第三章 connspire ――四月十三日 2
放課後、僕がピロティに着いたときには、まだ石井先輩しかいなかった。先輩は明るいピンク色のジャージの上下に黒いTシャツ姿で――たぶん練習着なんだろう。シャツには何語か分からない単語が白抜きで配されてる。
ピロティの柱に寄りかかって手首の柔軟をしてた先輩は、僕を見つけると組んでいた手を解く。
「こんちわー」
「こんにちは」
「真くんを見るのがちょっとだけ久しぶりって感じだよね」
「そう――ですか……?」
「おとといはボクが来る直前まで真くんがいたって聞いたから、入れ違いだったのかな、って」
「あー、そうかもしれませんね」
「ね。だから三日ぶり。――で、今日も来てくれたんだ?」
石井先輩は柱に腰を預けたまま、悪戯っぽく口角を上げる。
「……はい。もう一度だけ見学に」
「そっかー。今朝、のぞみが――あ、部長がね、真くんのところに誘いに行くんだーって言ってたからさ。――今日来てくれたってことは、入部することにしたの?」
「いえ……なんというか……」
「文化祭までで、とか?」
「それもまだ……」
「なるほどねー。でも、迷ってくれてはいるんだ?」
「うーん――そう、ですね……」
「じゃ、『今日の練習をやってみてからー』とか――あ、果歩っちー」
「こんにちは」
石井先輩がからだを左に傾けて僕の後ろに視線を投げるのに釣られて僕も振り返ると、新藤先輩が微笑みながら胸の前で小さく手を振る。新藤先輩は水色のジャージに着替えてて、こないだは下ろしていた髪もピンやゴムでアップに束ねているので、一昨日や一昨々日とは受ける印象が大きく違う。
「真くんは、今日は……」
と新藤先輩が僕に質問しようとしたところで、立て続けにココロや大林さん、蔵原先輩と成瀬先輩が運動しやすそうな服装で続々とやってくる。そのつど、僕がいることに驚かれたり、喜んでもらったりしたのだけれど。
そして、最後に一昨日ダンス部に見学に来ていた一年女子三人のなかでも一番大人しそうな――「裏方がいい」とはっきり言っていた女の子が、校舎の壁からピロティ内部の様子を窺うようにして、でも何かを決意したような表情で近づいてくる。
「あのぅ……」
「あー、北野さん! 来てくれたんやー!」
と蔵原先輩が大きな声をあげると、「北野さん」と呼ばれたその女子はその声に驚いたのだろう、両肘を脇腹につけて背を丸め――からだを強張らせる。そして、蔵原先輩とは対照的な細い声でこたえる。
「あ、はい。今日の見学だけでも……いいですか?」
「もちろん! ええよ、ええよー。他の二人は?」
「えっ……と……」
「――あー。そっか……うん。そやな」
北野さんの瞳がメガネの角度で見えなくなるくらい俯いたのを見て、蔵原先輩は何か――きっと、こないだ見学に来ていた他の二人は来ないことを察したのだろう――納得したようなそぶりでうなずく。成瀬先輩が蔵原先輩を肘で押しのけて、僕と北野さんを一瞥する。
「真くんは、今日は見学ってことでいいの?」
「あ、はい」
「北野さんは――見学だけ? それとも、もう入部を決めてくれたのかな?」
「……あのぅ、やっぱり裏方だけってのはダメですか?」
「無理じゃないけど、できれば」
「うーん……じゃあ、今日は見学だけでもいいですか?」
「もちろん! ――と言いたいとこなんだけど……」
成瀬先輩が右手を頭の後ろに回して、少し言い淀む。
「あのね――真くんにさっき会ったときに言い忘れちゃったことがあって……」
「?」
「本番の文化祭まで二週間しかないし、明日にはK市まで衣裳の材料を買いに行こうと思ってるの。二人とも参加してくれる場合も考えて、衣裳は多めに買ってくるつもりだけど、できれば今日の練習が終わった時点……遅くとも週明けには文化祭に出るかどうか、北野さんと真くんの考えを教えて欲しいの」
僕は恐る恐る北野さんの様子を窺おうとすると、彼女もこちらを向いて互いの視線と出会ってしまう。北野さんの桃色のセルフレームの――縁が太くて、レンズまで分厚そうな眼鏡の奥で、小動物みたいに怯えつつも、子供みたいに好奇心溢れた眼が幾度も瞬きをする。
北野さんは僕から目を逸らしてピロティのコンクリート床を数秒凝視した後、成瀬先輩の顔を見上げる。
「じゃあ、ワタシは今日の練習には参加させてもらっていいですか? 決めるのはその後でいいんですよね?」
「うん! じゃあ、あとで聞かせてね。――真くんは?」
成瀬先輩だけじゃなく、ココロや大林さん、全員の視線が僕に刺さるので緊張が僕のからだに走る。――いや、結論をどうするかはともかく、昼に決意したことがあるじゃないか。緊張で締まったのどから声を絞り出す。
「……北野さんと同じ、で」
「よしっ! じゃあ、今日は3曲目のユニゾン――って、全員が同じ振りを踊るところがあるんだけど、そこの練習をやろっか。 北野さんと真くんは着替えって持ってる? Tシャツとか、サイアク体操着とか学校のジャージでいいんだけど……?」
「ジャージならロッカーに置いてます」
僕はとっさにそう答え、北野さんも無言で頷く。
「じゃあ、今から着替えてきてくれる? こっちは音楽とか準備してるから。――えーっと、恭子はプレイヤーとスピーカーを取って来てもらっていいかな?」
「いいよー」
石井先輩が快活に頷く。
「ありがと。あと、大林さんと心ちゃんは恭子に付いてってくれる?」
「「はーいっ」」
「じゃ、蔵原とあたしはここで待ってるから」
石井先輩についていくココロと大林さんを見送る前に、僕は北野さんと旧校舎へ歩いていく。たかが数十メートルの廊下を一緒に通るだけなのに、無言でいるのに耐えられなくなって北野さんに話しかけてしまう。
「北野さんって……なんかすごいね」
「はい?」
北野さんの声が裏返って、妙な高さになってる。
「ほら、北野さんって一昨日、『裏方やりたい』って見学に来たのに、今日は踊るほうで練習するわけでしょ?」
「そう……ですね」
「なんというか、環境適応力が高いっていうか、やる気がすごいっていうか……」
「――そうですか?」
「と僕は思う」
「ありがとうございます――あ、ワタシはここなので」
北野さんは旧校舎一階の廊下にあるロッカーを指差すので、「また後で」と言って僕は四階へ上がる。
小里高の生徒には、一人に一つ教室前にあるロッカーが割り当てられていて、体育の授業で着るジャージや家に持って帰らないような実習道具を置いておける。腰の高さほどのネズミ色したロッカーはどれも凹んだり塗装が剥げたりで、旧校舎の古さともマッチするくらい使われてきた時間の長さを感じさせる。
四階の教室には、まだ名前も覚え切れてない女子が何人か残ってておしゃべりしてる。開け放した窓から入ってきた風が、彼女らの髪とカーテンとを浮き上がらせ、まだ高い太陽の光を教室に差し込んでいく。そんな様子を横目に僕は、自分のロッカーからまだ一度しか袖を通してない緑色のジャージを取り出して、近くのトイレへ持って入る。
正直ジャージの緑色だけはないと思う。赦しがたいくらいダサい。
小里高では、黄・赤・緑の三色が学年ごとに決められてて、この色がジャージから上履き、体育館で使う運動靴、ブレザーのネクタイにまで影響する。しかも、三年間変わることがない――僕らのように入学した時点で「緑色」だったら、それから三年間はずっと緑色を持ち上がりで使うことになる。
制服のネクタイは少し明るめの緑色に白いラインが何本も斜めに入ってるヤツで、これは僕も割と気に入ってる。上履きを縁取る濃緑色は好きじゃないけど、どうせ校内でしか履かないんだから我慢できる。でも、ジャージの色まで緑色ってのは、ない。肩から袖口まで白いラインが入ってて、総合するといかにも「田舎の学校のジャージ」とはっきり分かる――確かにその通り(田舎の学校)なんだけど、だからこそ気に喰わない。校内でしか着ないならいいけど、学校のイベントによってはこの格好で外を出歩くことがあるというのがつらい。もちろん、今の二年生の赤色や三年生の黄色も、ジャージだったらやっぱりダサいのかもしれないけど。
僕は男子トイレの個室でジャージに着替えて、軽くたたんだ制服をロッカーに突っ込む。
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