遠い日の二人②─高2・夏…君への想い─
ジメジメとした梅雨がようやく終わる頃。
1学期の期末テストを終え、生徒たちの間では夏休みへの期待と共に、解放感が漂っていた。
その日の放課後、レナは写真部の活動のため、理科室に足を運んだ。
今日は新入部員を紹介するとメールが届いていた。
レナが他の部員たちと並んで座っていると、見覚えのある男子生徒がニコリとレナに笑い掛けた。
「高梨先輩、お久しぶりです!」
「あ…水野くん…。」
写真部のいつものメンバーに囲まれ、いつもと違うメンバーがひとり…。
レナの中学時代の吹奏楽部の後輩、水野孝の姿があった。
「新入部員って、水野くんなの?」
「ハイ。よろしくお願いします。」
水野は、人懐っこい笑顔でレナを見た。
「うん…よろしくね。」
やがてメンバーが全員揃い、倉沢がやって来ると、ミーティングが始まった。
夏休みに、写真部で撮影旅行に行く計画だった。
倉沢の実家が営む民宿に1泊し、海辺の町で撮影するらしい。
旅行の日程などが書かれたプリントが配られ、メンバーたちはウキウキした様子で楽しげに相談をしている。
(旅行かぁ…。)
写真部にも少しずつ慣れてはきたものの、人見知りのレナは気心の知れたマユやユウがいない旅行に、少し気後れしてしまう。
「楽しみですね。」
レナの隣に座っていた水野が、レナに声を掛けた。
「あ…うん…。」
「高梨先輩と一緒に旅行に行けるなんて嬉しいです!!本当に楽しみだなぁ。」
「え…。」
どう答えていいかわからず、言葉が出てこないレナに、水野は嬉しそうに笑った。
軽音部の活動する第2音楽室では、それぞれがパートの練習をしたり、雑談をしたりしている。
「もうすぐ夏休みだなー。」
シンヤがドラムのスティックを指でクルクル回しながら呟いた。
「うん。何か予定ある?」
「さぁなー。今のところ何もねぇよ。ユウは?どっか行くのか?」
「特にないけど…。」
ユウがギターの弦を無造作に弾きながら答える。
「彼女とかいるヤツは楽しいんだろうなー。ユウは、レナちゃん誘って花火大会とか祭とか海とか、行ったりすんだろ?」
「…何も予定ないけど。」
「行けばいいじゃん。これから誘えば?」
「そうだなー…。」
「じゃあさ、一緒に行こうぜ!!」
「え?」
「オレとユウと、レナちゃんと…マユっち誘ってさ、…海とか!!」
(…海か…。)
「ダメ。」
「なんで?いーじゃん。レナちゃんの水着姿、見たいだろ?」
(そりゃ見たいけど…他のヤツには見せたくないな…。)
「ダメだって。レナ、肌弱いから、日焼けとかすると大変なことになるから。」
ユウが理由を付けて却下すると、シンヤはいたずらな笑みを浮かべた。
「本当かぁ?レナちゃんの水着姿、オレに見せたくないだけじゃないのかぁ?」
(当たってるけど…レナが日焼けに弱いのは本当だし。)
「そんなんじゃないって。」
「じゃあ、ユウは夏休みはいつもどんなふうに過ごしてる?」
シンヤに聞かれ、ユウは去年までの夏休みを振り返る。
「別に、いつもとたいして変わんないよ。レナがオレの家に来たり、オレがレナの家に行ったりはするけど…。」
「親とかいんの?」
「いや、うちもレナん家も母親が仕事で忙しいからほとんどいない。お互い一人っ子だし、父親もいないから。」
「そうなの?」
「うん。」
シンヤはニヤニヤ笑ってユウの脇腹をつつく。
「なんだよ。」
「二人きりで何すんだよー。」
「何って…。普通に勉強したり、本読んだり、話したり…一緒に飯食ったりするよ、二人で料理したりとかして。」
「それだけ?」
「他に何すんだよ。ああ、たまにかき氷とかしたりもするかな。」
当たり前のように答えるユウに、シンヤはため息をつく。
「そうじゃなくって!!」
「そうじゃなくって…何?」
「二人っきりでいて、本当に何もねぇの?」
シンヤにそう聞かれて、やっと意味がわかるとユウは驚いて大声を上げる。
「ええっ?!何言ってんだよ、何もねぇよ!!」
「本当かぁ?だって、二人っきりだぞ?」
「だから!!そう言うんじゃないから!!」
「ふうん…。健全だねぇ。」
「当たり前だろ!!」
「イヤー、オレとしては、むしろ不健全な気がするけどなぁ…。オレだったら、好きな女の子と二人っきりで部屋ん中にいて、何もしないなんて考えられない。」
「…シンちゃんだけだろ、それ。」
「そうかぁ?」
シンヤは小声でユウに耳打ちする。
「ユウだって男だろ?レナちゃんと二人っきりの時に、キスしたいとか裸が見たいとか触りたいとか、たまには思うんじゃないの?」
シンヤの言葉に、ユウは真っ赤になって絶句する。
「…オレ、練習に戻る…。」
ギターを手に立ち上がりシンヤから離れると、ユウはまだ少し赤い顔をしたまま練習を始めた。
(思わないわけないじゃん…。レナが笑うとかわいいと思うし、抱きしめたいとか、キスしたいとか…思うけど…。)
ふと、ギターの弦を弾く手を止めて、ユウは思う。
(そんな事したら…もう…いつもみたいに、一緒にはいられなくなるかも知れない…。)
結局、なんの予定もないまま夏休みに入った。
ユウはバンドの練習に出掛けたり、たまに友達の家に遊びに行ったりはしたが、レナとは特に約束もないまま、いつものようにお互いの家を行き来しては、一緒に宿題をしたり、本を読んだり、ギターを弾いたりして過ごしていた。
夏休み前のシンヤとの会話が時々脳裏を掠めるものの、できるだけ意識しないよう普段通りの自分を装っていた。
その日も二人は、ユウの部屋で一緒に宿題をした後、特に何をするでもなく、いつものように寛いでいた。
「あ、そうだ。」
音楽雑誌をめくっていたレナが、ページをめくる手を止めて顔を上げた。
「ん?」
「私、来週、写真部の撮影旅行に行くの。先生の実家が民宿やってて、そこに1泊するんだって。」
「そうなの?」
「うん。」
部活の旅行と聞いて、ユウは少し不安になる。
(男の部員もいんだろ…大丈夫か?)
「写真部ってどんな人がいるの?」
ユウは、さりげなく探りを入れる。
「部長は3年の女子だよ。3年生は男子が二人と、女子は部長だけ。2年生は私ひとりだけで、1年生は女子が2人と男子が3人。」
レナが指折り数えながら答える。
(男けっこういんじゃんか!!)
レナに何かあったらどうしようと、ユウは途端に不安になる。
「そう言えば…夏休み前に、1年生の男子が入部したんだけど、中学の吹奏楽部の後輩の水野くんだった。」
「えっ…水野って…。」
その名前を聞いて、ユウはまた不安になる。
レナはまったく気付いていないようだが、中学の頃、水野がレナに好意を寄せていたことはユウも知っていた。
それくらい、分かりやすく水野はレナに積極的だったのだ。
(本当に大丈夫かよ…。かと言って、オレがついていく訳にもいかないし…。)
「レナ、気を付けろよ。」
ユウの口から、思わず不安な気持ちがこぼれ出す。
「ん?何に?」
「いや…知らない人とかヘンなヤツに連れて行かれないように…とか、まぁ、いろいろ。」
「大丈夫だよ。私、子供じゃないよ?それに、みんないるし。先生もいるし。」
「…そうなんだけど…。」
(子供じゃないから不安なんだよ…。ってか、先生も男だし!!)
ユウの不安に全然気付いていないレナは、不思議そうにユウを見ていた。
「あっ…。」
窓の外に目を向けたレナが小さく声を上げる。
「どうした?」
「雨、降りそうだから、洗濯物取り込んでくるね。」
「あっ、ホントだ。オレも取り込んどかないと。」
二人がそれぞれ洗濯物を取り込み、再びユウの部屋へ戻って来る頃には、大粒の雨が窓を叩きつけていた。
「あぶなかったな。」
「間に合って良かったね。」
ユウがキッチンで冷たいカフェオレを作り部屋に戻って来ると、先程より雨足が強まっていた。
「すごい雨…。」
レナが不安そうに呟く。
(レナ、雷苦手だもんな…。)
ほどなくして、レナの不安は的中。
真っ黒に雨雲の垂れ込める空には稲妻が走り、ゴロゴロと轟く雷鳴がどんどん近付いて、次第にその音が大きくなる。
レナはギュッと口を結び、手を握りしめ、肩を小さく震わせている。
ひとりの時は部屋で布団に潜り込み、耳をふさいで雷が過ぎ去るのを待っていると言う。
(可哀想に…。めっちゃ怖がってる…。)
ユウは、レナに頭からすっぽりとブランケットを被せてやると、すぐ隣に座り、その背中をトントンと優しく叩いてやる。
レナは、ブランケットの中で膝を抱えて小さく震えていた。
バリバリバリ…と、先程よりひときわ大きな雷鳴が部屋に響き渡る。
「きゃぁっ…。」
ブランケットの中で、レナが小さな叫び声を上げた。
「レナ…大丈夫だよ。」
心細そうに震えているレナの華奢なその肩を、ユウはブランケット越しにギュッと抱きしめ、頭を撫でた。
「大丈夫…オレがいるから…。」
ユウが優しく言うと、レナが小さくうなずくのがわかった。
ブランケット越しとは言え、今、自分の腕の中には、レナがいる。
(オレ…今、レナを抱きしめてる…。)
怯えるレナが可哀想で、でも、たまらなく愛しくて、ユウは思わずレナを抱きしめていた。
ドキドキとうるさく高鳴る胸の鼓動が、レナに聞こえてしまうのではないかと不安になりながらも、ユウは、今、この腕でレナを抱きしめ守っていることに幸せを感じていた。
雷が通り過ぎるまで…もう少しだけ、このままで…。
(レナ…好きだ…。)
ユウは心の中で呟くと、レナにはわからないよう、ブランケット越しのレナの頭に、そっと口づけた。
(いつか…ちゃんとレナを抱きしめられるようになれたらな…。)
レナを抱きしめながら、“誰にもレナを渡したくない”と言う強い想いが湧き上がるのを、ユウは感じていた。
レナが写真部の撮影旅行に行った日。
ユウは一人、部屋の中でぼんやりとギターの弦を弾いていた。
秋の文化祭で演奏する新しい曲を作ろうと思っていたのだが…。
どうしても、レナの事が気になって、手が止まってしまう。
(ダメだ…。オレ…重症かも…。)
レナは昔から極度の人見知りで、感情をあまり表に出さない。
アメリカで生まれ、まだ物心がつく前に父親の両親のいる日本に家族で移り住んだが、何年も経たないうちに事故で父親を亡くした。
ユウも幼かったので、レナの父親の記憶はほとんどないが、レナたち家族が隣に越して来る前から父親がいなかったユウのことを、よく可愛がってくれたことは微かに覚えている。
思えば、父親がまだ生きていた頃の小さなレナは、今よりもよく笑っていた気がする。
(あれからかなー…レナが泣いたり笑ったりしなくなって…レナに笑ってほしくて、オレ…必死だった…。)
背が高く茶色い髪の毛と日本人離れした顔立ちのため、よくからかわれて意地悪を言われていたが、レナは泣いたり怒ったりしなかった。
ただ、少し哀しげな目をして黙ってたたずんでいた。
レナが誰かにいじめられていると、ユウは必ずいじめっ子からレナを守った。
いつしか、レナはユウにだけは笑ってくれるようになっていった。
小さい頃の記憶からか、レナはあまり人と関わるのが得意ではなかったが、小学校4年生の時に、正義感が強く裏表のないマユと親しくなってから、レナは少しずつ周りの同級生たちとも関われるようになっていった。
いつもそばでレナを守り、優しく頭を撫でるユウの様子を、“過保護な父親みたい”とマユに言われたのをふと思い出して、ユウは苦笑いする。
(父親かぁ…。レナもそう思ってんのかな…。レナは…オレのこと、どう思ってんだろ…。)
レナは、他人の恋愛感情にも、自分の恋愛感情にも疎い。
レナはいつも、誰に告白されても、“恋の定義がわからない”と言って相手の想いを受け止めようとはしない。
そしてきっと、自分の恋愛感情も、受け入れない。
中学の時に仲の良かった友人同士が、いつの間にか恋人同士になったのだが…勝手に盛り上がるだけ盛り上がっておいて、些細なことでケンカ別れしてしまった。
周りを巻き込んで大騒ぎしておきながら、気がつけば二人とも新しい恋人がいたりして、呆れ果てた覚えがある。
その時レナが初めて“恋の定義がわからない”と言った。
中学時代と言えば、異性の事が気になってしょうがない時期だ。
誰かに告白されたら、よほど嫌いでない限りは付き合ってみたり、そうなると割と簡単に一線を越えてしまうのに、これまた簡単に別れて、気がつけばまた別の人と付き合っていたりする。
友人同士の時には当たり前のように一緒にいて笑っていたのに、恋愛感情が絡むと途端に脆くなってしまう男女の友情。
何も言わないけど、ユウは出来るだけそれに気付かないふりをしてきた。
ユウが一人胸の内に押し込めてきた感情を、レナに拒絶されて一緒にいられなくなることが、ユウにとっては何よりも怖かった。
(情けないな…。自分がものすごく臆病だってわかってる…。)
それでも、レナと一緒にいたい。
レナの安心しきった笑顔や、楽しそうに料理をする横顔、雷に怯えて震える姿も、自分だけが知っていたい。
レナを守るのは、いつも、ずっと、自分であり続けたい。
(オレ…どんどん欲張りになっていく気がする…。)
レナのいない部屋で一人、レナのことを思う時間は、ユウにとってとても長く感じられた。
いつの間にか、一緒にいるのが当たり前のようになっている二人なのに、一番伝えたい言葉は伝えられない。
レナを想うととても切なくて、苦しくて、でも、甘くて、苦い。
(はぁ…。胸が、痛い…。)
自分の気持ちの半分…いや、10分の1でもいい。
レナが自分のことを想って切なさに胸を痛めてくれたらいいのに。
いつもレナが座っている場所にレナを思い浮かべながら、ユウは目を閉じた。
ユウがあんなに心配していたにも関わらず、レナはけろりとした顔で旅行から帰ってきた。
「はい、お土産。」
「うん、ありがと。」
母親たちにはお揃いのハンカチを、ユウにはキーホルダーとストラップを買ってきたと言う。
「どっちがいいか、迷っちゃった。」
「だから、両方?」
「うん。」
「ありがとな。」
ユウはレナがくれたお土産を袋から取り出し手に取ると、早速ストラップをスマホに付けて見せる。
「ほら、早速付けてみた。」
するとレナがスカートのポケットから自分のスマホを取り出し、目の高さに持ってくる。
「私も、一緒。」
嬉しそうにニッコリ笑うレナを、今すぐ抱きしめたい衝動に駆られながら、ユウは必死でその気持ちを抑えて笑った。
「夏休み、あと少しだね。」
「そうだなー。オレ、結局どこにも行ってないな…。」
その時ふと、夏休み前にシンヤに言われたことを思い出す。
(レナを誘って…どこかへ…。)
「夏休みももう少しで終わりだしさ…来年は受験だし…。」
「うん。」
「どこか…行かないか?」
(わあぁ、言った!!オレ、言った!!でもどこかってどこだ?!ってか、レナの返事は…?)
自分から誘っておいて、照れ臭さで思わず目をそらしてしまったユウは、レナの反応を見るためにそっとレナの方に向き直る。
「ん…。どこ行く?」
思い切って誘ったユウに反して、レナは至って普通に答えた。
「水族館でも行く?雨でも暑くても大丈夫だしさ。」
「うん、水族館好き。久しぶりに行きたい。」
嬉しそうに笑うレナを見ながら、ユウは思う。
(こんなことでいちいちドキドキしたりオロオロしたりしてんの、オレだけだよ…。レナはきっと、なんとも思ってない…。)
誘いに応じてくれたことを嬉しいと思う半面、男として見られていないのだろうと言う複雑な思いが、ユウの心にまたひとつ影を落とす。
一緒にいたい。
嫌われたくない。
焦って、二人の関係を壊してしまいたくない。
でも、男として好きになって欲しい。
(一体、いつまでこのままでいるつもりだ、オレ…。)
ユウの葛藤などおかまいなしに時間は過ぎて、レナと一緒に水族館へ行く約束をした日がやって来た。
いろんな思いが頭の中をぐるぐると駆け巡り、ユウの心は落ち着かない。
(最近、ずっとこんな感じだ…。オレ…絶対ヘンだ…。)
ベッドから起き上がり着替えていると、スマホがメールの受信を知らせる。
レナからもらったストラップが揺れるスマホを手に取ると、メールの受信画面を開いた。
“ごめんなさい。
熱が出て行けなくなっちゃった。
楽しみにしてたのに…残念…。”
レナからのメールに、一緒に行けなくなってガッカリした気持ちはもちろんあるが…今、レナと一緒にいて、レナに何もしないでいる自信がなくて、少しホッとしている自分がいる。
“仕方ないよ。
元気になったら、また行こう。
今日はゆっくり休みな。
なんかあったらいつでも電話かメールして。”
レナに返信すると、ユウは大きくため息をついて、もう一度ベッドに横たわった。
(ちょっと、頭冷やそう…。)
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