第7話
「一つ、確認しておいてもいいですか?」
「答えられる事なら、なんでも答えてあげるわ。納得出来るかは別だけど」
神籬先輩の家へと続く坂で立ち止まると、もう一度今回の一件を考察する。
引っかかるのはやはり、どうして道祖神を壊したのか。本当にあの先輩が最初なのか。
魔女先輩曰く、僕が特別だったから先輩の事を覚えていたらしい。
だが、それは僕と彼女の間に僅かながらではあるが接点があった為。そう考えればどうだろうか? 別に最初の被害者がいるとは考えられないだろうか?
魔女先輩が言うように僕が特別であっても、彼女が特別とは限らない。
「なら、簡潔に聞きます。本当に彼女が最初なのでしょうか?」
そんな僕の問いに魔女先輩は振り返るとにっこりとほほ笑んだ。
「それを確かめる為に今から向かうのよ。それに、問題なのは状態と状況。だって、同一存在が消したにしては最初と最後が違うなんて引っかかるでしょう?」
確かに魔女先輩の言う通りだ。
本当にあの先輩以降と行方不明事件の犯人が同一人物であるならば、何故事件となったのか。そもそも、行方不明ではなく神隠しにするほうが好都合な筈だ。
そこに違和感を覚えなかった訳ではない。気にならなかった訳ではない。
確かに規則性は見出せてはいないが、そこに何かがあるように感じているのだ。
考えれば考える程、何がどうなっているのか分からなくなってしまう。思考と言う名の迷路の中で迷子になってしまったかのようだ。
そんな僕に対し、魔女先輩は苦笑いを浮かべると、どこか悲しげな表情でこう続けた。
「なければない方が良いの。ただ、運がなかった。その一言で片付くから」
「運がなかっただけですか……。それって残酷ですね」
彼女だったから狙われた。偶然、彼女が狙われた。
彼女が狙われて消えたという結果は同一。ただ、その過程に至る理由が違うだけ。
果たして、どちらの方がマシなのだろうか。
特別だったからならば、運命。偶然だったなら、不運。
いや、どちらにしても運が悪かったという事には変わりないのかもしれない。
そんな事を考えていると、坂を上り終え、目の前には大きな門。その向こうには日本邸宅の屋根が見え始める。流石、大地主とでも言うのだろうか? 大きな屋敷だ。
話には聞いていたので、ある程度は予想していたのだがこうして訪れて見るとあまりの大きさに言葉も出て来ない。羨ましいとは思わないのだが。
そんな僕とは対照的に魔女先輩は厳しい目付きでその門の先を睨み付けていた。
先程までの態度とはあまりに違うその雰囲気に思わず、僕は首を傾げてしまう。
「どうかしましたか? インターフォン押しますけど、不味かったなら止めますよ?」
「いや、何でもないわ。ちょっと……ね。あぁ、私は少し一人で動かせて貰うわ。恐らく、ここの人間には私は見えないと思うから。用が済んだから此方から貴方の所へ行くわ」
「はぁ……って、事は魔女先輩が帰ってくるまで時間を稼ぐのが僕の役割ですか。そう言えば、魔女先輩は存在しない体で話していいんですよね?」
「そうね。そうしてくれると、貴方も助かるし、私も楽だわ」
先程の張り詰めた表情が嘘のように笑顔を振りまく様子に、僕はもう大丈夫だろうと判断すると、大きく息を吸い込んでインターフォンを深く押し込んだ。
少しして、門にある小さな戸が開く。時間にして数分だろうか。
出て来たのは割烹着を着たお手伝いさん。やはり、この手の職種はいる所にはいるのか。
思わず、そんな変な関心をしているとお手伝いさんは首を傾げながらも、定例句なのかすらすらとした口調でこう尋ねて来る。
「えっと、学生さんですか? お一人でどのようなご用件でしょうか?」
「あっ、神籬先輩――いえ、志津先輩がご在宅でしたらお取次ぎして頂けませんでしょうか? 葛城百花と言って貰えれば誰かは分かって貰えると思うのですが」
「分かりました。少々、こちらでお待ちになっていただきますね」
僕にそう告げると、お手伝いさんは再び門を潜り、敷地内へと姿を消した。
それにしても、本当に魔女先輩は他の人間には見えていないという事か。
何故、僕だけには見えるのかは些か、疑問ではあるが他の人には見えない事に対して安心すると同時に少しだけ、面倒臭さを覚えた。
けれども、今はそんな事を考えている暇はないか。
門の前でのお手伝いさんとのやり取りから数分。私服姿の神籬先輩――いや、これからは記憶の中の先輩と分ける為に志津先輩と呼ぶべきか。彼女が僕らの前に現れた。
しかも、何やら随分と不機嫌なご様子……。僕が何かしただろうか?
ただ、彼女のご立腹な理由は次の言葉ですぐに分かる事となる。
「確か、今日は自宅待機。自宅学習であり、昼間から出歩いていいような通常の休みではなかったと記憶しているのだが? てっきり、君は真面目な人間だと思っていただけに正直なところ、少しだけがっかりだ」
呆れた顔を浮かべる志津先輩に僕はぐうの音も出ない。
隣にいる魔女先輩も今回ばかりはからかうような事はなく、じっと志津先輩を見詰め、何かを見定めようとしている。元より、助言などする人でもないし、ここは僕一人の力でどうにか乗り切る他ないというわけか。
「いえ、少しあれから色々と調べていて気になった事があったのでお話出来たらと思いまして。お邪魔でしたら、出直してまたの機会にでも」
昨日、自分から聞いて来ただけに、この言葉を志津先輩が無視するのは難しいだろう。
卑怯かもしれないが、そう踏んで僕から深山さんの一件について切り出した。
志津先輩は僕の言葉に少し考え込む素振りを見せると、視線を一瞬だけ上げ、魔女先輩へと向けたように感じた。いや、ただの気のせいか。
魔女先輩が志津先輩に見える筈がない。
「分かった。本来ならば、自宅学習がどのような意味かについてみっちりと指導するところだが、まぁ今回はいいだろう。立ち話もなんだ。上がってくれ」
先程まで、機嫌を損ねて僕を睨み付けていた志津先輩は盛大な溜息を吐くと、大きな門を潜り、奥にある日本邸宅の玄関へと向かい始める。
僕も慌ててその後ろを着いて行くのだが、その後ろに魔女先輩の姿はなかった。
門を潜り、玄関へと向かう途中、気持ち悪さにも似た感覚を覚える。
例えるならば、神社や寺のような独特な神聖とでもいうべき空気なのだが、ここの空気はその清浄な空気というだけではないように思える。
無色とでも言えばいいのだろうか? ただ、それが酷く気味が悪い。
本当にこんな場所に人が住めるのかと疑問に思ってしまう程に……。
廊下を歩く際に横目で庭園の様子を確認すると、林の奥に小さな鳥居らしきものが見え隠れしている。相当古いものなのか、苔むしている様子から考えるに家の守り神だろうか?
そんなこの屋敷の独特な雰囲気に対する違和感は和室に通されると確信に変わった。
広さは大体、学校の教室が一つ入る程度だろう。広い事は広いのだが、作りはどこにでもある何の変哲もない普通の和室だ。
床の間には古美術に見識がある訳ではないので分からないが、それなりに高そうな掛け軸。まぁ、ここまでは代々続く地主という事を考えれば普通と言えなくもない。
そう、普通なのだ。ここまでで終わっているのならば……。
問題はその掛け軸の下に置かれた一体の日本人形。いや、この部屋の至る所に来訪者を監視するかのように飾られている日本人形の方なのだ。
数は大体、この部屋だけで十数体。まるで生きた人間であるかのような精巧な作りをしており、その何も写していない虚ろな瞳で僕をじっと見つめている。
その中でも一際、目を引くのは先程も挙げた掛け軸の下に置かれた日本人形。
どこかその人形に概視感を覚える。こんな場所に来た事は一度もないのだが……。
不気味。嫌悪感――そんな感情を抱かれても仕方がないだろう。
本当に一刻も早く、こんな部屋からは立ち去ってしまいたい。息が詰まりそうだ。
魔女先輩は他人に見えないのを良い事に玄関先から別行動。引き受けたのは良いが、少しばかり僕にはここでの時間稼ぎは荷が重すぎたかもしれない。
ただ、やはりこの神籬には何かがあるという事は薄らとながら、感じ始めていた。
「それで、気になる事とは一体、どのような事なのか話して貰えるかな」
その志津先輩の言葉に僕は現実へと帰還する。
机を挟み、僕の正面に正座するとじっと僕を見透かすかの如く、僕の瞳を見つめ、ただただ無言のままに返答を静かに待っていた。
だが、そう言われてもすぐには言葉が頭に浮かんでこない。
目的は深山さんの方ではなく、神籬。魔女先輩の用事が終わるまでの時間稼ぎなのだが、向こうがどれだけかかるか分からない手前、手札をなかなか切っていけないのだ。
何より――実の所、深山さんに関しては聞きたい事は殆んどなかったりする。
けれども、こうしていつまでも何も語らず、じっと口を噤んで時間を稼ぐのも不自然。
僕は目を閉じ、深く息を吸い込んだ。そして、覚悟を決めるとゆっくりと口を開く。
「そう言えば、先輩は深山さんと親しかったんですよね。彼女が怯えだした時期ってご存知ですか? 僕の推測が正しければ、一週間以上前になると考えているんですけど――」
まだ、確証はどこにもない。証拠を提示しろと言われても無理だ。
現状のカードである深山さんが呪われていた事。道祖神を彼女が破壊した事。あの先輩がそれを目撃した可能性がある事。この三点を無理矢理に線で結び付ける事により、導き出した一つの仮説に過ぎない。流石にこれで納得させるには無理がある。
そもそも、道祖神の破壊自体がこの町の記録から消えている為に証明が不可能なのだ。
志津先輩は僕の言葉に目を閉じると何も語ろうとはせず、身動き一つしない。
そんな静けさに包まれた和室の中には障子の向こう。庭園の中に設置されているのだろう獅子威しの石にぶつかる風流な音だけが定期的に響き渡っていた。
一体、何を考えているのかは相変わらず、志津先輩の表情からは読み取れない。
顔色一つ変えることない志津先輩はまるで後ろに並ぶ日本人形と見間違えてしまいそうだ。いや、同じと言っても過言ではないかもしれない。
数分の沈黙の後、人形のような志津先輩の口がゆっくりと開かれる。
「確かに君の言う通り、一週間以上前からだ。――いや、最初の行方不明者が出る以前だったと記憶している。ただ、それを断言出来る程に鮮明な記憶ではないのでな。すまないが、確実にいつという日付までは言う事は出来ない」
「そうですか。なら――、なら――」
その言葉が正しければ、やはり道祖神を壊したのは深山さんで間違いないのだろう。
ならば、問題は何故、彼女がそのような行動に走ったのか。
分からない事が多過ぎて、思わず言葉に詰まってしまう。
欲しかった情報である事には間違いないのだが、ここから切り返せるだけの周知の事実である情報を持ち合わせていないのだ。
道祖神の破壊、深山の失踪、消えた最初の犠牲者の三つの内、道祖神の破壊と消えた最初の犠牲者は他の人間に認識できない以上、ただの戯言と処理されてしまう。
となれば、どのようにして切り返していくべきだろうか?
魔女先輩の用事にはまだ時間がかかるであろう。話を引き延ばさなくてはならない。
焦りと緊張からか、額に汗が滲む。噴出する。
乾いた喉を潤す為に唾を飲み込もうにも、口の中には一滴の水分もない。
最初に会った時にはあれだけ余裕があった。魔女先輩のような得体の知れない存在との対面でも恐怖を感じる事はなかった。
だが、何故だろう。志津先輩が怖い。
嘘を吐いている罪悪感からとでもいうのだろうか?
まるで、こう次の言葉を必死に考えている今、この瞬間にも自分の腹の底が志津先輩に見透かされているかのように錯覚してしまう。
「なら、何かな? まだ、聞きたい事があるのだろう?」
まるで、急かすかのように志津先輩は僕にそう問いかけてくる。
流石にこれ以上、悩むのは不自然か。
そう判断すると、僕はなるべく顔に動揺を表さないように注意しながら、苦し紛れに当たり障りのないこんな質問をぶつけた。
「先輩と深山さんはどのような関係だったんでしょうか? 三年と一年では接点が少ない。特に生徒会長と一般生徒一個人となれば、それはより希薄とも言える。そう思いませんか?」
「それは彼女のプライベートに当たると思うのだが? そう簡単には話せるものではない」
確かに志津先輩の言葉には一理あるように思える。だが、それは四ノ宮から言い争いをしていたという話を聞く前ならばの話だ。
だが、まだ言い争いについて言及するには早過ぎる。
ここはまず、様子を見るという意味でも少し、突っ込んで見た方がいいだろう。
「確かにそうですが、少し気になるんですよね。彼女がどんな様子だったのか。なので、少しばかり話を聞かせて貰えると嬉しいのですが」
「なるほど、普通の先輩後輩の関係と言っても君は信じていないというわけか。だが、勘違いしないで欲しい。私は特別、彼女に目をかけていたという事実はない。ただ、少しだけ彼女とは関係が深かったと言うだけの話だよ」
「関係が深かっただけですか――」
まるで、最初からこちらの問いを想定していたかのような答え。しかも、すらすらと言葉を紡いでいく様子に志津先輩の言葉への疑いは更に深くなっていく。
ただ、迷いのない言葉が嘘か真実か見抜くのは難しいが、まだ折れるつもりはない。
「では、彼女と先輩の間に何か話せないような関係があったというのは認めるんですね」
僕の問いに対する答えは無言。無言の肯定と捉えてもいいだろうか?
話せないような関係。深山さんとの言い争い。黒か白かまでは分からない。
ただ、繋がりがあったという事実が判明しただけでも儲けものだ。更にどのような内容で言い争っていたかが分かれば好都合だが、流石に話しては貰えないだろう。
……それにしても、僕はいつまで話を長引かせればいいのだろうか?
そんな事を考えていると、僕が入って来た襖がゆっくりと開き、割烹着を着た話を取り次いでくれたお手伝いさんが和室の中へと足を踏み入れる。
そして、畳の上に持っていたお盆を置くと、僕に対して深く礼をした。
「いつも、一人娘がお世話になっているようで……」
一人娘――なるほど、この人が志津先輩の母親。お手伝いさんだと思っていた。
ただ。その言葉が同時に僕の胸を締め付ける。言葉にも出来ない痛みだ。
何故なら、この人はもう一人いたかも知れない。大切な娘の事を忘れてしまったかもしれないのだ。それを思い出せない事がどれだけ辛い事なのかは分からない。
それは幸せな事なのだろうか? 思い出す痛みすらない。無知という名の。
いや、そんな幸せがある筈もない。それはただ、残酷なだけだ。
気のせいだろうか。彼女が言葉を発した瞬間、志津先輩の顔が酷く歪んだようにも……。
まさか、彼女も僕と同じように薄らであるが覚えている? やはり、考え過ぎか。
「別に必要ないと言伝をしておいた筈です。少し、談笑を交える程度なので」
「そういう訳にもいきませんよ。志津さん、何も出さず応対したとなれば、それはお客様への失礼に当たります。たとえ、それが学友であったとしてもです」
志津先輩の小言を笑顔で軽く右から左へと聞き流すと、何事もなかったかのようにお盆の上に置かれた茶碗を茶托に乗せ、和菓子を右側になるように僕と志津先輩へ配膳する。
そして、それが終わると僕に対して、社交辞令なのだろう。こんな事を言ってきた。
「ごめんなさいね。こんな娘だから、気難しくて大変でしょう?」
「いえ、迷惑をかけられるどころか、先輩には随分とお世話になってばかりで迷惑をかけっぱなしですから。――それに、そういう所も志津先輩の良い所だと思います」
そう本心とお世辞の入り混じる返答を返すと、僕はお茶にそっと手を付けた。
渋い。まぁ、上等そうな和菓子も出されたのだ。それに合わせてなのだろう。
口の中が潤うと同時に緑茶の独特な苦みも口いっぱいに広がっていく。
しかし、なんだろう。こうして落ち着いて考えてみると、神籬に何かあると勘ぐっていた自分が酷くバカみたいに思えてしまう。何をしているんだろうか。
一度、頭を冷やして考えを整理する為に志津先輩のお母さんにトイレにでも案内して貰おうと、立ち上がろうとするのだが、それを魔女先輩に制止させられた。
「終わった。欲しい情報は手に入ったし、そろそろここを出るわよ。ここの空気、私にはどうも好きになれないから早く退散してしまいたいのよ」
随分と勝手な言い分だ。だが、丁度よかったかもしれない。
「すいません。お茶まで出していただいたのに少し用事を思い出したのでそろそろ……」
「あら? それは残念ね。じゃあ、私が門の方まで案内するわね」
そう言って、僕は志津先輩のお母さんに着いて家を後にしようと立ち上がるのだが、それを志津先輩が割り込んでくる。
「わざわざ、お母様の手を煩わせる必要はありません。私が案内するので――だから、家事に戻っていただいても結構です」
まるで、自分の母親を突き放すようなその言葉に志津先輩のお母さんは顔を歪ませるが、僕がいたからだろうか。何も言う事はなく、「そう」とだけ言うと和室から姿を消した。
踏み入っていい問題ではない。これは親子の問題なのだ。
けれど、やはり目の前でこのようなやり取りをされて黙ってはいられなかった。
「先輩、少し言い過ぎじゃないですか? 善意から言って下さったのに……あんな言い方はあんまりだと思うのですが……」
黒文字で和菓子を切って、口に運ぼうとしていた志津先輩の手が止まる。
そして、ゆっくりとその手を下ろすと丁寧に黒文字を置き直し、此方をまるで積年の恨みの相手を見るかのような目で睨み付けて来る。
先程までの先輩としての態度とは明らかに違う。敵意を持った視線だ。
「君には関係のない話だろう。それより、ここまでは私が色々と質問されたんだ。なら、私からも一つくらいなら質問させて貰っても構わないかな?」
「なんですか? 答えられる事なら、答えますけど」
わざわざ、敵意を煽って敵対関係になるのも今後の為にならないと言葉を呑みこんだ。
それから、志津先輩から発せられる問いを息を殺して僕はじっと待つ。
「そうか――なら、君の隣に先程からいる女性は誰だ? 君が見えているのかは分からないが、昨日の段階で君の隣にはいなかったと記憶しているのだが?」
その言葉を僕はすぐには理解する事が出来なかった。
魔女先輩はこれまで僕以外には現状、見えている人間がいなかった。
それに加え、志津先輩のお母さんも突然現れた魔女先輩の事を見えていなかった。だから、てっきり見えないモノと考えていた。その可能性を失念していた。
僕が特別な訳ではない。そういった人間が他にいてもおかしくはないのだ。
しかし、どう返答する? ここで魔女先輩の方へと視線を向けてしまえば、それは見えていると認めるのと同義。だが、返す言葉も浮かんでこない。
返答にあまりにも迷えば、怪しまれてしまう。
横目で魔女先輩の方を確認すると、まるで品定めをするかのような視線で志津先輩をじっと観察するばかりで何か行動を起こすかのような気配はない。
一体どうすればいい? そんな僕が必死に思考を巡らせている中、魔女先輩は小さく溜息を吐くと一歩前へと足を踏み出した。
その事に志津先輩も警戒するのだが、その隣を通り過ぎたかと思うと、その足は掛け軸の下に置かれた志津先輩そっくりな人形の前で止まる。
そして、そこで魔女先輩は正座すると目を閉じ、その人形に対して手を合わせた。
まるで、あの時の道祖神の壊れた史跡に手を合わせた時のように――。
「名前を聞かれても、名前なんて元より存在しないから答えられない。その子は私の事を魔女先輩と呼んでいるけれど、やっぱりそれだと言い難いわよね。八雲で良いわ。――これで、貴女の質問には答えたと思うのだけど?」
志津先輩の方へと顔を向け、魔女先輩はにっこりと微笑みながらそう告げた。
それから、そう言い終わると僕の手を引いてさっさとこの場を立ち去ろうとする。
質問は一つという約束だ。これ以上は何を聞かれても答えるつもりはないのだろう。
だが、それを志津先輩は必死で呼び止める。
「待て! まだ、私の質問は終わってない!」
「そう……。でも、貴女は先程言った筈よ。質問は一つ。ならば、私が貴女の問いにこれ以上答える義理はないとは思わないかしら?」
魔女先輩は志津先輩を冷たく突き放そうとするが、それでも決して放すまいと食らい付いて来る。全く、引き下がるつもりはないらしい。
僕には分からなかった。何がここまで彼女を必死にさせているのか。
「何をお前は調べていた? この家には何がある? ――自分の記憶にも、記録にもない、なのに、なぜ私には、自分には妹がいたはずだ。などという感覚がある? 私の頭がおかしくなってしまったのか? それとも、周りがおかしいのか!」
志津先輩はそう悲痛な叫びを訴えると、俯いたままこう呟いた。
「私は……一体、『誰』を忘れてしまったんだ……?」
この志津先輩の言葉こそ、先程の疑問の答えだった。
そして、これではっきりした。彼女が何を深山さんに問い詰めていたのか。
なるほど。彼女もまた、無意識にもう一人の神籬先輩の姿を追い求めていたという事だ。つまり、彼女の事を完全には忘れ去っていないという事でもある。
その事に魔女先輩も気付いたのか、顔色が僅かに変わった。
「嘘……でしょう? じゃあ……。いや、でも――」
魔女先輩は何かを呟きながら、その場を行ったり来たりしている。
その雰囲気がいつもとは違い、少しばかり怖い印象を受けてしまう。
「あの、何かあったんですか?」
僕のその問いに魔女先輩は少し、間を開けると溜息を吐き、こう答えた。
「ここでは話難い事もあるから場所を移しましょう……」
「僕は構いませんけど、志津先輩はどうですか?」
「一時間ほど、待って貰えないか? 私の方も色々と整理したい。それに全部、正直に話すにも覚悟がいるからな。心の準備もしておきたい」
「そう、丁度いいわ。私も少しばかり、考えをまとめておきたいから」
一時間後、先日訪れた喫茶店で待ち合わせをすると僕と魔女先輩は神籬邸を後にする。
それにしても、気になる事は多々あるが収穫も多かった。
一番の収穫は志津先輩が実は魔女先輩が見えており、此方側だったという事だろう。
門を潜る瞬間、魔女先輩は立ち止まると何を想ったのか神籬邸の方を振り返った。
「何か気になる事でもありましたか? 魔女先輩」
「何でもないわ。それより、早めに喫茶店に行きましょう? 考えをまとめたいから」
何かを気にしているのを隠しきれていない。
思っている事があるならば、話して欲しい。そう思ってしまうのだが、きっと聞いたところで自分の無知と無力さでは何も返せないと思い至ると尋ねる事は出来なかった。
「いらっしゃい。けど、まだ準備中だから注文の方は少しだけ待って貰ってもいいかな?」
「構いませんよ。しばらくしたら、もう一人来るので注文はその時にするつもりですから」
喫茶店はまだ準備中だったらしく、客はいない。従業員もマスターだけ。
その喫茶店のマスターの視線が一瞬だけ魔女先輩を見たようにも思えたのだが、僕の気のせいだろう。気のせいであって欲しい。
これ以上、特別な人間が身近にいるわけがないか。志津先輩が特別だっただけ――
いや、神籬という血族。家柄と言った方が正しいかもしれない。
頭に過ぎったその考えを振り払うと、僕と魔女先輩は小さくそのマスターに礼をする。そして、喫茶店のいつも利用している入口近くの席へと腰を下ろした。
ここなら、聞き耳を立てられてもそうそう話を聞かれるような事はない。
それに僕と魔女先輩が座っている場所はマスターのいるカウンターからは机の上が見えず、他の席からも同様に何をしているのか分からない。
マスターからは低い棚。他の席からは僕の背中で遮られ、隠れてしまうからである。
それに電話をしているように装えば魔女先輩との会話も変に怪しまれる事もないだろう。
僕は椅子から少しだけ乗り出し、マスターがまだ開店の準備をしていることを確認すると携帯を取り出し、メニューを開きながら魔女先輩にこう切り出した。
「そう言えば、ここで軽めの昼食を取ろうと思っているんですけど……魔女先輩はどうします? と、言うより、食事って何食べるんですか?」
「あぁ、別に気にしなくていいわよ。貴方のを取って食おうとかしないから。確かに食べられなくはないけど、構造が違う訳で食べても血肉にはならないから無意味だし」
確かにこの人はどちらかと言えば、怪異側の住人であり人間ではない。
そもそも、元人間であったかもあやしいのだから、昼食を食べるのかという質問そのものがおかしいのかも知れない。まぁ、ここで変なモノをねだられても困るのだが……。
僕は何を考えているのか分からない魔女先輩に思わず、頭を抱えると取り出していた携帯を耳に当て、電話をかける振りをしながら会話を続ける。
「まぁ、昼食は僕だけでいいのならいいです。ところで、本題の方で意見を聞きたいのですが、神籬、道祖神――この二点は本当に繋がっているんでしょうかね?」
神籬邸を出てから、どこか上の空でずっと何か別の事を考えている魔女先輩に僕はそう尋ねてみたのだが、先程の和やかな返答とは違い、明らかに何かを渋っている。
やはり、神籬邸で何か気になった事があるのだろうか?
ただ、それが何かという心当たりは僕にはない。
強いて挙げるならば、志津先輩には魔女先輩の姿が見えていたのだが、志津先輩のお母さんには魔女先輩が見えていなかった。いや、見えなくなっていたのだろうか?
どちらかは分からないが、少なくとも今現在は見えていないという事だ。
僕もその事について違和感を覚えなかった訳ではない。むしろ、ずっとこのどうにも説明が出来ない一点が引っかかっていた。
神籬一族がもしも本当に特別な血統であるならば、何かしらの形で魔女先輩の事を感じていてもおかしくはない。だが、魔女先輩が近くにいた状態での志津先輩の母親にはそのような素振りは一切、見受けられなかった。
確かに志津先輩だけが特別。そう考えれば、全てに説明がつく。
そうであるならば、むしろ見えない方が普通。正しく言えば、それこそが極めて一般的な人間の反応であり、彼女の行動は自然であると言える。
けれども、やはり志津先輩の母親について断定をするには少しばかり早いかもしれない。
そう考えた僕は魔女先輩にこう質問を投げかけた。
「どう思います? 神籬という家柄そのものが理由なのか否かについて――」
「確かにおかしいわよね。彼女から……嫌な臭いがした。けど、彼女について調べても家系図の中には神籬の血を引く人間と記されていたわ」
嫌な臭いか。その言葉が真にどういう意味なのかについては、魔女先輩にしか分からない。ただ言えるのは、彼女は灰色という事だろう。
結局、神籬邸に言って掴んだのは不可解な要素と繋がらない点。何の進展もないとは言わないが、道連れが増えただけでなく、迷路が更に複雑になったという感じだろうか?
考えてみれば、当初の目的であった最初の犠牲者だけが記憶から失われているのかについては何も分かっていない。
進んだようにも思えたが、これではふりだしへ逆戻りしていてしまった気分である。
「本当に、何も見えてきませんね……」
思わず、僕の口から溜息が漏れてしまう。
分からない事。見えていない事が多過ぎて、指針を決める事が出来ない。
それに、話をこれ以上進めてしまえば、志津先輩にも説明するのに二度手間になってしまう。後は彼女が到着してからと言った所だろうか?
「まぁ、本題については志津先輩が到着してからにしましょう。それより、さっきから気になっていたんですが、その先輩の言う臭いってなんですか?」
確か、昨日も僕に出会ったのは臭いを辿って来たと言っていた。
まるで犬のような……と思ったが、どちらかと言えば猫だろうか?
気紛れで言葉を濁したり――やはり、猫。と、なると猫又の一種か何かだろうか?
そんな事を考えていると、気付けば魔女先輩は僕をじっと見つめ、呆れ返っていた。
「私は猫の妖怪じゃないわよ。そもそも、私はあそこまで気紛れな存在ではないわ。彼らと一緒にされるのは心外ね。それに、私は好奇心だけで動いてはいないの」
「そうですか。……はぁ、人の思考をさらっと読まないでください」
その含みのある言い方。まさか、知り合いにいるという事なのだろうか?
どちらにしろ、魔女先輩の機嫌を損ねてしまった事には間違いはない。ただ、彼女の場合は人間と言う訳ではないので、どう機嫌を直して貰えばいいのか……。
「けど、そうよね。確かに貴方達には伝わりにくいわよね。なんて言うのかしら? 空気とか雰囲気って言えば分かり易いかしらね? そういう何か良く分からないけど、モヤモヤしたモノを感じるのよ。あぁ、ここを彼らが通ったんだなって」
「漠然としていますね……それ、信用してもいいんですか?」
理論ではなく、感覚の世界の話だ。
それも、僕にはという世界ではなく、ニンゲンには到底理解出来ない世界。
いわゆる、第六感のようなものなのだろうとは思うが、検証による裏付けが欲しい。
「そうね。貴方とは視えている世界が違うのだから仕方ないわ。それを証明しろと言ってもそれはやっぱり、無理だけどね。それに、貴方は知らない方がいいわ」
「随分な言い様ですね。僕が魔女先輩を視ているという事すら、貴女の言葉を借りれば一端を視ているに過ぎない。そんなにそちら側は恐ろしい世界なんですか?」
「気でも狂うんじゃないかしら? まぁ、それが一般的な人間が見る事ではない以上、そもそもの問題として狂っているという点は間違いないでしょうね。きっと……」
含みのある言い方をしているが、これ以上踏み込めば厄介な話になりそうなので黙って置こう。言葉を飲み込んでおこう。きっと、それがいい。
魔女先輩の言葉が真実であるか否か。それは僕にも分からない。
けれど、何故だろう。何故だか、魔女先輩の言葉は信じられると思ってしまうのだった。
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