第23話 擦れ違い
チャイムが鳴る。
その無機質無感情な電子音は今日もまた、いつもと代わり映えのない授業の開始を告げる。
あの一件依頼、俺はセルフリードの使用をそれほど躊躇わなくなった。といっても、やっているのはいくつかの実験くらいのものではあるが。
もちろん私的な目的のための使用はない。
テストでは便利なカンニング道具としても使えるので、それを自制するのに精いっぱいで全く集中できなかった。おかげで赤点を取ってしまった……。
俺は返却された答案用紙を眺めながら、目を背けたくなるくらいの輝かしい赤で記入されたその数字について自分なりに分析と理由付けをする。
「勉強不足で赤点を取りそうになったからディスクに手をのばそうとしてたのでしょう。因果関係がまるで逆じゃない」
はい、そうでした。ごめんなさい。
というか、また思考読まれた?
「ともあれ仕方ないことでもあるわ。あの件で色々疲労も溜まっていただろうし、テスト勉強はさぞ疲れたでしょう。誘ってしまった身としては複雑ね。何よその顔は」
察しの良い羽込に、あっはは……と変な笑いで返してしまったのが失敗だった。
じとーっという目でこちらを見続ける羽込。
「て、テスト勉強なんてさらさらやる気のなかった俺にとっては、言い訳として作用してくれる事柄ができてよかったとかなーとか思ってねーし!」
攻め込まれる前に先手を打ったつもりだったが裏目に出た。
「なるほどね。それで、居鶴くんと真澄ちゃんについてだけど」
スルー、つらい。呆れた顔さえしてくれないのが怖い……。別にマゾヒストじゃないけど、会話のキャッチボール的に「それが本音か!」くらいのツッコミは欲しかった。
しかし、大事な話が始まろうとしていたので、俺は押し寄せる悲しみをぐっと
「昨日、意識を取り戻したらしいわね」
「ああ……」
俺が一番最初にそれを知ったのは、彼らの両親からではなく、居鶴本人からのメールだった。
内容はこうだ。
「おはよう飛沫! 僕も真澄も、気づいたら旅行が終わってて、とても残念に思っているよ! 僕なりに、頑張ったつもりだったんだけどね。全部空回りだったのかも。本当、あの頃と変わらないね。迷惑かけて、ごめん」
その文面からにじみ出る哀愁に、俺は溜息を付くことしかできなかった。
俺は今日この事について羽込に知らせようとしていたのだが、彼女にも別途連絡が行っていたとは意外だった。そもそも連絡先交換してたのかよ。
「あ、そうそう、これ。飛沫くんに渡しておくわ」
「これって、この前こっちに運んできたやつじゃねーか」
見覚えのある小包は、数日前に俺の脳に記憶されたものだった。
その日の、あの出来事の始まりとなった一文を、俺は再び回想する。
『苗加さんの家に行ってください』
美滝が寄越したあのメールの真意は未だ分からずいたものの、あの訪問が俺に与えた影響は大きかった。
まさか一軒家ではなく異世界への訪問になるとは思ってもみなかったわけであるが。
とにもかくにも、俺たちは
羽込曰く、奴らは管轄外に出ることができないらしく扉――羽込は便宜上ワールドゲートとか言っていたが――をくぐり抜け、それを異世界に行くときと逆の手順でディスクと素早く同化。その時点で対応するあちら側の扉も消滅するため、追っ手は打つ手を失うらしかった。
技術の輸出を本気で取り締まるつもりあるのか? まあその辺りは、奴らが本当の警察じゃないって辺りが絡んでるのかもしれないが、俺がそれについて知ることはなかったし、知る必要もないと思った。
そんな一件を経て、幸か不幸かこちらに辿り着いてしまった小包をどういうことか、羽込は俺に引き渡してきたのだ。
「保証書とか入ってるから大切にしなさい」
それはどこに引き渡せば対応してもらえる書類なんですかね。
「何で俺に渡すんだよ? お前が持っててもいいだろ。むしろそっちの方がいいんじゃねーの。いつ狙われるかわからないし、正直怖えんだけど」
当然の疑問ね、と言わんばかりに、羽込は表情を変えることなく淡々と俺の問に応じる。もしかしたら、物事を正確に認識させるためにわざと疑問点のある一言から始めているのかもしれない。
「まあ、保険かしらね」
「保険?」
「今回取り急ぎ配達の依頼を受けたのはね、モノがモノだったからなのよ」
「ん、どういうことだよ」
「実は、購入者が私自身なのよ。従業員は配達したものをどこに売ろうと基本自由なの」
それはそれは変わった会社で。言うなれば自分で注文したピザを自分で配達して自分で食べる感じ? いや、それなら運ぶ手順必要ない気がするけど。
「つまりね私はこれを……いえ、これは別にあなたに言ってどうというわけではないわね。それでは
「よく分からないな」
俺はもう一度小包に目をやる。よく見ると、開封の後のようなものがある気がする。
中身の確認のために羽込が一度開けたのか、はたまた一度使用したのか。目立たないものだから、もしかしたら元からあったのかもしれない。
「とにかく、あなたが持ってた方がいいのよ」
羽込がそう言うなら、そうなのだろう。
俺はこの時点で、無意識に羽込に大きな信頼を置くようになっていたらしい。また、今なら何でもできるとさえ思っていた。だからだろう。
魔が差した。
「美滝に会ったら、何か分かるかな」
深い意味はなかった。うつむき気味で、小声で。ふと口にしたその言葉が地雷だったということに、俺は顔を上げるまで気付かなかった。
「飛沫くん、それは思い上がり過ぎよ」
羽込が怪訝そうな表情を浮かべていた。あなたは分かっていない。そんな顔だ。
「何でだよ? 俺、分かってきた気がするんだよ。この力が備わってしまったっていうことにどういう意味があるのか」
「分かってない。意味なんてない」
「だってよ、狼が小学校を襲ったあの一件。俺たちでどうにかしたじゃねーか。つまりはそういうことじゃ」
「違う。つけあがる前に身を案じなさい。私がどんな思いであなたを……」
俺を? 言い淀んだ羽込は「いえ……」と話を絶った。唇を噛み締め、悲しそうな顔をする。
だが姉と会おうとするという行為と、身を案じろという一言が俺の中ではどうしても結びつかない。
そして俺は羽込その一言に、異様に腹を立ててしまった。家族でも、幼なじみでもないお前に何が分かる。そんな感情がふと、芽生えてしまった。
「ただ姉に……家族に会おうってだけだ。お前には関係ないだろ。そうだな、言う必要だってなかった。忘れてくれ」
突き放すような言い方をしてしまった。大きな後悔が俺を襲う。だが、放ってしまった一言は、別の言葉で上書きする以外で取り消す術はない。
急いで口を開く、が意識に反し喉の付け根あたりでその声は消えていく。どこかで俺は正しい、間違ったことは言っていないと思ってしまっていたのかもしれない。
「あなたがそういう態度を取るなら、私はもうこれ以上は何も言えない。飛沫くんの言う通り、家族に会おうとするのを断つほどの何かを私は持っていない。本当に」
怒号が飛ぶと思った、だから俺は、このあと彼女が発した
「――ごめんなさい」
の一言が、その姿が、ずっと頭に張り付いた。
言い残し羽込は、俺の元を去っていった。待ってくれ。その一言さえ喉の奥で詰まって、情けない表情だけが表面に現れる。言わなきゃいけないと、分かっていたのに。
些細な事だと思っていた。
きっと今の会話は自分が思っているほど深刻なものではなくて、数日後には居鶴も真澄も学校に来て、四人で取り留めのない学校生活を送るのだと。漠然と。
その翌日から、羽込は学校に来なくなった。
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