その3

 一方、鈴花と芽衣の二人は纏から渡されたメモを頼りに、ターゲットが勤務する会社の近くを訪れていた。


「確かここら辺のはずですね」


 鈴花は、所内の服装とはまるで違い、ファッション雑誌の読者モデルに居そうな華やかな装いだった。その姿を芽衣がまじまじと見つめる。


「鈴花さんって、服装違うだけで印象がガラッと変わってしまうから、怖いです」

「それは、一応褒めていると捉えていいのかしら? さすがにあの格好は所内のあの人の前だからするだけであって、他の人の前ではあんな姿見せられませんよ」


 鈴花はそう言って、恥ずかしそうに頬を赤らめた。


「あー。怜さんにゾッコンLOVEですもんねー」


 その言葉に、さらに顔を真っ赤にする鈴花。芽衣はその姿を見てニヤニヤする。


「芽衣さん、からかわないで下さい! 怒りますよ。そんなことより、そろそろ調査を……」


 鈴花たちがターゲットの働いている、食品卸会社の社内へ乗り込もうとすると、ガードマンのような風貌をした男たちに取り囲まれた。


「ちょっと君たち、裏まで来てもらえるかな?」

「おじさん達何か用なの? 私たち忙しいんだけど?」


 ガードマン風の男たちは芽衣と鈴花の手首を強く掴み、社内の裏へ向けて引っ張って誘導する。ガードマンたちの握る力があまりにも強すぎて、二人の表情が歪む。


「いっ。痛いです、離してください。私たちが何をしたっていうのですか?」

「社内を嗅ぎまわる不審者とはお前らのことだろ?」

「は? そんなの言いがかりだ! 濡れ衣だぞ」


 芽衣の言葉に耳を貸そうともせず、ガードマン風の男たちは人の気配のない裏へ連れ込んだ。


「私たちは決して社内のスパイ行為をしているわけではありません。依頼人に頼まれて、調査を行っているだけです」


 鈴花の言葉を聞くや否や、ガードマン風の男たちは同時に変装を解いた。


「お前ら、偽者だったんだな。どうしてこんなことをやるんだ」

「ご名答。こっちも依頼されて君たちの邪魔をするように言われているのだよ。悪く思わないでくれ」


 男たちはロープと布を取り出してニタァと歪な笑みを浮かべた。


「そう簡単にお縄に着くと思ってるの? 私たちワーストを嘗めんなよっ!」


 芽衣はそういって、男たちに向かって体当たりをした。あまりの出来事に男たちはバランスを崩し、尻餅をついた。

 その隙に芽衣は鈴花の手を握って、男たちの隙間をかき分けて走り出した。男たちも懲りずに後を追ってくる。

 後を追ってくる男たちを見て、芽衣が舌打ちをした。


「懲りない連中だなぁ。鈴花さん、アイツらやっつけちゃっていい?」

「駄目です。あの人たちも私たちと同じように依頼に従っている訳であって、一般人ですよ。危害を加えちゃいけませんよ。それにしてもしつこいですね、あの人たち」


 追いつかれる様子は今のところ無いが、捕まるのは時間の問題だった。


「君たちこっち!」

「ふぁ!」

「きゃっ!」


 曲がり角を曲がった瞬間、芽衣と鈴花はいきなり、細い路地へと引き込まれて軽く悲鳴を上げた。逆光で引き込んだ相手の姿が良く分からない。


「一体、だr……もごっ」


 芽衣は大声を出そうと思ったが、誰かに口を塞がれ、発声を封じられた。


「しーっ、静かに。気づかれてしまう」


 ちょうどその時、路地の出口では例の男たちが「どこだ、出てこい!」と叫ぶ声が聞こえた。しばらくすると、男たちの声はどんどん遠くなっていった。


「やっと撒いたみたいだね。とりあえず、無事でよかった」


 芽衣の口を塞いでいた手を離す。芽衣が目を凝らすと、怜の姿がそこにあった。


「なーんだ。誰かと思ったら怜さんじゃん。こんな所で何やってるの?」

「ん~? 単独行動の真っ最中だったのだけど、ちょうど君たちが変な男に連れて行かれているところを目撃しちゃった訳さ。芽衣たちなら、あの男たちの手から逃れられると踏んで、ここで君たちを待ち伏せしていたのさ」


 怜はそう言ってドヤ顔をする。芽衣が素っ気無い素振りで「あっそ」と呟きながら、鈴花のほうを見ると、顔を真っ赤にしている鈴花の姿が見えた。


「あ、あのっ。助けてくださり、ありがとうございます!」


 くねくね身を捩じらせながらお礼をいう鈴花に、怜が近づいていく。


「鈴花にもしものことがあったら大変だからね。怪我がなくてよかったよ」


 鈴花の頬に怜の手がそっと触れた。それにより、鈴花の頬がさらに熱くなっていく。


「鈴花、どうしたの!? 熱でもあるのかい?」


 その様子を冷めたような目で見つめる芽衣。


「怜さんって、やっぱ策士ですね。元の仕事の影響ですか?」

「なんのことかにゃー? 俺は健全なる一般市民にゃのだよー」


 そんな時、怜のズボンからアラームが鳴り響いた。怜がポケットから携帯端末を取り出すと、発信者に助手と書かれており、纏からの着信だということが分かった。


「はいはーい。助手くん、何かあったのかい?」

「先生! 大変なんです!」


 電話先の纏の声はテンパっているらしく、怜の耳がキーンとするくらいの声量で声を張り上げている様子だった。怜が纏に深呼吸をして、声のトーンを落とすように促す。


「落ち着いた? もしかして妨害でもされたのかい?」

「落ち着きました……、ってか、なんで先生がそのことを知っているのですか!」

「やっぱりそっちの方にも妨害が入ってきたか……、芽衣たちのところにも先ほど妨害が入っていたし、彼らの依頼人は用心深いんねぇ。そんなにも不倫に見させたいのかねぇ?」


 怜の放った一言に、話を聴いていた芽衣と鈴花が驚愕する。一方、電話越しでも纏の驚く声が聞こえる。


「先生、それって一体どういうことですか!」


 纏は声を再び張り上げたので、怜は耳を携帯端末から遠ざけた。


「それはね……」


 説明しようとした時、割り込み通信の発信音が鳴った。


「急ぐようなことではないし、それは探偵社で話すとするよ。空音から着信が入ったら切るよ?」


 怜は纏からの電話を切り、空音の通話を始める。


「俺が言っていたもの見つかったー?」

「……」


 電話先の空音は始終無言だった。怜がおーいと呼びかけるも反応しない。


「あれれ、空音くん? 納得のいかない答えなのは分かるのだけどさ、上司に一応報告してくれると嬉しいなぁー」

「コレ、僕が調べなくても怜さんなら分かっていたんじゃないの?」


 ようやく口を開いた空音の声は少し怒っている様に聴こえる。


「いやいや、空音くんのご尽力で辿りついたハズなので、そこは自信を持ってお答え下さい。お願いします」


 空音には見えないのに、電話をしながらペコペコとお辞儀をする怜。その姿を見て、芽衣が呼吸困難になるほど大爆笑をしている。


「向こうから煩い芽衣の声まで聞こえてるけど、今何処にいるの? まぁ、そんなことはいいか。調べた結果は怜さんの言うとおりだよ。コレは浮気じゃない。でっち上げられたモノだ」

「その言葉を聞いて確信が持てたよ。ありがとう。これから探偵社に戻るから詳しい話はそこでよろしくねー」


 怜はそう言って通話を切った。そして、路地の出入り口をキョロキョロと見回して、またあの男たちが居ないことを確認する。


「さっ、男たちは何処かへ行ってしまったみたいだし、探偵社に帰って報告書を書きますかね?」

「ちゃんと説明してくれるんでしょうねぇ?」


 そういう芽衣の表情が疑うような目つきだった。その怖い視線に怜は自然と目を逸らす。


「も、もっちろーん。とりあえず、探偵社に帰ろう。助手にもメールを送ってっと」


 助手に探偵社に集合とメッセージを送った怜は、芽衣と鈴花とともに、探偵社の方向へと戻っていった。


***


 それから数日経って、依頼結果を聞きに依頼人がやって来た。前と同じ様に応接間のソファに通された依頼人の前に満面のニコニコ笑顔で登場してきた、所長代理の怜。

 その表情に、何を意味するのか全く検討のつかない女性は困惑の色を示した。


「何か分かったんですか?」


 恐る恐る聞く依頼人の前に、ドーンと纏が結果報告書がファイリングされたファイルが置かれた。怜はそのファイルの一ページ目を開く。


 そこには、【浮気の事実はなく、浮気はでっち上げられたモノ】という文章がデカデカと書かれていた。


「こっ、これは!?」

「見ての通りです。旦那さんは浮気なんてしていませんでした。私たちがこの目で見た訳ではないですが、旦那さんは完全なシロです。ご安心してください」

「見たわけじゃないってどういう意味ですか? それなのに確証が持てると」


 怜はその言葉を聞き、さらにページを捲った。そこには、纏たちを襲った黒服の男たちと、芽衣たちを襲ったガードマン風の男たちをとらえた盗撮写真が添付されていた。


「私たちの調査を妨害してきた人物たちです。こちらの文章もお読みになってください」


 その横には注釈で彼らの所属会社と依頼人の名前が書かれており、その依頼人の名前を見て、女性は吃驚する。


「この名前って……」

「隣に住んでいる奥さんのお名前で間違いないですね?」

「はい、間違いありません。でも、一体何故」

「最近、隣とトラブルになったことはありませんか?」


 そう言われ、依頼人は暫し考える。どうやら、思い当たる節があるらしい。


「数ヶ月前に隣の奥さんが主催するお茶会があったのですが、その日は旦那と一緒に旅行に行く予定があって。それでお断りしたのですけど、思い当たるとしたら、その事かもしれません」

「なるほど。どうやら隣の奥さんは夫婦関係が上手くいっておらず、離婚目前だったみたいですよ。もしかすると貴女たち夫婦が羨ましかったのかもしれませんね。そして、浮気をでっち上げて、貴女たちの家庭を崩壊させたかったのでしょう」


 怜はそう言って報告書を静かに閉じて、依頼人に差し出した。


「判断は貴女に任せます。訴えるのも無視するのも自由です」

「ありがとうございます。でも、なんで浮気なんてしていないのに、あの人ははぐらかすような真似をしたのでしょうか?」


 怜が「あー、それは」と続けようと思ったが、言葉を飲み込む。


「その答えは自ずと分かりますよ。報告は以上です。今回は当ワースト探偵社をご利用いただき感謝します」


***


「結局、旦那さんは誰と会っていたのでしょう? 何処かで見たことあるような気もするのですが」


 依頼人が帰った後の応接間。纏がどっしりとソファに腰掛けて、疑問点を呟く。


「それは、依頼人の妹さんだよ。それなら似ているという点も頷けるだろ? で、目的は依頼人の花里さんの誕生日プレゼントを買いに行くことだ」

「あー! だから見たことある顔だったのか。スッキリしましたよ先生! さすが、先生です」


 纏は何処かワザとらしい声で怜を褒め称えた。


「ホントは……分かっている癖に……」


 怜が何かボソッと呟いた気がして、纏が何か言いました?と訊ねる。

 その表情は明るい表情の纏には似つかわしくないくらいの無表情。


「いんや、独り言」

「そうですか? ならいいんですけど」


 そういう纏の表情は元に戻っていた。


 こうして、今回の探偵社への依頼は幕を閉じたのであった。

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