第5話

 一夜明け、僕は記憶を辿りに町外れまで来ていた。

 道祖神が安置されていると記憶している場所だ。だが、そこには何もない。

 不気味だ。僕だけがあの時と同じように別世界から迷い込んでしまったかのようだ。

 まるで、あの時を再演しているかのように感じてしまう。それだけに複雑だ。

 しかし、何故だろう。何故、誰も破壊された道祖神。ただの岩の塊となったソレを異常と認識していないのだろうか? 僕の方がおかしくなってしまったのだろうか?

 ただ、一つだけいえるのは破損部分から考えて、壊されたのは最近。そして、どう考えても人為的に破壊させられているという事だろう。

 いや、誤魔化すのは止めよう。そこには確かに、深山さんに提示された印があった。

 朽ちた鳥居の様な物は見当たらないが、恐らくはこれを破壊したのは彼女――。呪いの正体は、道祖神によるもの。厄介なものに祟られたものだ。

 だが、この状況に対するこの違和感は一体、何なのだろうか。

 僕がそんなふとした疑問に悩んでいると、後ろから声をかけられる。

「おはよう。もう来ていたのね。それで、これでもまだ認めない?」

「認めますよ。貴女の話を認めざるを得ないじゃないですか。けれど、全部を信用した訳じゃないです。ただ、一つだけ聞いてもいいですか?」

「私に答えられることなら、なんでも聞いてもらって構わないわ」

 快く了承した彼女に対し、僕はずっと疑問に思っていた事を尋ねた。

 もしかしたら、これまで胸に刺さっていたつかえが解消されるかもしれないと思い――。

「この現実を認識している僕が異常なのでしょうか? それとも、忘れられている存在の方が異質なのでしょうか? どちらですか」

 彼女は少しだけ、考える素振りを見せると、淡々とした口調でこう告げた。

「神隠しにあったなら、消えるのはどちらかしら? だから、安心していいわ。貴方は神に隠されたソレを認識してしまうチャンネルがあるだけよ」

 だが、彼女の話はそこで終わらなかった。

「でもね、神隠しはこの世界からの消滅を意味するの。いくつかの要素はあるから、断定は出来ないけれど戻って来られるのは奇跡に近い。大抵は贄として食われてそのままよ」

 その言葉が真実なら、深山さんは神隠しに遭った訳ではない事になる。

 そして、あの先輩が消えてまだ日が浅い。ならば、まだもしかしたら……。きっと……。

「つまり、まだ生きている可能性があるという事ですね」

 もしも、手が届くとするならば、今度こそ掴んでみせる。そのつもりだった。

 彼女の次の言葉を聴くまでは――。

「私は優しい嘘は好きじゃないの。だから、はっきりと言わせて貰うわ。神隠しに遭えば、絶対に帰って来れない。もしも、帰って来られる可能性が僅かにでも残っていたとすれば、身近な人間が少しでもその人間の事を覚えていた筈よ。貴方を除いてね」

 その言葉に僕は何も言い返せなかった。

 昨日、話をした神籬志津先輩は後輩が行方不明になった事は触れても、あの先輩に関しては心配する素振りは愚か、話題に上げる事すらなかった。

 まるで神籬志津先輩にとって、彼女は最初から存在しないかのように……。

 つまり、彼女の言葉が正しければもう手遅れという事なのだろう。

 しかし、それをすぐには受け入れる事は出来なかった。出来る筈がなかった。

「本当に手遅れなんですか? 僕だって……思い出した訳ですから、もしかしたらって事もありえるんじゃないですか? だって、それじゃあんまりにも……」

「ないわね。貴方が覚えていたのは特別な要因が重なったからよ。それは本当に特殊な事であって当たり前ではないの。残念だけど……ね」

 彼女はそう呟くと、それ以上は何も語らず静かに破壊された道祖神へと手を合わせた。

 そして、数分間の黙祷の後にゆっくりと立ち上がると、僕の方へと振り返る。

「それで貴方には目の前に二つの選択肢があるわ。私に協力して今回の件の犯人を捜す。もしくは、全てを記憶から消し去り、虚構まみれの現実へと帰還するか」

「記憶から消し去ったふりですか……」

 僕の言葉に小さく首を縦に振り、彼女は肯定する。

 前に進めば、危険だが真実が手に入る。戻れば虚構まみれの平穏。

 どちらを選ぶべきか、僕の中で答えは最初から決まっていた。迷いはない。

「なら、答えは一つしかありませんよ。僕はもう現実から目を背けたりしたくないんです。だって、もしも僕まで忘れてしまったら彼女は本当に存在しなかった事になる。それはあまりにも哀し過ぎるじゃないですか。そんなの僕は嫌なんです」

 逃げたりしない。もう、あんな思いをしたくはないから。後悔をしたくないから。

 どちらが正しいのか分からない。現実と虚構が入り混じり、コインの表がどちらなのかも見当がつかない。だが、そんな混沌の中にもはっきりと分かる事がある。

 その中でもはっきりと彼女という存在が確かにそこに存在した事だけは分かるのだ。

 だからこそ、知りたい。僕の身の回りで。彼女に何があったのかを。

「そう、なら私からは何も言わない。それが貴方の覚悟であり、決意なら私が口を挟むのも野暮ってものでしょう? それに、今ここで引いても二度ある事は三度あるというし、また巻き込まれないとも限らないものね」

「大丈夫ですよ。一晩、考えましたからね。ところで、貴女の事はなんて呼べばいいですか? いや、そもそも貴女が一体何なのかも聞いていませんでしたよね……」

 人間ではない何か異質な存在である事は昨日の一件で分かっている。

 ならば、一体何なのか。それに、呼び名がないと色々と話す上で面倒だ。

 そんな僕の質問に彼女は少しだけ首を傾げたのだが、すぐに嬉しそうに微笑んだ。

「確かにそうね。でも、そんな事を言う人間って珍しいわ。だって、ほら。貴方達の私達への分類って河童なら河童。けれど、それは分類であって、個体特有の名前ではない。それと、私の正体についてはうまくは説明出来ないのよね。だから、貴方の好きに呼んで貰って構わないわ」

「正体は説明出来ない上に名前は此方に丸投げですか……。まぁ、別にいいですけど。そうですね。魔女先輩とでも呼ばせて貰いましょうか?」

 妖術を使う存在を昔の人間は魔女と呼んだ。ならば、正体不明の彼女にはぴったりな呼び名ではなかろうか。日本的な呼び名ではないが……。

 どこまで彼女を信用していいのかまだ、分からない。

 僕を騙している諸悪の根源なのか。味方なのか。はたまた、傍観者なのか分からない。

 ただ、一つだけ言えるのはここから、この場所から僕と魔女先輩の奇妙な協力関係は始まったという事だった。

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