いつもの夢2

そして時間は過ぎ、夕飯の時間になった。


テーブルには、食事の時間にしか姿を現さない院長の江田町子と洋子、子供達が座っている。


院長の町子は、子供達が怪我していても我関せずで、いつも食事だけに集中していた。


子供達の誰もが、町子の声を聞いた事がない。


伸びきったくしゃくしゃの白髪で顔を隠し、過ぎる程痩せている町子を、子供達は恐怖していた。


まるでお化けのような扱いだ。


テーブルの上には、健太の嫌いな人参がいっぱい入ったカレーライスが載っている。


健太は洋子の方をチラチラと見て、人参をほうばった。


口の中に人参のえぐみが広がる。


そして健太は目を思いっきり瞑り、嫌いな人参を飲み込んだ。


残せば洋子からまた殴られる。


健太の頭の中は、その事で一杯だった。


小さい子供達だらけの食卓は、ざわつくことなく、咀嚼音だけが広がる。


皆、洋子を気にしながら食事をしているのだ。


そして何事も無く、静かな食事は終了した。


ごちそうさまの習慣のない子供達は、黙ったまま、使っていた食器を各自台所の流し台に持って行く。


夕食後、洋子に監視されながら、子供達は歯磨きを始めた。


丁寧に丁寧に、虫歯にならないように丁寧に皆、懸命に歯を磨く作業を黙々とこなす。


虫歯にでもなれば洋子に叱られる事は目に見えている。


綺麗に歯磨きを終えた子供達は、寝室に行き、それぞれパジャマに着替えた。


健太は白色の生地に薄い紺の縦縞模様のパジャマに着替えると、自分が寝る為の布団を敷き始めた。


パジャマに着替え終わった零士も、いつもの場所に布団を敷いた。


敷かれた自分の布団の前で立っている零士の横で、健太はまだ布団を敷く作業を黙々とこなしている。


それから五分程経った頃、子供達は全員自分の布団を敷き終わった。


黙って子供達の様子を見ていた洋子は、真っ白な壁に設置されている電気のスイッチをオフにしながら呟いた。


「消灯」


子供達は洋子の声を聞き、雨戸を閉めているため完全に暗闇になった部屋の中で、急いで布団に潜り込んだ。


布団の中で目をギュッと瞑っている健太は耳を澄ませる。


洋子の足音が部屋から遠ざかって行く。


完全に足音が消えた瞬間、健太は安堵の溜め息を付いた。


ギュッと瞑っていた目の力を緩め、悲しい現実を忘れるように大好きなヒーローの事を考えた。


悪を倒す正義のヒーロー。


健太は大きくなったら自分もヒーローになりたいと思っている。


いやなれると信じている。


健太は夢の中で悪を倒す正義のヒーローになった。


人間に危害を加える怪人を、ばったばったと倒していく。


無敵のヒーロー。


そんな夢の世界を堪能していると、健太の体を揺らす感触を感じた。


「…健太君、健太君」


揺れは次第に大きくなり、健太は飛び起きた。


「!…!」


健太は頭を左右に振り、目の前に居る

自分を起こした人物の顔を見据えようとする。


しかし暗闇の為、何も見えない。


「…健太君起きた?」



「…零士君?…おはよう…もう起きる時間?」


健太は声で零士だと気付いた。


「そうだよさあ行こう」


零士は口元に人差し指を押し当て、呟いた。


「…あれ?まだお日様登ってないね」


部屋の中は暗闇と子供達の寝息に包まれている。


壁に掛けられている時計の針はニ時を回ったばかりだ。


「…健太君行くよ…静かにね」


零士は健太の手を取ると、小さな力で引っ張た。


健太は零士に言われるがまま起き上がり、零士の後を付いて行く。


今世界は暗闇に包まれている。


幼い健太は、お化けでもでやしないかと恐怖を感じ、ビクビクしている。


そんな健太の様子に気付いたのか、零士は健太の小さな手の平に、自分の小さな手の平を重ねた。


健太は強く零士の手を握り、ゆっくりと歩く。


寝室のドアを開ける音が聞こえた。


健太達はドアをくぐり抜け、廊下に出た。


廊下の窓から、微かに月明かりが零れている。


「…ギシギシ」


古びた板張りの廊下を歩く度、軋む音が静かに木霊する。


健太は恐怖で支配される中、怯えながら零士の歩幅に合わせ歩く。


「…健太君…もうすぐ終わるからね」


零士は不意に呟いた。


「…終わる?何が終わるの?」


「…この悪夢のような現実だよ」


零士は健太の問い掛けにそう呟くと、音も無く笑った。


「……うん」


健太は零士の言葉の意味が分からなかったが、ただ頷いた。


五分程経っただろうか。


軋む廊下を慎重に歩いている零士の足がピタリと止まった。


「…着いたよ」


零士は静かに呟いた。


「…えっ?どこに?」


健太は震えながら小声で聞く。


「…洋子先生の部屋」


零士はそう言いながら、目の前にあるドアノブを掴みドアを開けた。


そして零士はドアの中に音も無く、消えて行った。


一人廊下に残された健太は、たまらず零士の後を追う。


部屋の中は、豆電球の淡いオレンジ色の光に包まれていた。


部屋はいわゆるゴミ屋敷。


とても独身の女性の部屋とは思えないあり様だ。


床のあちこちに散乱しているビールの空き缶から察するに、余程の酒好きなのだろう。

 

健太は所々見える床を踏みながら、部屋の奥へと歩を進める。


部屋の中を丁度五歩進んだ所に、先に部屋に入った零士が背中を向ける形で立っていた。


「…れ…零士君」


健太は震えながら呟いた。


「…これで終わりだよ」


零士は振り返る事無くそう言うと、右手を高らかに振り上げた。


「ぐちゅっ!」


静かな部屋の中でその音が響き渡った。


零士は振り下ろした右手を再度上げ、再び振り下ろす。


「ぐちゅっ!」


「ぐちゅっ!」


「ぐちゅっ!」


完熟したトマトを叩き付けるような音が、何度も際限なく部屋の中で木霊する。


健太は零士の異様な行動を、怯えながらただ見つめるしかなかった。


三十分程経っただろうか?


零士はようやくその作業を止めた。


「…終わったよ」


零士は振り返り、健太に微笑んだ。


微笑む零士の顔や衣服には何か斑目のような模様が出来上がっている。


そして右手にはハンマーが握られていた。


ハンマーの先からは、何やら液体がぽたぽたと垂れ落ちている。


「…洋子先生はもういないよ」


零士の言葉は健太には聞こえていなかった。


「ぐちゅっ!」という、嫌な音が頭の中で何度も鳴り響いている。


健太は真冬に凍てついた川で溺れた後のように、小刻みにガタガタと震えている。


「…健太君…見てごらん」


零士は力強く目を瞑っている健太の手を取り、先程まで作業していた場所に移動させた。


「…早く見てごらん」


目をギュッと瞑っている健太に向かい、零士は呟く。


健太は恐る恐る目をゆっくりと開けた。


「……ヒィ!」


健太は腰を抜かしその場で崩れ落ちた。


健太の前にはベッドがあり、その上には血だらけの肉の塊が置いてあった。


元々は人間だったのだろう。


頭はぐちゃぐちゃに潰れて、脳みそらしき物まで辺り一面飛び散っている。


「…これ…何?」


健太は得体の知れない物体を見て、零士に問い掛けた。


「洋子先生だよ」


零士は楽しそうに呟く。


「…よ、洋子先生?」


健太は再度、恐る恐るベッドの上を見た。


「ヒィ!」


洋子の遺体は首から上がぐちょぐちょで、面影どころか、もはや人間の形を成していない。


健太は目を瞑り、見てしまった事を後悔した。


「…洋子先生は死んじゃったよ」


ガタガタと震える健太に零士は囁いた。


「…し…し、しんじゃった?ってな、何?」


まだ幼い健太には、死ぬという言葉が理解出来なかった。


「もう、動かないって事だよ」


「…動かない?」


健太はまだ理解出来なかった。

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