138「ユウ VS ヴィッターヴァイツ(被支配体) 1」

「見つけたぞ!」


 迸る悪意が常に居場所を教えてくれた。こいつのところへは迷いようがなかった。

 殺戮者は、ゆっくりと振り返る。

 俺の姿を認めて、わずかに口の端を吊り上げた。


「下でちょろちょろしている奴がいると思えば。小僧か」


 今、目の前にいる男。

 一見した姿は、ごく普通のサラリーマンだ。

 だが。心の反応は、それが見かけだけであることを指摘していた。

 おそらく、このサラリーマンも被害者だ。

 何者かが操っている。何者かがこの口に喋らせている。

 卑怯にも。

 問う。自然と言葉は鋭くなった。


「お前は誰だ?」

「オレか? くっくっく。どこにでもいるサラリーマンかな」

「とぼけるな。中にいるのは誰だと言ってるんだ」

「ほう。なるほど。見抜く程度の力は持っているのか」


 男は泰然として嗤う。


「理解しているならば、我が力も感じているはずだ。それでなお、このオレの前に立とうとは。よほどの馬鹿か。命知らずか」


 こいつは、暗に言っている。

 オレはお前などより遥かに強い、と。

 そうかもしれない。

 こんな奴には負けたくないと心の底から思いながら、冷静な部分で計算が働いていた。

 近くに来て、よりはっきりとわかった。

 このサラリーマンを裏で操っている奴からは、底知れないやばさを感じる。死の緊迫感が肌を突き刺してくる。

 異質で、絶大な力の塊。


 まさか。フェバルなのか?


 あり得ない話ではない。ラナソールには、俺も含め、あれだけの数のフェバルが集まっている。まだいてもおかしくはない。


 ……本当なら、この状況はほとんど詰みだ。

 本当にこの男がフェバルなら、勝てるわけがない。逃げることも難しいだろう。

 しかし。もしそうであったとしても。

 一つだけ、こちらに有利な材料がある。


「蛮勇は命取りになるぞ。小僧」

「わかっているさ。でも今、目の前にいるお前を止めることならできる」


 そう答えると、ゴミを見るような目で俺を見ていたこの男が、初めて俺自身にわずかな関心を示したようだった。


「なるほど。言うほど馬鹿でもないということか」


 奴は自らの――いや、被支配者の身体を指し示して、肩を竦めた。


「確かに貴様の言う通りだ。この身体は脆い。窮屈で仕方ないぞ」


 そうだ。

 この男は、フルパワーを発揮できていない。それどころか、ろくに力を出せていない。

 俺の知っているフェバルなら。あるいはそれと同格な者なら。

 もっと圧倒的に強いはずだ。トレヴァークのような許容性の低い世界であっても。いや、低い世界ほど相対的な強さは増す。

 こんな縛りプレイをする必要はない。普通の人間を手駒にしている時点で、奴も相当に苦しいはずだ。

 たぶん、ラナソールという世界の制約に助けられている。

 そこを突けば、戦いになる。

 そしてもし心に隙を見せたなら、そのときはいつでも探りを入れてやる。居場所さえわかれば、レンクスやジルフさん、エーナさんに頼んで、倒してもらうことだってできる。

 俺があえて逃げずに向かっていった理由だった。


「【支配】できんのが惜しいな。貴様なら、これよりはよほど良い駒になっただろう」

「人を駒扱いしやがって」


 強い怒りを感じつつも、【支配】の言葉のやけに含みのある響きが気になった。

 技か何か。能力か。

 超越者のカテゴリの中でも、フェバルではないかという確信が強まった。


「お前、フェバルだな?」


 今度こそ、サラリーマンの向こう側にいる人物は強い興味関心を示したらしい。


「嬉しい誤算だ。まさかこんなところで知っている奴に出会うとは思わなかったぞ」


 奴は顎に手を添えて、俺という人物を見定めようとしていた。


「フェバルか。星級生命体か。異常生命体か。いや――フェバルや星級生命体にしては、弱っちいな。異常生命体の中の雑魚といったところか」


 一人で勝手に納得したようだ。正解を言ってやる義理はないので無視して、俺も言い返す。


「俺もだ。まさか同じようにトレインソフトウェアを狙っているフェバルがいるとは思わなかった」


 しかもこのタイミングで。こんな最悪の形で。

 お前のやり方は最低だ。


「ほう。やはり行き着くところは同じだな。実際、オレもあの世界にはいささか手を焼いていてな」

「じゃあお前もやっぱりラナソールを?」

「だが、オレの方が一足早かったわけだ」


 奴は、得意な顔で懐から一枚のディスクを取り出し、見せびらかした。

 くそ。やっぱり先を越されていた……! よりによって一番厄介そうな奴に。


「中々面白いことが書いてあったぞ。もっとも、貴様に教える義理はないがな」

「これからどうするつもりだ!」

「そいつも教える義理はない……と言いたいところだが、今のオレは気分がいい。少しだけ教えてやろう」


 そして奴は、とんでもないことを言った。



「ラナソールは壊す。オレは自由となる。そこから先は――お楽しみだな」



 ラナソールを、壊す。壊すだと。

 みんなが暮らすあの世界を。壊すだと!

 恐れていた台詞だった。それを考えるフェバルがいる可能性は考えていた。こいつは……!


『なんてことを!』


 俺もユイも、怒りに震えていた。


「お前、自分が何を言っているのかわかっているのか!?」

「口の利き方には気を付けろよ。小僧。それに言っておくが、これは貴様たちのためでもあるんだぞ」

「……なに?」

「あの忌々しい世界が健在である限り、オレたちは――貴様自身がそうかは知らんがな――あの世界から出ることはできん」

「なんだって!?」


『そんな!』


「おいおい。間抜けな顔をするなよ。まさか知らなかったのか?」


 ……嘘は言っていない。

 なんてことだ。もし、それが事実だとしたら。

 ラナソールに囚われているのは、トレヴァークのみんなだけじゃない。

 俺たちも例外なく。檻の中だったということか……。

 なら。

 檻を壊すということか。乱暴ではあるけれど、この男の言うことにも一理あるのか……?

 いや、あるわけがない。

 囚われているとは言え、ラナソールはみんなの心が暮らしている場所だ。

 ただでさえ、今でも不安定な状態なんだ。

 世界を無理やり壊すなんてことをしたら……。

 最悪の事態が起こるかもしれない。嫌な予感しかしない。


「ラナソールを壊して……どうなる。そこにいるみんなはどうなる!?」

「無論知ったことではない」


 く、この……!

 今すぐにでも殴りかかりたかった。できるなら、どこかにいるこいつの本体を懲らしめてやりたい……!


「なあ、どうだ。貴様がオレに従うと言うのなら、お前も自由にしてやってもいいがな」


 ふざけるな! どの口が言う!


「俺とお前が、そのままで協力なんてできると思うのか?」

「そう言うと思ったぞ。青いな。利口ではない選択だ」

「なぜ、殺す必要があった!?」


 激情に駆られるまま、口を衝いて出てきたのは、ここに至るまでに見てきた、凄惨な光景のことだった。

 奴は、何寝言言ってるんだとばかり鼻で嘲笑う。ますます許せなかった。


「途中で見てきたよ。お前、たくさん人を殺して……放り込んだな!」


 数多くいたはずの会社員たちは、どこへ消えたのか。

 答えは……ダストシュートの中だ。

 人を放り投げるために広げた形跡と、血の跡が見られた。

 下の方でどうなっているか――想像したくもない。


「ゴミを掃除しただけだ。何の問題があるのだ」


 こいつは! 本当に! こいつはっ!

 フェバルは、どうしてこんな奴ばっかりなんだ。

 一定の強さがなければ、人として認めない。

 人をゴミのように見て、ゴミのように扱い。ゴミのように殺し、捨て去る。

 俺は、嫌だ。いくら強くても、いくら長生きで疲れたとしても、そんな生き方は許せない。

 お前のような奴には、死んでもなってやるものか!


「お前のやり方を、目的を、認めるわけにはいかない!」


 話していると、いや、こうして対峙しているだけで、ひどく嫌な感じがする。

 腸が煮えくり返って仕方がない。無性にむかついて仕方がない。

 こんなに神経を逆撫でする奴がいただろうか。


 殺してしまいたいとまで――


『ユウ! ダメだよ!』

『……ユイ』

『落ち着いて。冷静さを失っちゃダメだよ』

『あ、ああ。わかってる。わかってるよ』


 ユイに制止させられて、辛うじて平常の心を保っていた。

 危ない。もし君がいなければ、俺はどうなっているのだろう。


 あの黒い力が、すぐそこまで迫ってきているような気がした。

 これを使えば、今目の前の奴ではない、本気の奴でも倒せるだろうか。

 でも、頼らない。こんな恐ろしいものには頼りたくない。


『それでいいの。私たちがいるから』

『力を貸してくれ。こいつには絶対に負けたくないんだ』

『もちろん。私も同じ気持ちだよ』


 こいつを倒しても、本体にダメージはない。

 いや、倒してはいけない。操られてる人を殺さないようにしなければ。

 長く触れることができれば。心を探ることができる。

 ついでに、ディスクを奪うことができれば。

 内では激しい怒りが燃え上がっているが、狙いは冷静なつもりだ。


 戦いに備えて構えると、奴は面白い気分を隠さなかった。戦いが好きな性分なのかもしれない。


「ほう。オレと戦るつもりか」

「止めてやる。これ以上の横暴は許さないぞ」


 少ないけれど、まだ生きている人もいる。ここで止めさえすれば助かる。

 奴もまた、ゆっくりと余裕のある面で構える。そして言った。


「オレが誰だと言ったな」

「言ってみろ!」

「一直線だな。貴様は。生意気な目は嫌いではないが。分をわきまえぬ小僧には、教えてやらねばいかんな」


 空気が変わった。来る。


「貴様が名乗るに値するか。この身体でテストしてやろう」


 奴は固い白モップを脱ぎ、投げ捨てた。

 露わになった中年サラリーマンの上裸体は、一般人にしてはまあまあ鍛えられていた。

 だがあくまで一般人の範疇だ。

 いくら奴がフェバルでも、気力が高くても、あの身体の大元は一般人そのもののはず。

 そしてここは、許容性の低いトレヴァークだ。

 ほぼ皆殺しという人並み外れた所業を、一人でやってのけるのは相当大変だと思うけど。


「我が《剛体術》。味わってみるがいい」


《剛体術》だと。

 果たして、疑問はすぐに回収された。


「かあっ!」


 思わず驚き、目を見張った。

 筋トレをしていた程度の素人の肉体が、急激にパンプアップする。

 各部位が二回りも膨らみ、さらに硬質化までなされているようだった。


 ――これは、思った以上にやばいぞ。


 人が持つ性能を限界以上に引き出している。おそらく許容性限界級を超えている。

 俺も人のレベルを超えておかないと、やられる。


《マインドバースト》


 こちらも、見た目こそ変化しないが、身体に濃白の気を纏わせた。


「ほう。口を叩いた割には、そんなものか」


 奴が、にやりと笑う。余裕は全く崩れていなかった。

 だがこれは本体の余裕から来るものだ。この場では、さして負けていないはずだ。


 合図ともなく、互いに探りながら間合いを詰める。戦いが始まった。

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