第8話

「遅いですね。志津先輩――結構、時間経ったと思うんですけど」

 僕は持っていた携帯を机の上に置くと、大きく溜息を吐いた。

 目の前に置かれたコップの中の氷は全て溶けきり、水は温くなっている。

 ここから志津先輩の自宅まではそんなに時間はかからない。用事があるとは言っていたが、やはり内容を聞いてから後日にするかを考えた方が良かっただろうか?

 いや、なるべく早い段階で事態の収拾を図るには迅速に動かなければならない以上、その選択肢は最初からない――か。深山さんの行方を探すにしても急いだ方が良い。

 ただ、これなら先に昼ご飯を注文して食べていた方が良かったかもしれない。

 店内には先程まではいなかった客がチラホラと見える。何も頼まず、こうして水だけを飲んで、四人用の席に居座る嫌な客にしか見えてないんだろうなと思うと胃が痛い。

「すいません、何でもいいので腹にたまるものをマスターの奥さんの手料理で」

「随分と、面白い注文をするね。けど、残念ながら彼女、今日はここにいないからね」

 僕の注文に思わず、マスターは苦笑いを浮かべてしまう。

 そうなると、何を注文すればいいのか少しばかり、考え込んでしまう。何故なら、いつもはマスターの奥さんがこちらの好みに合わせて適当に作ってくれているのだ。

 常連の特権とでも言うのだろうか。こちらの財布事情まで考えてくれているので非常に楽という事もあり、普段は任せきりだ。だが、マスターだとそれが出来ない。

 となると、やはりここは任せるよりもある程度、絞って注文した方がいいか。

「冗談ですよ。やっぱり、何か軽めに食べられるものはありますか? ご飯もの以外で」

「軽めだとスパゲティーかな? 色々あるけど、適当に作ろうか?」

 念の為、メニューを確認するのだが分からない。いつも任せきっているからなのだろうが、名前とイメージが一致しないのだ。だが、適当に選んでしまうのも何が出るか……。

 ――ここはやはり、悩むくらいならマスターを信じてお任せ一択だな。

「あぁ、お願いします。ただ、にんにくを使うのでしたら控えめでお願いしますね。あまり臭うと妹がうるさいですから――あと、パスタの量の方もほどほどに」

 その注文を受けたマスターは小さく頷くと、僕の方を何か言いたげな目で見た。別に非難しているようなそれではない。むしろ、なんだろう。生温かい視線を感じる。

 要約すると、何やら微笑ましそうににやついているのだ。

「ええと、マスター? なんですか、その目は」

 そう言いかけ、このやり取りにどこか既視感を覚える。――そう。これは以前に僕が夕先輩や後輩の四之宮にここを紹介した時。待ち合わせていた時に良く向けて来た目だ。

 ほんの一瞬、僕が魔女先輩と。要は僕が別の女性と一緒にいるからか? と考えたが、マスターには魔女先輩が見えていない。事実として机の上のコップは一つだけ。

「……言っておきますが、デートの待ち合わせとか変な勘繰りしても違いますからね」

 僕がそう言うと、違うのかい? と言いたげな疑いの目を向けて来る。やはりそうか。

「まぁ、事実として確かに待ち合わせの相手は女性ですが、別に彼女だとかじゃありませんからね。ただの先輩です。相手にも失礼ですから変な気を回さないでくださいね」

「分かってる。分かってるって。君に彼女なんて出来たら妹さんが煩そうだものね」

「なんで、そこで妹が出て来るんですか……」

 恐らくは冗談なのだろうが、志津先輩の前ではそう言う事は言わないで貰いたい。

 そんな僕の思いに軽く、「はいはい」とだけ答えると、マスターはカウンターへと戻っていく。絶対に何かを勘違いしているように見えるのだが、本当に大丈夫だろうか?

 何かサプライズとか考え始めていなければいいのだが……。

 実際、前にも一度、夕先輩で似たような事があった気がする。確かにその時、先輩は戸惑っていたような――。顔を真っ赤にして、呂律が回らないほど。

 ぼんやりと曖昧で、どこか遠い昔にも思える記憶。

 僕がそんな微かな思い出を掘り起こしていると、店長がスパゲティーを運んで来て「ごゆっくり」と言うと、カウンターへと戻っていく。

 どうも一つの料理が完成する程度には考えに没入していたらしい。

 一度、魔女先輩の方を確認するが、いまだに何やら思案顔。その様子に僕は溜息を吐くとフォークでスパゲティーを巻き取り、口へと運ぼうとしていたところで、

 ――カラン。と、何度目かの鈴が鳴った。喫茶店の扉に付けられていた物だ。

 急いで開けたのか、今までよりも少しばかり大きな音。

 僕はフォークを皿へと戻し、扉の方へと顔を向ける。すると、そこには志津先輩が立っていた。向こうも僕に気付いたようで近付いてきて、そのまま向かいの席へと座る。

「すまない。少しばかり、待たせてしまったな」

「別に気にしていませんよ。今から、食事をしようかと思っていた所でしたし、少々考えを整理する時間が魔女先輩には必要だったみたいですから」

「そうか。確かに言われてみれば、もうこんな時間か……。少し、遅めの昼食だが私もここで済ませてしまうか。マスター、私にはAランチを。飲み物はアイスコーヒーで」

 先輩は軽くメニューを見てそう簡単に注文すると、朱く火照った身体を落ち着ける為か、マスターの持って来た水を一気に飲み干し、ハンカチで軽く汗を拭き始める。

「随分と、急いで来たようですね。別に僕の方は後日でも良かったんですけど」

「そうでもないさ。ただ、やはり少しは心の準備という物も必要だろう。なんというのか、自分の感情を誰かにぶつけるのはあまり得意ではなくてな」

 志津先輩はそう言い終わると、テーブルに額が付いてしまう程に頭を下げた。

「まず、君に対して嘘を吐いていた事を謝らせてくれ。君には私が深山に相談されたと言ったが、あれは嘘だ。彼女と私に接点はないに等しい……」

「やはり、そうでしたか。貴女の口ぶりと僕の友人の言葉から予想はしていましたが……」

 当然と言えば、当然の話だ。それを上手く、誤魔化していた志津先輩に関心すら覚える。

 僕も四ノ宮から話を聞いていなければ、気付く事はなかっただろう。

「そうか。君には敵わないな。ただ、これだけは信じて欲しい。私はただ、私が何を忘れてしまったのか、その忘れてしまってはいけない何かを知りたかっただけなんだ」

 自分から零れ落ちた何かを求め、必死になっていた。

 その必死さ故に、彼女を追い詰めたのではないかと後悔すらしている――か。

 確かに、志津先輩のした事は彼女を精神的に追い込んでしまったのかも知れない。だが、それを責めることは僕には……いや、神籬夕の事を覚えている人間には出来ない。

 きっと、僕も失った事だけ覚えていれば、同じことをしてしまっていたと思う。

「分かっています。確かに志津先輩の取った行動は世間一般から見れば、正しくはないのかもしれません。でも、少なくとも僕には貴女を責められないし、間違いだったと断言する事は出来ません。何故なら、それは――」

 そう言うと、僕は一拍おいてこう続けた。

「深山さんが行方不明になった事とは無関係だからです。先輩が行動を起こさなくても、何一つとして変わらなかった。それだけは確かだと思います。気にするなとは言いませんし、言いたくもありません。ですが、それを気に止む必要はないと心から思います」

 彼女の呪いには志津先輩は関わっていなかった。

 いや、それどころか恐らくは神籬夕も直接は関わっていないだろう。

 記憶の中の神籬夕が僕にした質問から推測すれば、彼女はその道祖神が破壊される光景を目撃し、どうするべきかを悩んでいた。

 そして、それを志津先輩がどういう形で知ったのかまでは分からないが、彼女から聞いていたからこそ、深山さんに対して問い詰めるという行動に出た。

 断片的に記憶が残っていたからこその行動――その理由までは判断出来ないが。

「君は優しいんだな。いや、だからこそ……か」

 そう何かを言い含んだ志津先輩は初めて、心からの笑みを僕に見せたように感じた。

「そうだった。もう一つ、言いたい事があったんだ。ありがとう」

 僕はその言葉の意味がすぐには理解出来ず、首を傾げてしまう。

 志津先輩との関わりは殆んど、無い。礼を言われるような事をした覚えはない。

 深山さんの件だって、まだ何一つとして解決していないのだ。なのに、何が……。

 心当たりがなく、戸惑う僕に志津先輩はクスリと笑った。

「そんな大それたことではないよ。君にとっては本当に本当に小さな事かもしれない。ただ、私にとってはそれが大きなことであっただけの話だ」

 そう言い切ると、志津先輩は子供用の髪留めを机の上にそっと置く。

「君は私が忘れてしまった妹の事を覚えていてくれていた。そして、少しではあるが私にソレを思い出すきっかけを与えてくれた。それは感謝してもし切れない事なんだ」

「僕も魔女先輩に会うまでは忘れていましたから……感謝なんて僕には――。それに、今も全てを思い出しているわけではないかもしれない。断片しかないんです」

 魔女先輩によって掘り起こされた記憶は一部分。

 僕と彼女がどのような関係だったかまで、覚えている訳ではない。

 だからこそ、志津先輩に礼を言われるような人間ではない。何故なら、志津先輩はいなくなった妹の事で苦しんでいた。だけど、僕はそれすら覚えていなかったのだ。

 そんな僕が志津先輩に感謝されるなど、百歩譲ってもあり得ない。

 だが、そんな僕の考えを否定するかのように志津先輩は首を横に振った。

「君は今、こうして妹の事を知ろうとしてくれている。それは間違いではないだろう? それに、ずっと母とも仲が拗れていたんだ。それが、何故かようやく理解した。少なくとも、私は君のお蔭で心のつかえが取れた事には間違いないのだからな」

「そう……ですか」

 志津先輩の言葉に僕は小さく頷くと、言いかけた言葉を飲み込んだ。

 そして、話を戻す為に口を開こうとしたのだが、それを志津先輩に止められてしまう。

「本題は少し時間を置いてからでも問題はあるまい。せっかくの昼食も冷えてしまえば、美味しくないだろうし、作り手に申し訳ないだろう?」

「確かにそうかもしれません。本題の方に入ってしまうと、食事を取れずに終わりそうですからね。あ……魔女先輩もそれでいいですか?」

「私は別に構わないわよ。私が食事にありつけるのはもう少し、先みたいだしね」

 何を指してそう言っているのか分からない僕と志津先輩は困惑してしまうが、魔女先輩はそんな僕らの事などお構いなしに何かを熱心に作り始める。

 その様子に僕らの言葉など耳に届いてないと理解した僕と志津先輩は大きく溜息を吐くと、少しばかり遅めの昼食を食べ始める。

 なんだろう。食事姿一つ一つに品が溢れている。

 絵になるとでもいうのだろうか? なるほど、高嶺の花とはこの事か。

 食事を終え、食後のコーヒーを飲みながら、そんな事を考えていると志津先輩の隣に座っていた魔女先輩が大きく伸びをしたかと思うと、作った何かを並べ始める。

「二人の昼食も終わった事だし、話を始めましょうか? こうして、図にしてね」

 それは長方形に手で切り分けられた複数の紙片だった。

 それぞれには小さくも、丁寧な文字で何かが書き記されている。

「なるほど、作っていたのは事実関係を調べる為の被害者情報という訳か」

「あぁ、確かに言ってましたよね。順番が気になっているような事を」

 神籬邸に行く前に確かに魔女先輩は被害者の順番を気にするような発言をしていた。

 それを確かめるにはこうして、実際に並べてみれば明白なまでに見えて来る。

 本当に神籬夕が最初の被害者なのか。そして、彼女が何故、巻き込まれたのか。

「そして、現状の状態はこんな所かしらね。あくまで、今の所は」

 最初に並べられた紙は七枚。

 まず、『道祖神の破壊』と書かれた、横長の紙片を頂点にし、そこに『神籬夕』の紙が続く。そして、『失踪者A~E』の五枚の紙。最後に『深山』と記された紙である。

 これが今の普通の人が認識している情報を基に組み立てられた流れという事だ。

 魔女先輩は『道祖神の破壊』を除いた六枚をそれぞれ、上から指差しこう尋ねてくる。

「まずここで問題よ。この並びには明らかに奇妙な点があるの。それはなに?」

 その問題紛いの言葉に志津先輩は何も分からず、じっとそのカードを見つめている。

 同じようにして、僕も魔女先輩の問いの真意を考える。

 最初に『神籬夕』とある点は問題ない。続く、『失踪者』の紙にも問題はないだろう。この失踪者達の順番には意味がない。そう言ったのは、魔女先輩だ。

 当然のように、事実として『深山』は六人目。現状では最後の失踪者という事になる。これも並びに間違いはない。

 では、この配置の何が問題なのか。ではなく、奇妙なのかと言う話なら、それは一つか。

「もしかして、深山さんですか?」

「分かったかしら? 深山って子はこの時点で呪われていなければおかしいのよね? なのに、無差別過ぎはしないかしら? 遠すぎる回り道でもしてるみたいに」

 確かにそうだ。もしも、本当にこれが道祖神の呪いだったと仮定するなら、最初の被害者が深山でない事に引っ掛かりを覚える。

 それだけではない。被害と一連の流れが完全に見合わないのだ。

 むしろ、これではまるで……他の何かが元凶と言われても成り立ってしまう。

「――ちょっと待ってくれ。君達には理解出来たようだが、私には何も分からないのだが、どういう事なのだ? その呪いとやらが本当に実在するとして、呪いが遠回り過ぎるとはどういう事だ? 私にも分かるように説明して貰えないだろうか?」

 志津先輩の発言に、僕は静かに頷くと『深山』と書かれた紙の配置を大きく変更する。

 場所は『神籬夕』より先。いや、正確に言えば『道祖神の破壊』の真下。

 そして、僕は懐から手帳を出し、カレンダーのページを開いて確認する。

「僕は自分の見たモノについて、よく手帳にメモとして残すのですが……」

 僕は目的の日付で目を止めると、それを志津先輩へと提示した。

「深山さんが僕の所に来たのは五月二十一日――その日、僕は深山さんから受けた相談の内容以外にも、彼女について気付いたことを色々と書き込んでいるんです」

『首筋に蚯蚓腫れした痕あり。細い一本の線。形状からは何によるものか不明』

 志津先輩はそのメモに目を通し、僕が何を言いたいのか察したようだ。

「……君は、これが道祖神による呪いの類だったと言いたいのか?」

 そう尋ねて来る志津先輩の視線はどことなく、胡散臭いものへ向けるようなものだった。

「まぁ、概ねはその通りです。呪いの一種。正確に言えば、いわゆる『霊障』の類であった可能性が高いと僕は考えています。まぁ、結果から考察すると、なんですけどね」

 この発想はそもそも、霊障がどのような物であるかを理解した上で成り立つものだ。

 志津先輩が胡散臭そうな物を視るような視線を向けるのも無理はない。

「テレビ番組の心霊番組も、その九割近くがやらせなので、信じられないのも仕方ないことですが、一応、霊障というものが『在る』として認識して下さい」

「……分かった。そっち方面の話には疑問を差し挟まないことにする」

 だが、僕の言葉に対して、志津先輩は一応の納得を見せてくれた。

「そうして頂けると助かります。簡単に言うと、『霊障』とは僕達にも分かりやすい形で現れる目印のようなものなんです。『呪い』そのものと言うよりね」

 僕の言葉を捕捉するように、魔女先輩は言葉を紡いでいく。

「この目印というのは、相手を呪う際につける物よ。どこにいても、分かるようにね。だから、少しずつ酷くなる時もあれば、薄まって行く事もある。でもね。後で探して付けるものではないの。そもそも、対象不明の呪いなんて呪いじゃないのだから」

 まぁ、逆に言えば、付けた神仏妖魔にその気がなくなっても、目印として霊障だけは無関係に残ってしまう事も多々ある。というのも、魔女先輩は語っていた。

「なるほどな。……それは、つまり自分を破壊した相手を道祖神は常に把握済みだったということになって――。うむ、分かりそうなのだが、上手く纏まらないな」

 志津先輩がすぐには納得出来ないのも、仕方がないのかも知れない。

 知ったばかりの専門用語を交えて考えた所で、なかなか理解は進まない物である。

 こればかりは、本当にどうしようもない。となると、何か例え話をするべきか。

「そうですね。じゃあ、気を悪くしないで欲しいのですが――」

 僕は志津先輩により分かりやすいよう、もっとも身近な例を提示した。

「例えば、――僕が志津先輩に何かとても酷い事をしたと仮定とします。それによって、志津先輩が僕を深く恨んだとしましょう。――それこそ、復讐を企てる程に」

「あぁ、なるほど……。続けてくれ」

 僕がそう言うと、それだけで志津先輩は理解を深めたようだった。

「なら、続けますね。それで、結果から判断すると、志津先輩の復讐は――」

 僕が話を進めようとすると、隣で黙っていた魔女先輩がわざわざ続くよう被せて来る。

「――復讐対象だけでなく、他の人間も消していくなんて陰湿よね?」

 その言葉に志津先輩がやや、顔を顰めた。僕も思わず、顔を引き攣らせてしまう。

「……魔女先輩。わざわざ、話を面倒な方に舵取りしないで下さい。ただ、まぁ……この例えだと、結果的には志津先輩の僕への復讐はそういうものである事になりますけど……」

「気にしなくていい。続けてくれ。そう言ったのは、紛れもなく、私だ。実際、お蔭でようやく何が言いたいのかを概ね把握できたよ」

 つまり、こういうことだろ。と、志津先輩は続ける。

「私が復讐者なら、この事件のように、君と関係ない人間を無差別に襲うのか。とね」

 そう。これこそが、魔女先輩の言う遠回りの正体だった。

「そう言う事です。すいませんね。上手く説明できれば良かったんですけど」

「いや、構わない。お蔭で、他にも色々と視えて来たモノがある」

 僕の謝罪に対し、魔女先輩はもう一度、全ての紙片を眺めながらそう返した。

「へぇ。――なら、興味本位も含めて聞かせて貰うけど、貴女ならどうするのかしら?」

 直後、魔女先輩はまるで値踏みでもするかのように、志津先輩にそう問いを投げる。

 流石に止めようかとも思ったのだが、志津先輩は目を閉じ、額に手を置いて少しばかり、考え込むような素振りを見せた為、制止するタイミングを失ってしまった。

「難しい質問だな。……私なら、少なくとも無差別には襲わない。仮に彼以外の人間を襲うのなら、彼の身内を狙うだろうな。そうでなくても、彼にだけは分かるような、そんな符合を現場に残すはずだ。そうでなくては、恐怖を煽れず、行動に何の意味も無い」

 志津先輩はそう言い切った所で、突然慌てふためき始める。

「――だ、だが、か、勘違いしないでくれ。私はそんな醜悪な人間ではない。と、思いたいのだが……。た、ただ……、その……、そのだな。か、彼女の言う通り、成り切って考えただけ、で、だな……」

 そんな志津先輩の返答に僕は思わず、吹き出してしまう。

 本当に腹黒い人間ならば、そこまで慌てふためき、必死になって否定しようなどとはしない。むしろ、それよりもやっぱり――。

「最後まで嘘を貫き通せば、楽だったのに志津先輩はそれを敢えてしなかった。選ばなかった。そういう所は夕先輩に本当にそっくりですね」

「そうか。まぁ、双子だからな」

 どこか僕の言葉に嬉しそうに志津先輩はそう呟いた。

 しかし、随分と本題から逸れてしまっている。志津先輩には悪いが、話を戻させて貰おう。そう考えると、こう話題を斬り出した。

「話を戻しますが、既に被害者が深山さんの身内ではない事は公的な機関により証明されている。でなければ、警察が情報漏洩のリスクを負ってまで、『共通点』なんて聞いたりはしないはずですからね。符号に関しても同様です。ならば、導き出されるのは――」

 僕はそこで言葉を区切り、軽く一呼吸を入れるとこう続ける。

「道祖神の呪いと連続失踪事件は、直接的には結び付いていない。という事実」

 しかし、これだけではない。むしろ、もう一つの方が面倒なのだ。

「そして、深山さんが消えたのも、道祖神とは別要因である可能性。――です」

 深山さんが消えたのが道祖神の破壊に伴う呪いであるならば、彼女の身に起きた出来事には、大小の差異はあれど必然。けれども、それ以外。偶然の可能性もあるという話だ。

「正解。つまるところ、必然と偶然。それが入り混じっている時点で憶測しか語れないのだけど、彼女が狙われた理由って、貴女はどちらだと思うかしら?」

「……何が必然で何が偶然なのか。それすらも私には分からない。その状況で何から推測すればいいんだ。結果しかないのなら、憶測ではなく妄想だ。分かる筈がない」

 魔女先輩の問いに対し、話に着いていけない志津先輩は苛立ち交じりに答える。

 答える事すら拒絶したその回答。答えですらない答えなのだが、その回答に魔女先輩は大きく首を縦に振り肯定の意志を示した。

「そう。分かる筈がないのよ。そこが重要な所――この子が必然でも偶然でもこの推理は成り立つの。なら逆にそうなるように彼女が狙われた可能性もあるのよね」

「いや、待って下さい。流石にそれは行き過ぎた推理ですよ」

「まぁ、そうね。でも、そういう可能性もあるって話よ。だから、彼女に固執するのはあまりよろしくないと思うのよ。あまりに目立ち過ぎているから」

 言っている事は分からなくもないが、僕にも魔女先輩が何を考えているのか見えない。

 一つだけ分かるのは、深山さんから事件を折った所で何も分からない事だ。

 こうなると、問題になるのは一体、誰から調べればいいのかという事なのだが……。

「で、深山さんから離れたとして他に誰から調べるんです? 他に情報がある人間はいませんよ。なんたって、他の被害者は僕らと面識がないんですから」

「そうかしら? 一人、いるわよね。面識のある人間が」

 魔女先輩がそう告げると、志津先輩がすぐにそれに反応した。

「神籬夕――私の妹の事だな。しかし私とて、最初から妹の行方を調べることが出来るならそうしている。むしろそうした結果、深山との言い争う事にもなったのだからな」

 志津先輩はそう言って頭を振った。

「何より、どこを調べるにしても誰も妹の事を覚えていないんだぞ? そんな相手をどうやって調べると言うんだ。記憶でも掘り起こしてみようとでもいうのか?」

「確かにその通りなんですよね。志津先輩が懸念している通り、そこが問題です」

 覚えてさえ、いれば。と、僕も思っている。

 だが、現実問題として、神籬夕を調べる事は出来ない。誰も彼女事を覚えていないから。

 ――そもそも、と志津先輩が言い出したのはその直後だった。

「いや、待て。どうして、私の妹だけが忘れられているんだ? あるいは、他にも忘れ去られている人間がいて、何人か行方不明者にカウントされていない相手がいるのか?」

 私の妹だけ。夕先輩。だけが忘れられている……。

 志津先輩のその言葉を聞いて、僕は頭の中で何かが組み上がって行く気がした。

「……そうだ。今の所、明らかに他の失踪者と夕先輩は結果が違うんだ」

 他の行方不明者とは一線を画している。

 そして、もう一つ。――人間ではないものの、存在事忘れ去られているものが存在するのである。先程、呪いとして槍玉に挙がっていた所為か、忘れていた。

「――そもそもの問題として、一連の流れがおかしいのかもしれません」

「流れ? 深山が道祖神という像を破壊した事が発端の呪いなのではないのか? そう言ったのはお前達の方だった筈だが……?」

 確かに、志津先輩の考え方も間違えではない。結果から見れば、正しくそうなのだ。

「いえ、重要なのはそれが本当に道祖神の呪いであるかと言う事なんです」

 前々から一つ引っかかっていた事がある。それは、深山さんが見た夢についてだ。

 白鷺婆に確認が取れていないので自信を持って断言は出来ない。

 だが、仏教側である地蔵と融合してしまっている道祖神信仰である筈なのに神道である鳥居が出て来るというのは何かがおかしい。

 人外の呪いは基本的に、罪に対する罰だ。

 この場合の罪という概念は、完全に人間の論理から外れている内容だったりもする。

 もう完全に私法だ。言い方を変えれば、法外の法とも言える。

 多くは人間からすると非常に理不尽で、償い方も分からずどうしようもない。

 だからこそ、呪いというものが世界から消える事は絶対に無いだろう。

 深山さんと道祖神の関係でいえば、自分の憑代を破壊した罪人に対して、道祖神が私的に罰を与えるという感じだ。まさに法外の法。本来なら別におかしいことではない。

 ただ――今回の場合は、道祖神もまた神隠しにあっているという異常な事態があるのだ。

「先輩は、先ほどから僕たちが話に上げている道祖神の像を見たことは?」

「いや無い。むしろ今回の事件に関わって初めて知ったと思うが……。何処にあるんだ?」

 志津先輩は僕に、それがどうかしたのか? という目を向けている。

「実は今回『無かった事』になっているのは、僕が調べた限り二つあるんです。一つは志津先輩の妹であり、僕の先輩である神籬夕。そしてもう一つは、町外れの道祖神です」

 言いながら僕は机に『道祖神が神隠しに遭った』という紙片を新たに追加した。

 時期は不明だが、とりあえず『神籬夕』のすぐ後に置いておく。

「待て待て、道祖神が『神隠し』にあっていた? どういう事だ? それでは深山は既に存在しないはずの神仏からの呪いを受けたということになるぞ」

「ええ、まさにそういう事になりますね。だから一連の流れがおかしいのではないかと」

 道祖神が神隠しにあったのがいつなのか。より細かく言えば、深山より先なのか後なのか。それによって深山が行方不明となった理由が大きく変わる。

「しかし先ほど、深山は道祖神によって身体に霊障という名の目印を付けられていたと……。いや、違うか。それとこれに直接の関係性は殆ど無いのだな。何故なら、そこの八雲の言う通りであれば、霊障は神仏妖魔にその気がなくなっても消えないことがある」

「あら、良く覚えていたわね」

 志津先輩の答えに満足したのか、魔女先輩は楽しげに微笑する。

「だが、それなら深山は何で失踪することになったんだ?」

 志津先輩の新たな疑問はもっともだ。僕はそれに対して、もう一つの可能性を挙げた。

「そもそも、道祖神は境界に存在し、悪しき者がその境界を渡るのを防いだりする役割があるんですよ。だとすれば……。失踪事件の元凶も、もしかしたら……」

 そう言いながら、僕は『悪しき来訪者』と書いた紙片を更に机上に追加する。

「……つまり、この一連の事件は道祖神の呪いではなく、招かれざる来客が引き起こした事件だということか? しかしそれでもやはり、新たな疑問が出るぞ」

 会って数日程度だが、僕は、――流石は志津先輩だ。と思った。

「深山さんは一体何の為に道祖神を破壊したのか。というので一つですね。それをわざわざ行うような理由はどこにもない。危険過ぎますから」

「それともう一つ、如何にして道祖神が消えたのか。という点もある」

 僕らは顔を見合わせるようにして押し黙る。

 その問いに対する解答を僕らはまだ、持ち合わせていないからだ。

「……何の為に道祖神を破壊したのか、については……、私が理由を聞こうとしても、頑なに拒否するだけで口を噤んでいたな」

「道祖神を破壊したことを否定していたんですか。それとも破壊は認めているものの理由については拒否をしていたんですか?」

「どちらかと言えば、後者になるな。深山は否定しなかったが、肯定もしなかった」

 その言葉に僕は謎が深まるのを感じた。

「つまり道祖神を破壊した事より、道祖神を破壊するに至った理由の方が深山さんにとって忌避感があったという事ですか? それは、どういうことなんでしょう……」

「そもそも、彼女はアレが何かも知らなかったと思うわよ。少し前の貴女のようにね」

 魔女先輩は捕捉するかのように、志津先輩にそう助言する。

 簡単にまとめると、本人には破壊する気が無かった。ということになるのだろうか。

 だが、そうなると余計に話が見えなくなってしまう。

 僕が思考の迷路に迷い込もうとした瞬間、志津先輩がこんな問いを投げかけて来る。

「……それ以前に、一体どんな存在が神仏を神隠しに遭わせることが出来るんだ?」

 志津先輩は魔女先輩の方へとそう尋ねると、僕の視線も魔女先輩の側へ向いた。

「そうね、どうやったのかは断言できないけど……。これもまた、境界の外側にいた『悪しき来訪者』によって引き起こされたと見るべきじゃないかしら」

「道祖神が消える前は、外側の存在は入ってこれないのでは無かったのか?」

「道祖神の破壊と消滅は別の話よ。道祖神が破壊された時点で境界は既に曖昧になる。深山が破壊した理由は不明だけど、消失は『悪しき来訪者』によるものでも矛盾しない」

 なるほど、……ややこしい話だ。しかし、そうなると新たな問題が浮かび上がる。

 この仮説をする上で最も重要な事だ。それは――。

「何故『悪しき来訪者』は道祖神を消滅にまで追い込んだんですか」

 破壊する事で境界を抜けられるなら、わざわざそこまでする必要があるのか。

 そんな僕の問いに対して、魔女先輩の返答はこうだ。

「道祖神の破壊によって境界が『曖昧になる』と言ったでしょ? つまり、物理的に破壊しただけでは、すぐに好き勝手することは無理なのよ。本当に好き勝手に動こうと思ったら最低でも、そうね……。数か月はかかるんじゃないかしら?」

 数ヶ月。長いようにも思えるが、短いようにも感じられる微妙な期間だ。

 その期間、待つ事も出来ただろう。だが、それをしなかった理由は何か。

 そんな僕の疑問を志津先輩は代わりに、魔女先輩へとぶつける。

「そいつには、数か月も待てない理由があった。ということか」

「そういうことになるわね。リスクを負ってまで、道祖神に追い打ちをする必要性は薄い」

 確かにその通りだ。道祖神はそれなりに力を持った神でもある。

 だからこそ、境界を司る神なのだ。そんな存在を相手にするなど、普通は避けて通る筈なのである。それでも、敢えてしたのはやはり理由があったと考えるのが妥当だ。

 そして、その為に深山さんが利用されたとも。

「深山さんが道祖神の破壊をしたのも『悪しき来訪者』に唆されたからですかね」

 僕は自分の考えをそのまま、口にする。現状は、これ以外には考えられない。

 けれど、この仮説を成立させる為には一つの条件が必要になる。

「それだと、深山がわざわざ境界の外に出たことになるんじゃないか?」

「そうなりますが、在り得なくはないのでは……」

 そう。志津先輩の言う通りだ。そもそも、境界を越えて町に侵入出来ない存在が深山さんをどうやって唆したのかが問題なのだ。

 それを説明出来なければ、どうしようもない。

 そして、それを否定するかのように志津先輩は一つの事実を提示する。

「いや、深山はこの街に住んでいて、この街の学校に通っている。そうそうこの街を出るような機会は無い。もし機会が在ったとしてそこまで唆せるものか?」

 志津先輩の言葉が正しければ、この考えはやはり間違えなのか。

 念の為、魔女先輩の方を見て確認すると、彼女はその疑問にこう回答する。

「難しいと思うわ。唆されただけなら、境界をくぐり街に帰ってきた時点で正気に戻ってしまう可能性が高い。自らの意思で関わったならまた違うけれどね」

 再び皆で沈黙する。魔女先輩だけはどこか楽しそうだが、何度目の沈黙だろう。

「話が道祖神の方に向かってるけど、……消えたのは道祖神だけじゃないわよ? むしろ貴方たちとしては、本来そっちの方がメインじゃないかしらね」

 僕がそう考えていると魔女先輩が、突然そう言った。

 机の上を見れば、紙片は『道祖神の破壊』『悪しき来訪者』『道祖神の神隠し』と続いてそこから横にずれて『神籬夕』五枚の『失踪者』『深山』となっていた。

「連続失踪事件が『悪しき来訪者』によるもので『道祖神の神隠し』もそうだとするならば夕先輩が神隠しに遭ったのも『悪しき来訪者』によるものか?」

「無関係とは言えないと思います。僕は一ヶ月以上前の段階で、夕先輩から道祖神について尋ねられましたから、恐らく直接、道祖神の破壊を見て――、見て――」

 道祖神の破壊を見て消された? いや破壊はあくまで破壊だ。見たからと言って消されるほどではない気がする。ならば道祖神の神隠しに遭遇したか。

 いやしかし、そもそもそういった存在を見ることも感じることも出来なければ、神が神隠しに遭うのを物理的に目撃するなど出来ないはずだ。

「――そもそも、志津先輩の妹さんは、視える質の人でしたか?」

 その辺りについて、夕先輩から聞かされた記憶がない。覚えていないだけかもしれないが、どちらにしろ僕だけでは判断出来ない。だからこそ志津先輩にも念の為に尋ねた。

「すまない。その辺りは余り詳しく覚えていない。ただ、私は昔から視えていたし、代々視える質の一族のようだから視えていてもおかしくはないと思う」

 覚えていない、か。予想出来ていた言葉だけに思わず溜息が漏れてしまう。

 神籬夕が視える人間だったか否か、確信には程遠い。どちらも在り得てしまう。

 ただ、それとは関係なく『代々視える一族』という言葉が気になった。志津先輩の母親には見えていなかったはずだが――。先輩の母親が特別視えない人間だっただけか?

 まぁ、それに関して今は置いておいても問題はないか。下手に話を逸らす方が危険だ。

「……とりあえず、道祖神が最初に消えた。ということは確定で良いですかね」

「こうなると、一体、何の目的で、という話に戻ると思うのだが」

「その通りと言いたいところだけど、別にそれは分からなくても問題はないわよね?」

 魔女先輩は志津先輩の疑問を切り捨て、志津先輩にこう告げた。

「だって貴女達が追い求めているのは、忘れてしまった妹と、深山の行方だけよね? そして私が追い求めているのはこの事件の主犯。こう考えてみると、誰が何の目的でという点はあまり考えなくても良い筈よ? まあ結果的には分かるかもしれないけれどね」

「魔女先輩……それは……それは……」

 僕らが求めているのは事件の解決などではない。

 魔女先輩が知りたいのは事件の概要とその主犯。僕と志津先輩は、深山と神籬夕だ。

 言ってしまえば、犯人の動機なんていうものは関係ないのだ。

「やっぱり、神籬夕に何かがあるんでしょうね。彼女が消えたのには理由がある。他とは明らかに流れが違う。だって、他は本当に神隠しなのか。それすらも怪しいわよね?」

 その言葉を言われてしまったら、頷くしかない。

 深山さんは呪われていた。それに間違いはない。しかし、行方不明になった事に関しては事故の可能性も十分に有り得る。他の失踪者についてもまた同義だ。

 極端な話、彼女らについてだけ考えれば『悪しき来訪者』の存在など眉唾物で、ただの妄想の産物に過ぎなくて、対象が無秩序な人為的事件である可能性も否定できない。

 そもそも、この一連の流れが一つの事件とは限らないのだ。

「それから言わせて貰うけど、私は探偵になるつもりは全くもってないのよ。一連の騒動の収拾なんて興味がない。私が知りたいのは誰が神隠しを行ったかという事だけ」

 よりはっきりと言ってしまえば、

「事件の失踪者なんて別に無視しても問題ないのよ。それどころか、今の貴方達を見る限り、もう本当は『深山』の事もどうでもいいんじゃないかと思うけれど?」

 そこで初めて怪異としての魔女先輩を見た気がする。

 魔女先輩は人間ではない。そして、彼女がわざわざ僕らに尻尾を振る理由はない。

 だが、僕らには彼女の力が必要。反論する必要性はない。

 それに魔女先輩の言うとおりだった。深山には悪いが、今僕が知りたいのは夕先輩が消えた理由とその行方だ。実際、僕にとって深山は一日関わっただけの相手でしかない。

 この条件を飲んだところで何の問題もない。けれども、志津先輩は違った。

 その言葉が許せないらしく、席を立つと魔女先輩を睨み付ける。

「記憶から消えていないのなら、助かる可能性もあるのだろう。お前はそれを!」

「落ち着いて席に座って下さい。他にもお客さんはいるんですから……それに、魔女先輩が誰からも見えている訳ではありませんよ」

 後半になるに連れ、志津先輩だけに聞こえるように小さな声で彼女を落ち着かせる。

 言いたい事は分かるが、取捨選択が必要だ。それに、記憶として残っているからと言って助けられる訳ではない。最悪死んでいるかもしれないのも事実である。

 何より、僕らと魔女先輩は根本が違う。

 だからこそ、ここは僕が引き受けるしかないのだろう。

「後でいくらでもその向け所のない怒りを受けますから、今は落ち着いて下さい。それに、志津先輩の求めているモノとも相反していない筈です」

「何が違わないというんだ! 私はただ……」

「――そう言えば、神籬について貴女に話すという約束があったわよね」

 志津先輩の言葉を遮るように魔女先輩がそう呟いた事で僕らは絶句した。

 いいや、正確には、呟いた言葉の内容が僕らを黙らせた訳ではない。

 魔女先輩の視線が、これまでとは明らかに変わったのだ。そこに含まれるものが何かを感じた瞬間、背筋が凍り付いてしまいそうになる。

 志津先輩も同じらしく、恐怖からか口から言葉が出て来ず、口をパクパクと動かしながら、力尽きたかのようにゆっくりと席にもたれるのだった。

「落ち着いたようね。なら、まずは神籬が何を指すかは知っているかしら?」

「……宗教用語で神社が建立される以前の神を祀る神聖な場所を指す言葉だ」

 捕捉するならば信仰の対象。神を招く場所とでもいうのだろうか? 言葉から察するに僕が前に話した名前についての言葉が引っ掛かり、調べたのだろうか?

 この様子から考えるに、調べたのはここへ来るまでの間。時間がかかったのはこの為か。

「間違っていないわね。でも、正しく言えば神を招く場所。依り代と言えば分かるかしら?」

 魔女先輩の言葉に志津先輩は小さく頷いて見せる。

 その様子に魔女先輩は微笑みを浮かべると、志津先輩を指差した。

「それでいて、貴女のお家は清浄過ぎる空気に包まれていたわ。つまり、あの場こそが神籬であり、もしも神籬という一族がその神に仕える巫女だとすればどうかしら?」

 確かに神社でも一族経営の話はある。それに、それが事実ならば、あの家を包み込んでいた独特な空気が一体、何であったのかが説明出来る。

 それに、廊下を歩く際に林の中に鳥居も見え隠れしていた。肯定する要素は多い。

 けれども、その場合に問題となるのは巫女というモノについてだ。

「ちょっと、待って下さい。一族全員が巫女のような話し方ですね。でも、事実として志津先輩のお母さんには魔女先輩は見えていなかったんですよ?」

 一族全員がそういう人ならざるモノを見る力を持っているのならば、どうして志津先輩のお母さんは魔女先輩に気付かなかったのか。

 血族とは言え、力にも強弱が出る筈だ。それを踏まえイレギュラーについて考えるならば、志津先輩の方が言い方は悪いが異常であると捉える方が腑に落ちる。

 神籬という家が祀る神。それに使える巫女――神籬、志津。大地主。

 そんな僕の問い掛けに魔女先輩は何故か、志津先輩へと問いで返した。

「貴女の名前を考えたのは誰かしら?」

「その……代々、双子が生まれたら早生まれがシヅ。遅生まれがユウと名付けるしきたりがあったらしく、名前を考えたよりも漢字を当て嵌めたといった方が正しい」

「じゃあ、逆に聞くけれど貴女以外に双子は一族にいたのかしら?」

「私の知る限り、いなかったと記憶している」

 僕はその言葉に大切な事を思い出した。

 しきたりは前例があるからこそ成り立っている。前例のないしきたりなど、何の役にも立たない身体を縛る鎖にしかならないからだ。

 ならば、おかしくはないだろうか? どうして、双子という前例がいるのだろうか。

 だからこそ、その先の言葉を僕は聞きたくなかった。ソレを否定したかった。

 志津先輩も同じらしく、怒りを忘れ、顔が絶望からか真っ青に染まってしまっている。

 だが、そんな僕の考えとは裏腹に魔女先輩の口は容赦なく、事実を突き付けてきた。

「でも、おかしいのよね。神籬の家系図には双子がいたという記録もなんて一度もないのよ。けど、何故かしら? 定期的に『シヅ』という名前の人間が存在していたわ」

 ここまで言われれば、偶然とは片付けられない。恐らくは定期的に贄としてその招いた神に子供を喰らわせていたからこそ、記録からも消えたと考えるのが妥当か。

 儀式がどのような内容であったかは分からないが、片割れを。半身を失う事が決定付けられている。残酷過ぎるにも程があるだろう。救いもない。

「それでは、まるで最初から私の妹は喰せる為に育てられていたのか……」

 大粒の滴が志津先輩の頬を伝っていく。その水量は増え、すぐに滝のようになった。

 だが、なんだろう。その志津先輩の言葉に僕は逆に違和感を覚えた。

 確かに、神籬夕は贄の候補だったのかもしれない。ならば、少しおかしくはないか?

「どうして、そもそもの問題として双子なんです? 第一子を定期的に生贄に差し出せと言うのなら理解が助かる。その方が効率的だ。双子が生まれる確率を考えるなら――」

 思わず、そんな疑問が僕の口から零れ落ちる。

 双子とはそもそも、生まれにくいから珍しい。定期的に生まれるなど、有り得ない。

 もしも、そこに何かしら神々しいものの存在があるとしても、わざわざ食う為にそのような事をするのには無駄があり過ぎる。そんな事を本当にするだろうか?

 意味のない事のように見えて、実は意味があったりするのではないだろうか?

「そんなの非効率的だ。かしら? そうよね。それが必然的であると考察するならば、儀式には二人が必要。そう考える方が納得いくわよね」

「つまり、私も何らかの形で夕を消すのに手を貸す筈だったという事か?」

「そこまでは分からない。だって、私は神籬の祀る神じゃないからさ」

 表面上は笑っているように見えるが、目が冗談など言っていないと告げている。あくまでも、事実と状況から考察した結果、導き出された答えであると……。

 ただ、事が事だ。それだけに、志津先輩の方が心配になってしまう。

「志津先輩、大丈夫ですか?」

「大丈夫だ。私は最後まで知る責任があるだろう?」

 それは痩せ我慢だと言いたかったが、何を言ってもきっと席を立とうとはしないだろう。

 志津先輩もある程度の事を覚悟して、この場にいるのだ。

 そんな僕の心配を他所に魔女先輩は余っていた紙に二つの言葉を書き始めた。

『紙垂』と『木綿』。それは宗教用語で、読み方は『シデ』と『ユウ』だ。

 僕は、なるほど。と思った。つまり魔女先輩はこう言いたいのか。

「紙垂を読み変えてシヅとして、字を当てて志津。木綿は音をそのままに夕。つまり魔女先輩はこれが二人の名前元だと言っているんですね? 確か、意味は――」

「玉串につければ、祓具。注連縄につけたなら聖域。私は後者だと思うのよね。例えば、どのような形にしろ二人はその祀る神のモノであるという感じかな?」

 言い終わると、魔女先輩は黙り込んでしまう。

 喫茶店に流れるメロディすら聞こえなくなる。そんな空気の中、志津先輩が覚束ない消え入りそうな声で僕らにこんな事を尋ねた。

「どうして、そんな事になったんだ? なんで……」

「仕方なかった時代も確かに存在していたからですかね。今のような科学なんてものもなく、神に祈る事しか出来なかった時代と言えば分りますか?」

 何も語らない魔女先輩の代わりに、僕が志津先輩に対して説明する。

 確かに割り切る事は難しい。いや、そもそも割り切るという行為そのものが間違っているだろう。だが、それ以外にはその現実を受け入れるのは無理だ。

 医学も発達していない時代、疫病。飢饉は最大の懸念要因。

 それらから身を守り、生き延びる手段。心の拠り所が必要だったのだ。

 これ以上は言うつもりはないが、恐らくは大地主という地位も率先して生贄を自らの家系から輩出する事により、保ち続けて来たのかも知れない。

「狂ってるな。代々、生贄を捧げ続けた挙句、今もその妄執に従って、当たり前のように犠牲を出し続けているか。……滅びればいいのにな。そんな一族など」

「そうかも知れませんね……」

 まるで、自分の血筋すらも憎んでいるかのようにも受け取れるその言葉に僕は頷く事が以外は出来なかった。いや、それ以外に言葉が出て来なかっただけだ。

 志津先輩も同じらしく、重苦しい沈黙が肩に圧し掛かって来る。

 話す言葉もない。口を開いても喉から言葉が出て来ない。

 魔女先輩も小さく頷いていたが、どこか哀しげな目で僕を諭すかのようにこう告げる。

「でもね。全ては忘却の彼方へと流される。生贄にされた人間も捧げた側の人間も互いに傷付く。その苦しみが一瞬か、一生か。――そんな些細な違いでしかないの」

 確かに失ったモノに執着している志津先輩の心の傷は一生治る事無き痛み。しこり。

 消えた人間がいたという事を理解しつつ、それが誰かを忘却する。自分の中から零れ落ちるその感覚はただの痛みではなく、彼女を縛る呪縛にもなりかねない。

 だが、それは誰に相談しても理解されない。向き合う事しか出来ない。

 その永遠に続くであろうその苦しくも孤独な世界がどれ程のものか僕は分からない。

 僕は僕であり、志津先輩ではない。ただ、一人取り残された世界とでも言うのだろうか?

 そんな停止した変化なき日常など、ただの生き地獄だ。

 日常が有り触れていればいる程に。平凡であればある程に。

 まるで真綿で自分の首をゆっくりと絞めつけていくような感覚とでもいうのだろうか? 当たり前が酷く苦痛で……幸せになる事が拷問で……。

「確かにこれは一つの真実。でも、結果論からすればその因果は終わっている。生贄がいないのに、儀式が終わっていない。もはや、儀式は成り立たない。だって、貴女が言ったのよ? 私に『この家には何があるのか』って」

 もしも、二人が必要な儀式であるならば、彼女も参加していた筈なのである。

 にも関わらず、彼女は自分の家の事についてあまりに知らな過ぎた。当事者であり、儀式に参加していたのなら、その質問が投げかけられる事はまずおかしい。

 つまり、儀式は失敗も成功という問題以前に行われていなかった事になる。

 そして、残ったのは神籬の娘が一人、消えたという現実だけが残った。

「私は最初、神籬が祀っている神の怒りと考えていたの。だって、ここの土地に根付いた神ならば、この土地に住むというだけで理由になる。でも、儀式すら行われていなかったのならば、怒る事すら筋違いなのよ。生贄を掠め取られた事を怒るならまだしもね」

「道祖神の呪いでもない。神籬の祀る神の怒りでもない。なら、一体何が原因でこんな事が起こっているんですか? 何がこの一件の下で蠢いているんですか?」

 点と点が離れて行く。線どころか、道も見えない。

 志津先輩は黙り込んだまま、微動だりしない。それも仕方がないか。衝撃的過ぎる。

 僕ですら、何が何だか整理がつかない。そんな僕らに対し、魔女先輩は席から立ち上がると真剣な顔つきではっきりとこう告げた。

「分からないわ。私にも何が何だか、分からない。でも、分からないからこそ私は興味があるの。じゃなければ、貴方達に協力しようだなんて思わないわ」

 魔女先輩は言うだけ言うと、一人。店から出て行こうとする。

 それを止めようにもここで魔女先輩へ声をかけたら周りから怪しまれる。それだけに、僕も大急ぎで会計を済ませて席を立とうとしたが、魔女先輩がそれを制止した。

「だめよ。貴方はここに残りなさい。人は誰かに寄り掛かりたくなる時があるのだから」

 魔女先輩は横目で志津先輩の方を確認すると、僕にそっと耳打ちする。

 そして、何も言わず喫茶店から姿を消すのだった。

 残されたのは僕と固まってしまい、いつの間にか俯いている志津先輩。

 今更ながら気付いたが、周りの目が痛い。特にマスターの目がやけに鋭く、突き刺さる。

 一方的な別れ話をしていたようにでも見えたのだろうか。

 僕ら二人の空気とは逆に陽気なBGMが喫茶店内を流れている。それすらも暗ければ、きっとこの場から僕も逃げ出していたかもしれない。

 僕はいつの間にか空になっていたグラスに水をちょろちょろと注いでいると、志津先輩が嗚咽に震えながら僕へとこう問いかけて来る。

「幸せだったのだろうか? 生贄にされる為に育てられたような人生なんて……」

 分からない。僕はその問いに答えられる程、彼女の事を知らない。

 代替物。より多くが生きる為の必要な犠牲と言えば、綺麗に聞こえるが結局それは生き延びた人間の言葉だ。一人に全てを押し付けているに過ぎない。

 それに、幸せとは他人が決めるべきものではない。もっと、主観的なモノだ。

 ならば、僕から志津先輩に贈れる言葉はこれ以外にはない……か。

「分かりませんよ。僕と彼女の接点は先輩に比べれば殆んどない。僕よりも志津先輩の方が彼女との付き合いは長いですから、先輩がわからないものは僕にもわからない」

「そうだな……。だが、皮肉なものだ。付き合いの長い私が残滓しか思い出せなかったのに、短い期間の君は彼女の事を覚えていた。本当に嗤うしかない」

 自傷気味に嗤う志津先輩の気持ちは僕の胸も締め付ける。

 覚えていなかった事を知った事は確かに辛い。だが、忘れてしまう事はもっと辛い。

 何故なら、もう一度忘れ去ってしまえば。日常へと戻ってしまえば、最初からそこには誰も居なかったという事になってしまうのだ。

 神籬夕という存在は完全になかった。生きてすらいなかった事になる。

 だからこそ、僕は志津先輩のその逃げない姿勢がとても立派に感じた。

「違います。立派ですよ。先輩は……逃げなかった。気のせいだって言い訳をして、目を背けることだって出来たんです。それをしなかった。思い出せる人間でいてくれた。それはきっと彼女にとって幸せな事だと思います」

志津先輩はきっと繋がりが深かったから。その血があったからなのだろう。

 けれど、それを探し続けるのは至難の業だ。探そうとすればするほどに自らが傷付いて行ってしまう。だが、僕はその痛みこそ彼女が存在し、生きていた証明だと信じたい。

「ありがとう。そうだな。君の言う通りだ。そして、少なくとも君は妹との関係も短かったのかも知れないが、アイツにとっては強い繋がりだったのかもしれないな」

 志津先輩はそう漏らすと、顔を上げる。

 目は真っ赤に充血し、腫れ上がっている。しかし、迷いは吹っ切れたのか僕を真直ぐと見据えるとはっきりとした口調でこう宣言する。

「そうだった。私はずっと夕の事を探していたんだ。妹との記憶を取り戻そうとしていたんだ。八雲と言ったか? 彼女に説教されても仕方がないな」

 そう言って、微笑むと僕へと手を差し出してくる。

「私は思い出さなくてはならない。だから、私も君に協力させてくれ。私は妹の――『神籬夕』の生きた証を見付けたいんだ」

「保証はしません。それでも、いいのなら」

 そこまで言われて、僕が断れる筈もなかった。

 愚かかもしれない。その先に待ち受けるのが必ずしも、彼女の求めている答えとは限らない。見つけた先にあるのは絶望かもしれない。

 それでも、求め続けるのなら少なくとも、僕は彼女の力になろう。そう、心に誓う。

「ありがとう。それで、こう言う事を言った手前、あれなのだが少し一人にして貰えないだろうか? 覚悟は決まったが、整理が出来てなくてな」

「仕方ありませんよ。一応、連絡先をここに置いて置きますね?」

 自分の携帯の番号をメモに書くと、それを破り志津先輩へと渡す。

 そして、会計を済ませると志津先輩を残し、喫茶店を後にするのだった。

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