191「【死圏】のザックスと永遠の幼女ラミィ」

 ユウがナイトメアに襲われて必死に逃げている頃、アルトサイドでは二人の人物がまるで観光気分でのんびりと闇の中を歩いていた。二人ともにフェバルである。

 一人はぼさぼさの黒髪の大男で、背の丈はレンクスとジルフの中間ほどだろうか。双眸は常に気怠そうにしており、歩き方も若干だらしなかった。容姿は三十代並みと思われるが、実のところの年齢はわからない。少なくとも人並みの人生より遥かに長く生きていることは確かなようだ。

 もう一人は、黒髪の男に肩車されてちょこんと座っている女性である。肩に乗れるほどのサイズということは、見た目は年端もいかない少女――いや幼女と言っても過言ではない。しかし男と同じく気怠そうにしている表情からは、通常の子供が自然と放つあどけなさはまったく消え失せている。どこか乾いた目で周囲を観察する様子は大人びており、見た目ほどの幼さを感じさせない。むしろ不思議と底知れない妖艶さが滲み出ているように思われた。彼女は実のところ、覚醒時にわずか五歳であったために、永遠に幼い容姿のままであることを余儀なくされてしまった者である。

 幼女を肩車して延々と歩かされている男がぼやいた。


「ああ。なんて退屈でだるいところなんだ。ここは」

「しゃんと歩きなさいな。貴方のせいで一緒に巻き込まれてしまったのだから」


 コンコンと黒髪頭を弱めに叩く彼女。声こそは小さな子供のそれであるが、口調は妙齢の女性のものである。

 彼女は少々不機嫌だった。自身の能力【いつもいっしょ】は、眼下のだらしない男――ザックス・トールミディと「いつもいっしょ」にいられるという、本当にそれだけの能力である。

「いつもいっしょ」にいられるという一点のみに特化した能力であるため、そのことだけでは凄まじい効力を誇る。星脈の流れによって離れ離れになることもないし、他のフェバルの能力によって邪魔をされることもない。生きていれば旅立つタイミングも一緒。もし一方が死ねば、必ずもう一方も同時に次の異世界へ行く。

 今回はラナソール崩壊時にうっかりザックスが時空の穴に呑みこまれてしまったため、【いつもいっしょ】が気を利かせて、この見た目は幼女――ラミィ・レアクロウも一緒に送り込んでしまったのである。

 絶対に離れられない腐れ縁というやつだった。


「おーすまんすまん」

「もう。本当に謝る気があるのかしらね」


 相変わらず仕方のないパートナーだと、ラミィは嘆息する。

 別に「いつもいっしょ」にいること自体はいい。もはや空気のように当たり前のことであり、普通は孤独に苦しむことになるはずの旅が常に二人であることから、絶望に陥ることもなかった。彼女自身まんざらでもないので、今さら悪く思うことではないが。

 覚醒時の差し迫った状況や当時本当に幼かった自分の願いからすると仕方なかったとは言え、貴重なフェバルの能力という枠をこのだらしないパートナー一点に特化してしまったことのしようもなさと言ったらないわとは、彼女も時たま思うのだった。

 フェバルであることの恩恵という名の呪いによって、彼女もまた星脈からチート級の基礎能力を付与されている。だが元が何の力もない幼女であることが災いしてか、平均的なフェバルよりは相当に弱い力しか持てていない。一人ではあのダイラー星系列の骨董品であるバラギオンに勝てるかも怪しいところだ。

 また能力の応用もまったくと言って良いほど効かないため、彼女は自身を最弱のフェバルであると称するのであった。


「けれど退屈な場所と言うのは同意するわ。断続的に妙な輩も出てきているようだし」

「あいつらなあ。勝手に突っ込んではくたばってくれるから楽でいいがな」


 二人の言う変なのとは、もちろんナイトメアのことである。しかし二人にとっては今のところまったく脅威足り得なかった。

 ラミィも一応は一般レベルからすると強力な光魔法の使い手であるが、彼女は未だに魔法を使うどころか戦う必要すらなかった。

 何よりザックスの持つフェバルとしての能力があまりに凶悪であることに尽きる。

【死圏】と名付けられたそれは、半径約四メートル以内に存在する生命を無差別かつ瞬時に絶命させてしまう。無効化するためには同じくフェバル級の能力や抵抗力が必須であり、フェバルや星級生命体でも無策で近寄ればたちまち命尽きてしまうだろう。

 彼が永きに渡る異世界の旅においてほとんど誰とも触れ合うことのできなかった原因そのものであり、孤独な彼の境遇に同情した幼い彼女の願いにも通ずるものである。


【いつもいっしょ】ならば、【死圏】の影響を一切退けることができる。


 そしてまた一匹、四つん這いのナイトメア=ホトモルが破壊本能のまま二人に襲い掛かろうとして、自身に何が起きたのかわからぬまま絶命し、四散した。


「噂をすればまた一匹」

「知性も品もない化け物ね。しつこさばかり一級品」


 ラミィは闇の炎の残滓に蔑んだ目を向けた。

 ザックスのおかげで余裕はあるものの、しかし油断ならないともラミィは内心思っている。

 ナイトメアの中にはどうやら強力な種もいるらしいことは、今までの観察でわかっていた。実際ラミィには手に余るほどの力を持つ種や、人の悪夢を呼び覚まそうなど単に力があるよりも厄介な種もいるのだが、これまでは例外なくザックスの前に散っている。

 現在も肩車をしてもらっているのは、決して歩くのをさぼりたかったというわけではなく(身体が小さいせいで歩幅も小さいので、普段はそういう理由もあるが)、彼の能力圏内に確実にいるための措置である。フェバルとしては弱い自分をいつも彼が守ってくれるので、彼女も安心していられるのだった。


 ザックスの能力ゆえもあり、二人は大抵いつも二人きりで過ごしている。そして大体は肩に彼女をちょこんと乗せて旅をしているため、ザックスは冗談交じりで一部のフェバル仲間にロリコンであると極めて不名誉な評価を下されてしまっている。実際誰に対しても冷めがちなこの男が唯一頻繁に頬を緩ませるのが彼女なのであるから、あながち間違ってはいないのかもしれない。


 そんな彼は今、自分が何一つ無自覚に殺さないで済んだ素晴らしい世界のことを思い返していた。


「ラナソールはいいところだったなあ……。俺が普通に過ごせる世界があるとは思わなかった」

「よかったわね。あれほど嬉しそうな貴方、久しぶりだったもの」


 普段からテンションが低いせいでわかりにくいが、ザックスは確かにラナソールで喜んでいた。他人に話しかけたり買い物をしたりするなど、彼基準で言えば普通は考えられないくらい羽目を外してしまったほどだ。

 翻って、彼は闇が広がるばかりの現状を心から嘆く。まるで彼自身の孤独な心象風景のようではないか。


「それが今じゃあこれだ。要らない能力も戻ってきてしまった……」

「夢は醒めてしまった。今までが望外に幸せだったのよ」


 慰めるべく優しい声色で囁く彼女に、それでも男は気落ちしている。見かねて彼女は上から彼の顔を覗き込んだ。


「そんなに寂しそうな顔をしないのよ。わたしがいるでしょう?」

「……ああ。そうだな。俺には貴女がいる」

「まったく。貴方ってつくづく世話のかかる男ね」


 肩車されたままの幼女が、大男の黒髪を労わるように撫でる。傍から見ると中々にいかがわしい光景であるが、当人たちにとっては立派な大人の男女のやり取りである。

 やがて慰めたと確信できた頃合い、ラミィはまるで馬をしごくように小さな足を蹴り、掌でぺしぺしとザックスの頬を叩いた。


「ほら。僅かでも元気が出たのならきりきり歩くのよ。こんな辛気臭くて喧しいところは早々に脱してしまうに限るわ」

「はいはい。わかりましたよ。お姫様」

「お姫様はやめて頂戴」


 彼女がフェバルとして覚醒し、既にフェバルであった彼と一緒に旅をすることになった当時。彼女は確かにお姫様扱いされて素直に喜ぶ幼女だった。だがもはや遥か過ぎ去った古の記憶である。

 当時の名残で彼は親しみを込め、時に彼女をお姫様扱いしてしまう。見た目はあのときのままだし、そうしたくなる気持ちは彼女にもよくわかるのであるが、やはり当の彼女にとっては不当に子供扱いされているようにも感じてしまうのだった。

 しかし言われたところで今さらやめるような男でもない。ザックスは意地悪く微笑んで言った。


「ではマイリトルレディ」

「結構よ。貴方ってそういう人よね」

「どんなに時が経っても貴女は可愛いものさ」

「本当仕方のない人ね」


 呆れ口調で呟き、それ以上は非難もしない。互いのことをわかり切っているからだ。

 遠い昔、彼女がまだ人間の歳だった頃。

 遥か年上の彼に憧れ、彼の境遇に同情して、そして若かりし時分には恋をした。幼い身体では彼を受け入れることもできないと苦悩したこともあった。

 そもそも今の彼女の口調だって、いつまでも子供扱いされたくないと背伸びを始めたのがきっかけである。知らぬ間に染み付いてそれが普通になってしまったのだ。彼は覚えているだろうか?

 そしてフェバルは死ねず、二人は片時も離れることはなかった。恋や愛と一言で言い表せる感情を維持するにはあまりに永い時が過ぎ去り。いつしか二人は自然と今のような関係になっていた。

 長年連れ添った夫婦を超えた何か――運命共同体とでも言うべきか。


 そんな彼らに、また何度目になるかもわからない闇の異形の襲撃があった。

 今度の闇は、まるで二人の姿形をしている。何度か見たことのあるタイプだ。

 アルトサイダーに「ナイトメア=テスティメイター」と呼称されるその種は、ナイトメアの中でも特に厄介な種とされている。デフォルトでは相手の姿形に合わせた形態をとり、対峙した相手にとっての辛い記憶――悪夢をつぶさに読み取って自由に姿形を変える。そして触れた相手の思い出したくもない記憶を呼び覚まして苦しめつつ、徐々に生命力を奪っていくというタチの悪い性質を持っている。

 二人はそれの名称についてはもちろん知る由もないが、それの行動や形態変化からおおよその性質は把握していた。


「下らない。そんなまやかしでわたしたちを絆せるとでも思っているのかしら」

「まったくだ」


 仮に触れられたとしても二人は大丈夫だろうという確信があった。そしてそもそも二人には触れることすら敵わない。

 約四メートルまで接近したところで、影は命を失って塵と消えた。


 再び歩き出す。


 それからも幾度となくナイトメアに襲われることを繰り返し。どこまで行っても一切代わり映えのしない連中と光景に、退屈も極まってきた。

 二人はほどほどに会話しながら、少しでも飽きを誤魔化そうとしていた。


「レンクスたちも迷い込んでいたりするだろうか」

「さてどうかしらね。けれどもし彼らが此処にいるとなると――少々不味いかもしれないわね」


 自分たちは良い。いつも二人でいられるため、真の孤独に苦しむことも、永遠の旅に絶望することもない。一番の悪夢はそれぞれの生まれ故郷に置いてきた。

 だから執拗な闇の化け物連中がいかに心を揺さぶろうと試みたところで、そのことでやられてしまうことは決してないだろう。

 しかし二人を除く一般のフェバルは違う。彼らの運命は過酷そのものであり、その力が大きいほどに運命は暗く、また絶望も深いとされている。さほど暗い事情のない(ゆえに能力も比較的弱い)ジルフはまだ大丈夫かもしれないが、噂に聞く限りでもレンクスやエーナの抱える闇は相当なものだ。かつての悪夢を呼び起こすタイプのあの闇の化け物は、ともすれば彼らにとって天敵となるやもしれない。


 そこに、誰かの悲鳴が飛び込んできた。


「お、他に誰かいるようだぞ」

「どこかで聞いたような声ね」


 まさかあの子だろうかとラミィは訝しむ。

 おそらくはラナソール崩壊の一因となった膨大な力を発現した、新人のフェバル。

 名は……ユウと言ったか。

 ラナソールでレンクスに紹介されて、一度だけ会ったことがある。

 はじめ見たときは、フェバルとしては異常なほどの力の「弱さ」に、最弱の名を返上しなければならないかとも彼女は考えたほどである。しかし能力自体は比類のないほど強力なものであり、かつ当人も底知れないポテンシャルを内包していることがすぐに理解できたため、そのような者に最弱を移譲するのもまったく相応しくないと考えやめた。

 実際、二人が巻き込まれてしまった時空の穴を生じた――二つの絶大かつ禍々しい力。その一方は彼の内に眠っていたものだったと考えられる。

 そしておそらくは望んで発現したものではないことも。

 彼女は彼の人間を見て本質を理解していた。


 もし今の悲鳴がユウのものであるとするならば。悪夢を呼び起こすタイプの異形に触れてしまったのではないか。

 だとしたらまずい。非常にまずいわとラミィは思った。

 並みのフェバルに比類するものがないほどにとてつもないポテンシャルと絶大な黒い力を秘めた能力だ。覚醒した背景には凄まじいほどの因果があるのではないかと推察された。

 そんな彼にとってのトラウマを強制的に呼び覚ましているのだとしたら……どんな悪影響があるかわかったものではない。またあの黒い力が発現すれば、この闇ばかりの世界すらもどうなってしまうのかわからない。

 世俗のことに一切関わらない二人だ。人助けなど柄ではないが、自分たちの身の安全のためにも助けるべきだろうと彼女は判断する。

 世話のかかる子だとはレンクスから聞いていたけれど、早速焼かせてくれる。

 彼女は嘆息し、ザックスに命じた。


「行くのよ。慎重かつ迅速に。不用意に圏内に入れないように」

「はいよ」


 半径四メートルに入れないように接近すると、叫び声を上げて苦しんでいたのはやはりユウだった。


「誰かと思ったら、レンクス贔屓の坊やじゃないか」

「思った通りね」


 闇の異形が取り憑いて、彼に悪夢を見せ続けている。

 そして彼の力はまた、並みのフェバルを超えて膨大に膨れ上がりつつあった。

 原因ははっきりしている。

 またラナソールを壊したときの力が現れようとしているのだ。ジルフのような気術修得者が放つ通常の白いオーラではなく、禍々しい黒のオーラに包まれて。

 あれを覚醒させてはいけない。自分たちにも当人である彼にも良くないことが起きる。完全に黒い力に支配されてしまえば、彼は二度と「戻れなく」なるだろう。ラミィはその目で直接見て確信した。

 ザックスの能力ではユウごと命を奪ってしまう危険があるため、彼女は光魔法を構えた。


「あの邪魔な闇を浄化してしまいなさい。《プリッシュ》」


 弱点である光魔法、それも強力なフェバルの放つそれに晒されたナイトメア=テスティメイターはあっさりと消滅した。

 そして悪夢に苦しめられていたユウは、取り憑かれていた闇から解放されてその場に倒れ込む。

 詳しく様子を見るため、彼女はザックスの肩を降りて歩いて近寄って行った。

 至近距離でユウを見つめる。

 彼は正気を失っており、許しを請うように意味のわからないうわ言を繰り返していた。

 ただ、黒のオーラは未だ残っているが、時を経るにつれて少しずつ弱まっていく。ひとまず当面の危機は脱したようねとラミィは胸を撫で下ろした。


「もう大丈夫なのか?」


 ザックスが遠慮がちに離れた位置から尋ねてきたので、小さな手を振って彼女は応えた。

 再びユウに目を向ける。やがて彼は、自分より小さな子供のように身を震わせてすすり泣いていた。よほど深くトラウマを抉られてしまったようだった。


「なんて深く傷付いて、弱々しい魂をしているのかしら」


 まるで昔の弱かった自分を見ているようで、彼女はいたたまれない気持ちになるのであった。

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