166「クリスタルドラゴンの逆襲」

 悠然と空を舞いながら、手当たり次第に火球を撃ち出し続ける暴虐の王に、俺は焦りを覚えていた。

 このまま好き放題にやらせていては、町は壊滅する。みんなが死んでしまう。何とかしてあれの注意を俺に引き付ける必要がある。

 だけど、どうする。

 問題は方法だった。

 力を高めて俺という脅威を知らせるのは無駄だろう。かつて炎龍と戦ったことはあるけど、あの誇り高い龍と違って、あれは高い知能は持っていない。所詮元がゲームの一敵キャラに過ぎず、周囲に邪魔者がいれば殺すくらいの認識しかないだろう。

 おそらく気を惹く唯一の手段は、直接攻撃を当ててヘイトを稼ぐことだ。

 しかし……。俺自身が持つ飛び技は《気断掌》系統の技だけど、トレヴァークでは飛ばすのに許容性が足りない。

 レンクスたちに仕込んでもらった『切り札』では威力が大き過ぎて、住民まで巻き込んでしまう。人がいるところでは使えない。

 くそ。魔法を使うことができたら。魔力銃を使うことができたら。簡単な話なのに。

 ユイがいない穴の大きさを痛感する。

 ……これしかないな。

 消耗は激しいけれど、《パストライヴ》の連続使用で疑似的に空を飛び、奴のテリトリーである空で戦うしかないだろう。

 手をこまねいていれば、それだけ被害は大きくなる。

 助けてもらって、世話にもなった。あの母子をみすみす死なせてしまうことだけは、絶対に許されない!


 意を決した俺は、瞬間移動を重ねて空を駆け上がっていった。

 思ったよりも高度があり、さらに高速で空を移動している。側に辿り着くまでに、数十回は重ねなければならなかった。それだけでもかなりの体力を持っていかれた。

 息を切らしつつも、最後の一回でドラゴンの背中を捉えた。水晶様の鱗の一つにへばり付く。

 山のような巨体に比べれば、俺は豆粒のようなものだ。上手く存在を認識されずに、ここまでは来られた。

 首元まで迫れば、さすがに気付かれる。まずはこの位置で有効打を叩き込んでやる。

 強風に煽られながらも、へばり付いた状態から立ち上がる。《マインドバースト》を使って、平常よりも気を高めた。

 気剣を抜き放ち、目下の鱗に向かって突き刺してみる。ラナソールでは一太刀の下に真っ二つにしてしまうほどだったが……気剣は硬い鱗で強い抵抗を受け、辛うじてそれは貫通したものの、肉を浅く傷つけるに留まった。

 痛みは感じているらしい。咆哮を上げて暴れ出したのがその証拠だ。

 巨体では、単純に身をよじられるだけでも苦しい。わずかな時間で上下に数メートルは揺さぶられ、それが延々と繰り返される。病み上がりにはきつかった。

 頭が揺れる。まともな思考を遮られそうになる。それでも、振り落とされないように必死にしがみ付きながら、次の手を考える。

 トレヴァーク基準では、思った以上に硬い鱗だ。だったら、気剣よりもこちらの方が有効か。

 両足もかぎ爪のように使って踏ん張る。左手に気力を集中して、目の前の体表に押し当てた。


《気断掌》


 ドラゴンの内側で、何かが潰れる鈍い音がした。気剣よりは手ごたえありだ。

 魔獣に遠慮は要らない。気の浸透によって、容赦なく内部破壊を狙う。何度でも撃ち込んでやる!

 一度ではどれほどのダメージか見えなかったので、その場で一点集中した。苦しむ敵に対して、間髪入れず、執拗に同じ点から衝撃を叩き込む。

 十回ばかり撃ち込むと、咆哮にやや痛々しい響きが混ざった。

 すると、クリスタルの体表がぼんやりと輝き始める。ほのかに熱を帯び始め――。


 まずい!


 直感で危険を悟った。《パストライヴ》を使い、急いで敵から離脱する。

 直後、ドラゴンの全身を熱波が包んだ。膨大な魔力を駆使して、身にとりつく虫を振り払おうとしたのだ。

 危なかった。あのままいたら焼き殺されるところだった……。

 かつて炎龍が見せてくれた技。全身を炎のバリアで覆うというものがあった。あれを見て知っていた経験が生きたよ。世界が違うけど、こちらもドラゴン。同じような技を使えるということか。

 ということは、張り付きながら急所を狙うのは厳しい。厄介だな。

 もう一つ、問題があった。距離を置いたことで、俺の姿が奴の正面に映った。そして、奴はとうとう俺を明確な敵と認識したのだ。

 獲物に対する動きは早かった。翼を羽ばたかせ、猛然と躍りかかる。


 ここからが正念場だ!

 気剣を構えて、受けて立つ。


 ――速い!


 巨体に見合わぬ速度で、来たと思ったときには、既に目前まで迫っていた。

 光り輝く爪が振り下ろされる。まず、魔力が込められている。《ディートレス》では防げない。

 咄嗟の判断で、瞬間移動によって背後へ抜けた。

 再び接近を試みるが、先ほどから常時展開されている熱波のオーラが、それを許さない。

 まずいぞ。近付けないのでは、有効打がない!

 くそ。本当に、ユイがいてくれたら……。

 牽制の魔法を放つことができただろう。アーラ系の魔法で防御を固めて、熱波を強引に突っ込むこともできただろう。

 首を振る。今はいないことを考えても仕方がない。自分の力で状況を打破しなければ、みんな殺されてしまうんだ。


 敵が振り向く前に、次の攻撃は来た。

 尻尾が正確に俺を狙って伸びてくる。巨大質量による一撃。やはり小さな身体で受け止めるには無理がある。

 今度も技を使ってかわすしかなかった。

 ダメだ。空中では自由に身動きが取れない。直線的な瞬間移動しか回避手段がないようでは、苦しい。


 まだ勝負になっているが、時間の問題だ。相手の得意な領域で戦っていては、いずれ体力が尽きて、負ける。

 あれほど弱いと感じていたクリスタルドラゴンが、まるで別の敵に見えた。正直に、脅威とすら感じている。

 いや……元々からして、強い存在だったんだ。

 ラナソールというあまりに恵まれた世界が、すっかり感覚を狂わせていた。奴はかつての黒龍、いや、もしかするとそれ以上の――。


 ゲームじゃない。チートもない。

 今こそ、本当の試練の時だった。

 かつて、イネア先生は龍を斬った。

 今の俺に、それができるか。

 やるんだ。できなければ、みんなは助からない。


 利用できるものは利用しろ。強いて言えば、知能の低さは弱点になるはずだ。

 既に俺は明確に敵として認識されている。よほどのことがなければ、考えもなしに追いかけてくるはずだ。

 あえて《マインドバースト》を解除する。可能な限り消耗を避けて、すべての攻撃を最小限に避け、戦いながら、徐々に高度を下げていく。さらに、町から離れていく方向へ落ちていく。

 地上だ。地上戦にまで持ち込めば、必ず勝機はある。


 執拗に追手の追撃は続く。爪は何度も身体のすぐそばを掠め、燃え盛る火球が余波で髪を焦がす。

 疲労以外の明確なダメージは今のところないが、ギリギリの死闘を演じていた。

 奴の攻撃すべてが、人の身ではかすり傷ですらも確実に致命傷となる、必殺の威力を持っているからだ。

 ゼロか死か、という勝負だった。決してダメージを受けるわけにはいかなかった。


 遠かった。大地がようやく見えてきた。

 舞台は地上戦へ移行する。奇しくも、初めて炎龍と戦った森にどこか似た場所だった。


 ここでも、俺は機を焦らなかった。

 ドラゴンの体表を防御の熱波が覆っている限りは、近寄ることはできない。だが、常時ああしていれば、相当な魔力を消費しているはず。

 奴の魔力は確かに甚大だろう。けれど、粘り強く戦っていれば、いつか必ず隙を見せるはずだ。

 クレバーな戦いを続けた。奴に高い知能があれば違和感を持てただろうが、しぶとい獲物に対して、奴は苛立ったように、執拗に大振りな攻撃を繰り返すばかりだ。


 そして、勝負の刻は来た。


 痺れを切らした奴が、大きく息を吸い込む。喉の奥が、煌々と白く輝く始めた。

 ブレス攻撃をするつもりだろう。一思いに、周囲ごと俺を消し去ってしまおうと。

 攻撃に集中した瞬間、全身を覆う防御が解かれたのを見逃すわけはなかった。


 チャンスだ。だけど……油断はならない。


 クリスタルドラゴンは、性質の異なる四種類のブレスを使い分けると聞いた。

 あの色は、最も厄介な――クリスタルダストブレスだ。

 四種の中で最も美しく、最も凶悪な――七色に輝くブレス。その正体は、奴にとっての老廃物の再利用――超硬度の塵状クリスタルの集合体だ。

 全身をズタズタに裂く高い殺傷力もさることながら、ほんの少しでも吸い込めば、たちまちにして肺が傷だらけになってしまう。まともに食らってしまえば、確実に助からない。

 ただ、ラナソールでは「理想的な」回復魔法があったから、大きな問題はなかった。トレヴァークや他の世界にそんなものはない。

 当然、広範囲かつ高威力だ。周囲を薙ぎ払うように吐かれてしまえば、すべてかわし切るのは難しいだろう。


 その前に、決定的な一撃を見舞ってやる。

 進む覚悟を決めた。

 気剣に力を集中させながら、駆け出す。《パストライヴ》で瞬間移動する前後で、白い刀身は、鮮やかな青白色へと転じた。

《パストライヴ》から直接体表に迫り、剣撃を叩き込むこともできるが、あえてしなかった。

 奴の足元で、地を蹴り出して跳び上がった。加速度による威力を付ける。

 狙うは、今まさにブレスを吐こうとしている喉元だ。

 ただ巨体のせいで、辿り着くまでは数十メートルもある。上昇中の減速によって、威力は殺される。大きな不安材料だが、押し切れるか。

 やるしかない。


《センクレイズ》!


 狙い澄ました一撃が、正確に入った。

 喉の裏。逆鱗の一点に、気剣は深々と突き刺さっていた。

 ドラゴンが、悲鳴を上げる。鎌首が、ぐらりと揺れる。


 だが、それも一瞬のことだった。


 ……ダメだ! 地上からでは、威力が足りなかった! 決め切れなかった!


 苦しみ呻きながらも、奴は攻撃を中断しなかった。眼下に俺という敵の姿をはっきりと捉える。強い怒りと憎しみを込めた瞳だった。


 失敗だ。回避を――。


 背後に気付いて、戦慄した。


 こいつ……! パーサも射程に入れている!


 もはや一刻の猶予もなかった。身を挺してでも、守る以外の選択はない。


 ……《アシミレート》!


 すべてを、能力に託すしかなかった。

 視界を真っ白に埋め尽くすほどの強烈なブレスを、至近から受ける。そのすべてを、正面から一身に受け止める。

 銃弾程度ならば何事もなく受け止めてしまうが、さすがに勝手が違った。

『心の世界』は、たちまち荒れ狂った。身体への直接ダメージの代わりに、内側から針が突き刺すような痛みが俺を襲った。頭と心臓が張り裂けそうだった。

 抑えてくれるユイがいない分、さらに耐え難い痛みが際限なく苦しめてくる。


 くっ。まだか。意識が……。

 口の中が苦い。血だ。

 執拗なブレスは、いつまで続くかというほど止まない。

 既に限界が近かった。少しでも気を抜けば、甘美な死の誘いが俺を包み込んでしまうだろう。

 くそ。また、守れないのか? また、俺は……!

 看病してくれた、イオリ母子の笑顔が浮かぶ。後ろには、二人がいるんだ。

 させてたまるか。

 世界を守らなきゃいけないんだ。守れなかった、傷付けてしまった、償いをしなくちゃならないんだ。

 目の前の命一つ守れないで、どうするんだ!


「うおおおおおおおおおお!」


 気合を入れ直した。叫んだ。すべてを受け切る意志を、盛り返した。

 永遠とも思える死の攻撃を、ただ無心に耐える。


 そして、視界が開けたとき、まだ辛うじて立っている俺がいた。


 凄まじい攻撃を受けた後なのに、やけに心が落ち着いていた。


 クリスタルドラゴンは、なおも攻撃を続けようとしている。

 動きが妙にゆっくりに見えた。奴の瞳やその意志まで、やけによく見えた。

 この世のすべてを敵に回そうというほどの、強い憎悪を感じる。

 わずかながら、奴の心が伝わってきた。わかったような気がした。


 山が消えた。世界が壊れた。

 住処を奪われたことへの。人類への、怒り。

 彼は、怒っていたのだ。


「……悪かったな。クリスタルドラゴン」


 言葉がわかるはずもないが、呟いた。


「でも俺は……人間だから。人の側に立つよ」


 ふらつく足を一歩踏み出して、右手を構えた。

 今受け止めたもの。返すよ。


《ディスチャージ》


 超火力のクリスタルダストブレスは、そっくりそのまま、撃ち出した当のドラゴンに向かって撃ち返された。

 自身最強の威力を持つ攻撃だ。さしもの彼も面を喰らったことだろう。

 今や立場は逆転し、明らかに苦しみ、のたうち回るのはクリスタルドラゴンの方だった。

 可哀想だと感じてしまう自分を、偽ることはできなかった。

 だがきっと、このまま生かしておいても、相容れることはないから。


 せめてこれ以上は、苦しまないようにと。


《パストライヴ》を限界まで使って、空高く飛び上がった。

 今度は、重力加速度を最大に付けて。

 持てる力を尽くし、気剣の力を高める。再び、刀身は目の覚める青白に染まる。

 もがき苦しむ、彼の首へと狙いを込めて。


「はああああああーーーーーーっ!」


 全力で振りかぶる。

 刀身が、輝く鱗に触れた。肉と骨が、重たい抵抗を伴って、断ち切られていく。


 そして、俺が降り立ったとき。


 ドラゴンの首が、重々しい音を立てて、地に落ちた。


「ふう……。何とか、勝てた……」


 辛うじて立ってはいるけど……満身創痍もいいところだった。

 まさに死闘だった。

 本物のクリスタルドラゴンは……強かったよ。



 だが、安心できたのは、ほんの一瞬のことだった。


 空を、次々と大きな影が横切っていく。


 もう聞こえないはずの咆哮が――怒りの咆哮が聞こえる。


「な……」


 三体。


 目視できるだけでも、三体のクリスタルドラゴンが、同時に空を舞っていた。


 一瞬、パニックになりそうだった。

 だが考えてみれば、当たり前の話だ。

 クリスタルドラゴンは、ラナソールではS級「一般」モンスター。これまでも数多くの個体がいたし、一体が現れたのなら、他にいたってまったく不思議なことではない。


 だけど、よりによって。今。


 しかもだ。ことによれば、クリスタルドラゴンでは済まない。さらに厄介な連中まで、この現実世界に一斉に解き放たれているのだとしたら……。

 それも、大量に。


 みるみるうちに、心を絶望が覆っていった。

 待ってくれよ……。

 たった一体で、これほど苦戦したんだぞ。

 こんなの、どうしろって言うんだよ!


 逃げたくとも、容赦なく現実は襲ってくる。

 三体のクリスタルドラゴンが、同時に襲来しようとしていた。彼らもまたそれぞれが、人類への怒りを向けている。


「は、は……」


 乾いた笑いが出て来た。


 これが、報いか。


 散々夢想の世界で軽く捻っていた相手に、現実を見せつけられて。

 俺が救おうとしている世界は。化け物だらけで。

 壁は、あまりにも高く。


 ……それでも、最後まで諦めて良い理由には、ならないよな。


 抗ってやる。


 ぼろぼろの身体に活を入れて、気剣を両手で構えた。来るなら来い。



 しかし、またも信じられないことが起きた。


 三体のクリスタルドラゴン。

 その巨大な影をさらに凌駕する巨大な影が、一つ。

 全長が山ほどもある、人型の白銀フォルムが、飛来してきた。

 機械製の……兵器だ。


 あれは……!


 そいつは、右手にやはり、山ほども巨大な武器を作り出した。

 紫色の――高周波ブレード。

 そして、それを構えたと思ったら、あっという間もなく。

 消えた。

 何かと思った直後、現れたが、そのとき、一体のクリスタルドラゴンの背後を完璧に取っていた。

 刺突。

 クリスタルドラゴンの胴体。そのど真ん中に大穴が開いた。深々と刃が突き立てられていた。

 悲鳴の咆哮を上げる間もなかった。精強なクリスタルドラゴンは、次の瞬間、跡形もなく蒸発して、消えたのだ。

 そして、また人型が姿を消す。

 次に現れたとき、二体目のドラゴンもまったく同じ最期を迎えた。

 恐れをなした三体目が、尻尾を巻いて逃げようとする。

 逃げられはしなかった。人型が高周波ブレードを構えると、それは瞬く間に伸びて、三体目を串刺しにした。三体目も、惨たらしく蒸発して消えた。

 とてつもない光景を見ていた。

 三体の怪物は、それを凌駕する恐ろしい兵器に、何もできずに瞬殺されてしまった。


 俺は、震えていた。


 まさか、今度はあれが襲ってくるのか?

 最悪の想像だったが、希望の持てる要素はない。

 だって、俺はあれを知っている。

 無理だ。今この状況で、たった一人で、勝てるはずがない。


 戦々恐々としながら、もはや無意味だと思っていても、気剣を支えに構えていたが……。

 クリスタルドラゴンを抹殺したそいつは、そのまま、何もせずに空を去っていった。


 全身の力が抜けた。その場で崩れ落ちた。


 震えが止まらない。


「あれは……」


 全身を白銀に塗られてこそいるが……あの大きさ。あの武器。あのフォルム。

 そして、胴体の真ん中にでかでかと備わっていた――特徴的な主砲。

 あの強さ。


 見間違えようがない。 


 かつて、エルンティアで死闘を演じた強敵。


 バラギオンだ。


 どうして、バラギオンがこの世界にいるんだ……!?

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