第七話 ロランのパラダイムシフト

  第七話 ロランのパラダイムシフト


 ここで今宵の戦いを、ロランの側に視座を移して見てみよう。

 ロランの呼びかけに応じて集まった剣士の数は六人。一人を相手にするのには充分な数であるはずなのに、ロランは安全策を採ることにした。それというのも右手が不自由だからである。

 泰一によって切り落とされた右腕は、デュランダルの聖光回復歌によって繋がりはしたものの、握力までは戻ってこなかったのだ。そこで右腰に剣を佩き、左手で抜けるようにしているのだが、利き腕でないのに満足に戦えるとは思えない。ためにロランはデュランダルの威を借りて彼らだけをけしかけ、自分は高所からその戦いの模様を見物することにしたのである。

 鬼丸泰一が自分から崖の際に立っているのを見たときは、楽勝だと思った。ところがまず一人倒され、二人倒されといううちに風向きが変わってきた。

 四人目が倒されるのを見たとき、ロランは咄嗟に今打って出るより他にないと思った。残る二人が倒されるまでのあいだに、不意打ちにして一気に片をつける。

 ロランはデュランダルを抜き放ち、気を練った。泰一が二人の男の喉元に剣を突きつけ、恐らくは降伏を求めているときを狙って、一日に一度しか撃てぬあの奥義を放とうとした。ところがその直前に泰一がこちらに気づいて、顔を振り向けたのである。そしてロランは、泰一の唇がこう動いたのを、遠目からでもはっきりと見た。

 ――そこにいたか。

 その瞬間、ロランは恐怖の虜となって剣を振り下ろしていた。

「聖光爆裂破!」

 白い熱衝撃破が光りの洪水となって凄い速さで流れていく。泰一は避けられまい。これで少なくとも相応の傷手は負わせられることになる。募った六人の仲間を捨て石にしてしまったが、先制攻撃には成功した。そう思った。

 ところが信じられないことに、泰一は聖光爆裂破を斬り破ったのである。このときロランの頭上には落雷のあったような衝撃が起こった。

「な……馬鹿なっ!」

 ロランは青い目を限界まで見開いて立ち尽くした。指先まで痺れてしまったかのようだ。ロランの手のなかでデュランダルもまた感心したように云う。

「やるの。あれは剣で斬ったのではない、気合いで掻き消したのだ。聖光爆裂破を一喝したのよ。なかなかどうして、大した益荒男ますらおではないか」

 その益荒男がロランを見据えてにやりと笑った。低い声が風に乗って届く。

 ――聖光爆裂破、敗れたり。

「くっ!」

 ロランは思考がねじ切れそうになった。今見たものが信じられない。気合いで掻き消しただって?

「なんなんだよ、あいつは!」

「落ち着けい」

 デュランダルがそうロランを宥めにかかったとき、泰一が一歩こちらに踏み出すのが見えた。その瞬間、ロランは弾かれたように身を翻すと、上り坂を遮二無二走り出していた。

「おい、どこへ行く?」

 デュランダルの問いに答えるような理性は残っていない。ただロランは恐怖の虜となっていた。自分の方へ向かってくる、泰一の顔を見てしまったからだ。

「鬼だ……鬼が来る!」

 ロランは肺も破れよとばかりに走った。尾根を飛び越え、下り坂をけつまろびつ駆け下り、木下闇このしたやみのなかへ飛び込んでなお走る。そこで光りを放つデュランダルに心づいて剣を鞘に収めた。すると辺りは蝋燭の火を吹き消したように、深い闇の底に沈んだ。この闇が自分を包み込み、守ってくれるような気がした。

 ……。

 走って走って、どうやら鬼丸泰一は追いかけてこないようだと思ったとき、ロランはその場にへたばって座り込んだ。息は荒く、首筋が汗にまみれて気持ちの悪いほどだ。

「落ち着いたか?」

 あくまで冷静なデュランダルの声に一つ頷いたロランは、辺りを見回して愕然とした。月の光りも木々に遮られて僅かしか届かない、深山に迷い込んだようなのだ。

「デュランダル、ここがどの辺りかわかるか?」

「おおまかならな」

「車まで案内してくれ。エレオノールが待ってるはずだ」

 デュランダルはすぐにはなんとも答えなかった。沈黙がロランの不安を増大させる。おい、と怒鳴りつけようとした矢先、機先を制するようにデュランダルが問いかけてきた。

「逃げてどうする?」

「え?」

「逃げてどうするのだ? 覇剣戦争はすべての剣とその剣士に勝たねばならん。逃れられぬ勝負ぞ。それとも誰かがあの男を倒してくれるのを待つのか? その誰かは、あの男より強いわ。それになにより、このまま逃げ帰ったら、おんし今度こそエレオノールに見限られるぞ」

「ぐっ……!」

 その言葉が鋭い刃物となって自分を切り裂く感覚に、ロランは歯ぎしりをした。剛毅な男を愛し、惰弱な男を嫌うエレオノールのことである。このような無様な敗北を喫したと知られたら、いよいよ三行半を突きつけられかねない。しかし。

「聖光爆裂破を気合いで掻き消すような男だぞ? どうすればいいんだよ!」

「おまえは我に頼りすぎだ」

「なに!」

 ロランとデュランダルのあいだの空気がにわかに張り詰めた。デュランダルがあと一言なにか棘のある言葉を発していれば、ロランは短慮を起こして鞘ごとデュランダルを掴み取り、それを闇のなかへ投げてしまっていただろう。しかし彼女は大人であった。

「……ひとまず沢まで降りるか。水でも飲んで一息つこう」

「……ああ」

 ロランも、理性の糸が一本だけ、かろうじて繋がっていた。


 デュランダルに導かれ、ロランは沢を目指して山の斜面を降りはじめた。見上げる星空は木々の枝や葉叢はむらによっていびつに縁取られている。うるさい羽虫がときおり耳元を掠めすぎていく。と、星を眺めていたせいか、ロランは木の根に足をとられて転びかけた。かろうじて踏みとどまったとき、子供のころの記憶が鮮やかに蘇った。

 七歳のときである。転んで泣いてしまった自分を、エレオノールが助け起こしてくれたことがあった。そのとき彼女はロランをただ慰めるのではなく、励ました。

 ――もっと強くなりなさい。男は強くないと駄目よ。

「ロラン」

 デュランダルのその声に、ロランははっとして顔を上げた。せせらぎの音が聞こえる。水が近い。足元の傾斜も、もうそれほどきつくはない。そしてロランは山裾の雑木林を抜けて、大小の岩が点綴する河原に進み出た。

 改めて星空の下に出てみると、月の明るい夜だった。ロランは水際まで行って一掬の水で喉を潤すと、手近な岩を選んで足休めに腰掛けた。すると水の効能であろうか、しみじみと、自らを省みる時間が、このときロランの上にも訪れていた。

「参っちゃったな」

 あの鬼丸泰一という男は強い。三日前、剣道場においては惨敗した。今日は六人の剣士をけしかけた上、不意打ちで聖光爆裂破を放ったにも拘らずやはり負けた。こうなると、ロランは気持ちが深いところへ沈んでいくのをどうしようもなかった。自分はエレオノールに相応しくない。デュランダルにも相応しくない。先日のソルの言葉が耳の奥で鮮やかに蘇る。

 ――傲るなよ。おまえが強いのではない、おまえの剣が強いのだ。

 今になって、その言葉がやけに心に響いた。

「なぜ僕を選んだ?」

 ロランは我知らずデュランダルにそう問いかけていた。それは泣き言であったのかもしれないが、デュランダルは真面目に答えてくれた。

「おんしの名前が気に入った」

 それでロランは小さく吹き出してしまった。

「名前、か。はは、は……」

 デュランダルの正統な使い手と云えば、『ローランの歌』の主人公である勇者ローランしかありえない。そのローランと同じ名前を持つ自分がデュランダルに選ばれたのは、偶然ではなかったわけだ。

「つまり僕自身の性格なり能力なりを見込んだんじゃないわけだ。おまえに選ばれたのは、僕じゃなくて、僕に名前をつけた父さんの手柄だったんだな……」

 ロランの目に涙が光ったそのとき、デュランダルが凜とした声で云った。

「いや、もう一つ。おんしには欲がなかった」

 それが意外で、ロランは呆気に取られてしまった。

「僕に、欲がない?」

「おおさ」

「そんなことはないよ。僕はエレオノールを欲しがっている」

「ところがおんしは、究極の剣を至高の鞘に収めるときの願いで、あの娘の心を手に入れようとは思わなかった。懸想しておる女がいて、どんな願いも叶うと云われれば、その願いで女を愛の奴隷に落とそうとする輩も珍しくないのに、おんしはそれを露ほども考えなんだ。おんしはただ覇剣戦争に勝利し、その栄誉をもってあの娘を娶るという。そして願いの権利はあの娘にくれてやるという。その点だけは格別に気に入った。聖剣たる我の使い手はこうでなくてはならぬと思った。だから最後にジュワユーズに降るのを承知で、我はおんしと契約したのだ」

 そこでいったん言葉を切ったデュランダルは、鞘に収められていて呼吸をしているわけでもないのに、大仰にため息をついた。

「まあ実際には、幼稚で残酷な男だったがの」

 そこには失望がありありと滲んでいる。ロランがなにも反駁できないでいると、デュランダルはここぞとばかりにぶちまけ始めた。

「まったく返す返すも情けない。おんしはこの国に来ていったいなにをした? 我の力に慢心し、開戦の日を待たずして仕掛け、目当ての剣は取り逃がし、鬼丸泰一にこてんぱんにしてやられ、やったことと云えば子供一人を不具にしただけではないか。挙げ句に今宵のこの失態。全然、話にならんわ。駄目男め」

 話を聞いているうちに、ロランはどんどん重たい荷物を背負わされたようになって、唇を噛みながら項垂れた。デュランダルは容赦せず、なおもロランを叱る。

「だいたいあの娘は強い男が好きなのであろう? ならば我の力で覇剣戦争を制したところで、そのときにおんし自身が強くなっておらねば、あの娘の心は得られんのではないのか?」

 それは突然、思いがけずしてロランの目の前にひらかれた真実だった。

「そうだ、そうだよ……どうしてもっと早くに気づかなかったんだろう」

 ロランは愕然として両掌りょうてで顔を覆った。

「大事なのは覇剣戦争に勝つことじゃない。僕自身が強くなることだったんだ……!」

 それを最後に言葉が涸れた。せせらぎが聞こえる。瞳のような形をした月が夜空からロランを見ている。デュランダルはもう一切、声をかけてはこなかった。その無言が、冷淡さが、あるいはロランの心に残っていた最後の甘えを打ち砕いたのかもしれない。

 ロランはやっと顔を上げた。その青い目には、それまでとは違った輝きが宿っている。

「デュランダル……どうすればいい? どうすればあいつに勝てる?」

 だがデュランダルの返事はなかった。眠っているのではないか、とロランはにわかに憤って、左手でデュランダルを勢いよく引き抜いた。その白く輝く刀身を目掛けて叫ぶ。

「強くなりたいんだよ!」

 その白熱の叫びに、デュランダルは応えてくれた。

「やっとその境地に立てたか。遅いわ、うつけ」

 それには、ロランは苦笑いをするしかない。デュランダルはまだ文句を言い足りない様子だったが、そこはさすがにこらえて口を切った。

「あの男に勝ちたいと云ったな? それならば――」

 ところがデュランダルがそう話し始めたとき、後ろで小石を蹴る音がした。

「誰だ!」

 ロランは弾かれたように立ち上がって振り返り、そこに意外な人物を見た。

「おまえたちは……」

「よう」と、白人の男が片手をあげる。その傍には東洋人の男もいた。彼らこそはロランがインターネットを通じて呼びかけて募った六人の仲間の、最後の生き残りであった。這々の体で逃げてきたらしく、頭髪は乱れていたし抜き身の剣を片手に引っ提げたままだ。

「声がしたと思ったら、光りが見えたんでな」

 東洋人の男がデュランダルを見ながら云った。どうやらこの聖剣の放つ光輝が目印となって、彼らを呼び寄せてしまったらしい。

「生きていたのか」

「おかげさまでな」

 白人の男の言葉には皮肉な棘がある。それもそのはず、あのときロランは聖光爆裂破でこの二人ごと泰一を焼き払おうとしたのだ。だからロランにとっては気まずい再会であった。どうやって機嫌を取ったものか、ロランが思案に余っていると、デュランダルが出し抜けに云った。

「ちょうどよいわ。ロラン、そこの二人を斬れ」

 戦慄が全員を打った。出逢って間もない三人だ、まだ仲間と呼べるほどの絆はないが、それでも同じはちすに乗った仲だったのである。その蓮を、こともあろうにデュランダルが壊してしまった。

「おい!」

 ロランはデュランダルに向かって叫んだが、デュランダルは恬然てんぜんとして云う。

「今のおんしに必要なのは場数を踏むことぞ。それにこれは覇剣戦争、こちらの都合で徒党を組んだ仲なれど、どうせ最後には戦わねばならん相手よ」

「そうだが……!」

 ロランは手元のデュランダルと、二人の男とをかわるがわるに見た。

「相手は二人だぞ?」

「あの男は六人を相手に斬り破ったが?」

「ぐっ!」

 ロランはまるで腹を殴られたように呻いた。鬼丸泰一が六人を相手に一歩も引かなかったのに、自分が二人を相手に逃げ出したのではなんとも情けないではないか。しかし二人を相手に、利き腕ではない左腕で戦わねばならぬというのは、甚だ不安である。デュランダルという強みを天秤にかけても、四対六でこちらが不利である気がした。

 そうしたロランの計算を、デュランダルはさも侮蔑しているかのように云う。

「おい、ロラン。ここがおんしの、男としての瀬戸際ぞ」

 その言葉がロランの心臓を一撃した。

「おんし強くなりたいのであろう? あの男に勝ちたいのであろう? ならなんでここで怖じけるん? 有利も不利も関係なかろうが。ロラン、強くなるんなら、それは今ぞ。ここで一皮剥けねば、おんしは終わりぞ。ここで戦わねば、なんで男に生まれてきた? 男に生まれてきた甲斐がないぞ、ロラン!」

 ドーン! とロランの心のなかで大輪の花火が打ち上げられた。それは闇のなかに咲く光りの花、やっと目醒めたロランの男らしさの、華々しい産声であった。

「やってやるよ!」

 猛々しく叫んだロランは、もはや捨てるもののない荒んだ目をして二人の男を睨みつけた。そのときには、二人の男もロランの闘志にあてられたようにそれぞれ剣を構えている。一人と二人は、ここに決定的に対立した。

「いくぞ、おまえら! 覇剣戦争だ! ぶっ殺してやる!」

「ちょっと良い剣持ってるからって、粋がるなよ若造!」

「そのお綺麗な顔を膾にしてやらあ!」

 そう殺気立つ二人の男に向かって、ロランは一も二もなく勇躍した。彼の『ローランの歌』に謳われる伝説の聖騎士・勇者ローランのように。

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