彼女の憂鬱
それからほどなくして、レナは日本での仕事を再開した。
ユウもバンド活動を順調にこなし、バンドの知名度もどんどん上がり始めた。
二人の仕事が早く終わったある日、待ち合わせをして久しぶりにいつものバーへ足を運んだ。
ユウはビール、レナは白ワインをオーダーして乾杯する。
ゆっくりお酒と料理を口にしながら二人の時間を楽しんでいると、レナのスマホが鳴った。
「あ…ごめん、仕事の電話…。」
「うん、いいよ。」
レナがスマホを手に店の外へ出ると、ユウはタバコに火をつけた。
グラスが空になったのに気付き、もう1杯ビールをオーダーする。
運ばれてきたビールを一口飲んだところで、誰かに肩を叩かれた。
「ん?」
振り返ると、そこには知らない女の子がニコニコ笑って立っている。
(知らないような、知ってるような…。でも、誰?ファンの子かな?)
ユウが戸惑っているとその女の子は嬉しそうにユウに向かって手を伸ばした。
「ユウくーん、会いたかったぁー。」
甘えた声でそう言うとユウに抱きつき、大きな胸をユウに押し付けた。
(えーっと…誰だっけ?!ってか、このパターン前にも…。)
イヤな予感しかしない。
「ねぇユウくん、一人?これから二人っきりになれるとこ行かない?」
「いや…一人じゃないから。」
「えーっ、つまんないー。」
女の子はすねたように甘えてユウの肩に寄りかかる。
「ちょっ…離れて。」
「ええーっ、いいじゃーん、今更そんなこと言う仲じゃないでしょー?」
(どんな仲だよ?…ってか誰?!)
「いやいや…。」
しつこく絡みつき体を密着させてくる女の子をどうにかひきはがそうとするユウだったが、女の子は離れる気配がない。
女の子はユウの耳元に唇を寄せて囁く。
「ねぇ…しようよ。」
「オレ、今、ちゃんと付き合ってる子がいるから。もう他の女の子とそういうことする気ないから。」
「嘘でしょ?そんなの信じないよ?」
「いや、マジだし。」
電話を終えて店内に戻って来たレナが、その光景を見ていた。
そして、大きなため息をつく。
(また違う女の子…。)
レナの胸はズキンと痛んだ。
一体ユウは、何人の女の子と関係を持ったのだろう?
レナと付き合う前のこととは言え、やはり簡単には割り切れない。
(私の心が狭いのかな?でも…私は…。)
レナはもう一度ため息をついた。
そして自分の席に戻ると、おもむろにワイングラスを掴み、残っていたワインを一気に飲み干した。
「…先に帰るね。」
ユウの方は見ずに、感情の読み取れない声でそう言うと、荷物を手に、足早にバーの外へ出てしまった。
「レナ!!」
ユウは必死で女の子をひきはがすと、急いで勘定を済ませ、レナの後を追い掛けた。
(あ…いた!!)
「レナ待って!!」
随分と先の方を足早に歩いて行くレナに走って追い付くと、ユウはレナの腕を掴む。
すると、レナがそれを振り払った。
(えっ…?)
ユウの目に、驚きの色が浮かぶ。
「レナ…。」
「…さわんないで…。」
そう言うと、レナはまた早足で歩き出す。
ハッキリとレナに拒絶され、ユウはショックを受けた。
いい加減なことをしてきた自分が悪いということは、自分が一番よくわかっている。
どうしようもない後悔と、情けない気持ち。
ユウは、レナの後ろ姿を追いながら、レナがどこかに行ってしまうのではないかと不安に思った。
(せっかく一緒にいられるようになったのに…!)
二人で住む部屋に先に戻ったレナは、まっすぐに自分の部屋に駆け込み、バタンとドアを閉めた。
しばらくして部屋に戻ったユウは、レナの部屋のドアをノックする。
しかし返事はない。
ドアの前で、ユウは声を掛けた。
「レナ、ごめん…。またイヤな思いさせちゃって…。ホントにごめん…。」
それでもレナからは、なんの返事もないままだった。
ユウはひとつため息をつくと、自分の部屋に入った。
ユウの部屋のドアが閉まる音が、微かにレナの耳に届いた。
(これからこの先、何度こんな思いすればいいのかな…。)
ユウのことが好きだからこそ、過去にユウと関係を持った女の子を見るのは、正直つらい。
レナの心に秘められたコンプレックスや、いつか聞いてしまった陰口が、まだ始まったばかりの、恋人としてのユウとの関係に不安の影を落とす。
今はレナだけを大切にしてくれているとわかっているはずなのに…。
いつかそのうち、レナの知らない、レナとは正反対のタイプの女の子のところに行ってしまうのではないか。
たくさんの女の子と関係を持ってきたユウの目に、自分はどう映っているのか…。
(私のこと、ずっと好きだったって言ってたのに、ユウは他のたくさんの人と……。もしかしたら、今でも私以外の人とだって…。別に私じゃなくてもいいのかも…?)
バーで、ユウが自分以外の女の子に抱きつかれたり触られたりしているのを見た時は、このモヤモヤした苛立ちと嫌悪感を抑えることができなかった。
優しくレナの頭を撫でるその手で、温かくレナを抱きしめるその腕で、たくさんの女の子を抱いてきたのだと思うと、どうにもならない嫌悪感がレナの胸に込み上げた。
(いくら過去のこととは言え、やっぱりイヤだ…。私…今、ユウの顔、まともに見る自信ない…。)
翌朝。
ユウが目覚めた時、レナの姿はどこにもなかった。
いつも用意してくれる朝食も、今日はなかった。
不安になってレナのスマホに電話してみるものの“電源が入っていないか電波の届かない場所に…”と、機械の音声が流れる。
(レナ…もしかして、オレのことがイヤになって出て行ったのか?!もしレナが戻って来なかったら、オレは……!!)
レナがいない部屋で一人、不安に駆られながら仕事に出掛ける用意をするユウだった。
早朝からの撮影の仕事のため、レナはまだ暗いうちから部屋を出て、いつかユウと一緒に来たことのある海辺の町へ来ていた。
旅の雑誌に掲載するための写真を撮りながら、ユウに何も言わずに出てきてしまったことが、少し気になっていた。
(おまけにスマホ充電し忘れて、いつの間にか電池切れちゃってるし…。)
ユウは、心配しているだろうか?
夕べはあのまま、部屋に籠って一言も話さなかった。
ユウとまともに顔を合わせる自信がなかったレナは、朝早くに起きてシャワーを浴び、着替えや化粧を手早く済ませると、ユウを起こさないように静かに部屋を出たのだ。
(意地張ったりして子供っぽかったかな…。)
いろんなことがレナの頭をよぎったが、必死で雑念を払い、仕事に没頭した。
ひとしきり写真を撮り終えると、レナは小さな喫茶店を見つけ、休憩することにした。
メニューの中にカフェオレを見つけオーダーすると一口飲んで、ふとユウのことを思う。
(ユウの作ってくれたのとは、違うな…。)
ユウのカフェオレは、どうしていつもあんなに優しい味がするのだろう?
カップを置いて窓からの景色を見ながら、レナはため息をついた。
(昨日の女の子も、色っぽい子だったな…。)
前に“色気がない”と言われたことがレナの脳裏をかすめる。
(私…もっと努力するべき?)
でも、どうしたらいのだろう。
髪型やメイク、服装などで、どうにかなるものだろうか?
体質的に太れない、モデルとしては恵まれた体質のレナには、彼女らのようにふっくらとした女の色気の溢れる体つきになるのは無理な気がした。
(そもそも…色気って、何?!結局は胸が大きければそれでいいってことなの?)
冷めかけたカフェオレをゆっくりと飲みながら、レナは悶々としていた。
(ユウと関係あった子たちはみんな胸が大きいっていってたな…。私が見た子たちだけでも…3人ともみんな若くて胸が大きな子だった…。あんな感じの子が好みのタイプなのかな?)
でも、ユウが今までと正反対のタイプの自分を選んでくれたと言うことは、自分とは体だけの関係じゃないと言うことなのかな、とも思う。
誰よりも優しく包んでくれるユウ。
優しくて温かくて、一緒にいるだけで幸せだけど…一緒に暮らし始めてしばらく経つのに、ユウとは別々の部屋に寝起きしていて、ユウに迫られたことなどまだ1度もない。
(私に色気がないから…?もしかしたら…いろいろがっかりされちゃうんじゃ…。こんな私で本当にいいの…?)
でも、本当にそんな状況になったとしても、とレナは思う。
(恋人同士なんだから…いつかはそんな日がくると思ってはいるけど…。そうなったらなったで…どうしていいのかわからない…。)
頭の中を、レナのコンプレックスと不安がぐるぐると駆け巡る。
“あの色気のなさでは満足させてあげられない”と言われたことをふと思い出すも、レナは小さく首を傾げた。
(それって…何に対しての“満足させてあげられない”なんだろう?)
昼間はスタジオで`ALISON´のメンバーと新曲の相談をしていたユウだったが、レナのことが気になってロクに手につかなかった。
夕方になりスタジオを出ると、メンバーの誘いを断り急いで部屋に帰ったユウだったが、レナがまだ帰っていないことに、がっくりと肩を落とした。
外はもう暗い。
レナのスマホにもう一度電話してみるも、やはり繋がらなかった。
レナは、帰って来てくれるだろうか?
ユウは祈るような気持ちで、お揃いのネックレスを握りしめ、ソファーに身を沈めていた。
夜9時を過ぎた頃、静かに玄関のドアが開く音がした。
(帰って来た…!!)
ユウはおもむろに立ち上がるとリビングのドアを開け、レナの元へ走って行き、レナを必死で抱きしめた。
「良かった…帰って来てくれて…。」
ユウの鼓動が、トクトクとレナに伝わる。
「…ただいま…。」
ユウの腕の中で、レナは小さく呟く。
ユウは、レナを抱きしめる手に力を込め、レナの肩口に顔を埋めた。
「レナ…もしかしてオレのこと、イヤになって出て行ったのかと思った…。」
「…違うよ…。」
「もう戻って来なかったらどうしようかって…。」
「…うん…。」
レナは、ユウが突然いなくなった日のことを、思い出す。
「ごめんね、何も言わずに出掛けて…。今日、早朝から遠方での撮影の仕事があったから…。」
「うん…そっか…。」
ユウは、レナを抱きしめる手にギュッと力を込めた。
「オレが急にいなくなった時…レナも、こんな気持ちだった…?」
「うん…すごく、寂しかった…。」
「ごめん…。オレ、レナが急にいなくなって、すごい不安だった…。」
「いなくなったりしないよ。だって…ずっと一緒にいるって、約束したでしょ?」
「うん…。」
少し安心したように、ユウはレナを抱きしめる手をそっとゆるめた。
「おかえり。」
「…ただいま。」
そして二人は、少しぎこちなく笑った。
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