第一章 inspire ――四月十日 3
練習を切り上げて、ピロティへ戻るとその真ん中には成瀬先輩と、少し離れたところに二人の男の人がいた。成瀬先輩は既に赤いTシャツと薄いピンク色のジャージに着替えていて、からだを動かしながら彼らと何か話してる。
二人の身長はあまり変わらないけれど、どちらかというと少しウェーブのかかった長めの髪を揺らす男性も黒いTシャツとジャージ姿と練習用の服に着替えている。その中性的で切れ長の瞳に長い睫毛まで兼ね備えた面立ちは単に『イケメン』というよりは『美男子』という表現が似合う。もう一人はノン・フレームのメガネをかけた短髪の男性は白いポロシャツにチャコールグレーのヨレヨレのスラックスを履いた、たぶん先生。――「たぶん」と判断を留保したのは、そのヒトは先生っぽい格好と言えば明らかにそうなんだけれど、遠目に見ただけでは「そういう練習着を着た二~三年生(ちょっと老け顔)」と言われれば納得してしまいそうな童顔だったからだ。
食堂前の中庭から戻ってきた僕らのことに背の高い方の男性が気付いて、長い腕を振って「お疲れさーん」と呼びかけてくる。イントネーションはどことなく、テレビで聴いた関西弁のそれ。男性の声で僕らが戻ってきたことに気付いた成瀬先輩が新藤先輩と石井先輩に大きく手を振る。
「あ、お疲れさまー。どうだった?」
「うん、リズムの取り方はさらっと済ませて、ウォーキングの『入り口』まで、ってところかしら」
「そっか。コッチは蔵原を捕まえた後、ちょうど溝口先生が来て下さったからソロパートを話し合ってたところ。――あ、真くんは二人に会うの初めてよね? こちらが顧問の溝口先生」
「初めまして、溝口です」
成瀬先輩に手のひら全体で紹介された短髪の先生は僕をじっと見る。僕はヒトと目を合わせるのが得意じゃないけど、先生の――生徒を指導する教師という立場からすると教師らしくもあり、しかし厳格には振舞えなさそうなところが教師らしくない。そんな柔和な表情が僕の警戒心を解いてくれてるのかもしれない。
「先生は確か、一年生のクラスは持ってないんですよね?」
「うん、持ってないね」
「そうですかー。じゃあ、部活以外では会わないですね。――あと、コイツがさっき言ってた副部長の蔵原」
「こんにちわー、蔵原ですぅ」
今度は成瀬先輩が長身の男性の顔を指す。先生に対しての成瀬先輩の態度と、このヒトに対してのソレとで全然違う……。
「今のところウチの部唯一の男子なんだけど……」
「なんやけど?」
「ヘンタイです」
「今言わんでもええやん!」
「なので、ダンス部に入るのでなければ、一年生は蔵原のこと忘れていいから」
「なんでやねんっ! ……ひとまずよろしゅうね、真くん」
「あ、牧野真です。よろしくお願いします」
蔵原と紹介された先輩は腰を軽く折って僕と目線の高さを合わせる。さっきより近づいた蔵原先輩の顔はやっぱり中性的な印象で、睫毛は特に少女マンガの登場人物みたいに長い。身長がたぶん新藤先輩と同じくらいなので、二人が並ぶと
「心ちゃんの弟さん、やんな? 双子やとは聞いたけど、顔もホンマに似とんねんなー」
「あ、はい。よく言われます……」
成瀬先輩がすかさず「隆樹、そのやり取りさっきやったから」とツッコミを入れる。
「え、そうなん? ――しかし、顔だけやなくて声も似てる?」
「それもさっきやった」
「うっ……ほな、身長も――」
「さっきやった」
「……他に似てそうな場所は……あ、おムネのあたりが」
「それはやってないけど、黙れ。あるいは帰れ」
「……」
蔵原先輩は上半身だけで後ろを向いて、遠くに向かって言うように両手で口元に筒を作って「のぞみんのアホー……」と呪詛をピロティにこだまさせる。そこに成瀬先輩が蔵原先輩のふくらはぎに格闘技の教科書のような右ローキックをヒット。蔵原先輩はコンクリートの床に崩れ落ち、お昼のメロドラマで姑に虐められた若嫁のようなポーズを取ってみせる。
「あはは、みんなごめんねー。一年生の前でこんな姿を見せるのもナンだなー、イヤだなーとは思うんだけれど、こいつバカ――っていうか心底にバカで、ホントごめん」
ココロは「夫婦(めおと)漫才みたい」って大笑いしてる。僕も笑ってしまうけれど、同時に成瀬部長が部長である理由――そういう恐ろしいものの片鱗を味わった気がする。
「ええやんかー、俺は今、真くんと初対面なんやから……同じ質問したかて……」
「セクハラとか、マジでありえないから」
「新しいネタを求めたのはのぞみんやんか……」
西に傾きつつある日差しが中庭からピロティへと入り込む。それでも薄っすらと暗いピロティのコンクリートが、全て輝いて見える。
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