第36話 泉の誘いはあの夏のように
「急いで! 次に来るバスに乗らないと、到着が四十分以上遅くなっちゃうよ!」
先頭を行く真澄が声を上げる。あの頃はいつも俺たちの後ろをついてまわっていたのに、タフになったものだ。
俺たちは走っていた。
真澄の髪留めから発見された最後の希望。そこからセルフリードで情報を得て、約半日が経とうとしている。
俺たちは、地元である湧生市への帰路に身を置いていた。
新幹線では終着駅からの移動で湧生に辿り着くのが翌朝まで不可能であったため、今回は都内から湧生市付近まで直行している夜行バスを利用した。
全員その中で仮眠をとったのだが、硬い椅子に揺れる車内。お世辞にもリラックス出来る空間とはいえなかった。
そこで俺はずっと、そわそわしていたと思う。急げ、急げと心中で何度も繰り返し、妙に温まってやり場に困った足をじたばたさせていた。
どれくらい経っただろうか。窓の外から光が差し込む。うっすらと日が昇ってきたちょうどその時、体を振動させ続けたバスが動きを止めた。
目的地である最寄り駅『
それを降りると、俺たちは一目散に駆け出した。
バスからバスへの乗り継ぎである。
本数の少ないことで有名な湧生市営バスと夜行バスはダイヤの兼ね合いが悪く、そうするしかなかったのである。
それでも市営バスが遠距離通勤者などのためか早朝でも一応運行しているということは、俺たちにとってこれ以上ないくらいの幸運だった。
ふと懐かしい感覚に襲われる。地元に近い土地と、同じメンバー。自然と先頭を行かなくてはという衝動が湧いてくるくらいには、俺はあの頃に戻ってきていた。
「でも、大丈夫なのかな?」
走りながら真澄が俺に問いかける。全く息が上がってないことに驚くが、空手をやっているとか言ってたっけ……。
「はあっ……はあっ……大丈夫って……、っ……何が?」
駅の東口階段を上りながら、俺はハテナをハテナで返す。
「何がじゃねーだろ。覚えてないのかよ、ついこの前にも同じように湧生市に来ただろ」
ああ、そうだ。ここに向かう間ずっと俺をもやもやさせ続けた不安はそれだ。急がなくてはならないが、行きたくない。そう思っていたのはあそこがいかに危険な場所か、一度見て、知っているからだ。
「今度は、同じドジ踏んだりしないからな……見てやがれ」
居鶴が珍しく怒りに満ちた表情を浮かべる。子供っぽく短気な奴だが、こうなったこいつは想像以上に頼りになる。
何せ単純な成績や知識だけで言ったら、こいつの頭は美滝に匹敵するレベルなのだ。
あれ? もしかして、バカ俺だけじゃね?
「何で俺なんかが隊長やってるんだろうな」
思わず思ったことが口から溢れる。だがそれは実際、心の何処かでずっと思っていたことだった。
「頭が良い奴はリスク・リターンの計算で色々躊躇しちゃうからね。引っ張っていくのは飛沫みたいなのが向いてるんだよ」
なるほど!!!
……ん? 何かあまりいいこと言われてない気がしたけど、気のせいだよねっ!
「あっ! もうバス来てる! ほら飛沫、情けないわよ」
今度は西口の階段を下る。そこで俺は、美滝に激を飛ばされた。
「んなこと……言ったってよ……はあっ……半年間家に引きこもってたんだぜ? ヒッキーなめちゃいかん……」
「それをネタに出来るくらいには回復してるようで安心したよ」
ややあって、俺たちはバスに飛び乗る。
湧生市から駅までのバスの利用者はそこそこ多いのだが、その逆をこんな時間から利用する人など皆無だ。駅のバス停はほとんど折り返し地点としての役割だけであり、車内は事実上の貸し切り状態だった。
運転手もこんな時間に駅から湧生市へ乗って行く奴がいることを以外に思ったのか、「朝から元気なこったねー」とぼそりと呟いた。
しばらくしてそれを降りてまた走り、俺たちは目的の森に辿り着いた。
しかし、そこで俺たちは言葉を失った。
「おい、あっち……木がめちゃくちゃ減ってねぇか?」
俺は問う。
「くそっ、あれからまだ少ししか経ってないのに、もうこんなに伐採されてんのかよ!」
居鶴は相当頭にきているのか、地団駄踏みながら悪態をつく。
それでも森の木々は大雑把ではあるがしっかりその形を維持していた。泉が泉なら、この森も普通の森ではないのかもしれない。
「今度こそ、あのときの完全再現だな。行こうぜ!」
居鶴が威勢良く声を上げる。全員が気持ちを引き締め、それが表情にあらわれる。
踏み込んでザクザク進んでいくと、案の定そいつは現れた。
大きな図体に素早い駆動。折れたはずのその腕はまるで自然治癒したかのように元に戻っており、その奇怪な動きは一層
宿敵、ショベルカー。
重機は静かに機械的な音を立てる。まだ俺たちには気づいていない。
「出やがったな……行くぜ!」
居鶴がそいつに向かって駆け出す。
「危ない、居鶴!」
居鶴はそこでリーダーを付けた左腕を地面にかざすとスケボーのデータを出力、華麗に乗りこなしひょいと身を翻しその攻撃をかわした。
「イギリス仕込みさ! 捕まえられるもんならやってみやがれってんだ!」
重機が作った平らな土地を利用し細かく動く。なかなかに上手い。そしてオシャレだ。いやそれはここではどうでもいいけど。
だから、こっち見てキメ顔すんなって。今そこ重要じゃないから。それくらい余裕があるってことなのか。
俺は左手でディスクを握り意識を集中する。解き放たないように、
ディスクの裏面はみるみるうちに色を変え、黒をベースに黄色い光を反射する警戒色となった。
それに少し
「決められたスクリプトで動いてる脳無しなんかに、負けてたまるか! 飛沫!」
居ずるが大きく手招くように腕を振り上げる。
「おうよ!」
その合図で、今度は俺がディスクのデータを放つ。
光りに包まれ、データは空間に形を形成していく。
そして、日本ではめったに見ることのない、獰猛な目をした獣が姿を表した。
陸上最速の哺乳類。
チーターだ。
重機がガタッと短く軋むような音を立てた。
姿を現した超高速動物はその脚力で重機の周辺を走り回る。特に害を及ぼしていないはずのそいつを、重機は追い回し始めた。
「よし、やっぱりか! シンプルだけど、これが一番効率的だ。規定の検索に引っかかる生物を放ってサーチを拡散させる。バカはそいつとでも戯れてやがれ!」
居鶴が敵を挑発するように叫ぶ。恐らく思惑が成功したかどうかという確認も兼ねての行動だろう。重機はその挑発に見向きもしなかった。
チーターはその早さで細かい動きを繰り返し、重機を圧倒する。そしてある程度の距離を確保すると、そこで休息を取る。余裕と風格のある動きだ。カッコイイな。
初めてその速さを実際に目の当たりにしたが、正直驚愕だ。人間と他の生物とではこうも身体の作りが違うのかと驚くばかりである。
こんなのが野生で生息していたら怖くて仕方がないが、今は味方であることを本当に頼もしく思う。
――ことは数週間前に遡る。
* * *
俺たちが以前ここに足を踏み入れたとき、あの重機の周りでタヌキやらウサギやら、いくつかの動物の死体、屍を見た。周りというのは具体的には、羽込が「追ってこなくなる」と宣言したフェンス、その内側だ。
そして昨日のことだ。その情景をを思い出した居鶴はこう言ったのだ。
「僕たちを追ってきたけど、多分、あの重機は知能のある生物ってわけじゃない。決められた処理に従って動くことしか出来ないただの鉄の塊ということそれ自体は、多分僕たちの知ってる乗り物と変わらないと思う」
それには俺も同意見だった。ただ、それを如何に攻略すればいいのかあと一絞りがいかない。
「森の動物たちまで木と一緒に……。ひどいよ……」
真澄は昔から動物が好きだ。小さいものから大きいものまで。ド田舎である湧生では稀に野ウサギなどを森付近で見かけるのだが、その時は「かわいい! かわいい! 捕まえて飼うの!!」と目の色を変えて捕獲器具を考案……おっと誰か来たみたいだ。思い出すだけでもガクガクブルブル。
「木と一緒……じゃ、ない」
珍しく考え込んでいたような居鶴が口を開く。
「え? どういう意味だよ」
「野生動物たちは、侵入者撃退システムに引っかかったんだ。あの重機が持っているのは木を伐採するって機能ともう一つ。近づいた不穏要素、人間に近い生物を潰す機能なんじゃないかな。雑草とかは踏み倒されているだけで、刈られたような跡はなかったし」
「なるほど……。あり得るわ。みんなが
居鶴が分析し、美滝が解を探る。知識量はさることながら、その視野の広さにも感心するばかりだ。
「確証を得るためのもう一押しがほしいところだけど……。重機の規則性も、データの書き換えも、可能性は十分にあると思うの。わたしはそれ以上の案、ちょっと思いつきそうにないかも……」
真澄が少しネガティブながらも肯定する。
「ああ、やってみるしかないな」
俺は頷く。一生懸命ひねり出してくれた打開策を俺が否定する理由はなかった。
「そうとなれば、調達ね」
美滝が腕を組んで片目を閉じる。
「おう、行こうぜ!」
居鶴が大きく声を上げるのを口切に、俺たちは準備に走った。
犠牲を払うのも忍びないし、しばらく逃げてくれないと意味が無いので、夜間バスに乗る前に四人で奮発して地上最も脚が速いとされるネコ科の動物、チーターのディスクを買ったのだ。公的な飼育の許可認定テキストも含め、一応高価ではあるが一般に流通している。
一定時間逃げ回ってもらって、俺たちが回避したら検索外の領域まで逃げてもらおう。
美滝が金持っててよかったぁ。
さすがに今から武器になりそうなディスクを作っている時間はなかったが、開発の際実験に用いたというサンプルディスクとかもいくつか持っていたし、金銭問題はほぼそこで解決していたのだった。
まあそれでも砲台とか爆弾とか超強力な武器が得られたりしなかったのは、まこと残念な限りではあるが。
一応尋ねてはみたのだが、
「そんな危ないもん作ってるわけ無いでしょ」
と、一掃だった。
しかし問題もあった。
大きな不安要素である重機が予想外の動きをしていないか、ある程度見てから動物への指示を知能データとして埋め込む必要がある。したがって誰かが一定時間敵を惹きつける必要があったのだ。
俺としては、出力した動物はある程度使用者の意思に沿った動きをさせることができるというのを、実はここで初めて知ったのだが。
ペットに自分が思うようになついてもらいたいとか、自分に危険が及んでほしくないというユーザーが多いため、隠しパラメーターのような形で実装されているという。
が、俺にそれを操る力など本当にあるのかこれまた不安で、やはりはじめての試みはリスクを伴った。テストをしている時間もないため、これを考慮してもやはり時間を作ってもらわなくては困る。
* * *
その役を居鶴が買って出た、というわけである。
正直かなり心配だったが、居鶴とチーターさんは見事俺の予想の遥か上の働きをしてくれた。ありがたい限りだ。
チーターさんには申し訳ないが、防衛壁となっていたそのショベルカーを一定時間引き付け、上手く俺たちから遠くへ誘導してもらうことに成功した。
俺たちは森のさらに奥へと急いだ。
ここまで来るのは、本当にあのとき以来だった。
不思議と世界と断絶されたような空間に来たような錯覚に陥る。
本当に、本当に、また来たのだ。
時間は刻一刻と進み、太陽と体温はそれに伴いどんどん高さを増していく。
……暑い。
こんな暑い夏の日が、昔にもあった。
どこかもわからない目的地を目指して、歩く。
生い茂る草に足を取られながら進んでいく。
昔と全く同じだ。俺は今この時も、こいつらの先頭に立っている。
それは嬉しくもあるようで、もしかして人間というものはそう変わらないんじゃないかという事を俺に考えさせるものでもあった。
ひたすらに歩く。不思議と皆、道を迷ったりしない。
以前通った道なんてとうに忘れたが、それでも全員が身体に刻まれた感覚の線を正確になぞり続けて、一度だってそこをそれることはなかった。
そして。
俺は、俺たちは
――再びそこに辿り着いた。
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