第24話 喪失した憧れ

 その噂は、羽込が学校に来なくなって数日が経った頃に流れ始めた。

「ついに苗加さんまで来なくなったらしいぞ」「たしかにここ最近見てないわね」「水瀬さんと一組の朝霧も事故にあったんだよな」「みんな清水と旅行に行ったって奴らじゃん」「うわっ、それってやっぱり……」

 どれも根も葉もない話だが、これはとうとうマズイ状況になった。俺の社会的立ち位置は復旧不可能なものになりつつあったのだ。

 だから俺は無意識のうちに、何の一言もなしに突然学校に来なくなってしまった羽込がこの状況の元凶であるかのように思い込んでしまう。

 違うと分かっていても、脳裏に残る彼女の悲しい顔が、耳に入ってくる喧騒やその中身である噂話と結びついてしまうのだった。

 そんなときだった。ガラガラッという大きな音を立てて開かれる扉。

「おいお前ら、その辺にしとけよ」

 そこに立っていたのは居鶴と、その後ろでオドオドする真澄の二人だった。

「今、僕たちが事故ったのは飛沫のせいだって噂してただろ」

 顔を見合わせ、気まずそうな顔をする男子生徒二人。

 噂をしていたのはそいつらだけではなかったが、復帰した居鶴のこの一言は場を沈黙させるのに十分だった。

「そんなこと、絶対ないからな。な、真澄?」

「う、うん」

 そう言い放つと二人はこちらへ歩み寄ってくる。

 居鶴と俺が「久しぶり」「ああ」と一言挨拶を交わすと、真澄がひょっこりと後ろから飛び出し、なにか聞きたげな表情を見せた。

「しぶくん。苗加さん、なんで学校に来てないの? 何かあったの?」

 その疑問は当然のものだった。俺でさえはっきりと分かっていないのだから、しばらく学校を休んでいた真澄たちが不思議に思うのも当たり前だ。

 ちなみに、羽込は真澄のことを下の名前で呼んでいたのだが、それ以来合っていない真澄はそのことを知らない。

 俺はそのことを教えようとしたのだが、上手く伝える言葉が思いつかなかったのでとりあえず黙っておく。

「わからない……。数日前放課後に少し話したきり、来なくなっちまった」

「そのとき、苗加さんの様子に変わったところとかは?」

 俺は脳裏に焼き付いたその姿をまた思い出してしまう。それは驚くくらい鮮明で、でも色はモノトーンのような映像。

「何も……無かったな」

 ちらと視線を戻すと、二人は複雑そうな表情を浮かべていた。

「しぶくん、昔から嘘つくとき少し声のトーンが下がるの。わかりやすくて便利だから黙ってようかと思ったけど、それも性格悪いかなって」

 マジかよ。早く教えてくれよ。

 精一杯の嘘だった。それでも幼なじみというのはいとも簡単にそれを見抜く。

 というか、昔からって。カミングアウト遅すぎるだろ。十年近く黙ってたんですか? 十分性格悪くない?

「で、何て言ったんだい?」

 居鶴が両眉尻を下げて問うてくる。なだめるような声だ。相談に乗ってやる、ということだろう。

「美滝に……会ってみようかなって。本当、それだけだ。腹を立てているようだったが、どうしてなのか俺にはさっぱり」

 そこまで言って、もう一度二人を見る。すると彼らは驚いたような、青ざめたような顔をして俺を見る。

「しぶくん……何の考えもなしにそんなことを言ったの?」

 真澄が咎めるように聞く。

 いつものムスッとした顔ではなく、睨みを効かせたような表情だ。

「なんだよ真澄まで。みんな何なんだよ」

「そうか、飛沫はまだ知らなかったんだね……」

「だから何を」

「美滝お姉ちゃんが所属しているジオイルの企業秘密を暴こうと潜入した記者、行方不明になってるらしいよ」

「んなっ」

「しかも一人じゃない。開発の裏側を知ろうとするもの全員が、コロッといなくなっちまってるらしい」

「苗加さんが止めるのも当然なの。しぶくんの身の危険を考えたら、その行動はとてもじゃないけど推奨できないよ……。いま美滝お姉ちゃんのところに行ったら何が起こるかわからないわ」

「そんなの……大事件じゃないか。なんで会社は普通に動き続けているんだ。美滝は大丈夫なのか?」

「多分、行方不明になった人たちとの因果関係がうまく揉み消されているんだ。このことも一部週刊誌で取り上げられたくらいで……。美滝姉ちゃんは、そこそこ健康そうな顔でメディアに出てるし、多分大丈夫だとは思うけど……」

「しぶくんはまだよく分かっていないかもしれないけど、リーダーというのは大きく社会を変えた、いいえ、変えつつある重要なファクターなの……。それを唯一開発、生産することが出来る会社となれば、政府はむやみに潰しにかかれない」

「というかもはや、地位としては政府の上を行っているのかもしれないね。情報の開示を要求できていない時点で、権力としてどちらが上なのか何となく察しがつくよ」

「そ……んな……」

 俺は姉がそんな状況に置かれていることさえ知らなかったのか。じゃあ母さんは? 知っていて黙っていたのだろうか。

 俺が今まで美滝に合うのを避けてきた理由は、自分より有能な姉が妬ましく、劣等感を感じていたからだ。

 俺が倦怠期から抜けだしたその日、美滝は研究に明け暮れ困窮状態というような顔をしていた。

 美滝は一言「良かったね。何もしなくて、良かったんだね」と言った。

 その呆然とした姿は、かつての活発な美滝の面影を残していなかった。俺の知らないうちに、姉は変わってしまったのだ。

 何もしなくて、良かった。

 その一言を俺は半年間何もしていなかった自分へのあてつけだと解釈した。俺は美滝に侮蔑されたのだ、と。

 美滝は昔から頭脳明晰だった。頭の回転が早く、だからといって硬いということもなく、世に言う天才型というやつだと俺は思っていた。

 もちろん努力はしている。人間ある問題に対して、全く見たことも聞いたこともない解答を記述することはできない。

 だが、時間がかからない。コストパフォーマンスが違うのだ。

 必要なこと、大事な手順。それらを効率良く自分に取り込んでいく。彼女は何をやらせても、うまかった。

 それから美滝は研究施設に戻り、缶詰状態で研究を続けているらしい。一切の面会の機会すら俺にはなかった。

 そんな美滝が、裏で何かをしている?

 それを聞いた途端、自分の憧れ、輝かしかった姉が汚れていくようで俺は耐えられなくなった。

「やっぱり、行こう」

 自分に力がなかろうと、羽込が反対しようと、行くべきなのだ。

 このままでは、また良くないことが起こる。

 昔から、俺には唯一姉である美滝に勝るものがあった。

 未知の領域へ、一歩目を踏み込むこと。

 度胸である。

 だって俺は、いつだって先頭を行っていたのだ。

 居鶴と真澄、の四人で構成された探検隊の、隊長だったのだから。

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