外敵

 園内の運動場では甲高い声を上げながら走り回る幼児たちが楽しそうに追いかけっこや競走をしていた。

 どうしてそのなかに混じって遊んでいるのだろうと今更ながらに思う。

「ねーねーおにいちゃん!」

「一緒におにごっこしよー!」

 左右両方から服を引っ張られ体も揺れる。

 園児達におにいちゃんと呼ばれている存在、ミュールは絶賛人気上昇中の保育士となっていた。

 ボーッとしているだけなのに何故か子供が湧いてくる。

 ここに通いだしてからもう何ヵ月が経っただろう。

「おにーちゃーん!」

「何…?」

 呼ばれるままに意識を向ければ幼児たちはミュールの手を引いて施設内に駆け込む。

 廊下をパタパタと走り、うさぎ組と表記された部屋へと連れられた途端、ドンと何かに後ろからタックルの様なものをされ床に座り込まされた。

「痛い。」

 確かに言った。

 でもハッキリとは言っていない。

 そんな蚊でも鳴いたかのような声など当然幼児達に聴こえている訳など無く、次々と嬉々として幼児がミュールに飛び掛かる。

 それを避けるわけでもなくただ為すままにじっと動かず体当たりを受け続けるだけ。

 一日この行為を受けることでお給料というものが貰える何とも嬉しくない仕事を何故ミュールがしているのか?

 実のところ、本人にもサッパリ分かっていなかった。

 それでも皆の為と自己暗示をしながら朝九時頃に出勤し、幼児達の面倒を見て午後六時に宿に帰る生活を送っている。

 仕事仲間はいない。

 皆無だ。

 別に仲間が欲しくて働いているわけではないのでそこはどうでも良かったりするが、何かあった時に頼れる人というのはいた方がいい。

 分かってはいるのにミュールはどうしても仕事仲間に話しかけることはおろか、目を合わせようともしないでいた。

 事務室でお茶を飲みながら話している場面に遭遇してしまえば何か悪いことを言われているのでは?と不安になってしまう。

 ミュール自身は何一つ悪く言われるような行動はとっていない…つもりでいる。

 気づかない内に不遜なことをしてしまっているのなら謝りたいところだが、それさえも言ってはくれないのでどうしようもない。

「やぁねー。」

 年を重ねた女性の声が遠くから聞こえた。

 その言葉は不満を抱いているものなのか、嫌悪しているものなのか、嘲笑っているものなのか。

 もうずっとそんな心配をしている。

 自分に向けられているものなのかとビクビク怯えている。

「おにいちゃん寒いの?」

 恐怖で身体が震えていることに気付いた幼子が上目遣いで様子を窺ってくる。

 小さい子はよく見ていると関心する反面、やっぱり幼い子は苦手だなと嘆息する自分がいると他人事のように思うミュールはまた視線を泳がせていた。

 園内でのミュールは物静かで、不健康そうで、何かに興味を持つようなこともない保育士でいた。

 なのに何処に惹かれたのか次の日、また次の日と囲んでくる幼児達の数が増えていく。

 子供とはよくわからない生き物だ。

(こんな僕の何がいいんだよ…あの子達は。)

「おにいちゃん、つみきであそぼうよー!」

「えー?!おにいちゃんは僕たちと一緒におにごっこするんだよ!」

 いよいよ小競り合いに発展してしまい女児と男児で言い合いを始めてしまう始末。

 どう対処しようかやっと考え始めた頃に別方向から幼児達を呼ぶ声が聞こえてきた。

 単純なもので幼児達は大きな声で返事をするとそちらへと走っていってしまう。

 解放されたミュールはどうすることもなく立ち上がり珍しく事務室へ赴いてみることにした。

 職員の憩いの場と呼べる事務室には大体園長か事務員が話ながら紅茶でも啜っている。

 話の内容は世間話や噂話、愚痴に自慢話だったりするのだろうか。

 興味を持てないミュールは頭の片隅でそんな風に思っていると誰かとぶつかった衝撃を感じた。

「……うぅぅ、ひっく…。」

 見下ろせば泣き出しそうな女児が尻餅をついていた。

 こんなところで泣かれては困るのでしゃがみこんで頭を撫でながら謝罪をする。

 よく見ると一人で遊ぶことが多かった子だった。

「ごめん…怪我、無い?」

「ひっく…だい、じょうぶ。」

 その言葉を聞いて安心するとミュールは女児の手を握って教室まで送っていき、中に入ると他の幼児達がキャッキャ笑いながら、たまに奇声を上げながら積み木や人形で遊んでいる。

 その中から一組のグループを見つけるとその子達のもとへと向かう。

「ねぇ。」

 呼び掛けてみると可愛らしく「なぁに?」と答えてくれた。

 無視されなかったことに安心すると連れてきた女児と一緒に遊んでほしいと話してみる。

「いいよー!一緒にあそぼ!!」

「……うん!」

 連れてきた女児はモジモジとしながらだったがすんなりとその輪の中に混じっていった。

 その後も普通に幼児達を見守り、本日の勤務を終了したミュールは逃げるように帰路についた。

 夕方は道が人で混雑していて大通りでもなかなか前に進むことが出来ず仕方なく裏道を使う羽目になってしまい、今日はあまり通らない細い道を歩いていく。

 薄暗いせいで視界が少し捉えにくかったりもしたが、最後は宿泊している宿に辿り着きそそくさと自分にあてられた部屋に引きこもった。

「…疲れた。」

 ベッドへダイブすると疲れが溜まっていたからだろうと見れば分かる程直ぐに寝てしまった。

 ミュールはその日、懐かしい夢を見た。


 物心ついたときからずっと弓を握っている。

 隣で怒声を上げている人物はよく知る人だった。

 ミュールは必死に弓を引いた。

 でも矢は言うことを聞かず、変な方向へと飛んでいく度に叱咤を受ける。

「もう一度だ!!」

 厳しい口調でそう言われてしまえば泣くのを我慢してひたすら遠い的に向かって弓を放つの繰り返し。

 日を追うにつれてミュールは家に閉じ籠るようになり、弓の稽古ならもう沢山だと二ヶ月間程外には出なかった。

 程なくして自室暮らしとなってしまい、外に出ることは勿論のこと、部屋からも出なくなってしまっていた。

 そんな様子に成り果てても誰も彼を咎めることはなかった。

 唯一心配した母はミュールの様子をよく窺い機会があれば一緒に外へ行こうと誘うが、外へ行こうとすればもう過ぎた事なのにあの叱咤が聴こえてくる。

『馬鹿者!何処を狙っている!!』

『構えがなってない!』

『もう一度だ!!』

(叱られてしまうくらいなら最初から何もしなければいいんだ。)

 そう、何もしなければ良かった筈なのに幾つもの年月を経て送られた物は彼を動かしてしまう。

 家に訪れたのは見たこともない服装をしている人達で、ミュールを見つけるや否やズンズンと近づいてくる。

 堪らず部屋へ逃げようとするが一足遅く捕まってしまった。

「貴殿には今から城へ登城してもらいます。ベルガモルマーレ家にとっても名誉なことですよ。」

 弓の名手を輩出し続けている忌まわしい名家の名。

 自分がこんな状態なのにある人物の姿が見えない。

 この時ミュールは初めて気が付いた。

 がいないことを。

 厳しい指導者だった父がこの場にいないのだ。

「……父に用事があるのでは?」

 久方ぶりに口にする固い言葉。

「何を言っているのですか?あなたのお父上は四、五年前にお亡くなりに…それより、国王陛下より貴殿に勇者の称号を与えると共にエリザベート姫救出の命が下されております。」

「僕が……?」

 父が亡くなったという現実を突きつけられたにもかかわらず呑気に尋ねる。

 この際どうでもよかったのかもしれない。

 自身の保全を第一に考えてきたミュールだからこその反応だった。

 何の役にも立たない自分にそんな命令をするなんて国王は馬鹿なのかと言いたくなったミュールだが、引っ込み癖がある為に俯いてただ黙っていることしか出来なかった。

 何故か誰もいない場所から射抜くような視線を感じるのは気のせいであってほしい。


「……い、…きて!ミュールさん!!」

 ミュールは毛布を剥ぎ取られ寒さに目を覚ますと元気一杯の勇者仲間アンナが部屋に訪れていた。

 目を擦りながら起き上がり、小さな声ではあったが朝の挨拶を口にする。

「おはよう!今日もいい天気だよ!!」

 窓を見てみるとアンナの言う通り雲一つ無い快晴だった。

 まだ完全に目が覚めてないが起きなければ遅刻してしまうのでさっさと近くにおいてあった服に袖を通す。

 簡単な支度を終えると部屋を整えてくれていたアンナが部屋の扉を開けてくれていた。

「自分で開けられる…。」

 そう言いながらも微かに頬が緩むのを見てアンナは太陽のような笑みで食堂へと誘うのだった。

「おそいよー!」

 王都で宿泊していた宿の食堂よりは狭いが十分な広さの一角からよく通る声が届いてくる。

「今日も元気…。」

 アンナの後ろに着いて歩きながらそんなことを呟けば苦笑が聞こえてきた。

 嫌味に言わないのは大声の主がイイ奴だと分かっているからだ。

 メンバーが揃ったところで既に用意されていた朝食に各々手を伸ばし始めた。

 彼らの様子を見て随分と熟睡していたのだと気付いたミュールは、伸ばしかけた手を止めて引っ込めると食事を開始した仲間達の手を止めさせた。

「あの、……なんかごめん。寝坊して…。」

 謝るのには理由があった。

 1つ。全員が揃っているとき、つまり朝は共に食事を摂ることになっているのに寝坊してしまったこと。

 2つ。今回が初めてでないこと。

 この頃、職場での疲労が酷いせいなのかどうしても誰かに起こされなければ目が覚めない。

 致し方ないと言ってしまえば簡単なのだが、これが簡単に言えない。

 働きに出ているのはミュールだけじゃない。

 アンナとクランクは当初の目的の為に情報収集を行っているし、ヘレンは女性客のみをもてなすバーへと稼ぎに出ている。

 ナノとリックはこの街の自警団らしき団体に入って功を成して稼いでくれているのだ。

 それなのに自分が皆の足を引っ張るような行動を続けてしまったことを謝りたかった。

(家に籠っていたときとは環境が違うことはとっくに理解してたのに……。)

「寝坊くらいでしょぼくれてんじゃねーよ。」

 静まった食卓に声を連れ戻してきたのは意外にもリックだった。

「お前は元々ひ弱だからな。俺等より寝てても大した問題にならない。」

 これに続いてヘレンも言葉を掛ける。

「そうそう、このヤンキーの言う通りさ。気にすることじゃないよ。」

「おい美容男。ヤンキーってどういうことだ。」

「そのままの意味だよ!!」

「毎日変な因縁つけてくるお前の方がよっぽどヤンキーだろうが。」

 普段の空気に戻りつつあるところで、他のメンバーが二人を放っておいてミュールに話しかける。

 アンナは起床した時と同じような元気且つ暖かみのある言葉を掛けて、クランクも今回は優しい対応で接し、ナノに至っては何の話か分かっていなかった様で、クランクに詰まらないことを聞いて痛い目に遭っていた。

 変わり無い風景にやっと顔を綻ばせると止まっていた手を再び動かし始める。

 卓上に並ぶサラダとパンを口に運んでは今日も頑張ろうとひっそりと気合いを入れたのだった。

 昨日と同じ時間に出勤して子供達がやって来る前に教室を掃除するのも園で働く者の仕事だ。

 ミュールはお湯の入ったバケツを置いてボロボロになった厚手の布をバケツの中に入れて絞ると床を拭き始めた。

 子供達が座ったり手を着いたりする床を少しでも清潔にして、風邪等の免疫が弱い子供達が元気に過ごせるようにするという目的の掃除だ。

 隅まで拭き終わると園児達が使う手洗い場で汚れたお湯を流し布を洗い、今度は園の入り口の掃除をしようと大きな箒を持って入り口に向かう。

 時間も時間なのかチラホラと人が往来していた。

 そんなことはどうでもよく、ミュールは枯れ葉や砂で少しだけ荒れた入り口を掃いていく。

「……何してるの。」

 その言葉は明らかにこちらに向けてのものだった。

「見ての通り掃除です。」

 素っ気なく答えて、顔でも見ておこうと視線を上げたが衝撃的過ぎて動かしていた手が凍結したかのように固まった。

「あの……なんで。」

「何でって…それは私が聞きたい方だ。まぁいい。他の者達には内密にな。」

 話しかけてきた人は明らかにここにいてはいけない人物で、その人は大きめのフードを深く被っているだけの変装姿をして、ついでにクスクス笑っている。

 何がどうしてこんなことをしているのか教えてはくれなさそうなので、せめてもとミュールは“これから”の事を尋ねてみた。

「ヒーローはピンチの時に現れるものなのさ。」

「……。」

 訳が分からない。

 ぽかんとしていると膝元に何かが衝突してきた。

 見下げると園児が「おはよー!」と脚に抱きつきながら挨拶をしてくる。

 おはようと返したところで顔を上げると、見知った顔は既に何処かへと消えてしまっていた。

 風のように去ってしまったその人とは後に合流することになるのだが、そんなことは今の彼には知る由もない。

「おにいちゃん!今日はかくれんぼしよーよ!」

 子供は本当に元気だ。

 喜怒哀楽の激しいお子様は自分とは対照的な存在、それにちょっとした心の変化だって見落とさない。

 だから苦手なのかもしれない。

「おにいちゃんが見つける人だからね!!」

「…わかった。」

 此処で振り撒く表情はまだ乏しいのに、そんなものはお構い無しに笑顔を振り撒く子供を園内に入れるとまた掃除を開始する。

「おはよう、おにいちゃん!」

 続々と園児達がやって来る度に挨拶を返した。

 自分も幼い頃、こんなに沢山笑えていたら少しは違う自分になっていたのだろうかとぼんやり考える。

 自然とちかしい人物が頭に浮かび上がる。

(……僕がナノみたいに笑ってるなんて……なんか変。すごく変だ。)

 たが溜め息を吐いただけで子供達に心配される程表情が変わらないミュールは、でもちょっとだけならと自分に言い聞かせて今日一日いつもよりよく笑ってみせた。

「……何か思い詰めてるなら相談してくれていいのよ?」

 結果、同じ職員さんに心配されてしまうという事態になってしまい、これを機に同業者の方達と仲を深めることとなった。

 案外自分をよく見ているのは同業者達かもしれない。


 この様に昼間に働いている者もいれば、夜間に働く者もいる。

 昼間の稼業はミュールだ。

 夜の稼業はまた別の人物である。


「あれー、今日も来たの?」

 大きなソファに座る若い女性に話しかける青年が一人。

 女性が待っていたとばかりに青年に隣に座ることを催促すると、所望通り隣に座り何を飲むか然り気無く聞いて近況を伺い話を弾ませた。

 青年は新人にも拘わらずよく店に馴染んでいた。

 それも古参メンバーの収入源をあっさり横取る位にだ。

 ここ数週間の店の売り上げはほとんどその青年が稼いでいると言っていいほどの働きぶりに、嫉妬する他の面子は当たり前だが結構いる。

 だが稼ぎ頭に文句を言えるわけもなく、出来ることと言えば歯を食いしばって彼が女性に囲まれるのを見ているくらいだ。

 同業者の鬱憤は静かに、しかし着実に募ってった。

 本人はそんな状況を気にすること無く女性の相手をこなしていく。

 一言言えば、髪を撫でれば、手に触れれば白い肌を仄かに赤く染めてしまう。

 まるで恋をしている様な振る舞い。

 しかしそこには恋など存在しているはずもなく、結局は支出する人と稼ぐ人、客と店員の関係だ。

 ヘレンは絶賛モテていながらも職務を全うしているわけだが……。

「ねぇ、支店を出そうって考えたこと無いの?」

 とある富豪の如何にも金遣いが荒そうなお嬢様(お姉様と言った方が正しいかもしれない)に腕を組まれながら聞かれているこの状況を

どう脱しようか脳味噌フル回転で考えていた。

 この顧客は先月までこの職の先輩にくっついていた、と少し上の先輩から聞いたことがある。

 何故今度は自分にくっついてきたのか分からないが、収入が増えるのなら何でもいいやと考えていたのが甘かった。

 こんな面倒くさいことになるとは思っていなかった自分が珍しくも不甲斐なく感じる。

「俺はそんなこと全然考えてないよ。それより」

「ヘレンは顔もイイし、接客も上手だからここで働くより自分の店を持つ方が儲かると思うわ。」

 話を変えようとすれば無理やり話を押し込んでくる。

 女性は自分の次だが好きだ。

 美しくて可愛らしくて愛らしいから。

 綺麗になりたいと同じく思っているヘレンにとっては美の先輩であり同じ探求者なのだ。

 もう一度言おう、女性は好きだ。

 でもこんな風にぐいぐい自分に迫ってくる女性は好きになれない。

 自分の職に貢献したいからなのか、賢い選択を助言してくれているのだろう。

 献身的と言えば聞こえは良いが、ストレートに言ってしまえばお節介だ。

(どう稼ごうが俺の勝手…なんて言ったら評判がだだ下がりするよね、コレ。)

 存在が大きいお客様なだけに強く言うことが出来ないのは痛い。

 不本意ではあるが話を終わらせるためにヘレンは魔法の言葉を使った。

「今度考えておくね。」

 営業スマイルを加えれば完璧だ。

 女性はその答えに満足したのか

「もし出すと決めたのなら資本は私が出すわ。心配しないで。」

 と自信有り気に微笑みながら話を終わらせた。

(赤の他人にお金出すなんて、お金持ちの思考回路ってどうなってるのかな?)

 どんな感じ?なんて失礼なことを聞くわけにはいかないので、その疑問は頭の奥底に仕舞い込んで、どうでもいい世間話や噂話に花を咲かせた。

「ヘレン、指名されてるよー。」

 お嬢様がお帰りになった直後のお呼ばれだった。

「五番の席だよ。新しいお客さんだから丁重にね。」

 ちょっとした情報を受け取りながら指名を受けた席へと移動した。

 どんな新人さんかな?と胸を踊らせながら初めて来たという女性の隣に腰掛ける。

「初めまして。ご指名してくれたってことは口コミかな?」

 えらく有名になったものだなぁと思ったのも束の間、営業スマイルが一気に真顔に変化した。

 客の前ではあるまじき事だがそうなってしまうものは仕方がないのだ、許してくれ。

 そんな状況を作り出したお客はヘレンのことなど気にせずに微笑む。

「調子はどう?それにしても本当に女の人ばっかりなんだ。それにキラキラしてるから少し眩しいや。」

 どうして平然としていられるのかヘレンには理解できなかった。

「何でここに来たの?!俺言ったよね?女性のバーだって!」

 最小限に声を抑えて訴えかけるも相手悪かった。

「いや、でも現状確認は俺の仕事だし!」

 絶えず笑顔で女性のをしたお客様は暢気に飲み物を注文する。

 仕事なのでヘレンも頼まれた物を用意するが、表情は仕事中の顔では無かった。

「取り敢えず、コレ飲んだら直ぐに帰ってね!お代は俺がお給料から出しておくから!!」

「ヘレンさんはケチだね。」

「ケチぃ?!?!」

 心外なんだけど!と怒鳴りたくなるが、グッと堪えておうむ返しだけに留める。

 駄目だ、この人といればキャラ崩壊のフラグが起ってしまうとヘレンは眉間を押さえた。

 十分リックとのやり取りで崩壊していることには気付いてはいないらしい。

 端から見れば知的に見えるヘレンの姿等には目も暮れずに、お客はちびちびと馴れない飲み物を喉に通す。

「甘いねコレ。初めて頼んだけどハズレじゃ無かったみたい。」

「よかったね。……何時まで居るの?」

「取り敢えず後二十分は居ようかなって思ってる。」

 それならとヘレンは大人しくなり、焦る気持ちを隠した。

 静かにグラスを傾けるお客を横目で眺めながら目的を聞き出す。

 この人に限って何も無しに「現状確認」だなんて理由で押し掛けてくる事は無い筈だ。

 証拠にこうして居座っている。

「クランクさんがそろそろ動いてもいいんじゃないかって言ってるんだ。俺はまだ様子を見た方がいいって思うんだけど…ヘレンさんはどう思う?」

 本業から大分離れていたせいであまり状況をうまく把握していないので答えることをせずに代わりに難しい表情になる。

 そっちに関しては完全に任せっきりにしていたから疎くなってしまったのだろう。

「他の皆には聞いたの?リックとかにさ。」

「聞いた。でも皆意見が曖昧で困ってるんだよ。だからヘレンさんだけでもはっきりと答えてもらわないと困るんだ。」

 この発言から「どっちでもいい」や「任せる」といった答えは使えないことがわかる。

 動くか様子見か、二つに一つと言うわけだ。

 しかし動くを選択すれば近々敵とおぼしき者達とぶつかる可能性があるし、様子見を選択すれば向こうから奇襲を掛けられ叩かれてしまうかもしれない。

 それに戦力が偏ってきていることも考えると両方とも得策とはどうも考えづらいのだ。

 この二つを回避しつつ、尚且つ効率の良い行動を考察してみる。

「どうかな?」

 ヘレンは黙って自分の答えを考え出すと、クランクの意見と現在お客様の意見両方を併せ持つ意見を提案してみた。

「六人の内二人を偵察させたらどう?メンバーは話し合いで適切な人を決めてさ。」

 それなら多少は動くことだって出来るし、相手の様子も伺うことが出来る。

「それも考えたけど、大人数に遭遇した時はどうするの?向こうは魔法なんて厄介な技を使ってくるかもしれないんだ。振りきれる可能性は低い。」

 偵察に行くという案は確かに画期的だ。犠牲も少ない。

 でも元から人数の少ない勇者の一行は一人でも欠ければ後に大損害に繋がる。

 可能性が低くても否定はできない。

 その事もあるせいでこうなっているのだと改めて説明されて振り出しに戻ってしまい、ヘレンはまた頭を悩ませた。

「……二十分が経った。それじゃ俺は宿に帰るよ。お仕事頑張って!」

 変装をしてまでお客として現れた同士は言った通りさっさと会計を済ませて出ていってしまった。

 席が空になったのにまだ座っているのが不思議に思ったのか、指名を伝えてくれた人物に心配される。

「何かあったのか?」

「別にー。近況を伝えてくれただけー。」

「近況って…。幼馴染み?」

「仲間だよ。」

 ゆっくりソファから立ち上がると自分を指名する声が聞こえてきた。

 夜はまだまだ深くなる。

 暗かった表情を一気に明るくさせて声をかけてまた一人、一人と夢を見に来た女性達の望みを叶えるために再び働きだした。

 夜が更けきっても賑わいが収まることはなく、寧ろより鮮やかになっていく。

 稼ぎ頭となったヘレンに休む暇は与えられない。

 帰ったと思えば別のテーブルから呼ばれての繰り返しに慣れたとはいえ、身体は中々適応してはくれないようだ。

 陽が昇る頃にやっと落ち着きを見せて、朝の六時に店は閉じられた。

 売り上げを報告した後はさっさと着替えて宿に帰るだけだ。

 ヘレンは制服を脱いで普段の服に着替えながらこれからの事をまた考え出す。

 敵に突撃できる程の強さは持ち合わせてないだろうし、待っていても事は進まないし、だからと言って迂闊に懐に入り込もうとなんて無理だし……。

(どうすればいいの?!)

「そう言えば、ツェッペルハルブで例のアレが出たらしい。」

「あー、あれか。この街は大丈夫だろうが田舎なんかは被害がデカイだろうな。」

 耳をそばだてていたわけではない。

でも聞こえてしまったものはどうしようもなく、たったそれだけの内容にヘレンは興味を惹かれその話について詳しく聞いてみた。

「知らないの?スベーニャの村が一番被害が大きいらしいんだけど、ここ最近魔族の盗賊団が周辺の村を荒らして回ってるんだってさ。」

「ここら辺の奴等なら大体知ってる話だな。」

 ならクランク辺りが既にマークしているだろう。

 情報を共有するのも仕事だとヘレンは彼らにその盗賊団について詳しく話を聞くことにした。


 宿屋にて。

 早朝、一足先にメンバーは食堂のいつもの席に陣取ると巷で噂の盗賊団の話題で論議している。

 この頃情報屋と引けを取らないくらいの情報量を保持しているクランクが中心となって話が進んでいた。

「魔族の盗賊団……前にも言ったが魔族とは魔物を使役することができる民族の総称だ。かなり厄介な相手だが潰せばそれなりの収入に成るだろう。」

 取り敢えず今は討伐に行くか行かないかを決めようとしているようだ。

 静かに思案する者達ばかりであればもう少しまともな意見が出ていたかもしれない。

「えー?悪い奴なんだから早く捕まえちゃおうよ!!」

ナノが年甲斐もなく足をバタバタさせながらクランクに訴え掛ける。

「……策があるのなら考えてやってもいい。」

「無いよ。そんなもの。」

 僅かな沈黙がすぎる。

 そして一斉に他四人の溜め息が吐かれた。

ナノが素直で、お気楽で、そんでもって一番単純な人物だということはこの場にいる者全員分かっている。

 ナノはそういう奴だ。

 正義感のあるアンナだって困っている人達が今もその盗賊団のせいで増えていると思えば、自分が真っ先に駆けつけて助けてあげたいと誰よりも思っている。

 でも隣や前に座る仲間を見ては自分は一人ではないから勝手な行動はしてはいけないと衝動を抑えているのだ。

 クランクだけはその事に感付いていた。

 だから出来るだけ早く決断を下したいと思っている。

魔族の盗賊団を討伐するかしないかを。

「魔族の使役している魔物の正体は分かっているのか?」

 討伐ののことは一旦後回しにして、クランクは皆に訊ねる。

「それが…色々あって確かじゃないものばっかだ。」

 リックの発言に「それでもいい」と伝えれば自警団の仲間内での噂を丁寧に話してくれた。

「最近潰された村はゴブリンの襲撃を受けたと聞いた。なのに最初に襲われた村はヘルハウンドの群れにやられただとよ。」

 浮上したのはどちらも凶悪な魔物だった。

 ゴブリンは見た目こそ小さいが手に武器を持てば人間の二倍は軽く越える戦闘力を身に付ける魔物で、ヘルハウンドは狼と大して変わらない姿から襲われるまでその醜い正体に気づきにくいという特性を兼ね備えている。

 唯一共通しているのは身体に僅かではあるが腐蝕されている部分が有ることだけだ。

 魔族の良民ならばゴブリンは農耕の労働力に、ヘルハウンドは普通の猟犬よりも鼻が良いので狩猟の際の鼻利きに利用しているだろう。

 正しく使えば驚異にはならないが、それでも並みの兵士では歯が立たない化け物である。

 それを盗賊団は理解していて悪用しているのだから質が悪い。

「いきなりレベル高くない?それ。」

 リックによって知らされた魔物の正体にアンナは少し困ってしまう。

 剣術が得意だからといっても流石に自分達よりも強そうな相手だと判れば気が引けてしまう。

 もしゴブリンであれば、未だそれほど経験値を積んでいない自分達に戦闘力の高さを見せつけられて、最後には自分達が食べられる事になるかもしれない。

 ヘルハウンドだった場合は最悪と考えていい。

 アイツ等は兎に角足が速い。

 目にも止まらぬ速さで視界の後ろに回り込まれれば、背後から首を勢いよく噛まれて終わりだ。

「魔族って怖い」

「そうだな。相手が判ってもお前はさっきみたいに勢いで助けに行くって言えるか?」

 クランクは軽くナノを睨みながら問い掛けた。

「ムリ。だって恐すぎでしょ?!魔物ナメてたよ…」

 ナノの本心である。

 戦闘経験の少ない彼も驚異の前ではどうにも元気がでないということだ。

 どうしようかと各々が思案しだす。

 唸る声が鳴り止まない食堂で小さな扉の音が聞こえてきた。

 目線を音のした方へ移せば夜中働いていたヘレンが帰って来たところだった。

「あれ?こんな朝早くに集まるなんて珍しいね。何してんの?」

 カツカツと品の良い靴音を鳴らしながらアンナ達の座る席へと近寄る。

「やぁ、ヘレンさん!お疲れ様!!」

 声をかけて早々、あの時のお客様が労いの言葉を掛けた。

「『お疲れ様!!』じゃないよ!……それにアンナってば何処からあんなドレス借りてきたのホント。」

 珍しく眉間を押さえて悩ましい表情をするヘレン。

 その様子を気にすることなくアンナは笑いながら空いている席に座るように促す。

 それが自然な運びだったお陰でヘレンは思わず「仕事変われ!」と怒鳴ってしまいそうになっていた。

 ヘレンの職場に客として入り込んでいたのはアンナだった。

 アンナは遠目から見れば女性に……いや、どの距離から見ても女性には見えないが、フリルやらリボンやらをふんだんに使用されたドレスを着れば何とかギリギリ誤魔化せるかもしれない。

 それでもいきなり現れれば戸惑ってしまうのも当然のことだった。

「まぁいいや。それで何の話してたの?」

 椅子に着席するとだらんと力の抜けた身体をテーブルにうつ伏せて話に加わる。

「魔族の盗賊団を討ちに行くか行かないかの議論を展開している。」

 簡潔に内容を説明するクランクもテーブルに肘を置いて頬杖をついた。

「あー、それか。同僚が話してたよ。やけに詳しくてさぁ、何かおっかない魔物を使役するらしいじゃん。」

「リックの話が頼りだが、その魔物とはゴブリン、ヘルハウンドだ。」

「情報早いねー!リックも流石じゃん。」

 ほぼ棒読みで褒めてみる。

 当たり前だがリックはそんなヘレンを見て眉間にシワを寄せていた。

 見兼ねたクランクがわざとらしい咳払いを一つした後、頬をついていた腕を下ろしてきちんと姿勢を正すと周りも真剣な顔つきに戻った。

「ゴブリンかヘルハウンドか……もう少し情報がハッキリすれば対策が打てるのだが…。」

「でも少し見当外れじゃないかな。魔物は数頭のオークでしょ?」

 新たな魔物を浮上させたのは職場から帰ってきたばかりのヘレンだった。

 疑いを持たずに確信を持った口調にメンバーの目が点になる。

 その様子で固まっている仲間の事など放っておいてヘレンは次々と話をしていく。

「ツェッペルハルブって村が襲われたのが一番最近の事件だね。で、話を聞いてて判ったんだけどだんだんこの街に近づいてきてるんだよねぇ。その盗賊団。」

 どうすんの?

 ヘレンがニヤリと口端を上げてクランクへ目で訴えかける。

「その情報は確かなのか?」

「襲われた村の人と文のやり取りしてた奴が言ってたんだ。間違いないよ。」

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これこそ勇者の愉快なクエスト! 飯杜菜寛 @iizuna-com

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