第二章 aspire ――四月十一日 4
「ほかの部、かあ……」
なんとなく部屋で呟いてみる。
家に帰ってからも部活をどうするか考えてはいたのだけれど、リビングでテレビのバラエティ番組を観ても、部屋でウッチーから借りたマンガを眺めても、晩ご飯を食べてもお風呂に入っても、ずっとボンヤリしたままでなんとなく困る。加えて、部活を終えて帰ってきたココロが何も言わなかったのもちょっと気味が悪い。
部屋で宿題を終えて、椅子にもたれて両腕を上に大きく伸ばすと、ちょうどココロがドアの向こうで
「お風呂、空いたよ」
と言うので、「ん、ああ……」とわれながら気の抜けた返事が口から漏れる。
「マコト、入るよ?」
「ん」
銀色のドアノブを傾けて部屋に入ってきたココロはお古の白いTシャツとグレーのスウェット姿で、それほど長くない髪も乾き切っている。
「……んで、どうすんの?」
とココロは僕のベッドに腰掛ける。
「部活のこと?」
「うん」
「正直、まだ決めてない」
「何も?」
「なにも」
「マコトはあれから他の部はどっか見た?」
「いや、どこも」
「そっか」
「……ココロはもう決めたの?」
僕は暗くなった窓の外の街灯をぼんやりと見ながら、尋ねる。
「うん、ダンス部に入るよ、テルミと一緒に」
「ふぅん……。じゃ、あれ? 『マコトもダンス部入れー』って言いに来たの?」
「んーにゃ、違うよ」
「へぇ、珍しい」
「そう?」
「強引なのがココロっぽいじゃん?」
「んー……」
ココロは否定するでもなく、左手に持ってた携帯を操作し始める。
「どうしたの?」
「えーっと……これ、テルミが」
と白い画面を僕に向けると、
《真くんがダンス部に入ってくれたらいいねー》
という一文がそこに浮かんでる。ココロの指でそこから下が隠れてる分、下線が引かれたみたいにメッセージが強調される。
「そっか。これを見せに?」
「うん。『マコトに直接メール送ればいいのに』って返事したんだけど『うーん、なんか恥ずかしいもん』だって」
「……」
「いや、先輩もみんな『文化祭、一緒にやってほしい』って言ってたし」
「そっか……」
ふと目があったココロは珍しく真剣な眼差しをしてて、僕は慌てて壁掛け時計を見る。そのせいで、何を言ったらいいのか余計に分からなくなってしまった。すると、ココロが「……バーカ」って呟いた。
「突然、なに?」
「調子乗んな」
「乗ってねーよ。ひどいな」
「部長のマネだから。びっくりした?」
「うそつけ。ココロの本音だろ?」
「バレた?」
ココロが僕のベッドに背中から倒れ込む。
「当然だろ」
「……ま、せいいっぱい悩みたまえよ、少年」
たまにココロはこういう大げさな言い方をする。
「それは誰のまね?」
「さあ? クラーク?」
「……」
しばらく互いに黙っていると、ココロが勢いよくからだを起こす。
「あ、内田くんがマコトに貸してるマンガがオススメって言ってたんだけど」
「そこの三冊かな。さっき読み終わったから」
「じゃ、持ってっていい?」
「ん。読んだらウッチーに返しといて」
「りょーかい」
ココロは ベッドの脇においていたマンガを手に取ると、振り返りもしないで
「じゃ、おやすみー」
と言うので、僕もココロの背中に「おやすみ」を投げかける。
「大林さんも先輩も、か……」
と、ココロが出て行った後にまた呟いてみる。
この夜、幼い頃の僕らの夢を見た。
小学校一・二年生くらいだろうか、夏休みに田舎の祖父母の家に帰省したときのことだ。共働きの両親に見送られて、ココロと二人で飛行機に乗って。ある日、祖父母と四人で、近くにある大きな公園に行ったら、ココロがそこに設置されている巨大滑り台に興味を持って、僕や祖父母を置いて乗り場まで走っていってしまった。祖父母はどんどんと遠ざかってゆくココロに付いて行かず、「降りてくる砂場で待ってればいいよ」と呑気なことを言うのだけれど、僕はココロを追い駆け始めた。
滑り台を横目に見ながら、あるいは標識を確認しながら、芝生と雑木林で覆われた坂道を登っていくと、祖父母の姿はすぐに見えなくなってしまった。僕がようやく乗り場に辿り着いたとき、ココロは一人でそこにたたずんで、滑り台を見下ろしていた。
ココロは僕の姿を見つけると、一瞬明るい表情を浮かべた――かと思うと
「なんでマコトも来たのよ」
と険しい顔で言う。
「ココロがとつぜん行っちゃったから」
「だいじょうぶだよ――マコトもすべり台にのろう?」
「おじいちゃんもおばあちゃんもしんぱいしてるよ」
このとき、僕はどんな顔をしてただろう。心配そうな顔? それとも苦笑い?
「きっと下にいるよ」
「そう言ってたけど……」
「それなら早くすべらないとおじいちゃんもおばあちゃんももっとしんぱいしちゃう」
「……」
「じゃあ、二人でいっしょに行きましょ?」
「……うん」
「おねえちゃんが先に行くけど、マコトはちゃんとくっついててね」
ココロの手に導かれて、僕はココロを背中から抱きしめる。そのまま、ゆっくりとしゃがみ込んで滑り台を降りてゆく。
からだが加速していくのに従って、僕の腕を掴むココロの手に力が入ってくる。大きなカーブでは僕らがレールから飛び出しちゃうんじゃないかってドキドキしながらも、そのうち僕も楽しくなってきてココロよりも大きな声をあげていた。滑り台のローラーのせいで、砂場に降り着くころにはお尻がはれ上がるくらい痛かったのだけど。
滑り台を降り切った後、ココロは祖父母の顔を見たとたんにその場に座り込んで泣き出してしまった。きっと、一人で滑り台の乗り場に立ったとき、険しい表情をしていたのは不安だったのを懸命に隠してたのだろうと、今なら分かる。祖父が痩せた手のひらで僕らの頭を撫でながら「儂が生きてる間はずっと待ってるが、勝手に走っていくな」と怒った訳も。
そのとき僕もココロにつられて泣きそうになりながらも、大声で泣き続けるココロの頭を撫で続けてた。細くて柔らかい髪の感触が今も手に残ってる。
第三章 connspire ――四月十三日
conspire[動] 1.(自)(人と)共謀する、陰謀を企てる
2.(自)[to do]協力し合う
1
ココロに大林さんからのメールを見せてもらってから二日後、金曜日の昼休み、僕はウォーキングの練習をしたあの食堂へ行く。食堂は校舎に囲まれて太陽光が入ってこないんだけれど、天井の蛍光灯で明るい。角が所々傷んでるテーブルの天板の白さが蛍光灯のチープな光を反射している。
僕がきつねうどんを食べ、教室に戻ろうと旧校舎の階段を上がっていくと、上の階から、クラスメイトの――ノリがいいグループの――男子が騒ぐ声が聞こえてくる。階段の折り畳まれた隙間へからだを寄せて上の階の様子を窺ってみるけど、よく分からない。
クラスメイトが盛り上がることだから、僕にはたぶん関係ないことだろう、と息をひとつ吐き出して残り何十段かを上がっていくと、僕の教室の廊下に成瀬先輩が腕を組んで立っているのが見えてくる。
最初は所在なさそうな表情をしてたけど、先輩と僕の目が合うと
「あ、真くん!」
と一瞬で花開いたような笑顔で手を振る。
「あらあら、ごめんねー。なんか注目されちゃってるけど……」
と先輩は周りの視線を確認してるけど、大して困ってるようにも見えない。ダンス部部長ともなればどんな場所でも人に見られなれてる、ってことかもしれない。
「先輩、どうしたんですか?」
「んー、真くんを誘惑しに?」
先輩は僕の目の前に一歩近づいて、まだ新しい制服のネクタイを細く伸びた指先で丸め取る。
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