いつもの夢3
「健太君…僕等も死のう」
零士はにこやかに健太に囁く。
「…え?しのう?し、しのうって何?」
「僕達は必要のない子供なんだよ。親から見放された時点で生きてちゃ駄目な存在なんだよ」
「え?え?」
健太には、零士の言葉が何一つ理解できなかった。
健太が恐怖に引きつり困惑していると、零士は持っている血塗れのハンマーを投げ捨て、健太のその小さな手を握り締めた。
「行こう」
零士は洋子の亡骸に背を向け、健太を連れて部屋から出て行った。
嫌る健太を無理矢理連れ、零士はとある部屋に着ていた。
電気を付けた部屋の中には、スコップや脚立、大小様々なダンボール箱等が置かれている。
どうやら、物置として使われている部屋のようだ。
その部屋の中から零士は、赤いポリタンクを掴むと引きずりながら部屋を出て行った。
「…これが必要なんだ」
零士はぼそっと呟く。
「…何それ?」
恐る恐る健太は聞いた。
「…灯油だよ」
「…とうゆ?」
「これを今からいっぱい撒くんだ…ちょっと待ってて」
零士はそう言うと、ポリタンクを引きずりながら健太から離れだした。
徐々に遠ざかる零士の足跡を聞き、健太は安堵する。
頭では理解出来ないが、本能が零士を危険だと言っている。
健太は一人電気が零れる、物置部屋の前の廊下でうずくまる。
そして頭の中で鳴り響く「ぐちゅっ!」という音を、必死で頭を振り、振り払おうとした。
しかし音は消える事はない。
体の震えは最大限に達した。
健太は溜まらず嗚咽する。
鼻、口、目、至る所から液体を垂らし、頭を必死で降り続ける。
何分…いや何十分経っただろうか?
うずくまる健太の前にポリタンクを掴んだ零士が立っていた。
「お待たせ…さぁ行くよ」
零士は満面の笑顔を浮かべ、うずくまる健太の腕を掴んだ。
「ひぃ!」
健太はたまらず、小さな悲鳴を上げる。
「…早くして!」
零士の叫び声を聞き、健太は素早く立った。
日頃洋子に叱られ続けていた健太は、怒っている人間を前にすると、どのように行動すれば怒りが治まるかを心に刻みつけていた。
故に体が勝手に動いたのだ。
しかし本能は零士を危険だと叫んでいる為、健太の小さな体にぐっと力が入った。
零士は覚めた目つきで立ち尽くす健太を見つめ、子供とは思えない力で掴んでいる健太の腕を引っ張った。
健太は腕を掴まれたまま、前のめりに倒れ込んだ。
零士は健太の腕を掴んだまま背を向け、左手にポリタンク、右手に健太を握り締め、引きずりながら廊下を進む。
「…やだ!やだ!」
健太は引きずられながら、掴まれている腕を振り払おうと激しくもがく。
零士は何の感情も抱かない能面のような表情を浮かべ、前へと進み続ける。
そしていきなり掴んでいた健太の腕を離した。
「…着いたよ」
零士はそう言うと、目の前のドアノブを掴み、ドアを音も無く開けた。
そして吸い込まれるように、暗闇の部屋の中へと消えて行く。
一人残された健太は、その場から逃げ出そうと床を這う。
しかし恐怖からか力が入らない。
「ひぃ!」
健太は不意に足首を掴まれた。
恐る恐る自分の足首を見ると、部屋の中から伸びた手に掴まれている。
明りが灯る部屋から、健太を掴む腕と共に、零士の顔がすぅーと出てきた。
「やだ!やだ!やだ!」
健太は、掴まれていない方の足をばたつかせ、必死にもがく。
それでも零士は足を離す事はしなかった。
「…うるさいわね」
部屋の中からもう一人出てきた。
部屋の中から零れる光に写しだされた顔は、白い髪に包まれ、不気味さを醸し出している。
「…あなた達…何やってるの?」
顔に覆い被さっている前髪をわずかに掻き分け、院長の町子が囁く。
白髪の隙間から見える瞳は濁り、恨めしそうに健太の顔をじーっと見つめている。
怨念の籠もった幽霊。
その表現がぴったり合う町子を見て、健太は口をぱくぱくと震わせた。
零士は掴んでいる健太の足を離すと、町子目掛けてポリタンクを振り回す。
健太の鼻の奥にまで、灯油の嫌な臭いが伝わってきた。
「…何これ?」
灯油塗れになった町子は、ぽつりと零士に問い掛ける。
「…なんだろね?」
零士は楽しげに答えた。
町子は濡れたパジャマの裾を鼻に近付ける。
「…ガソリン?」
町子は首を傾げて零士の顔を凝視する。
「…はずれ…正解は灯油でした」
零士はそう言うと、胸元のポケットからマッチ箱を取り出し火を付けた。
そしてゆらゆらと燃えるマッチ棒を、町子に向かい投げ捨てる。
怯えながらその光景を見ていた健太は、まるでスローモーション映像の世界に迷い込んだように錯覚した。
揺らめく炎が町子目掛けて、ゆっくりと放物線を描きながら向かっている。
健太はその光景をまばたき一つしないで見つめた。
その刹那、町子の体はオレンジ色の炎に包まれる。
「…えっ?……うぎああぁぁぁぁ!」
火だるまになった町子は倒れ込み、ごろごろと床を転がり、悶え苦しむ。
地獄絵図のような光景から、灯油に紛れ、肉の焼ける芳ばしい臭いが漂い始める。
死に行く町子から背を向け零士は、満面の笑顔を浮かべ健太を見つめた。
「…後は僕達だけだね」
零士はそう言うと、床に転がったポリタンクを掴み健太に振りかざした。
健太は目をギュッと瞑り、頭を激しく震わせる。
「……空だ」
残念そうな表情を浮かべ、零士はポリタンクを投げ捨てた。
健太はその言葉を聞き、恐る恐る目を開ける。
健太のすぐ目の前に、鬼の形相を浮かべる零士の顔があった。
「ひぃ!」
健太は床に座った状態のまま、後ずさる。
「行くな!ここで死ぬんだ!」
零士は健太の足首を捕まえようと、身を屈めた。
しかし零士の手が健太に届く事はなかった。
燃え盛る町子が苦しさのあまりか、零士の足首を掴んだのだ。
零士は掴まれていない方の足で、町子を蹴り続ける。
その隙に健太は必死で這いつくばり、零士の元から離れだした。
零士のパジャマのズボンがメラメラと燃え始めた。
「あの子達にも火を付けた!あとは健太君!君だけなんだ!…僕等は生きてちゃだめなんだ!」
零士は動けずに健太に向かい、叫ぶしかなかった。
健太は必死に遠ざかる。
辺りは零士がこぼした灯油に引火したのか、激しく燃え上がっている。
零士の姿は火に飲まれて見えない。
健太はいも虫のように這い、無我夢中で前へと進む。
バキバキと木が燃える音が木霊する。
天井付近は真っ黒な煙が充満している。
煙を吸っているせいだろうか?
健太の意識が朦朧としてきた。
健太の本能が生きろと、叫んでいる。
健太は無意識に近い状態で、出口に近付いていた。
周りは炎に包まれ暗闇だった世界をオレンジ色に染める。
熱波が健太を襲うが、それでも前へ前へと進む。
零士の元から離れ、十五分程経過した。
出口まであと一歩。
健太の意識は完全に途絶えた。
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