第9話

「あいてる……よな?」

 白鷺古書店は今日も閑古鳥が鳴いている。相変わらずの静けさだ。

 僕はいつも通り、まずは店主のいる会計へと足を運ぶのだが、やっぱりそこには白鷺婆の姿はなく、四之宮が眼鏡をかけ、本を読んでいるだけだった。

 一応は声をかけた方がいいか。そう思った時、不意に頭を上げた彼女と目があった。

「あっ、い、いらっしゃい……。な、なにか、ご用件でしょうか?」

「いや、ちょっと気になる事があって中の本を見せて貰ってもいいかなって思ってさ」

「中……あぁ、お祖母ちゃんの個人的な蔵書ですか」

 そう言うと、四之宮は僕に小さな鍵を手渡した。

 小さな繭のような何かがアクセサリーとしてついているが、古びた鍵。個人的な蔵書を保管している書庫の鍵なのだが、持っただけで手に錆が付いてしまう。

 ただ、いつもは何か大事な要件がない限り、白鷺婆も鍵を貸してくれる事はないだけに、すんなりと手渡してくれた事は少しだけ意外だった。

 そんな事もあり、僕は思わず首を傾げてしまう。

「借りていいのかい? ほら、白鷺婆に知られたら何を言われるか……あの人、本に関しては絶対に妥協しないから、いくら孫でも相当な小言を言われると思うんだけど」

「あぁ、いいんです。お祖母ちゃんが貸してやってくれって言ってましたから――それを聞いて来たって事は必要なんだろうって。何に必要かは教えてくれませんでしたが……」

「もしかして、連絡があったって事?」

 四之宮は首を小さく縦に振ってそれを肯定するのだが、なんだろう。

 僕が質問していたのは道祖神関係だ。わざわざ、蔵書を勝手に閲覧して構わないというのは気前が良過ぎる気もするのだが、好意には甘えておくべきだろう。

 今は藁にも縋りたい。暗闇を照らす道標が欲しいのだ。

「そ、そうなんです。向こうで何かがあったらしくて、まだ旅の予定が伸びるかも知れないだそうです。あぁ、あとこんな事も言ってました」

 栞を挿み込み、本を閉じると戸棚から一枚の紙を取り出した。

『道祖神は神社ではなく、地蔵菩薩。仏教方面と根強い。それから、境界を司り、旅の安全の祈願と向こう側から厄災がやって来ない事を願う。だが、決して信じるな』

 恐らく、これが僕の質問に関する回答。お蔭で、僕の違和感は確信へと変わった。

 念の為、手帳を確認すると深山さんははっきりと鳥居と言っている。だが、道祖神に鳥居というのは結びつかない。となると、考えられる可能性は二つある。

 そもそも、道祖神に呪われていたのではない。

 もしくは、アレは道祖神ではなく、まったく別の事を意味していた。

 ただ、罰当たりな行いをした事実は変わりない事、彼女が目撃した紋様から判断するに前者はまずありえないだろうが……。

「なるほどね。ありがとう。助かったよ」

「あぁ、いえ。私が先輩を巻き込んでしまったので、何でも力になれる事があれば――」

 僕がお礼を言うと、四之宮はどこか恥ずかしそうに顔を真っ赤にして俯いた。

 別に気にする必要など、どこにもないと言っているのだが……。

 まぁ、それが四之宮らしさなのかもしれない。

 そんな事を考えながら、古い閂を開け、奥の書庫へと入るのだが、そこに広がっていた光景に苦笑いを浮かべ、思わず溜息を漏らしてしまう。

 前にもまして悲惨な光景だ。本棚が足りないのか、床に転がるアタッシュケースにまで綺麗に本が詰み込まれている。詰められる物なら、なんでも本棚なのだろうか?

 机にも何冊か、本が積み上げられており、何かをまとめようとしていたのか、何とか作ったのであろうスペースには一冊のノートが拡げられていた。

「何かをまとめようとして、そのまま出かけたんでしょうね。それにしても、これだけの蔵書を全部、目を通す訳にもいかないし……どうしたものか」

 何か見付かればいいが。その程度の気休めのつもりで来たのはいいが、やはり書庫に納められている大量の本を目の前にすると、そんな事を言ってはいられない。

 せめて、何かポイントで絞らなければ本を選び出すだけで一日が終わってしまう。

 そうなると、ここは無難な所で郷土史辺りから当たってみるか。

 まず、机の上を軽く整理するといくつかの郷土史を選び取り、一つ一つ目を通していく。

 しかし、これと言って違和感はない。むしろ、普通。在り来たりと言ってもいい。

 曰く付きがあるわけでもなく、ただ平凡な町とでも言えばいいのだろうか。

 通算、五冊目の郷土史を閉じる。長時間、本と向かい合っていただけに疲れが溜まっていたのか、自然と目頭を押さえ、床に大の字に寝転がった。

 仕方のなかった。当たり前に受け入れられていた時代。生贄。飢饉。

 もしも、魔女先輩の言った神籬の因習が事実ならば、この辺りの伝承に何かしらの痕跡が残っているのではないかと思ったが、甘かったのか。それとも、見当違いだったのか。

「神籬に儀式はあった。なら、何故に儀式が行われていたのか――か」

 緊急の理由もなしに、自分の家族を生贄に差し出すとは普通、考え辛い。そして、この土地の権力者として彼らを認めるという行為も引っかかってしまう。

「抹消されたと考えるべきなのか……これじゃ、どうしようもないな」

「あの……。良かったら、ご一緒にどうでしょうか? そろそろ、休憩でもと思って、お茶を入れたのですが……」

 書庫の扉の方に目を向けると、四之宮が前屈みに僕を見下ろしていた。

 長い前髪に隠されているが、心配そうな目で僕を見ている気がする。

 確かにこれ以上、根を詰めても、何も成果は上がりそうにない。

 ここは彼女の言う通り、一端は文献調査から距離を置くのも手か。

「そうします。時間も四時を回っていますし、気分転換も必要でしょうから」

「なら、すぐに用意しますね。えっと、居間の方で待っていて頂けますか?」

 四之宮の案内で僕は白鷺古書店の奥にある居間へと足を踏み入れる。

 殺風景というのだろうか。相変わらずの生活感の無さ。まぁ、一年の半分以上を他の場所で過ごしているだけに、仕方ないのかもしれないが……。

 唯一、動いている柱時計に目をやると、やはり四時を回っている。

 文献に当たっていた時間は二時間程度か。今日はあと一時間が限界だろう。

 でなければ、夕食に遅れてしまう。そうなると、後が怖い。

 四之宮がお茶の用意をしている間、辺りを見回すのだがそこであるモノが目に入いる。

「六月――って来月。まぁ、妹の甘酒に付き合わされて一回も行った事ないけどな」

 カレンダーに記載されていたのは夏祭り。

 ただ、夏と言うには少しばかり気が早いのではないだろうか? 六月と言えば、梅雨。季節の変わり目であり、中途半端な時期に当たる。

 由来を考えるにしても、時期が時期だけに台風などの災害を鎮めるとは考え辛い。そして、盆の鎮魂の為の先祖祭りというにも不自然である。

「お茶が入りましたよ。あぁ、あとお茶請けにつまらないものですが……」

 気が付くと急須で湯飲み茶碗にお茶を注ぎ、軽めの饅頭と共にそっと差し出してくれていた。僕は四之宮からお茶を受け取ると、それにそっと口を付ける。

 そして、少し間をおいてから僕は四之宮にこう尋ねた。

「そのカレンダー。夏祭の日程に印が付けられていますが、何か用事でも?」

「あぁ、この地方では秋よりも夏の方が盛大に行われるらしくて……。一度、友人と行ってみたいな。なんて考えていたんですけど……。誘う人がいなかったり……」

 その初耳の情報に、僕は首を傾げてしまう。

 一度もその祭りに足を運んだ事がないだけに何ともいえないが、本来ならば豊作を祈願する春、収穫を祝う秋の祭りが基本的に大きな祭りになる筈だ。

 その中で敢えて夏祭りが最も盛大に行われる。何故だろう。

「そう言えば、四之宮さんは行った事がないのですか? このお祭りに」

 僕は何ら情報がない。それだけに四之宮にどのような祭りなのかを問いかけたのだが、恥ずかしそうに顔を真っ赤にすると首を左右に激しく振り始める。

 確かにそうだった。恥ずかしがり屋の四之宮が人混みのある祭りへと足を赴けるなど出来る筈もない。遠目に眺めるのが彼女の精一杯だろう。

「で、でも……江戸時代以前から続く祭りらしく、それは大きな祭りで一度は村の名物にしようとしたらしいんですけど……出典が見付からなかったらしく……」

「珍しいですね。それだけ、大きな祭りなら始まりが残っていてもいいと思ったのですが」

 大きいという事はそれだけ、目立っていたという事になる。

 それに、それだけ長く続いているのならそれなりに史料の中に記録が残っていても何も不自然ではない。むしろ、まったく残っていない事が逆に何か匂わせてしまう。

 記録に残せないような事を行うような祭りだったのではないか、と。

「それで結局、町興しとして利用する案は流れてしまったという訳ですか。少し、気になってしまいますね。その話が本当だとするならば――」

 戦火などで記録が消失している可能性もある。だが、同時に今の状況と同じように何かによって出典と記録だけが隠され、習慣だけが祭りとして残った可能性も存在している。

 後者の事も考えると、真正面から馬鹿正直に史料に当たった所で成果は上がらないだろう。隠された事実を探し出すには、

「数枚の紙と鉛筆を貸して頂けますか?」

 別の視点から隠しきれない事実を繋ぎ合わせ、真実を導き出す。

 絶対的なモノ。そして、史実は改竄できても絶対に改竄出来ないもの。

「えっ……はい。私の学校で使っているルーズリーフでも良ければ……」

 僕は一気にお茶を飲み干すと、四之宮からそれらを受け取り書庫の中へと再び潜る。

 そして、簡単な表を作成するとその中に本の中に記されている事実を片っ端から書き出し始め、次の本。また、次の本と次々に本を取り替えていく。

 十数冊、記載された本を粗方読み終えると、僕はこの地方の江戸時代の税収を記している郷土史料を開き、そのページの数字と僕の書き出した事実を比べ始める。

「……この地方、確認できた範囲内で『凶作』だった年が明らかに少ないな」

 日本史の話になるが、江戸時代以前は今のような流通システムは完成すらしていない。

 納税に使われるのは主に米俵。強制的に一定の量を持っていかれる江戸後期ならまだしも、この時期に行われていたのは検見法。年貢米は収穫可能な米の量を示すのが道理だ。

 だが、考えてみるとそれは明らかにおかしいのである。

 江戸時代と言えば、全国的な飢饉が頻繁に起こっていた事は有名。にも関わらず、この年貢米の指し示す量は通常、起こり得ない動きをしているのである。

「明らかな大凶作の年の一年後には大豊作。以後、数年間は豊作が続いている」

 その後、再び何度かの軽い不作の後に大きな凶作に見舞われている。けれども、また一年で大きく持ち直している。そして、決定的な問題はこの後だ。

 凶作と言える凶作にある一度を除き、まず遭遇していない。収穫量が安定し過ぎている。

 ――一体、どれだけの幸運が集まればこれほどの気候に恵まれるのか。

 この時代のもっとも懸念されていたのは先も述べた飢饉。

 そんな中、不作がこれ程までに訪れないなんて事はまず起こり得ない。今のような機械を導入した作業の効率化も、徹底した管理も行われていないはずなのに。

「……なら、権威向上の為、見得を張って要求より多く献上していた?」

 事実として確認した史料の中に、この地方は安定した年貢米によって多少の権力を向上した。というような内容があった。僕はそれを理由にもう一度、考えるがすぐに否定する。

 あまりにも無謀な博打だ。それを村の誰かが止めないなど、おかし過ぎなのだ。

 ここまで長期に渡って無茶な事を続ければ、この地方は確実に飢饉に見舞われる。そうなれば、これまでの功労は水の泡となり、この地方は確実に滅ぶだろう。

 けれども、この安定した年貢米が事実に反しているとなれば、それはそれでおかしい。

 異常としか言いようがない。理屈で違和を正せば、そこにも違和が転がっている。

 ……まるで、人の力の及ばない何かの手を借りたかのようだ。

 今の僕はそういう存在が実在するという事実を昔のように当然と信じているし、今となっては魔女先輩という実例を知ってさえいるのだ。

 例えば――そう、大凶作の年、藁をも縋る思いで生贄を捧げ、実際に効果があった。

「確かに一度目は人間性が歯止めをかけたかも知れない。だが、何度も飢饉を乗り越える為に行われて行く内、それらは当然の行為として人々の中に根付いて行くか」

 そんな中での生贄として選ばれた中に神籬の人間がいた。といったところか。

 しかし、そうなると彼らがいつから高い地位を持つようになったのかが問題となる。

 確かに事実としてこの辺りを機会に何かが行われていたであろうという事に関して、現状としては何ら疑う要素はない。だが、彼らがいつからこの町で実権を握り始めたのかと照らし合わせ、始めて今のこの一件に対する何かが見えて来るという物である。

 問題はどうやってその情報を手に入れるか。なのだが、そう簡単にいくとは思えない。

 最初の一人は自ら志願して生贄になったのかという事も引っかかってしまう。

 僕は赤ボールペンをくるくると回しながら、頬杖をついた。

「やっぱり、神籬に行って自身の目で確かめる必要があるという事か」

 最初に生贄にされた人間が何者だったのか。それがどういった経緯で行なわれたのかによって、大きく意味合いが変わってくる。

 神籬に祀られている神が白か黒か。はたまた、灰色だったのか。

「この手の話は無理矢理に村で弱い立ち位置の人間を生贄に捧げる事で災いから逃れようとする。それが通例であり、古事にも良く記されているんだよな……」

 言いたくはないが、その可能性は大きい。誰だって、自分の身内を生贄には捧げたくないと考えるのが普通だ。それが人の性という物である。

 人柱はその一人に全ての罪を擦り付けるモノだ。思い、罪科、憎しみを。

「必死な強すぎる思いは重すぎて呪いに転ずる……なんてね」

 あまり、考えたくはないがこの町に住む人間は被害者であり、加害者でもあるのかもしれない。そんな気がして僕にはならなかった。

 いや、もっと恐ろしいのは今回の一件が生贄にされた人間の祟り。……いや、それは考え過ぎか。そうじゃない。僕は考え過ぎであって欲しいと思っているのだ。

 手からボールペンが飛び出し、宙を舞う。

 それが床を転がり、止まるのをただ僕は眺めていた。ただ、傍観していた。

「残ったのは結果だけ。結果の上に僕らは生きている。だとしても、やっぱりそれは間違っているよな。どうしようもないぐらいに、間違っているんだよ」

 僕はゆっくりと横になると天井を見上げる。

 何故だろう。今の僕にはその天井すらもとても遠くに感じられた。

 手を伸ばした所で、決して届く事のない。どうする事も出来ない。終わった事。過ぎ去ってしまった時間。でも、その先に僕らは確かに存在している。

「分からない事だらけだ。本当に、どうしたらいいんだろう……な」

「大丈夫ですか? 先程から……ずっと、何か、悩んでいるようですが……」

 気付くと四之宮さんが僕を上から覗き込み、赤のボールペンを差し出していた。

 手から滑り落ちた赤のボールペンだろう。

「いや、別に何でも……。ちょっと、色々とあって……」

 僕は身体を起こすと、そのボールペンを受け取る。

 今回の一件は確かに四之宮がいたから巻き込まれた。

 だが、四之宮は巻き込まれている訳ではない。まだ、向こう側にいるのだ。

 有り触れた現実と言う名の夢をわざわざ覚ます必要はない。

「でも、大丈夫ですから。心配しないでください」

 思い出してしまった僕らとは違う。忘れてしまった事すら、忘れている。羨ましいとは思わない。でも、それは幸運な事だと思う。

 そうする事で平穏の上で暮らしていけるなら、きっとそれが一番なのだ。

「私では、頼りになりません……か? 先輩の為に……私も……」

「その気持ちだけで十分です。これは僕自身の問題で四之宮さんとは無関係なんです。そんな事に巻き込む訳にはいきませんから……。白鷺婆になんて言われるか」

 無理矢理、笑顔を作る。きっと、不格好な笑みなのだろう。

 不服そうに僕の事を見つめていたのだが少しすると、俯いてしまった。

「分かりました。でも、先輩は……その、一人ではありませんから」

「そうだった。一人で悩む必要なんてどこにもないんだよな」

 志津先輩もいる。魔女先輩だっている。

 一人で全てを探し出そう。背負い込もうなんてする必要はないのだ。

 僕はそっと四之宮の頭に手を置くとぽんぽんと撫でる。

「ありがとうございました。鍵はお返しします」

 手早く出していた本を元に戻すと書き写したルーズリーフをまとめた。

 今から神籬邸に向かうのは時間的に失礼か。となると、今日の夜に話を通して明日の朝一番に向かってそれから欠けたパズルのピースを探す。

 そうすれば、この町で起こっている事に対して何かが見えて来る筈だ。

「では、失礼します。白鷺婆にも助かったと伝えておいて下さい」

 足早に白鷺古書店を後にし、空を見上げると空は綺麗に茜色と星空に折半されていた。東の路地にある電灯はチカチカと点滅しながら道を照らしているのだが、なんだろう。

 その奥の暗闇から何故か梟のような不気味な鳴き声が聞こえて来た気がした。

 僕はその奇妙な動物の鳴き声に背筋を凍らせると暗闇を避け、決して振り返らないように大急ぎで家に向かって走り出すのだった。

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