192「ユウ、ラミィに諭される」

 ラミィによって助けられたユウは、闇が払われて悪夢を強制的に見せられることもなくなり、間もなく気を失ってしまった。

 自己保身と一度会った縁で助けてしまった彼女であるが、厄介なお荷物が増えてしまったと溜息を吐く。


「扱いに困るとはこのことね。捨て置くのも見殺しは確実で気が引けるし、かと言ってわたしのコレがあることだし」


 ザックスは能力のせいであまりユウに近寄れない。ということは、ラミィがザックスの肩に戻ればユウの世話を側で見る者がいないし、彼女がユウの側にいれば必然【死圏】の外となり、わずかながら高速移動型ナイトメアによる奇襲のリスクを負うことになる。

 非力を自覚する彼女としては、敵のある状況で【死圏】外にはなるべくいたくはない。だがこの期に及んでは仕方ないかと諦める。


「で、どうするんだいお姫様」

「この子が目を覚ますまで待つことにするわ。周囲をよく警戒して、あの気味の悪い化け物たちを近づけないようにして頂戴」

「はいよ」


 ザックスがラミィから五メートルほどの距離で守備に就くのを見届けてから、彼女は倒れているユウの腹の上にちょこんと腰かけた。


「助けてやったのだから、せめて椅子の代わりくらいにはなりなさいな。それで勘弁してあげるわ」


 今度は自ら見る悪夢にうなされるユウの頬をそっと指でなぞりながら、彼女は小さく呟いた。



 ***



 母さん! ミライ! ヒカリ!


 違う。違うんだ。俺は……そんなこと。そんなつもりじゃ……!


 どうして俺が……。


 ――やめてくれ! こんなもの……見たくない!


 やめて! いやだ! たすけて!


 うわああああああああああああああああああああああああ!



 ――――!



「ようやくお目覚めかしら」

「………………ラミィ……さん?」


 気が付いたとき、俺のお腹に跨ってまじまじとこちらを見つめていたのは、レンクスの紹介で前に一度だけ会った女性のフェバルだった。

 わずか五歳のときにフェバルになったせいで、永遠に幼い容姿を余儀なくされてしまった悲運の方だ。

 ということは、近くにあの人も……。

 周りに目を向けると、少し離れたところでザックスさんが手を振っていた。あの人、近付き過ぎると能力で俺を殺してしまうからあえて離れてくれているんだろうな。

 でも、どうして二人が? 俺は……。

 確か……。俺はあの闇の化け物に取り憑かれて……。

 じゃあ今までのは夢だったのか……?


 化け物に見せられた偽りの記憶……? それとも……。


 ――嫌だ。怖い。考えたくない。


 それに、もう過ぎ去ってしまったことなんだ……。真実が何であったとして、今さらどうしようも……。


「随分と心が弱っているようね」


 ぐちゃぐちゃな心の内を見透かすように、ラミィさんは俺に跨ったまま指先で額を小突いてきた。

 ほとんど赤の他人で、気安く甘えられるような人物ではない。だけど俺は強がって否定などできずに、目を伏せてしまう。


 ――そうだな。ひどく弱っているみたいだ。正直、まいっている。


 今のことも昔のことも後悔だらけで、わけがわからなくて。

 ウィルが戻してくれた記憶も。自分で望んだことなのに、今はほんの少し覗くことさえも心と身体が拒否している。

 状況が落ち着けば。時間がたっぷりあれば、少しずつ向き合うこともできるのかもしれない。

 でも今は……ダメだ。

 ユイがいないんだ……。一人では受け止められそうもないんだ。

 昔のことを少しでも思い出そうとすると、今よりもっと弱かった子供の頃の自分に強制的に引き戻されたような感覚になる。剥き出しの幼い心を抉る記憶があまりに「痛くて」、ついシャットダウンしてしまう。

 今だって、夢で見たはずのことをほとんど忘れている。いや、本能が危険と判断して「切り離している」のだろう。

 おかしいとは思う。異世界を旅してきて、辛いことも痛みを受けたこともたくさんあったはずなのに。それなりに酸いも甘いも噛み分けてきた今なら、どんな辛い過去でも罪でも受け止める強さがあると信じたいのに。どうしてか地球にいた頃のことを思い出すのが苦痛でたまらない。

 まるで記憶自体が呪われたものであるかのように。

 だから現実の優先順位を言い訳にして、ずっと後回しにしている。情けないよな。


「すみません……。俺、わけがわからなくて。何が正しいのかも、何をどうしたらいいのかもわからなくて」


 ラナソールの様子を確かめたいとか。トリグラーブに行ってみんなの無事を確かめたいとか。

 全部「とりあえず」なんだ。とりあえずできることだから。諦めたくないから。

 本当は、今回ばかりはみんなを守る力なんてないことはわかり切っている。焦土級やフェバル級の圧倒的暴力が支配する現状で、下手すれば上位S級魔獣の一体にすら負ける自分が主役になど到底なれないことなんて。

 だけど何かやれるはずだと。誰かが救わなければならないと。その誰かがいないのなら。

 奴らのスケールから見れば滑稽なほど小さな決意が、辛うじて俺を支えているだけだ……。


 つい弱音を吐露してしまった俺に対して、ラミィさんは突き放すように言った。


「そんなもの。わたしにも分からないのよ」

「そう、ですよね……」


 何を甘えているのだろう。そう返されるのが当然じゃないか。

 だが一度吐き出してしまった思いは、すぐに収まりが付きそうになかった。


「だけど俺、取り返しの付かないことをしてしまって……!」

「知っているわ。貴方自身が望んだわけではないことも。けれど力が暴走して、結果的にそうなってしまったことも」


 ラミィさんにはすべてお見通しのようだった。その上で、あえてなのだろう――厳しい口調で言葉を投げかけてくる。


「ほとんどの者は、あのとき何が起こったのかさえ欠片も理解していないわ。都合良く許してくれる人も、ましてすっきりと裁いてくれる人なんていないのよ」 

「わかっています。だけど……」


 何がだけどなのだろう。自分でも思う。

 数少ない事情を知っている者だからかもしれない。きっと俺は、この人に詰って欲しいのだ。裁いて欲しいのだ。

 ウィルにも指摘された――弱さという罪を。

 一向に煮え切らない俺の返事に対して、彼女は困ったように眉をしかめて溜息を吐いた。


「まったく。コレもそうだけど、貴方も大概世話の焼ける子ね。まるで子供のように純粋で、真っ直ぐで。芯の強いところもあれば、今は折れそうなほど弱い。レンクスが心配で過保護になるのも分かる気がするわ」


 自分に跨るその人の容姿ものしかかる重みも、話す声も幼子そのものであるというのに。目を細めて憂いる表情からは、不思議と大人びた妖艶さと包容力を同時に感じさせた。

 そんなラミィさんは、改めて俺を上からじっと見つめて、厳しくも優しい声色で言った。聞き分けのない子供によくよく言い聞かせるように。


「いいこと。好きにすれば良いのよ」

「好きに……」

「極端な言い方だったかしら。要するにね。究極のところ、貴方以外の誰も貴方自身を真に許すことも罰することもできない。だから貴方自身の気の済むようにするしかないのよ」


 冷たいかしらね、と突き放すように言いながらも、声はどこか優しい。慰めようとしてくれているのは十分に理解できた。


「運命に呪われて碌に死ねないわたしたちに纏わり付く咎は、永く生きるにつれて重くなるばかり。どのように生きようと、人である以上業を重ねるは必然。仕方のないことなのよ」


 特に貴方やわたしたちのように呪われた力を持つ者はね、とラミィさんは寂しげに相方に目を向けた。

 その相方、ザックスさんは神妙な面持ちで黙って頷いている。


 そうか……。この人たちは、ただ生きているだけで周りの生き物すべてを弑してしまう。罪だらけの人生をずっと歩んできたんだ。

 なのに俺は……。二人の事情を知っていたはずなのに俺は……。

 いくら弱っていたとは言え、甘えてはいけない人に甘えてしまったのだと後悔する。

 俺の後悔はありありと顔色に出ていたのだろう。ラミィさんは「馬鹿ね」と呆れたように微笑して続けた。


「咎を忘れることも其れから目を背けることも許せないのならば、せめて背負うことくらいは許してあげなさいな」


 俺は、泣きそうだった。

 どうしても自分が許せなかった。

 その言葉こそがまさに自分が求めていたもので。他ならぬラミィさんにそれを言わせてしまったことが申し訳なかった。


「身のない説法ではないのよ。現にわたしたちがそうしているのだから」


 もう一度ザックスさんの方を見やって、ラミィさんはくすりと微笑んだ。ザックスさんも深く頷いている。

 涙は堪えて、ただ深く礼を述べることにした。


「すみません……。ありがとうございました」

「少しは迷いが晴れたようね。身を包むオーラも元に戻ったことだし」

「え……? あ……!?」


 まさか。あれを……!?

 あれはもう一人の「俺」だけが持つ力じゃなかったのか……? 俺自身にもあんな恐ろしい素質が……。


「そんなことも気付けないほど余裕がなかったようね。まあその話は後でしましょうか」


 だから余計に心配してくれていたのか……。

 もうこの人には足を向けて寝られそうもないな。

 そして、少しは考える余裕も出て来るとはたと気付く。


「もしかして、お二人がここにいるのは……」

「そうね。物の見事に貴方の力の暴走に巻き込まれてしまったのだけど、こうしてもう何日か分からない程延々と闇の世界を歩かされて、しかも妙な化け物が絶え間なく襲ってきて実に苛々しているのだけど、全然気にしなくて良いのよ」

「すみませんでした!」


 腹の上に座られたままだったので、頭を下げたことでかえって首を持ち上げるという中々にシュールな光景になってしまったが、とにかく全力で謝った。


「ちなみに歩いているのも撃退しているのも俺なんだけどな……」

「わたしの騎士なのだから当然でしょう」

「アハハ。そうだな。お姫様だもんな」

「お姫様はやめて頂戴」

「はは……」


 相変わらず仲が良いな。この二人は。

 レンクスがひたすらザックスさんをロリコン呼ばわりしてたけど、やっぱり失礼だよなと、この気安く対等な関係を見ていたら思う。

 すると、ラミィさんにじろりと睨まれてしまった。


「貴方。今笑ったわね?」

「ごめんなさい」

「……まったく。それでいいのよ。貴方は笑っていた方が似合うわ」


 やれやれと一安心した顔をしたラミィさんは、やっと俺の腹の上から降りてくれた。

 解放されたので立ち上がってみると、腹上で上から話を聞かされていたときはよほど立派な人物に感じたのに、やっぱり等身大のラミィさんは小さくか弱い姿に見えた。

 どうしてもそう見えてしまうから、上から話すことにしたのかもしれない。

 そんな姿でも俺みたいな中途半端じゃない本当のフェバルだから、さすがに俺よりは強いに違いないのだけど。

 そうだ。この二人に付いていくことはできないだろうか。一人でいるよりも確実に生存率は上がるだろうし、取れる行動の幅も広がるだろう。

 それに、またあの闇の化け物に囲まれたら同じことになりそうで怖かった。

 ただ、ザックスさんには多大な負担をかけてしまうことになるのだけど。


「あの。大変申し訳ないんですけど、お二人に付いていくことってできないでしょうか」


 二人は揃って顔を見合わせて、その申し出は予想の範疇とばかりに肩を竦めた。


「仕方ないわね。放っておけばまたあのようになってしまいそうだし」

「ラミィが良いと言うなら、俺は構わないぞ」

「ありがとうございます。助かりました」

「ただし」


 ラミィさんが小さな指を一つ立てた。


「コレが二人分のお守りをすることになるわけでしょう? 負担が大きくなるから、わたしは肩を降りなければならないわ。けれど歩くのは嫌ね」


「わたしは歩幅が小さいもの。付いて行くのも大変なのよ」と、わざとらしくぼやく。

 でもフェバルのチート能力を持ってすれば早歩きとか浮いて移動など造作もないことじゃないだろうか。

 という反論は有無も言わせぬ場の支配力があった。


「えっと。つまり?」

「だから貴方が代わりをしなさい」



 ……ラミィさんを肩車することになりました。



「ふう。乗り心地は悪くないわね。少々高さが物足りないし、やや安定性に劣るけれど」


 小さな股を遠慮なしに首の後ろに押し付けて、肩車評論家のごとくしっかり評定を付けるラミィさん。

 いくら年上の淑女だからと言って、五歳の身体を寄せられても興奮したりとかはしないけど……。

 まるで主従。いや主と従馬みたいだ。乗りこなされてしまっている感じが半端じゃない。

 なんか、変な感じだ。とても。

 頭上から鈴のような幼声が囁かれる。


「これでも立派なレディなのだから、くれぐれも丁重に扱って頂戴ね」

「はい。承知いたしました。お姫様」

「お姫様はやめて頂戴」


 雰囲気に呑まれてつい言ってしまったら、フェバル級の軽いげんこつをもらってしまった。

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