鳥籠の外の戦争の影

 目を開けたら、そこはいつもの俺の部屋だった。

 ごろりと寝返りを打つ。目の前にあるのはいつもの見慣れた天井と、室内の照明を一手に担う蛍光灯。最近はもうこれでもいいやとか思ってる。LEDって室内の明かりに使うには強すぎる気がする。蛍光灯くらいがちょうどいいよもう。

 今日の晩飯は……そうだ、ナポリタンとハンバーグにしよう。野菜が足りないから野菜たっぷりのミネストローネ風スープも作って、サラダ、生野菜は嫌がるからレンジで簡単な温野菜サラダも作ろう。ケチャップ、固形コンソメ、トマトの缶詰、マルチスライサー、電子レンジに圧力鍋。文明の利器のおかげで今日も飯を作れる。ありがたや。

 そういや今日は友達も晩飯食う日だっけ。両親の帰りが遅いからって。あー、じゃあおやつとのことも考えなきゃな。ああそうだ、今日のおやつは芋饅頭だった。じゃあ今日の買い物は晩飯の材料だけでいいか。

 最近買い過ぎかなあ。でも母さん別に食費は気にすんなって言ってくれるしな。安売りのチェックとかまで出来るほど俺できた奴じゃないし仕方ないか。何かいい食材が安くなってたら、それはできるだけ晩飯に反映させよう。



 目を覚ましたら、そこは夢だった。ただ漠然とそう思った。

 ごろりと寝返りを打つ。目の前にあるのはいつもの見慣れた天井と、室内の照明を一手に担うLED照明。こいつ思った以上に眩しいんだよな。ううむ、蛍光灯に戻すか、それとも眩しいけど手元の良く見えるこいつのままにしておくか。

 このままでいいか。この部屋にはあまり戻ることなく、だいたい別の部屋で過ごすし。

 ベッドから起きて姿見の前へ行く。寝癖を確かめる。ネクタイ曲がって無いか確かめる。よし、大丈夫だ。

 最近大樹の中は部屋が増えた。俺の部屋は一番奥に押しやられて、最初に作った外への入り口がある作戦会議室まではだいぶ遠くなった。まあそれはいいさ。遠くと言っても、学校の廊下の端から端までの距離よりも短いし。

 俺が開けるまでこの部屋には誰も入れないから、まず夢の世界に来て俺がすることは、この大樹の作戦会議室に行くこと、そしておやつの用意だ。

 今日はスーパーで餅が安かったので、大量に買ってしまった。それをおやつにしよう。

 どうせだから、年末年始にしか使わない文明の利器である奴にも活躍してもらうか。

 ホットプレートは現実の世界でしまったので、夢の世界にもそれが反映されていた。同じ収納スペースに奴は眠っているから姿を見るのは今朝方ぶり。

「ワッフルメーカー」

 昭和の香り漂う猫型ロボットの真似をしながらそいつを取り出し、取り外し洗える部分は洗い、中を拭いて準備をする。どうせだったら目の前で作ってやった方がいいかな。会議室のテーブルへと乗せ、調理機器と一緒にしまってあった延長コードで台所のコンセントと繋ぐ。

 このワッフルメーカーで餅を焼くとサクサクモッチモチで美味いんだぞ、と教えてくれたのは友達だ。何でも夜中に見るともなしに見ていたバラエティでやっていたため、ぜひ作ってみてくれとせがまれんだよな。実際作ったら弟達にも妹にも好評だったし、今では年末年始の餅がよく売ってある時期の定番おやつになっている。

 さて、今日は何を入れて餅のワッフル、モッフルを作るか。昨日使った材料と同じでもいいか。あと他には何があったかな……ジャムも結構いけるし、餅だからゴマとか生姜味噌とか和風の素材も美味いんだよなあ。ちなみに生姜味噌は母さんの手作り。あ、そういえば昨日はジャコと大根葉の炒め物も作って常備菜として冷蔵庫入れてたな。あれも使おう。他には……。

「止まり木―、こんばんはー」

「今晩は、今日も早いなカナリア」

「こんばんはー、今日は僕もいちばーん」

「今晩は小鳥、お前にしては珍しく早いな」

「カナリアと競争してた」

 二人して俺の腰や首に飛びついてくる。懐きすぎだって。

 ここ一月の間、いつも一番乗りはカナリアか宿り木で、一番遅いのが小鳥か稲妻だったのだが、珍しいことに今日は小鳥がカナリアと一緒に来た。明日は雨でも降るんだろうか。いや、小鳥と稲妻が招集を掛けられてもいつも遅い理由は、二人してじゃれ合って遊んでいるからなんだが。

 今日はカナリアと遊んでいたから、時間厳守のカナリアにつられてやってきたって事か。

 夢の世界にも時間ってのは流れているらしく、世界によって時間の流れ方は違うそうだが、この空と大地の鳥籠は日本時間と同じ時間を採用しているんだとかで、会議室のテーブルには宿り木が持ってきた電波時計が置かれている。時計が差す時間は夜中の零時五十分。

「今日は他の奴らは?」

「紫煙兄さんは少し遅くなるよ。バイト入ってるから」

「ああ今日だっけ?」

 意外な事にあの紫煙は一応大学生で、自分の小遣いはバイトをして得ているらしい。コミュ障だと思ってたのに、普通の人間だった。勝手なイメージだとはわかってるんだけど、会うたびに舌打ちされてたらそう思うのも仕方ないだろ。

「うん……でも多分もう辞めちゃうなあ」

「そうなんだ」

「人付き合い苦手だもん」

 ああ、やっぱりそうなんだ。少し悲しげなカナリアの声。あいつが煙なのって、たぶん自分に触れてほしくなくて、人を煙に巻く癖があるからだ。態度は辛辣だけれど乗りがいいと言うか、冗談や人を茶化して真剣な話から逸らす事には積極的だからそう思う。

 その分、本当に、真っ向から人と向き合うのは苦手なんだと思う。

「だろうな」

 カナリアはそんな兄に、もう少し自分の声を届けたいと思っている節がある。そして花の枝は、そんな上二人に、もっと自分を見てほしい、出来れば愛してほしいと思っているようだ。だから人の敵意を逸らして、愛でてもらえる花を咲かせる。でもそれは時々棘を持っているようで、花の枝は自分を攻撃する相手には容赦が無いらしい。あいつ何でか俺に懐いてるから攻撃されたことないけど。むしろ紫煙の前で俺にわざと甘えて、俺が紫煙に睨まれることが多いんだけど。っていうかカナリアも俺にくっつきたがるし、俺が紫煙に睨まれてるのって、もしかして二人の所為なんじゃないか?

「ユメトは宿り木と一緒に昨日壊したとこの修理中」

 そういえば昨日の戦いの跡、何か所か石畳が浮いていたらしい。

「あー、ごくろうさま」

 相変わらず宿り木は働き者だなあ。あいつがいるからユメトもきっちりユメビトとして仕事するんだろうな。逆に言うと、宿り木いないとユメトポンコツ。

「止まり木―! 小鳥―! 大変だ!」

 ダンと外で大きな音がして俺達は会議室から飛び出した。何故か上下逆さまで大樹にもたれかかる稲妻。額が赤くなってるってことは、大樹に頭から突っ込んでひっくり返ったって事だろうか?

「うわ、いきなりどうしたんだよ稲妻!」

 ひっくり返る稲妻の手を取り助け起こし、赤くなった額に手を当ててやる。ほんとこいつ丈夫だよなあ。普通高速で硬いものにぶつかったら、もっとひどい怪我とかするんじゃないか?

「敵襲敵襲! 小鳥とカナリアと止まり木連れて来いって宿り木が!」

 天地が元に戻った途端、稲妻は躾の悪い犬のようにキャンキャンと吠えだす。耳元で叫ぶな煩い。けれどその言葉はかなり切羽詰まった物で、稲妻の言葉を聞いた小鳥とカナリアは緊張に顔をひきつらせた。

「分かった……花の枝とサユは?」

 多分今一番落ち着いてんのは俺だから、俺が話を進めてやらなきゃこいつら混乱する。

「その花の枝が襲われた!」

「花ちゃんが!」

 カナリアの顔から血の気が引く。でもすぐには動けないみたいだ。

「止まり木は僕が運ぶから稲妻とカナリアは先に行っといて」

「う、うん」

 小鳥に声を掛けられ、ようやくカナリアはウィンドブレーカーの袖を翼にすると、ふらつくように飛び立ち、稲妻もそれに続いて駆け出した。

「行こう止まり木」

「待ってくれ、なんか食いもん持って行くから」

 小鳥もすぐにそれを翼にするが、俺はそれに待ったをかけ室内へと取って返した。

「……入れ物……これでいいか」

 自分の部屋へと走り込み、普段は学校へ持って行くのに使うバックパックをひっくり返す。それを持って台所へ走り込み、おやつ専用の棚を漁る。ちょっと多めに買っておいた飴とファミリーパックのお菓子をいくつか。それと箱で買っている母さんの朝飯代わりの小さな紙パックに入った野菜ジュースを半ダース。それらを詰め込んだらそこそこの量になった。

「支度できた?」

「ああ」

 大樹の外へと戻ってきた俺の肩に脚をかけ、小鳥が掴み上げる。初日にも感じたんだが、随分と軽々と持ち上げられて、しかも俺の体にはほとんど負担が無い。

「ちょっと重いね」

「悪い。でもこれあった方がいいだろ?」

「うん、ありがと」

 小鳥は素直に礼を述べる。その笑みはどこかぎこちない。目に涙だって浮いている。突然の敵襲に小鳥も戸惑っているのだ。ゲームでも、セーブをせずにいきなりイベントが始まったら、絶対にテンパってしまうもんだろ? 俺のこのバックパックの中身は俺がとっさに用意できたせめてもの回復アイテムだ。

「ユメト……無事かな?」

「無事だろ、ユメトだし」

 不安に震える小鳥に、俺は至極当間の様にそう返す。すると小鳥は少しだけ口の端を緩めてくれた。


 人魚姫の噴水がある広場に、学生服を着た集団が集まっていた。数は全部で二十人ほど。中には女性もいるようだが、全員学生服だ。それぞれ手には昨日見た礫が飛び出すステッキのような物や竹刀、競技用薙刀のような物、分銅付きの鎖、サイリュームとも呼ばれるケミカルライトのようなものなど、とにかく何かしらの道具か武器のような物を持っているようだ。

 そしてそれに対峙するのは、十数人のとりどりの服、と言ってもごく普通の日本人が好んで着るような洋服を着た人達。手に物を持っている人もいるにはいるけど、こちらは箒とかペットボトルとか、日常的に家とかに置いてありそうな物ばかり。その普通の集団の後ろで少し高い位置に陣取って学生服集団を見据えている宿り木がいた。っていうかその足元の積み上げた木箱どうした? ワインって書いてあるんだけど。

 小鳥は三階建ての建物の屋根の高さくらいを飛んでいたが、宿り木を見つけると積み上げられた木箱の足下へと俺を降ろした。

 今日の宿り木は長袖のセーラー服にポニーテールと大きめのリボンだ。襟やスカートの色は紫で、スカートには碇の刺繍と黒のレースがふんだんに使ってあるが、いつもの格好に比べれば大人しく見える。結構可愛いなこれ。

「で……これどんな状況だよ」

「睨みあってんのよ。やっと来たわね小鳥! 止まり木!」

 苛立つ宿り木の声。視線は学生服集団から外さないまま。

「悪い、ちょっと食いもん持ってきてて」

 チラリと俺と小鳥を見やる宿り木。大きなため息を吐くと、宿り木は声を和らげる。

「気が利くじゃない。負傷者はあっちに寝かせてあるから、花の枝の指示に従って、食べ物を与える人と、手を握ってやるだけの人、判断してもらって。小鳥、ユメトはあっち。無事だからそんな顔しない」

 負傷者はあっちと指差したのは、ドイツ風の建物の一つで、大きなバルコニーとバルコニーの柵いっぱいに飾られたベゴニアの花がやたらと華やかな印象だ。バルコニーにはでっかいクリーム色の熊のテディベアまで飾ってありいかにもメルヘン。

 ユメトはあっちと指を指したのは、そのメルヘンな建物から少し学生服集団側に寄った場所で、確かにいつもの格好のユメトが、眼鏡にひっ詰め髪の男物のネルシャツジーンズと、色気はないが清潔そうな格好をした女性と一緒に立っていた。こちらに気が付いているのか、一瞬視線を向け手を挙げた。でもすぐまたネルシャツの女性と一緒に何か話し出す。小鳥はそんな顔と言われるくらいには、眉毛が下がっていて泣きそうに見えた。

「行ってらっしゃいよ。ユメトと懊悩は今あいつら留めてるけど、あんたが来たんならもう大丈夫だろうし」

 宿り木が木箱から降りようと身を屈めたので手を伸ばす。素直に俺の手を取ってくれたので、そのまま脇に手を伸ばし抱えて降ろしてやる。

「お前は? 怪我してないか?」

「あたしは平気よ。ああでも」

 いきなり宿り木が抱き付いてきた。柔らかい、温かい、なんかいい匂いするし。ちょ、流石にこれはやめてほしい。以前宿り木に抱き付かれたいとか思ったことがあるが、実際にやられたら俺の心臓ヤバイ。

「うわ……」

「これでいいわ。これが一番効くわね、やっぱり」

 回復行動だってのは分かってる、分かってるけど……。

「なあ……」

「詳しくは花の枝に聞いて」

 抱き付くだけ抱き付いたら、状況は芳しくないのと、俺を無視してユメトの方へと行ってしまう宿り木。ひでえもう少し何か説明してからにしよろ!

 仕方ないのでメルヘンな建物の中へと入る。中はかなり広いホールで、カウンターのような物と、待合室の様な長椅子があった。右奥に階段があり、一階には誰もいないようなのでその階段を上がる。

 小さめのホールと廊下があり、廊下には等間隔で六つの部屋が並んでいる。これってもしかして……ホテル?

 部屋の扉には番号が金のプレートで掲げられている。

 左手の部屋の扉が前触れもなく開いた。

「花の枝?」

 見覚えのある白いニットに名前を呼ぶと、花の枝は涙に濡れた顔に笑顔を浮かべた。襲撃されたって聞いたけど、案外元気そうだ。

「ああよかった止まり木、こっちへ来て、何か食べ物持ってる?」

 花の枝に呼ばれて部屋に入ると、そこには六つのベットがあり、ベッドにはそれぞれ人が寝かされてい。皆十代から二十代くらいで、うち何人かは怪我をしているのか血で服が汚れていた。

「ああ、いっぱい持ってきた。どうなってるんだ?」

 花の枝に手を引かれ、一番重傷だと思われる男の前に連れていかれる。その男の肩には大きな穴が空いていた。

「昨日のあれ、僕達の戦力を量るためだけの囮だったみたい。あ、その傷口に触れてあげて、それだけで治せると思う」

 思うって……そんな不確かな。でも他に方法が分からないので、俺は言われた通りに男の肩に手を置き傷に触れる。血がぬるぬるして気持ち悪いし、気分が悪くなる匂いだ。男は意識が無いのか、俺が傷口を直接触っても目を覚まさない。

 昨日小鳥やカナリアの視線で見た光景を思い出す。これはもしかしたら、あのステッキの様な飛び道具で出来た傷だったりするのだろうか。俺が触れた場所に、生暖かい肉が盛り上がる感触があった。

「あ、まじで塞がった」

「さすが止まり木……あとは気を取り戻したら、止まり木が何か食べ物手渡してあげて」

「お前じゃ駄目なの?」

「僕じゃ効果薄いの……」

「分かった」

 まあ俺は回復役専門だし、ここは従うしかないだろ。

 他の奴らは最初に肩に穴が空いている男ほどひどくなかったようで、足に穴が空いている奴もいたが、それも止まり木が触れればすぐに塞がり、あとは打ち身や擦り傷ばかり。寝かされてるのが申し訳ないと謝ってくる者もいたが、一通り手を握った。時間にして五分も経っていない。

「なあさっき言った囮って……もしかしてあの学生服集団」

 ちょうど持ってきていた野菜ジュースが怪我人の人数分だったから、気を失ってる男意外全員に手渡しながら花の枝に問う。花の枝には飴を渡した。

「うん、今回が本格的な侵攻ってこと」

 ならば昨日の五人は偵察で、丸一晩こっちの町中に転がされていたらしいが、それでも向こう側の人間に連絡を取り合っていたってことだ。どうやってと考えると、すぐに思い浮かんだのは、結局何もできずに最初に小鳥にやられた一人と、最後に稲妻にやられていた一人。最初にやられたやつはステッキを持っていたので攻撃要員だったのだろう。

「あの正体不明の奴か」

「そうだと思う……」

 俺達の話を聞き「昨日も来たの?」と、不安げな中学生程の少女に、花の枝が「僕達強いから大丈夫」と慰める。

 でも……。花の枝に耳を寄せ訊ねる。

「今日は紫煙はいないんだよな?」

「うん……来ても、二時近くなると思うよ」

 二時……まだ一時間はあるな。いや、ここで弱気になったらダメだろ。

「逆に言えば、二時過ぎたら援軍の可能性って事だ。俺と宿り木と紫煙の力を使えば、非力だけど手数だけは増やせるだろ? あと昨日の戦闘見てて思ったんだけど、多分夢の世界での戦闘になれていない奴は、見た目での精神攻撃も効くと思う……紫煙が来たら煙で敵の陣中に大量の目玉とか口を出現させてみるといいと思うぞ」

 攻撃手段として使い勝手が悪くても、精神に訴えたらどうだろうか。提案してみると、花の枝は引きつった笑いを浮かべ其れはえげつないねと肩をすくめる。

「……ホラー映画みたいなビジュアルになりそう」

「むしろそれ狙ってんだよ」

 にいっとわざとらしく下衆笑いをしてみれば、花の枝が小さく噴き出す。

「いいね。ちょっと心に余裕持てたたありがとう止まり木」

 ん、そりゃあ良かった。

「ところでサユは?」

「現実世界で兄さん待ってもらってる。あいつは人の脳波に少しだけど干渉できるから、兄さんの寝つきをよくしてもらう」

「ああなるほど」

 現実の世界に干渉できるって便利だな。

「詳しい戦況とかわるか?」

「残念ながらわからない。僕よりも宿り木の目を借りて」

 花の枝はバルコニーへと繋がるガラス戸を押し開ける。バルコニーには外からは見えないほど大量の花が敷き詰められていた。ああ、もしかしてこれって花の枝の、攻撃されにくくなる花か? 踏んで歩くしかないほどの大量の花。名前がわかるのはバラ、コスモス、ユリ、アジサイ、菊? ん? ガーベラ? マーガレット? あ、この薄紫はミヤコワスレだな、母さんが好きな花だ。他にもダツラとかキキョウとかカンナとかカスミソウとかクレマチスとか……男のくせに花に詳しいとか思わないでくれ、好きなゲームの登場人物が花だったから何となく覚えちゃったんだよ。好きだよ悪いかよ。この歳でゲーム好きで悪いかよ。

 誰に向かってむきになってんだろ俺。

「ユメト、小鳥、カナリア、稲妻もいるな」

 バルコニーからは広場が良く見えた。ここが本当にホテルだってんなら、結構上等な立地のホテルだよな。でも、こうやって睨みあいのただ中にあるって、けっこうやばいんじゃなかろうか。

「基本的に戦闘に参加するのは彼らくらい。普通は戦いたいから夢を見るって人はいないもの」

 ただ今は急な襲撃に、自衛のためこうして手に手に武器とも言えない武器を持って集まっているらしい。この夢が好きだから、壊されたくないと思っているんだそうだ。

「だよな。でも、だったら何で向こうはこんなに人数が?」

 二十人もの人間が、皆そっくり同じ格好して武装して乗り込んでくるなんて、そんなに血の気の多い奴らが集まる夢だったのか?

「道具を作れる人がいるんです。ほら、喧嘩は苦手でもエアガンくらいなら撃てる人ってのはいるでしょ?」

 エアガンと聞いて思い出したのは昨日の光景だが、さっき見た肩に空いた穴はエアガンでは済まされるものじゃあない。

「ああ昨日の変な棒……ん?」

 え? 今喋ったの、花の枝じゃないよな。何か女の人の声だったし。振り返る。けが人は室内から出てきてはいない。それぞれに野菜ジュースを飲んだり、調子のよくなった体を動かしたりしているだけ。

「棒だけじゃないみたいだけど、あんな感じの物がいっぱいあるっぽいねえ。多分あれはユメビトが作ったんです。ほら、あの学生服の中に、眼鏡の髪の毛フワッてした女性いるでしょ? あの人が作るの上手いんですよ、変な道具」

 まただ。また知らない女の間延びした声。

「今喋ったの誰だ?」

「え? 熊さんじゃない?」

「え……」

 熊って……クリーム色のテディベア?

 バルコニーの飾りだと思っていた熊が、ゆるりとした動作で俺の方を振り返る。動いた。

「どうも、熊です。旅人やってます。今回はたまたま巻き込まれて誤射されたので、ムカついてこっち側にて参加させていただきます。よろしくお兄さん」

 ぐっと目を細め、口を開いて笑って見せる。多分種類的にはヒグマとかそういう類の大型の熊。口の中が見えたけど、ちゃんと牙があって舌があって、赤い肉色の口。着ぐるみとかじゃなくて本物の熊だ。

 食われるとは思わなかった。見た目は完全に熊だが、西洋建築のバルコニーの上で花に塗れてお座りしてるクリーム色の熊は、人食いの獣と言うよりも、絵本から飛び出してきた森のお友達だったからだ。

「しゃ、喋った……」

「まあこの人見た目は熊だけど、ちゃんと人間らしいから」

 だから大丈夫だよと花の枝が苦笑する。

「マジか……」

「マジですよ。あ、そろそろ始まるみたい」

 熊さんは視線を俺から広場へと戻す。

「え……あ」

「止まり木さんでいいんですっけ? はいはい、ただいまより熊さんによる戦闘実況と暮れなずむ街の弱点暴いちゃおう講座が始まるよー」

「は?」

 間延びした棒読みのような声で熊さんが突然饒舌に喋り出す。

「熊さんはこう見えてベテランの夢の旅人です。他所の夢を行ったり来たりしながら定住先を決めずに行動しております。のーで、色んな夢の国とユメビトに詳しいのです!」

「はあ……」

 ああ、そういえば旅人とか言うのがいるってユメトが言ってたな。

「今回はたまたま居合わせて誤射されたから、まじムカつくわあってことでこっちに付く。ことにしました。ちなみに、彼らを足止めしているのは懊悩さんと呼ばれる方です。真面目が過ぎて思い悩み過ぎるので、それを夢の中で発散しているようです。

 懊悩さんのテリトリーにいる間は、悩みが膨れて身動き取れなくなるほどですが、懊悩さん自身も悩みに押しつぶされそうになるので、持ってせいぜい三十分強」

「ああ、だから睨みあってたんだ」

 すでに怪我人も出ているのに、何故か敵の学生服集団と睨みあっているだけだったので、ちょっと不思議に思っていたんだ。

 誤射されたと示す熊さんの尻には、なるほどまるで漫画か何かのような白いガーゼがクロスして貼られている。こりゃ怒るわ。可哀想だったのでバックパックからキノコの形をしたチョコレート菓子の小袋を渡してやる。両手で受け取る熊さん。ちょっと動きが可愛いかもしれない。

「熊さんはタケノコよりキノコ派なので貴方を称賛します」

「俺は両方美味しく食べる派です」

「おお、平和主義者万歳」

「ありがとうございます。で、弱点って?」

 見下ろす広場で動きがあった。それまで手に手に武器とも言えない武器を持っていた普通の服の奴らが散り散りに走り出したのだ。代わりに学生服の集団を取り囲むように地面から無数の手が生えてきた。うわ、気持ちわるい。

 ボッと障子を突き破る様な音がして、俺の腰のあたりにも女の手が生えていた。あ、なんかこれ覚えがあるぞ。確かあれだ、一月前に初めてこの夢の世界に来た時に、宿り木が俺に寄生して、そのせいで小鳥が不利になったんだったか。これが俺にくっついている限り宿り木は無尽蔵に自分の手足を生やすことができるはずだ。でもその力は喧嘩慣れしていない女の物だから、そんなに足止めにはならないんじゃないだろうか。

「彼らは烏合の衆なのです」

 チュインチュインと連続して聞こえる金属音。ブオンと風が呻る様な、ライトなセイバーを振るうような聞き覚えのある音。パンとゴム風船が破裂するような乾いた音。

 それらが幾重にも重なって広場から聞こえてきた。

「だから恐慌状態になると同士打ちをするのです」

「ああ、なるほど」

 宿り木が生やした無数の手はよくある夏の海の定番ホラーの様な見た目で、しかもそれが意思を持って自分達の足を掴んでくるものだから、学生服の集団はその恐怖から混乱をきたし、お互いの足下に向かって攻撃をしてしまったらしい。何人かが蹲り呻いていた。

「でも全員じゃないな」

「ええ、もちろんそうですよ。戦い慣れしてる人がどの夢にもいるもんです。

 今回はユメビトさんが直接出張ってますし、その人押さえた方がいいですねえ」

 そういえば、眼鏡の女がユメビトだって言ってたな。

「残ってるのは十二人かな」

 花の枝もバルコニーから身を乗り出して数える。

「なあ、ここって大丈夫なのか?」

「昨日のこと気にしてるんなら、大丈夫だよ。僕の花を見たり匂ったりして意識することがあれば、それだけで効果は出るんで」

 なるほど、昨日攻撃を受けたのは耳がいいっていう能力を持ってたやつだったからな、煙に巻かれ見えてはいないし、匂いだって届く範囲ではなかったんだろう。

「あ、小鳥さんちょっと焦り過ぎですねえ。まだもう少し数を減らさなきゃ、単体での突入は厳しいでっす」

 熊さんの言葉に再び広場に目を向ければ、小鳥が単身学生服集団に飛び込んでいくところだった。何人分かのステッキが小鳥に向けられ、チュインと金属音がし、小鳥の青い輪郭が倍以上に膨れ上がる。攻撃を羽に受け流した結果だろう。突然目の前の敵が羽に覆われ消えたことに驚いてか、小鳥の近くにいた男が何度か連続して羽の中に向けステッキの礫を飛ばした。礫は羽をすり抜け別の学生服に命中する。また同士打ちか。その頃には小鳥は既に再び上空で、別の一人に向か急降下をしていた。けれど男はすぐに小鳥に気が付き手にしたステッキを構える。小鳥の羽がまた派手に舞い散った。

 おもむろに熊さんが立ち上がり何かを投げる。それはただの紙飛行機のように見えたが、奇麗なカーブを描きながら学生服の集団の傍まで飛んでいくと、急に激しく燃え上がった。小さな火球が突然降ってきたことにとりみだす学生服集団。熊さんは一体何をしたんだ?

 学生服の集団がそちらに目をやる。小鳥が学生服の男を一人空へと攫う。そのまま他の学生服にたたきつけるように放り出した。

「ありがとう!」

 小鳥が叫ぶ。熊さんはまるで何でもなかったかのように座り直して観戦に戻る。

「今のって……」

 チュインチュインと激しい金属の音は続いている。小鳥だけが直接攻撃を仕掛けているのかと思ったら、学生服の集団の傍で、稲妻が打ち出されるつぶてを避けながら肉薄していた。でも単純な肉体攻撃しかできない稲妻は、一度学生服の誰かに近付いても、すぐに離れて礫の当たらない距離まで下がるしかない。あの飛び道具厄介だ。

 カナリアは小鳥のようにダメージを受け流すことはできないらしく、ただ高い場所から戦いを俯瞰しているらしい。それを宿り木やユメトが見て戦況の把握に役立てているのだろう。

 こういう大人数戦こそ、紫煙の攪乱が役立ちそうなんだけどな。

「キノコのお礼。小鳥さんのこと心配してるみたいだし」

「え? ああ、いや……巻き込んだお詫びだし」

「それおかしくないです? 止まり木さんが巻き込んだんじゃないのに」

 ぐるりと首を傾げ、熊さんの大きなドングリのような目が、じっと俺を見つめてくる。

「確かにそうなんだけど……あいつらとは、友達とか、身内みたいなもんだし」

「お人好しっすなあ。んじゃ、お詫びに貰っときます。さっきのは貸し。貸しのお礼はこれが終わってからってこって」

「分かった……」

「熊さん今日よく喋るね」

 花の枝が話しかけるが、それには反応を返さない熊さん。

「この人ね、他人が苦手だからあんまり喋んないんだよ」

「いや、めっちゃ饒舌だったけど」

「何でだろうね」

 本当に何でだ。熊にまで懐かれたんだろうか。起用に爪で摘みながらキノコの形をしたチョコ菓子を口に運ぶ熊さん。動物特有の感情の読めない目からは、この人が何を考えているのかは分からなかった。

 広場へと目を移す。学生服の集団は確実に自分達を地面に縫いとめる宿り木の手を排除しているようで、稲妻や小鳥へ向けての攻撃をする人間が増えているようだ。最初にぐっと減らしてはいたけど、それでも十人以上だしな。カナリアが傍観をしていた屋根の上から立ち上がり、今にも飛び降りようとしている。

 そういや宿り木とかユメトは何処だ? 逃げ出した群衆に交じって姿を見失ったようだ。

 今カナリアが飛び出して行っても、あの礫を放つステッキにやられるだろ。

「今動けるのは、十三人くらい? 動ける奴増えてる、やばいね」

 花の枝が綺麗に磨かれた爪を噛む。

「広場から散り散りになられたら困りますねえ」

 まるで困っている風には聞こえない熊さんの声。でも確かに、今はまだ宿り木が足止めしているから学生服集団は広場で小鳥や稲妻と交戦しているけど、もしその足止めが効かなくなったら、あいつらきっとばらけて宿り木やユメトを探し出すだろう。直接ユメビトが来ているようだから、ユメトがあいつらに捕まったら、きっとこの場でユメビトに捕食される。宿り木たちの姿が見えないのは、それを分かっているから、ユメトを隠しているのだろう。

「あのユメビトさえ、見失わなければ、今日いきなりこの国が無くなるってこたあないと思いますけどね」

「ユメトが食われさえしなければってことですか?」

「そそ、ユメトさんがあのユメビト、ラムさんっていうんですけどね、彼女に食われないように見張ってさえいれば、今日だけは凌げますよ」

 なるほど、だが今日は凌いだとしても、明日は? 明後日は? 昨日は襲撃があった後扉を閉じたと言っていたが、それがどうやら意味をなさなかったらしく、こんなにも激しい襲撃を受けている。今日をしのいだとしても、明日も同じ人数がこの夢にやってくるんだとしたら、そう簡単単に終わる話ではないのではないだろうか。

「じゃあ明日は?」

 花の枝の質問に、熊さんはうーむと唸って大きな前脚で顎を撫でる。

「夢の国だし個々の人間を出入り禁止にはできるけど、多分ラムさん他人の扉をこじ開ける方法を持ってるっぽいんですよねえ。だからまた明日以降も人が来ると思うけど、一旦痛い目を見ると、所詮夢だし必死になる必要ないよね、って考える人も多いから、数は減ると思う」

 所詮夢だし、っていうのは、俺が初日に散々思ったことだから共感できる。

「減るだけ?」

「減るだけ。わざわざユメビトまで出張ってきてここを侵略しようとしてんのはのっぴきならない事情があるから。だって自分達の方の弱点も連れて来てるようなもんだから」

 ああそうか、ユメトが食われるかもって心配をしていたけど、逆に向こうのユメビトをユメトが食う事も出来るのか。でもユメトはそういうことしそうにない奴だ。一月の間に聞いた話で、ユメトや小鳥がどこかの国に攻め入りたいとか、他に力が欲しいから誰かを犠牲にしたいとかは考えている様子はないと思う。

 学生服を着た集団の中に、熊さんが言っていた眼鏡をかけた女性を探すと、多分あの人だろうと思える人物が一人いた。胸が大きい。遠目だけど結構な美人に見える。

「あいつ捕まえれば……勝ちかな?」

「ラムさん?」

「そう」

 あのユメビトさえこちらで確保すれば、ユメトが食われることもないし、ユメビトに手を出されたら困るだろう学生服集団は大人しくなるかもしれない。

「でもどう見ても、守られてるよ」

 花の枝は難しいのではないかと眉根を寄せる。ラムというユメビトは学生服の集団のただ中に居て、宿り木の生やした手すら掠る事はない。ラムの周囲は四人が囲い、本当に守っているっていうのが俯瞰で見て分かった。

「それに僕達には攻撃の手段が無いよ」

「あのステッキみたいなの、拾えないか?」

「あれ……何なんだろうね」

 竹刀や薙刀、分銅付きの鎖は、見ている限り変なギミックとかはついていないようなんだが、金属の礫を放つ謎のステッキ、それとサイリュームがどうも現実には存在しない武器なんだと思う。ステッキが礫を発射できるのは連続じゃないが、それでも一分もしないくらいで次の弾を打ち出しているし、玉切れをしている様子も無い。サイリュームの方はどうなっているのか、光の刀身が触れるだけで宿り木の生やした手がさらりとチリとなって崩れている。最初から宿り木対策として用意してきたのだろう。このサイリュームの所為でもう宿り木の生やした手はだいぶ数を減らされてしまっている。

 ついに何人かの学生服が、広場から離れてユメトを探しに町中へと走り出す。

「あとは……ユメトさんの持久戦。逃げ隠れて朝になるのを待って、次の夜が来たらまた逃げ隠れ……。多分暮れなずむ街はまだいくらでも戦力補充できますよ。あの変な武器は無尽蔵にあるから」

 熊さんが何でもない事のように言ってのける。

「何でだ? あの武器が何なのか知ってんのか?」

 そういえば熊さんは自称物知りだ。

「想像は付きます。多分暮れなずむ街の誰かが考えて作った、隠し銃ってやつを、複製して作ったもの。そういう物資を作る事が、ラムさんの得意分野だから」

「そういう特異分野があるのに、わざわざユメトの力が必要なのか?」

 夢の中にしかないような物を作る事が出来るんなら、こうやって異国風の町並みを再現できるだけのユメトなんかより、よっぽど便利そうなのに。

「物資があっても要塞が無けりゃ戦争は上手くいかんのです。暮れなずむ街は夢の主人の記憶にある古い町並みのみしか再現できていないから、きっと他の夢の世界と戦うのに、要塞が必要になったんだと思いますよ」

 他の国? って、まさかいまこの空と大地の鳥籠と戦ってるのは、本当の目的じゃなくて、目的のための手段だって事か? それだけのために人を傷つけたり、ユメト食おうとしてるって?

「戦争の準備のための戦争って……事か? あいつらもどこかから攻められてるって?」

「そう。宣戦布告を先に受けたのは、暮れなずむ街の方なんです。今は防戦をしているようですけど、何時相手側からの侵攻が激しくなるか分からないから、それに備えるためにこの世界に目を付けたんじゃないかなあ」

「あんたそれ知ってたのか?」

 やけに詳しいのは、物知りでは済まないのではないだろうか。思ったことを口にしただけだったんだが、熊さんにとっては違うように聞こえていたようだ。

 熊さんは少し言いよどんで、表情の見えないドングリのような目を真っ直ぐ俺に向ける。

「はい、知っててここに逃げてきたんですよ」

 すぐに逸らして、自分の腹に鼻先を押し付けるように熊さんが体を丸める。巨大な毛玉状になった熊さんは、もごもごとくぐもった声で呟く。責められていると感じたんだろうか。

「……卑怯でしょ?」

 もしかしなくても自分が逃げ出したことを申し訳なく思ってたりするんだろうな。拗ねているのか怯えているのか、とにかく熊さんは今自分を人に見られたくない、って思うくらいには卑屈になっているようだ。面倒臭いな。そんなんだから人間嫌いが高じて獣になるのか? 多分根は真面目な人なんだと思う。

「いや……他人の争いに巻き込まれたくないって思うのは、卑怯じゃねえよ」

 これは俺の本心。だいたい熊さん見た目は熊でも、中身は女性らしいし、普通他所の喧嘩に首突っ込みたいって思う方が少ないと思うぞ。 自分を責めるのはお門違いだろ。

「僕も止まり木に賛成。逃げるも何も、熊さん元々旅人じゃないですか」

 熊さん背がぶるぶると震える。

「どうも……あの」

 ありがとうと言いたいのだろうか。でもここでありがとうは違う気もする。涙声のまま熊さんはさらに続ける。

「今のお礼。ステッキ、一本だけなら拾ってきますよ?」

「は?」

 え? いや、確かに俺はあれを拾ってこれたらいいなとは言ったけど、別に本気で言ったわけじゃなかったし。それに女性一人あんな危険な場所に行かせるわけには……。

 まだ広場ではチュインチュインと金属音が響いている。稲妻が学生服の一人を引っ掴んで礫の届かない範囲まで引きずってくると、その場で殴り合いをして相手を沈める。小鳥がそんな稲妻にステッキを向ける別の学生服に思いきり蹴爪を引掻け引き倒す。さらに別の学生服が竹刀で小鳥に殴りかかると、小鳥は羽をまき散らしながら地面を転がって避け、再び空へと飛び上がる。一人戦闘不能にするためだけでも、稲妻と小鳥は疲弊しているのがわかる。時々カナリアが超音波のように甲高い、悲鳴じみた声を上げ、学生服たちの一瞬の気を引くが、それも四回を超えたあたりからあまり効果がなくなっているようだ。

「危険ですよ」

「この毛皮、分厚いんですよ。だから平気」

 しかし熊さんは俺の方を見ることも無く言うと、丸めた体を撥ねるように起こし、尻に貼ってあったガーゼを剥がし、バルコニーの上に立ち上がる。

「花の枝君の事も無視しちゃいましたし、そのお詫びも兼ねて」

「え、いいよ別に、熊さんが人と話すの苦手ってのは有名だし。無断で写メったから怒ってるんだと思ってたし」

「そんなことしてたのかお前」

 他人嫌いを無断で写メったら確かに怒るだろうな。

「熊さんも、たまには人の役に立ちたいのですよ」

 そう言って熊さんはバルコニーの柵に手をかけ、そのまま身を乗り出して転がり落ちる。ってえええええええええ、いやいやいや、今思いっきり落ちたよな? ぐしゃって、顔面から……。

「ひ……っ……」

 ほらあ、思いっきり見てしまった花の枝が引くほどだ。広場にいた学生服の奴らも、何人かはバルコニーから墜落した熊さんに気が付いたらしく、びくりと身をすくませたりしている。痛そうだったもんな。テレビとかである衝撃映像系のアレを、間近で見ちゃったもんな。

「くまさあん?」

 ああ、どうやら熊さんを知っている奴がいたらしい。学生服の集団の中から、ちょっと心配そうな声がかかる。

「いっだあああああああああああああ」

「痛いですよねそりゃあ」

 思わず叫んだ俺に、学生服の集団が眼を向ける。あ、これ大丈夫か?

「痛いですよ痛いです! それもこれも巻き込んだ人の所為です! ラムさんのバカああああああああああ」

「ええええ! ちょ、勝手に巻き込まれといて馬鹿はやめてよ熊さん」

 どうやら熊さんを心配して声をかけたのはラムだったらしい。二人は顔見知りなのか。熊さんはここに来る前までは暮れなずむ街にいたらしいから、おかしくはないが。

 びゃあびゃあと泣きわめきながら熊さんは当たり前のように宿り木の生やした手を踏みしだき、その巨体でラムに詰め寄る。その際手近に落ちていたステッキを拾い上げると、まるで子供が拾った木の棒を振るうように、ぶんぶんと玩具の様に振り回す。

 ラムを囲む四人がびくびくと身を竦める。熊さんに攻撃をしないのは、熊さんがラムと知り合いだからだろうか。

「馬鹿じゃないですか! 誰か知んないけど熊はこれでケツ撃たれましたよ! めっちゃ痛かったし、痔になったらどうしてくれるんですかあ。まだ結婚もしてないのに」

 びゃあびゃあと喚く熊さんの声は俺達の方にも聞こえてくるが、ラムの声はさすがに心配して声をかけるために張り上げない限り、ここまで届くことは無いようだ。

「結婚したら痔になってもいいのかな?」

「そういう事じゃないと思うぞ」

 花の枝はあっけに取られているようで、的外れな一言を呟いてぼんやりと熊さんの狂態を見ている。

「もう! まったくもう! これはボッシュートしますからね! もう絶対熊の事撃たないでくださいね! 熊撃ち駄目、絶対! マタギさんゴーホーム! 撃っていいのは人を襲う熊だけです!」

 叫びながらさらに周辺に落ちてたステッキを二、三本拾って、太い前脚でむずと掴んだまま後ろ足で立ち上がり、のっしのっしと二足歩行で俺達のいる建物へと戻ってくる。あまりにも唐突で力技過ぎるそのやり口に、俺達は言葉も無かった。っていうか、小鳥や稲妻も今の熊さんの奇行に驚きすぎて動き止まってんじゃねえか。

 熊さんの尻をずっと眺めていた学生服集団の内、ラムを囲む四人が真っ先に正気を取り戻したようで、ラムに向かい何かを話しかける。ラムは大仰に頷き指示を出したようで、学生服集団の狙いが稲妻一点に集中する。気が付いた稲妻が逃げようと走り出す。攻撃と離脱を何回も繰り返し、すっかり疲弊していたのか、稲妻は足を縺れさせ倒れる。そこに駆け寄る学生服の男。稲妻の額に竹刀を突きつけ、稲妻は観念したというように両の手を挙げた。こちらの戦力はもう小鳥とカナリアだけ。小鳥はまだ羽をまき散らしながら一撃離脱を繰り返している。

「うわ、戦況悪化した」

「したな……遅かれ早かれだったと思うけどな」

 熊さんの動きがあろうとなかろうと、もう稲妻は限界に来ていたようだったし。

「これ、ステッキ一本あったくらいじゃ状況変わらないんじゃ……」

「かもしれないな……」

 ここからステッキを使って礫を飛ばしても、多分広場にいる奴らには当たらない。当たっても、何処まで効果があるか分からない。

「人によって、大ダメージのある人と、殆どダメージの無い人がいるみたいだし」

「え、そうなの?」

「そうだろ、だって中で寝てたやつ、肩吹っ飛んでたのに、熊さんは痛かっただけなんだろ?」

 指摘されてそういえばと花の枝が納得する。室内を見ると、ちょうど件の肩に穴が空いていた男が目を覚ましたようだ。俺は野菜ジュースを持って男の元へ。

「大丈夫か? これ、飲めるんだったら飲め」

「……すみません。助かります」

 素直に受け取ってストローを刺しジュースを啜る男。こいつ結構筋肉ムキムキなのに、あんなにひどい怪我を負わされるなんて……ステッキでダメージを受ける奴ってのは何か条件があるんだろうか?

「なあ、どういう状況であんたやられたのか覚えてるか?」

 状況と、出来れば自分がどんな怪我の状態だったかも教えてくれと頼むと、男は少し震え、唇を噛んで俯いた後、覚悟を決めたように口を開いた。

「ええ、覚えてます。突然俺の家の物置のドアが開いて、あいつらがなだれ込んできたんです。暮れなずむ街との戦争の事は聞いていたし、これはヤバいなと思って外に助けを呼びに出たんですけど、声を上げる前に肩に何か硬いものを押し付けられて、丸で腕が吹っ飛んだんじゃないかってくらいの衝撃があって、血が噴き出したのは見たんですけどそこで気を失ったんです」

 つまり。零距離だと人の肉や骨を吹っ飛ばせる威力があるって事か。よほど怖かったんだろう、男は震えている。肩を撫でてやると少しだけ安心したように口元を緩めた。

「他の奴らは?」

「僕は二メートルくらい離れたところから撃たれて、骨が折れました。もう治ったけど」

「私は後ろから撃たれて、気が付いたらここに居たからよく分かんないんです」

「私も、後ろから……でも、足音は近かったわ。私も肩を骨折していたの。気を失って気が付いたらここよ」

「僕は足を撃たれて、ちょっと穴が空いてた。後ろから近づかれて、脹脛くらいに何か当たったと思ったら、チューンって。間抜けな音のくせに何あれ怖い」

 口々に語る内容は、怪我をしたと語る割に軽く、夢の中であるという意識や、もうすでに傷が治っているという事のおかげなのだろうと分かった。

「つまり、至近距離になればなるほど攻撃力が強くて、遠くからだとあんまり効果はないけど、肩口とか打たれたら衝撃で気を失うと」

 そうまとめたのは、いつの間にか戻ってきていた熊さんだった。

「お待たせしました」

 一本だけといっていたくせに、熊さんの手には四本のステッキ。熊さんはその内一本を何故か自分の腹の毛皮の中に突っ込んだ。まるでポケットがあるかのようにステッキは毛皮の中に飲み込まれる。

「使えそうだからこれは貰っときます。一本は約束通り止まり木さんに。残り二本は何かください、そしたら渡す」

 一本を差し出し、もう二本を掴んだまま熊さんは何かくれとねだる。というか取引か?

 一方的に世話になるより分かりやすいし、申し訳なく思わずに済むけど、これってどうなんだろうか?

 花の枝が苦笑する。

「その道具に見合う価値の物って、多分僕達持ってないですよ」

「いえ、熊さんはキノコ派なので大丈夫です」

「あ……」

 バックパックの中にはまだいくつかの食い物が入っている。熊さんにやったキノコの形のチョコ菓子は、ファミリーパックの中の小袋だったので、まだ同じ物がいくつかある。俺はそれらを全部引っ張り出して熊さんに差し出す。熊さんはドングリの様な目をにんまりと細め、キノコとタケノコを一袋ずつ取り、代わりに三本のステッキを差し出した。

「どうも、ありがとうござあい」

 のんびりとした口調の熊さんからステッキを受け取る。熊さんは俺から受け取った報酬を手に、また花が敷き詰められたバルコニーへと戻っていく。

「いい人だな……」

「う、うん……」

 ステッキは三本。使いようによっては、もしかしたら形勢を覆すことができるかもしれない。


 熊さんと取引したステッキを手に、俺と花の枝、それとあの肩に穴の開いていた男、神鳴りはホテルを出た。ホテルの裏口の傍には学生服の男がいたが、神鳴りがステッキから打ち出した礫を肩に受け、ばったりと気を失った。ちゃんとある程離して撃っていたので、肩に穴が空くということは無く、倒れた男はシーツを割いて作ったロープでがんじがらめにしておく。

「これ本当に便利だな」

「ですね」

 敬語なのは神鳴りが俺を恩人だと思っているかららしい。神鳴りの能力は、電気を操る事なんだとかで、出来ることはせいぜい接触して相手に電気を流す程度。それも静電気をちょっと強くしたくらでしかなく、しばらく手足を痺れさせることはできるが、意識を飛ばすことまではできないんだとか。電気ウナギよりも弱いんですと神鳴りは自嘲して笑ったが、人間スタンガンは十分に有効だった。裏口付傍にいた学生服にも、神鳴りが素手で飛びかかって痺れさせた後に、ステッキの礫を打ち込んだのだ。

 ステッキの礫を打ち出す方法は簡単だった。持ち手の部分に突起があり、それを押し込み手を放すと、まるでバネ式の玩具のような軽い手応えとともに礫が発射されるのだ。床や壁に打ち込むと、やはり零距離だと穴が空くほどだったが、ステッキの長さ一本分も離すと、まるでゴムボールを投げつけた程度の衝撃しか与えなかったので、これが距離によって威力が変わると言うのは間違いなかった。

 武器を手に入れた俺達は、作戦を立てた。といっても、使える力は三人とも直接の戦闘向けではないし、持っている武器は相手の方が多い。もちろん人数も。圧倒的に不利な状況を少しでも覆すための、悪足掻きの様な作戦だ。

 ラムを確保し、カナリアか小鳥にユメトに連絡をしてもらい、ラムが食われて欲しくなければ降伏しろと持ち掛けることが目標。そのためにはあのラムを守っている四人をどうにかしなくてはいけない。

 俺達三人は熊さんが特別ですよと無償で作ってくれた花輪を頭に乗せ首に下げている。メルヘンスキル持ちの熊さんには頭が上がらない。花はもちろん花の枝が出した花で、これがあれば少しは相手の敵意を逸らすことができる。それでも完全ではないが、とにかくこれで出来る限り近付いて、ステッキか神鳴りの能力で敵の行動を不能にしなくてはいけない。小鳥はこちらを見ているようだったが、今は少し離れた屋根の上で、広場に残った学生服の集団と睨みあっている。残っているのはラムを合わせて全部で五人で、他に五人ほどが町中に散ってユメトを探しているようだ。

「まずはさっき説明した形で歩いて近付く。この花がある限りは急な攻撃はないが、相手に警戒心を抱かせるような行動は避ける。俺が止まってラムに話しかけるから、そうしたら予定通りな」

「はい」

「止まり木……」

「大丈夫、多分俺は丈夫らしいし」

 俺が丈夫だっていうのはただの憶測。本当はめちゃくちゃ撃たれ弱いかもしれない。でも、今は俺がやるしかないと思うから、こいつらが不安にならないように取り繕う。

 俺の背中、制服のベルトに無理やりステッキを三本通して背中に隠し、俺は両手を挙げる。そんな俺の右わき腹にしがみ付くように花の枝が腕を回し、神鳴りが左後に立ち方に手を置く。その珍妙な格好のまま俺達は広場へと向かった。

 背中にステッキが当たるので、歩く姿がぎこちなくなるが、それは左右から動きを阻害してくる二人の所為であるかのように振る舞う。

 ゆっくり歩いて近付く俺達に、すぐに向こうは気が付いたようだが、流石に両手を挙げて降伏を示す相手や、あからさまに怯えた様子で俺にしがみ付く二人に向かって、いきなりの発砲は無いようで、俺たちはだいぶん近付くことができた。距離で言うならたぶん三、四メートルか。

「止まれ」

 映画とかでよく聞く制止の言葉。向けられるステッキの先。怯えた花の枝が俺にしがみ付いたまま背後に回ろうとするから、俺と神鳴りは少しよろめいてしまう。という風に見せかけて、花の枝が俺の背中からステッキを取る。一本を神鳴りに手渡す。

「待ってくれ、ラムって人に話がある」

 俺が出した名前に、制止を掛けた男が伺うように背後を見る。少し男を横にやり、ラムが俺たちを確かめるように顔を見せる。

 やっぱり美人だな。ちょと童顔ではあるが、体つきはまるで芸能人の様に出るとこは出てくびれるとこはくびれてるっていう。学生服を着ているのがもったいない。モデルほどではないけれど、もっと着る服選んだらとても魅力的になりそうなのにな。

「あたしに? 何で君はあたしの名前知ってるのかね?」

 声は思ったより低い。見た目は二十代前半といった感じだが、声だけ聴くと三十代か四十代の落ち着きのある女ってくらいにも聞こえる。そしてその目付きも、やけに静かで俺たちを観察するような目だ。

「俺たちは降伏しに来た。熊さんがそうしろって薦めてくれたんだ」

 顎でしゃくってバルコニーに座る熊さんを示すと、熊さんはアドリブで軽く前脚を振ってくれた。ラムを囲む男たちの目も一瞬でそちらへ動く。

 今だ。

 俺は後ろ手に回した手で花の枝からステッキを受け取ると、一番近く、制止をかけてきた男に向けてステッキから礫を放つ。礫は男の頬をかすめ、その背後にいた別の男の首を打った。首を打照れた男はもんどりうって地面に転がる。気を失いはしなかったものの、一瞬呼吸が詰まったのか激しくせき込みすぐには起き上がれないようだ。失敗した。でも一人一時的に動けなく出来た。俺に続いて稲妻と花の枝も礫を放つ。しかし向こうもこっちの動きに気が付いて、すぐに応戦の構えを見せている。

「馬鹿だなあ」

 ラムが俺に向かい嘲笑する。

「何も無くただここに立っているわけがないでしょうが」

 どん、と突き上げる衝撃に俺たちは体制を崩し石畳の上に転がる。まるで地震のような揺れだったが、それは一瞬で、その揺れが来ると最初から分かっていたのか、ラム達はよろめくだけで転んではいない。

 何が仕込まれていたか分からないが、しかし確実に俺たちが不利になった事だけは分かった。とっさにステッキをラムに向けるが、俺が礫を放つより先に、俺に向かって礫が放たれる。神鳴りがしりもちをついたままの状態で俺を突き飛ばす。伸ばされた神鳴りの腕に礫は当たり、神鳴りが痛みに悲鳴を上げた。

 何で俺を庇ったこの馬鹿。俺よりもお前の力の方がこの場は有用だろうに。でも今はそんなこと怒鳴ってる暇はない。突き飛ばされた勢いのまま俺は前のめりに飛び出して、取り落としたステッキを拾い、適当な方向に礫を打ち出す。一応俺に礫をっ放った男を狙ったつもりだったが、流石に態勢が悪いのでかすりもしない。でも怯ませはした。

 相手のステッキからすぐに礫が来ることは無い。だから俺はステッキを放り投げてそいつの足に飛びついた。最初に制止をかけてきた男だ。花の枝が援護をするつもりか、俺よりも少し離れたとこ、ラムを囲っていた四人の内残り二人に向けて礫を打ち出す。俺への対処が遅れる二人。俺は無事最初に制止をかけてきた男の足組みつくと、そいつが履いている靴に手をかけた。

「な、何を」

 何するか分かんないよなあ、そうだよなあ。最初から作戦は杜撰だって分かってた。だから作戦失敗したらあとはそれぞれ自分の思う形で暴れてくれって二人には頼んでた。もう作戦なんかない、これはなりふり構わない喧嘩なんだよばーか。

 脱がした靴で、男の足の甲を思いっきり殴りつける。

「いっだあ」

 これ、俺が以前弟にやられた仕返し。足の甲って靴で殴られるとめちゃくちゃ痛い。本当は体重かけて踏んでやるのがいいんだけれど、そうもいかないからな。

「ガキ! 何しやがる!」

 男が俺をステッキで殴りつける。そう使うもんじゃないだろ、それ。

 ラムがまるで汚い野良犬でも見るように、蔑む目で俺を見下ろしていた。ラムの手にもステッキが握られてる。その先は俺の肩に押し当てられていた。

「これは戦争じゃない!」

 俺は男にしがみ付きながら笑ってラムを睨み上げる。

「ガキが駄々こねて転がり回ってるだけの拙い喧嘩だぜ、お姉さん」

 ラムのが驚いたように俺を見下ろす。その背後に、間違いなく真っ青な空と、それに負けないくらい鮮やかな青を見て、俺の意識は途切れた。


 目を開けたら、そこはいつもの俺の部屋だった。

 寝返りが打てなくて、いつもの見慣れた天井と、室内の照明を一手に担う蛍光灯を確かめる事が出来ない。

 そんでもってめっちゃくちゃ右の肩が痛い。もうこれでもかってくらい痛い。

 あまりにも痛いので母さんに言ったら、思い切りパジャマ剥かれて悲鳴を上げられた。何があったのか分かんなくて、肩の痛みで上がらない右腕ぶら下げたまま洗面所に行ったら、右肩が紫色のボールみたいになってた。グロイっす。

「どこでぶつけたの?」

「分かんない。気が付いたら痛かった」

 そんな短い会話の後に、母さんはあれでもないこれでもないと唸り、でも昨日までは確かに普通だったし、晩御飯も作ってくれたものね、と納得し、弟と妹が起きてこない内に何とかしましょうと言って、俺に適当な服を無理やり着せて……本当は自分で着たかったけど右腕使えないから仕方ないよな。母さんの仕事場まで一緒に行くことになった。学校は怪我のため休み。不幸中の幸いだったのは、利き腕じゃなかったこと。多分無意識に利き腕は庇ってたんだと思う。

 その日は午前中は病院、午後は家でのんびり過ごし、帰ってからは作り置きの生姜味噌とジャコと大根葉の炒め物と、オーブンで焼いた餅と、昨日の残りのスープという妙な昼食を取った。

 何か打撲だけらしいけど、筋肉の繊維が切れてるかもしんないから治っても腕に違和感残るかもとか言われた。この歳で四十肩になる可能性もあるらしい。それは困る。シンク上の収納には色々入っているのに、取り出しにくいと困る。

 ああそうだ、今日の晩飯どうしようか。そうか、もう今日は作らなくていいって言われたっけ。

 あ、やばい泣きそうだ。

 家の中に誰もいない。

 俺ができる事が何もない。

 やばい、溺れそう。

 苦しい。

 何で……。

 頼りにされたい。でもこんな腕じゃ無理だ。誰かの手を煩わせたくない。でも一人で着替えも満足にできなかった。一人にしないでほしい。でも人に迷惑かけるし頼りにならない俺じゃきっと誰も傍にいたくないって思う。

 苦しい。

 溺れそうだ……。

 目を閉じると、目の前が真っ暗になって、靄がかかって、怖い。

 暗いのが怖い。恥ずかしいよな、もう高校生なのに。

 一人が怖い。情けないよな。男なのに。

 一人っきりで膝に顔を埋め、一体どれだけの時間泣いていたんだろうか。気が付いたらもう三時を過ぎていた。

 玄関から鍵を開ける音がする。下の弟の驚くような声。家に帰って誰かがいると思わなかったようだ。靴を見たんだろう、俺の名前を呼びながら元気良く居間に駆け込んでくる。

 良かった、俺の名前、呼んでくれる人がいた。俺の事、必要と思ってくれる人がいた。

 泣きながらお帰りという俺に、弟はどうしたの? 怪我痛いの? って心配そうに顔を覗き込んでくる。

「大丈夫、痛くない。お前が心配してくれるから痛くないよ」


 目を覚ましたら、そこは夢だった。ただ漠然とそう思った。

 寝返りは打てなかったが、首をめぐらせ上を見ると見慣れた天井と、室内の照明を一手に担うLED照明。

 また夢の世界だ。右の肩は……痛い。ああ、しまったな……ここでも俺は使い物にならないのかも。腹の底が重いような、息苦しさを感じる。

「……治せないのかな、これ」

 せめて夢の世界でくらいは、治っていてほしいんだが。俺はのろのろとベッドの上に身を起こす。体がだるい。

 姿見が視界に入り見てみると、今日来ているのはいつもの制服じゃなくて、病院に行くために義母さんに着替えさせられた紺色のシャツと黒のスラックスだった。明るい色苦手って言う俺のために、母さんが買ってきた服だ。じゃないと俺何時も黒しか着ないからなあ。

 喪服のつもりではないんだけど、つい……明るい色は俺のじゃないって思ってしまうんだ。

 さて、億劫だけれど、行かなくちゃな。昨日は中途半端な所で夢が終わってしまった。もしまだ交戦状態だっていうのなら、少しでも俺は役に立てるはずだ。

 いつもの作戦会議室に行く。まだ誰も来ていない。時計を見ると夜の九時五十分。ああそうか、痛み止め飲んだからいつもより寝るの早かったんだ。

 あ、昨日出しっぱなしだったワッフルメーカーがある。そうか、今日は俺台所に長く立ってないから、夢の中に台所の様子が反映されなかった結果か。ってことは、餅は?探したら台所にあった。俺が食べた分だけ減ってる。買い置きのお菓子も、まるで減ってない。母さんの野菜ジュースも、今朝母さんが飲んだ分だけしか減ってない。

 じゃあ、今日も持って行けるように用意しておくか。バックパックを取りに部屋に戻ろうとした俺の背中を、リズミカルに扉を打つ音が呼び止める。

「どちら様?」

「僕だよ僕」

「僕なんて奴は知らないので名前をどうぞ」

「えー、ちょっとそれどこの俺俺詐欺の対応?」

「ここの」

「もう、僕はユメトだよ、声聞いたら分かるでしょ」

 声よりもその煩い立ち居振る舞い見る方がよく分かるけど、声でも十分わかるな。相変らず煩い。

「ユメトならユメトって最初から言えよ。入っていいぞ」

「お邪魔しまーす。だから最初から僕って言ってるじゃない」

 扉を開けて入ってきたユメトは、とても困ったような苦笑いを浮かべていた。

「無事だったんだ?」

「おかげさまで。君のおかげで無事、暮れなずむ街を退けることが出来ました」

 ばっと両腕を広げて、まるで今にも俺を抱きしめてきそうだったので、俺は本能に従ってユメトを避け大きく飛び退る。

 良かった、もう戦いは終わってたのか。昨日最後に見た時、視界には苛立たしげなラムとその背後に大きく翼を広げた小鳥がいた。あの後俺が気を引いていたラムを、小鳥が取り押さえるなりなんなりしたんだろうな。

「ええ、ちょっとおおお、何でそんな大げさに逃げるの!」

 漫画ならガーンという書き文字が確実に入ってるな。分かりやすく項垂れてユメトがいじける。三角座りをして床に野の字を書くとか、今時ギャグマンガくらいでしか見かけないテンプレートな反応だな。

「怪我しててお前の相手が辛いんだよ、構ってられるか」

「え、止まり木、君怪我をしてるのかい?」

 はっと顔を上げユメトは大きく目を見開く。

「ああ、右の肩を……あ、ちょ、なに?」

 ユメトは立ち上がるとあっという間に俺に詰め寄りシャツのボタンに手をかける。おいこらいきなり人の服剥こうとするんじゃねえ。

「怪我、怪我の様子見せて」

「いやだよお前なんか怖いよあっち行け、触んな」

 くそ、あんまりにもユメトが強引に迫るから、俺は足を縺れさせて尻餅をついてしまう。それでもユメトはぐいぐいとくるのをやめない。

「怖くないよ大人しくして、っていうか右腕上がってないじゃないか、君ちょっととどころじゃないよねこの怪我!」

 強引なユメトの手を払いのけようとしたら、ユメトがシャツを掴んだままだったせいでボタンが飛んでしまった。くそ。

「止まり木! いる?」

 タイミングが悪いことに、開け放たれた扉の向こうに現れたのは、今日はトランプ柄のスタンダードなロリータって感じのドレスを着た宿り木で、俺を床に押し倒しシャツを引きちぎるユメトを見て、ざあっと顔を青ざめさせる。

「気持ち悪い、何やってんの?」

「ああ、宿り木良い所に来た! 止まり木怪我してるんだけど!」

「え、嘘! あ、昨日のね、止まり木入ってもいいかしら?」

「ああ……」

 あらぬ誤解をされる、そう思って焦ったが、宿り木は意外な事に俺とユメトがくんずほぐれつしている事には大して興味が無いらしく、それよりも俺の怪我は大丈夫なのかと駆け寄り、奇麗なスカートが汚れることも構わず床に膝を付いた。

「うわ……肩が腫れてるわね。これあたしにはどうにもできないわ……花の枝だったら痛みを取るくらいはできそうだけど」

「竈をしばらくここに来れないようにしたのは失敗だったね」

「誰それ?」

「ここでパン焼きの練習してるお姉さん。あんたほど明確な治癒力ある人じゃないけど、あの人のパン食べると傷の治り早いのよね…」

 食べ物が回復アイテムって、ほんと何かのゲームみたいだ。そういうや竈って、一昨日の襲撃の時に、カナリアに助けに行くよう言ってたな。

「……あんた達が作った奴じゃ、駄目なのか?」

 俺の言葉が意外だったのか、二人は目を丸くして見合わせる。

「……考えたことも無かったわ。でも、やってみる価値はあるかも」

「食材はどうする?」

「ここにあるの使っていいけど……あれ、使えば簡単なの作れるし」

 ちょうど用意していたワッフルメーカーを指さすと、宿り木があ、っと声をあげて目を輝かせる。

「ちなみに餅で作るモッフルを食わせようと思って準備してた」

「何それ面白そう! やだもう止まり木ずるい! 何であんたそういう事ばっかでできんの? 羨ましい!」

 キャーキャーとはしゃぐ宿り木。ガレットの時も思ったけど、もしかして宿り木はこういう簡単おやつとか興味あんのか? 美味しく食ってくれるのはこっちも作り甲斐あるしいくらでも用意するけど、たまには一緒に作ってもらうのもいいかもしんないな。

「作り方教えっから、作ってくれる?」

「ええ! 作りたい!」

 心底嬉しそうに宿り木が返事をする。あ、そうだ妹が時々こんな感じにテンション上がる。ホットケーキ一緒に焼く時とか、バレンタインのチョコ作るの手伝ってやってる時とか。そうか、女のっ子ってこういうの好きなのか……。

 右肩の痛みが引いた気がした。

「よし、じゃあまずは手洗いな。一応エプロン付けとけ。折角服可愛いんだし」

「え、う、うん……別に、可愛くないわよ……」

 あ、宿り木の顔が赤くなった。妹に言うのと同じ感覚で可愛いと言ったんだが、どうもそれが宿り木は苦手らしい。でもそんな恥じらう行為も含めて可愛いと思うんだけどな。


 モッフルの作り方は至ってシンプルだ。先に温めておいたワッフルメーカーに餅を置いてワッフルを作る要領でプレスし、焼きあがった物に好きなトッピングをすればいい。

 おかず系のモッフルは、市販の切り餅を半分に切って使うか、鍋用の薄い餅を使って、具材を挟んで焼くのが俺流。味としては焼きおにぎりに似てるけど、食感や匂いが全然違うから、焼きおにぎりよりもおかず系モッフルの方が食いやすいと思う。焼きおにぎりも好きだけど。ネギ味噌焼きおにぎり美味い。

 宿り木はさっきからプレーンのモッフルを大量生産しては、蜂蜜やチョコやメイプルしろプをかけて俺に寄越してくる。そろそろしょっぱい物が食べたいです。

「や、宿り木……作り過ぎじゃないか?」

「まだよ、だってまだ止まり木の手治ってないじゃない」

 そう言って新たな餅をワッフルメーカーに挟む宿り木。その表情は至って真剣で、本気で俺の怪我を治したいっていうのと、モッフルをいかに綺麗に上手く焼き上げることができるかってのに終始してる。俺が何を食べたいか、ってのが抜けてるぞ宿り木。

「いや、まだ完全じゃないけど、もう痛みはほとんどないし、ちょっと痺れてる程度だから」

 夢の中での食事が回復アイテムってのは本当だったようで、宿り木手ずから用意したモッフルを三個も四個も食べているうちに、俺の右腕の痛みはすっかり消え失せ、まだ持ち上げるには痺れたような感覚があるものの、軽い物を持つくらいは余裕で出来るようになっていた。

 だけど、流石にこれ以上甘いものはいらん。塩気をくれ塩気を。あと飲み物。時間はもう十一時を回っている。そろそろ他の奴も来てくれる時間だと思うんだが……。

 俺が何度目かの時計の確認をしていると、激しく扉が叩かれる音がした。よしよく来た誰だ!

「死んだか止まり木、生きてるんならここ開けてくれー」

 稲妻だった。

「止まり木さん! お願いです生きててください!」

 神鳴りもいる。

 そういや二人って名前似てんな。

「生きてる生きてる。大丈夫だから入ってこいよ」

 俺の許可を得て、二人は扉をぶち壊しそうな勢いで会議室内になだれ込んできた。あ、熊さんもいた。今日の毛色はラベンダーのような薄紫。って、毛色変わるのかこの熊。

「お邪魔してもいいです?」

「どうぞ。よかったらモッフル食べていきますか?」

「ご相伴にあずかります」

「止まり木い、よかったあ、生きてた」

「うわあああああああ、よがったあああああ」

 稲妻と神鳴りは俺に駆け寄り、ダンとテーブルを打ち、テーブルに伏し半泣きで安心した、良かった、無事だったと繰り返す。

「そんなに泣くほどか?」

「泣くほどだったわよ。あんたの場合まだここでの活動になれてないし……それに、ちょっとこの部屋から出て見て見なさいよ。この人達が泣く理由もわかるから」

 唇を尖らせた宿り木が、俺に目を向けることなくそう言って顎をしゃくる。部屋から出て俺の何が分かるのだろうか。ここから出て見えるものと言ったら、大樹の根や頭上を覆う枝葉だけだろうに。

 稲妻と神鳴りも宿り木の言葉に頷いていて、ユメトが俺の腕を取り椅子から立たせて来る。

「なに? そんなに大事になってたのか?」

「まあねえ……」

「樹木っていう形のせいもあるんでしょうけど、大きさが大きさだけに、結構ショッキングですよ」

 熊さんまで追従してくる。表情は読めないが、ドングリのような目が眇められているので、多分何か思う所があるんだと思う。

 そういや俺、いつもここで皆を待っているから、一番最初にこの樹を見るってことしないんだよな。この樹は俺の心の形なんだとしたら、俺は自分の感情とか思っていることを、客観的に見ないようにしてるって事か。何となく納得。人からああだこうだ言われれう事はあっても、自分で自分は何を考えてるんだっていうの、あんまり振り返りたくないんだよな。なんか暗くなりそうで。

 会議室を出るとすぐそこは大樹の外。盛りあがった根がまるで壁のようになっているので見通しは悪いが、室内とは違って空気の流れを感じるので多少開放感がある。少し伸びをするつもりで顎を上げると、否が応でも頭上の光景が目に飛び込んできた。

「枯れてる?」

「葉っぱが落ちただけじゃないかな?」

 ユメトは大したことは無いと言いたげだ。でも、他にどんな建物も追いつく物も無いような巨大な樹から、あんなにも茂っていた緑の葉が全部枯れ落ちているんだぞ、これが大事でないとどうして言えるんだ。

「でも、君が本当に死んだりしたら、きっとこの樹自体が無くなっちゃうと思ったから、君の精神状態は気になったけど、生きてるって僕は確信してたよ」

「そうか……」

 すっかり風通しのよくなった頭上を見上げ、俺は茫然とした。ああ、確かにこれならユメトが俺の服剥いでまで傷を確かめようと思うし、宿り木もその事を察してくれるだろうよ。稲妻だって神鳴りだって泣きながら心配するのもよく分かる。それに小鳥とカナリアだって、寄り添って互いに泣くのもよく分かる。二人を慰めようと、花の枝と紫煙が無言で撫で続けるのもな。

 頭上高くにある枝の上に四人の姿を見つけた。少し離れてサユもいる。サユはこちらに気が付いたのか手を振ってくる。

「あいつら……」

「君が怪我したのを気に病んでるっぽいよ」

「別にあいつらの所為じゃないのに……」

 小鳥もカナリアも必死に応戦していた。花の枝だって勇気を出したし、紫煙が遅くなったのは現実があるんだから仕方の無いことだ。それでも各々思う所もあるだろうし、気に病んだとしても仕方ないが、だからってそれで俺に顔も見せに来ないとか、それはお門違いだろ。

 訳も分からず腹が立った。

「小鳥! カナリア! おやつあるから降りて来い!」

 思わずそう叫んでいた。俺の声に気が付き四人がびっくりしたように見下ろしてくる。鳩が豆鉄砲食らったような顔だな。

「今日はモッフルだぞ、知ってるか? 餅で作ったワッフル」

「知ってる!」

 カナリアが元気な声で答える。涙に濡れてた顔に笑顔が浮かんでいる。

「出来立てに小豆とバニラアイス添えるとうまいぞ」

「なんだそれ食わせろ」

 案外餡子物が好きな紫煙はチラと花の枝を見やりながら食いつく。花の枝はその視線に気が付いて「僕も食べたい」と答える。

「小鳥にはチーズとハム挟んだやつ用意してやる」

「それ面白そう」

 小鳥はチーズが好きだ。おやつは甘いのと塩気のある物両方があると余計に食が進むらしい。

「なら早く来いよ。じゃないと稲妻に食いつくされるぞ」

 身を乗り出す四人に手を振って俺は会議室に取って返す。宿り木と稲妻と神鳴りが、心配そうに俺を見ていたが、にっと口の端を持ち上げて笑ってやると、ほうと息をついて肩から力を抜く。

「びっくりしたなあれ。何であんなに葉っぱが落ちてたんだろうな」

「さあ? こういうでかい樹は初めてだからなあ。熊さんはどこかでこういうもの見た事ある?」

 ユメトに話を振られ、何時の間にか部屋の隅っこで座り込んでた熊さんが、きょとんと首をかしげる。

「無くも無いですよ。ここまで大きいのは初めてだけど。葉っぱが落ちるのは、自殺願望のある人によくある事です」

「え……」

「ちょ」

「はあ?」

「まさかあ」

「止まり木が?」

 思いがけない熊さんの爆弾発言。いやいやそんなことないと首を振る俺に、部屋中の視線が集まる。ちょっと待ってくれ、俺自殺願望なんて無いって。

「他にも」

 ああなんだ、他にもあるんだ。

「自分が役立たずだって責めちゃうような、真面目すぎる人が、責任感じて自分責めちゃうときにも、こうやって樹の葉が全部落ちるの見た事あるかな。どちらも自分で自分を責めちゃったり害しちゃったりする人の特徴っていうか、周囲が気を使ってやらなきゃいけない人でした。止まり木さんがそうとは言わないけど、昨日の見てると、ちょっと自己犠牲強すぎやしないです?」

「つまりこれは、俺に自己嫌悪とか自己犠牲の気持ちがあったからって事か?」

「はい」

 熊さんはきっぱりと頷く。

「……あー、ちょっとだけ、思い当たらなくも、無い」

 役に立たなくちゃいけない、っていう強迫観念みたいなものは、結構日頃から持ってる。でも、役に立ててるとか、俺がやりたいことをやってるんだっていう意識もある。だから、自分の役に立たなきゃって思う気持ちは、そこまで強くはないと思っていたんだが……結構精神的な負担になってたのか?

「自分で振り返れるんなら大丈夫じゃないですか?」

「そうなのか?」

「誰だって落ち込む瞬間ってあるし、それが樹木って形をとると物凄く分かりやすくなっちゃうだけなんですよ」

 熊さんはそこまで俺のこと心配していないらしい。心配され過ぎると申し訳なく感じるからちょっと安心する。他の奴らも俺と熊さんの会話には割り入ってこないし。

「今年の冬は九州でも結構な雪が降ったんです」

 唐突に話題変えてきた熊さん。それは知ってる、俺の家も九州にあるし。普段雪が降らないとこだったんで、庭木がとんでもない被害に遭ったんだよなあ。鉢植えも母さんのラベンダーとかローズマリーが死んだ。

「おかげさまで私の育ててた葡萄が枯れかけましてね」

「うちもいくつか枯れました」

「ああだったら話が早い。それ枯れてないかもしれませんよ? 余分な枝葉を落してやって、ちゃんと土作ってやって、藁とか敷いてやって、んでちゃんと毎日水やりすれば、もしかしたら生き返るかも」

「え、本当ですか? ラベンダーとかローズマリーなんですけど」

「実物見てないから分からないけど、その手の植物なら可能性はあると思いますよ……。んで、人の心だってそんなもんです」

「え?」

「雪降ってうっかり葉っぱ落としちゃっても、手入れしてくれる人がいたら、ちゃんと良くなります。手入れされなかったら駄目だけど、今止まり木さんには手入れしてくれる人いっぱいいますよね? だから、多分大丈夫ですよ」

 思いがけず園芸談義をしていたが、そこからまた思いがけず元の話題に戻ってきていた。

 熊さんが前足を持ち上げて俺の背後を指す。いつの間にか小鳥たちも室内に入ってきていた。ああさっき俺が来いよって言ったから、招き入れたことになってたのか。揃って俺と熊さんの会話に耳を傾け、覗うような様子だ。

「手入れっていうか、迷惑かけられてるような気もするけど」

「嫌な迷惑です?」

「嫌じゃない迷惑って何です? ああいや、そうですね、嫌な迷惑じゃないです」

 頼られる、って思うのは、嫌な気持じゃあない。むしろ歓迎してしまう。

「じゃあ大丈夫だ」

 ドングリのような目を細め、口をわずかに開いて熊さんは笑う。俺もつられて笑う。

「じゃあ、おやつにしましょう」

「そうですね」


 俺主催、宿り木共催の第一回夢の世界モッフル大会は、三袋も買っていた切り餅全てを平らげたところでお開きになる、かと思いきや、熊さん発案でホットケーキミックスを使ったワッフル作り大会へと移り変わり、紫煙が茹であずきを一缶全部食らいつくし、熊さんが一人でメイプルシロップを平らげてしまった。こいつら人んちの食いもんだと思って……。

 だがそれも仕方がない。二人はどうも昨日俺がぶっ倒れた後の功労者だったらしいから。

 俺が倒れてすぐ小鳥がラムを捕獲し、いつもの如く上空へと引き上げ屋根の上へと連れ出し、それをカナリアと二人掛かりで縛り上げた後、遅れてきた紫煙に残った残党とユメトを探すよう頼んだそうで、その際花の枝が俺が話していたホラー作戦を実行しようと紫煙に持ち掛けた。しかし紫煙とすでに大量の手を生やして疲弊した宿り木二人だけではそんなに大量の体の部位を生やすことはできず、困っていた所、熊さんが自分が余計に出しゃばったせいで俺が撃たれたのだと言い出し、だから自分の体力を使ってくれと申し出たらしい。

 そして紫煙と熊さんの二人が、それこそ意識がもうろうとするまで体力を振り絞り、残党に恐怖を味合わせた後、空と大地の鳥籠の住達で人一人一人を捕縛して回ったんだとか。熊さんは俺に対して、責任感じ過ぎるだの自己犠牲だの言っていたが、もしかしてそれって本人の事なんじゃないかって、俺は思うんだよな。あと紫煙も、結構責任感じてんだろ。

 夢の世界って、宿り木や懊悩って奴もそうだけど、物事深く考えすぎる奴が集まりやすいのかもしれない。

「そういや、ラムとはどんな話をしたんだ?」

「ん? ああそうそう、それね、うん、結構すごい話聞けたよ」

 ブラックでコーヒーを啜っていたユメトが、にやりと何かしら悪だくみをしている笑みを浮かべる。あ、こいつに聞いたのは失敗だったな。目線を宿り木にやる。しかし今度はワッフルを焼くのにハマっていた宿り木は俺の視線に気が付かない。

 小鳥がそんな宿り木にちょっかいをかけている。

「宿り木ー、僕もやりたーい」

「駄目よ、小鳥さっき変なことしたじゃない」

「変じゃないってー。ちょっと入れすぎただけ」

 さっき小鳥は宿り木に代わりワッフルを焼こうとしたのだが、大きい方がいいよね、何言う理由で大量の生地を流し込んで、ワッフルメーカーをドロドロに汚していた。ようやく上がるようになった右腕も使い片付けたが、出来ればもうやらないでほしい。今宿り木に話を聞こうとすると、小鳥にワッフルメーカーを任せることになるな。それは避けたいので仕方ないが、ユメトに話を聞くとしよう。

「で、何がすごかったんだ?」

「止まり木って結構分かりやすいよね」

「お前が面倒くさがって話を中途半端に終わらせるからだろ」

 ユメトとの会話や説明はいつもそうだ。こいつが言いたい事だけ言って、どうも説明不足に終わる事も多い。それを補足してくれる宿り木には本当に感謝している。っていうか、宿り木いないとこいつとの会話上手くいかねえ。

「酷いなあ、好きで中途半端になるわけじゃないんだよ。ただ話すのって疲れるじゃん?」

「ああそうかよ。俺はお前がそういう茶々入れるから会話が途切れるのが原因だと思ってるんだが?」

 ユメトは笑顔のまま答えない。

「よし、花の枝、お前何かしらないか?」

「僕は知らないけど、神鳴りは少し話聞いてなかった?」

「あ、はい聞いてましたよ。えっと、っ暮れなずむ街と同盟組んで、共同戦線張るかもしれないんだそうです」

 え、攻め入ってきた相手と共同戦線? 和合とかそういうのまず無視して同盟で共同戦? って、一体何があったんだ。

「犬の住処の事、この人知らないんです?」

 熊さんが部屋の隅っこから助言を投げてくれる。また知らない単語だが、それを知らなきゃ話が進まないってんなら、もっと先に言っといてくれ。

「知りません」

「やっぱり。だったら話通じないですよ。

 犬の住処っていう夢の国が、ラムさんとこの国を襲ってるとこ。あそこすごく乱暴なやり口で、他所の夢の世界を捕食しまくりで、一回目を付けられると食われるまで狙われ続けんです。ラムさんは自分も食われたくないし、自分の主人も守りたいしで、やむを得なく空と大地の鳥籠を襲う算段立てたそうで、昨日紫煙さんが戦力にならないってのも、最初から知っていたそうですよ。情報収集能力侮れないね。でもこっちも熊さんがいると気が付かなかったようで、熊さんを撃ったのが運の尽きですよ。熊さん味方にすると強いんですから……すいません調子に乗りました」

 あ、今更だけどこの人多分俺と同郷だ。抑揚の薄い平板な言葉を少ないブレスで捲し立てる喋り方、俺の住んでる地方の方言の特徴らしいから。中学校の時に国語の自由研究で調べた内容が思い出される。なんか親近感湧くわ。

 そうか、そういや暮れなずむ街は他の夢の国と戦争状態で、ユメの得意分野というか能力を欲していたんだったか。

「他に何か聞きたい事あります? これ、モッフルのお礼ですから、質問しないと損ですよ」

「ああ、はい、分かりました」

 律儀な人だな。どうやら御馳走のお礼に情報をくれるという事らしい。

「ちょっと! だったらモッフル焼いたあたしにも聞く権利あるのかしら?」

 いつの間にかワッフルメーカーをカナリヤと紫煙に明け渡した宿り木が、部屋の隅に蹲る熊さんに向けて、自分にも聞かせろと主張してきた。でも熊さんびくっと肩を跳ね上げて、やたら怯えてるんだが。

「熊さんってぐいぐい来る人苦手なんだよねえ」

「臆病んなんですね」

 花の枝がさもありなんと呟くと、神鳴りがなるほどなるほどと無駄に相槌を打つ。

「え、何、あたしが悪いの?」

「別に悪くはないです……すみません」

 といいつつも熊さん丸まって毛玉状態になってるんだけど。

「あー、もうちょっと優しく話しかけてやれば?」

「分かったわよ……」

 丸まってびくびくと震える熊さんに、宿り木はできる限り、本人の精いっぱいの優しい声で話しかける。

「えっと、熊さん、私の質問に答えてもらえるかしら? 犬の住処はいつから暮れなずむ街に目を付けていたのかしら? あの国は噂で聞く限り、犬の住処のユメビトが欲しがるような物、無いと思うんだけど」

 熊さんはそうですねと簡潔に答える。よっぽど宿り木が苦手なのか、ラベンダー色の毛玉はフルフル震えている。

「犬の住処のユメビトって何か欲しがってんのか?」

「ええそうよ、あの国は珍しいことに人間が主体ではなくて、ユメビトが自分の力だけで作り上げてるの。一体どうしてそういう事になったのかは詳しくは知らないけれど、あの国のユメビトは、ユメビトの繁殖を目標に掲げているらしくて、その情報とかユメビトの繁殖に使えそうな人間を取り込もうとして、他所の国やユメビトを襲うのよ」

 答えない熊さんの代わりに、仕方なさそうに宿り木が説明をくれる。

「ユメビトの繁殖のためにユメビトを食うって矛盾してないか?」

「してますよ。でも、それが不特定多数のユメビトではなく、特定のただ一人の繁殖のためだとなると、その矛盾はすんなりなくなります」

 ようやく熊さんが答えた。だがまだ毛玉状だ。

「ユメビトって、繁殖すんのか?」

「過去に例はあります。といっても、とても本当に稀な例です。生まれてくる前の赤ん坊を望んだ夫婦の間に二人のユメビトが生まれたことがあります。元は一人のユメビトから分裂したようです」

 俺の質問には答えるんだな。というか、短く答えやすい内容であればいいのかも。

「他には?」

「あると思うけど熊は知りません。知っているとしたら、大図書館のユメビトでしょうか? でもこの空と大地の鳥籠からは大図書館には行けないので、調べるとしたら時間かかります」

「大図書館って?」

「ユメビトが管理している夢の情報を集めてる図書館みたいな場所です。代々一人のユメビトを人間が継承して存続しているようです。最近また主人が変わったのですが、熊さんは彼らが苦手です」

 やっぱ質問は短い方がいいらしい。宿り木は複雑な表情だ。自分には答えてくれないのに、何で俺ばっかりと思っているが、自分の質問の仕方と俺の質問の仕方が違うのにも気が付いているんだろう。

「犬の住処のユメビトは何が欲しいの?」

 質問を短く分かりやすくしたようだ。

「ラムさん複製が得意だから、多分それを利用してユメビトの複製できないかやってみたいんだと思います。他に理由が考えられないし、ラムさんに直接アプローチあったみたいです」

 今度はちゃんと宿り木の質問にも答えた。やっぱ質問の仕方か。

「犬の住処のユメビトって何で繁殖したいんだろうな」

「ユメビトは自分の人格を構成してくれた人の願いを忠実に遂行しようとする習性があるから、多分繁殖することが人格を構成した人の望みだったんだと思います。

 えっと、ユメトさんは小鳥さんと一生一緒に遊び続けること、サユさんは花の枝さんと一緒に居続けること、ラムさんは不自由なく物に恵まれて暮らすこと……大図書館のユメビトは知らない物を知り続けること、を望まれて人格として生まれたので、そんな感じで」

 ユメビトって主人に従順なんだろうなって事は、ユメトやサユを見てて分かったけど、習性とまで言われるものなのか。

「何でそのユメビトの主人は、繁殖しろなんて考えたんだ?」

「そりゃ、自分の子供が孫生んだり、孫がひ孫生むのは、親にとっては幸せな事じゃないですか」

「え、ユメビトって子供なのか?」

「子供の場合もあります親の場合もありますし、ユメトさんみたいに小鳥さんのお兄さんだったり、サユさんみたいに花の枝さん自身だったり、ラムさんみたいに若くして亡くなった娘さんだったりもしますね」

「え……」

 死んだ人だったり、自分自身、いやサユの場合は自分と同じ姿の友達か。それってもしかして……。

「ユメビトさんの殆どは、夢の中でしか会えない人なんですよ。止まり木さん驚いてるけど知らなかったです?」

 知らなかったです。というか、説明を避けられていた気がする。チラと振り返れば、気まずそうに頭を描くユメトと目が合う。

「えー、だってすでに死んでるとか恥ずかしくない? 僕幽霊みたいなもんだよ」

「いやなんでそれで恥ずかしく思うのか分からん」

「僕も分かんない。ユメトはユメトなのにね」

 本当はもっと早く打ち明けたかったんだよと小鳥が唇を尖らせると、ユメトは本当に恥ずかしかったのか、耳まで赤くして小鳥にごめんねと謝る。

「私も何であいつが恥ずかしがるのか分かんないのよね……」

「ユメビトにしか分かんねえ感覚なんじゃね?」

 宿り木と稲妻が呆れたように言う。そういや初めて会った日に、何か言いかけて、結局言わなかったことがあったっけ。もしかしたあの時のはこういう事だったのか?

「熊にも分かりません。幽霊恥ずかしいっていうのユメトさんだけ」

 ユメビト独自じゃなくて、ユメト独自だったってわけか。

「いやん、恥ずかしいなあ。それにしても本当に熊さんって便利だね。よかったらしばらくここに逗留しない? 何だったら君のための場所も用意するけど」

 話をごまかそうとしてかユメトが熊さんに勧誘を掛けるが、熊さんはとんでもないと激しく頭を振って立ち上がる。

「一所に留まるのは嫌です。なんか責任のあることしなきゃいけなくなるのも嫌です。熊さんは一生ノンプレイヤーキャラでいたい熊なのに、ここではもうそんな自分ルール破り過ぎて、泣きそうなくらいなのに、とんでもない、とんでもないです」

 激しい拒否にユメトはちょっと驚いているようだ。もう熊さんは今にもこの部屋を飛び出してしまいそうで、宿り木が思わず退路を塞ぐようにドアの前に立つ。

「宿り木、いいよ行かせてやれって。何かこのモフい人本当に泣きそうじゃん」

 稲妻が宿り木の肩を掴み扉の前から退かすと、熊さんはそれに大きく頭を下げ、四足を付いて外に飛び出す。それは本当に一瞬で、さようならを言う暇すらなかった。

「ユメトのせいで毛玉逃げたな」

 紫煙が意地悪く笑う。

「えー、僕のせい? これはいくら何でも熊さんのメンタル弱すぎでしょ」

「弱いから宿り木に怯えてたんでしょ?」

 小鳥は仕方ないよと肩をすくめる。まあ最初っから部屋の隅っこにいて、あんまり俺たちの輪の中に入ろうとしてなかったしな。それに急に沢山話しかけられたってのもあって、多分もうあの人いっぱいいっぱいだったんだと思う。動物特有の感情の読めない顔ってのは、そういうのが分かり辛くて困る。

 もしかしたら、人付き合いも嫌い、感情読まれるのも嫌いだから、あの人は動物やってんのかもしれないってくらい。

「まだ聞きたい事あったのに……」

 宿り木は不服そうだけど、それでも俺たちは仕方ないなと諦めるしかなかった。


 目を開けたら、そこはいつもの俺の部屋だった。

 首をめぐらせると見慣れた天井と、室内の照明を一手に担う蛍光灯。

 右の肩は昨日程痛まない。パジャマを脱ぎ姿見の前に行くと、腫れはだいぶ引いていて、動かすと痛みはあったが、昨日のように動かない、なんてことは無かった。懸念されていた発熱も無く、今日はちゃんと学校に行けそうだ。

 起きて母さんに報告すると、母さんは本当に安心したようで、俺の肩を気遣いながらも腕を回して抱き付いてきた。これって叔父さんがよく俺にやるんだけど、母さんもさすがに叔父さんの姉だけはあるな、良かった良かったって言いながら、叔父さんとよく似た手つきで俺の髪の毛を掻き回すように撫でた。

 心配かけてしまったようだ。ごめん、ありがとう母さん。


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