139「ユウ VS ヴィッターヴァイツ(被支配体) 2」
はちきれんばかりに充実し、今にもぶつかり合おうかという気とは対照的に、戦いは静かな立ち上がりだった。
敵はいかにもフェバルらしい力任せな言動の割に、歳重ねた老獪さをも合わせ持っているようだった。
俺もこいつも、本来の肉体スペックからドーピングしているような状態だ。纏うオーラ――パワーに対して肉体が脆い。
だから、一撃でもまともに入れば事実上の勝負は付くだろう。あの漲りようだと、かすっただけでも肉が抉り取られる恐れがある。
――戦りにくい。
あらかじめ気剣を抜いておくべきだった。抜くタイミングが見つからない。
女に変身できるんだったら、身体の操作を一旦ユイに預けて、その間に『心の世界』で気剣を溜めておくこともできるけど。今は一人で二つの力を使える代わりに、そういうことはできない。一長一短だ。
動き出したのは、奴が先だった。
不敵な笑みを浮かべている。何か狙いがあるのか。
迫力ある図体から繰り出される拳は、やや大振りだった。カウンターを狙うか。
いや――このタイミングで仕掛けるのは危ない。
《マインドバースト》を使っても、パワーはおそらく向こうの方が上だ。それもかなり。正面からぶつかれば、弾かれて力負けする公算が大きい。
脳を揺らしても無駄だ。肝心の動きを操っている奴に影響がない。
そこまでを一瞬で考えて、立ち止まっての殴り合いは避けた。拳から遠ざかる方向へ身を逸らす。
かわしつつ側面から反撃を狙ったが、相手に隙がなく無理だった。
外れた敵の拳は、ビルの壁にぶち当たった。高層ビルに穴が開き、強い風が流れ込んでくる。
敵との立ち位置を最初と逆にしながら、俺は動きを観察していた。
奴は壁に穴を開けたのみならず、剥がし取っていた。
そして剥がし取った壁を手に持っている。
何をする気だ。投げつけてくる気か。
違った。奴は壁を目の前に軽く放って――
「はあっ!」
豪快。
まさにその一言だった。
気力を纏った拳で、一枚の壁を打ち砕く。壁はいくつもの破片と化し、それらすべてが凄まじい速度と、奴の気力を纏って――あの殴っただけの一瞬で、物質に付与することができるのか!
質量、速度。ともに恐るべき勢いで飛来してくる。壁の大砲弾だ。一つでも当たれば致命傷になる。
一刻の猶予もない。
《アシミレート》
『心の世界』で受け止める。直接攻撃あるいはラナソールで使われる魔法のような強い遠距離攻撃でなければ、ほぼノーダメージで吸収できる。
咄嗟の判断が功を奏した。いきなり死ぬところだった。
「掻き消したな。普通の飛び道具では効かんということか」
図体を膨らませた割にスピードがある。敵はもう距離を詰めていた。
そして向こうもよく観察している。手持ちのカードが一枚割れてしまった。
またかわす。拳は合わせられない。あのパワーを見てしまったら、もうそれはできない。思った以上に力に差があった。腕がもがれるのは確実だ。
「どうした。逃げるばかりでは戦いにならんぞ」
挑発に乗るな。奴の土俵で戦うな。正面からぶつかったら負けだ。
でも悔しかった。この男は一般人の身体を使っているだけなのに、俺は全力なのに、今の状況は勝負にこそなれ、苦戦を強いられている。わかってはいたけど、操り人形でこれじゃ本体とはまるで勝負にならない。ここまで差があるのか。
負けられない。
気剣だ。気剣を抜ければ、リーチの長さで勝負の形を作れる。魔法気剣もある。
『こっちはいつでも準備してる。何とか隙を見つけて』
『わかってる。レンクスたちは君のところにいないのか? みんなから力は借りられないのか?』
言いながら、ほとんど期待はしていなかった。
もし《マインドリンカー》で力を借りられるなら、敵との力関係なんて簡単に逆転する。できるならユイがとっくにそうしているはずだ。
『それが……いるけど、ダメなの。そっちの世界に全然力を送れない』
くそ。やっぱりか。目の前の奴がこちらの世界でフェバルの力をろくに使えないのと一緒だ。レンクスたちの力も、ろくに発揮できないようになっている。俺とユイだけはなぜかまともに使えるけれど。
『悪い。肝心なときに役に立てなくてよ』
レンクスの悔しさに満ちた心の声が聞こえてきた。
『仕方ないよ』
『本体の居場所さえ掴めれば、すぐにでも倒しに行ってやる。ユウ、死ぬんじゃないぞ』
『ありがとうございます。ジルフさん』
手持ちのカードで何とかするしかない。
幸い、スピードは少しだけこちらに分がある。相手は油断こそしていないが、余裕がある。あり過ぎる。
フェバルというのは大抵、どれほど自覚しているか差はあるにせよ、慢心している。油断がある。
その辺の奴とは、実力に差があり過ぎる事実によって。
普段は攻撃を避ける必要もない。自ら死を選ばない限り、かすり傷を負うことすら少ない。
一切の無駄な動きの許されない、ぎりぎりの戦いからは。一瞬の判断が身を削り、命取りになる戦いからは。たとえかつて数多く経験していたとしても、随分長いこと離れているはずだ。そのブランクが、必ずどこか隙になって表れてくるはずだ。
俺は極限の動きを続ける。今度は捉える。もう一度、少しでも動きが大雑把になるチャンスを待つ。
戦いは一見、俺が避け回っているばかりだ。反撃の手もなく、相手の拳や蹴りはすべて必殺級の威力で。
俺は狙いを済ませて、耐え忍んだ。実際は数分ほどだっただろうけど、数日よりも長いとさえ思える時間だった。
そして、ほんのわずか。避け方が大きい瞬間があった。
今だ。ここでカードを切る!
《パストライヴ》
瞬間移動で背後に回る。並みの相手なら、これで勝負が決まるが。
俺が掌を開いて構えたとき、奴はすぐに振り向いていた。腕を出して防ぐ構えだ。
気付かれたか。でも構わない。想定内だ。掌さえ身体のどこかに当たるなら、この技は内側まで届く。
《気断掌》
パシュウゥゥゥンッ!
気の内部浸透によってダメージを与えるはずの攻撃は、硬い体表に弾かれて霧散してしまった。
「なっ!?」
「効かんな」
技を出して伸びた腕。一瞬の硬直が隙となった。
敵の太い腕が迫る。
左腕を掴まれたと思った次の瞬間には、がつんと強い衝撃が全身を走っていた。
視界が揺れる。
何をされた。身体が痛い。叩き付けられたのか?
頭が。脳が。回る。
「我が《剛体術》の前に、小賢しい気功術は通用せんぞ」
跳ね上がる。身体が浮いている。
俺は、今、どうなって――あいつは――
『ユウ! 防いで!』
ユイの悲鳴。
目の前に、拳が迫って――死――
「む」
弾かれた。拳が。
バリアだ。奴が驚いている。俺にはよく見覚えがあった。
《ディートレス》。ユイが使ってくれたのか……。
バリア越しでダメージはなくとも、すべての衝撃までは殺し切れない。俺を包んだ青色透明のバリアはボールのように弾かれて、壁のところで辛うじて止まった。
吐き気がする。でもすぐに動かないと殺される。倒れている暇はない。
瞬間移動を使って、緊急回避する。直後、黙っていれば俺が落ちる予定の場所は、敵の拳で壊滅していた。
ワープでは距離を大きめに取った。敵が迫る間に息を大きく吸い、吐き、ごく簡単にダメージを分析する。
まだ平衡感覚が乱れている。内臓が少しやられている。骨が数本。左腕は……使い物にならないか。
関節の外側に向かって、見事にへし折れていた。千切れなかっただけましかな。
右腕はまだ生きている。勝負は終わっていない。
何とか構えると、敵は面白そうに笑って足を止めた。
「雑魚の割には戦い慣れているな。今のは及第点の動きだった。死ななかったのは褒めてやろう」
「あくまでテスト気分かよ」
睨みつけたつもりだったが、奴はむしろ余計に楽しそうだった。本当に腹が立つ。
「それだけに、惜しいな」
「何がだ」
「貴様にフェバルほどの才能があれば、オレも本気で戦いを愉しめただろうに」
お前には力が足りないと。あからさまに言われてしまったことが悔しかった。
そしてわかった。こいつは戦闘者だ。どうしようもないバトルジャンキーだ。
おそらくは、フェバルになってからずっと相手に飢えている。
「その目。まだ諦めるつもりはないようだな。最期まで足掻いてみろ」
敵を睨みつつ、ユイに声をかけておく。
『悪い。無茶させた』
『よかった……死ぬかと思ったんだから』
本来、こちら側の世界に何かをするのはユイにとっては大変なはずだ。最悪気を失ってしまうほどのダメージになる。
『トレヴァークで助かったね』
『ああ』
魔法がない世界でよかった。さっきの攻撃に少しでも魔力が乗っていたら、《ディートレス》では防げない。俺の肉体は容易くミンチになっていただろう。
だがそれでもダメージは大きい。対して相手はほぼ無傷。あまりに厳しい勝負だ。
それにしても、あの馬鹿みたいなパワーで叩きつけられて、よく無事で済ん――。
――ああ。そうか。そういうことか!
『どうする? 絶対にそうしたくないのはわかるけど……いざとなったらあなただけでも逃げて』
『そうだな……。でも大丈夫。攻略法が見えた』
今のあいつにだけ通じる攻略法が。
『本当なの?』
『うん。もう少し戦えばはっきりするはずだ』
おそらく時間の勝負だ。
でもこのままでは一分と持たず死ぬ。
気剣を出せれば。まだ。
……通じるかわからないけど、試してみる価値はあるか。
今にも殺しに向かって来ようとしている相手に、制止をかけた。
「どうせなら全力を出したい。少しだけ待ってくれないか?」
「ほう。まだ何かあるのか。せいぜいやってみろ。無駄だと思うがな」
言ってみるもんだ。
ほらね。やっぱり余裕があり過ぎるだろう。
利用できるものは何でもするさ。お前たちに負けないためなら。
ダメージのせいで切れていた《マインドバースト》を、再び念じてかけ直す。
そして、魔法気剣を右手に創り出した。
なまくらモードの雷の気剣だ。操られている相手を直接斬るわけにはいかない。これでショックを与えにいく。
ぱっと見一人で気と剣を使っていることに対する驚きは、奴にはない。フェバルを始めとして、一部に例外があることをおそらく知っているからだ。
「なるほど。それが奥の手か」
「お前には負けない」
「そうかそうか。意気込み悪いようだがな――オレもまだこんなものではないぞ」
さらに奴の力が高まり、肉が膨れ上がる。もはや元の人物がどうであったのかわからなくなりそうなレベルだ。
凄まじい《剛体術》。
力の差はますます開いた。ただでさえ厳しい状況が、さらに勝ち目がなくなったように思える。
でもこれでいい。もっと力を出してこい。
戦いは力がすべてじゃないということを見せてやる。
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