第37話 いざ、再びの異世界へ

 父は、禁忌を犯していた。

 私がそれを初めて見たのは、小学校六年に上がった春のことだった。

 当時は今と違い春入学が主流で、桜の花びらが美しく空を待っていたのを覚えている。

 母をなくした父は、それでも一人で私のことを養ってくれた。

 家に帰ると、いつも父はいなかった。

 私は父が何の仕事をしているのか、毎日どこに行っているのか、全く知らなかった。

 ある日の事だった。その日は激しい雷雨だったかのせいで、帰宅がいつもより遅れた。

 それでも案の定、父はいなかった。父が帰ってくるのはいつも、私が床に就いた夜中のことだった。

 その日も、そうだった。全部いつも通りだった。

 そう、それは多分父にとっては日常、いつものこと。それを私が知らなかっただけだ。

 ふと夜中に目を覚ますなんて、珍しいことだった。いつも通りじゃないといえば、そこだろう。雨上がりの湿気で、私は気持ちよく寝付くことができていなかったんだと思う。

 やけに喉が渇いていた。冷蔵庫を開けてもそこに飲み物は無く、今朝ミネラルウォーターの最後の一本を飲みきって倉庫から移動しておくのを忘れていたことに気づく。倉庫というのは我が家の地下にあるコンクリートで固められたスペースだ。前々からどうしてそんなものがあるのか少し不思議には思っていたが、特別気にはならなかった。

 倉庫に向かうが、何も見えない。当たり前だ。今は夜だ。

 廊下の明かりをつけようとスイッチへと手を伸ばしたその時。

 キィと何かが開いた音がした。もしかして、泥棒?

 急いで梯子はしごのようなつくりの階段の裏に身を隠す。

 それはたしかに倉庫からの音だった。さっきまで何も見えなかったはずの倉庫に光が差している。窓が開いているのだろうか。

 いや違う。倉庫に窓なんてない!

 そもそもここは地下だし、今は夜だ。どうしたら太陽光のような光が差し込むことがあるだろうか。

 私は恐る恐る光源に近づいた。

 そこにあったのは、見たことのない扉だった。前にも後ろにも空間はない、ただの扉。しかしそこからは確かに光が差している。

 何もないところから扉が現れたのだ!

 そして次の瞬間、私はこれ以上なく驚愕することになる。

 誰かが、そこから出てくる!

 正直、逃げたくなった。でも怖くて、体が動かない。

 しかし、そこから出てきたのはなんと、いつもと違う服装をした父だった。

 私はその時初めて父の仕事を曖昧ながらも、知った。

 一体どこから吹いているのかわからない風が、私の髪を静かに揺らしていた。


 それから数年が経ち、私はある程度父の仕事を察し、父も私に気づかれていることを、多分知っていた。

 中学に上がった頃、父はうちの前を改装し店をオープンした。

 けど、それでも父は最後まで、仕事の詳細を私に告げることはなかった。わたしも尋ねなかった。

 部活にも入り、父と一緒に過ごす時間はどんどん減っていった。

 父がどうやって異世界へ行く手段を得たのかは、今でも分からない。

 でも、世界のバランスを崩壊させるような、間違いなく悪いことをしていたことは確かだ。

 そのせいだと思う。悪いことをしていたから。


 禁忌を犯し、その過労で何処かへ行ってしまった父が、私は嫌いだ。


 * * *


 時刻は午前九時を回ったところだ。

 俺が読み取ったチップ、その中身であるテキストにはこう記してあった。

「世界を回る中で、とある配達人に聞いた話だ。曰く、『お前の住む世界には滅んだ”アカ”の世界の技術を残す不思議な泉がある』と。そしてそれは世界と世界をつなぐゲートになり得るものである、とも。

 聞けば専用の読取り装置を用いてのみ、それは利用できるらしい。結論を述べるなら、その水はある世界の記憶媒体だ。

 私も泉について多くは知らないのだが、世界を回る中で調べ、知り得たことをここに綴る。

 それがいつのことなのか、時期ははっきりとしない。恐らくだが、遥か昔のことだ。

 アカの世界は水にデータを記憶させる技術をはじめとし、あらゆる世界を凌駕する科学技術を持っていたという。一長一短とされる科学の型の中で、その世界のものだけが異端だった。

 その科学の型の中心とされたのが、先にも述べた『水』。その世界はとにかく水を必要とし、いつでもそれを欲した。

 しかし水というのは限られた工業用の資源であることに重ねて、人間が生きる上で必須とする飲料、生活材料などでもある。次第にアカの世界で水は不足し、枯渇していった。

 私たちの世界でいう電気とは少し違うが、資源としてのあり方はそれに似ている。底があると分かっていても、人々は使うのだ。

 そこでアカの世界の政府はある禁忌を犯した。他の世界に行き、目につかないところでこっそり水を汲み上げ持ち帰ろうと考えた。

 それが実際の行動になるまで、おそらく多くの時間は要さなかっただろう。彼らはそれを各世界、各地で行うようになった。

 しかし持ち帰った水にデータを組み込みパッケージングするのは、どうやらコストパフォーマンスが悪い。

 そこで人々は思いついた。現地で水にデータを入れてそれをパッケージングして持ち帰ればいいのではないか、と。

 アカの世界の人々は各世界で、私たちの知り得ない様々なことをした。その泉も汲み上げの対象だったという。つまり、泉自体は私たちの世界に元々あったものなのだ。

 しかしそこで問題が発生した。

 何故か水を貯蔵する装置にエラーが生じ、その泉の水だけ、持ち帰ることが出来なくなったというのだ。

 データを埋め込んだ水。やむを得ずそれ放棄しようとしたが、行っている行為は全世界的にタブーなことだ。これを人の目につくところに残していくことはあらゆるリスクを伴う、あまりに危険な行為だった。

 その世界の民衆は、他の世界の水を利用していることを知らないのに。

 そこで人々は思いついた。こんな誰も来ないような空間、自分たちの技術を用いて断絶、隔離してしまってもいいのではないか、と。アカの世界の技術は、そんなとんでもないことも可能にしていた。

 それゆえに滅んだと、この話を私にした配達人は言った。なぜ今そんなことを話すのか私には分からなかったが、自分の世界にはそんな終わりを迎えてほしくないと切に思う。

 とにかく今はもう、アカの世界の文明は存在しない。そして科学技術の型というのは、不思議と他の世界と重複することはない。つまり現存するアカの世界の技術はもう、魔法のそれだ、とも言い換えられるかもしれない。

 願わくば、せめてあの子が生きる世界は美しいままであることを。悲しい終わりなど、迎えないことを。

 また、これが適切なときに適切な人の手に渡り、誰かの目にこれが触れられること。そして、どうか僅かでもいい。世界の救いになることを祈って――


 P.S. このチップはその配達人から譲り受けたもの、その空き領域にこのテキストを添えたものである。

 このチップは空間の断絶を強制的に再構築するプログラムを内包している。配達人はそう告げていた。真偽は分からないが、適切な再構築のパフォーマンスを発揮するためには、アカの世界の特殊な読み取り装置が必要とのこと。私の手には余る。


 あなたがもしこれを受け取るべくして受け取った人間なら、きっと、私が愛した世界へ繋がる扉は開かれるのだろう。


 苗加送壱そういち


 長い文章を確認し終え、一つ息をつく。

 俺はあの日、何かの拍子にこのチップに手で触れ、断絶された空間を、泉が見たい一心で修正してしまったのだろう。

 だが、それに関しては納得程度の感想しか湧かなかった。それよりも俺は羽込の父親に一言物申したい。

「……違うな」

 扉は開かれるだろう? それは違う。正しくない。今なら分かる。

「セルフリードを使っても扉は現れるだけ。ひとりでに開いてくれたりはしない」

 泉に手を突っ込む。こんな文章を思い返したところで、何も変わることはなかった。魔法のような科学を扱う世界の話にしては、「なんとも世知辛い終わりだな。ちょっと気の毒だな」正直なところ、そう思ったくらいだった。

 覚悟は、とうにできている。

「それを開くのは――自分の……この手だ!」

 フルパワーで力を発動する。

「うおおおおおおおおお!」

 水面が光で輝き、一つ、二つと波紋を作る。それらは互いに重なり合い、小さな振動によって作られた波たちは、夏を象徴する激しい日差しをキラキラと細かく反射する。

 ただただ、眩しかった。

「行くぞ、みんな!」

 こじ開けるようにして、手を引く。重い。今までと違い、とんでもない世界の技術だからだろうか。比にならない負荷が身体にかかっていると分かる。寿命が縮まったりしているのだろうか。どちらにせよ、もとより知らない命の果てだ。縮まってたって気づきやしない。今を生きるためなら、いくらでも使ってやる。

「飛び込めぇえええ!」

 四人が一斉に飛ぶ。こんなわけのわからないこと、正直怖くて仕方がない。

 この先何が起こるか全くわからない。もしかしたら、全く意図しないことが起こってしまうかもしれない。

 でも、一緒なら。それは不思議と高揚感へと変わった。


 俺たちはその青く透った光の中へ吸い込まれていった。

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