本当の気持ち
レナとの別れから2日後。
あれからユウは、部屋のカーテンも開けず、明かりも灯さないで、一人ぼんやりとソファーに身を預けていた。
誰にも会いたくない。
何もしたくない。
今が昼なのか、夜なのか、それさえも知りたくない。
ただ、時折タバコに火をつけ煙を吐き出しては、ここにいたはずの愛しい面影を浮かべ、幻を抱くように、からっぽになってしまった自分の膝を両腕で抱え込んだ。
ユウの閉ざされた心のような部屋に、チャイムが鳴った。
インターホンに出る気力もなく、ユウはそれを無視していたが、鍵が開いたままの玄関のドアを開け、誰かが部屋に入って来る気配がした。
「やっぱり…。」
その人はそう呟くと、部屋の明かりをつける。
「ちゃんと生きてた。」
慈しむような目でユウを見ると、タクミはぼんやりと項垂れているユウのそばに近付いた。
「ちゃんと、伝わった?」
ユウは、タクミの言葉に静かに首を横に振る。
「終わったよ…。何もかも…。もう…遅すぎたんだ…。だから、この手で、終わらせた…。」
ユウは掠れた声で絞り出すように呟く。
「そうか…。」
うつろな瞳で苦しそうに呟くユウを見るとタクミの胸はどうしようもなく痛んだ。
(こんなユウ、初めて見たな…。)
タクミはユウのパソコンを勝手に開き、インターネットで何かを探している。
そして探していた何かを見つけだすと、タクミはパソコンの画面をユウの方に向けた。
「今朝、ネットでニュース見てて、偶然見つけたんだ。ほら、これ…。」
タクミに促され、めんどくさそうにソファーから身を起こしたユウは、パソコンの画面に視線を移した。
「これ…。」
それを見たユウはハッとして、食い入るように画面に映るものを見つめている。
「新聞社の写真コンクールの募集が始まったって記事があってさ…。過去の受賞作が見られるようになってて、なんとなく見てたら…この写真にたどり着いたんだ。」
それは、高校3年の時にレナがこのコンクールで大賞を受賞した写真だった。
夕日に向かって歩く背の高い少年の後ろ姿。
「これ…ユウ、だよね。」
「うん…。」
ユウは、写真の下の文字に視線を落とす。
受賞者 : 高梨 怜奈 (高校3年)
タイトル :『遠い背中』
受賞者のコメント :いつもそばにいたのに突然遠くへ行ってしまった大切な人の、誰よりも優しかった背中。もうこの声が届くことはないけれど、いつかまた、笑って会えることを信じて。
「ユウ…愛されてたんじゃん。」
遠い日のレナは、どんな気持ちでその背中を見つめ、シャッターを切ったのだろう。
突然いなくなってしまった大切な人にあえることを、ずっと信じて…ユウに再び会えることを信じて、2つの指輪を胸に、レナは、ずっと待っていてくれたのだ。
「レナ…。」
ユウの目に温かな涙が溢れてこぼれ落ちた。
レナは、ずっと変わらず、自分を信じていてくれたのに、どうして自分はレナを信じられなかったのだろう?
自分の弱さで大切な人を傷付け、裏切り、勇気がなくて素直に謝ることも、想いを打ち明けることもせず、何も言えないまま逃げ出した。
昔も今も、不安や焦りばかりが先走って大事なものを見失ってしまっていた弱い自分に、ユウは今更ながら気付く。
(ごめん……レナ…。)
今も誰より大切な人を想って静かに涙を流すユウの肩をポンと叩くと、タクミは静かに立ち上がった。
「タクミ…ありがとな…。」
「ん…。」
「オレ、仕事は今まで通り、ちゃんとするから…だから今はもう少しだけ…このままでいてもいいかな…。」
「うん…。明後日、待ってるから。」
タクミはそう言うと、ユウの部屋を後にした。
再び部屋に一人きりになったユウは、長い時間、静かに涙で頬を濡らし続けた。
そしていつしか、愛しいレナの面影をいくつもいくつも浮かべながら、2つの指輪を祈るように握りしめて眠った。
レナが日本を発ってから、2週間が過ぎた。
少しずつニューヨークでの生活にも慣れ始めたレナは、須藤と公私を共にしていた。
二人分の食事を作り、洗濯や掃除などの家事をこなしながら、須藤の写真スタジオで、須藤の写真のモデルを務めていた。
何もなかったように須藤の前では明るく振る舞うレナの姿に、須藤はレナの心の変化を感じ取っていた。
須藤が先に日本を発ってレナと離れていたほんのしばらくの間に、レナの回りで何が起こり、何がレナの心を揺り動かしているのだろう?
心に引っ掛かる何かを振り切るように、仕事に没頭するレナ。
明るく振る舞いながらも、時折どこかぼんやりと遠い目をしている。
それでも須藤は、レナには敢えて何も聞かずにいた。
何かにひどく傷付いたようにうつむいたかと思うと、時折、祈るように両手を胸元にあてて目を閉じる。
そして静かに目を開くと、寂しげに笑みを浮かべるレナ。
今までに見たことのないレナの表情はとてもキレイで、触れると壊れてしまいそうなほど儚げだった。
須藤がレナを撮影していると、仕事で日本に一時帰国していた若い日本人スタッフの青年がスタジオに顔を出した。
「お疲れ様です。」
「お、来たのか。疲れてないか?明日からでも良かったんだぞ?」
「大丈夫っす、オレ、時差ボケとかしないんすよ。家にいてもやることないし暇なんで、なんか仕事させて下さい。」
「頼もしいな。」
「須藤さん、音楽かけていいっすか?日本で友達に勧められて聴いたらめちゃくちゃ良かったんで、CD買って来ちゃいました。」
「お、いいねぇ。」
青年がCDを鞄から取り出し、オーディオを操作すると、スタジオに音楽が流れ出す。
「あっ…。」
それは、レナが何度も耳にした`ALISON´の曲だった。
ユウのギターが、レナの心を掻き乱す。
もう耳にすることはないと思っていたのに、ユウのギターは、やすやすとレナの中に忍び込んで、心の奥の柔らかい部分をギュッと掴む。
レナは静かに目を閉じて、ユウの温もりに抱かれているような感覚に身を委ねた。
『ラスト・シーン』
繋いだ指と指のすきま 伝って
思い出が しずくのように流れてく
黙りこむあなたの横顔見つめ
すれ違う鼓動 数えてた
繋いだ指がほどけて 離れたとき
あなたの声が“さよなら”と呟いた
最後のキスなんて 欲しくないから
背中越しに手を振った
“Don't let me go”素直に言えずに
強がるだけの ラスト・シーン
さよならも言えないで 涙をこらえていた
遠ざかる背中 感じて
振り返ることさえも できずにいた私を
雑踏が呑み込んでゆく
壊れた恋のカケラ 手のひらに集めても
あなたが戻るわけじゃない
ふさいだ耳の奥で あなたの声が響く
いつかのように 優しく…
消えない傷跡だけ 心に刻み付けて
独りぼっちにしないで
眠りの中で 今もあなたを探している
迷子のような私を
その歌はまるでレナの気持ちのようで、メロディラインをなぞるユウのギターが切なさに拍車をかけた。
レナは、閉じていたまぶたをゆっくり開いた。
その瞳からは大粒の涙がとめどなく溢れ、後から後からこぼれ落ちた。
そうしてレナは、こぼれ落ちる涙を拭うこともせずに、カメラに向かって寂しげに瞳を揺らし、静かに微笑んだ。
(そうか…これが、今の、レナの気持ちなんだな…。)
須藤はファインダー越しに、泣きながら微笑むレナの姿を愛しそうに見つめ、カメラに収めると、ひとつの決断をした。
数日後、すべての撮影が終了した夜、須藤はレナを近所のレストランへ、ディナーに連れ出した。
1週間後はレナの29歳の誕生日だ。
少し早いお祝いに、シャンパンで乾杯をして、二人でゆっくりとディナーを楽しんだ。
食事も終わり、コーヒーとデザートがテーブルに運ばれて来ると、須藤はレナに、そっと封筒を差し出した。
「これ…?」
「開けてみな。」
封筒の中を確認したレナの目が、大きく見開かれる。
「須藤さん…これ…。」
驚くレナに、須藤は優しく笑い掛ける。
「オレからの、誕生日プレゼントだ。」
封筒の中には、婚姻届と、一緒に渡した書類、そして日本への飛行機のチケットが入っていた。
「確かに、オレと一緒になるからと言って、無理にオレを好きにならなくてもいいとは言ったがな…。他の男を想って泣いてるレナを奥さんにすることはできないからな。」
「えっ…。」
何も言わずとも、須藤には痛いほどレナの気持ちがわかった。
「何年オマエを撮り続けてると思ってるんだ?ファインダー通してオレに嘘がつけるとでも思ってるのか?」
須藤はそう言って優しく笑った。
「レナ、オマエ日本へ帰れ。無理してオレのそばにいて後悔なんかさせたくないからな。」
「無理なんて…。」
小さく呟くレナの頭を、須藤は優しく撫でた。
「言っただろう?オレにはわかるって。あの、幼なじみの彼に会ったんだろ?」
「あ…。」
レナは、何も言えずにうつむく。
「レナは小さい時からずっと、彼のことが大好きだったもんな…。彼が急にいなくなった後のレナは、抜け殻みたいだったから…レナを、一人にさせるのが怖かったんだ。」
そこまで言うと、須藤は少し寂しげにレナの顔を見た。
「でも、結果的にレナを悩ませることになってしまったみたいだな…。悪かったよ。レナももういい大人なのに、オレはレナを過保護にし過ぎてしまったみたいだ。」
「悪くなんて…。」
優し過ぎる須藤の言葉に、レナの胸はギュッとしめつけられた。
「だからレナ、日本で、自分の力で幸せを掴め。」
須藤が力強くそう言うと、レナは涙を浮かべながらうなずき、静かに微笑んだ。
「今までずっと見守ってくれてありがとうございました、須藤さん。」
レナが迷いのない口調でお礼を言うと、須藤は安心したように笑って言った。
「日本の事務所のこと頼むな。仕事でオレが日本に帰ることもあるし、レナがこっちへ来ることもあるから、これからはまた元通りの関係で、お互いしっかりやっていこう。」
「ハイ…!」
そうして二人は固い握手を交わす。
「じゃあ、レナの…オレたちの新しい門出に乾杯!」
「乾杯!」
二人はそっとグラスを合わせた。
二日後。
レナは須藤から受け取ったチケットで、日本へと戻ってきた。
空港で荷物を受け取ると、しばらくぼんやりとたたずむ。
(帰ってきたものの…。)
日本へはもう戻らないつもりでアパートを引き払い、家財道具もすべて処分してしまったため、レナの手元にあるのは、わずかな衣類と化粧品などの生活必需品、そしてカメラだけ。
(なんか…ここまで何もないと、逆に清々しいかも…。とりあえず、住む所を探さなくちゃ…。)
トランクを手にゆっくりと歩き始めた時。
「あれっ、あーちゃん?」
聞き覚えのある声に振り返ると、そこには驚いた様子のタクミがいた。
「確か、ニューヨークへ行ったって…。」
タクミの言葉に、レナは苦笑いする。
「うん、行ったよ。もう戻らないつもりだったのに…戻って来ちゃった。」
須藤のモデルとしての仕事を終えた後、日本に帰れと婚約解消されたことを簡単に説明する。
「ちゃんと自分で決めて行ったつもりなのに、迷いが断ちきれないのを見透かされちゃった…。」
レナがそう言うと、タクミはレナのトランクを持ち、楽しそうに笑う。
「今日、オレ車で来てるんだ。友達の見送りに来たんだけど、あーちゃんに会えて良かったよ。とりあえず、行こ?」
「えっ、あっ…うん…。」
有無を言わさぬ笑顔のタクミにうなずくと、タクミの車に乗り込む。
「で、これからどうすんの?住む場所とか。全部処分して行ったんでしょ?」
「あ、うん。そうなの。だから…まずは部屋探しからかな。」
レナが答えると、タクミは嬉しそうに笑って車を発進させる。
「部屋探しね!オレ、いいとこ知ってるんだ。任せてよ!」
「…そうなの?」
妙にニコニコしているタクミに不安がよぎるものの、レナは窓の外の景色を眺めながらシートに身を沈めた。
しばらく車を走らせた後、たどり着いたのはユウのマンションだった。
「えっ…ここって…。」
戸惑うレナの手を強引に引きながら、タクミはマンションのエントランスを通り抜ける。
「ちょ…ちょっと待ってよ…タクミくん…。」
「いいからいいから!」
(そんな…いきなり過ぎて、心の準備が…!!)
焦るレナにはおかまいなしで、タクミはレナのトランクと、もう片方の手にはレナの腕を掴んでスタスタと歩いて行く。
そしてとうとう、ユウの部屋の前に到着してしまう。
(どうしよう!!私、2度と来んなってユウに言われたのに…。大嫌いって言っちゃったし…。)
パニックになるレナだったが、タクミはいとも簡単にユウの部屋のチャイムを押した。
(ああ…もうダメ…!!)
ドキドキとうるさく高鳴る心臓。
真っ白になる頭の中。
「あーちゃん、少しだけ、玄関で待ってて。」
タクミはそう言うと勝手に玄関のドアを開け、
レナを玄関に残し、廊下を歩いてリビングに入る。
「オレだよー。」
「なんだ、タクミか…。」
「なんだとはなんだよ。」
「で、何の用?」
楽しげに話すタクミにそっけなく答えるユウの声を聞きながら、レナは今すぐ逃げ出したい衝動に駆られていた。
「さっきさぁ、すっげーかわいい子ナンパしちゃった!」
「はァ?!」
「その子、家なき子で困ってるって言うから、連れて来ちゃったんだよねー。」
「は?!勝手なことすんなよ!!」
「えぇー、でももう連れて来ちゃったし。ユウ、傷心を癒してもらいなよ。」
「何言ってんだよ、オレ今、そんな気分じゃないから。」
「まぁまぁ。じゃ、そう言うことで!うんと優しくしてあげてよねー。」
「待てって!!」
タクミは言いたいことだけ言うと、さっさとリビングを後にして玄関に戻り、そっとレナに微笑んだ。
「ユウのヤツ、ここ最近メチャメチャへこんでんの。初恋の女の子に失恋しちゃったんだって。」
タクミは小さな声でレナに耳打ちすると、レナの肩をポンと叩いた。
「じゃあね!」
そう言うと、タクミはあっという間に去って行く。
(どうしよう…。)
レナが一歩も動けないでいると、リビングのドアが開き、ユウが姿を現した。
玄関にたたずむレナの姿に目を見開くユウ。
レナは、ドキドキと壊れてしまいそうに高鳴る胸を押さえ、うつむいた。
「レナ…どうして…。」
ゆっくりと近付いて来るユウ。
「ごめん…もう来るなって言われてたのに……来ちゃった…。」
掠れた声で、レナは言葉を絞り出す。
「ニューヨークに…行ったんじゃなかったのか?」
「うん…行って、モデルの仕事した後、日本に帰れって言われて戻って来たの…。」
「えっ…?結婚は…?」
「…婚約…解消されちゃった…。」
「どうして…。」
「今の私を、奥さんにはできないって…。」
「え…?」
ユウは、ゆっくりとレナと向かい合った。
レナは、うつむいたまま呟く。
「…ユウの、せいなんだからね…。」
「オレの?」
レナは小さくうなずく。
「他の人を想って泣いてる私と、結婚なんて、できない、って…。」
うつむいたまま呟くレナの背に腕を回しかけて、ユウは思い直したようにその手を止める。
「…オレのことなんて、もう、大嫌い…なんだろ…?」
ユウが小さく呟くと、レナはユウの広い胸に、ポスンと顔をうずめる。
「嫌いだよ…。何も言わずにどこかへ行っちゃうユウなんて、大嫌い…。」
「うん…。」
「たくさんの女の子たちの間をフラフラしてるユウなんて、大嫌い…。」
「うん…。」
「でも…一緒に、いたいの…。」
消え入りそうなレナの声に、ユウは驚き、目を見開いた。
「ずっと…ずっとユウと一緒にいたいの…。」
レナがユウの胸に顔をうずめたままで、小さな声で呟くと、ユウはレナをギュッと強く抱きしめた。
「オレもホントは…ずっと、レナと一緒にいたい…。オレ、レナが好きだ…。ずっと…ずっと好きだった…。誰にも、渡したくない…。」
(長い間言えなかった想いを、やっと伝えることができた…。)
「私も…ユウが好き…。大好き…。もう、離れたくない…。」
「レナ…。」
ユウは腕の中にレナを抱きしめ、そっとレナの髪を撫でる。
そして、ユウの胸に顔をうずめていたレナの頬にそっと手を触れ、上を向かせた。
ユウとレナの視線がぶつかる。
「レナ、今までごめん…。もうレナを一人にさせないし、絶対に浮気しないから…オレの、彼女になってくれますか?」
真剣な表情で尋ねるユウを見上げて、レナは目に涙をためて微笑んだ。
「…ハイ…。」
レナがうなずくと、ユウは優しく笑う。
「レナ、好きだよ…。」
そしてユウは、レナの唇にそっとキスをした。
そっと触れ合うだけの短いキスなのに、今までレナとしたどのキスよりも、とても甘くて、幸せな気持ちになった。
静かに唇が離れると、二人は強く抱きしめ合う。
「これからずっと大事にするから…一緒にいてくれる?」
「…うん…。」
随分と遠回りした幼なじみの二人の初恋が、ようやく実を結んだ。
離れていた時を埋めるように、二人は長い間、しっかりと抱き合っていた。
(もう、離さない…。)
数日後。
朝の眩しい光に目を覚ましたユウは、ぼんやりと見慣れた天井を見つめる。
(…夢…?!)
一瞬の不安に駆られベッドから飛び起きると、慌ててリビングのドアを開けた。
「おはよう。」
コーヒーの香りに包まれて微笑むレナの姿を目にすると、ユウはホッとしたように微笑む。
「おはよ…。」
テーブルには、レナが用意した朝食。
イスに座ってレナの姿を目で追う。
(良かった…。夢じゃない…。)
日本へ戻って来たレナは、新しい部屋を探すと言った。
ユウはそれを引き留め、この部屋で一緒に暮らそうと言った。
でも…と躊躇していたレナだったが、一人で住むには広すぎるし、一部屋余っているからと言うユウの言葉で、ここで一緒に暮らすことを決めたのだ。
さすがに、いきなり“一緒に寝よう”と言うのは気がひけて、別々の部屋で寝起きすることにしたのだが…。
朝、目が覚めた時に、レナが隣にいないことで“夢だったんじゃないか?”と不安になってしまう。
ユウは、レナの用意した朝食を食べながら、向かいの席に座るレナを見つめていた。
一緒に暮らし始めたとは言え、まだ実感が湧かない。
(そろそろ一緒に寝ない?とか…誘うのもヘンだし…。)
ひとつ屋根の下にいながら、二人の仲はまるで、付き合いたての中学生のようだ。
レナに触れたいと言う願望はあっても、どのタイミングでそうすればいいのかがわからない。
よくよく考えてみたら、好きな女の子と付き合うのは、ユウにとって初めての経験だった。
今までユウに近付いてきた女の子たちは、とても積極的で男慣れしていた。
ユウが自分から迫らなくても相手の方からユウの体に触れ、身を投げ出してくるような子ばかりだった。
レナは、今までユウが付き合ったり体を重ねたりしてきた女の子たちとは全然違う。
正直、キスをするタイミングさえ掴めない。
レナと一緒にいられること自体がユウにとって何よりも大切で幸せなことだったが、もっとレナに触れたいと言う気持ちも、もちろんある。
(まぁ…焦ることもないか…。これからずっと一緒にいるんだし、自然にそうなれたら…。)
ユウは朝食を終えコーヒーを飲みながら、ふとカレンダーに目をやる。
「…あっ!!」
突然大きな声を出すユウに驚くレナ。
「どうしたの?!」
ユウは慌てて答える。
「今日、誕生日だ!!」
「あ…ホントだ…。」
ここ数日いろいろあったせいで、二人ともすっかり忘れていた。
今日は4月5日、ユウとレナの誕生日。
「レナ、誕生日おめでとう。」
ユウがそう言うと、レナはニッコリ笑う。
「ありがと。ユウもお誕生日おめでとう。…29歳だね。」
「今日、どこかへ出掛けようか?」
「うん。どこ行こう?」
「レナ、行きたい所、ある?」
ユウに尋ねられ、レナは少し考えた後、ニッコリと笑った。
「あのテーマパーク、行ってみない?」
それから二人は出掛ける支度をすると、ユウの車に乗り込む。
レナは初めて見る車を運転するユウの姿がとても新鮮で、珍しそうに運転席のユウを見つめていた。
(ユウ、かっこいいな…。)
ずっと一緒にいたのに初めてそう思ったことに気付くと、レナは急に照れ臭くなってしまう。
(ユウのこと、ずっと見てたいって思っちゃった…。)
頬がカァっと熱くなって、レナは両手で頬を覆った。
「ん?どうかした?」
ユウは横目でチラッとレナを見る。
「な、何でもないよ…。」
「そう?」
車は高速道路を軽快に走り抜ける。
「レナは免許取ったの?」
「大学時代に取った。」
「今は運転しないの?」
「事務所の車とか、運転するよ。たまに遠出したい時なんかはリサの車借りたりもする。」
「リサさんの車って…。」
「ベンツ。」
「レナ、ベンツ運転しちゃうんだ。」
「だって、免許は持ってるよ?」
「さすがレナ。」
ユウはおかしそうに笑う。
離れている間のことや、お互いの仕事のこと、お気に入りの店の話や、好きな音楽の話…。
二人には話したいことがたくさんあって、一緒にいると、知らなかった相手の一面を、ひとつ、またひとつと知ることができて、楽しくて嬉しくて仕方がなかった。
(ユウのこと、もっと、たくさん知りたいな…。)
二人を乗せた車は、二人の18歳の誕生日に一緒に来たテーマパークに到着した。
もう11年も前のことなのに、あの日のできごとや気持ち、景色まで、今でも鮮明に思い出せる。
「懐かしいね。」
レナがユウを見上げて微笑むと、ユウはそっとレナの手を取り、指を絡めた。
「またはぐれないように…手、繋いで歩こう。」
「うん…。」
あの時とは違う手の繋ぎ方。
恋人同士がする、指を絡めたその手の繋ぎ方に照れ臭さを覚えながら、二人はゆっくりと歩き出す。
(本当に、夢みたいだ…。)
繋いだ手に温かさを感じながら、二人はテーマパークでの1日を楽しんだ。
夕暮れ時の観覧車からの景色を眺めながら、二人はあの時のように肩を寄せあって写真を撮った。
あの日の二人が軽く交わした、また来ようと言う約束が、やっと果たされた。
観覧車の中で、ユウは優しくレナの肩を抱いて、そっとキスをした。
閉園時間が近付き、二人はテーマパークの出口に向かって、桜並木の道を手を繋いで歩いていた。
「ユウに膝枕してもらった時にね…。夢を、見たの。」
「へぇ…どんな夢?」
「こんなふうにユウと手を繋いで、このテーマパークから帰ってる夢。」
「正夢、だったのかな?」
「うん、そうかも…。でもね…。」
「ん?」
レナは穏やかに微笑む。
「あの時は…もうユウとは会わないって思ってたから、そんな幸せな夢見たおかげで、ユウのこと…好きだって気付いちゃったじゃないって…すごく悲しかったんだけど…。今、こうしてあの時の夢みたいに、ユウが隣にいてくれて…私、すごく幸せ…。」
レナはユウを見上げて、幸せそうに笑った。
(めちゃくちゃかわいい…。)
ユウは思わず、レナの唇にチュッと軽くキスをする。
「…!!」
レナは驚いて、顔を真っ赤にしてうつむいた。
「ユウったら…。」
(かわいい…かわいすぎる…!!)
今まで見たことのなかったレナの照れた様子が愛しくてたまらない。
「あっ、そうだ。」
ユウは何かを思い出して立ち止まると、ポケットの中を探った。
「どうしたの?」
「うん…ほら、これ。」
差し出されたユウの手のひらには、あの日レナがユウに投げつけた二つの指輪があった。
11年前にこのテーマパークからの帰り道で、お互いにプレゼントし合った思い出の指輪。
ユウはレナの指輪を手に取ると、レナの指にそっとはめる。
そして、自分もレナからもらったその指輪を、指にはめた。
「ずっと、持っててくれたんだな。」
「…うん。」
「ありがとな…。こんなオレのこと、信じて待っててくれて…。」
「……うん…。」
ユウは、レナの頭を抱き寄せた。
「もう、遠くになんて行かないから…。」
「うん…約束だよ…。」
そしてまた二人は、お互いにプレゼントし合った指輪をつけた指を絡めて歩き出す。
それはまるでレナが見た夢のように、温かで幸せなひとときだった。
その後二人はユウの車で夜の街を走り、レストランで食事をした後、小さなジュエリーショップに立ち寄った。
二人好みのシンプルなペアのネックレスを購入し、早速それをつける。
「これからずっとこうやって、二人で誕生日の思い出、作って行こうな。」
「うん、ずっとね。」
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