第10話

 家に着き、夕食を食べたのだが何を食べたのか覚えていない。

 味わうどころか、流れ作業のように食事をしていた事に言葉にはしないが、妹は相当なお冠だったと思う。顔には出していなかったが……。

 ただ、僕としてはやはり、白鷺古書店で調べ着いた可能性が頭から離れないのだ。

 ベッドに横になると、携帯の電話帳を眺めるが、そこにはあったのであろう神籬夕の名前はない。それだけではなく、神籬志津の名前すらもなかった。

「向こう側からは連絡を取れるが、此方からは連絡が取れないか……。聞くのを忘れてた」

 よくよく考えれば、接点がないのだから志津先輩の連絡先を知る筈もない。学年も違うのだから、探した所で電話帳でも見ない限りは家の番号も分からないだろう。

 それに、よくよく考えてみれば、魔女先輩とはどう連絡を取り合えばいいのか……。

 あの人は携帯で連絡を取れないどころか、どこにいるのかも分からない。

「まぁ、なるようになる事を願うしかないよな。今回の一件もだけど」

 今日は一日で色々と有り過ぎた。それだけに明日の事を考えて、早めに眠ろうと携帯を閉じようとするのだが突然、着信音が鳴り響き、驚きのあまり携帯を床に落としてしまう。

 表示されている番号は僕の知らない番号だ。そもそも、この番号を知っている人間は妹と四ノ宮、他数名。その為、必然的に知人ではないという事になる。

 何か、嫌な予感を頭に過ぎらせるも恐る恐る携帯を取り、通話ボタンを押した。

『夜分遅くにすまない。神籬志津なのだが、少しいいだろうか?』

「なんだ。志津先輩でしたか。今、此方から連絡しようと思っていたので、丁度良かったです。連絡先が分からなかったので助かりました」

 電話の向こうでは、何かをしているのだろうか。何かをめくるような音が聞こえてくる。

 それに言葉に覇気がない。やはり、まだ引き摺っているのだろうか?

 まぁ、理解したとしても、すぐには納得出来る事ではない。それも、仕方がないか。

『少し、話がしたくてな。考えれば、考える程に分からなくなってしまって……な』

「何か、あったんですか? なんなら、今から――いえ、やっぱり止めておきます」

 何かあったのなら、早目に会いに行った方がいいと思ったのだが、初めて魔女先輩に出会った時に言われた言葉が頭の中で再生される。

『夜が来ればそれはもう彼らの時間。そうなれば、どうなっても知らないわよ』

 もしも、あの言葉が真実ならば、今回の一件とは別に何かが起こってもおかしくはない。

 今までは道祖神に阻まれて入れなかったのが、素通り出来てしまう環境が出来上がってしまっているのだ。何がこの町に入り込んできても――。

『別にわざわざ、家にまで来てくれなんて言う程の事ではない。ただ、少しずつだが思い出していく度、この家にいるのが無性に辛くなってな。誰かの声が聞きたかったんだ』

「そうでしたよね……。その家には夕先輩との記憶が焼き付いているから……」

 あの家は夕先輩も住んでいた。

 だからこそ、どこへ目を向けてもその記憶が付いて回る。それなのに、誰も夕先輩の記憶を覚えておらず、言葉にして叫ぶ事も出来ない、か。

 逃げる事の出来ない生き地獄。気が狂ったとしても。というより、周りの世界が狂っているのだからそれこそが当然か。ただ、狂った理由と結果が違うだけで。

『あぁ、この家には思い出が多過ぎて目を背けられなくてな……。羨ましいばかりだよ。お母様は夕の事なんて露の一つも覚えていないようだからな』

「そう言えば、志津先輩は両親と仲が悪そうでしたね。やはり、その件で?」

 一度、訪れた際に険悪な空気を出していたのを記憶している。

 だが、今にして思えばそれは仕方がないように思えてしまう。何せ、家族の一人が消えた事を誰も覚えていないのだ。だが、そこには確かに誰かがいた事だけを覚えている。

 そんな中、一人その誰かを探そうとしていたのなら、当然の事だろう。

 けれども、どうやら事情は違うらしい。もっと、僕が考えているよりも根が深かった。

『あまり、人様に話すような事ではないのだがな。夕とお母様は折り合いが悪かったんだ。いつも、喧嘩ばかりしていて一人、庭の隅で泣いていたのを遠目に視ていた』

「少し、意外です。夕先輩は僕の知る限り、明るい人でしたから……」

 僕の記憶の中にいる夕先輩は郷土研究部に来ては笑いながら、僕の話を聞いていた。

 いつも、笑っていて人当たりのいい先輩。そんな風に視ていただけに、その言葉を僕はすぐには信じる事が出来なかった。いや、信じたくなかっただけかもしれない。

 もしも、その言葉が真実ならばそういう可能性も存在してしまうのだ。

『夕は私と比べられるのを酷く嫌ったからな。何をやっても私に敵わない。その事を色々と言われていたらしく、家にも居場所がなかったのかもな。それを私は見て見ぬふりだ』

「それは違うと思います。志津先輩は見て見ぬふりはしていない。もしも、そんな事をしているのなら、先輩はわざわざ探そうなんてしなかった筈です。傷付くかもしれないのに」

 詭弁かも知れない。だが、そういう選択をするのには覚悟がいる事だと僕は思う。

 少なくとも、志津先輩は夕先輩の事を――妹の事を気にかけていたというのは紛れもない事実。それを悔い病む必要はどこにもない。

『ありがとう。そう言って貰えて少しばかり、気が晴れたよ。ところで、私に何か話したい事があったようだが、何かあったのか? 連絡を取りたがっていたようだが』

「あぁ、いくつか確認しておきたい事があったんです。それで、明日もう一度お伺いするのに都合のいい時間を聞いておこうと思いまして……」

 白鷺古書店で手に入れた情報を基に考えると、鍵は恐らく神籬邸に眠っている。

 それだけに、誰にも邪魔されることなく、神籬邸に残っている史料を漁りたいのだ。

 魔女先輩が見た家系図。そして、あの家に祀られているモノ。

 それらを自分の目で確かめない事には今、頭の上に浮かんでいるそれらを誰かに話す事が出来ない。誰かを傷付けるかもしれないソレを明かすには責任が付き纏うからだ。

『あぁ、構わないよ。私に出来る事なら、なんでも協力するつもりだ。だから、君も……どんな結果であろうと私に隠し事だけはしないで欲しい』

「善処はします。けど、話せない事は話せませんよ。特に、自分でも納得出来ていない事を他人に話す訳にはいきませんからね。ところで、もう一ついいですか?」

 電話越しに聞こえてくる音から様子を想像するに、納得は出来ていないのだろう。

 でも、こればかりは曲げる事は出来ない。それに、明かされるべき真実とそうでない物がある筈なのだ。無闇に語っていいモノばかりではない。

 僕はそれ以上、話を踏み込まない為にも次の話題へと移るのだった。

「深山さんが最近、この町の外に出たような話を聞いた事ありますか? 例えば、彼女の家が町の外にあるとか。そういう話なんですけど……」

『いや、彼女の家は町の中にある。それに、彼女が外に出たのは春先に祖母の家に行った時ぐらいだという話だ。だが、深山の事は関係ないと言っていたのにどうかしたのか?』

 その言葉に僕が今、考えている事を話してしまうべきか迷ってしまう。

 妄執、因習。それらが今も続いており、それらを止める為に外の力を求めた。

 内から変えられないのなら、外から新たな流れを呼び寄せればいい。その手段としての道祖神の破壊。そして、深山さんの失踪。

 それが魔女先輩の言葉をヒントに道祖神の破壊を別件として考えた結果だ。

 そして、それを行う理由があるのは限られる。得をする人間を考えるなら尚更だ。

「いえ、なんでもありませんよ。ちょっと、帰りに深山さんの友達に話を聞いて色々と調べていたら気になっただけです。道祖神が壊されたという事の理由が見えなかったので」

『確かにそうだな。彼女がわざわざ道祖神を壊す理由はない。少なくとも、外面は良かったようだし、わざわざ問題を起こすような生徒ではなかったという話だったからな』

 外面――その言葉に引っかかってしまう。

 それではまるで、隠している部分があったという事になるからだ。

 確かに人間、誰しもが何かを隠している。けれども、外面が良かったという言い方ではまるで仲間内では色々と思う所が見受けられていたという事になる。

『まぁ、話を聞く限り優等生だが、……家庭内で溜まった鬱憤を晴らす為に様々な悪さを繰り返していたようだ。――一年の中には扱き使われていた学生もいるらしい。それに、一年で起こった幾つかの問題にも彼女が種を蒔いたという噂もあるようだからな』

 扱き使われていた学生――何だ。知り合いのような気がする。

 いやいや、流石にそれはないか。

 本人は友達と言って心配していたようだし……わざわざ、心配する筈もない、と思う。

「人は見かけに寄らずという所ですか。僕の所に来た時はそんな悪さをしている風には見えなかったのですけどね。となると、その延長線上? でも、それにしては……」

 やはり、妙な印象を受ける。いや、妙と言うよりも行動の整合性が取れない。

 これまで、問題が起こらないようにストレスを発散していた人間がよりによって地蔵を破壊するような大きな行動を起こす。突発的にしては不自然だ。

 深山さんが壊したというのは間違いないのだろうが、そこに理由が一切見えてこない。

『あぁ、普通に考えるなら少し行き過ぎている。何より、深山がそのような行動に走るような前兆らしき行動はなかったようだ。私の調べた限りでの話にはなるがな』

「十分ですよ。これで喉のつかえが一つなくなりました」

 結論から言えば、深山さんの失踪は神籬夕の神隠しとは無関係。

 この事に関しては疑いようがない。だが、それはあくまでも失踪という点だけ。

 無関係なのは結果。重要なのはその発端の方だ。

 これでようやく、容疑者の候補が絞れてきた。今回の一連のとまでは言わないが、少なくとも今回の事件の始まりを作り上げた人物。

『そうか。それなら、良かった。そう言えば、学校も今回の件で数日は休校にするらしい。私達にとっては都合がいいかもしれないがな』

「そう言えば、そんな連絡が入って来ていたみたいですね。妹から聞きました。まぁ、アイツの方も休校になったらしいですけど……ところで、何時ごろにうかがえば?」

『午前九時に家の門の前で待っている。一応、昼食の用意もしておこう。では、おやすみ』

「わざわざ、ありがとうございます。それでは、おやすみなさい」

 電話口でそう告げると、手早く志津先輩の番号を登録し、僕はベッドに大の字になった。

 僕を包み込んでくれる布団にそのまま沈み込んでしまいそうな気分だ。この世界から消えてなくなってしまいたい。そんな良く分からない感情が込み上げてくる。

「何が正しくて、何が間違っているのか。僕は一体、何がしたいんだろうな」

 志津先輩の『隠し事だけはしないでくれ』

 その言葉が僕の心に深く突き刺さり、頭の中を色々な事柄が駆け巡る。

 深山さん。夕先輩。志津先輩。志津先輩のお母さん。僕。行方不明者達。

 妹ならこんな時、あの妙に古臭い口調で遠回しに『誰がどう言っていても、自ら辿り着いた答えこそが正しい』というような事を言うだろう。

 僕もそう考えている。しかし、何故だろう。

 自身の出そうとしている答えにどうしても、納得が出来ないのだった。

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