さすがさんと春色の研究
濱村史生
まえがき
わたしの場合、三大欲求と聞いたとき、真っ先に思い浮かぶのは食欲である。
もちろん、朝における「あと五分」「あと十分」なんていう睡眠欲の強さは他をも凌ぐかもしれないが、それは往々にして夜更かしの弊害でもある。たとえば今朝なんかもわたしはそんな睡眠欲との戦いに数十分を費やしてきたけれど、それも深夜遅くまで買ったばかりの本を読んでいなければまた違う朝を迎えていただろう。
選択肢が浮かんだ数だけ、それと同じ、はたまたそれ以上の未来がある。わたしが昨夜、目先の楽しみのために翌朝の睡魔との戦いを選んだように、楽しみや嬉しさや胃の痛みなどというものに負けることもしばしばあろう。ということで、優先順位としては低い、というのがわたしの見解である。
そして残りひとつの欲求に関しては、今のところ悩まされていない。お相手もいない。残念でしかたがない。
さて、三大欲求である。
つまるところ、この欲がなければ生きていけない、という生存本能なのだそうだ。
食べなければ死んでしまうし、一生眠らなくても死んでしまう。言わずもがな、子孫を残すこともできないのだから、種としては終わりを迎える。イコール死だ。生きていけない。
そんなふうに、死へと直結する強い欲求であるから、それを持て余したとき――つまり、ああ、お腹が空いたなぁ、と。初夏に片足突っ込んだ蒸し暑い休日の遅くに目を覚まし、冷蔵庫が空っぽで、唯一食べられそうなものを探しまわってようやく見つけた、どうやら一年ほど前(これは記憶が定かでないので、これぐらい昔だというたとえである)に冷凍庫の隅っこに追いやってしまったらしいアイスクリームを発見したときには、もう脳は完璧に食欲に支配されてしまっていて、正常な判断をなさってはくれないのである。
「そんなわけで、わたし、昨日はとっても大変だったんです」
十数枚重ねた、まだ一度も傷つけられていない文庫カバーをトントン整えながら、わたしは言った。
日曜日の午後一時。一週間でいちばんひまな時間帯だ。店長が休憩に入っていることもあり、雑談にも花が咲く。
とはいえ、相手がこのひとであれば別である。
「……あのぉ、聞いてます?」
レジを挟んでとなりに立つ、背高のっぽの黒髪を見ると、授業中うたた寝をしているときのように首が傾いだ。
もちろん今はアルバイト中なのでうたた寝などできるはずがない。いや、この人の場合そんな芸当ができると言われたら信じてしまうかもしれないけれど、うねうねと常日頃変化を続ける黒髪の向こう側にあるふたつの瞳は、まちがいなくわたしのそれと「おっ、久しぶり!」とでも言うように出くわしている。
なるほど、頷いているのだ。
と気付くには、ほんの少しばかり時間がかかった。
わたしは確認がとれたこともあるし、まあこの人のわかりにくいリアクションはいつものことだから、と視線を目の前へと戻した。
お客さんは今のところ通らない。やはり暇である。
「これはきっと、古いアイスクリームのせいだと思うんです」
返事がかえってこないが、聞いてくださっているそうなので気にしない。
「まあ確かに、そりゃ一年も経ってりゃあね、って話なんですけど」
「……」
「でも他に食べものも飲みものもなんにもなかったんですよ?」
「……」
「かろうじて親の飲み残しの牛乳が台所にあったぐらい。ミロ一杯飲んだらなくなっちゃいました。氷でかさまししましたけど」
「……」
お返事のないことを気にすることなく、線より数ミリ余白を設ける形でカバーを折り曲げながら、おしゃべりを続けた。インクケースでしっかりと線をつけるようになぞるのがわりとコツの要ることなのだけれど、わたしももう三ヶ月である。プロフェッショナルとは言わずとも、そろそろ「書店員はじめました」の初心者マークは外れてもいいころだ。
つつつ、と端まで折れ線をつけるついでに、となりへと視線をずらすと、となりのワカメさんは既に端正に折られたカバーを名残惜しそうに撫でていた。ううむ、やはり先輩との壁は高く、わたしの若葉マークはまだまだ返上できそうにない。
なんにしても、〈さすが〉先輩である。
「さすがさん」
わたしがそう言うと、となりの首がかくり、と折れた。今度は首を傾げたらしいことは、わたしにもわかる。なぜかと言えば、わたしが呼んだからだ。「さすがさん」と。
「やっぱり古いのがダメだったんですよね、さすがさんもそう思いません?」
さすが、ということばを辞書で引くと、第一に「さすがだなぁ、と改めて感心するさま」、という意味が出てくるけれど、次に出てくるのは「あることを一応は認めつつ、一方で相反する感情を抱くさま」という意味である。
わたしがこのひとに対して抱く感情も、だいたいこのふたつ。
「さすがだなぁ」と、「さすがに」だ。
そして何を隠そう、そんなひとのお名前が、
漢字で記すとどうもぴんとはこないのがまた不思議なところで、タイムカードに記されている名前を見ている段階では、「なんだか高貴な雰囲気のあるお名前ね」などとわたしも思っていた。
それが一変したのは、ここ、
「あのね、こちら、サスガなのよ」
脈絡なく店長にそう言われると、わたしとしては首を傾げるほかない。
しかも入ったばかりの新人である。周囲が全員先輩である現状、下手なことを言うわけにもいかず、わたしにできることはひとつだけ。ただなんとなく、何かがすごいひとなのかしらん、と思索を巡らせてみることぐらいだった。
わたしはワカメの森に隠された高い顔を見上げ、そして今思い返しても、あっさりと店長の目論見どおりの問いを返したのだった。
「さすが……というと?」
「名前が」
「はあ」
「高貴の貴に、家と書いて」
「高貴だからサスガなんですか?」
「ちがうちがう」と店長は満足げに首を振ってから、にやりと笑って「さすがと読むのよ」
「あ、なるほど」
納得した。
「それでね、下の名前がはやての颯太郎くん」
「ふんふん」
「つなげて言ってみて」
「……さすがそうたろう?」
「さすが、そうだろう」
くだらない。
が、それ以来さすがさんのお名前は、フルネームしっかりとわたしの脳内に刻まれることとなったのだから、決してくだらないと悪いはイコールでは結ばれない。むしろ、そうやって誰かに伝えたくなるそのくだらなさは、同時にとてもいとおしい。
親御さんが意図して名付けたかは定かでないけれど、その軽快な語呂のよさは、いいくに作ろう鎌倉幕府よりもしっかりしっくりと、わたしの頭の引き出しに収まった。特に使う場面もないけれど、いつかわたしの後輩が現れることとなったら、わたしも同じようにさすがさんのお名前を紹介させていただきたい、と思うほどには。
もちろん、ひとさまのお名前を面白おかしく揶揄することはあまり褒められたことではないと思うけれど、平々凡々な名を持つわたしからすると、すこし羨ましいのだ。
また、自分の名と同じ「しおり」をもらいに本屋さんめぐりを幼い頃から趣味としていたせいか、気づけば本も好きになっていたことも、運命を信じるに至る所以である。もっとも、本を読むのはもともと好きだったから、この問題はニワトリのたまごにも似ている。どちらが先とは到底言い切れない。
まあそれはともかくとして。
そんな、「さすが、そうだろう」さんは、わたしよりもう一年ほど先輩である。何の先輩かといえば、先ほども記したとおり。ここ、久万河書店の、だ。
わたしがアルバイトをはじめたのは三ヶ月ほど前のことで、めでたくぴかぴかの大学生に上がる直前のことだった。
一般的に書店のアルバイトというものは高校生を雇ってはくれない。ただ、だいたいのアルバイトでそうであるように、卒業が決定している学生のことは諸手で受け入れてくれる。
わたしは志望校の合格をいただいたその日に、インターネットでいそいそと求人を探し、ちょうど見つかったこの書店へ面接の電話をかけ、「今ヒマ? ならいらっしゃいよ」という従姉のお姉さんからの誘い文句にも似た店長のお言葉に甘え、面接という名のおしゃべりを店長と小一時間過ごした後、一日に二度の合格通知をいただく運びとなった。
今思い返してもめでたい一日だ。ひょっとすると、この日に宝くじを買っていれば当たっていたかもしれない。実に惜しいことをした。
久万河書店は最寄りの舟堂駅からも近く、改札を出て地下に向かうと、看板よりも先に立ち並ぶ本たちが「本屋さんはここですよ」と知らせてくれる。濡れずに向かえる本屋さん、ということで来店されるお客さんは多く、来店が多ければ人手もいる。書店で働けること自体が本好きのわたしにとっては僥倖であったけれど、そこそこのお小遣いも得たいという願望を同時に叶えられる、まさに一石二鳥の場所だった。
それに目の前の着物屋さんや、そのおとなりのカフェで働くウェイトレスさんなど、まだ入って間もないわたしにもにこやかに話しかけてくださる方もいらっしゃって、店の中だけでなくご近所さんにも恵まれていた。
もちろん、最初からすべてが順風満帆だったわけではない。覚えることが多くて頭はこんがらがるのに、立ちっぱなしの仕事だから、たったの五時間が長かった。
けれど早いもので、雪解けを過ぎ、桜は葉桜へと変化した。吹く風は涼しく、それでいて日差しは熱く、夏の気配を感じさせている。
新人ぺーぺーのわたしも、少しは成長できるほどには、時間が経ったのだ。光陰矢のごとしとは、勉学への姿勢がまじめとは言い難いわたしでも知っている著名なことばではあるけれど、まさにそのとおり。矢どころか、光ケーブルぐらい名乗ったっていい。けれど字面が悪いか。光陰光ケーブルのごとし。ううむ。オセロのように陰が光にひっくり返りそうである。
「あ」
突如として漏れた声に、わたしの胃もひっくり返りそうになった。
お客さんからの声ならば驚きはしない。となりからの、つまりはさすがさんの声だったから驚いたのである。
さすがさんは、「さすが」というべきか「さすがに」というべきか、だいたいの場合においてほとんど声を発しない。いや、接客業に就いている以上声を発しているのかもしれないけれど、隣にいて聞こえたためしがほとんどない。
おまけに、話しかけても先ほどのように口よりも表情で語るおひとである。いや、表情も言うほど多くは語らないし、口ほどに物を言うはずの目は必要以上に長い前髪によって隠れてしまっているから、正直なところ五十歩百歩。どんぐりのせいくらべだ。まあそれでも首を傾げたり頷いたりと若干のボディランゲージが入る時点で、少しは語っていると言っていい。
もちろん、厳密に言えば、決して話さないわけではないし、話せないわけでもない。
ただ会話のテンポが独特なので、わたしなどの新米が「ああさすがさんから返事が返ってこないな」などと考えただけじゃあ足りないのだ。そこから「今日の休憩では何を食べようかしら?」と思考を飛躍させた頃合いにボールが返ってくるので、慣れないバッターはストライクになったことすら気付かない。わたしなんかは、最近ようやくバットにボールを当て、ファールぐらいまでいけるようになった。
「どうしました?」
「…………が」
そのうえ、さすがさんは、声も小さい。うねうねの黒髪が防音壁になっているんじゃあなかろうか、と、その可能性をうっかり本気で考えそうになるほどに。
お客さんもいらっしゃらないので、数歩さすがさんとの距離をつめて、もう一度首を傾げる。今度は、きちんと聞こえた。
「牛乳が」
「……牛乳が?」とほんの少し考えてから「悪かった、ってことですか?」
さすがさんは、かっくりと頷く。
「でも、牛乳の賞味期限はまだ先でしたよ。アイスクリームに比べたらよっぽど」
わたしの言葉に言い返すように、ワカメさんが左右にふるふる揺れる。実に緩慢な動作から、さすがさんは一言、「暑かったですね」と口のかたちを動かした。
「今朝が?」
頷いて、それから首を横に振る。少し悩んでから、「今朝も?」と尋ねると、今度は上下の動きだけだった。
しかし訂正されたわりに、今朝も、というわけではない。昨日の朝はまだ春の名残を残す涼しさだったし、その前日もお天気とはいえ同じ程度。むしろここのところめだって暑かったのは、今朝と昨日の夜ぐらいだ。
そこまで考えて思い至った。
「あ。牛乳!」
「はい」
「置きっぱなしだったんですね?」
「おそらく」
台所に置いてあった牛乳は、てっきり両親のどちらかが朝開けたものだと思っていた。
けれどそれが前日の夜から台所に放置されていたとしたらどうだろう。確かに暑い夜だった。賞味期限はまだまだ先でも、それが暑い夜から朝まで放置されていたとしたら。
たしかに食中毒までは至らずとも、お腹ゴロゴロの要因には十二分になりえる。
それに、とさすがさんはカバーの背を撫でたまま、続けた。
「ありません」
「……なにが?」
「アイスクリーム」
なんのこっちゃ。と首を傾げるわたしの鼓膜を、ポソポソ声が震わせる。
「賞味期限」
「……ああ!」
わたしはその日、帰る途中でアイスクリームを買い直した。冷凍庫に眠っていた証拠品とまったくおなじ代物を、である。
家に戻ってカップをファッションショーのモデルに見立て、くるくると回してみた。右に回って、今度は左にぐるり。乙女の目には痛すぎる表示カロリーを除き、じっくりと見つめてみて、そこでようやく、アイスクリームのカップには賞味期限の表示が一切ないことに気が付いた。
調べてみると、さすがさんのいうとおり、アイスクリームには賞味期限がないらしい。
マイナス十八度以下の冷凍保存状態では微生物や細菌が増えることはなく、使っている原材料も少なく単純だから品質劣化もほとんどしない。安定した食品であるため、食品衛生法で賞味期限の表示を省略してもいいと定められているのだそうだ。
光を受けてきらきらと反射を繰り返す、まっさらな雪原のような場所に木製のスプーンを突きたてて、わたしはすこし、思案に暮れた。
アイスのことじゃあない。さすがさんのことである。
――さすがさんは、ふしぎなひとだ。
そりゃあ人間すべてを分かり合えるものではない。むしろ分かり合えないことのほうが多いと知っている。接客業に従事していながら、なるたけ言葉を発しないように生きる姿勢だとか、あのモジャモジャのワカメヘアーだとか、分からないことはたくさんあって、そういうことをひとは一言で「ふしぎ」と形容するのだろう。
けれどわたしがさすがさんに見出す「ふしぎ」のかたちはすこし違っている。声でも髪でも無口な性格でもない。
その、何もかもを見通してしまうような目が、気になってしようがないのだ。
リビングのソファに腰を下ろし、向かい側に位置する窓ガラスにはちょうど、あぐらをかいているわたしが見える。部屋の中は明るく、外のほうが暗いからだ。
目許に力を入れて視点を変えれば、少しはその向こう側に椿の木が植えられていることや、門を支える古い石柱も見えるようになるけれど、それなりの時間を要しても、暗い世界ではわたしに見えないことはきっとたくさんある。見えないことにすら気付けないほどに、たくさん。
けれど、さすがさんは違う。赤外線暗視スコープか、はたまた3Dカメラか。とにもかくにも、わたしとは違う目で、物事を見ているのだ。
お腹ゴロゴロの原因なんてまだまだ序の口。わたしがさすがさんに出会ってからの三ヶ月、さすがさんは様々な「ふしぎ」をわたしに見せてくれた。
世の中のひとは、わたしがいうその「ふしぎ」を一言であらわす術を知っているらしい。
現代ではその存在は魔法のように信じられていて、現実には実在しないはずなのに、なぜかそれをテーマに描かれるフィクションは後を絶たない。わたし自身、それを好んで読んでいるし、売れる本も大抵はその要素を備えている。
その答えは、つまり――〈探偵〉である。
誤解のないようにお伝えしておこうと思うけれど、なにもこの書店で殺人事件などが起こったわけじゃあない。探偵小説は好きでも血みどろや幽霊はあまり好まないわたしである。実際そんなことが起こったら職場を変えている。
かといって犬はどこかと探しまわったり、不倫調査を請け負ったりしているわけでもない。なにせここは単なる書店なのだから。ひょっとすると、さすがさんのことを探偵と呼ぶには事件性がなさすぎる! とお叱りの言葉を頂戴してしまうかもしれない。
それでも、わたしが「あれ?」と思ったことにさらりと(はわたしが五回ほど聞き返してようやく得られる答えであるけれど)解決を導いてくれる様は、やはり探偵と言うのが相応しく思うのだ。
そしてそこに探偵がいるならば、助手もいて然りである。
古来より、ホームズにはワトスン、ポアロにはヘイスティングズ、クイーン親子はまあわりと立場が入れ替わるけれど、他にも御手洗さんに石岡くん、エトセトラ、エトセトラ。と、探偵と助手というものはセットであるべきというのが通例だ。
わたしの知る限りではさすがさんにそのような助手の方はいらっしゃらない。名探偵の看板をぶら下げているわけでもない、普通の男子大学生なので当然だろう。
さて。
それならば、わたしがさすがさんの助手見習いを名乗っても、そうご迷惑にはなるまい。微力ながら、さすがさんの活躍を書き記してみせましょう、と思い至ったのである。
それが、今回こうして筆をとった長すぎる理由であり前提だ――
――と、いうのは、つまるところわたしの言い訳であるが、まあよろしい。
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