1-2 躊躇いは生死を分かつと心得よ


 西日に染まる下駄箱から靴を履き替え校舎を出る。

 前任の生徒会との引継ぎに結構時間がかかってしまった。夏も終盤の最近は日が落ちるのが徐々に早くなってきてるのを感じる。

 校門を出たところで、前を歩く生徒に気が付いた。ほったらかしにしていたら伸びてしまったような中途半端な長さの髪を、上の方だけ適当にまとめて後ろの高い所で結んでいる。あの後姿は多分銭形だ。今日はよくよく縁があるらしい。

 向かう方向も同じみたいだ。今日顔見知りになった以上しらばっくれて追い越すわけにも行かないし、ここは気付かなかったフリして少し距離を開けて歩くか。

 そういやこいつ部活はやってないんじゃなかったか? こんな時間まで何をやってたんだ。それに十手も持ってないな。流石に外では仕舞ってるのか、ああそれとも担任に言われたからか……?


 前を歩く銭形をぼんやりと観察しながら歩いていると、銭形が突然立ち止まりこちらを振り返った。

 あまりに唐突な動作に驚き思わずオレも足を止めてしまう。夕日に照らされた奴の眼が真っ直ぐにこちらを射竦めている。


 困惑。動揺。正体の判らない胸騒ぎ。


 それを感じたのも一瞬で、僅かに息を呑んだ隙に銭形が口を開いた。


「お前か」


「あ、ああ、銭形だったのか! いやなんか、いきなり振り返ったもんだからびっくりしたぜ」


 咄嗟に笑顔を繕ってはぐらかすと、銭形は不思議そうに眉をひそめた。


「なんとなく視線を感じたような気がしてな。しかし、そこまで驚く程でもないだろう」


 う……なんか馬鹿にされてる気がする。

 この流れで奴の存在を無視して別々に歩くのはあまりに不自然だ。こうなったら開き直って途中まで一緒に歩いていくしかないか。歩調を合わせつつ、オレは奴との会話を試みる。


「銭形も家がこっちの方なのか? オレんちは大体二十分くらいだけど」


「山ふたつ先だ」


「……………………」


 冗談なのかマジなのか返答が予想外すぎて咄嗟に反応できねぇよ。


「なんでわざわざそんな遠いところからうちの中学まで通ってんだ? 部活や勉強の為じゃないんだろ?」


「家から一番近いからだ」


 山越えしてんじゃねぇのかよ!!


 ……危ねぇあやうく声に出すところだった。やっぱりこいつは訳が分からない。オレと会話をする気が無いのか? 実は嫌われてんのか? さっきからこっちをちらりとも見ないしぶっきらぼうだし、一瞬でも愛想笑いすら浮かべる素振りもない。

 相手のペースが読めない。それはオレにとってやり辛い事この上ない。妙な居辛さと、どこか気持ちが浮き足立つような感覚を覚える。

 そういえば、さっきも似たような感覚があった。こいつが振り返り目が合った瞬間。


 ――まさか……“怯んだ”のか? あいつの視線に、オレが……?


「………………」


「………………」


 互いに無言のまま、ただ歩調だけが進んでいく。

 肌寒さを感じた気がして制服のボタンを閉め直した。

 きっと土手沿いに出て風が冷たくなった所為だ。お粗末な言い訳を考えながら視線はこの空気から逃れようと遠くを彷徨っている。

 対岸で中学年位の小学生達が川岸に設けられた遊び場で遊んでいる。元気なのはいいがもう夕方だ。これからあっという間に日が落ちる。

 ちょっと周りを見渡すと、土手沿いの家のベランダから顔を出す主婦が居た。彼女もどこか心配そうに子供達の方を伺っている。

 丁度良い。あの子供達にちょっと注意を促しに行くか。幸い対岸に渡る橋もすぐ近くだ。


「銭形、オレちょっと寄る所出来たから、ここで」


「そうか」


「ああ。また学校でな」


 あっけないやり取り。

 多分オレはこの場から逃げ出したかった。こいつの傍に居ると自分を保てなくなるような、そんな訳の判らない不安を感じて。

 何故かは判らない。こんな事自分でも初めてだ。

 銭形に背を向けて歩き出そうとしたその時。


「……えっ、あら、ちょっと……あれ……」


 微かに動揺したような声が聞こえた。と思った途端、遠くから水飛沫の音が届く。同時に頭上から悲鳴が上がった。


「誰か! ……大変っ……子供が……!」


 銭形とオレは同時に同じ方向へと振り返っていた。

 川岸の遊び場に設けられた安全柵より先は、水深の深いごく通常の川が流れている。それを知らずに乗り越えたのか、それともふざけてよじ登ったのか、一人の子供が足の届かない川の中に放り出されていた。それも明らかに尋常の様子じゃない。


「溺れてる……!!」


 すかさず主婦の方を見上げ、大声で呼びかける。


「救急に電話を! 人を呼んで下さい!」


 急いで周囲を確認する。オレと銭形以外、他に人はいない。人気の無い工事現場。助けを呼べる店は近くに無い。先程の主婦が部屋の中に転がり込む、対岸の小学生達の叫び声が聞こえる。

 どうする――人を呼びに走るか――いや、その間に何かあったら――……

 短い思案の後、オレは銭形を振り返った。


「銭形! そこの工事現場からロープを持ってきてくれ!」


「他を当たれ」


 この間に銭形はいち早く制服の上着を脱ぎ捨てていた。直接川に飛び込む気だ。


「待て、まだ行くな!」


「邪魔をするなっ!」


 引き止めたオレの手を振りほどき逆に掴みかかってくる銭形。

 そうか。

 今、こいつの目を見て気が付いた。

 こいつは自分の中に信念を持っている。どんな状況でも真っ直ぐに自分の正しいと思う方向を見ている。迷わず突き進んでいける。そんな奴なんだ。


「助ける方法が一つでも多くあるなら全ての可能性を試すべきだろうが!!」


 だからたとえ結果として自分に危険が及んでも、この時行動した事を後悔はしないんだろう。

 でも。

 それならオレも、自分の考えに同じだけの確信がある――!


 相手の刺すような視線を真っ向から見つめ返し、逸る気持ちを無理やり押さえつけ、あえて冷静な口調をつくり銭形に訴えかける。


「オレはお前の運動能力を信頼している。だから」


 だから。頼む。


「――お前もオレを信用して欲しい。お前の力が必要なんだ」


「…………」


 銭形は何かを探るような目つきになったが、逡巡は一瞬だった。次の瞬間舌打ちを残して工事現場へと踵を返していた。

 オレも目まぐるしく頭を働かせながら土手を駆け下りる。駆け下りながら対岸の子供達に向かって叫ぶ。


「川から離れろ!! 無理に近付くな!! 今助けに行くぞ!!」


 溺れた子供は徐々に流され川の中程――最も深みのある所まで来ている。

 ノートを放り出したスポーツバッグに二人分の制服の上着をぎゅうぎゅうに詰め込んだ頃、ロープを取りに行った銭形が驚異的な速さで追いついてきた。

 疑問を口にする間も与えず手からロープをひったくると端を持ち手に結びつけ、バッグを銭形に押し付ける。


「飛び込め!!」


 ここに来てオレのやろうとしている事に思い当たったらしい銭形は、その瞬間えらく頼もしい野生的な笑みをその顔に浮かべた。


「任せておけッ!!」


 言った時には川面に水飛沫が上がっている。

 救助の際最も注意しなければならない事。それは、救助するべき人間に逆に水の中に引きずり込まれる危険性があるという事だ。

 彼等は死に物狂いで上へ上へと逃れたがる。溺れる恐怖により冷静な判断が失われ、必死に無理な体勢で取り縋ろうとする。最悪の場合、助けに行った人間も溺れる事態になりかねない。

 だからこそ銭形を一人で行かせる事は出来なかった。勢いに任せた身一つでの救助はあまりに危険が多過ぎる。

 銭形はバッグという重荷をものともせずにぐいぐいと子供との差を詰めていく。あっという間に辿り着くと、沈みかかる子供の体を引っ張って浮き輪代わりのバッグを掴ませた。錯乱しもがいて暴れる子供に根気強く呼び掛け、落ち着かせようとしている。

 こうしてはいられない。こちらもロープを川辺の木に掛け、二人を引き寄せる準備を始める。

 銭形からの合図を受けロープを思い切り引っ張った。摩擦で掌が熱くなる。滑らないよう腕に巻きつけ、木の幹に片足を掛け更に引き寄せる。

 思うように捗らない、こんな事でもたついている場合じゃないのに。


 歯軋りの隙間から舌打ちが漏れる。ロープが固く重い。いや、そうじゃない。手が震えている。力が入らない。二人分の命の重みが、圧し掛かってくるようで…………


 そう思った時、突然ロープが軽くなった。


「大丈夫か! 今引き上げるぞ!」


「皆でロープを引くんだ!」


 異変を知って駆けつけた近所の住人達が一斉にロープを引き寄せだす。

 水面に浮かぶバッグを抱え込む子供と、それを下から支えるようにしてロープに掴まる銭形が岸辺に近付いてくる。二人を力付け励ます声があちこちから上がる。

 そして、子供と銭形が無事に岸に辿り着いた。

 周りで歓声が上がる中で、オレは一気に緊張が解けてその場に座り込んでいた。今になってバクバクと激しい心臓の音が耳に届いてくる。全身から汗が流れ出て、泳いでもいないのにシャツがびしょ濡れだ。

 子供は大人達にあやされる中大泣きしていた。心配には違いないが、あの分なら多分大事になる事はないだろう。

 銭形も一息ついて水が滴る前髪を掻き揚げている。オレより余程体を使って危険の伴う行動をしたのに、平気な顔でその場に立ったままだ。


 そうだ。あの時。銭形と真っ向から見つめ合った時、やっと判ったんだ。

 オレはアイツの様に常に自分の思うままに行動する事なんて出来ない。坂本悠馬という姿の中に本音を隠して生活している。

 だからこそアイツの目に、言葉に、動揺したんだ。オレの持っていない"自分”という芯を――中身を持った銭形に。

 でもあの瞬間、助けなきゃいけないと思ったあの瞬間は、オレは確かに自分の身体、自分の言葉で動いていた。誰かのイメージによって作り上げられた坂本悠馬なんかじゃない、そんなものどこかに置き忘れて飛び出していた。


「……はは…っ……」



 ――お前もオレを信用して欲しい――



 ――お前の力が必要なんだ――



 全く、つくづくキャラじゃない事を口走っちまったもんだ。お互いの事をほとんど知らないような相手に向かってあんな根拠のない主張をするなんて、本当オレらしくもない。

 もしかしたら、少しだけ影響されていたのかもしれない。あの変人銭形に。

 周囲の大人も銭形を囲み、手放しで褒め称えている。当然だ。誰がどう見てもアイツが最大の功労者だ。

 あの銭形もこの状況にはやや困った様子で狼狽えているのがなんだか可笑しい。


「い、いや待て。これは別に俺だけの力では……」


 そう言いながらこちらに視線を向ける銭形を見つめ返しながら、オレはそっと口元に人差し指を立てた。


「………………?」


 訳は判らないながらも言いたい事は伝わったようで、オレの名前を出さずにいてくれる銭形。喜びと安堵と絶賛の声の入り混じる中、救急車のサイレンが夕闇の中から微かに響いた。



===


次回、小癪な正義気取りは誅するべし!

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