鳥籠の中の騒乱の兆し

 目を開けたら、そこはいつもの俺の部屋だった。

 ごろりと寝返りを打つ。目の前にあるのはいつもの見慣れた天井と、室内の照明を一手に担う蛍光灯。LED照明に変えようかとも思っていたが、親が買い置きの蛍光灯がまだあるのでそれを使ってくれと言うので、しがいない学生の俺はそれに従うしかない。別にLEDである必要性もないから別にいい。弟や妹の部屋は率先してLEDに変えてるのに、自分が長男だからって理由で後回しにされてるからって不満があるわけじゃない。あるわけじゃない。

「弟も妹も可愛いし」

 あ、そうだ、今日は妹が食べたがってるトマトと鶏肉のカレー作らなきゃいけなかった。それと、そうだ叔父さんが帰ってくる日だ!

 俺はいつものように起きて、いつものように支度をして、いつものように学校に行き、いつものように授業を消化し、いつものように愚痴を言いながらも付き合ってくれる中学からの友達と一緒にスーパーで買い物をし、いつものように家に帰った。

「お邪魔しまーす」

「邪魔するならかえってやー」

 友達と上の弟が揃って笑い声をあげる。これもいつもの事。友達は手を洗うといそいそと弟の待つリビングへ。

「今日の宿題は?」

「いっぱい出たー。もうやだ、めんどくせー」

 上の弟が通う学校は、小中高一貫の学校なのだが、中学に上がる際に進級テストがあり、進級テストは普通に公立の小学校に通っていたのでは間に合わないレベルなんだとか。そんな学校の勉強を友達は見てやる事になっているのだ。まだ何年も先の事だと思うんだが、最近のお受験戦争ってのは年単位で準備するものらしい。すごいな。ちなみに妹と下の弟は、そんな上の弟の姿を見てきたせいで、すっかり受験恐怖症になっていて、下の弟はもうすでに中学は歩いて通える近くの中学校と決めているらしい。妹は最初から小学校の受験の段階で、保育園の友達と離れるのを嫌がって泣いたので、両親は上の弟同じ学校に行かせるのを諦めている。本当は上の弟も、親に自分の意見さえ言えば、もっと楽な学校に代われると思うんだが……面倒だと言いつつも、友達に勉強を見てもらうのが楽しいらしく中学までは行くつもりらしい。

 俺が見てやりたかったんだけど、残念ならがら俺には晩御飯を作るっていう使命があるから。

 ああ、そういや今朝起きた時、何でだか自分にだって悩みくらいあるんだぞとい気取った覚えがあるが、目下の悩みはこれだな、弟と妹の進路と、俺の部屋の蛍光灯。

 おおむね平和。

 夜の七時になると、友達の母親が俺の家に友達を迎えに来た。本当は一人で帰れるから、と友達は言うが、友達の家は共働きで、必ず両親のどちらかが迎えに来るこの帰り道が、友達にとっての一番楽しみな家族の時間だという事を俺は知っている。

「じゃあ、あした」

「ん。あ、明日はちゃんと弁当に卵焼き入れて来てよ。甘いやつ」

 家庭教師代は俺の家で出す晩飯までの繋ぎの間食と学校での昼飯。明確な金のやり取りだと問題もあるし、ってのと、友達が手作りの飯食いてえ! って訴えたのでこういう形に収まった。最初は鍵っ子の友達が俺の家に居付いて弟に懐かれたつでに、宿題見てただけなんだけどな。ちなみに友達は宿題を俺の家でやっていく。弟へのけじめなんだそうだが、黙ってても小腹を満たす間食が出てくるこの家を気に入っているだけだと俺は踏んでいる。間食を用意するの俺だし。用意せずに黙って見てたらおねだりされたこともあるし。俺何時からこいつのお母さんになったんだろ。

「分かってるって、じゃあな」

「じゃあ、楽しみにしてっから」

 友達が帰るのと入れ違いで、母さんが帰ってきた。少しして、叔父さんを空港に迎えに行った父さんが帰ってきた。

 もう晩飯の支度は終わってる。

「お帰り、手を洗ったら食卓な。たくさん食べてよ?」

 俺の言葉に嬉しそうに笑う父さんと叔父さん。

 それだけで十分幸せだ。

 今日もいい一日だった。




 目を覚ましたら、そこは夢だった。ただ漠然とそう思った。

 ごろりと寝返りを打つ。目の前にあるのはいつもの見慣れた天井と、室内の照明を一手に担う蛍光灯。LED照明に変えようかとも思っていたが、親が買い置きの蛍光灯がまだあるのでそれを使ってくれと言うので、しがいない学生の俺はそれに従うしかない。別にLEDである必要性もないから別にいい。弟や妹の部屋は率先してLEDに変えてるのに、自分が長男だからって理由で後回しにされてるからって不満があるわけじゃない。あるわけじゃない。

「弟も妹も可愛いし」

 デジャヴって言ったっけ? この感覚。

 俺は部屋の隅の姿見の前に行き、自分の姿を確認する。昨日の夜はすっかり忘れていたから。制服だった。紺色のジャケットとグレーのスラックス。よくある感じの制服だ。少しだけ垂れ目がちの目が眠そうに瞬きをする。

「寝癖とかは……付いてないんだな」

 寝癖付きではじめましてはさすがに恥ずかしい。あ、でも昨日はどうだったろうか?

「まあいいや……」

 ドアに目をやる。今日はユメトはいない。開けたらまた上空に繋がっているのか、それと昨日みたいにログハウスのような部屋か。

 開ければ分かるか。

 外に向けて開いてみれば、そこにあったのはログハウスのような部屋。外へ続くドア以外は何もない。せめて机とテーブルがあれば、座って話をするくらいはできそうだが。そう思っていたら、じわりと部屋の景色が歪んで、部屋の中央にに丸テーブルと五脚の椅子が現れた。

「さすがに夢は便利だな」

 部屋広さも気が付けば最初よりも随分と広くなっている気がする。昨日会った人数が入るのに十分な広さのはずだ。

 二日目にして、なんかちょっと慣れてきた気がする。まあ昨日あれだけ人知を超えた物を見せられたしなあ。昨日の夢を反芻する。どこのアニメだ、ゲームだって言いたくなるあの光景がまざまざと思い出される。

 また今日もあの賑やかな連中と話をしなきゃいけないんだろうな。

 そう思っていたら、外へと続く扉をノックする音が聞こえた。

「ごめんください、誰かいらっしゃいませんか?」

 元気な少女の声、いや少年か? 小鳥よりも高い声。一体誰だろうか。

「どちら様でしょうか?」

「カナリアっていいます。ユメト兄さんからここに集合するよう言われたので来ました。開けてください」

「……どうぞ、鍵はかけてないから入れるよ」

 俺の言葉を受けて扉が開かれる。そろりそろりと、警戒するようだ。

「何にも無い?」

「何か必要なのか?」

「え? ううん? うーん? うん」

 それはどっちなんだろうか。一応テーブルと椅子はあるのだが。ああでも、昨日の面々だけでなく新しい客人もいるなら、この数では足りないか。

 やっぱり夢は便利なもので、気が付けば部屋の中央にあった丸い机は楕円形になり、その周囲におかれた椅子は全部で十脚になっていた。さらに、客人には何か飲み物でも出した方がいいんだろうか、なんて考えたからか、気が付けば部屋の隅に扉の無い小部屋の入り口が出来ていた。首を伸ばして覗いてみれば、案の定そこは俺の家の台所。俺と母さんが二入で管理する小さな城だ。

「とりあえず、何か飲み物出すから、入ってそこ座ってて」

「はい、お邪魔します」

 元気のいい返事だ。カナリアと名乗った、多分中学生くらいの少年は、大人物の黄色いウィンドブレーカーを着ていて、どう見てもサイズのあっていないそのシルエットは、昨日見た小鳥とよく似ていた。名前もカナリアだと言うのだから、もしかしたら同じような能力を持っているのかもしれない。

「コーヒー飲める?」

「あ、えっと苦く無ければ」

「じゃあココアにしよう」

「お願いします。ありがとうございます」

 ちょこんと椅子に座るカナリア。緊張はしていないらしく、丸っこい子供らしい顔ににこにこと人好きのする笑顔を浮かべている。

「あ、あの! もうすぐ兄と弟も来るんですが、二人はコーヒーも飲めます!」

 ビシッと右手を天井に突き上げるカナリア。

「分かった、じゃあコーヒーも入れておくよ」

 もっと客人が増えるのか。気が付けば、楕円のテーブルはさらに大きさを増し、椅子が二脚増えていた。

 蛇口を捻れば水が出る。スイッチを押せば火も点く。冷蔵庫にもシンク下にも、食器の入った棚にも、記憶にある通りの食材が、調理器具に買い置きの調味料が、客用の形の揃った食器が、きちんと仕舞われている。

 湯を沸かし、コーヒーポットや必要なものを用意し、挽いた状態で売られているコーヒー豆を取り出し、いつも朝父さんと母さんのために淹れるのと同じように淹れる。ココアも、弟達が好きなミルクココアを淹れる。確か買い置きのココナッツサブレもあった。俺これ好きだ。広い皿に出す。

 カナリアの前に持って行くと、ぱあっと笑顔が輝く。

「どうぞ、遠慮しなくていいから」

「ありがとうございます!」

 元気のいい返事。下の弟を思い出す。何にでも一生懸命でお兄ちゃん大好きで、ココアを淹れてやるとはしゃいでキャラキャラと高い声で笑う。控えめに言っても天使な弟だ。

 ココアの入ったマグを受け取るカナリア。うっかり、弟にするように頭を撫でてしまう。驚いたのか顔を上げ、口を開いて固まる。

「あ、悪い……弟、間違えた」

 すると、カナリア嬉しそうに目を細めると「僕も、兄さんに撫でられたかと思った」と声に出して笑った。

 そういや、こいつも誰かの弟なんだよな。こんな素直でよい子な弟がいるって事は、兄さんとやらもきっと良い奴なんだろう。

 そう思っていると、またも扉が叩かれる。今度はノックというよりもドラマなんかである借金の取り立てやのように、扉に殴る蹴るの暴行を加えているかのようだ。声も聞こえる。

「今すぐここを開けろ、すぐにだ」

「ちょっと紫煙兄さん、やめてよ、なんですぐそうやって喧嘩腰になんの」

 今度は男御二人連れ。一人は声が低くてくぐもってる。一人は少し高めで呆れているのがありありと分かる。

「あ、兄さん達だ」

 全然良い奴じゃなかった。

「あれが?」

「うん、僕の兄さん。過保護なの。ごめんなさい、えっと」

「止まり木……。今俺が開けたら殴られそうだな」

 苦笑するカナリア。否定しないんだな。カナリアはマグをテーブルに置く。

「僕が開けてくる」

「ああ、気を付けて」

 実の兄のを部屋に迎え入れるのに気を付けろってのは無いか。でもまだ扉への暴行は止んでいないようで、ドカバキと結構な音が聞こえている。

「兄さん今開けるねえ。花の枝も、ちょっと待ってね」

 カナリアの声に、ようやく扉を殴りつける音が止まった。

「カナリア……一人で先に行くなって言っただろ、馬鹿」

「ごめんね兄さん」

 扉を開くと、薄い灰色の前開きのパーカーを着た男がいた。成人しているのかしていないのか、俺よりは年上そうだが今一つよく分からん。ぼさぼさ髪に口には黒いマスク。人を殺していそうな隈に縁どられた濁った眼付。あ、これ駄目な人だ。

 駄目な人の後ろにいるのは、クリーム色のゆるふわニットにショートパンツ、薄茶のタイツと少し濃い色のショートブーツを履いた、一見すると男か女か分からない見た目の、多分男。年齢は駄目な人と同じくらいか。顔立ちは似ているけど、こちらはメンズ化粧品愛用者です、って感じのチャラチャラ感? ふわふわ感? いや、いっそ女性用化粧品使ってそう。

 何だろう、この二人組。

 駄目な人、もといたぶん紫煙と呼ばれた方だろう男は、カナリアの姿を目にするや、その細い体を抱きすくめ、狭い肩に顔を埋める。

「お前いないとか……無理。何で一人で行動すんだよ」

「ちょっと兄さん、それよりも先に挨拶、止まり木さん困ってるでしょ」

 もう一人の、多分こっちは花の枝だな。花の枝は紫煙を押しのけるように室内に入ってくると、真っ直ぐ俺へと手を伸ばす。

「初めまして、止まり木さん。貴方の事はユメトさんから聞いています。僕は花の枝、彼は紫煙。カナリアを含め、僕達三人は兄弟です」

「ああ、初めまして。止まり木です」

 握り返すと、花の枝の手は思ったよりごつくて、ちゃんと男の手をしていた。

「それと、もう一人……彼は僕のユメビト、シラユメ、僕は彼をユメと呼びますが、出来れば止まり木さんはサユと呼んであげてください」

 もう一人? 見れば花の枝の後ろに、花の枝にそっくりな少年がいた。歳はだいたい十三か四か、カナリアと同じくらいだろう。ってか、ユメビト?

「とりあえず、ココアとコーヒーどっち飲みます?」

「全員ココアで」

「ああ全員ココアなんだ」

 何だ、コーヒーは飲めるけど飲めるだけか。甘党かあの駄目っぽい人。案外駄目じゃないのかもしれない。

「いや、シスコンの時点で駄目なのか」

 ぽつりと溢した俺の言葉に、まるで宇宙人でも目にしたかのように紫煙と花の枝の目が見開かれ凝視される。怖いよあんたら。

「何?」

「えっと……シスコンって、誰の事ですかね?」

 引きつる頬を無理やり笑みの形に取り繕って花の枝が問う。

「……え?」

「え?」

 ああそうか……。

「カナリアって男の子? それともやっぱり女の子?」

「お、お、おおおおおおおお、男だよ!」

 尋ねると返ってくるのは分かりやすく動揺した返事。

「分かった、じゃあそういう事にしとく。ついでにさっきのシスコンは改める。悪かった」

 茫然と、もう顔にそう書いてあるんじゃないかってくらいに茫然と俺を見つめる紫煙と花の枝。サユは面白そうに俺達四人を観察している。

「僕、お兄さんがココア淹れるの手伝っていいですか?」

「いいけど……。ああ、紫煙と花の枝は座って待ってて。そこのサブレは食ってていいから」

 まだ衝撃から立ち直れていない様子の二人にそう言いおいて、俺とサユは台所へ。

「どうして分かったんですか?」

「何となく……俺も、妹いるから?」

 いや、本当に何となくなんだ。サユの声を押さえた問いかけに答える言葉を探してみても、何であの瞬間シスコンと言ってしまったのか、自分でも理解できなかった。

 ケトルに水を入れ火にかける。吹きこぼれないように見ていてくれとサユに頼んで俺はさっき仕舞ったばかりのココアを取り出す。缶入りのお高いやつだ。

「紫煙はカナリアを溺愛しているから、他の人には言わないでくださいね」

「ああ、それは見てて分かるし、カナリアが嫌がるなら言わないさ。でも、何であの体は男なんだ? そういう能力?」

 ココアの粉をカップに入れながら俺が問うと、ケトルの湯が沸くのをじっと見つめていたサユの目が俺に向けられた。

「ユメトさん、本当に何にも説明してないんですね。夢の世界には、本人の願望が強く反映されるんです。能力って呼んでるのもそれの一種なんですけど、それ以外にも、本人の容姿とか身体能力とか……年齢とか性別、そういうものが、現実と夢で違ってる人がいるんです。カナリアは、兄や弟と一緒にいるには自分が女になっちゃいけないと思っていたから、花の枝は姉に兄ばかりでなく自分も男として頼ってもらいたいって思いから」

「ああ、花の枝はカナリアの弟なのか……道理で、カナリアは弟が来るって言ってたのに、おかしいと思った」

 夢の世界は何でもありだなあ、本当に。でも、ここまでなんでも自分の自由にできる世界があるなら、それを欲しがる人間もいてもおかしくないのかもなあ。でも、ユメビトってどうやったら出会えるんだろうか。

 昨日のユメトや宿り木たちの話を考えるに、この部屋は俺のパーソナルスペースである大樹の中にあるから、きっと俺の考えに反応して形を変えているのだろうけど、流石に世界全体を変えることができるのは、きっと夢の主人の小鳥か、この夢を作ってるユメトだろうから。

「理解が早くて助かります」

「っていうか、多分ユメトは言葉で説明するより、実際に見せて理解させる方が得意な奴なんだと思う。カナリアと紫煙と花の枝、三人を見たら言葉で説明されるだけより早かったし。百聞は一見に如かずってやつ」

 かなり好意的に考えて、だけどな。実際は説明嫌いなだけかもしれない。

「……なるほど、確かにそうかも」

 分かりやすい理由の付随した性転換、分かりやすい理由の付随した年齢操作、分かりやすい理由のシスコン。そしてそれらに捕捉を付け加えてくれるユメビト。そういや、何でもう一人ユメビトがいるんだろうか。

「で、サユは何でこの世界に居んの? お前の世界は?」

 ケトルが笛のような音を立てて湯が沸いたことを知らせる。

「あ、沸きました」

「ありがとう、で、どうして?」

 ミトン使ってケトル掴んでカップに湯を注ぐ。スプーンを突っ込んでかき混ぜるようにサユに指示を出す。牛乳を冷蔵庫から取り出して、サユが混ぜたココアに少し注ぐ。

「僕は、花の枝が幼い頃に僕にしてくれたんです。そのせいで世界を作る力が無くて、代わりに花の枝が起きている時でも花の枝に話しかけて遊び相手になる事が出来るんですけど……」

「イマジナリーフレンド?」

 サユの言葉に、ふっと思いつくものがあった。

 幼い子供が寂しさから他人には見えない空想の友達を作るってやつだ。ユメビトのイマジナリーフレンドか、そんなことも起こり得るんだな。

「そうそれ! 僕は世界を作れない代わりに、ユメトさんを探し出して、この世界に仮住まいさせてもらったんです。この空と大地の鳥籠は、来るもの拒まずの世界なんで」

「来る者を拒む世界もあるんだ?」

 まあ夢の世界が個人の想像の世界だっていうなら、見られたくない物をしまい込む奴もいそうだよな。

「少なくないですよ。他にも、来る者を選ぶ世界とか、来る者を閉じ込める世界とか、来る者を拒まなくても留めない世界とか……色々」

 なるほど、色々か……十人十色っていうしな、夢の世界にそれだけ種類があっても何ら不思議はないのか。

 意外と大人しくしていた紫煙と花の枝にココアを持って行くと、二人はそれぞれカナリアの左右に陣取り、紫煙はカナリアからここナッツサブレを口に運んでもらい、花の枝はそんな二人の様子をスマホで写真に収めていた。あ、夢の中って電子機器使えるんだ。

「お待たせ。それって起きたら消えるんじゃないの?」

 あくまでも夢だし。

「普通はそうですね、でもサユがいるから僕の撮った写真は消えないんですよ。ボクの所持するスマホかタブレットのみなんですけどね、起きてもちゃんと写真がデータとして残ってるんです。あでも、プリントアウトするかデータを他の物に移して保存しなきゃ、時々消えてるかな」

「へえ……」

 ユメビトは電波生物らしいし、電子機器は電気の信号で動いてるからな。画像のデータだって要は電気の信号で作った画像情報の集合体っていうか、ドットに合わせて色を乗せていって絵の形にしてるんだったか?

 あ、じゃあ……この樹の上から写真撮ったら、どうなんだろ? あの幻想的な景色も写真にできるのか? だとしたらかなりいい能力だな。

「ネットに上げると高確率で消えるし、意味無いじゃん」

 サブレをかみ砕く音混じりに紫煙が嘲笑すると、花の枝は「いいの、兄さんには関係ない」と、ちょっと嫌そうに紫煙を睨みつける。カナリアは険悪そうな二人に困ったように眉尻を下げる。

「ねえ、ココア美味しいよ、兄さんも花ちゃんも、飲みなよ」

 カナリアが促すと、睨みあっていた二人の表情がまるで溶けるように和らぎ、それぞれの前に置いたカップを掴む。

「本当、美味しいねカナリア」

「カナリア、俺の分も飲む?」

「うん、ううん、もう僕は飲んだから、大丈夫、兄さん飲んで」

 カナリアの困り顔も、すっかり笑顔だ。

「面白い兄弟だな」

「いい人達なんです」

 答えにはなっていないと思うけど、まあ納得できる。

 ところで、俺は何でこの四人をココアとサブレでもてなしているんだろうか。嫌ではないけれど、そう言えば自分がする理由はないよな、と気が付いてしまう。

 まあいいか、ココアとサブレでこんだけ笑顔になる奴らだし、悪い奴らじゃないから。

「ところでさ、ユメトはいつごろ来るって?」

「あ、いつ頃かは聞いてませんでした……他の人も呼んでくるから、止まり木の部屋で適当に待っててって」

「勝手な奴」

 いいけどね。迷惑ってほどでもないし。

「……何人来るんだ? カップ足りるか?」

「足りなかったら、僕がどうにかします。少しくらいなら、夢の中での物の創造もできますから」

 健気な奴だなあ。主人だっていう花の枝を見ると、にこっと笑みを返された。

「止まり木! 今度は僕もココア淹れるの手伝いたい!」

 その花名の枝の横で、シュバッと元気よくカナリアが手を挙げる。いきなりの動きにちょっと驚く花の枝、嫌そうに眉をしかめる紫煙。

「今日は客だから、今度な。お代わりいるなら入れるけど」

「だめっすか? えっと、なら大人しくしてます。お代わりはいいよ。まだ入ってる」

「ん、分かった」

 盛大な舌打ちが聞こえる。たぶん紫煙だ。背を向けた瞬間かよ。直接攻撃はしてこないけど、これは明らかに嫌われたな。

「こんばんは、止まり木はいるかな?」

 嫌な雰囲気になりかけたところで、タイミングがいいのか悪いのか、呑気な声が扉の外から掛けられる。リズミカルにノックをする。姿が見えなくても煩いなユメト。

「開いてるから好きに入ってくればいいだろ」

「いやいや、君の個人的な空間だからね、君の許し無くして入るのは難しいんだよ。まったく無理ではないけどね。君に声をかけて、君がいいよと言ってくれた方が楽なんだよ」

 あははと笑ってユメトが扉を開ける、振り返ってみれば、ユメト以外にも昨日見た面々、小鳥と宿り木と稲妻の三人。ユメトと小鳥と稲妻は昨日と同じ服だが、宿り木は今日はセピアカラーの花柄がプリントされたシック調のロリータなワンピースを着てる。胸元の切り返しがジャンパースカートを重ね着しているように見える。髪は綺麗に巻いて方高に結っていて、頭にはスカートと共布のヘッドドレスまで付いている。やっぱ秋葉原とかにいそうだ。昨日のより可愛いと思う。

「僕達もいい?」

「どうぞ、ココアとコーヒーどっちを飲むか答えてから入ってこい」

 もうなんか面倒だからついでにそんな聞き方してみると、宿り木があからさまに顔をしかめながらも、律義に答えてくる。

「何よそれ? あたしはコーヒーで、ミルクとか砂糖はある?」

 それに続く稲妻と小鳥。

「俺ココア」

「僕もココア! あー! カナリアやっほ、久しぶり!」

「小鳥! ね、一週間ぶりくらい! また一緒に競争しようよ!」

「するする! ねえこの樹ね、でっかいしこの樹、この樹のてっぺんまで競争したい僕!」

「僕も! それ凄く素敵!」

 小鳥とカナリアはやっぱり仲が良いらしい。同じくらい元気な声でピーピーと囀りを交わしている。そしてそれをスマホで撮る花の枝。あ、何となくこいつの事分かってきたぞ。それを微笑ましそうに見るサユと、嫌そうに、でも邪魔はしない紫煙。ああ、やっぱ俺に対してだけ攻撃的か。シスコン呼ばわりしたせいだろうか。あとで謝るか。

「ねえ、何で僕には聞いてくれないの?」

「ユメトにはコーヒー、決定だから。牛乳と砂糖は好きなだけ入れろ」

 台所に向かい、先にコーヒーを用意して、その間にもう一度お湯を沸かす。

「サブレ足りねえ……」

 コーヒーと角砂糖の入ったシュガーポット、パックのまま牛乳をテーブルに並べる俺の目に、いつの間にか残すところ五枚となったここナッツサブレが飛び込んでくる。

「紫煙が食った」

「紫煙甘党だからね」

「兄さんにあげてたら無くなっちゃっった、ごめんなさい」

「お茶受けくらいなくても平気じゃないかしら? どうしてもってわけじゃないでしょ」

「でも僕もサブレ食べたい」

 稲妻、小鳥、カナリア、宿り木、また小鳥と口々に言って、チラッと俺を見る。

「夢の中なんだから、食っても食わなくても一緒だろ?」

 ぷくっと頬を膨らませる小鳥。子供か。宿り木は仕方ないわよと諦めているようだが、稲妻は俺も食いたかったと拗ねた様子だ。ユメトは苦笑しながらコーヒーをブラックのまま啜ってる。

「分かったよ、他にも何か持ってくるから、大人しくしてろガキども」

「わーい、ありがとう止まり木」

「やっぱお前良い奴だな」

「気を遣わせてしまってごめんなさいね」

 あーはいはい、いいよもう。賑やかなの嫌いじゃないし、おやつねだられるのは慣れてるし。ちゃんとありがとう言えるんなら文句はない。

 小鳥と稲妻の分のココアを作り、戸棚の中からキャラメルポップコーンを取り出す。ちょっと手がべたつくかもと思ったんだけど、まあいいか。皿にうつして持って行くと、小鳥、稲妻、カナリアに交じって手を伸ばす紫煙。お前って奴は。

「他にはねえの? 気が利かない」

 いやありがとうくらい言えよ。紫煙。

「探してくる」

「ちょっと紫煙、遠慮が無さすぎるわよ。こういう時はちゃんとお礼を言って、お願いするのが普通でしょ」

「客なんだろ、煩いよあんた」

 あ、もしかして一食触発か? と思ったら、カナリアが紫煙の額にチョップを繰り出した。

「兄さん」

「……悪い、頼んだ」

 あ、今のはもしかして俺に言ったのか? っていうか、まじでカナリアの言う事しか聞かねえこいつ。俺の中の紫煙の評価は、駄目そうな奴から、シスコンの駄目な奴に固定された。自分も結構なブラコン、シスコンのつもりだけど、こいつよりはましだよなあ。

 あとあるのは……あ、カステラ。切り分けるの面倒だけど、まああの人数分の茶受けだし仕方ないか。

 一本全部は流石に多いだろうか? いやでも俺も含めて八人だしいいか。面倒なので八等分にして小皿と形の揃わないフォーク掴んで一緒に持って行く。

「なあ止まり木、これってお前の家に本当に置いてある菓子?」

 カステラを見て稲妻が不思議そうに首をかしげる。来客用の茶菓子くらいどこの家にでもあると思うが、稲妻の所はそうじゃないのか?

「ああ、そうだぞ。サブレとポップコーンは弟達のおやつと、俺の小腹救済要員」

「あー、弟いんだ? いいな、俺一人子」

「賑やかだぞ。カステラ食える?」

「ん、俺アレルギーねえし平気。うちの親テンカブツガーさんだから、こういうの家で出てこないんだよなあ」

 稲妻って見た目何処にでもいそうな男子高校生だと思ったが、中身もそんな感じだな。ちょっと馴れ馴れしい気もするけど、昨日もいきなり抱き付いてきたしこんなもんなのか?

「こずかいも貰ってねえの?」

「んにゃ、貰ってる。コンビニの肉まんらぶ」

 キシシシと歯を見せて笑う稲妻。ああわかるわかる、学校帰りの肉まんは美味いな。

「俺カレーまんのが好き」とは俺の言葉。

「いやここはピザまんで」何故か花の枝。

「僕あんまーん」とカナリア。

「チョコまんだろ、セブンのが尻みてえで受ける」

 なぜ参戦した紫煙! お前甘党なのはブレないんだな。って、もうカステラ食いつくしてる。しかも俺のカステラ狙ってるだろお前目線怖いよ。仕方ないので自分の分として取り分けたカステラをカナリアに押しやる。

「紫煙、あんたね……私がいる前でわざと尻とか言うの止めてくれない?」

 イラッとした様子で宿り木が咎めると、紫煙は口の端をわずかに持ち上げる。

「お前が女って意識ねえから無理」

「いね!」

 シネではないんだな。

 カナリアが俺が押しやったカステラに気が付き目で「いいの?」と問う。いいよ、その隣でセクハラかましてる奴に食わせといて。

「口に物入ってたら少しは静かになるだろ」

「ありがとう止まり木」

 カナリアはカステラを自分の使っていたフォークで切りながら紫煙の口に運ぶ。あー、しまった今度は花の枝がめっちゃ苛ついてる。さっきのサブレはよくてこっちは駄目か。フォークが間接キスになるからか?

「自分で食べなよ紫煙」

「めんどくさい」

 いやめんどくさい半分、カナリアに構ってもらいたい半分だろ。分かりやすすぎてなんか怖い。

「あーとりあえず、そろそろ話の本題、いいかな?」

 もういい加減誰かが場を納めなくては話が進まないと思ったのだろう、ユメトが苦笑して話を切り出す。

「どうぞ、ぜひ話してちょうだい」

 宿り木がようやくかとため息を吐く。こいついつもこいつらの相手してんのかな? 苦労してんだろうな。

「はいはい、じゃあ、まずはなぜ皆をこの止まり木個人の空間に集めたかを説明します。気になってたでしょ? 特にサユちゃんさっきから止まり木のこと気にしまくり」

「あ、分かります? だってこんなに大きなパーソナルスペースもってる人初めて見たから。心が広いとか、大らかとかじゃ言い表せない大きさだよね」

 ユメトに話を振られ、俺の隣に座ったサユが愉快そうに笑う。まあサユが俺に興味を持っているんだろう、ってのは分かりやすいな。下から見上げてほほ笑まれるとつい可愛くて頭を撫でてしまう。するとサユはにへっと気の抜けたようなふにゃふにゃの笑みを浮かべる。あ、可愛いなこいつ。

 それはさておき。

「自分じゃ自覚ないけど、そんなにでかいのか?」

「大きわよ。そうね、普通の人が湯呑みなら、止まり木は二十五メートルプールだわ」

 宿り木の説明に、ポンと頭に浮かぶ水の張った学校のプール。そこから何度湯呑みで水をくみ出そうと、プールを満たす水はまるでなくなる気がしない。ああ凄くわかりやすい。

「確かにそれはでかいな」

「さすが宿り木。さては君、止まり木に説明するいい例え話を探してた? そういえば花の枝とサユちゃんを会せた方がいいって言いだしたの宿り木だしね」

「ええそうなの? だったら僕に直接言ってくれたらよかったのに。宿り木ちゃんの頼みだったら僕何でも聞いてあげるのにな」

 ふふ、とまるで女のように可愛らしく笑って見せる花の枝。だが何となくわざとらしい。

「けっこうよ。可愛い子ぶるのは好きな人相手だけにしたらどうかしら」

「ちぇっ……宿り木ちゃんは相変わらず僕達に厳しいな」

 花の枝を冷たくあしらい、宿り木は俺に目を向ける。

「今ユメトが言ったように、皆をここに集めるように頼んだのは私よ。止まり木は彼らに話を聞いたかしら? 隣に座ってるサユ、その子はユメビトなのだけど、その子が何故ここに居るのかとか」

「ああ、サユが夢の世界を作るの苦手ってのは聞いた」

 それはサユがこの世界にいる理由と共に聞いていた。

「じゃあ、ユメトが極端に世界を作るのが上手いっていうのは?」

「それは聞いてない。って、上手いんだ?」

 考えてみれば、確かにこの空と大地の鳥籠っていう夢の世界は、随分と細かく繊細だ。パッと見た限りでは、千葉の某夢の国よりもよっぽど細かいと言うか、リアルに人が住んでいそうな景色に見えた。

「上手いのよ、それも極端に。だからユメトは普通の人間が直接見たわけではない世界を作る事が出来るの。人に個性があるように、ユメビトにも個性や得意不得意があるのよ。

 そしてこのユメトの得意分野ってのは、数多くある夢の世界の中では、かなりの有用性を持っているの」

 有用性? この夢の世界でできる事って何があるんだろうか。

「アバターって映画を知っている?」

 聞いたことはある気もするけど、何だっけか? SNS何かのキャラクターもアバターっていうよな。でもあれじゃないのは分かる。

「……3D映像が綺麗で自殺者まで出した映画」

「ああ、何か青い人の」

 それは昔ニュースで見たな。そうだ、映画の世界があまりにも美しすぎて、現実に悲観して自殺をした人まで出たとかいう、SFだけどファンタジーな、とにかく映像美を売りにしていた映画だ。

「そう、それ」

「あー……あのアバターの世界みたいなのを、リアルに体験できるようになるって事か?」

 ユメトが世界を作るのが上手いと何が有用なのか、映画に金を払って、映画の世界に夢を持って、命まで落としてしまう人間がいるのだとしたら、なるほど確かに、それは他人を蹴落としてまでも欲しいと思えるものなのかもしれない。

 昨日見た、大樹の中から見た何処までも続きそうな広い空と、その下に横たわる濃い緑の地平がまざまざと思い出される。風が冷たくて、羽ばたく鳥が視界を横切って、木の葉が擦れる音がして、呼吸をしたら地上の雑多な匂いとは違う、木の幹と葉の青い匂いが胸を満たした。3Dなんて目じゃないほどにリアルな夢だ。

「そう! たとえ夢だとしても、この夢の世界では見た目だけじゃなく音も匂いも温度も痛みもあって、今食べているカステラみたいに味だってあるわ。それらを体感するために、金を出しても構わない、って思う人も世の中に入るでしょうね」

「商売になりそうだな。でもそれって、テーマパーク化するって事か?」

 オリエンタルランドならやりかねないな。そういえば最近ニュースで言っていたのだが、あの夢の国はまた値上げをするらしい。夏休みには一度でいいから行ってみたいと妹からねだられているのに、そんなにポンポン値上げされてしまったら、一介の高校生のお小遣いでは、妹の望みをかなえてやれない。

 ああでも、夢の世界ならば投資0から始められるだろうし、もしかしたら夢の国よりも安くてリアルなテーマパークになるかも。

「しないわよ。何それいいな、って感じに頷いてるのよ。あんたのツボ分かんないんだけど……。というかしてほしくないのよ。だからこの世界はあたしの物にならないなら小鳥の物であってほしいの。他の誰かの物になって、テーマパークかなんてされたら迷惑だわ……自分だけの秘密の場所を荒らされる気持ち、と言ったら分かってくれるかしら?」

 俺の勝手な妄想に、宿り木が呆れた様子で待ったをかける。横でユメトも苦笑いだ。

「ん、まあ……」

「サユの得意な事は何か聞いている?」

 チラリと横目に見ると、別に話しても構わないと頷いてくれる。

「起きてても花の枝と会話が出来るとかそれくらいなら」

「だけじゃないわよ。現実の人間を目の前にして、そいつの脳波を電磁波の形で感じることによって、相手が現実の花の枝にどんな感情を向けているかくらいなら分かるわ」

 何だそのオカルト。テレパシー? いや、感情だけならサイコメトリーの下位版?

「へえ……それって、何かやだな」

「そうね、そこは同じ感性でよかった。中にはこれを人心掌握のために使おうとか考える下衆な人もいるから」

 安心してコーヒーを一口啜る宿り木。俺のツボ分かんないって言ってたもんな。

「ああ、だからあんた花の枝を警戒してるのか」

 人心掌握のために使おうとしているから、そう言って時の宿り木の視線は、間違いなく花の枝に向いていて、花の枝はそんな視線にバツが悪そうに視線を逸らしていた。

「そうよ」

「話しなげえ」

 俺の言葉を肯定する宿り木。そんな会話に割って入ってきたのは紫煙。不機嫌を隠そうともせずに宿り木を睨み、花の枝から宿り木の視線を奪う。俺が弟好きだからこう思うのかもしれないが、何となく紫煙は花の枝を庇ったように見えた。

「仕方ないでしょ、理解してもらわなきゃいけないんだから」

「宿り木って律儀だよね」

 どうやらカステラを食べ終わり、すっかり飽きていた様子の小鳥も参戦する。

「それは褒め言葉として受け取っておくわ……面倒くさいとか、思わないでね」

「俺はむしろありがたい。ユメトは適当過ぎるから」

 これはフォローじゃなくて俺の本音。

「僕飽きたー」

 そしてこれは小鳥の包み隠さない本音だな。両手をテーブルに投げ出し、足をパタパタと鳴らし、花の枝越しにカナリアと一緒に小首をかしげ「ねー」っと声を揃える。カナリアお前もか。

「飽きるんじゃない! ああいいわもう、だったらあたしとユメトとサユで話しとくから、小鳥と稲妻と花の枝とカナリアと紫煙は外で遊んでなさいよ!」

 ごく当たり前のように花の枝と稲妻が混ぜられてる。花の枝はそれでいいみたいだが、稲妻はさすがにちょっと眉が寄っている。でもすぐに諦めたのか、真っ先に椅子を引き立ちあがる。昨日の小鳥との模擬戦の後にも思ったが、稲妻は乗りが良く気持ちの切り替えが早い奴なんだろうな。

「いいの?」

「いいわ、止まり木はあんたらと違ってちゃんと話を聞いてくれるから大丈夫よ」

「わーいいってきまーす」

「ん、行ってらっしゃい。あー……帰ってくるときは一応声かけろよ」

 ユメトが言うには、ここは俺の許可が無いと入れないらしいし。

「はーい」

「いこ、カナリア!」

 小鳥につられてカナリアも席を立ち、ピヨピヨコンビは揃って駆けるように扉にむかう。

「……ごっそさん」

「また後でなー止まり木」

「じゃあね、宿り木ちゃん、ユメあとよろしく」

 一応ごちそうさまを言う紫煙。苦笑しながら手を振る稲妻。へらへらと笑って面倒事をサユに押し付ける花の枝。三人も部屋から出ていった。外で何をするかは知らないが、小鳥とカナリアは空を飛べるっぽいし、さっき言っていた通りこの樹のてっぺんまで競争をするのかもな。

「賑やかだったな」

「賑やかだよー。毎日飽きない」

「楽しいのは良いことです」

 ユメトとサユはその賑やかさが嬉しいようだ。

「煩過ぎるわよ。話し続けるわね」

「ああ」

 ぐったりとした様子の宿り木。まあ俺もあれは疲れると思う。

「ああそうだ、話しの前に捕捉を一つ。子供っぽい人間の方が夢の世界に順応しやすいんだよ。彼らが子供っぽいんじゃなくて、順応している人間を集めているから、子供っぽいのが集まったって感じね」

「どっちも同じよ」

 ユメトのフォローになり切れていない捕捉にヤドリギは心底嫌そうに顔をしかめる。相手をしなきゃならない宿り木にしてみればそうだろうな。

「それで、さっきの説明で、ユメトやサユがとても有用な存在ってのは分かってくれたと思うんだけどね、その力を欲しがる他のユメビトや主人がいるのよ。これは昨日も説明したと思うけど、ユメビトがユメビトを食べることで、世界を吸収したり、ユメビトの得意分野の能力を奪う事が出来るの」

「ふうん……もしかして、ユメトって狙われてるのか?」

「ええそうよ。本当に話が早いわよね。でもここまでお膳立てして説明しているのに、理解が遅かったら目も当てられないからありがたいわ」

「まあ、ゲームとかではよくあるフラグとかイベントの導入だし」

「それね。あんた分かってるじゃない」

「どうも」

 ゲームに例えるっていうのは本当に便利だ。宿り木もそう思っているらしい。気を取り直して説明に戻る。

「ユメトが狙われてるって言ってもね、本当に戦争じみたことを仕掛けてくる人ってのは少ないのよ。年に一回あるかないかだわ」

「それって少ないのか?」

 年に一回命の取り合いみたいなことするって、現実ならありえなくないか。

「少ないと思うわよ。世界中のニュース見てればそう思うから」

「ああ、まあ、そうなのか……平和だもんなあ、日本って」

「平和なのよ……」

 テレビのニュースではいつもどこかで紛争が起こってるし、最近は中東やアフリカがどうとか、極東アジアの火薬庫も不穏だとか、色々あるしな、そう考えれば夢の世界の戦争ってのは、少ない方、かもしれない?

「ああもう、そうじゃなかったわ。ユメトの話よユメトの。何照れてんのよ」

 名前を連呼されユメトがわざとらしく身をよじって照れたふりをする。もしかしてこいつも宿り木の説明に飽きてるんだろうか? お前がやらなきゃいけないことを代わりにやってもらってるって自覚はないのかこいつ。

「はははははは」

「真剣に話してんの、こっちは。あんたねえ、こないだいきなり宣戦布告されたから、この世界の戦力増強のために、後方支援が必要だ! 小鳥のためのサポート役を見つけなきゃ、って言って止まり木探し当てたんでしょ! 何でそうへらへらしてんの!」

「ああそういう事か、なるほど」

 それがあのセリフに繋がるのか。「僕の主人は無茶が過ぎるんだよ。心優しいせいもあるが、まだまだ童心が抜けきれなくて、自分の限界を見誤ってしまうのさ。だからね、君に主人の休む場所になってもらいたい」それがユメトの俺への頼み事だったはずだ。

「納得してくれたの?」

 俺の相槌に、宿り木が驚く。

「全部じゃないけど、まあだいたいの所は……昨日俺に抱き付いて回復、とか言っていたし、あいつが小鳥で俺が止まり木なら、だいたいの想像は付くかな」

 最初からユメトは俺には小鳥の話しかしていなかった。自分の話よりも小鳥に会わせることを優先した。具体的な夢の世界の戦争について話してくれたのは宿り木だ。

 ある意味、ユメトはブレてないな。

「つまり、お前が命狙われてるし、宿り木たちにとっては居心地のいい場所が危機だから、それを阻止するために、俺に小鳥専属の回復掛かりやれって事なんだよな?」

 今まで聞いたことを自分の中で解釈し、答え合わせをするように口に出して聞いてみる。

「そう、ご名答。でも、君の場合小鳥専属でなくてもいいかも……必要だったのはご家庭のお風呂くらいだったんだけどさ、君ってば二十五メートルプールなんだもん」

 ユメトは宿り木の使った例えを用いて愉快そうに肩を揺らす。もし通販でもして家庭用の湯船の代わりに二十五メートルプールが届いたりしたら、そりゃ笑いたくもなるだろうけど、その笑われてる二十五メートルプールが自分って考えると複雑だな。

「そこ笑うとこ?」

「笑えないかな?」

「止まり木が複雑そうな顔してるわよ。気を悪くさせたら駄目でしょ」

「別に気を悪くってほどじゃ……ユメトにムカついてるだけだ」

 俺の言葉にユメトが笑うのをやめる。

「えー、ごめんごめん、悪気はないんだよ」

「悪気はなくてもからかう気はあったんでしょ……まったく。止まり木にはこっちから頭を下げて、お願いしますって言う立場なのよ? 分かってんの?」

 別に俺頭を下げてもらうほどなんかしなきゃいけないわけでもなさそうだけどな。やってせいぜい小鳥とか稲妻とかを体にひっつけるくらいか? ううん、それはまああんまりいい事じゃないのかも。出来るなら女の子に抱き付いて欲しい。宿り木とか……。

「いいよ頭なんか下げなくても。俺後方支援なんだろ? それに俺自身に特に労力使えって言っているわけでもないみたいだし、夢の中だけでいいんだったら、協力する」

「いいの? 見返りも何もあげらんないわよ?」

 見返り、下心を持って聞くとあれなセリフだな。いかんいかん、ちょっと今俺下衆だった。

「別にいいって」

「……あんたさ、この夢の中でやりたい事とか無いの?」

 下心抜きでやりたい事か、そうだな……。

「ないな。あるのは……ああそうだ、夢の中だけでも、俺の部屋の電気LEDに変えていいか?」




 目が覚めたらそこは夢の世界だった。これでもうかれこれ一月。今日はいよいよ決戦の日らしい。何の決戦かっていうと、ユメトをかけて宣戦布告で勝負を仕掛けてきた、他所の世界のユメビトと、その主人との。

 宿り木の説明では、今日の相手と言うのは実に正々堂々と、そりゃあもう他に類を見ないくらい堂々とした宣戦布告をしてきたらしい。使節を送って文書を渡して期限を設定して返事を待って、そして今日が期限切れの日。

 この日をもってその相手「暮れなずむ街」との戦争がはじまるんだとか。

「と言ってもねえ、いきなりドンパチやるわけじゃないんだよね」

「相手がいくらこちらに仕掛けてきたいと思っても、無理やり他人の夢の世界に入り込むのは困難なのよ。そういうのに優れてるユメビトか住人でもいない限りね」

「仕掛けてくるって事は、そういう手合いがいるんだろうけど、数は限られるから、結局のところ僕と小鳥の周囲さえ守っておけばいいんだよね。

 この世界の何処が壊されたとしても、僕はそれを直す事に一切の労力を感じないしさ」

 ここ最近すっかり集合場所となった俺のパーソナルスペース、命名「大樹」の作戦会議室と呼ばれるようになった部屋で、俺の入れたコーヒーを啜りながらユメトと宿り木が交互に話す。その間小鳥は大人しく俺の膝の上。何でだ?

 ちなみに今日の宿り木は深緑のケープ付きジャケットとベストに膨らんだハーフパンツといつもより踵の低いシューズだ。髪もかなりきつくひっ詰めてる。多分動きやすさを意識しているんだろうが、煩いくらいに襟にレースついてるし、飾りとしてしか機能してないボタンが沢山ついている。よく分からんが何でこいついつもコスプレっぽいんだろうか。他の奴らが全く変わらない服装だから余計に気になる。ああでも、現実じゃ人の目が気になる様な衣装を着るって、これも一つの夢の楽しみ方なのかもしれないな。

「普通はその町を壊されるなりなんなりをされたくなくて、相手のテリトリーに乗り込んで制圧とかするらしいのよ。でもそれをしなくていいなんて、あり得ないでしょ?」

 ありえないと言ってはいるが、宿り木はどことなく愉快そうだ。

「そこがユメトの凄いとこなんだよね」

 常識じゃないとこがすごいんだと小鳥は自慢気。小鳥は、まあ主人だってこともあるんだろうが、本当にユメト大好きだよな。こんなちゃらんぽらんな性格なのに。

「そう? 小鳥に褒めらると嬉しいなあ」

 ユメトも小鳥が大好きらしい。小鳥の頭を其れはそれは優しい手つきで撫でまわすユメト。ちょっと気持ち悪いとか思ってごめん。俺も弟撫でるの好きだけど、なんか客観的に見せられると気持ち悪いとか思ってごめん。でもやっぱ自分の膝の上でやられるとキモイ。

 でも、隣で宿り木も稲妻も呆れた顔をしているから、多分この気持ちは共通なんだと思う。

 ちなみに今日はカナリア、紫煙、花の枝はいない。サユはいる。

 三人は今大樹の上に俺が作った、っていうか作らされた物見櫓という名の、よく小学校の木とかにかけてある鳥の巣箱の様な部屋から、大樹の下に広がる町を見張ってもらっている。大樹に対して小さく見えるから鳥の巣箱と表現したが、大きさとしては十分人が住めそうな立派な小屋だ。しかもただ乗せてあるんじゃなくて、大樹から直接小屋が生えているから、滅多な事では落ちることが無い。

 カナリアは小鳥と同じように空を飛ぶだけでなく、音を使ったエコーの様な能力で索敵をし、紫煙は煙を使った視覚と温度での索敵をし、花の枝はその二人の得た情報をサユにそのまま送る事が出来るらしい。

 三人としては自力で世界を作る事の出来ないサユや自分達を匿ってもらっているこの空と大地の鳥籠は、自分達の世界と同じくらい大事なものらしく、夢の世界戦争には率先して協力をしているんだとか。

「あ、花の枝から連絡です、紫煙が饅頭を寄越せとのこと」

「またかあの甘党」

「まあ彼は発散型の能力だしねえ。夢の中でも食事を摂るってのは、一種の回復行動だし仕方ないことなんだよね、彼の場合」

 俺はまだ夢の中で腹が空くという経験をしていないのだが、発散型といわれる紫煙や浪費型と言われる宿り木は、能力を使いすぎると疲れたり眠くなったりするだけでなく、ひどく気が落ち込んだり腹が空くらしい。

 それを回復するのが夢の中での食事で、食事をすることでそこに付随する幸福感を得て精神の回復が出来るんだとか。俺の場合は存在そのものが回復チートの癒しの泉みたいなものなので、俺が手ずから用意した食事なんかは特にその効果が強いから、俺の家の台所に常備してある茶菓子は、毎日俺の手を経てこいつらの腹の中に収められている。わざわざ作れとまでは言わないのは、俺が料理をそこそこできるって知らないからだと思う。今度機会があったら食わせて驚かせてみようか。

 とにかく、それで毎日模擬戦したりじゃれて遊んだりしてる奴らのおさんどんをさせられてるんだが、カナリアや花の枝はともかく、紫煙がひたすら態度が悪い。

 今日だって最初から命令口調かこの野郎、って感じだよ全く。

 小鳥が名残惜しそうに俺の膝から降りる。可哀想なので軽く頭を撫でておく。にぱっと笑った顔が可愛いなおい。俺もユメトと同類なのかも。

 今日は現実の世界で明日のおやつにしようと買ってきていた芋饅頭を台所に置いておいたのだが、目ざとく見つけてやがったようだ。仕方ないのでほうじ茶を入れて、まんじゅうをパックから出して皿に盛り、それを届けに上へと昇る。この登るためのエレベーターもユメトに言われ作らされた。仕組みは知らないけどなんか想像したらできたので、本当に夢の世界万々歳だ。俺この大樹の中じゃ万能らしい。

 ただいかんせん想像力がなあ。自分の知っている周辺の環境くらいでしか想像できないせいで、物見櫓もエレベーターもユメトや宿り木に言われなければ作る事も無かった。あと部屋の内装が全く思い浮かばないせいで、樹なら部屋はログハウスだろって安直な想像しかできないのも……想像力付ける努力するか?

 つらつら考えているうちにエレベーターはあっという間に物見櫓へとたどり着く。このエレベーターの速度は、ユメトが言うにはスカイツリーのエレベーターと同じくらいらしい。そういう情報を他人の夢から引き出してきて反映させたんだとか。ものの数十秒で天空の秘密基地へご案内とか、やるなヒタチ製エレベーター。

「持ってきたぞ」

「とまりぎー」

「う、ちょ、カナリアいきなりしがみ付くな。紫煙ちゃんと礼を言わなきゃ食わせないからな。花の枝あとでちゃんと食器持ってこいよ」

 見張り用の櫓直通エレベーターの扉が開くと、待ってましたとばかりにカナリアが飛びつてくる。うわ、ちょっとお茶零れそうだった。

 櫓の部屋の大きさは、俺の家のリビングくらい。想像しやすい広さってのは、自分の生活に根付いた物らしい。だからその部屋の中のL字の大きなソファも、ガラスのテーブルも、端っこに置かれた四角いピアノも大型テレビも、全部俺の家にあるものだ。ピアノはさすがに要らなかったかなと思ったが、どうも紫煙はこう見えてピアノが弾けて、カナリアはそれに合わせて歌うのが好きなんだそうで、時々俺に気づかれないようこっそり二人でたのしんでいる。何で知ってるかって? いやだってここ俺のパーソナルスペースだから。

「チッ……ざけんな、寄越せ、ありがとうございます」

「はい、よくできました」

 腰にしがみ付くカナリアを引き摺るように部屋の中央のテーブルまで行くと、持ってきた饅頭と湯のみを並べる。花の枝が急須を取り並べた湯呑みに茶を注ぐ。

「ありがとう止まり木。いつもごめんね」

「本当にごめんと思ってるならお前の兄貴どうにかしろ」

「無理」

 にこっと、可愛らしく笑う花の枝。また紫煙の舌打ちが聞こえた。紫煙は自分の兄弟が誰かと仲良くしているのが気に食わないらしい。カナリアはいつの間にか俺の背中に張り付き、足を宙に浮かせている。お前の兄ちゃんが怖くなるから俺に懐くの止めてください。

 カナリアはどうも俺にひっつくのが気に入ったらしい。これは小鳥もなのだが、何でも能力の相性が良すぎるせいで、二人にとって俺はフェロモンを放出しまくっている状態らしい。嫌じゃないけど正直困る。

 モテるのなら可愛い女の子が良かったです。

「で、何か発見は?」

「まだ初日だしね、無いと思うよ」

「そうなのか?」

 期限が切れたら即決戦ってわけでもないのに、こいつらはこうして警戒してんのはどうしてだろうか。この空と大地の鳥籠は、戦闘要員が少ないが、その分少数精鋭らしい。でもその精鋭っていうのが目の前のこの兄弟らしいってのは何かしっくりこない。

「うん、期限切れの初日はまだ警戒心が強いってのは分かっていることだし、緊張の切れる瞬間を狙ってくるのがセオリーだと思うよ」

「そんなにセオリーって言えるほど何回もやってんのか?」

 しっくりは来ないが、場数踏んでるのは確かなんだろうな。花の枝は特に緊張した様子もなく相変わらずの笑顔で説明をしてくれる。

「うん、まあ……もう五年以上だし」

「ふうん……」

 五年か……花の枝のイマジナリーフレンドだったっていうサユがだいたい十三か四くらいだから、花の枝の本当の年齢も同じくらいか。うちの妹や弟と同じくらいの頃から、物騒な事をしてたってのか?

「あ!」

 俺が考えに浸っていると、不意にカナリアが高い声をあげた。

「どうしたカナリア?」

 目を見開き窓へと取りつくカナリア。

「多分竈さんのとこの扉が破られた」

 それはもしかして、敵の襲撃が始まったってことか?

「ああ、竈のとこだな、多分人数は五人だ……セオリー外れたな」

 紫煙が黒いマスクを指でずらし、にやりと薄い唇を笑みに変える。

「そういう事もあるよ。カナリア、お願いできる?」

 花の枝はそんな分かりやすい挑発には乗らず、何処からかモモの花の咲く枝を一本取り出し、しっかりとカナリアに持たせる。

「うん。行ってくる」

 窓に足をかけ飛び出していくカナリア。パーカーの袖が大きく広がり黄色い翼になる。青い空に鮮やかな黄色が咲き誇るようだ。

「あれは?」

「僕の能力の一つ。僕って多芸なの」

「効果は?」

「大したものじゃないけど、僕の花を持ってる相手には攻撃心が向けにくくなるよ」

 遠くなっていくカナリアの背を見送りながら花の枝に訪ねると、少し誇らしげな声で返事が返る。

「へえ……って事は、その竈さんを助けに行くのか?」

「まあね」

 竈と言うのがどういう人物かは知らないが、扉が破られてそこから敵の侵入があったのだとしたら、その竈に危害が加えられている可能性があると思ったのだが、助けるという言葉を否定しないという事は、まあそうなんだろうな。

「おい、あいつら真っ直ぐこの樹目指してるぞ」

 紫煙がマスクをずらしたまま不機嫌に舌打ちをし、低い声で告げる。

 紫煙の薄く開かれた唇からは糸のように白い煙がこぼれだし床に蟠っていた。この煙が紫煙の能力だとかで、これを使い周囲の人間を補足することができるらしい。濃度を濃くするとできる事はもっと増えるそうだが、煙を吐き出せば吐き出すほど紫煙は疲弊するので、使える量は限られてくる。今は……襲撃に備えているんだろうな。

「はーい、サユに伝えたよ。止まり木は下に戻ってて、僕達はまだここに居るから」

「分かった……」

「カナリア、それ竈に届けたらすぐ帰って来い。多分……俺だけじゃ攪乱できない」

「はーい」

 今この場にいないはずのカナリアに紫煙が話しかけると、何処からかカナリアの声が聞こえてきた。これはカナリアの能力らしい。

「……おい」

 うわ、珍しく俺に直接話しかけてきやがったこのシスコン。思わずビビる俺。嫌だってこいつ問答無用で殴りかかってきそうなんだよ。なんか犯罪者臭いんだよ。

「何だよ?」

「できる限り早くて美味いもん作って待ってろ。お前が出来るのはそれくらいだ」

 それくらいって……確かにそうだけど。言い方ってもんがあるんじゃないか。

「……分かった」

「ごめんね止まり木、気を悪くしないで」

「いや大丈夫、後方支援のためってのは最初から分かってたから」

 花の枝がフォローを入れてくるが、大丈夫だ、分かってるから。

 下の階へ戻ると、そこにはユメトと宿り木とサユの三人だけ。すでに小鳥と稲妻は出ていった後だった。

 三人は真剣な顔でじっと目を閉じ黙り込んでいる。一体何をしているんだろうか。

「それ、何してんの?」

「ああお帰り止まり木。ごめんね、君には今どういう状況下見えないよね」

 俺に向かい目を開いてユメトが苦笑する。

「その言い方だとお前らには見えてるみたいだな」

「見えてるわよ。少し待ってね、あんたにも見えるようにしてあげる」

 宿り木も俺の方に向き直る。気のせいでなければ、額に一対目が増えてないかお前。

 宿り木が俺の手を掴みすぐに放す。つかまれた場所から宿り木の物と同じ細い手が生え、邪魔にならないようにだろう、俺の腕を掴んでくる。こういう悪趣味なアクセありそうだよな。手にはしっかりと体温があった。

「うわ、気持ち悪」

 俺の素直な感想に、宿り木は呆れたような諦めたような溜息をつく。

「仕方ないでしょ。寄生する以上どこかに一部を生やしておかなきゃいけないんだもの。でも後は意識を小鳥か稲妻かカナリアに向けて目を閉じれば、カナリアが見てるものと同じ景色が見られるから」

 そういえば前に少しだけ説明されたことがあった。宿り木は寄生した人間同士の感覚を繋ぐことが出来るのだとか。と言っても、それは宿り木が寄生させた部位のみだが。

 だから宿り木の額にあるもう一対の目と同じ物が、今小鳥、稲妻、カナリアにも現れてるんだろうな。想像すると不気味な光景かもしれない。

 ちなみにその感覚を共有する際の労力は寄生された側持ち。本来は戦闘に使う能力ではなく、こうしたサポート役として宿り木は小鳥たちに協力しているんだそうだ。

 俺は夢の世界では無尽蔵の体力があるってことらしいから、宿り木が寄生を解除するか、俺が自力でこの手を千切るかしない限り、宿り木が寄生している人間の感覚を共有できるって事だよな。

「便利だな」

「見た目さえグロテスクでなければね、便利よ、とっても」

「何でこんな見た目なんだ?」

 見た目にわざわざ出さなきゃいけない理由が何かあるんだろうか。

「あたしがあたしのコピー欲しいと思ってたから。あたしの能力の本質は繋ぐことじゃなくて増やす事だったの。今は名前を変えた事や、小鳥たちとの付き合いでだいぶ変わったけどね」

 そういえば、最初合わせ鏡とか言う名前だったって言っていたな。

「前にも少し話した気がするけど覚えてる? 能力ってのは願望の表れなのよ……あたしね、本当は死んだ姉さんにまた会いたいって思ってたんだけどね、ここに来たの姉さんが死んでからだいぶ経ってたから、結局姉さんのこと殆ど思い出せなくて、出来上がったのは自分の一部をバラバラにし手て繋ぎ合わせたような物だったのよね……正直すっごく怖かった」

 重い話だなおい。それをこのタイミングで俺に話す理由って何だよ。いや別にタイミングがいつだってよかったのかもしれない。語る宿り木の表情や口調は特に辛そうだという事も無く、ちょっとした世間話や愚痴程度の軽さだ。

「僕も見たよ。肌は血の気が無くて白っぽい黄色だし、目は虚ろだし、体は継ぎ接ぎだし」

 ケラケラと声に出し笑いながらユメトが口を挟む。しかし内容は何かどっかで聞いたことのあるようなスリラー。

「フランケンシュタインみたいな?」

 サユもついでとばかりに口を挟む。

「まさしくそれ!」

 ビシッと指差して宿り木も笑った。本当に特に気にしていないようで何よりだ。身内の死なんて話、そうそう口にして気持ちの良いもんじゃないしな。

「ホラーだな」

 ホラーだしオカルトだしエスパーだ。

 目を閉じて小鳥の姿を思い浮かべてみると、暗い瞼の裏に急にどこか見覚えのある情景が浮かんだ。この一月に何度となく歩いた大樹下の町並みだ。どこかの屋根の上から見下ろしているらしく、やけに高い位置に視界が広がっている。目を開くとその景色は消え、ログハウスの様な、ユメト曰く作戦会議室と得意げな顔の宿り木。

「どう、見えた?」

「見えた……」

「すごいでしょ?」

「すごいな、見た目意外」

 俺の腕に絡み付く宿り木の腕を掲げてみせると、悪戯っぽく宿り木が笑う。

「もう諦めたから、バラバラの体だけ動かしてたらこうなったの。今は重宝してる」

「前向きなんだな」

「前を向いていないところんじゃうでしょ?」

 なるほど、確かに人は後ろ向き者歩けないな。

「自分で転んで痛い思いして泣き喚くなんて、幼い子供のやる事だわ」

 うん、そうだよな。まだ俺達は子供じゃない、とは言い難い年齢だけれど、子ども扱いされて涙を人に拭ってもらう年齢でもないんだよな。

 宿り木の前向きな姿勢は、何と言うか……俺と同じようで、俺よりももっと強くて気持ちの良いもののように見えた。

 こいつ、なんか良い奴だな。

「止まり木、お願いがあるんだけど」

「なに?」

「多分これが終わったらあたしたちは相当お腹空くと思うから、何か食べ物を用意してくれないかしら?」

 そうか、能力常に発動している状態ってのは、そういう事だよな。紫煙にも言われたし。

「分かった、大したもんは用意できないけど……」

 大したもんじゃなくても、心のこもった物だったらいいのかもしれない。

「俺が出来る限りのもん食わせてやるから、安心してくれ」

 ちょっとだけ、こいつらの力になるために、俺も頑張ってもいいかなと思った。


 戦闘は小鳥の目線で見ることにした。俺は特に何か作戦に参加するわけではないが、通信役のサユと参謀の宿り木、事後処理係のユメトはこれをしっかりと見ておく必要があるとかで、カナリア、稲妻、小鳥の目線を担当して見ているらしい。

 確か相手は五人と言っていたか。基本的に戦闘に参加するのは稲妻と小鳥で、カナリア、紫煙はサポート。紫煙は薄く伸ばした煙を町中満たしてしているとかで、物見櫓から動くことなく参加できるのだとか。小鳥が上空を飛び回る。カナリアは少し高い時計塔に止まっている。稲妻は屋根の上を飛び跳ねながら敵に接近している。

 敵がいると思わしき場所が、わずかに煙っているのが小鳥の目には見えていた。なるほどこれが紫煙のサポートなのだろう。敵はまとめて真っ直ぐ大樹に向かってきているらしい。五人って数は少なすぎるような気がしたが、夢の世界戦争は、基本軍勢対軍勢になる事はまずない。何故なら夢の住人の能力というのは個性が強すぎて軍に編成することが難しいからだ。

 まあ確かに、個人で飛行する人間と、人間らしからぬ動きが出来る人間と、動きは常人だが手足を無数に生やせる人間が、同じ隊列を組めるはずもないもんな。どこかの三国志に登場する美しい将軍も、軍は隊列の美しさが強さの証みたいなこと言ってたし。

 小鳥は薄い煙の中を疾走する五人を上空から見ている。路地のように細い道を通っているからか、手出しはしない。いや、一人、敵が大きく転倒した。転倒した敵の周辺の煙が一気に濃くなる。紫煙が何かをしたのだろう。

 途端小鳥は矢のように急降下をし、転倒したその一人の肩に鳥の物となった足をかけ、初めて俺が見た稲妻のとの戦闘の時のように持ち上げ近くの壁へと躊躇いなく叩きつける。くぐもった呻き声。煙に巻かれて小鳥の目には見えないが、残りの四人が小鳥に気が付き警戒の声をあげたのが分かった。チュインと、金属のワイヤーをでたらめに弾くような耳障りな音がした。多分耳も宿り木が寄生させているのだろう。

 小鳥は基本の戦闘スタイルが一撃離脱のため、壁に叩きつけた男がどうなっているかも確認せずに大きく上空へと飛び上がる。

「やばーいやばーい、大変宿り木、あいつら僕の事見えてる。目隠し意味無いみたい」

 小鳥が敵から逃れるように高く飛び上がったまま宿り木に向け報告する。

「何かあったの?」

「翼撃たれた。見えなかったけどなんか鉄砲みたいな飛び道具持ってると思う」

「そう、分かったわ……花の枝の花はもう竈に渡した?」

「まだ」

 小鳥と宿り木の会話にカナリアの声が混じる。どういう仕組みなのかは分からないが、このスムーズな通信は宿り木のおかげなのだろう。意識してカナリアの視点に合わせると、カナリアは未だ手に桃の花の枝を持ち、時計塔から移動しどこか建物の屋根に止まっているようだ。視界の端に小鳥が映る。翼を羽ばたかせながら足元の濃い煙の中を警戒している。って、さっきより煙濃くなってんのな。それともう一か所、別の場所で煙が濃い場所がある。どうやらそこに竈がいるのだろう、大きな煙突のあるパン屋のショーウィンドウの様な広い窓のある建物の周辺だ。場所が分かっているのにカナリアは竈のいる場所と敵のいる場所、ほぼ中間の位置で様子をうかがっている。

「稲妻、あんた行けそう?」

「問題ないぜ。広いとこに誘き出すか?」

「ええお願い。人魚姫の噴水広場まで。飛び道具を持っているらしいから気を付けてね。サユ、紫煙に人魚姫の噴水広場まで誘導するよう、手を貸すように伝えて」

「伝えました。カナリアはどうしますか?」

「竈の救出優先。枝を渡したら即扉を閉めて帰還を」

「分かった」

 カナリアが答え竈のいるだろう場所に向かい飛び出す。また、チュインと高い金属音。カナリアの体が傾ぎ地面へと落ちた。

「カナリア!」

「撃たれた!」

 宿り木と小鳥が同時に叫ぶ。俺は小鳥に視点を変える。小鳥はカナリアに向かい急降下していた。敵を包む煙が黒く変色している。

「やば、ちょっと紫煙落ち着いて!」

 宿り木が慌てて声を荒げる。小鳥は黒く蟠り収束していく煙に目を向けていた。煙が人の姿を取る。何となく予想はつくけどもしかして……ああやっぱり。煙はアッと言うまに紫煙の姿に代わっていた。

「あんた馬鹿じゃないの! 直接の攻撃手段も持たないくせに!」

 宿り木がヒステリックに叫ぶと、紫煙は「うるせえよ」と低く吐き捨て、すっかり煙が晴れて姿の見えるようになった四人に対峙する。四人? ああ、さっき一人は完全に気を失わせてたんだな。

「紫煙駄目、下がってて。カナリアを連れて逃げて。こいつら花の枝の力も効かない」

 小鳥が紫煙のパーカーの袖を引く。そうだ、確かに人からの攻撃を受けにくくなるはずの桃の花の枝だが、その効力を発揮してない。

「耳のでかい奴がいるけど、そいつじゃないか?」

「え?」

 対峙する四人の敵のうち、左端の奴。四人とも分かりやすい学生服と学生帽で身を固めているため個性が無いように見えるが、そいつだけやけに耳が大きくて、まるでマギー史郎がマジックショーで掴みにやるギャグのような外見になっている。もし目が見えていないのに攻撃をできるんだとしたら、こいつなんじゃないかと思ったのだが。

 四人が動く。耳の奴が一歩下がるとそれを庇うように何故が鞭のように長い尾を生やした奴が前に進んで紫煙に向かい尾を振るう。ピュウと風を切る鋭い音から相当な威力があるんだろうと想像できた。しかも伸びやがる。一歩後ろに下がって避けようとした紫煙の肩を、一瞬で長さの増した尾が打つ。紫煙の体がぐらりと傾いだ。耳の男が手にしていた謎の筒状の物体を小鳥へと向ける。小鳥はカナリアの体を足で掴むと、地面を這うように飛んだ。カナリアは少し引き摺られたが、チュインと言う金属音とともに放たれた礫は、それまで小鳥とカナリアの居た地面に叩きつけられ跳ねたので、小鳥の判断で間違いはなかったようだ。小鳥は男たちから距離を取りさらに上空へと昇る。カナリアは地面に落ちた時に気を失っていたようで、身動きが一切ない。

「耳と尾の奴は分かったけど、もう二人は何だろ?」

「多分片方が腕力とかそういう奴。あいつだけ学生服肩パツパツ」

「あ、本当だ。じゃあ接近戦に持ち込まなきゃ大丈夫よね。変な筒持ってるのは、最初に小鳥がやった奴と耳だけかしら」

 緊張感の無いユメトの声に目に見える範囲の情報でそう返すと、反応を返したのは宿り木。

「止まり木って他人事のように見てるでしょ? いいね、お陰で気が付かない事に気が付ける」

「どうも。それより飛び道具のどうすんだ? あれって何の能力?」

「さあ、見た事ない。類似した能力も分からない。ただ、あれを他の三人も持ってたら厄介だよねえ」

 厄介だが、見た目的にはもっていないように見える。何処かにしまうにしても、耳の奴が持っているそれはマジックショーでよく使われる杖と同じくらのサイズなので、背中に差して持っていたとしても動きが阻害され、簡単に隠すことはできそうにない。倒れている男の傍に一本落ちてはいるが、それを拾う間に紫煙からの攻撃があるかもしれないと警戒しているのだろう、四人はあしを擦るよにうに移動し距離を取るばかりだ。

 紫煙はどうやら煙を使うようだが、宿り木はそれを決定的な攻撃手段が無いと評した。宿り木の場合も、人に自分の体を寄生させるが、それが決定的な攻撃手段になる事はなく、寄生された側の人間の身体能力に左右されているようだった。警戒をされているが、何時までも睨みあっているだけでは終わらないだろう。紫煙は何をするつもりであんな場所に立っているのか。

「……視覚に頼ってねえのは耳の奴だけか?」

 紫煙が小声で訪ねてくる。

「分からないけれど、攻撃が単発ずつだから、一人だけだと思うわよ。尻尾は中距離、学生服の肩がパツパツな奴は至近距離の攻撃手だと考えて、耳ときぜつしてる奴が長距離攻撃って事なら、もう一人は持ち物やバランス的に考えて近距離化中距離じゃないかしら」

 宿り木の意見に俺も賛成。実際、紫煙を挟んで少し離れたとこに降りた小鳥とカナリアには手を出そうとしてないしな。

 多分こうして睨みあっている間に、向こうも紫煙たちの攻撃手段は何かを考えているんだろう。小鳥は分かりやすく肉弾戦専門。紫煙は見た目だけではわからないだろう。カナリアも小鳥と同じだと思っているかもしれない。

「兄さん耳塞いで」

 カナリアの声が会話に交じる。どうやら目を覚ましたらしい。

 紫煙がカナリアを振り返る。馬鹿、何隙だらけになってんだよ。

 紫煙をめがけ尻尾が鞭のようにしなりながら振り下ろされる。また伸びてやがる。バチンとはじけるような音とともに石畳叩きつけられる尻尾。紫煙の体が煙のように霧散していた。男たちが瞠目する。

 急に、小鳥たちと共有していた音が消えた。一体何があったのか、一拍も置かない内に男たちが頭を押さえて蹲る。耳の奴に至っては手を動かす間もなくイナバウアーのように大きくのけぞり、そのままばたりと倒れてしまう。今頭ぶつけてなかったか?

「うわああああ、耳痛い」

 悲鳴を上げたのはサユ。目を開いてみれば、サユ一人がひんひんと半泣きになりながら頭を抱えて蹲っていた。

「カナリアがカナリアって名前なのはね、音を使う事が出来るからなんだよね」

 ユメトが俺の視線に気が付き、腰に手を当てビシッと決めポーズをしながら解説をしてくる。要らね、そのポーズ。

「音を遮断したのは知ってたからか?」

 宿り木は目を閉じたままそうだと頷く。

「紫煙が真っ二つになったのは?」

「あれは見た目だけで実体じゃないから」

 ユメトが得意げに答える。だからお前の功績じゃないだろって。

「でもさっきは当たってなかったか?」

「濃くしてある部分はね、少しだけ触れるのよ。それで最初にだまして油断をさせるの。いつもの手だわ」

 なるほど、それを分かってて紫煙はカナリアを背に庇いながら敵と睨みあい、カナリアが意識を取り戻すのを待っていたって事か。直接の攻撃手段は持っていないが、カナリアとの連携で相手を怯ませるくらいはできる。それが今回は耳の奴には相性抜群だったという事か。

「慣れてんだな」

「ええ、慣れてるわよ」

「逆に、向こうはあんまり慣れてないみたいだね」

 ユメトの言葉に、俺はもう一度目を閉じて小鳥の視線を共有する。三人に数を減らした敵は、揃って背を向け駆け出していた。倒れた二人は放置らしい。紫煙の姿は完全に消えている。

「カナリアは戦意を喪失してる二人を拘束しておいて。小鳥は紫煙と稲妻と一緒に人魚姫の噴水広場まで敵を誘導。紫煙、今度はちゃんと言う事聞いてよ。いい子にできたら……あたしの手をいくらでも使っていいから!」

「何本?」

「何本でも、今日は止まり木がいるもの……倒れるまでやっちゃいなさいよ」

「くはは、それ、いいね」

 それがいったい何のやり取りなのかは分からないが、珍しく紫煙は宿り木の言う事を聞くようだ。濃い煙が逃げる三人の周囲を取り巻く。その前方を稲妻がかけているのが小鳥の目には見えていた。煙越しに影を見せ、周囲がすでに取り囲まれていると錯覚させているのか、稲妻は三人の右に左にと走り、直接の接触は持たない。

 稲妻の陰から逃げるように走る三人。その逃げる道は紫煙が一方的に作っている事にも気が付いていない。濃い場所と薄い場所、その差がとっさに判断できずただ見えている道に誘い込まれるように逃げていく。

 三人の足が止まる。いつの間にか開けた場所に出ていた。ちょっとした公園くらいはある。キャッチボールでボールを飛ばし過ぎても迷惑はかけなさそうな場所だ。

 上空から追尾していた小鳥の目には、三人がその広場に誘い込まれるまでの様子がつぶさに見えていた。広場の真ん中よりやや北側には、何処だったか北欧の国にあるという、がっかり観光地で名高い人魚姫の像を模した噴水がある。なるほど人魚姫の噴水広場か。わざわざ開けた場所に誘導した理由は何だろうか。

 広場からは四方八方に道が伸びていたが、その道にはどこも濃い煙が立ち込め、道を塞いでいるように見える。煙なのだから見えるだけなのだろうが、慣れない場所ではその道の先に何があるかなど分かりはしないだろう。三人の男たちはすっかり行き場を失くした様子で周囲を見渡し立ちすくむ。

「上出来……。紫煙は尻尾、小鳥は肩の張ってる奴、稲妻は残りの奴お願いね」

「ひひ、もちろん……」

「はいはーい、オッケーだよ」

「うえー、俺だけリスク高い」

 三者三様の返事が返り、小鳥が動いた。急降下する視界いっぱいに、肩の張った男が映る。紫煙と稲妻も同じタイミングで動いたのか、くぐもった悲鳴が上がった。

 小鳥は男の肩に脚を掛けると、いつものように掴むのではなく、それを踏み台にするように強く蹴りつける。男が拳を振り上げるのを、わざと翼に当てさせ大量の羽を散らしながら飛び上がる。舞う羽が男の視界を遮るのと、まるでその羽が小鳥のダメージを表しているように見えたのか、男は愉快そうにハッと息を吐いて笑った。だが残念、小鳥の場合羽が散れば散るほど無傷なんだよなあ。

 小鳥は一度飛び上がったくせに、もう一度、今度は男の頭部を鷲掴むように足を踏み下ろす。すっかり油断していた男は、顔面に迫る巨大な鳥の足に悲鳴を上げると大きく後ろにのけぞり倒れた。そのまま何度も男の顔を蹴りつける小鳥。悲鳴を上げながらがむしゃらに腕を振るう男。舞う青い羽。

 うーん、鳥に襲われるって結構なホラーだよな。人間って頭上からの攻撃に弱いらしいし。いつの間にか男の悲鳴に泣き声が混じっていた。

 ヒッチコックっていうホラー映画があるらしいんだが、きっとこいつは一生その映画を見ることはできないだろうな。

 男の戦意喪失を見て取るや、小鳥は男の顔への執拗な攻撃をやめ、その足元へと立ち位置を変える。そしておもむろに太い男の足を掴むと、体をたわめ勢い良く飛び上がり、人の背丈よりも高く男を持ち上げた。うわあああああああああああ、上下逆さまで吊るすとかやめてやれよ恐怖でしかないだろ。っていうか男本気で泣いてんじゃねえか。

 ぎゃああああああともぎょええええええええともつかなきたねえ鳴き声とともにフルスイングされた男が噴水の中へと投げ込まれる。

 激しい水柱とと悲鳴。これは溺れるんじゃないかと心配になったが、その途端、頭上から黄色い姿が舞い降りてくるや、水の中に叩きこまれた男の腕を、自分が濡れるのも構わず足を浸して掴み上げ、噴水縁へと引き上げる。

 おお、カナリアよくやった。

 小鳥に向けカナリアが少し困ったような笑顔を見せると、小鳥は「やり過ぎちゃった」と悪びれも無く言ってのける。

「兄さん達もやり過ぎだよ」

 カナリアの言葉が気になり、俺は視線の共有をカナリアへと移す。

 見えたのは、楽しげに笑う小鳥と、その背後で無数の腕が生えた濃い煙に卍固めにされている尻尾の男。その尻尾には煙から生えた十数の掌が絡み付いている。ぎゃあああああああなんだこのホラーは。っていうかそれ宿り木の手だろ! ああそうか、こいつ寄生させてる宿り木の手を使って、煙っていう不定形の特性を生かして拘束してんのか、そうか。まあ肉体がある人間相手なら、掴みかかる手が多ければ多い方が有利だよなあ。宿り木の手は宿り木本人の握力と同じくらいはあるらしいし、女の手がどんなにか弱くても、数があったらそりゃ捕まるわ。

 その横では稲妻が最後の一人、結局何の能力を持っているのか分かんない奴をタコ殴りにしていた。稲妻の能力って、極端な身体能力の向上らしい。元々稲妻は現実では喘息持ちで禄に体を動かせないから、夢の世界でだけは自由に動く体が欲しくてこうなったんだとか。なので高速で動くし打たれ強いし腕力も強い。だけどその想像力が長くは続かないので、基本的な持久力はそれほどないんだとか。だから短期決戦で、しかも止めを刺すの容赦が無い、無邪気に容赦が無いのが稲妻だ。

 カナリアの声に稲妻はもういいのかと小首をかしげながら男を落す。どしゃっと地面に崩れた男は、まだ辛うじてい意識はあったが、しくしくと苦し気に泣いている。

 紫煙に拘束されている尻尾の男も意識はあるようだったが、もうすっかり抵抗する気は失っているようだった。

「お疲れさま。あとはそいつらを拘束して転がしておいて……そんですぐに帰還。一応今日が終わるまでまだ気を抜かない方がいいとは思うけど、そう何度も襲撃はないでしょう」

 宿り木の言葉に各々が頷く。

「竈のとこの扉は閉めてきたよ。それと、竈には自分の夢に帰ってもらったから、しばらくこっちの夢には来ないと思う」

「うん、それがいいわね。カナリアもご苦労様」

 褒められたのが嬉しかったのか、カナリアはピョンピョンと飛び跳ねる。幼くて可愛い仕草だが、その目の前でやられていることはなかなかショッキングな事のように見えるんだが。

 小鳥、稲妻、紫煙はそれぞれ自分が相手をした男たちを持ってきていたロープで縛り倒し、口に布で轡を噛ませる。

「いいのか? こいつらから何か聞かなくても」

「いいのよ。むしろ聞かない方がいいこともあるわ……暗示を掛けるのが能力だった場合、こっちが被害を受けるから」

 そういえば最後の一人はどんな能力か分からずじまいだったしな。

「こうして転がしておけば、朝になったら勝手に目が覚めて帰っていくし、そうしたらこっちも警戒している相手を同じ手段でこの夢に入らせることも無いから」


 戦闘が終わり、各々がこの大樹の作戦会議室へ戻ってくることになった。それまでにあいつらに労いの意も込めて何か食うもんを用意してやらなきゃ。

 本当は俺が触れているだけでもいいらしいが、カナリアと小鳥ならともかく、稲妻はちょっときついし、紫煙に至っては俺を殺りにきそうで絶対嫌だ。

 だから食い物を作ることにした。買い置きのおやつよりも心籠ってそうだろ。

 さて、台所へ来たはいいが何を作るべきか。ふっと目に入ったのは今日の夕方突然お好み焼きを食べたがった友人のために、わざわざ収納スペースから出してきたホットプレート。簡単で腹に溜まる粉物料理の相棒役。弱火でじっくり焼く料理や、大人数でわいわい作る料理にも使えて頼りになる便利な奴。

 そう、大量に作るんならこいつがいい。

 よし、弟達、妹、友達を虜にするお兄ちゃんのおやつをあいつらにも食わせてやろう。俺のおやつ力を舐めるなよ!

 謎のテンションに自分でも笑えて来てしまう。

 シンク下にしまっておいたホットケーキミックスを取り出す。裏側に書いてある分量より多めの牛乳と大さじ一程の少量のサラダ油を入れ、緩い生地を作る。生地がなじむまでの間に他の食材の下準備だ。

 まずは林檎を剥いて5ミリ幅にスライス、バナナも一センチ幅に切っておく。玉ねぎはスライサーでスライス。ハムやソーセージを小さく切り、冷蔵庫からチーズや買い置きのトマトソース、クリームチーズ、抹茶粉末、無糖のココアパウダー、メイプルシロップ、チョコソース、黒蜜、板チョコなんかを取り出して、床下収納から茹であずき缶を出しタッパーに開ける。

 具材が準備出来たら温めておいたホットプレートに流す。丸く薄く広げているとあっとう間に焼きあがる。そこにトマトソースと横で温めておいたソーセージ、スライスした玉葱、パセリとチーズをのせて、四分の一に折りたたんだら、ピザ風ガレットの出来上がり。

 これって何料理何だろうな。ガレットはフランスの蕎麦粉のクレープの事なんだけど、使ったのはホットケーキミックスだし、ピザ風と言ってもイタリア料理のピッツァじゃなくてアメリカナイズなピザ風だし……食えば関係ないか。味は保証する。

 さあ次は何にするか。あれにしよう。まずコンロの方でフライパンを使いハムエッグを焼く。プレートをさっと拭いて生地を二枚分、くっ付かないように流し、横で薄切りのリンゴを焼く。林檎に火が通ってきたら一枚を半分に折って皿に乗せ、そこに焼いたリンゴとクリームチーズ、メイプルシロップを乗せてさらに折りたたむ。林檎のガレット出来上がり。焼けたハムエッグの方も、もう一枚の生地の真ん中に乗せてチーズをのせて、円の上下左右に生地を塗って中に折りたたんで四角にし、軽く押さえて加熱し折り目をくっ付けて、皿に移して、スタンダードな卵のガレット出来上がり。

 小豆、黒蜜、抹茶の和風ガレット、ホットプレートの熱で溶かした板チョコにバナナを乗せたチョコバナナガレット、出来立てのクレープ生地にバニラアイスを乗せてココアパウダーをふった物も、結構な量の生地を作ったし、用意した材料でどれだけでも作れるが、とりあえずは今作った三種類をユメト、宿り木、サユの三人に供してみる。

 三人は俺が作ったおやつに、ちょっと驚いた様子だ。

「……嘘つき!」

「いや、嘘はついてないけど……」

「これ美味しいじゃないずるい! 何であたしより女子力あんのよ馬鹿あ! あんたの中の大したもんの基準って何よ!」

 ユメトとサユの分も纏めて一人で食べながら宿り木が不服そうに文句を告げてくる。でもその手が一切止まらないのは、つまりそういう事だよな?

 っていうか、ユメトとサユの分の皿奪ったよこいつ。

「あー、他にも違う味作れるけど、食う?」

「食う!」

「分かった……」

 気に入ってもらってよかったけど、こんなに怒りながら食うとは思わなかった。

「止まり木ってパパ力あるね」

「パパ力って何です?」

 ユメトとサユがおかしなことを言い出した。本当なんだよそれ。何が言いたいか分からなくもないけど、まだ恋愛だってろくにできてないのに、結婚も何もすっ飛ばしてパパってのはやめてくれ。

「手作りおやつならママ力でしょ」

「宿り木まで……ママはやめてくれ……」

 俺が台所に戻ると、勢いよく扉が叩かれる。

「止まり木―腹減ったー」

「ただいまー」

「もどったよー」

 稲妻、小鳥、カナリアが帰ってきたようだ。

「お帰り、ちゃんと手を洗えよ」

 台所から顔を出し声を張り上げる。手洗い用の蛇口は扉の横にすでに設置済みだ。

「あー、なんか美味そうな匂いする!」と稲妻。

「本当だ、ホットケーキ? ねえホットケーキ?」とカナリア。

「お腹鳴っちゃったー」と小鳥。

 ああもうこいつら可愛いな。

「ガレット、クレープって言った方が分かりやすいか? 待ってたら作って持ってきてやるから、上から紫煙と花の枝呼んで来い」

「分かった!」

 返事をしたのはカナリア。エレベータに乗り込んでうきうきと兄弟の元へ。

「ガレットって日本にもあるの?」

「ガレットっていうよりも、ガレット風のおやつな。もしかしたら小鳥が想像してんのと違うかも」

 そういやこいつ昔はヨーロッパ在住だったんだっけ? でも日本食が海外では全く別物になっているように、日本でも海外の料理は全く別物になってるのが多いんだよな。代表例がカレーとパスタ。戦犯はイギリスとアメリカ。カレーがシチューとの混合体になってたり、ナポリタンとか言うケチャップパスタが子供たちの人気者だったりする日本の家庭料理。叔父さんが言うには、日本の何でも許容して、自分達に合わせる力の結晶なんだとか。これにハンバーグとトンカツとエビチリを合わせたら、弟達と叔父さんの大好物メニュー一覧になる。ああそうだ、今度これらも作ってやろう。おやつに比べて手間はかかるけど、美味いって言ってもらえたらいいな。それが俺の原動力になるし。

「クレープだったら僕よく食べるよ。でもガレットはおやつにしてはしょっぱくない?」

「甘いのとしょっぱいの両方作るから」

「ほんと、わーいじゃあ僕両方食べる」

 僕もーって、ユメトが可愛くも無い小鳥の真似をするのは無視。

 作った物を美味しく食べてもらうってのは、本当に嬉しいことだよな。今まで買い置きのおやつ出してたけど、こんなに喜んでもらえるんなら、ちょっとくらい面倒でも今後は手作りしてもいいかもしんねえ。

 バタバタと袖を振り回して喜ぶ小鳥を見ていると、自然と笑みがこぼれてきた。ああ、この夢って悪くないな。

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