第4話
「それで、今日は何の用です? 一応、先に言っておきますが先輩は三年なんですから入部は流石に無理がありますからね」
「うっ、その事はもういいの! それより、その……村境にあるお地蔵様って確かそこにある事に意味があったんだよね。この前の話だと……」
だてに毎日のようにここへ通って色々と話を聞いている訳ではないのか。
三年の大学入試目前の大事な時期にどうして毎日のようにこんな辺鄙な場所へと顔を出したがるのかは良く分からないが、本当にこの先輩は物好きである。
ただ、最近はその誰かがここへ毎日のように訪れるこの時間が嫌いではなくなっていた。
「道祖神ですか。あれって境界を司っていますからね。――って、なんでいきなりそんな事を聞くんですか? 神籬先輩から質問なんて珍しいですね」
「ちょっと、気になる事があってね。それから、私の事は神籬先輩じゃなくて夕って呼んで欲しいの。あまり、そっちで呼ばれるのは好きじゃないから」
いつもは勝手に部室へと訪れて、お茶のつまみに僕からそういった類の話を聞いているのだが、自分から話を振ってくるとは珍しい。
ただ、質問が質問なだけに思わず、首を傾げてしまう。
村境のお地蔵様の事など、この辺りの地理に相当詳しくなければ知りようがないのだ。
「すいません。それで、夕先輩はどうしてそんな事を僕に聞くんです?」
「ちょっと、気になる事があって……どういう役割だったのかなって」
相変わらず、この人は感情が顔に出る。何かを隠しているのは丸分かりだ。
けれど、僕はその事に敢えて気付かないフリをして、その問いに答えた。
「本当に今日はいつになく真剣ですね。まぁ、諸説はありますけど、先程も言ったように境界にいる魔物でその強大な力をそこに置く事によって悪霊・災難の侵入を防ぐという意味合いがあるそうです。まぁ、大きな要素の一つとしてですけど」
僕の話を聞いた彼女の顔色は一瞬にして青く染まる。何かあったのだろうか?
心配になった僕は彼女に対して、何かを問いかけようとするのだが、喉から出掛かっていた言葉は彼女に届く事はなかった。
何故なら、現実へと帰還したのだ。
「おはよう。いや、おかえりなさいの間違いかしら?」
膝枕をされているようで、僕の顔を覗き込む女性との距離は近い。
だが、そんな事を気にしている余裕は今の僕にはなかった。
頭が混乱し、現状をうまく認識できないのだ。そもそも、神籬先輩と直接会って話したのは今日が最初。いや、それ以前に彼女は志津先輩であり、夢の中の先輩ではない。
双子だったのだろうか? いや、そんな話など聞いた事がない。
けれども、それら全てを僕の頭が否定している。彼女は本当にいた人間だと……。
僕の頭がおかしくなったのだろうか? 妄想と現実の区別が着かない程に。
そんな戸惑う僕に対して、彼女は頬に手を伸ばすとそのまま摘み上げた。
「痛いでしょう。これが現実よ。ただ、貴方の中から零れ落ちていたモノを掬い取ってあるべき形に戻しただけ。神様に感謝しておきなさい。お陰で貴方は大切なモノを本当の意味で失わずに済んだのだから」
頬をつままれた痛みは確かに現実だった。
ならば、なんなのだろう。この違和感。空虚な心は。
まるで、思い出した事の方が偽りで先程までの自分が現実のようなそんな曖昧な感覚だ。
夢か幻か。はたまた、現実なのか――。
ただ、どちらが真実か確かめる術はある。
夢の中の彼女が話していた道祖神。そんな場所にあるなど、聞いた事はないが何故かそこにある事を僕は知っている。つまり、その場所に行ってこの目で確かめる事が出来れば、否応なく答えが見える筈だ。
「貴女が一体、何者なのか。その話は後にしましょう。それよりも、今は確かめなければなりませんから……」
町外れにあると識っている道祖神。
――そこへ行けば、全てが繋がる。何が真実で何が虚構なのか。
そう思い、その女性の膝枕から起き上がろうとするが、細くか弱い腕から出される力とは思えないほどに強力な握力で押さえ付けられてしまう。
「それは明日にしなさい。もう黄昏時よ。ただでさえ、貴方のズレを矯正したばかりなの。そんな状況でこの町を闊歩する良くないモノと巡り合ったら大変よ」
「良くないモノ? 貴女も呪いとか怪異を信じる性質ですか。そんな物がいる筈がない。存在していい筈がないんです。神様なんてこの世界にはいないんですから」
神なんてものはまやかしだ。
何かに頼る為、押し付ける為に人間が作り出した偶像に過ぎない。
だから、呪いや祟り、怪異なんて在る筈がないのだ。道祖神だって、元を正せば信仰の対象になったただの石ころ。それに意味を持たせただけだ。
そんな僕の態度に彼女は深く溜息を吐くと、ゆっくりと口を開いた。
「道祖神は外部から悪しきモノが境界を越えるのを阻んでいる。だから、壊されたらどうなるのか貴方には分かるでしょう? その事を貴方はもう知っている筈よ」
「違う! 呪いじゃない。そんな非科学的なものがある筈がない。妄想なんだ!」
「なら、これを見てもまだ貴方はそんな事が言えるのかしら?」
女性がそう告げた瞬間、まるで先程まで目の前にあった光景が嘘のように彼女の顔が溶けてなくなっていく。そして、そこには真っ黒な闇だけが広がっていた。
まるで影だ。けれども、その影から声が発せられ、僕はその影に押さえ付けられている。
声を出そうにも恐怖と戸惑いから声も出て来ない。
ただ、何度も瞼をパチパチと開いては閉じて、目の前の光景を呆然と眺めるだけだ。
「なんで……顔が……でも、さっきまで……そこにあったのに……」
「これでもまだ、いないなんて言えるのかしら? 分かったら今日は一度、帰りなさい。夜が来ればそれはもう彼らの時間。そうなれば、どうなっても知らないわよ?」
もう日没だ。夏が間近とは言え、日没が過ぎれば一気に暗くなってしまう。
そうなれば、こんな片田舎の町など殆んど闇の中同然だ。
まだ納得した訳ではない。すぐに受け入れられる筈もない。でも、目の前に広がる光景を説明するには存在を認めざるを得ない。
しかし、何故だろう。それがどこか嬉しくも思えるのだ。
砕けた器をようやく、元通りに繋ぎ合せることが出来たかのような感覚。
全てが元通りではないかもしれないが、僕にはそう思えてならない。
何より、前提として神やその類のモノを否定していながら、過程としては肯定していた。そうでなければ、深山さんからの相談など真剣に取り合わなかった筈なのだ。
だが、事実として彼女の話に僕は真剣に耳を傾け、相談に乗っていた。
随分と矛盾した行動であるのに、それに気付けない。これも、彼女の言う『零れ落ちてしまったモノ』だという事なのだろうか?
もしも、そうだとするならばその事実に先の光景以上の気味悪さと恐怖を覚える。
「……分かり、ました。今日のところはこのまま帰らせていただきます……」
「それがいいわ。まだ、何か聞きたい事があるならば町外れに来なさい。いや、そこに来れば大体の事は自ずと察するという間違いかしら?」
色々と整理は出来ていない。いや、すぐに彼女の言葉全てを認めるのは無理だろう。
「そうですか。なら、明日の朝にでも町外れに足を運んでみようと思います」
僕はにこやかにほほ笑むその女性にそう告げると、その場から逃げ出すかのように速足で自宅へと帰っていた。
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