第12話


「近くで見ると思っていた以上に不気味な林ですね」

 潜在的に何かを感じ取ったのか、足が重い。林に入るのを無意識の内に拒んでいる。

 気持ち悪さとは違う。何かこう全身から嫌な汗が噴き出してきそうなそんな感覚だ。

 だが、ここで何も調べずに戻る訳にもいかない。社まで行かなくては……。

「それじゃ、行きますか……って、志津、先輩?」

 林の中に入り、背後から誰も付いて来ないことに気付くと、辺りを見回し始める。

 先程まで一緒にいた筈なのだが、志津先輩も魔女先輩の姿も見えない。

 けれども、屋敷からここまで一本道。そこで迷子になるなど考え辛い。

 連絡を試みようと、携帯を確認するが――どうやらここは圏外らしい。

 そんな馬鹿な筈はない。林の中だが、ここは屋敷の近く。

 昨日の志津先輩との通話を考えるならば、流石に電波が来ていないとは考え辛い。

 まさか、分断されたという事だろうか?

「だとしたら、いつからだ。いつ、どうやって分断された? 志津先輩とま……あの人は大丈夫か。心配するだけ、無駄な気がする」

 こういう場合、まずは落ち着いているという態度を示す事が重要なのだ。

 余裕である事をアピールする。それこそが、こういう場合の対処法。なのだが、実際にあってみると流石に冷静でい続けろというのは無理があるのではなかろうか。

 迷う。神隠し。ミイラ取りがミイラになる。どうしたものだろう。

 このまま、迷わされ続ければ本当に僕も被害者の一人に名前を連なる事になる。

 僕がそう思案に明け暮れていると、ぬっと唐突に魔女先輩が真横に現れた。

「あーあぁ、これは不味いかもね。でも、当たりなんじゃないかしら?」

「合流出来て良かったです。それより、不味いってこの状況がですか?」

 前屈みになり、舌を突き出して気怠そうにしている魔女先輩。

 今回の登場の仕方は流石に動揺したのだが、何だろう。この疲れ切った様子は?

 ただ、この異様な状況には警戒するなという方に無理があろう。

 そんな僕におかまいなく、僕の周りをぐるっと一周すると指をピンと立てる。

「単純じゃない。神籬志津は私達と引き離されて、一人歩き。その上、ここが儀式の中心かつ現在進行形で儀式の最中であるとすれば、自ずと分かるでしょう」

 僕はその次に続いた言葉に耳を疑った。何故ならそれは……、

「それが意味する事は、神籬夕を助けられる可能性が浮上したという事よ」

 最初に魔女先輩が否定した事だからだ。

 神隠しに逢った以上、戻っては来ない。諦めろと確かに僕に告げた。

 それだけに、その言葉が指し示す意味を僕は何一つとして理解出来なかった。

 どうして、そんなに魔女先輩が焦っているのかさえ――。

「でも、夕先輩は神隠しにあって消えた。貴女は確か、僕にそう言いましたよね? なのに、それが今更になって急に助けられるかもしれないってどういう事ですか?」

 僕の問いに対し、魔女先輩は小さく溜息を吐くとこう答えた。

「根本が間違っていたのよ。そもそも、なんで神籬夕の後の失踪者が行方不明なのか」

 それは、確か原因が違うからだった筈だ。

 神籬夕と道祖神の神隠し。それらとは同じ時期に発生しただけだった。

 確かにそう結論付けたのに、今になってどうしてそれを覆すのか。何故?

 僕の疑問に魔女先輩は呆れ果てたように、その答えを木の棒で地面に何かを描き始める。

「もっと分かり易く言うなら、神籬夕が神隠しにあった事が始まりだったのではなく、彼女の神隠しこそが始まりだったとしたなら別の話になるって事よ」

 言っている意味が理解出来ない。それがどうして、助けられる可能性なのか。

 首を傾げて、魔女先輩の言葉を考察する僕に対し、魔女先輩はこう断言する。

「もしも、神籬夕が消えているならこうして私達を分断する必要性は皆無なの。どうして、彼女だけが引き離される事もなく、一人で社へと迎えているのか説明が付かない」

 確かに、言われてみればそれは不自然だ。この状況、彼女を招いているとしか思えない。

 このような状況に対する対処方法を知らない以上は志津先輩を問題視する必要性は皆無と言える。だからと言って、僕らから引き離して社へ向かわせる理由は何か。

 神籬志津に何の価値もないのなら、僕らと一緒に迷わせてしまっても構わないのではないか。それを敢えて選択しなかった理由とは一体……?

「神籬夕が助けられるかもしれない。儀式の最中。つまり、神籬夕の精神を完全に叩き折る為に神籬志津が必要だから引き離した……ってところですかね」

 神籬夕は儀式の為の依り代でもある。

 けれど、そこに何かを降ろしたとしても彼女『神籬夕』という色が存在する。

 だからこそ、その後の行方不明者が失踪に留まった。本来の意に反した結果として。

 色とは精神。精神とは心。

 心が壊れてしまえば、助けた所でそれは神籬夕だったモノを助けただけになる。そこにあるのは依り代としての器であり、ヒトではない。

 儀式の最中――なるほど、今はその依り代としての器を作っている段階という事か、

「で、神籬志津が助けられる可能性を前にして冷静にいられると思う?」

 器にする為に拠り所を砕く。その為の罠であり、同時に助ける為の僅かばかしの可能性。

 それを目の前にして、志津先輩は……いや、どう考えても冷静さを失う。

 これまでの彼女の行動原理を考えれば、自己犠牲に走ってもなんらおかしくはない。

「深山もその為に利用されたとすれば、早く合流して止めないと大変な事になりますね」

 もしも、ここまでの考えが正しければ深山もその為に利用されたのだろう。

 どちらに揺さぶりをかけるにしても、それは有用なカードとして利用出来る。

 急がなければ危険な状況ではある事には間違いはない。

 だが、どうやってここを脱出するのか。方法も見えない上に時間もない。

 そんな慌て始めている僕とは相反し、魔女先輩は近くの木に寄り掛かりながら、この状況が何でもないかのように空を見上げていた。

「そう言う事。まさしく、絶体絶命。打つ手なしって奴ね。出口は分かっても、私達は彼女の向かった筈の社の位置を探るだけのヒントを持ち合わせていないから」

「社の位置を探し出す方法ですか」

 外から見えていた鳥居は薄暗い林に茂る木々に隠れて視界には入らない。

 道といっても、辺りは整備されていない藪。位置を確かめられそうなものなんて目に付く範囲ではどこにも見当たらない。そもそも、藪に入った覚えなんてないのだが……。

「せめて、電話でも通じれば忠告でもして、時間を稼ぐ事は出来るんだけどな」

 念の為にもう一度、携帯を確認するがアンテナは一本も立っておらず、圏外のまま。

 まぁ、この不可思議な空間。そこでは僕にとって当たり前である常識が全くと言って通用しないのだろうから、気にするだけ無駄という物か。

 大声を張り上げた所でそもそも志津先輩まで届かないだろうから、それは無駄な労力。

 手も足も出ない。まさに、手詰まりとでも言ったところだろうか。

「ちょっと、その携帯貸して貰える? もしかしたら、それ使えるかもしれない」

 何を考えたのか、僕の携帯を奪い取ると何やら電話帳を調べ始める。

 確かに、昨日の夜に志津先輩の電話番号を登録したが電波が届かなければ使えない。

 魔女先輩は携帯なんて科学的なモノを使わない非科学的な存在だから、分からないだろうがそれは無駄な足掻きというものだろう。他の手を考える方が最善の一手の筈だ。

 そう魔女先輩に言おうとするのだが、その前に魔女先輩がこんな事を尋ねて来る。

「この携帯の中に神籬志津の電話番号を登録しているなら、どこにあるのか教えて?」

「えっと、昨日通話して登録したのである筈です。あぁ、これですね」

 僕はその勢いに呑まれ、携帯は使えないと言う事が出来ず、魔女先輩の探していた志津先輩の電話番号を見付け出すとそれを彼女に提示した。

 それを見た魔女先輩は何を考えたのか、通話ボタンを押してそれを耳元にあてる。

「もしもし、聴こえる? 聴こえたら返事をして欲しいのだけど?」

「聴こえませんよ。何も。だって、ここは圏外ですよ? 使えないんですって」

 けれども、そんな僕の忠告を人差し指を立て、沈黙しろという合図で返事をする。そして、何を考えているのか携帯を必死に耳に押し当てて黙り込む。

 通じない携帯に意味はない。電波が入っていない以上は使えない。

 そちらがその気なら、僕は僕で何か手を考えよう。そう思い、行動を開始しようとするのだが、歩き始める前にその腕を魔女先輩に掴まれ引き寄せられる。

 そして、僕の耳元に携帯を押し当てられるのだった。

『……もし、……ど、……こ……』

 雑音が入り、言葉も途切れ途切れだがこの声は紛れもなく志津先輩の声だ。

 恐らく、こちらからの言葉に返事をしようとしているのだろうが上手く通信が行えていないのだろう。だが、こちらからの会話はある程度、伝わっている。

「道があるならそれを別の方法で繋げればいい。まぁ、邪魔されるのも時間の問題だけど」

「まぁ、方法については深く詮索しませんよ。理解するまでの時間がもったいないですし」

 そういう怪異は幾つか実際に存在している。

 恐らく、魔女先輩がその手の怪異の一種であるという話なのだ。それだけの話。

 しかし、問題はこのいつ切れるかも分からない電話で何を伝えればいいかだ。

 もしかしたら、切れた後、何者かが僕に入れ替わって何かを志津先輩に囁くかもしれない。その可能性も考慮に入れるとなると、やはりこれ以外には思い付かなかった。

「いいですか。良く聞いて下さい。もしかしたら、夕先輩を助けられるかもしれません」

「ちょっと、何言ってるの! そんな事を言ったら……」

 分かっている。魔女先輩が言いたい事は痛い程、分かっている。

 電話口から言葉が消えた。突然の事に理解出来ず、混乱しているのだろう。

 何かを叫んでいるようなのだが、分からない。だが、何を言っているのかは理解出来る。

 しかし、これは僕の口から伝えておかなければならない言葉だ。隠して通していれば、志津先輩は僕らを疑い、別の誰かを信じてしまうかもしれない。

 それだけは絶対に避けなければならない事だと判断しての言葉だ。

「その為にはまず、信じてあげて下さい。僕らではなく、貴女が信じている神籬夕を」

 僕らではない。志津先輩がどれだけ神籬夕を理解しているかに賭ける。

 その目には何も写っていなかったのか。それとも、彼女を見抜いていたのか。

『分かった。私は私で頑張って――――――』

 雑音が消え、鮮明に声が聞き取れるようになったと思ったら突然、通話が途絶えた。

 魔女先輩の言葉通りなら、何者かからの介入によって途絶えた。といった所か。

 ちゃんと思いが伝わったのかは不安ではあるが、ここは信じて進むしかない。

 しかし、そんな僕とは裏腹に冷たい目で魔女先輩は僕を見ていた。

「貴方は神籬志津が神籬夕を理解している事に賭けた。でも、私には分の悪過ぎる賭けに見えるわ。貴方は何一つとして、この状況を理解していない」

「それはお互い様だと思いますよ。魔女先輩は神籬夕にあった事がない。だから、分からないんです。夕先輩はきっと、心の底では神籬志津の事が好きだった」

 一度だって、僕の前で夕先輩が神籬志津の事を中傷した事はない。

 羨んでいた。ただ、それだけだ。神籬夕が神籬志津に抱いていた感情は――。

 彼女はただ、自分でいられる居場所が欲しかった。ただそれだけだったのだから。

「それに、一番近くにいたのは神籬志津ですよ。血を分けた双子なんですから……。そんな彼女が神籬夕を見抜けないのならば、僕らに偽りを見抜くなど到底、無理な話です」

 神籬夕を助けられるのは僕ではない。僕であってはならないのだ。

 それでは、助けられたところで神籬夕を本当の意味で助けられた事にはならない。

「なるほどね。まぁ、今はそれで納得してあげる。でも、それだけが危ない橋を渡ろうとした理由ではないんでしょう? 聞いても答えないだろうけど」

 その言葉に僕は無言という形で肯定の意を示した。

 神籬夕を救出した所で。神籬の妄執を取り払った所で。

 今回の一件が消えてなくなる訳ではない。罪には問われないが、彼女の行いは――。そして、この一件に巻き込まれた人達の心の傷は残留し、治る事はない。

 それは魔女先輩には分からないかもしれない。背負う事も、向き合う事の苦しさも。

「だったらなんですか? 時間がないのなら、急ぎますよ」

 魔女先輩にとっては理解の範囲外。いくら説明した所で伝わらない。無駄だ。

 きっと、怪異である魔女先輩にはそれがどういう事なのか。決して理解出来ない。

 神籬夕は戻って来た所で。今回の一件が解決したところで、もはや彼女にはどこにも居場所が存在しないという事なんて。今の魔女先輩には無価値な事なのだ。

「そう言えば、そうだったわね。でも、問題はどうやってここを抜けるのか。方向を惑わしているとしても、終着点が分からなければ正しい道を指し示す事なんて難しいわ」

 そう告げると、魔女先輩は持っていた木の棒を前方へと放り投げる。

 すると、前方ではなく後方から何かが地面に落ちる音が遅れて聞こえてきた。

 魔女先輩はそれを確認すると、後方へと歩いて行き、同じ木の棒を拾うと僕に見せる。

「闇雲に歩いて大きさを調べたところで範囲を知るのが精々よ」

 軽い口調でそう魔女先輩は語っているが、目は至って真剣。事実として目の前に突き付けられてしまえば、何も言う事は出来ない。まさに絶体絶命か。

 だが、このままここに残って事が終わるのを待つ事は僕には出来ない。

 鳥のように空を飛べるのなら、上空から林を眺める事が出来る。そうすれば、きっと社程度なら見つかるのだろうがそれは人間には……。

「地を歩く事しか出ない僕らにはそれは無理――って、魔女先輩は空を飛べたりしないんですか? ほら、林はどこまでも続いている訳ではないと思うんですが」

「無意味よ。無限回廊って知らないの? 区切られた地点が永遠に続いている中でそれを脱出するのに飛び上がってみれば分かるなんて有り得ないのよ。それに、私は鳥じゃない」

 無限回廊。永遠に続く空間。だが、そんな空間を作り上げる何かは確実に存在する。同様に外部への脱出手段も確かに存在する筈だ。この林の中のどこかに絶対に。

そもそも、志津先輩は結界の外にいたのならば、どうして通話が出来たんだ?

 電波はない。だが、外部と連絡を取る手段は確かに存在していた。

 だとするなら、その残滓を辿れれば神籬志津のいた場所を見付け出す事は可能!

「いや、あります。脱出する方法なら」

 そう言うと、魔女先輩へと向き直り、肩を掴むとこう続ける。

「魔女先輩にしか出来ない事ですよ。先程の志津先輩の位置は妨害されたとしても、それまでの位置なら漠然とは掴めませんか? まぁ、そういうモノだとするならの話ですけど」

 電話で追跡する怪異も存在する。そんな奴らもいるんだ。

 ソレくらい出来ても何の不思議もない。通話した相手の位置を特定する事ぐらい。

 そんな僕の期待の眼差しに魔女先輩は深く溜息を吐くと、ニヤリと笑ってみせた。

「確かにそうよ。言われてみればそうだった。神籬志津は迷っていないのなら、この中にはいない。なら、残滓を辿って行けば社への道くらい見当が付くわよね」

 そう言うと、魔女先輩は手を差し伸べ、何かを催促して来る。

 僕はその手に携帯を手渡すと、魔女先輩は無言でそれを耳に当て目を閉じた。

 どれくらい経っただろう。十分? 一時間? 時間の感覚が分からない。

 期待を賭けた魔女先輩は瞑想し、全神経を利用して残滓を探し出しているのだろう。

 それに比べ、僕には何も出来ない。ただ、待っている事だけだ。

 何も出来ないという環境が僕に焦りを募らせていく。不安を煽って行く。

 そんな僕の感情を吹き飛ばすように魔女先輩が大声で叫んだ。

「見つけた! 入り組んではいたけど、私にかかればこんなモノなんて事ないわ」

「では、急ぎますか。早くしないと、終わってしてしまっているかもしれませんから」

 僕は頬を力強く叩き、気分を入れ替えると魔女先輩の後に続き、林の中を走った。

 志津先輩を信じたい。だが、信じようとすればする程に『もしかしたら』という可能性が頭に浮んでしまう。彼女が打ち勝つという未来の姿ではなく、横たわる姿が……。

「大丈夫よ。きっと、上手く行くわ。だから、信じなさい」

 そう告げると、僕の動揺を察したのか魔女先輩はしっかりと僕の手を握り締める。

 なんだろう。その手はどこか懐かしく、僕の迷いを晴らしてくれたような気がした。

 木々の中を無茶苦茶に走りに抜ける。自分がどちらに進んでいるのか全く分からない。

 けれども、どうやら林は抜けたらしい。参道らしき石畳が薄い霧の中に見え始める。

 この先にきっと社があるのだろう。全ての発端となった儀式の間と共に。

「急ぎましょう。嫌な雰囲気が漂っているみたいですし」

 辺りを見回すと、霧の中に何か蠢くモノが見え隠れしているような気がした。

 まるで、人の手の様な――その何かはまるで僕らに助けを求めるかのように必死にこちらの方へ這いずって来ているようにも思える。

 アー、アーと何かが泣く。いや、懇願するような声。

 ヌチャヌチャと何かを引き摺るような不気味かつ身の毛のよだつような物音。

 その一音、一音が僕に少しずつではあるが不快感と嫌悪感を抱かせる。

 何かがつま先から這い上がり、全身を駆け巡るそんな感覚に苛まれる。

「これだけ、色々なモノを呼び込むなんて相当、溜まっていたのね」

 魔女先輩は僕に聞こえるか聞こえないかの声でそう呟くと、僕にこう忠告する。

「あまり、周りを見ない方がいいわ。気分の良い物でもないでしょう? それに、彼らを私達が認識している事に気が付けば……分かるでしょう?」

 その言葉に思わず、辺りを見回さずにはいられなかった。

 魔女先輩が言っている事が事実なら……事実ならば……。

 そして、見てしまった。僅かに霧が薄れたその場所に蠢くソレの姿を。

 人のなれの果てとでもいうのだろうか。今となっては生前の容姿など分からない。

 どういう経緯でそんな姿に変わり果ててしまったのかは検討も付かない。

 酷く醜い。血塗れた骨と皮、僅かばかりの肉。そんな哀れな末路を。

 僕は言葉を失った。ただ、その蠢くソレを目の前に呆然と立ち尽くしてしまう。

「ソレはもう終わった事よ。貴方もそうなりたいの?」

 魔女先輩はそれに無意識の内に近付こうとしていた僕を力尽くに押し止めると、力強い口調で必死にそう言い聞かせて来る。

 分かっている。そんな事は僕も理解している。これは全て終わってしまった事だ。

 ここにいるという事。それきっと、これまでの生贄か。何らかの犠牲者か。

 その二者の内のどちらかになる。だからこそ、考えてしまう。

 もしかしたら、夕先輩も。志津先輩もこうなってしまっていたのではないか。

 それと同時に、神籬の人間もまた、これを見続けていたのではないか、と。

 だからかもしれない。僕は魔女先輩に止められても、ソレから目を放せなかった。

「分かっていますよ。分かっているんです。でも……だからこそ、この目にソレを焼き付けなければならないと思うんです。彼らがどんな末路を辿ったのか。永劫に続く苦しみの連鎖の中でどんな痛みを受け続けて来たのかを」

 それが彼らの犠牲の上で何も知る事もなく、生きて来た僕らのせめてもの償い。

 これ以上、彼らのような存在を生み出さない為に。終わらせる為に。

 今の僕にはそれ位の事しか、思い付く事が出来なかった。本当に……情けない。

「すいません。貴方達に手を差し伸べ、救ってあげる事は僕には出来ない。その痛みを和らげる方法を僕は知らない。本当に――すいません」

 謝っても何も解決はしない。彼らは永遠にこの世とあの世の狭間とでもいうべき場所を彷徨い続けるだけ。そこから抜け出す事はきっとない。

 でも、それでも僕にはそう言う事に意味があった。そうする事にも意味があった。

 これは決意だ。これからも、関わり続けるという僕なりの誓いだ。

 忘れられるべき事もある。忘れなければならない事もある。

 でも、ソレを見ているとそんな現実が酷く哀しく思えてならなかったからだ。

 だから、僕は覚えておきたいと思った。ソレが例え、間違っているのだとしても。

 そんな僕に対し、魔女先輩は盛大に溜息を吐いて見せる。

「同情した所でソレに漬け込まれるわよ。そいつらは人間らしさなんてもうどこにもない。ただの醜い化物よ。自分達と同じになればいいという憎しみが彼らの原動力なんだから」

「それくらい分かりますよ。だからこそ、です」

 僕は彼らを救わない。救えない。

 彼らに手を差し伸べたりはしない。

 例え、その犠牲の名のもとに今が存在しているとしても、彼らの怒りを甘んじて受ける気などさらさらない。その痛みも。その傷も。僕ではない他人の物なのだ。

 それをわざわざ好き好んで受ける程、僕は狂人ではない。

 それを受け入れる程、僕は思いやりのある人間でもない。

 僕に出来るのは、先に進む事。これから起こるであろう不幸を止める事だけなのだ。

「志津先輩はこの奥の社にいるんですよね?」

 僕はソレから視線を苔生した壊れかけの鳥居の奥に見え始めた社へと移した。

「えぇ、ここから向かうとするならそこしかないわ」

 僕は魔女先輩の言葉に深く頷くと、社を真直ぐ見据える。

 そして、参道の真ん中を堂々と歩き、境界である鳥居を潜ると、その古ぼけた社。神籬の祀る神の支配していた敷地内へと足を踏み入れた。

 そんな僕の様子に魔女先輩は口元を隠し、クスクスと笑い始める。

「本当に怖いもの知らずなの? わざわざ真ん中。神様の通り道を歩くなんて」

「存在を忘れられた神。それも生贄を求めるような奴。そんな奴にどうして敬意なんて払う必要があるんです? どこにもないじゃないですか」

 僕の言葉に辺りの様子を見回すと、やれやれというように魔女先輩は首を横に数回振る。

「確かにないわね。どうせ、どっかの誰かさんが既に喧嘩を売っているようなものだったし、上辺だけで取り繕うよりはいっそ清々しいものね」

 道祖神と夕先輩の神隠し。

 それが何者かによって行われたのかは分からないが、その時点で喧嘩を売っているのだ。

 行なわれている儀式が成功しようが、失敗しようがきっと何かが起こるのだろう。

 これまで溜め込んで来た不幸。他人に押し付けて来た厄疫。

 それらが一度にこの土地に押し寄せて来る事になるかも知れない。

 でも、それは引き延ばし続けていた負債を返済する時が来ただけ。いつかは起こり得た事態であり、それが今であるだけなのだ。ただ、それだけ。

 ここまで来てしまった以上、引き返すという選択肢はない。

 そんな僕の思いを理解したのか、魔女先輩は僕の後に続くように参道のど真ん中を歩き、鳥居を潜る。そして、僕の隣に来るとそっとこう呟いた。

「もう一度だけ確認するわ。覚悟は出来ているのよね?」

「えぇ、出来てますよ。じゃなければ、ここにはいません。毒を食らわば皿まで――どっちを選択した所で必ず傷付くんだ。それなら、冷たい真実より、幸福な嘘を僕は選びたい」

「本当に貴方って大馬鹿だと思うわ。でも、それが貴方らしさなのかもしれないわね。けれど、辛いわよ? そんな生き方。誰も貴方のやった事を知らない。誰かが認めてくれる訳でもない。当然、見返りなんてないのよ」

 分かっている。それがどれ程、辛く哀しい生き方なのかという事は。

 他人の悲しみや思いを全て背負える程、人は強くない。

 自分一人分ですら、時には背負いきれず、押し潰されそうになる事もあるのだ。

 でも、それでも僕はそれを選択した。

「覚悟はしました。誰かは真相を知らなければならないですから。――でも、それは一人でいい。背負う人間は一人で十分なんです。誰も彼もが知る必要はない」

 全ては神籬志津と夕という二人の姉妹の為だ。

 全てを隠す事は無理でも、その核心であるたった一部分を背負わせない。

 事件が解決しても、それが原因で更に傷付く二人を僕は見たくない。志津先輩にも、夕先輩にも笑っていて欲しい。それは、僕の本心だ。

 でも、それを言葉にするにはこそばゆい。だから、適当に話を逸らすのだった。

「着きましたね。どうやら、ここに志津先輩がいそうですよ」

 遠目には古く見えたのだが、内装は手入れをされているようで、それなりの貫録がある。けれども、そんな社には土足で上がったのか、真新しい土の足跡が出来上がっていた。

 靴の大きさと真新しさから判断すると恐らくは志津先輩のものだろう。

 その足跡に続くように社に土足で上がるのだが、社の扉を開けて中に入るとそこで志津先輩の足跡が途絶えている。だが、どこにも志津先輩の姿は確認出来ない。

 不自然に途絶えた足跡。この事が意味するのは一体、どういう事なのか。

 それは、ここまで来るまでの事を考えれば、想像に難くない事だった。

「ここで私達と同じように何かに囚われたと考えるのが筋でしょうね。となれば、向こうも揺さ振りをかけていてもおかしくはないわね。大丈夫だといいけど……」

「やはり、そうですよね。なら、彼女が折れないのを信じて僕らは儀式場を探すしかありませんよ。僕らはそれに賭けたんですから」

 儀式場は恐らく、この社の中のどこかにある。

 上を見上げると、造りがこちらから丸見え。この様子だと、天井裏と言う選択肢はないだろう。となれば、やはり床下か。

 そう思い、床を丁寧に調べていくと、神具の隅に何かを擦ったような跡を発見する。

 形跡から考えて、最近になって付いたもの。やはり、ここにあの人は来ていた。

 僕はその事実に唇を噛み、怒りに拳を震わせるがその感情を必死に飲み下す。今、そんな事に怒っても無駄な時間を消費するだけ。

 それは愚の骨頂でしかない。終わった後にでも――。

 僕はそう考えると、魔女先輩を呼ぶ為に振り返るのだが、そこには何を考えているのか社の壁を指でなぞったりなど謎の行動をする魔女先輩の姿があった。

「魔女先輩、ここにだと思います。ちょっと手を貸して貰えますか?」

 魔女先輩は僕の呼びかけに気付くと、僕と共にその神具を調べ始める。

 だが、どういう訳かその神具を動かすような仕掛けはどこにも見当たらない。持ち上げようにも、二人がかりでビクともしない。

「この下に入り口があるのは確実でしょうけど……見つかりませんね」

 そんな僕の弱音に対し、魔女先輩は神具から一度離れると辺りを見回し始める。

「そうね。神具をどけない限り、先へは進めないみたいだけど……。ところで、気付いたかしら? この社に比べて、この神具が新し過ぎるって事に」

 言われてみれば、確かに周りに使われている木に比べてこの神具の木は真新しい訳ではないが、そこまで古いという訳でもない。あくまでも、主観でしかないのだが。

 ただ、もしも魔女先輩の言葉が正しければ、神具は後になって設置された物。つまり、元々あった何かと入れ替えられたとするなら、社側に仕掛けがあるとは考え辛い。

「魔女先輩、これって横に押して終わりとかじゃないですか?」

 良く考えてみれば、持ち上げる形式であるなら相当な労力がいる事になる。

 それは流石に女性一人には難しい。怪我をしてしまえば、目立ってしまう。

 となれば、効率と安全面を考慮したならば横へのスライドが安全なのではないか。

 何より、それならばここについてしまっている傷跡にも納得がいく。

 その上、横にスライドであるならば一度閉めてしまえば、中から開ける事も困難。

 この方式ならば、理に叶っているのではないだろうか?

「まぁ、試してみましょう。どうやら、囲まれたみたいだし、急いだ方がいいわ」

 魔女先輩の言葉に耳を澄ましてみると、ヌチャヌチャという何かを引き摺る音が段々と大きく。そして、増えて来ている。それも一つや二つという段階の話ではない。

 なるほど、ここに長居してしまえば、先程見たアレに襲われるという訳か。

 志津先輩にも僕らにも時間がないという事になれば、躊躇する暇なんてない。

 僕は全体重をかけて神具を押していくと、予想よりも簡単に右へとスライドする。

 そして、神具のあった場所には古ぼけた扉が現れた。鍵が付いていないのは運がいい。

 いや、隠してあるという事から、鍵を付ける必要性がなかったのだろう。要は、中から開けられない造りである事が重要なのだ。生贄が逃げ出さない為に……。

 僕がその扉に恐る恐る手をかけると、一気にその扉を開放する。

 すると、ジメジメした空気が地下から吹き上げ、僕の頬を撫でた。

 しかも、それだけではない。僕を襲った気怠さに思わず、足を着いてしまいそうになる。

 一瞬で僕の身体を突き抜けたそれが一体、誰のモノなのかは分からない。ただ、ここには多くの怨念が存在し、その無数の叫びが僕へと語りかけて来たのだ。

「晴れて仲間入りしたくないのなら、気をしっかりと持つ事ね。連れて行かれるわよ」

 冷汗をかいている僕に対し、魔女先輩はじっとその石段の先を見つめていた。

 確かに、魔女先輩の言う通りだ。こんな場所で足を折る訳にはいかない。

「分かってますよ。この程度で流される程、僕は柔ではありませんしね」

 悲鳴を上げる身体に鞭を打ち、気を奮い立たせて立ち上がると僕は石段を覗き込んだ。

 灯りがないのでどこまで続いているのかは分からないが、本能が告げている。

 この先にだけは絶対に踏み入ってはならないと。帰るべきだと。

 つまり、その本能的な恐怖が意味するのはこの先に何かが確かにいるという事。

 だが、だからと言ってここでおずおずと引き返す訳にはいかない。

 それに志津先輩だってきっと、立ち向かっているのだ。

 僕らがあと一歩の所で立ち止まり、迷う事で時間を浪費するなんて事は出来る筈がない。

「いきますか。僕に何が出来るのかは分かりませんけど」

「あら、随分と弱気なのね。でもまぁ、前に進むしかなさそうだし行きましょうか」

 背後から社の扉がゆっくりと開く音がする。

 その音に僕が振り向くと、そこには先程のソレがいた。

 それも一つや二つではない。おびただしい数のソレが幾重にも絡み合い、ゆっくりと僕らの方へと這いずって来る。

 近付いて来るにつれ、自然と僕も一歩ずつ後退していく。

 どうする。こいつらを相手にするとなると……流石に無理があるぞ。

 背後にあるのは地下に続く石段だけ。そこに入れば、出口は恐らくない。

 地下の儀式場へ一直線。帰り道のない片道切符。いや、絶望行きの間違いか。

 そんな焦りを覚える僕とは対照的に魔女先輩は石段を何でもないかのように降り始める。

「大丈夫よ。そいつらはここへ入り込む度胸はない。背後を突くなんて無理よ」

 僕にはその魔女先輩の言葉がどういう事なのか、すぐには理解出来なかった。

 だが、僕も魔女先輩に続いて一段、階段を降りた所でその言葉の意味がはっきりする。

 ソレは階段を取り囲むように集まると、そこで動かなくなってしまっているのだ。

 まるで、階段に近付くのを忌諱しているかのようにある一線を超えようとはしないのだ。

 あぁ、そう言う事なのか。僕はようやくソレがなんだったのかを本当に理解した。

 魔女先輩は集まって来たと言った。だが、それはある意味では間違いだと思う。

 きっと、ソレはこれまで生贄にされた犠牲者なのだ。だからこそ、この地下にいるモノを恐れている。自らを喰らった存在がいるその場所を。

「アー、アー……アー」

 何と言っているのか。僕には全くもって理解出来ない。

 ただ、僕らが地下に降りて行くのを止めてようとしてくれているようにも思えてくる。

 この先は危険だ。近付くな、と。まぁ、勝手な憶測でしかないのだが。

 だが、もしそうだったとしても僕らはここで引き返せない。先に進むしかないのだ。

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