第2話

 新緑が生い茂り、夏らしさを感じさせ始める季節。

 新入生も学校に慣れ始め、部活動にも後輩が出来始める。そして、自らが一年先輩となった事を自覚し、後輩を指導するという光景が見られ始める――筈なのだが。

 今日も郷土研究部には僕以外には誰もいない。

 正しく言えば、僕以外の部員は存在しないというべきだろう。

「まぁ、当然も当然ですよね。部活勧誘もしていないのに、こんな旧校舎の外れまで来る物好きはいませんよ。部活内容も内容ですし」

 運動部のような花形でもなければ、文化部のように何かをする訳でもない。

 ただ、こうしてここに集められたこの町の郷土史料を整理する。そう、ただ整理していくだけの簡単な部活内容……大会も発表会もありはしない。

 地味を通り越し、空気な部活。当然の如く、廃部危機の部活と言いたいのだが、あまりの認知度のなさにこうして部員一人でも成り立っている有り様だったりする。

「しかし、相変わらず精が出ますね。こんな暑いのに」

 クーラーの取り付けられていない旧校舎の教室内。その窓から運動部だろうか。遠くからかけ声が聞こえてくる。

 本当に放課後までわざわざ、ご苦労な事だ。それに比べ、こちらは仕事半分、遊び半分といった酷い有様なのだが。……まぁ、気にすることはないだろう。

 図書室では絶対に読めないような胡散臭い古文書が読み放題。偽者か本物かも分からないような鬼の茶碗、日本狼の頭蓋骨のような曰く付きの骨董品に触り放題。何より、旧校舎の教室の一つを占領。これぞ役得というものだ。

 ボーンと止まった柱時計から鐘の音が響き渡る。長針と短針が止まっている為に何時であるか正確な時間までは分からないが、四時を回った頃合だろう。

 そろそろ、一旦休憩を入れてもいいか。

 机の上は読んでいた本と整理中の書類が山積みになっているが、十分程度の休憩を挟んだところで問題なくこなせる量だ。それに最悪の場合、このまま放置しても誰にも迷惑をかけない。どうせ、この教室に訪問するような物好きなんて自分以外にはいないのだ。

「まぁ、念のために鍵をかけて隣の教室でお茶にでもしますか」

 盗まれてでもしてせっかくの部室がなくなっても困る為、窓をきっちりと閉めようとするのだが、その手は途中で止まってしまった。

 想定外の事態。突然、廊下とこの教室とを隔てる扉をノックする音がしたからだ。

「どうぞ。入って頂いて構いません……あっ」

 そこまで言って、誰もこの教室に来ないからと、高をくくって散らかしっ放しにしていたことを思い出す。そして、僕が廊下へと出ようとするのだが遅過ぎた。

「その……ここが郷土研究部で……あっその、葛城せんぱ……すいません。間違えました」

「いや、ここが郷土研究部で間違っていませんよ! たしかに、ちょっと――どころじゃないレベルで散らかっていますけど、物置じゃありませんから。それに僕が葛城です」

 制服のワンポイントであるラインの色。恐らく、一年。

 雰囲気から判断するにメガネの気弱な文学少女といったところだろうか? 教室の片隅で一人、本を読んでいるような印象を受けるのだが、そんな人間がここに何の用だろうか?

 部員獲得合戦の時期は遠い昔に終わっている。まさか、郷土研究部に用?

 しかし、聞くにしても部室内はこの有様。こうなったら仕方がない。奥の手を使うか。

「ちょっと待っていて貰えますか? 隣の教室の鍵を開けますから」

 そう言うと、僕は来訪者である一年を引き連れて廊下へと出ると、隣の教室の鍵を開け、その中へと一年を案内する。

 教室内にはテーブルに向かい合わせのソファー二つ、流し台、冷蔵庫といった必要最低限の物が揃った応接室。部室とは違い、扇風機まで置かれている僕の休憩室だ。

 私物は流石に持ち込んではいないが、旧校舎の部室以外を独占しているのはあまり、世間体が宜しくないので秘密にしていた。しかし、緊急の事態だ。仕方がない。

「どうぞ、座って構いませんよ。それから、冷たい緑茶と冷たい珈琲どちらがいいです? あぁ、そう言えば冷蔵庫の中にアイスがあったかな? 業務用ですけど」

「いえ、その……珈琲をお願いします」

 その言葉に氷をコップの中へ入れると、濃い目に入れた珈琲を注いでいく。

 本当なら、僕も冷たい珈琲を呑みたいところなのだが、たった今、来客に淹れたので氷が切れてしまった。これでは仕方がない。

 代わりにオレンジジュースを入れると、小鉢にアイスを乗せ、シュガーとミルクを用意するとそれらをテーブルの上に並べ、一年の向かいの席に腰を下ろした。

「それで、どういったご用件でしょうか? あぁ、名前は名乗らなくても結構ですよ」

 そう答えて様子を見るのだが、口を閉ざして何も答えない。

 何か人には言えないような相談かと思い、名前を答えなくてもいいと言ったのは余計な気遣いだっただろうか? ここに来る人間が大抵、そういう相談だけに言ったのだが……。

 ただ、こちらも整理の途中。そう長い時間を構っている訳にもいかない。

 十分が経っただろうか? 何かに怯えるようにびくびくしている一年の様子に痺れを切らした僕は自分のアイスをスプーンで掬い、口に含んでみせる。

「せっかくのアイスも溶けてしまいます。召し上がって構いませんよ?」

「あっ……はい。そ、その……先輩ってこの辺りの郷土に詳しいんですよね? その朽ちた鳥居について何か知っていたりしますか?」

 その言葉に思わず、首を傾げそうになるがそれを寸前で思い止まった。

 情報が少な過ぎる為に検索するにも何から始めるべきか見えてこない。けれども、ここで相手を失望させ、これ以上話を聞けなければ元も子もない。

 ここは相手から更に情報を聞き出しつつ、キーワードを見繕うべきだろう。

「朽ち果てた鳥居ですか。とは言っても、それだと膨大な数になりますし、どの程度の朽ち果て具合かが分からないと流石に何とも……他に何か分かりませんか?」

 一応、懐から取り出したメモに箇条書きで記しつつも彼女の言葉を考察する。

 五月二十一日、一年の後輩。名前は不明。朽ちた鳥居について――。

 夏も近い事もあり、肝試しの要領で旧校舎へと足を運んだのかとも考えたのだが、どうもそうではないらしい。学校の階段を一つ一つ検証しようとしている訳でもなさそうだ。

「えっと……その、こんな事を言って信じて貰えるか分からないんですけど……夢で……」

「夢、ですか。暗示という意味もあったりしますから一言でただの夢と片付ける訳にもいきませんから難しいですね……。そもそも、その場所へ訪れた事もないようですから」

 一度でも目にしているならば、もしかしたらという可能性が浮かぶ筈だ。

 しかし、一切心当たりがない。同じ夢を何度も見ている。

 その二点には何かしら意味があると考えた方が良いだろう。猿夢のような質の悪いものならば、どうにかしなければ命に関わってしまう。

 可能性として無意識の罪悪感による暗示。そして、呪い。

 前者ならば心理学に携わる人間に相談するべきであり、後者なら霊能者に相談すべきである。はっきり言って、僕に呪いを解く方法を期待されても困ってしまう。

 出来る事と言えば、要因を突き止める事により、事態に改善を図る事くらいだろうか。

「心当たりってありませんかね? 見始めた時期に何かしらの意味があるかもしれません」

 そう尋ねた瞬間、僅かに彼女の様子が明らかにおかしくなる。

 まるで何かに怯えるように小刻みに身体を震わせ始め、視線が安定しないのだ。

 そうなって初めて気が付いたのだが、彼女の首には赤く蚯蚓腫れした痕。

『首筋に蚯蚓腫れした痕あり。細い一本の線。形状からは何によるものか不明』

 念の為にそう書き足すと一度、メモ帳を閉じ溜息を吐いた。

 呪いの場合――霊障。

 つまり、呪った相手に霊が付けた目印と考えられる。

 だが、まだ呪いが確定したとは限らない。極希にではあるが、印は着けても呪わず、その印は気が付くとなくなっている事もある。それに偶然の可能性も捨てられないのだ。

 重要になるのは一体、何をしたのか。誰を怒らせたのか。

 それ故に彼女の口から語られなければどうしようもないという事か。

 どれくらい経っただろうか?

 この部屋には時計がない為、どれくらい時間が経ったのかは分からない。

 ただ、日は傾き始め、空が茜色に染まり始める。どうしよう……片付けを途中で放棄していてしまっている。このままだと、片付けが明日に持ち越しになってしまう。

 そんな事を考えながら、時間を潰す為にオレンジジュースをちびちびと飲む。

 一杯目を飲み終えてもまだ、何も語ろうとしない。かといって、帰るわけでもない。

 この後、どうしよう。そんな事を考えながらオレンジジュースのパックを傾けてコップに二杯目を注いでいると、彼女は何かを決心したのかゆっくりと口を開いた。

「先輩……こんな形のモノってご存知ですか?」

 そう言って提示されたのはメモ帳に書かれた不思議な紋様だった。

 見た目は花を基にしているのか、円を中心に花弁らしきものが五枚。

 家紋。それとも、何かを暗示させる隠喩。他にも可能性は多過ぎるだけにこれだけを見せられても答えを出す事は難しい。いや、無理といっても過言ではないだろう。

 せめて、どこのような場所で見たのか。どのような建物だったか。

 もしも、それが分からない。話せないのならば、相当の時間を要する骨の折れる作業が予想される。…………泣きたい。

「どれくらい、時間がありますかね? これだけだと曖昧過ぎて資料が絞れないのである程度、回答に時間がかかり、最悪は見つからない事を覚悟して頂く事になりますが」

 後輩の目には最近、ずっと眠れていないのか隈がある。

 相当、憔悴しているのか生気も感じられない。そんな姿で藁にも縋る思いでここに来たような人間を突き放すほど、冷たい人間ではない。

 けれども、関わるのは本業の傍らで資料を探すところまでだ。それ以上はわざわざ、他人の為に身を削るつもりはない。他人の事件に巻き込まれるなど御免だ。

「そうですか……やはり、すぐにとは行きませんよね……」

「まぁ、一人で資料を探す訳ですからね。図書館みたいな探索システムがある訳じゃない。人力は偉大ですけど、高価な古書や取扱注意のモノもありますからね。それにここまで抽象的なものだと、卒業した先輩には尋ね難いですから実質、僕一人です」

 一冊一冊の取り扱い。本業との兼ね合い。卒業した先輩に頼れない。

 この三点を踏まえると期待値は三日。流石にそれよりも早くは難しいだろう。

「三日ですかね? それで見つからなかったら諦めて下さい」

 その言葉に彼女は俯き、顔を手で覆い隠すと小さな声でこんな事を呟いた。

「神社関係かもしれません、朽ちた鳥居を一緒に見た覚えがあるので……」

 かもしれない。ずいぶんと曖昧な回答。信じていいのか不安になってしまう。

 ただ、今は彼女の言葉を疑っていては始まらない。嘘を吐いているようにも見えないのだ。しかし、何故だろう。どこか彼女の言葉に違和感を覚えてしまう。

 神社となれば、この紋様は宗教関連という事になる。それも、この町周辺になる筈なのだが、見覚えがないのだ。あるとすれば、廃神社、廃寺――肝試し。

 問題があるとすれば、近場にそんな場所がある事を僕が知らないという事だろう。

「もう少し、何か思い出せませんか? どの辺りにその神社があったかを思い出してくれるだけで随分と違うのですが……たとえば、近場の駅とか」

 範囲が絞れれば過去の記録にも遡り易い。

 廃寺や廃神社などになり、合祀されるような場合も想定するとなればこれくらい事前に判明していなければ莫大な情報量の中から目ぼしい物を見つけるのも一苦労。

 そんな僕の質問に彼女は目を逸らすと、弱弱しい声でこう呟いた。

「分かりません。分からないんです。少し前から毎日のように同じ夢を見るようになってそれでその……古い神社をいつも彷徨っているんです」

 同じ夢、彷徨う。見知った場所ではない。

 その言葉に嫌な予感が頭に過ぎる。だが、どうにも嘘を話しているようには思えない。

 ただ、全てが本当の事を言っている訳ではないだろう。どこか違和感を拭えない。

 一つだけ言えるのは紋様が宗教的特徴。暗喩の可能性が出て来た事か。

 しかし、引っかかる事はある。

 確かに神社となれば、神を怒らせたことによる報復と考えられる。

 では、なぜ彼女が知りもしない神に祟られるような事態になっているのか。恐らく、そこに何かのヒントがあると考えてまず間違いはない筈である。

 ならば、ここは先代達の残したこの地域一帯の宗教施設を記した手帳くらいか。

「ちょっと、待っていて貰いますか? 少し、思い当たる資料がありますので」

 沈みこんだ彼女に僕は安心させるように微笑んでみせると、隣の部室から使い古されたボロボロの手帳を取り出し彼女の前へ再び姿を現した。

 擦り切れた皮の手帳だ。何冊もある内の一冊ではあるが、代々受け継がれている郷土研究部の活動の結晶とも言える部長の証でもある。

 紋様と神社という事を頭に入れ、一ページすつ捲って照らし合わせていくのだが、引っかかる要素はいくつも見受けられるもののなかなか完全一致してくれない。

 そう思いながら、最後のページまで捲るとそこには似た紋様が記されていた。

「それで……なにか、見つかりましたか?」

 上手く返答できない。思わず、苦笑いを浮かべてしまう。

「いえ、あるにはあったんですが――何も分からないんです」

 何も記されず、書かれている紋様。ただ、先代の誰かが調べていたのは間違いない。

 問題は紋様以外、何も書かれていない理由だろう。これをわざわざ書き残した事に何か意図があるのか。それとも、そこまで辿り着けなかったのか。

 恐らく、前者の可能性が高いか。その方が彼女の話も腑に落ちる。

 廃れた神社。呪いと考えるならば、恐らく真っ当な神ではない生贄を求める類の土着的な何かを祀っていたといったところだろうか?

 ただ、それだと新たな疑問が浮かび上がる。

 何故、わざわざこの紋様だけを書き写してこうして手帳に残しておいたのか。

 警告――人が手を出してはならない領域。崇り。稀人……。

 一つだけ言えるとすれば、これが作り話ではない事だろうか。あとはこれ以上、踏み込むかなのだがミイラ取りがミイラになるなんていう結末は御免被りたい。

 面倒事に首を突っ込んで我が身を犠牲にしてまで他人を助けるほど、僕はお人好しではない。こういう類に巻き込まれるのだけはもう嫌なのだ。

「ただ、一つ言えるのは僕らからすれば、あまり良いものではない神様を祀っていたであろう事ぐらいですかね。記録に残さないくらいにはですけど」

「その……ありがとうございました」

 何か心当たりがあるのだろうか? 

 彼女は唇を噛み、小さく頭を下げるととこの場を逃げるように立ち去ろうとする。

 その背中に僕は小さく溜息を吐くと彼女を呼び止めた。

「ちょっと待って下さい。紋様が事実と分かったんです。対処は出来なくても、対策くらいならば出来るかもしれません。まぁ、効果があるか保証しませんけど……」

 視えないものを信じられるような感性を僕は持ち合わせてはいない。

 それに下手な手を打って、巻き込まれるなんて面倒な事態は避けたいのが本心だ。するとしても、助言が限界。後は傍観者に徹するだろう。

 しかし、彼女は何に心当たりがあったのだろうか?

 廃れた宗教、生贄、呪い、夢。

 どれもが彼女にとって曖昧な物であったはずなのだ。繋ぎ合わせるにしても、僕の知識を総動員してもパズルのピースが絶対的に足らない。

 そもそも、夢で見た紋様が何故、ここに記されているのだろうか。

 何より引っかかるのは、誰が彼女にここを紹介したのか。一年の彼女がどうしてこんな日陰の郷土研究部にわざわざ足を運んだのか。分からない事が多過ぎる。

 ただ、彼女から聞き出すのは難しそうだ。顔面蒼白。気が気でない。

 あまり、長時間ここに彼女を繋ぎとめるのは難しい。簡単にでも自分の置かれている立場を理解させて距離を取る方がいいだろう。

 僕は別の本のページ内容を確認しながら、そう結論付けていると、彼女が何かに怯えるように震えた声でこんな事を尋ねてきた。

「あの……その、神社って簡単に廃れるようなものなんですか?」

「まぁ、統合とかは意外と多いですからね。神がいなくなれば、それを祀る理由もなくなる。それに、文化が神を淘汰する事もありますから何ともいえません。ただ、こういう話では土着信仰や生贄なんていうのが定番ですけどね。不気味じゃないですか。だから、自然と文明の進歩と倫理観の発達によって淘汰されてくるって事です」

 念の為にもう一度、この一帯に纏わる民話を一つ一つ読み返し、探してみたのだが、生贄や土着信仰のような怪しい臭いのする話は残されていなかった。

 そもそも、代々の部長が残した手帳とは言え、紋様だけとすれば本当にそんな物が存在していたのかも怪しく思えてしまう。

 それでも、あったという前提で動くとすれば答えは一つしかない。

 時代の流れで密教化し、忌々しい過去に蓋をした。要は臭いものには蓋をして、なかった事にし、綺麗に取り繕おうとしたという事になる。実に人間らしい。

 生贄のような異質な文化は時代の流れ、倫理観の中で廃れていく。そうして、祀られていたモノへの信仰も終わり、神社も自然と消滅。しきたりは根深く張り巡らされた信仰の根を頼りに地下へ潜ったと考えるのが妥当ではないだろうか。

 証拠もなく、推測の域を出ない為、証明はまず無理なのだが――。

 その為、変な誤解を与えないという意味でも彼女には何も語らない。何より、呪いであるならばその何かに魅入られたという事になってしまう。

 しかし、そこで問題になるのは古い信仰すら失われた神に呪われるとは一体、彼女は何をしたのかという事なのだ。神仏を壊すにしても、すでに信仰が失われて等しいのならそれを探すのすら一苦労。それをどうやって行うのかが問題になってしまう。

 やはり、当事者ではない僕には何とも言いにくい。

 それでも、郷土研究としての観点から見るとすれば――――、

「土着信仰は郷土と密接に絡む事が多いんです。例えば、時代背景なんていえば分かりやすいかもしれません。ところで、貴女は神をどのようなものだと考えますか?」

「えっ? その……あまり、意識した事がないので良く分からないですけど、何か漠然としていて、怖いもの?」

 突然の質問に戸惑いを覚えたのか、小さく首を傾げたものの真剣な表情でこう答えた。

 そして、その一瞬だけ彼女の震えが止まる。だが、すぐに何かを思い出したのか顔を覆うと何かに怯えるように歯をカチカチとさせ始めた。地雷だったのだろうか?

「まぁ、御霊信仰も存在しますから、生贄を求めるような神もいるんです。神に善悪はない。人の力の及ばぬ場所にいるのが神だった訳ですから。……つまり、そういう事が自然とまかり通っていた時代があったという訳です。そう言う意味では当たらずも遠からず」

 あくまでも、と注釈が必要ではあるのだが、僕個人としては彼女のその考えでもギリギリ妥協点と言ってもいいだろう。

 神が神であるが故に人の考えを酌む事はない。彼らは人でなければ、善悪もない。文字通りのヒトデナシだからこそ、人の考えなど理解出来ないのだ。だから、同じように彼らの考えを僕らは決して理解出来ない。

 前提条件である『存在するか、否か』という問題を除けば、なのだが――。

 まずい。まずい。自分の考えに集中してしまい随分と話が逸れてしまっていた。

「簡単に説明すると、神へは怒りを鎮めるように願い、恵みを与えてくれるように祈願する。これが神道における人間と神との関係性だそうです。日本には八百万の神がいると言われていますから、祀られる理由も千差万別です」

 そう言うと、残っていたオレンジジュースを一気に飲み干し、僕はこう続けた。

「なので、必ずしも恵みを求めて祀り上げるとは限らない。例えば、崇徳上皇や菅原道真のように怨霊になった存在の怒りを鎮める為に祀るという事も少なくない。今では普通の神様として祀られていますが、始まりは御霊信仰ですから」

「つまり、廃れた神社はそういったモノを祀っていたと……?」

 後輩の言葉にすぐには頷けなかった。頷ける筈もなかった。

 答えは分からない。推測するにしても何もかもが足らな過ぎる。

 記録にも残っていないのだから、あったと仮定して話しているだけ。――そもそも、その仮説も彼女から聞いた話だけを基にして構築しているだけにどこまで信用出来るか。

 残念ながら、僕に言えるのはこれが限界。後は自分でどうにかしてほしい。

「はっきり言って、そこまでの事は言えません。あくまでも推論による仮定で話していますから……。ただ、あくまでもアドバイスするのであるなら、彼らが生贄を求めるパターンはある程度、決まっているという事でしょうかね」

 そう告げると、手帳のページをめくり、再びゆっくりと口を開いた。

「まずは何かを願った代償。次に怒りを鎮める為の贄。最後に食事」

 端的に述べられていく言葉にみるみると後輩の顔色が青白く染まっていく。

 だが、それでも僕は躊躇なく、容赦なく。僕は言葉を続けていく。

「無償で何かをしてくれるほど、彼らに慈悲深さなんてものは存在しません。基本、彼らは何もしてくれない。まぁ、当然といえば当然ですよ。だから、彼らは神なんです」

 そう区切ると僕は深呼吸をし、間を置くとこう締め括った。

「だって、今の日本でどれだけの人間が神を信じています? それに、人間の考えに左右されるような神は神じゃない。だって、神は先程も言ったようにヒトデナシなんですから」

 特に神道は自然現象を神格化したものだ。

 けれども、その根幹となった神々しい『なにか』も今では科学の進歩により、廃れつつある。そして、困った時の便利な道具としての神頼みといった程度の名残になってしまったのが現状。何故、祀られたかの理由なんて知ろうとも思わないのがその証明だ。

 結局、今の時代の人間と神との関係はその程度である。そんな相手に対し、敬意を払う神がいるだろうか? 巫女という仕える存在ならまだしも、それ以外に対して。

「そう……ですよね。ありがとうございました。相談に乗ってくれて……」

 小さくお辞儀をすると、彼女は溜息を吐いて席を立ちあがる。

 何のアドバイスも出来ていない。絶望感だけに包まれているのか、哀愁漂う背中は見るに堪えない。だからだろう。こう付け足してしまった。

「もしも、彼らに対して何かをしたのならば、まずは自分の非を認め、彼らに対して誠心誠意詫びる姿勢を見せる事が一番なんじゃないでしょうか。そんな事で彼らの怒りは鎮まるか分かりませんが、少なくとも貴女は救われるんじゃないですか?」

 これが僕に出来る最大限のアドバイスだった。

 当事者は彼女。僕は赤の他人。あとは彼女がどうするか決める事。

 僕が出来るのは話を聞くくらいが限度。オカルトなんて信じていない人間がオカルトの話を聞いてどうするのかと言われたらそれでお終いだが……。

「先輩って変わっていますね。もっと、変人なのかと思ってました。こんな旧校舎の片隅に籠って一人部活動をしているオカルト好きって話だったので」

 彼女の言葉に僕は思わず、苦笑いを浮かべてしまった。

「その人の評価はその人に関わった人間自身が付けるものですからね。僕がそう見えている人も多々いるだけですよ。それに買いかぶり過ぎです。僕は何でも知っている訳ではありません、分かるのは知っている事だけです。だから、僕は呪いや怪異の類についてはいないと思っています。見えませんから。そんな僕でよければ相談、いつでも乗りますよ」

 何から何まで知っている賢者ではない。知っている事は限られるし、あまり頼りにされるのも困りものだ。特にこの手の話題は色々と話し難い。

 彼女はその言葉に、少しだけ元気を取り戻すと再び小さくお辞儀すると退室する。

 そして、一人になった僕はもう一度、手帳へと目を落とし、目を閉じた。

 もしかしたら、本当にあの後輩は呪われていたのだろうか? 一瞬、そんな事を考えるが科学がこれほどまでに発達した今の時代、呪いなどある筈もない。勘違いの筈だ。

 僕はそう言い聞かせると、頭からその事を振り払い、その空き部屋の鍵を閉めて部室へと戻り、整理作業を再び始めるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る