欲しいから今のうちにできることは全部やっておいてほしいの。それで――大林さんや心ちゃんにはもう話したんだけど、今から言う四点をメモしてくれる?」

・練習のときには、専用のメモ帳を持ってくること

・これから毎日、お風呂上がりに家で全身のストレッチをすること

・本番に使う予定の曲をまとめたCDを一日一回は聴くこと

・日曜日までに、これまでの振付メモに目を通しておくこと


ちょうどその四点について聞いたところで、他の部の練習を終えたのだろう――大きなスポーツバッグを背負った生徒たちが正面玄関を抜けていく。僕はメモ取りの体勢を崩さずに成瀬部長に質問する――インタビューや取材する記者みたいな格好で。

「えっと、すいません。その振付メモはココロや大林さんに借りればいいですか?」

「あ。実はそのメモ、大林さんにも心ちゃんにもまだ渡してないから、帰りにコピーしましょ?」

「はーい、分かりました」

大林さんとココロは互いに小さな声ではしゃいでる。昔から二人はこんな風に仲がいい。

「じゃ、改めてなんだけど――日曜の十時に家庭科室に直接集合ってことで」

「溝口センセ、家庭科室の鍵はどないすれば?」

蔵原先輩がスラックスのポケットに両手を入れたまま溝口先生に尋ねる。

「そうだね――私は九時くらいには来るつもりだから職員室に来てくれるかな?」

「じゃあ……二年生が誰か早めに来て、鍵を借りに行くようにしますね」

「ああ、分かった。待ってるよ」

「じゃあ、今日は解散ってことで」

「「お疲れさまでしたー」」

成瀬先輩の宣言に、先輩たちだけじゃなくココロと大林さんも声を揃える。


キーホルダーを指先で回しながら職員室へ戻って行く溝口先生を見送った後、僕らは八人で学校の最寄駅の、駅ビルの一階にあるコンビニへぞろぞろ歩いてく――それぞれに他愛もない話をしながら。成瀬先輩と蔵原先輩の二人はカバンをカゴに入れた自転車を押してる。

コンビニに到着すると、コピー機の前で先輩たちが小さな声で相談し始める。

「……先輩、どうかしたんですか?」

「んー、誰のメモをコピーするのがいいかなー、って」

僕の質問に答えようと、石井先輩がからだを捻る。

「? メモの内容って全部同じなんじゃ?」

「あー、基本的なところは前に蔵原がパソコンで書いたのをプリントアウトしてくれたから一緒なんだけどさ、その紙にみんな色々書き加えてるから、誰のがいいかなーって」

「えー、練習の役に立つなら手書きされたトコも読みたいですよー」

その説明に大林さんが甘えるように言う。でも、先輩たちは「うーん……」なんて静かに唸ったまま。

「私は恭子ちゃんのがいいと思うなー。すごく字がキレイだし」

「いやいや、ボクは果歩っちのが一年の勉強になると思うよー? すごくいっぱい書き込んであるじゃん」

新藤先輩が口火を切ると、狙われた石井先輩が即座に反撃する。

「だから変なことも書いてありそうだから、恥ずかしいんだってばー」

「いや、ボクのもちょっと関係ない書き込みが……」

普段、たくさんは喋らない新藤先輩が妙に照れているのはなんか不思議な感じがする。――っていっても、部では成瀬先輩と蔵原先輩がよく話してるからってだけなんだろうけど。

成瀬部長が蔵原先輩のカバンを指差しながら「そういや、蔵原は元データ持ってないの?」と根本的な提案をするけど、蔵原先輩も「残念。今日は持ってきてへんねん」と返す。

「でも、蔵原が書いたんだから蔵原のにすればいいじゃん?」

「いや、俺の手書きは……」

「確かに隆樹の字は他人に読めない」

「せやけど、ヒトに言われるとなんかムカつくわー」

ささやかな夫婦漫才を横目に、ふと北野さんがコンビニに掛けてある時計を見て

「わたしが乗る電車、もうすぐ来ちゃいますー!」

と焦るので、他の先輩も時間を確認する。新藤先輩は左手首の――革製っぽい茶色の細いベルトと、金色で縁取られた文字盤のとても小さな腕時計を見る。

「もしかして北野さんもK方面?」

「あ、はい」

「そっか、私もなんだよねー。そんな時間なんだったら急がないと……」

顎のあたりに右手を添える新藤先輩に成瀬先輩が尋ねる。

「ねえ、果歩ちゃん。これを逃すと十五分待ちだっけ?」

「うん。まあ、十五分くらい待ってもいいんだけど……」

「うんん。じゃあ、手っ取り早くジャンケンで決める? 負けた人のをコピーするの」

「そうだね――じゃ、いくよっ! ジャン・ケン・ポンっ」

 四人のジャンケンが一回で決まった。負けたのは――石井先輩。

「ぐっ……」

「よーしっ、勝った!」

「えへへ、ごめんねー。先に北野さんの分だけ――北野さんっ」

「はーい」

新藤先輩は石井先輩の手から素早く振付メモ――A4一枚を取り去り、それを受け取った北野さんはコピー機に二十円を投入して両面コピーする。

「ごめんねー。じゃ、私たちは電車に乗るからー」

新藤先輩はインクの匂いを振りまくように紙をひらひらと振って、北野さんとコンビニを出ていった。ああやって表情豊かに喜ぶ新藤先輩は練習でも見たことがない。

――なんて思っていたら、僕の横に立った石井先輩が「……悔しい」と低く呟く。

「石井先輩……? どうしたんです?」

僕は大林さんとココロから二十円ずつ受け取って、三人分の両面コピーのスタートボタンを押した後、石井先輩におそるおそる聞いてみる。

「負けたから……」

「負け? ……ってまあ、ジャンケンだから仕方ないじゃないですかー」

「でも、どんなことだって負けるのは悔しいじゃん。それに、電車の中で笑ってるかも……」

「え? さすがにジャンケンの負けを笑うなんてことはないですよー」

「うんん、このメモの方」

 石井先輩はコピーが終わったメモを、コピー機のスキャナー部分から素早く抜き取る。

「メモ、ですか? メモを笑うなんてことはないですよ、きっと」

「うーん……まあ、負けたんだもん。でも、絶対笑わないでね? 絶対だよ?」

繰り返し念を押す先輩の横で、僕は出来上がった三枚をコピー機から取り上げて大林さんとココロに渡す。

メモは――新藤先輩の言うとおり、手書きされた字は丁寧な楷書ですごく読みやすい。……が、右下にかわいい猫の絵がある。石井先輩の描いた猫なのかなー?と思って石井先輩のほうを見ると、顔を真っ赤にしてる。

「だからボクのは恥ずかしいんだよ……」

僕はもちろん笑わなかったし、ココロや大林さんも「かわいいですねー」って喜んだだけ。それでも、石井先輩はしばらく両手で火照った顔を仰いでる。


全員にコピーが行き渡ったのを見届けると、成瀬先輩と蔵原先輩は「ごめん、ちょっと遠いから」と、さっさと自転車に乗って先に帰ってしまう。僕らは家への帰り道ついでに、石井先輩と大林さんをバス停まで見送る。ちょうど前のバスが出てしまったところみたいで、バス停には他の小里高生もいない。バスも――電車と同じく、だいたい十五分に一本くらい。

ふと思い出して、大林さんに訊いてみる。

「そういえばさ」

「なあに?」

「大林さんはどうしてダンス部に入ろうと思ったの?」

「あ……」

「それ、ボクも聞きたいな」

石井先輩がさっきまでの恥ずかしさを押しのけるかのように、妙に生き生きと訊く。

「うーん……隠すほどの話でもないのかもしれないですけど……」

「言っちゃえ言っちゃえー!」

「そういえば、ココロは知ってるんだよね?」

「うん、知ってるよー。でもマコトには教えない」

ココロは口元を一文字に結んだような笑みを顔に貼り付ける。

「なんで?!」

「なんでも。それに、こういうことってテルミから直接聞くほうがいいでしょ?」

「まあ、ね……」

今度は石井先輩が大林さんに直接訊いてみる。

「――何か言いにくい理由が?」

「えっ……いや、ホント単純に恥ずかしいだけなんだけど……」

「でも、ボクの恥ずかしい絵も見たんだから、それくらい話してくれたっていいじゃん」

「うーん……」

「それに、ダンスにつながるハナシだったら、これからの練習の役に立つかもよ?」

「そう、ですよね……。じゃあ、話しますけど、笑わないでください、ね?――えっと、……動画サイトって色々あるじゃないですか?」

「うんうん」

石井先輩が強くうなずく。

「そうそう。ああいうのっていろんな動画があるじゃないですか? で、その中にすごく好きな曲があって。誰がが作ったオリジナルの曲らしいんですけど、その関連動画みたいなのを辿っていったら、その曲に別のヒトが自分で振りをつけて踊ってたんです」

「へえー」

石井先輩は大林さんの目をしっかりと見つめてる。

「曲も好きなんですけど、そのダンスもすごくかっこいいなあって思って。それで……去年の秋に、その振り付けを踊った動画を撮って、ネットに載せてみたんです」

「大林さんが自分で?」

「撮影は――心ちゃんに協力してもらったんですけど……」

「そうなんだ?!」

「えへへ。実はね」

僕は大林さんがそうやって動画を投稿してたってことにも、ココロが協力してたってことにも驚いた。大体、ココロはビデオデッキですらちゃんと操作できないのに、ビデオカメラなんて……と思ったけど、ココロが目線で、話の続きを聞くよう僕に訴える。

「――でも、再生数とか全然伸びないし、コメントが付いても『下手』とか『リズム感がない』とか、そういうのもけっこう多くって……」

「うーん、確かにそれはヘコむかも」

石井先輩も苦々しそうな表情をする。

「それで『今度動画を作るなら、高校でもっとダンスが上手くなってからにしよう』と思って。でも……『そんなに下手なんだ』って先輩が知ったらイヤかもと思ったら言えなくって……」

話すにつれて段々とつらそうな顔になってきた大林さんの、スカートの上で握り締められた両手を、先輩は二つの手のひらでやさしく包む。

「大丈夫だよー。まだ四日くらいだけど、ボクたちはもう一緒にやってるじゃん。ボクも素人だけど、大林さんは下手じゃないと思うよ? それにダンス部の連中が動画見たとしても、それを笑ったり、輝美ちゃんを嫌いになったりするわけじゃないと思う。ダイジョーブだよ、ダイジョーブ」

「……ありがとうございます」

大林さんが少し俯くと、僕らはみんな黙り込んでしまう。そのまましばらくして、二人の乗るバスが、バス停の目の前にある赤信号で捕まってるのが見える。

青信号になってバスがゆっくり動き出すのを見て、石井先輩がカバンを持ち直しながらベンチから立ち上がる。

「えっと……じゃあ、また日曜日にね」

「あ、はい」

「お疲れさまです」

大林さんは一度、自分に言い聞かせるように「うんっ」と呟いたかと思うと、顔を上げて小走りでバスに乗り込んでいく。バスのステップを上がりながら、閉まる扉の向こうで振り返った先輩と大林さんが手を振る。

僕とココロはそれを見送った後、おもむろに家まで歩き始める。

「……マコト」

「ん?」

「テルミの動画、教えないからね」

「あー……うん。いいよ」

「あれ? すぐに引き下がるんだ」

「そうだな。大林さんが直接教えてくれるまで待つよ。すごく気にしてるみたいだし」

「……マコトはやっぱりテルミのこと、好きなんでしょー?」

「――あのなぁ!」

「あはは! これは図星だわ、図星!」

ココロが僕を茶化すので、上手く説明できない熱さが胸のあたりから身体中へ染み出してくる。疲れてるはずなのに、家に帰る僕の足取りは自然と速くなり、ココロを追い越していく。

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