第二章 aspire ――四月十一日 3

掃除を終えて廊下に出ると、昨日みたいにココロと大林さんがいた……わけではなかった。

今日は何事もなく帰れるな、と一安心してカバンを肩に掛け直し、階段を一歩下りた……ところで玄関までの行き方に詰まる――迷ったわけじゃない。僕の教室は旧校舎の四階にあるので、ここから一階に下りてゲタ箱まで行くと、ダンス部が練習しているだろうピロティの横を通ることになる。旧校舎からすぐに本館に入って一番北まで行って、そっちの階段を下りればピロティを通らなくて済む。

昨日はダンス部に体験入部して、今日も部活動紹介を見た。だからといってダンス部に入部しないといけないわけでもないし、他の部活を観に行ったっていいし、そっちに入部したっていい。ダンス部の先輩たちもいい人っぽいから、僕が通りかかっても気にしない――振り(フリ)をしてくれる――か、気が付いても挨拶するだけだろう。今日だって見学者はたくさん来てそうだし。

だけど、会ったら会ったで面倒な気もする。大林さん――はともかく、ココロがいるしな……。いや、これは自意識過剰……だ。ピロティのそばを通らないように気を遣う方がダンス部に入る気が少しでも有るみたいだし、いま避けてしまうと、これから一年間ピロティの横を通るのが毎日イヤになってしまいそうだ。ひとりで勝手に気まずくなっても仕方ない。

どの部の見学に行くか全然決めてないけど、ひとまず今日は帰ろう。文化部だったら文化祭で活動内容は分かるし、最終的に帰宅部になったっていいのかもしれない。ピロティを通ったら普通に挨拶して、通り過ぎる――そう心に決めて、階段をさらに一段、もう一段と降りてゆく。


ピロティの横を通ったとき、僕に気付いた蔵原先輩が目礼をしてくれたので、僕も会釈を返して正面玄関へ進む。……しかし、想定通りに行かせてくれないのが、ココロのココロたる――『残念な姉』たる由縁である。パイプ椅子に座ったココロが右肘を背もたれに乗せるようにして振り返る。

「あーっ、マコトじゃん」

「!」

「こっちこっち!」

「……」

ボクを手招きするココロが、ただのオバちゃんのように見える。僕をスルーしてくれた蔵原先輩も苦笑いを浮かべるばかり。大林さんも僕には気付いてたみたいだ。

「こんにちはー、真くん」

「こんにちは……」

「なによ、それー。さっきまでとテンション違うじゃん。やっぱりテルミに説得……」

まくしたてるココロがこのまま不必要なことを漏らしそうなので僕は話題を変える。

「いや、蔵原先輩に申し訳ないなーと思って」

「先輩に?」

「ええねん、ええねん。ま、そういうこともあるわなー」

と先輩は右手を、秋の稲穂のように揺らす。

「ココロが……すいません」

「??」

「……分かんないならそれでいいよ」

「? 変なの。ホントにヘン」

……説明するのは面倒くさい……。

成瀬先輩と蔵原先輩の前にはココロと大林さんのほかに一年の女の子が三人座っていて、成瀬先輩が腰に手を当てて、体重をかけた足を入れ替える。

「どこまで話したっけ……あー、そうそう。ダンス部は今、人数が少なくて困ってるの。ちょっと前まで私と蔵原の実質二人しかいなかったくらいで」

確かにさっきの部活紹介で「新藤先輩と石井先輩はダンス経験がなくって、入部したばかり」と聞いたのだけれど、一時は二人だけになった、とまでは想像してなかった。

「で、確認なんだけど、みんなは踊りたい? それとも裏方をやりたい、とか?」

三人の女の子は同じ中学校の出身なんだろうか、互いに顔見知りらしく「えー、どうしよー?!」「どうする、どうするー?!」なんて高めの声で話し合う。三人の中でも一番大人しそうな女子がおもむろに手を挙げる。その子は手の挙げ方も喋り方も幾分ゆっくりで自信なさそうに見える。それに加えて、度の強そうなメガネをかけて、長めの髪は左右で縛ってるだけという外見がさらにその印象を強くする。

「えっと、私はどっちかというと裏方のほうがいいかなって……」

「うーん、そっかー……。ダンス部はホントに人数が少ないから、裏方希望のヒトにもできれば踊ってもらいたい、かなあ。それに、裏方やるヒトにも舞台経験があるほうがいいとは思うし」

「そうなんですか?」

「裏方の――たとえば小道具とかって『舞台に立った人にとってどうなってると扱いやすいのか』ってことを考えないといけないと思うんだけど、やっぱり舞台に立った経験がある方が分かるんじゃないかなー、って。それはダンス部でも演劇部でも英語研究部でも」

「はあ……」

おとなしそうな女子は――当てが外れたからだろう――俯くように視線を落とす。

「演劇部や英語研究部のほうは『たぶん』の推測だけどね。――他のお二人は?」

「うーん……」

「どっちかというと……」

他の二人の女子も互いに顔を見合わせて、困惑した表情を浮かべる。

「まあ、一年生がたくさん入ってくれれば裏方だけのポジションも作れるかもしれないんだけどね。――あと、さっきの部活見学では言わなかったんだけど、もし『踊りたいなー』『出演したいなー』ってことだったら、体験入部っていうか、今度の文化祭にも出てもらいたいと思ってて……」

(え?)

僕は一瞬思考停止したけれど、そんな僕の内面に関係なく部長は腕を組んで話し続ける。

「大林さんと心ちゃんには昨日話したけど、もしも入部してくれるんだったら、今後のためにも経験を積んでもらいたいしね。あと、正直なところ、ホントに部員が少ないってのもあるんだけど……。あと、ほら。演劇部だったら一時間分の脚本を書き換えないといけないし、台詞だって覚えないといけないじゃない? だから、今から文化祭の公演に一年生を出せないと思うんだけど、その点、ダンス部が今度の文化祭でやるのは15分くらいの短い作品を予定してるから、練習次第でなんとかなるかなー、って。――それに、新藤さんも石井さんもダンス部の本番は今度の文化祭が初めてだし」

「そうそう! 部活紹介で驚いたんですけど、ホントですか?」

ココロが驚きの声をあげて新藤先輩の方を向くと、「うん、わたしも恭子ちゃんも人前で踊ったこと、ないの」と新藤先輩がさっと答える。ココロが驚くのも当然だと――双子だからかもしれないけど――僕も思う。昨日の練習で見た、石井先輩の歩き方も確かにキレイだったけど、新藤先輩のウォーキングは別格だった。

成瀬部長が一呼吸したあと、再び息を声に変える。

「放課後は毎日練習すると思うし、土日も色々作業することになると思うの。だから、無理強いはしない……けれど、参加してくれると嬉しいなー、って」

「えっと、すいません――文化祭に出るためのダンスは教えてくださるんですよね?」

ここまで一言も話してなかった大林さんが部長に質問する。

「うん、もちろんそのつもり。覚えてもらう振り付けは最小限にするし、文化祭を踊ってみてダンス部が面白くなかったら――って言い方は悪いかな――ダンス部よりも面白そうな部があったら、そっちに入部してもらってもゼンゼン構わないし」

「ま、なにより二年だけで踊るより、人数がたくさんいる方が演(や)ってても楽しいし、お客さんから観てもカッコええやろ? せやから、文化祭にも出た上に、ダンス部に残ってくれると嬉しいけどなー」

「そう……ですよね……」

蔵原先輩の関西弁を受けて、見学に来ていた女子たちは言葉少なく目線を交わすと、雲間から出た太陽の光がピロティのコンクリートを、さらにはピロティの天井をも白く照らす。

三人の一年生女子に逃げ道を作ってあげたのだろう――成瀬先輩が「――他の部も見学してくる?」と提案する。

「えーと……はい。そう、ですね。そうさせてください」

「うんっ。じゃあ、また気軽に遊びにきてね。……あ、そうそう! 演劇部ではダンス部の見学に先に行った、ってのは言わないでいてくれる?」

「?……はぁ……」

クエスチョンマークを頭の上に浮かべる三人の一年生にはお構いなしに、ココロが「それ、どうしてですか?」と手を挙げてはっきり聞いてしまう。この空気の読めなさっぷりが相変わらずの残念な姉、だ。成瀬先輩は、部活紹介のときとは少し違う複雑そうな表情を浮かべて、蔵原先輩に無言で助け舟を求める。

「せやなあ、あえて言うと演劇部の顧問の先生が癖のあるヒト、っちゅうか……」

テンポよく喋る蔵原先輩が言葉を選んでる、というのが僕にも分かるくらい、ゆっくりと説明を口にする。

「演劇部の顧問は三池先生っていうねんけど……いやっ、先生としてオモロい人やねんで? ただ、『演劇部至上主義』というか――ダンス部の、今の三年が辞めたとき『ダンス部が廃部になったら演劇部に吸収させよう!』みたいなことを言ってて」

「えー、なんかカンジ悪いですねー」

ココロが素早く反応する。――が、こういう場面では特に黙ったほうがいいと思うぞ、姉。

「まあ、『部員が五人を切った状態が一年間続いた部は廃部』っちゅうルールがあるからな。実際、ダンス部は人数少ない上に、設立してから数年やし。――まあ、文化祭が終わっても一年生が残ってくれるなら、部としては大丈夫やから、そこは安心してほしいねんけど……」

「蔵原とあたしが高校に入ったときも三池先生が『演劇部に来てくれ!』と熱心に誘ってくれたし、期待してくれてたのかもね」

成瀬先輩が弁明を続ける。

「同じように、三池先生はみなさんをすごく熱心に勧誘するだろうけど、『ダンス部に先に行きました』とかって言うと、もっと熱烈アタックになるかもなーと思って。――もちろん先生は『ダンス部を潰したい』ってわけじゃないと思うし、こういうことをあたしから言って、みなさんが変に構えちゃってもよくないかなーとは思うんだけど……」

「いえ、大丈夫ですっ。はいっ」

何が大丈夫なのか僕にはいまいち分からないけど、三人の一年女子は妙にハッキリ答える。

「まあ、演劇部とか英語研究部を見学してからでいいから、ダンス部にもまた気軽に練習観に来てね?」

「あ、はい……。では、失礼します……」

三人の一年生は椅子から立ち上がりながら軽く一礼すると、校舎の中へ駆けて行く。

(!)

話に聞き入っていて忘れてたけど『彼女たちと一緒に僕もこの場を離れればいいんだ!』と気が付いて、慌ててかばんを肩にかけ直す。僕もさっと一礼した後、名前も知らない女子たちを追うように振り返って正面玄関へ小走りする――後ろでココロの声が聞こえるけど、気が付かないふりをして。

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