254「ダイゴにできること」

 運の悪いことに、ダイゴとシェリーは、アニエスやJ.C.たち捜索者の懸命な捜索にも関わらず、まだ助け出されてはいなかった。

 大きな理由は、日々勢力を増す魔獣やナイトメアによって、人里や街道近辺にアクセスすることが不可能になってしまったことによる。

 化け物たちは、悪意をもって人里そのものを壊滅させるか、人里に通じるルートを占拠してしまっていた。

 特にナイトメアは、やはり純粋な悪意の産物であるのか、その傾向が顕著であった。しかも中には、気配を殺さなければ人を探知して襲い掛かってくるタイプもあった。

 そのため、二人は極力気配を殺し、常に僻地に身を隠すようにして行動せざるを得なかった。アニエスの探知魔法が決して優れていないわけではなかったけれども、自ら気配を隠す者をしかも世界の広範囲に渡って捜索するのは困難を極めたのである。

 比較的早い段階で、アニエスはユウに相談し、エーナの【星占い】に頼るということもしてみた。

 しかし、結果はエラー。

 エーナもユウも困惑していたが、おそらくダイゴやシェリーを含めた、ラナソールの影響を受けるトレヴァーク人全体が『異常生命体』に当たるからではないか、とある程度の事情を知るアニエスは推察する。

 二人の捜索が難航する一方で、残された現地住民たちの救出は順調に進んでいた。大半は既に殺されるなどして亡くなっていたものの、わずかな生き残りを見つけると、ランド、シルヴィア、アニエス、J.C.――戦える者たちが出向いて救出、トリグラーブに回収していった。

 この頃になると、ようやく統計データが揃ってきた。

 データによれば、おおよそ三十億いた世界人口のうち、約一割が夢想病に罹り、約一割が魔獣やナイトメアの襲撃によって死亡していた。百年以上前の世界大戦を遥かに超える史上最悪の災害が、今もなお進行を続けているのだった。



 ***



 ダイゴとシェリーは、希望の見えないまま決死の生存行動を続けていた。

 数日前から、既に水も食料も完全にほとんど底を尽いており、ダイゴは(柄ではないと思いながら)あえて自ら何も食べずに、シェリーに己の分を与えていた。シェリーも申し訳ないと思いながら頂いているような状況だった。

 双方とも、本当に限界が近くなっていたのである。

 そして、ついに最後の水を彼女に与えたところだった。

 人は水がなければ四、五日の命であるという。ダイゴはもう二日は水を飲んでいなかった。

 死が差し迫っているという実感があった。それも戦闘による突然の死ではなく、慢性的に覆い被さる死の予感である。

 それは徐々にダイゴに覚悟をさせた。そして栄養失調による衰弱は、反骨心の旺盛だった彼を次第に弱気にさせていった。

 シェリーが最後の水を飲み終えたとき、ついにダイゴは悔恨の言葉を口にした。


「すまなかったな」

「……急にどうしたんです?」

「俺がこうなるのは、仕方なかったんだ。自業自得ってやつさ……」


 彼女は押し黙る。以前彼の言っていた後悔に繋がる話だとすぐに理解できたから、ここは聞き届けようと思ったのだ。


「けどよ。お前はそうじゃない。俺があのとき、あんなことをしなければ……」

「あんなこと、というのは……」

「俺はよ、ラナクリムではフウガってキャラだったんだ。『ヴェスペラント』フウガ。お前もラナクリムやってたなら……知ってるだろ?」

「……はい。名前くらいは」


 それで彼女にも何となく事情がわかった。フウガというのは、剣麗レオンとは別の意味で最も有名な荒らしプレイヤーの名であるから。

 ユウが調べていたラナソールに絡んで、何か良からぬことをしてしまったのだろうと。

 己がフウガであることを自白したダイゴは、ぽつりぽつりと懺悔を始めた。

 彼女にとって、到底許せるような内容ではなかった。いや、今この現実世界で苦しむ多くの被害者が、彼の所業を聞けば恨みつらみを向けるだろう。

 それでも、シェリーには目の前の男を詰ることはできなかった。深く後悔し、身を挺して自分を守り続けた彼に追い打ちをかけるような真似をどうしてできようか。

 やがて懺悔を終えたダイゴは、力なく笑った。


「なあ……シェリー。お前、まだ諦めてないんだろう?」

「私は、まだ諦めたくないです。最後まで。そうですよ。ダイゴさんだって……!」

「くっくっく……俺だってもちろん死にたくはねえよ。けど、きっと限界が先に来るのは俺の方だからよ」


 彼はまるで笑いながら泣いているようだった。実際に涙を流すことはなかったが。


「……お前さ。生きて帰ったら何がしたい? 将来の夢とか、あるのか?」

「そうですね……。やりたいことは色々ありますけど……お医者さんになりたいですね。私自身の手で、苦しんでいる人たちを助けられたらって」

「医者か……良い夢だな。なら、俺の金……全部くれてやるよ」


 ダイゴは彼女に耳打ちした。自分のキャッシュカードの在処と暗証番号を彼女に教えたのである。


「安月給だったけど、使うあてもなかったからよ。無駄に貯金だけはしてんだ。少しは足しになんだろ」

「そんなこと。やめて下さい!」


 シェリーにとってダイゴはいけ好かない、胡散臭い、口の悪い人間なのだ。そうでなくてはならない。こんな風に弱り切って後を託すような真似をされると、いよいよいなくなってしまうような気がして怖いのだ。


「いいんだよ。娘の一人でもいたら、きっと可愛がっただろうからな。今……そんな気分なんだ」

「私は、あなたの娘でも何でもないですよ」

「わかってるさ。でも、何か一つくらいさせてくれ。お前しかいないんだ。俺にできることは、たぶんもう少ねえ」


 そのとき、向こう側から二人目がけて何かが飛来してきた。

 逸早く気付いたダイゴは、咄嗟にシェリーを抱きしめて、その場から飛び退いた。

 直後、二人のいた場所はごっそりと丸く削り取られていた。

 よく身体が動いたというべきだろう。感傷に浸って反応が遅れていれば死んでいた。


 何だ。何が来た。


 遠方に佇む化け物の姿を目にしたとき、二人の顔面は蒼白となった。


 破壊と再生の偽神『ケベラゴール』。


 触れた者を消滅させる暗黒球を操る、魔神種の中でも上位に当たる存在である。

 剣麗レオンでもソロでは歯が立たなかったと聞く。まして今の弱りきったダイゴと非戦闘員のシェリーでは対処しようもない。

 よりによって魔神種がなぜ。

 運命を恨みたくなるが、迷っている時間はない。ダイゴはすぐに覚悟を決めた。


「シェリー。お前だけで逃げろ」

「無茶ですよ! あなた一人だけでは! 一緒に逃げましょうよ!」

「わがまま言うな! いいから行けよ! このままじゃ二人揃って死ぬぞ!」

「でも、でも……っ!」

「娘っ子一人守れない情けない男に、俺をさせてくれるなッ!」


 駄々をこねる暇はないことはシェリーにもわかっていた。彼女は言葉を呑み、涙を零しながら駆け離れていく。


「ちっ。また人を泣かせちまったか」


 人の気持ちを知ってか知らずか、偽神の右側の骨ばった顔はカラカラとコケにするように笑い続け、左側の女性の顔は不気味な微笑みを湛えている。


「どいつもこいつも馬鹿にしやがってよ。別れ話の一つものんびりとさせてくれねえ」


 独りごちながら、彼女と過ごした時間を思う。

 悪くなかった。人の温かみというものを久しぶりに味わった。

 自分には勿体ない話し相手だ。過ぎた贅沢だったのだろう。


「クックック。ハッハッハ! 今さらになって死ぬのが怖えのかよ!」


 死の象徴を眼前に震える足腰を殴りつけ、無理に自分を立たせる。


 俺にできること。結局最期までわからなかったなと、ダイゴは思う。


 ただ一つだけ。こんなどうしようもない自分にできることがあるとしたら。


 自分はどうなってもいい。どんな悲惨な最期を迎えても構わない。


 だから、どうか未来ある彼女の命だけでも永らえさせてくれ、と。


 視界を覆いつくすほどの、大量の消滅球が迫る。

 絶望を前にして、彼は拳を構える。

 足掻くため。一分一秒でも時間を稼ぐため。注意を惹き付けるために。


「ウオオオオオオオオオオッ----!」


 戦士は吠えた。フウガの持てる力を駆使して、拳圧で消滅球の一つ一つを弾き飛ばしていく。決して後ろにいる彼女に届かせまいと。

 時間にしてどのくらいだろうか。数分かもしれないし、ほんの数秒かもしれない。

 とにかく、彼は時間感覚さえもわからなくほど必死に、持てる限りの力を駆使して抗い続けた。彼の実力からすれば、十二分といって良いほどの健闘をした。

 だが実力の差はいかんともしがたい。

 奮戦むなしく、ついに暗黒の球体が彼の右足の肉を削り取る。姿勢を崩し、倒れ込んだ彼を亡き者にせんと、球体の一つが迫る。


 身を固めたダイゴを、しかし死の攻撃が襲うことはなかった。



「お前……」



 暗黒球は、突然目の前に現れた彼のかざした掌に吸い込まれるように消えていった。

 ダイゴにとっては、ここにいるはずのない人物だった。

 あのとき爆発に巻き込まれて死んだはずだ。

 なぜ生きているのか。なぜこんな俺を守るようにして立っているのか。


「もう大丈夫――すぐ終わる」


 少年は振り返らずに、偽神に立ち向かっていく。

 待て、と言おうとした。カラカラになった喉から、上手く声が出ない。


 勝てるはずがないと、ダイゴは思った。


 フウガとレオンはほぼ互角。そして彼とレオンもほぼ互角のはず。

 しかし、目の前の男の背中を見つめていると、不思議と大きく見えた。

 不安な気持ちが和らいでいくようだった。


 ああ――違う。

 何かが違うのだ。

 自分の知っているこの男と、目の前の男では――質が違う。


 果たして、ダイゴの直感は的中した。


 少年は気剣を構えた。刀身は青白く輝きを放つ。

 偽神は嗤っていた。

 彼を知っていたからだ。己を殺すに至らぬ刃であることを、経験で知っていたからだ。

 だが傷付けられたことを忘れはしない。意識を彼に向け、全力をもって殺しにかかる。


 ただ、偽神に一つ誤算があるとすれば、今の彼は「レベルが違っていた」。


 そして、剣閃が放たれた。


 無数の消滅球によるバリアは、何の意味も為さなかった。

 それらを一つ残らず消し飛ばし、身動き一つする隙も与えぬまま、青白い閃光は偽神の全身を呑み込む。


 一撃だった。


 得意の再生能力も、全身を一挙に消し飛ばされてしまっては発揮しようもない。

 偽神は自身に何が起こったのかもわからないまま息絶えた。

 剣閃は分厚い雲を吹き飛ばし、後には何もない快晴の空だけが残っていた。


 振り返った少年は、そのようなとんでもない所業を成し遂げたとは思えぬほど、穏やかな調子で言った。


「ふう。間に合ってよかったよ」

「ユウ……お前、なぜ……」

「フウガ……いや、ダイゴ」

「ク……ハハハ……」


 ダイゴの口から乾いた笑みが漏れる。

 やはり、何かの間違いで助けられたわけではない。


「……お前がしたことの罪深さは、お前が一番よくわかっているはずだ」


 しかしダイゴの予想に反して、痛みが来ることはなかった。


「でも、シェリーを守ってくれたことは――ありがとう」


 ユウは険しい顔のまま、それでもダイゴに手を差し伸べた。

 彼は項垂れ、打ちひしがれる者をさらに殴りつける術を持たないのだ。そういう男だった。


「シェリーは……助かったんだな?」

「ああ。お前を助けてくれってさ。お前、必死に戦っていただろう。それで二人に気付けたんだ」

「そうか……」


 不意にダイゴの目から涙が溢れる。

 自分への悔しさや情けなさで泣くことはあった。

 だがそれとは違う性質の涙であることに、彼自身が驚いていた。


「俺は……届いたのか……」


 ユウの手を取る視界がぼやける。

 ユウは黙って頷き、彼を引き起こした。そして、労うように彼の肩を叩いた。


「そうかぁ……」


 たとえほんの小さなことであっても、足掻いたことは無駄ではなかった。

 できることは、守れるものはあったのだ。

 二人の宿敵同士は、その一点において確かに通じ合えた。

 流されるままのだけだった男が、初めて何者かになれたかもしれない瞬間だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る