第11話

「あら、おはよう。随分と疲れ切った顔をしているようだけど、眠れなかったのかしら?」

 その声に顔を上げると、神籬邸へと向かう坂の中腹。そこに魔女先輩が佇んでいた。

 どうやら、顔に出ていたらしい。色々と考え事をしていてまったく眠れなかったのだ。

「おはようございます。色々と考え事がありましたからね。まだ、迷っていますけど」

「そう。まだ、迷っているの」

 その言葉に僕は思わず、魔女先輩を睨み返してしまった。

 いや、睨み返したというよりも、身構えたという方が正しいのかもしれない。

「どういう意味ですか。迷っていたら悪いですか?」

 僕に背を向け、神籬邸へと続く坂を見上げ始めるとゆっくりと歩き始める。

「覚悟をする事は重要よ。特に今回のような一件はロクな結末がないんだからさ」

「分かっていますよ。どういう結末が――待っているのかくらいは」

 だから、寝付けなかった。だから、何か他に道がないかをずっと考えていた。

 分かってしまったからこそ、こうして苦しんでいるのだ。それを結局は……

「だからよ。なら、今の君に必要なのは迷いかしら? 違うでしょう」

「じゃあ、なんだって言うんです。なら、僕はどうすればいいのか、教えて下さいよ」

 他人。その言葉が僕の頭に浮かんできた。

 吹けば飛ぶ。簡単に切れるような繋がりが魔女先輩にとっての関係。

 だから、そんな何でもないかのように予想した結論を受け入れられる。でも、僕は違う。

 僕は魔女先輩のようには生きられない。その言葉を紡ぐ事は出来なかった。

「覚悟よ。迷っている事は悪いとは言わない。でも、それは彼らと相対するなら致命的な弱さになる。だから、迷いは今の内に捨てておきなさい。優しさもね」

「受け入れろですか……。迷わず、全部をそのまま飲み込めと」

 それが出来る程、僕は強くない。それを他人に突き付ける程、冷酷にはなれない。嘘を吐き続けられる程、優しくもない。忘れられる程、弱くはない。

 どこまでも中途半端な人間だとここに来て痛感する。

 志津先輩の為にも最後まで見苦しくその可能性を否定する為、足掻く事がそんなにもダメなのだろうか? そんなにも間違っているのだろうか。

「あなた達のような存在からすれば、笑い種かも知れませんね」

 思わず、そんな皮肉を漏らしてしまう。意味はないと分かっていてもだ。

 そんな僕の皮肉をまるで何でもないかのように一言、「そうね」と受け流すと、髪を靡かせてゆっくりと振り返った。

「確かに怪異と人間の間には線引きがあるわ。そう明確な。いえ、明確過ぎる線がある」

 まるで、宙に線を引くかのように魔女先輩は人差し指を動かした。

「私は貴方の迷いも優しさも否定はしない。でもね、その境界を前にしてそれは弱さと言う一括りの言葉で表されてしまうの。だから、覚悟が必要なのよ。これは忠告」

 思い出した。いや、目の前の事実のみを追い続け視えていなかった。

 僕の目の前にあるのは人間の起こした事件ではない。怪異の起こした物なのだ。

 そして、怪異とは理の外にいる。それは神とて同じ。だからこそ、人の弱さ。迷いに漬け込むようなやからだって存在している。それこそが、呪いなのだ。

 弱いからこそ。迷うからこそ。人は最後には神に頼る。

 だからこそ、利用されてしまう。その弱さを。その迷いを。

「覚悟と諦めは違う。受け入れる事と足掻く事は確かに相反しているけれど、必ずしもそうとは限らない。その事だけは心に刻んでおくといいわ」

「はぁ、敵いませんね。魔女先輩には……すいませんでした」

 思わず、溜息を吐いてしまう。本当に何をしているのだろう。僕は。

 色々と根を詰め過ぎ、頭に血が上って視野が狭まっていたのかもしれない。それをただ、これから……。いや、今日の日の事を考えて釘を刺してくれただけなのだ。

 本当にすべき事が何なのか。それを僕が理解しているのか。見えているのかと。

「一つだけ、僕からいいですか」

「何かしら? 答えられないかもしれないけれど」

 僕は一言だけ、そうお願いした。

 魔女先輩はそれに対し、小さく頷いたがそれを了承したのかは分からない。

 だけど、少なくとも僕の心配をしてくれていた事だけは確かだ。信じてもいいと思う。

「終わるといいですね。今日だけで今回の一件について」

 全てが本当の意味で解決するのには時間がかかる。でも、少なくとも僕らが関わっている神籬夕についての一件だけは今日の内に終わらせたい。

「そうね。物事は早い方がいい。事態が悪くなる前に」

 まるで他にも何か問題があるかのような言い方に少しばかり、不気味さを感じるのだが、今は目の前の一件だけに目を向け、終わらせる為に神籬邸へと坂を駆け上がるのだった。


 門で志津先輩に迎えられると、そのまま昨日の客間へと通される。

 僕らの間には会話は一向にない。魔女先輩も何も語ろうとはせず、昨日の志津先輩に似た人形の前に座り、それをじっと観察している。

 そう言えば、この人形達。何故、こうも生きているかのように作られているのか。

 いくつもの人形。そして、昨日の魔女先輩の手を合わせるという行動の意味。

「志津先輩、そう言えばこの日本人形ってどういう経緯で作られているんですか?」

 生贄、儀式と言葉が並んでしまえば、何かあると考えてしまう。

 それが目の前にいる志津先輩の面影と重なるとなれば、尚の事だ。

 志津先輩はそんな僕の質問に人形の内の一体を机の上に運んでくる。

 着ている服は手入れが行き届いており、真新しいが運ばれてきた人形本体は年月からか、肌にひび割れが出来ているなど歴史を感じさせる。

「これは私が生まれた時に作られた物ではないが、この家では子供が生まれるとこうしてその子供に似せて日本人形を作るのが習わしらしい。理由までは分からないがな」

「という事は、魔女先輩が観察している人形が志津先輩を似せて作った人形ですかね?」

 そこまで言って、ある事に気付いた。

 人形は誰かに似せて作られている。

 志津先輩と夕先輩は双子。一卵性か二卵性化までは分からないが、少なくとも外見的特徴においては……どうだったのだろう。似ていたのだろうか?

「そうだ。と、言いたい所なのだが、その人形の足の裏には名前が彫られていなくてな。意図的なのかは分からないが、少なくとも夕か私のどちらかである事は間違いない」

 名前が消されている。もしくは、最初から彫られていなかった。

 志津先輩のその言葉は少しばかり、不可思議だ。この人形だけ彫らなかった理由が見えてこない。

 この人形が誰のモノかを隠さなければならない理由があったのだろうか。だとすれば、考えられるのは――そう言う事なのだろうか?

 いや、断定するには情報が少なすぎる。今は頭の片隅に留めておく程度でいいだろう。

「志津先輩、人形の名前が彫られていないのは確認しますが、これ一体だけですか?」

「あぁ、多分そうだ。読めなくなってしまっているのを除けばの話になるがな」

 十数体という数は多過ぎる。子供が生まれるとそれに合わせて作るなら余計に。

 過程として、三十歳で子供を生んだとしても三百数十年。祭りが始まった年代が江戸時代と考えるなら、四百年程度――これ以上、存在するというなら数が多過ぎる。

 もはや、毎年のように子供を生贄に捧げていたと言われてもおかしくないレベルだ。

 だが、それでは根底となっていた儀式に双子が必要と言う理由がおかしくなる。

「そうでもないわよ。流し雛に代表されるように人の身代わりをさせる風習は数多く残っている。その身代わりをさせる為に作るという作成の部分だけが残り、それが別の意味を持つようになったと考えるなんてどうかしら?」

 先程まで何も語ろうとはしなかった魔女先輩がそう語りながら、僕らの方を振り向いた。

 手には先輩に似た人形。但し、首が胴体から外されている。えっ?

「ちょ、ちょっと何しているんですか。流石に不味いですってそれは」

「別に大丈夫よ。構造上、こういう造りみたいだから。中には髪の毛が一本と紙切れが入っているみたいね。何が入っているのかしら?」

 僕が止めるのを聞かず、人形の中からそれらを取り出すと、机の上で開封を始める。

 それをただ黙って志津先輩は見届けていた。止める事すらせず。

「へその緒と毛髪。まぁ、代わりをさせる為に入れておいたのかしらね」

「それだと、儀式がそもそも成り立たない。祭が行われなかった事になります。そんな代替品で可能なら、誰も……苦労はしないですよ」

 苦労はしない。人形が代替品になるのならば。

 だが、何だろう。良く考えれば、そもそもなぜこんなモノを造り始めたのか。

 神籬が生贄を捧げて来た。それはいい。だが、人形を今も作り続けているのは何故だ。

「そう言えば、一度だけ大飢饉が起きていたっけな」

 僕は昨日、白鷺古書店でまとめたルーズリーフを懐から取り出すと年表を確認する。

 安定した収穫量。変動数値のおかしなグラフ。

 その中で突然、グラフが急激な落下を示す場所が確かに存在していた。

 もしも、この急激な収穫量の減少が生贄ではなく、人形で代替しようとした事によるものなら。そして、それが原因で神の怒りを買ったとするならばどうだろうか。

 人形が造られ始めた理由。そして、その役割が変化した原因にも筋が通る。

 だが、そうだとするならその後も作られ続けた理由は一体……何なのだろうか?

「代替品……か。少しだけこの人形を作ろうと考えた人間の気持ちが分かる気がするよ」

 そう言うと、志津先輩は魔女先輩が取り出した毛髪とへその緒をそっと人形の中へと戻し、元あったように首をはめなおす。そして、そっと日本人形の頭を撫でた。

「誰だって身内を失うのは怖い。だから、せめて何らかの形で忘れまいとしたんじゃないか? まぁ、結局は無駄な努力だったのかもしれないがな」

 志津先輩は忘れていた。だからこそ、無駄だった。という事だろう。

 世界から消え、誰の記憶からも失われる。だが、こうして生きていたという証拠だけが形として確かにこの世界に残留する。亡霊のように。

「だから、手を合わせたという事ですか。本来は生贄の身代わりだったものが、転じてその生贄にされた人間が生きていた証。言わば、遺骨の存在しない墓」

 この世界には彼らが生きていた証はない。骨もない。名前もない。

 だからこそ、こうして形として残っているものは墓とも言える。彼らが生贄として捧げられ、消えていったという残酷な事実を突き付ける墓とも。

「そうかもね。記憶からも記録からも世界からも消えた人間の末路という意味ではね」

「そう言えば、魔女先輩は最初からこれがどういう意味か分かっていたんですか?」

 昨日の行動から考えて、ある程度は魔女先輩の中で組み上がっていなければおかしい。特に志津先輩の家の事を語った口調から推測すれば、ほぼ確信だった筈だ。

 そんな僕の問いに対し、魔女先輩は一言こう告げた。

「そうね。理解はしていたわ。でも、それを裏付ける証拠は持ち合わせていなかった」

「もしかして、『嗅覚』ですか? 前にも、似たような事を言っていましたけど」

 情報として知覚的に探すのではなく、感覚的に状況を判断している。

 だからこそ、僕らを説得するだけの情報がなく、黙っていた。そう考えると、やはり他にも何か隠しているのではないかと思わずにはいられないが、今はいいか。

「そうなるわね。でも、現状でここまでが限界。だから、貴方には期待しているのよ」

「期待している? 魔女先輩クラスの知識があれば、僕なんて足元にも及びませんよ」

 魔女先輩は首を大きく横に振り、僕の言葉を否定する。

「私は人ではないの。だから、怪異ではなく人の起こした事に関しては理解出来ない」

 怪異であって、人でない。人であって、怪異でない。

 人の考えを理解出来るのは人だけ。同時に怪異の事を理解出来るのも怪異だけ、か。

「つまり、八雲さん――貴女はどこまで知っているんですか?」

「恐らく、ここで夕先輩の匂いが消えている事までなんですよね」

 志津先輩の問いに僕が魔女先輩の代わりに間を入れず、答えた。

 もしも、ここで魔女先輩が首を縦に振れば仮説はほぼ確信へと変わる。

 けれども、魔女先輩は僕の予想とは裏腹に首を傾げるのだった。

「正しく言うと、消えた匂いの先に無臭の空間があっただけなのよね。それに、清浄過ぎて私にはここの空気はどうにも気持ち悪いのよ。感覚がおかしくなりそうで……」

「おかしく? それはやっぱり神籬と関係があるのか?」

 神籬、神を招く場所。儀式。

 これらを結び付けるなら、志津先輩の中でも容易に想像出来てしまったのだろう。

 この家の敷地内に儀式の間が存在している。そして、そこで何らかの儀式が行われた。もしくは、現在進行形で行なわれている可能性があるという事を。

「まぁ、元々土地に神を招いているんだから、それなりにその土地に色が付いていてもおかしくはないのよ。ただ、それが私達のような怪異には異色なだけであって合わないの」

 つまり、まとめると儀式場を探し出す事は魔女先輩には不可能ということか。

「なら、志津先輩。家系図をお見せいただけますか?」

「あぁ、いいが……何かそれを見れば分かるのか?」

「はい。恐らく、それを見れば今回の一連の事件の流れは見えて来ると思うので」

 深山さんの道祖神破壊。そして、その後の神隠し。

 それを行わなければならない人間は限られる。だが、理由がない。

 けれども、ある事を証明出来ればそれが確定する。本当の生贄は誰だったのか。

「分かった。少し、待っていてくれ。蔵から持ってくる」

 志津先輩がそう言って、客間を退出すると魔女先輩は僕を見て笑みを浮かべる。

 そう言えば、魔女先輩は家系図を確かめていた。だから、既に知っているのか。

「やっぱり、生贄とされるべきだったのは、夕先輩ではなかったのですね」

「あら、意外ね。私はてっきり、ソコに気付いたのではないと思ったのだけど」

「貴女が言ったのは双子と言う記載だけ。書かれているのが木綿か紙垂かなんて話は一度もしなかった。だから、この推測に辿り着けました」

 そもそも、姉と妹。その順番から付けるならばユウが姉。シヅが妹の筈なのだ。

 木綿が転じて紙垂となった。先と後が意味として逆転している。

 そして、もう一つヒントとなったのは昨日の志津先輩の言葉だ。

 比べる。もしも、生贄として捧げられる運命が決まっているのなら、わざわざそこまで追い詰める必要性があったのだろうか。志津先輩と比較してまで――。

「入れ替わり。僕はまず、そう推測しました。まぁ、あくまでも祭のある程度の実施日との兼ね合いから今回の一件を自分ならどうするかと考えただけなんですけどね」

「なるほど。確かにその考えなら、今回の一件の犯人は確定出来る。でも、動機は何かしら? 儀式の回避が目的なら、元も子もないわよ」

 それを言われると、僕は何も返せなくなってしまう。

 行動動機。それがなければ、道祖神の破壊理由がない。

 どうしても分からなかったのはそこなのだ。彼女の目的が見えてこない。

「問題があるとすれば、そこです。でも、もしもそうだったのならば、彼女には確実に時間がなかった筈です。儀式は恐らく、六月――来月ですから」

「時間がないからこそ、外から何かを招こうとした……」

「生贄の入れ替えは過去に失敗しているからこそ、別の方法を模索したなら、余計に」

 本来、燃やすなどして供養する筈の人形が今も残っているのは生贄の交換に失敗したからだと僕は考えている。そして、実際に祟りが起こったという記録が残っている。

「でも、これを突き付けた所で白状はしませんよ。全部、推論でしかないですから」

「そうよね。推論――か。でも、それを私に言ったって事はそういう事なのよね? あの時の言葉をもう一度、確認させて貰うけどそれでいいの? 何も得はないと思うけど」

 僕は静かに頷いて、了承の意を示す。

「物語には終わりがある。終わりがなければダメなんですよ」

 終わらせなければならない。ちゃんとした形で終止符を打たなければならない。

 そうでなければ、誰も報われない。救われない。哀し過ぎる。

「そう、それなら私からは何も言わないわ。私は私の目的さえ達成できればね」

 目的――そう言えば、魔女先輩の目的については一切、考えた事がなかった。

 ここまでこの一件に拘る理由。僕らに協力する理由。

 そもそも、魔女先輩にはどんな旨みがある。この一件に関わる事で。

 僕のそんな思いを見透かすように、魔女先輩はゆっくりと口を開いた。

「私は怪異を喰らう。それが私の怪異としての本質――私の存在意義」

 怪異を喰らう。良く考えれば、その目的の為に僕を利用している。

 要は喰らうという行為が報酬。それにしても、怪異が怪異を喰らうとは……。

「あら、ニンゲンだって同じ哺乳類という部類の牛や羊を家畜に堕として喰らっているじゃない。まぁ、本人が幸か不幸かは別にしてもそれと同じ事よ」

「いや、それはどうなんですか? それに、そもそも人間が人間を喰うのは異常です」

 僕が真面目に魔女先輩に返すと、まるで僕をからかうように笑い始める。

 怪異が怪異を喰らう。怪異には目的があって行動する。

 そもそも、怪異とは何なのか。何を思って行動しているのか。

「そうかしら、異常か否かのラインを決めるのも本質的には結局のところ、倫理観と言う個人的な価値観で決まるのよ。それをどうこう語る事自体が愚かしい行為だと思うの」

「いや、その倫理観こそが――って倫理観は個人的な価値観?」

「おかしい事でも言ったかしら? そもそも、倫理観なんて今と昔では全くの別物なんだから、集団的な無意識であり、無価値な経験からくる総意とも考えられるでしょう」

 個人的な価値観と倫理観が同義だとすれば、そもそもの問題として僕らの位置から事件の本質に迫ろうとする事自体が間違っている事になる。

 僕らとの間にその壁があるように、妄執に支配されたこの神籬と僕らとの間にも絶対的な壁として倫理観の違いが深く根を張っているとすればどうだろう。

「確かに魔女先輩の言葉通りかもしれませんね。ただ、訂正するなら大衆で括るというより、ある一定以上の集団的思想になるでしょうけどね」

 大衆というには神籬という家は狭すぎる。だが、確実に外界と倫理観が相反している。

 でなければ、こんな妄執を続けられる筈もない。いや、耐えられる筈もない、か。

 どちらにせよ、長い年月をかけて培われてきた倫理観を僕が理解しようというのがおこがましい。結局は今の断片から読み解く事など、無理にも程があるのだ。

 それを本当の意味で大衆の倫理観に落とす事も無意味な行為でしかない。

「なるほどね。他人なんてものは誰にも理解する事が出来ない。だからこそ、無意識の内に他人を傷付け、絶望の淵に追い込むか。まぁ、それがなかったら――か」

「すまない。少しばかり、探すのに手間取ってしまってな」

 魔女先輩の言葉を遮るように、志津先輩が古い紐閉じの本を持って帰ってくる。

 恐らく、それが家系図を記したものなのだろう。それを僕に差し出して来たのを見ると、魔女先輩は会話を打ち切り、僕の書いたルーズリーフを眺め始める。

 何を考えているのかは分からないが、僕も僕のするべき事をするか。そう思うと、家系図へと目を向けるのだがなんだろう。開いた瞬間、違和感を覚えた。

「背表紙に比べて中の紙が新しい。何年か前に作り直しましたか?」

 考えていなかった訳ではない。家系図というものは書き加えていくものだ。

 だからこそ、そういう物であって然るべきなのだが、まさか最初のページからここまで新しい高級紙になっているとは思ってもいなかった。

 これなら、改変されている可能性があるだけに信憑性を疑問視してしまう。

 そんな僕の思いに気付いたのか、志津先輩がこう補足した。

「二年ほど前に蔵を整理してその際に新たに編纂したらしい。今後の事も考えて、新たに作り直した方がいいと判断してのことらしいが……」

 利便性から考えるとそれに関しては納得がいく。

 だが、問題はその際に内容を書き換える事が可能であるという点なのだ。

 流石に全てのページにまで手を及ぼすという事はないだろうが、少なくとも数か所はそういうページがあった所でおかしくは……いや、慢性的に行われていたかも。

「なるほど。魔女先輩の言う通り、双子は生まれた事がないという記録になっていますね。それから、シヅという名前がちらほら見受けられる」

「あぁ。つまり、この人数だけ犠牲になったという事か」

 志津先輩のそんな悲しげな呟きを僕は即座に否定する。

「そう結論付けるのは時期早々だと思いますよ」

 理由は単純だ。ここにシヅという名前で記載されている人間は明らかに人形の数より少ない。普通ならば、誤差程度と考え、おかしいなどとは思わないのだろうが。

 しかし、僕からしてみれば明らかな改竄の結果だ。

 人形より、儀式で犠牲になった人間は多くなければならない。

 シヅとユウという名前が最初に付けられているのは僕の調べた年表と照らし合わせると、最初の儀式が行われたと考えられる時期以降から、儀式が途絶えようとする前。

 つまりは人形が造られ始める前という可能性が非常に高いのである。

 だとすれば、意図的に名前を変えた人間が大勢いたという事。

「名前を変えた。もしくは、名前を二つ持っていたといったところでしょうか?」

 二つ。それならば、表向きの名前の方で記録が残っていてもおかしくはない。

 もしくは、儀式の終了の後に正式に家の人間と認められ、その際に新たな名前を授かるか、今の名前を使い続けるかを選ぶといった形か。

 どちらにせよ、やはり夕先輩が生贄だったとはどうも思えない。

「流石に私もそこまでは分からないが、少なくともその行為を否定は出来ない。――少しだけ自分の名前を変えて新たにやり直したいという気持ちは分からんでもないからな」

 分からなくもない。その言葉はまるで、自分に言い聞かせているかのように見えた。

 確かに、名前を変えて事実から目を背けることは逃げなのかもしれない。ただ、自分の中から欠け落ちたモノと向き合える程、強い人間ばかりではない。

 志津先輩としても、それを理解しているが故にそんな言葉を漏らしたのだろう。

「名前を変えて全てをなかった事のように演じる、か。随分とまぁ、手の込んだ目の反らし方をするものよね。それで何が変わるかなんて私には分からないけどさ」

「僕にだって分かりませんよ。それに、どんな事も気休めにもならないと思いますよ。って、何をしているんです。人が調べたモノを折り紙みたいに折らないでくださいよ!」

 ルーズリーフを折り紙のように折り畳み、紙飛行機らしきものを作ろうとしている魔女先輩に思わず、苦笑いを浮かべてしまう。

 それは、僕が時間をかけて調べ上げたものなのだ。しかし、そんな僕の気持ちが分からないのか、魔女先輩は紙飛行機を折り終わるとそれを僕に向かって飛ばしてきた。

「だって、それは全て終わった事じゃない。完結したモノをどうこうしようとした所で、何もならないんだから、時間の無駄と言う奴だと思うのだけど」

「まぁ、言われてみればそうだな。確かに数が合わない事に関しては問題だろうが……」

「分かっていますよ。でも、まぁ一つだけ分かった事はあるじゃないですか」

 僕は投げられた紙飛行機を綺麗に整えると、それを志津先輩へと突き出した。

 この町と近隣とでの米の取れ高を調べ、グラフにして視覚化したものだ。そして、それと同時に家系図の最初の生贄と思われる人間のページを並べてみせる。

「先程、見ていた物だな。生贄となった人間がいつ頃かを調べるのに……」

「えぇ、そうです。でも、これを見てある事に気が付きませんか?」

 本当に些細な事だ。もしかしたら、些細な事過ぎて志津先輩は見えていないのかもしれない。それ程までに自分達が当たり前のように今、見えている事なのだ。

 魔女先輩も薄々は気付いている筈だ。僕が何を言おうとしているかについて。

「重要なのは『今現在』も生贄の儀式は続いているという事実ってところかしら?」

「あぁ、それは分かっている。だから、夕も候補になっていたのだよな」

 やっぱり、この人は分かっていても話していない事があるな……。

 試しているのか、何かを企んでいるのかは分からないが、今更の話だよな。

 それよりも、さっさと話を先に進めてしまう方が時間を取らずに済む。

 僕は今いるこの屋敷の客間を指差す。そして、すぐに指をルーズリーフに描かれたグラフの最初の数字へと動かして見せる。

「今現在も続いているのなら、どこかに儀式の会場がなければおかしい。そして、恐らくその会場はこの神籬邸の敷地内にあると容易に推測可能です」

「ちょっと待て――儀式の会場があるというのまではいい。だが、この屋敷の敷地内に儀式の会場があるというのはどうして容易に想像出来るんだ?」

「単純ですよ。そもそも、儀式の内容を考えれば分かる事なんです」

 今も続いているのならば、外で儀式を行っているとは考え辛い。

 もっとも見つかりにくく、噂にならないのは神籬邸の敷地内と考えるのが自然の流れだ。

 だが、三百年以上前から儀式が続いていたとして、その会場を容易に移動させられるとも考えられない。だとすれば、三百年近くを同じ場所で行なっているという事になる。

「確認しますが、ここってこれまでに何度か建て替えを行っていますよね?」

「あぁ、何度か改修工事をしたとは聞いた。特に水回りに関して……」

 水回りとなれば、床下を確かめる。となれば、やはりここにはないか。

 あるとすれば、恐らくは敷地内でそれらしい所――あの鳥居の近く。

「現在進行形で儀式が続いていたのなら、会場は人が入れる場所という事になる。そして、三百年近く隠し通せる場所となれば、外でわざわざ儀式を行うとは――ね」

 僕はそういうと、志津先輩が反論を口にする前にこう続けた。

「そして、業者が出入りしていたのなら地下室も屋根裏も見付からなかったのは少しばかり、不自然だ。なら、この屋敷内にはないと考えた方がいいでしょう?」

「言っている事は分からなくもないが、流石にこじ付け過ぎはしないか?」

 志津先輩は僕の言葉に少しばかり、納得がいかないように首を傾げてみせる。

 確かにこじ付けと言われれば、それまでなのだが他に考えようがない。

 けれども、そんな怪しい場所が見付かれば、それとなく噂になる筈なのだ。

 それがないとすれば、確実に人の目が向かない場所。無断で立ち入る事が難しい場所と極めて狭い範囲に絞られていく事になる。

 それが、僕の結論である神籬邸の敷地内なのだ。

「噂にならないというのがそもそも、おかしいんです。そんな後ろ暗い場所が外部にあったとすれば、確実に肝試しの穴場としてそれとなく名前が知られてもおかしくはない。ただ、性質がそもそも違うのでなんとも言えませんけどね」

 性質――魔女先輩の清浄と言う言葉からも分かるように綺麗過ぎるのだ。

 簡単に言えば、神社の独特な空気とでもいうのだろうか。穢れを払うと、そこには一切の曇りのない空間が出来上がる。人間にも気味が悪い程に。

「性質については分からないが、言われてみればそんな場所は聞いた事がないな。心霊スポットが近場にあるなら、話題にあがっていてもおかしくはないだろうし」

「そう言う事です。それに、深山さんの夢ってもしかしたら、その場所を示している可能性もあると思うんです。道祖神はそもそも、神社関係ではないですから……」

 深山の見た夢に出たという鳥居。

 確信というには程遠いが、深山が無意識の内にその儀式会場へと惹き付けられていた。

 流石に無茶な思考だというのは分かってはいるのだが、鳥居。深山さんが夢に見たそれがもしもそうならば、一つの道筋として見えて来そうなのである。

「憑依した存在の目を通して、その光景を夢という形で認識した。偶然、それが呪いと時期が重なった事で呪いと勘違いしたが、本来は別の事象だったらどうかしら?」

「つまり、憑依したモノが深山を操って道祖神を破壊した。そして、それは今回の事件全体にも関わっているとでもいうのか?」

 視覚の共有については良く分からないが、憑依に関しては有り得なくもない。

 それならば、深山の行動にも納得がいく。そして、道祖神を隠した理由にも。

 壊したのは深山。だが、その行動を起こさせた理由となったのはその何か。

 だとすれば、その何かが道祖神に邪魔されない為に消したとするならば……。

「ちょっと、不味くないですか。道祖神すら逃げ出すようなやからだったりしたら」

「そうね。そうだと、本当に手に負えないわよね。――まぁ、大丈夫だとは思うけど」

 魔女先輩は僕の心配を他所にそう笑ってみせると、何かを懐から取り出した。

 あの道祖神の所に落ちていた白い白骨化した骨だ。

「恐らく、これはそれが残した物なのだろうけど、そこまでの事が出来るならその後の連続失踪が不可思議じゃないかしら? だって、神すらも隠せるのに」

「まぁ、本当にそんな輩がいるとすれば、確かにおかしいな」

 志津先輩は頷いてはいるものの、半分も理解していないだろう。

 だが、それ以上は関わるべきではない。僕らのどうにか出来る領域を超えている。

 僕らは退魔士ではない。ただの学生に過ぎないのだ。

「それなら、それで好都合ですよ。僕らはわざわざ、そいつと直接対決する理由はないですからね。むしろ、そんなものなんて御免こうむりたいです。死にたくないですから」

 僕はそう言い切ると立ち上がり、客間の障子を開いて庭の様子を眺め始める。

 池を泳ぐ鯉。石橋。まさに、日本庭園と言える風景だ。

「ちょっと、あの林にでも行ってみますか。行けば、何か解るかも知れませんし」

 ここからでは、あの森の奥に何があるのかは検討も付かない。

 鳥居だけとは考え辛いのだから、社もあると思うのだがここからでは林に隠れており、社はおろかその肝心の鳥居も確認出来ないのだ。

「まぁ、確かにここで長い事、話し合った所で解決はしないだろうから別に構わないのだが、あそこには私もあまり足を踏み入れた事がなくてな」

「踏み入れた事がない? どうしてです?」

 あれだけの林だ。子供の頃に興味本位で足を踏み入れていてもおかしくはないだけに、その志津先輩の言葉に僕は思わず、そう問い返してしまう。

「先祖代々のお墓がな……。だから、昔から足を踏み入れるなと言われていたんだ。それに、壊れかけた社があって危ないからというのもあってな」

「壊れかけた社ですか。そこ、行ってみましょう」

 壊れかけた社に好き好んで入ろうとする人間はいない。

 わざわざ、立て直さない理由も気になるし、そこへ立ち入らないようにと言う言い含めにも何か裏があるように感じ取れてしまう。

 それを確かめる為にもあそこに行ってみる価値は十分にある。

「まぁ、構わないが……見付からないようにしてくれ。母様に見つかるとうるさいからな」

「ありがとうございます。志津先輩」

 志津先輩は渋々、僕の提案を受け入れるとゆっくりと腰を上げ、客間を後にする。

 そして、屋敷から外に出ると真直ぐ、その林へと足を向けるのだった。

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