第二話 覇剣戦争

  第二話 覇剣戦争


 そも覇剣戦争とはなんであるか?

 それを話すに際して、一行はひとまず泰一の自宅へ向かうことにした。

 ところで抜き身の刀を引っ提げてのこのこと道を歩くわけにはゆかない。泰一がこの刀をどうしたものかルナたちに諮ると、ルナは微笑んで泰一の手から刀を受け取った。次の瞬間、刀は白い輝きを放ち、ルナの腕のなかで黒い着物姿の女童めのわらわに変身を遂げていた。

「こいつもか!」

 泰一は一声叫んでその女童を睨みつけた。

 まるで市松人形のような娘である。十歳くらいで、黒髪は地に着きそうなほど長い。ルナはその女童を地面に下ろすと、小腰を屈めて優しく声をかけた。

菊子きっこ、ありがとう」

 すると菊子と呼ばれた女童は得意気に胸を張って鼻孔を膨らませた。

「なあに、敵に塩を送るも武士もののふの道よ。それにわらわも使い手の決まっておらん剣と戦うのは空しいからの。戦さの始まる前までは、このくらいの手助けはいくらでもしてやろう」

 そこで言葉を切った菊子は、子供とは思えぬ賢しげな目を泰一にあてながら、ソルとルナの方へ体を傾けた。

「妾の契約者と較べても見劣りせぬ、大した使い手であった。契約してもらえるとよいの」

「ええ」

 ルナが淡い微笑を浮かべて首肯うなずいた。

 そのあと菊子はルナやソルと二言三言交わしたあとで、突然一同に背を向けた。

「ではの」

 菊子がとことこと歩いていく。

「行っちゃうよ、先生?」

 正行がそんな菊子の後ろ姿を見てそう声をかけてきたのだが、泰一は追おうとは思わなかった。今の短い会話からでも菊子がルナたちとは少々立場を異にする者であることが判ったからだ。ところが菊子の方が、忘れ物に気づいたように泰一を振り返って笑った。

「またの」

「また……?」

 泰一はそう繰り返して眉宇をひそめた。

「もう一度会うことがあるというのか」

「会うよ。きっと会う。おぬしがこの覇剣戦争に出るならば、の話だがの」

 菊子はそんな予言を残して、今度こそ振り返らずに歩み去っていった。その小さくなっていく後ろ姿を見送りながら、ルナが思い出したように言い添えた。

「あの子は菊子と云って、本来なら私たちとは敵同士なのですが、今日だけ特別に力を貸してくれたのです。菊子が今どこでお世話になっているのかは、私たちも敢えて聞いていませんが」

「……その辺りの経緯ゆくたてについても、いちいち説明してもらうぞ」

 泰一はいつになく低い声で念押しし、一行の先頭に立って歩き出した。神社裏の公園を出ると、泰一の生家までは徒歩かちで五分とかからない。


 警察官というものは、独身であれば普通は寮に住み、結婚して初めて寮から独り立ちをする。ところがどこにでも例外というものはあって、泰一の場合はまず母親を亡くし、ついで父親が病に臥せったときに看病という理由で実家に帰った。父が亡くなったあとも、家を無人にするのを嫌って寮には戻らず、自宅に一人で住んでいる。

 その自宅というのが、こぢんまりとした日本家屋である。耳門じもんをくぐるとちょっとした前庭があり、そこから家を回り込めば庭木と物干し竿のある庭に出るのだが、今は玄関の引き戸を開けて正面から家に上がった。

「へへっ」

 何度も遊びに来ていて勝手を知っている正行が、靴を蹴り脱いで一番に廊下を走っていった。

「転ぶなよ」

 泰一はそう云いながら小腰を屈めて、正行の履き物を整えてやった。

「腕白な子ですね」

 ルナのその呟きに泰一は苦笑を浮かべた。

「あれでも道場のなかでは神妙になるのだ」

 とはいえ、一度道場を出るや正行はたちまち悪戯坊主に逆戻りしてしまう。竹刀の扱いは上手くなっても、肝心の礼法がいまいち身につかないのでは困ったものだ。

 ソルとルナはさすがに正行のようなことはせず、客人としての分を弁え、泰一のあとに付き従って歩いた。泰一がいつも客を迎える床の間付の座敷に顔を出すと、そこではもう正行が座卓の傍らで胡座あぐらになって待ち遠しげに障子の方を見つめていた。

「先生、早く早く。おれ、どうやって剣が人間になるのか聞きたい」

「俺もそれは気になるな。まあ座れ。茶くらい出そう」

 泰一はそう云いながら手振りで二人に座るよう促したのだが、ソルがやにわに声をあげた。

「お待ち下さい。今さらなのですが、そこの子供に聞かせる話でもないと思うのです。少年には引き取っていただきたい」

「えええ!」

 正行が甲高い声をあげた。除け者にされようとしているこの子供の肩を持って、泰一も笑いながらソルの青い瞳を見返した。

「それなら、正行がおらんときに仕掛けるべきだったな。こいつももう関係者だ。話くらいは聞かせてやってもいいだろう」

「いいえ!」

 ソルは思いのほか強い調子で言った。眉根がきつく寄っている。

「覇剣戦争とは文字通りに戦争です。戦さの話に子供を交えるべきではありません」

「私もソルに同意見です。巻き込んだ私たちが云えた筋ではないのですが、深入りされる前に遠ざけておいた方がよろしいかと」

「ふむ……」

 泰一は顎に指をあてた。これが本当に戦さの話であるなら、二人の言い分はもっともだ。

「わかった。正行」

「げっ」

 正行は泰一の心変わりを悟ってか縋るような目つきをしたが、泰一は師の威厳をもって粛然と命じた。

「しばらく庭で遊んでおれ。取るに足りぬ話であったなら、あとでおまえにも教えてやる」

「いやだよ、先生」

「正行」

 泰一が低い声色を使うと、正行は唇を噛みながら立ち上がった。

「わかりました。失礼します」

 正行はいかにも不服そうに口だけで云うと、泰一とは目も合わさずにソルたちの傍らをすり抜けて足早に部屋を出て行った。憤懣やるかたないといった足音が廊下を遠ざかっていく。

「ちょっと可哀想でしたかしら」

 ルナがそう呟いた通り、泰一の胸にもすまぬことをしたという想いがあった。

「かくなる上は、さっさと話を終わらせて正行の機嫌を取りにいくか」

 泰一はそう云いながら、冬には炬燵にもなる座卓を横倒しにし、部屋の片隅へ運んだ。そうして畳の部屋に空間を作ると、床の間を背にしてどっかりと胡座を掻いた。その正面にソルとルナが端座する。向かって右側にソル、左側にルナという配置である。

「……で、そもそもおまえたちは何者だ?」

「人間ではありません」

 泰一の問いかけに対して率直に答えたソルが、それを端緒と語り始めた。

「優れた剣には霊格があり、意志が宿り、人格が生じます。そしてついには人間の形をとって二本の脚で歩くまでになる」

「つまり私たちの本性は剣なのです。それが人間に化身しているのです」とルナが補足した。

 泰一は喉の奥で唸った。娘が剣になり、剣が娘になる。それをこの目でしかと見ていなければ、そんな話は妄言として一笑に付すところだ。

「日本にも付喪神つくもがみと云って、長年使い込まれた道具には霊魂が生じるという伝説があるが、それと同じか?」

「存在としては似たようなものかと」

 澄まし顔で答えたルナの横で、ソルがしゃちほこばって話し出した。

「こうした霊格のある剣を総称して『名剣』と呼びます。名剣は世界各地に千口せんふりあると云われていますが、先日、その千の剣が一堂に会して話し合いの場を設けました。すなわち、名剣会議です」

「この名剣会議には、本当に古今東西、ありとあらゆる名のある剣が人の形をとって集まりました。神殿や美術館、博物館にある剣たちも、贋物を拵えて脱走してきたほどです。それもひとえに我らの悲願を達成するため」

「悲願とは?」

 泰一がそう尋ねると、ルナはにわかに居住まいを正して凛然たる声を響かせた。

「究極の剣を決することです」

「究極の剣?」

「はい。そしてその究極の剣を決するための戦いこそが、覇剣戦争なのです」

 厳かにそう断じたルナの後を引き取って、またソルが話し始めた。

「云うまでもないと思いますが、この時代にあっては、もはや剣が戦さに用いられることはありません。最近の人間は銃どころか、無人の機械やミサイルで戦うようになったのです。ならばもうよいのではないかということで、この度、覇剣戦争が執り行われることになりました」

「で、仔細については?」

 泰一が先を促すと、そこからはまずソルが、次にルナが、交互に隙間なく話し始めた。

「つまり私たち名剣がそれぞれに主を選び、戦い、勝った方に負けた方が降るのです」

「負けた剣は勝った剣にすべてを奪われます。刀身、霊格、意志、力のすべて……全部吸収されてしまいます。あとに残るのは伝説だけ……」

「一方、勝者は奪った分だけ剣としての力と格を高めていきます。こうして戦いを繰り返していくうちに、千の剣は一つの剣に統合されます」

「それこそが究極の剣」

 ルナがそう話をいったん結ぶと、泰一はふむと喉の奥で唸った。

「……筋書きはわかったが、その覇剣戦争、いつどこで行われるのだ?」

「六日後、つまり五月一日から、この日本国において開戦されます」

 ソルの口からその答えを聞くや、泰一はぎょっと目を剥いた。

「なに、日本で!」

 泰一の驚きをどう受け取ったか、ルナが一つ点頭して話し出した。

「使い手はどこの誰を選んでも構わないのですが、戦場は日本です。名剣会議で決定されました。すでに名剣とそれに選ばれた剣士たちは陸続と入国しており、開戦の日に備えている状態です。私たちはまだ使い手を得ていないので、こうしてお願いにあがっているわけですが――」

「待て待て待て!」

 泰一は片膝立てて身を乗り出し、掌をルナに向けてその言葉を制した。

「では六日後、おまえたちはこの日本において、白昼堂々――いや、夜間かもしれぬが、とにかく剣を振り回しての大一番を始めようというのか」

「はい」

 ルナの涼しげな首肯に、泰一は大喝した。

「そんなことは通らん!」

 二人の少女は目を丸くし、ルナの方が「なぜ?」と小首を傾げて問うた。

 泰一はふたたび胡座を掻き、両手で両膝を掴んだ。その手に込められた力が泰一の憤激をあらわしている。警察官としてのいかりが火を吹いていた。

「よいか、いやしくもこの日本国は法治国家である。そんな私闘は断じて認められん。警察が必ず介入する」

「ところがもう話はついているのです」

 ソルの言葉に、今度は泰一が目を丸くする番だった。さらにルナが言い添える。

「日本国の政府、警察、司法、その他すべてが六日後からのこの国における覇剣戦争を承認しております」

「ありえん! なぜだ!」

 愕然と叫ぶ泰一にソルが云う。

「なぜといって、この戦いにはこの国で最高の霊格を持つあの剣も参加するからですよ」

「あの剣?」

 鸚鵡おうむ返しに尋ねた泰一に、ソルは一つ頷いて目を天井にあげた。

「ここはたしか尾張と呼ばれる地方でしたね。でしたら彼の神剣が奉じられている神殿は、ここから僅々数里の距離にあるはずですが……」

 それで目の前の霞が一気に晴れ、泰一は思わず身を乗り出していた。

「あれか!」

「はい、あれです」とルナ。

 固有の名こそ挙げなかったが、三人のあいだにある一つの畏怖すべき名前が結ばれたのは云うまでもない。泰一は張り詰めた顔でルナに訊ねた。

「あの剣も無関係ではないというのか?」

「それはもちろん。この戦さは古今東西すべての名剣が覇を競うもの。当然この国においても名のある剣はすべて出陣いたします。で、彼の神剣がこの国の領土を戦場として提供したのです。日本政府は承諾せざるを得ませんでした」

「そうであろうな」

 泰一はふたたび畳に腰を落ち着けながら渋面を作った。彼の神剣は元を正せば蛇より生じた邪剣である。伝承においては様々な災厄がしばしば神剣の祟りと結びつけられている。その霊威が本物ならば、神剣の要求を退けた場合、この日本国にどんな災いをもたらされるか知れたものではない。木端役人どもが唯々として従ったのもむべなるかな。

「ふむ。これで大体わかった」

 納得はしていないが、理解の光りの差した目で泰一はソルとルナを交互に見ながら云った。

「つまり覇剣戦争とは、六日後からこの日本において、古今東西の名剣がナンバーワンを決するために覇を競う戦い――ということだな?」

「その通り」とソル。

「で、おまえたちはその戦争に参加するにあたり、使い手として俺を見込んだと?」

「まさにそういうことです」とルナ。

 二人の明瞭な返答を聞いた泰一は、腹のなかで一匹の龍が目覚めるのを感じた。応諾の言葉を求めている二人の少女を見返して、瞳は剣呑に輝いた。

「下らん! 断る!」

 自らの清冽な声音が二人の少女の希望を打ち砕くのを泰一は見た。それに茫然としたのも束の間、ソルが愕然と立ち上がって両手を広げた。

「なぜです?」

「なぜと問うなら答えてやろう。その覇剣戦争、それは要するにおまえたちの名誉欲、見栄、権力争いではないか。どうして俺がそんなものに手を貸さねばならんのだ」

「それはあんまりなお言葉!」

 ソルはにわかに燃え上がった。「ソル」とルナがソルの服の裾を引いて座るよう促したのだが、ソルはそれにも気づかぬ様子で泰一目掛けて次々に矢声を放ち始めた。

「我ら千の剣は神話の時代よりこのときをずっと待ち望んでいたのです。しかし人間が我らの力を欲するがゆえに我慢をしてきた。人間の戦争のために、この地上に留まり、人間に力を貸し続けてきた。でも人間は戦争に剣を必要としない時代を迎えたのですから、今こそは人間が我らに報いていただきたい。すべては、至高の鞘に出会うため!」

 そう一気呵成に捲し立てたソルは、そこで言葉の断崖に突き当たったというように絶句した。一方、泰一はソルが最後に口にしたある単語に片眉をあげた。

「なに、至高の鞘?」

「はい」と穏やかな声音で応じたのはルナである。

「至高の鞘はこの地上のどこにもない、ただ究極の剣の前にのみあらわれると聞きます。男が女に惹かれるように、剣は鞘に惹かれるのが宿命。究極の剣となって至高の鞘に収まることこそ、千の剣のすべての悲願」

 そうしたルナの水のような声を聞いているうちに落ち着きを取り戻したのか、ソルはふたたび泰一の前に端座すると両手をつかえて泰一に迫力のある眼差しを据えた。

「鞘は剣にとって故郷のようなもの。この地上で戦さの務めを果たし終えた我らが、いざ故郷に帰らんがために果たさねばならぬ通過儀式こそが、この覇剣戦争なのだとお考えください」

 ほんの少しだけ、泰一のなかで天秤がそれまでとは反対の側へ傾いた。故郷を愛する心は、人間ならば誰もが持っているものだからである。

 そこへさらにルナがこんなことを云った。

「それにこの話、あなた様にも得るものがあります」

「なに?」

 それは本当に意外であったので、泰一は面を打たれたように目を丸くしてしまった。

 ルナは居住まいを正して滔々と語り出した。

「究極の剣の前にのみ、至高の鞘はあらわれる――そして究極の剣を至高の鞘に収めるとき、剣と鞘は、それを成し遂げた者、すなわちこの戦いの最終勝者に一つだけどんな願いも叶えると云われています」

 泰一は目を瞠った。

「どんな願いも?」

「はい」と、ソルとルナの声が綺麗に重なった。

 泰一は眉間に皺を集め、差し俯いて考え込んだ。どうにも眉唾である。そんな都合のいい話は信じられない。だが剣が娘になり、娘が剣になるあの超常的な現象を、自分は目の当たりにしたではないか。その延長線上には、そんな奇跡があるのかもしれない。

 泰一は眉を開いて二人の少女にわらいかけた。

「それが本当なら、欲惚けた連中が群がりそうな話ではあるな」

 ソルもルナもなにも云わず、泰一も笑みを消して黙った。それきり沈黙が座を占めた。まるで砂時計の砂が落ちきるのを待っているかのような沈黙である。その不可視の砂時計が見えたのか、砂が全部落ちきったときに泰一がやっと口を切った。

「……二つ、わからんことがある」

「なんなりと」

 ソルがそう棹を差した流れに乗って、泰一は一つ目の問いを投げた。

「究極の剣を至高の鞘に収めるときに願いが叶うと云ったな? では何度も剣を抜き差しすればどうなる? そのたびに願いが叶うのか?」

「いえ、一度だけです」

 言下にはっきりと断じたソルに、ルナが次のような補足を加えた。

「ひとたび至高の鞘に収められた究極の剣は、もう決して抜いてはなりません。ふたたび抜かれるとき、究極の剣はまた千の剣となりてこの地上に降り注ぐのだと云われています。そして至高の鞘は失われてしまうのだとか」

「つまり、振り出しに戻るということか?」

「はい」

 ルナがこっくりと首肯をしたので、泰一の一つ目の疑問は晴れた。

「ふむ。もう一つ――」

 泰一は二つ目の問いを投げるにあたって、ソルとルナを改めて見比べた。名前もそうだが、外見そとみも対照的な二人である。片や赤の短髪で美少年のような太陽の美少女、片や黒の長髪で深窓の令嬢めいた月光の美少女。双子というにはあまりにも隔たりはあるが、対をなしているのはあきらかだ。一幅の絵として見るなら、こんなに美しい少女たちは他にないであろう。しかし。

「おまえたち、なぜ仲良く肩を並べている?」

 これにはソルもルナも目を丸くしたが、そんな反応こそ泰一には意外であった。

「今までの話によると、これから始まるのは千の剣が覇を競う戦さであり、究極の剣はただ一口でしかありえない。であるならば、おまえたちもまたライバル同士ではないか。それがなぜ二刀流の剣士などを求めている? 相争う仲ではないのか?」

 そこまで聞けば泰一がなにを不思議がっているのか呑み込めたのであろう、まずソルが勇ましげな顔をして口を開いた。

「無論、最終的には雌雄を決することになるでしょう。しかし私たちは千年前、ある一人の騎士の、双の手に握られてともに戦った姉妹剣。決着をつけるのは最後でいい。つまり最後まで生き残れたとき、そのとき力の強い方に弱い方が降ろうという取り決めです」

「それに正直なところ、私たちはそれほど格の高い剣ではありません。聖剣にあらず、魔剣にあらず、さりとて神剣にあらず。ましてエクスカリバーとかデュランダルといった、世界的に有名な剣とは違うのです。そんな私たちですから、いずれ決着をつけるにしても、そのときが来るまでは共闘しようと決めたのです。で――」

 そこでルナは息継ぎをして、声に微笑みを含ませて続けた。

「ついでだから申し上げておきますが、剣としては格の低い私たちですからこそ、せめて使い手だけは優れた人物を選ぼうと思い、今日までこれはという人を探し求めてまいりました。そして今日、ここにあなた様を見出したのです」

「なるほど、事情はすっかり解った」

 泰一は開眉して莞爾かんじと笑った。この剣と人の姿を行き来する不思議な美少女たちの正体、彼女たちが自分に持ちかけた覇剣戦争の概要、それに付随する諸々、そして彼女たちの戦いへの意志、使い手を求むる心、すべて拝見させてもらった。

「では――!」

 ソルとルナが異口同音に云って身を乗り出した。二人の目は今度こそ期待に輝き、はち切れんばかりである。果たして返事をしようとした泰一の顔に、一瞬の憐憫が過ぎった。

「いや、悪いが断る」

 二人に落雷を受けたような衝撃があったのは、その面貌からもあきらかであった。泰一は二人を気の毒がったが、こればかりは譲るわけにはいかない。そう思っていると、部屋の入り口からあどけない少年の声がした。

「どうしてだよ、先生? 勝ったらどんな願いでも叶うんだぜ?」

 泰一ははっとして声のした方を見やった。障子に半ば体を隠し、しかし顔だけは出して、一人の子供が部屋のなかを覗き込んでいる。

「正行……!」

 泰一の目にたちまち憤怒の焔があがった。ソルたちとの話に夢中になって気づかなかったのは泰一の不覚だが、泰一はたしかにこの部屋から出て行くよう命じたのである。それを足音を忍ばせて戻ってきた上、盗み聞きとは!

 泰一の怒りを素早く感じ取ってか、正行は悄気た様子で座敷に入ってくると口を切った。

「盗み聞きしたことはごめんなさい。でも――」

「でも、なんだ?」

 泰一が威ある声で訊くと、正行は震え上がりながらも命がけのように云った。

「どんな願いも叶うっていうなら、おれなら飛びついちゃうよ」

「むう……」

 泰一は怒っていた。たしかに怒っていたが、しかしこれは正行に一つの訓戒を垂れる良い機会ではないかとも思い直した。怒りをただ爆発させるよりは、正行の手を取って正しい道へ導いてやる方がよい。また失意のうちにあるソルとルナに対しても、今まで充分な話を聞かせてもらった分、こちらの胸のうちを明かすのが筋であろう。

 そう思うと泰一の怒りの焔は衰え、顔には優しい晴れ間が差した。

「人殺しにはなりたくないからだ」

 泰一が晴朗にそう云うと、ソルとルナと正行は揃って梟のように目を丸くした。泰一は胡座を掻いたまま、しかし胸を張り、ルナに目を注いで尋ねた。

「ルナよ。この覇剣戦争、千の剣の覇を競うというが、いったいなにをもって勝利とするのだ。云ってみろ」

 するとルナは居住まいを正し、口元をきりりと引き締めて答え始めた。

「一つには相手の剣をへし折ること。もう一つには剣が契約した使い手に負けを認めさせ、使い手自身にその剣を捧げさせること。そして最後の一つが、剣の使い手を殺害することです」

「それみろ」

 泰一が険しい顔をして飛びつくように指摘したのは、その三つ目の勝利条件のことである。

「つまりこの戦いにおいては、人が死ぬ。殺し殺される。そういうことだな?」

「はい。ですが先ほども申し上げました通り、この日本政府は既に覇剣戦争を承認しております。この戦い、たとえ人を殺しても罪に問われるようなことはありません」

「法に裁かれなければ良いというものではないのだ!」

 泰一はルナを大喝すると、畳の上に立ち尽くしている正行を仰ぎ見た。

「なあ、正行。せっかくこの平和な時代に生をけたのに、なんで血塗れの殺し合いをせねばならん? どんな願いも一つだけ叶うという御伽噺おとぎばなしのためか? それこそ笑止。俺に我欲がないとは云わんが、その我欲のために万が一にも人を殺めるようなことがあってはならん。人を殺してまで叶えたい願いなどない。どう考えても釣り合わん。そう思わんか?」

 正行は少しの躊躇もなく首を縦に振った。その心意気や良し! 泰一は嬉しくて、自然と口元をほころばせた。

 そんな泰一の傍から、ルナが悲しそうに云う。

「あなたがそのような正義感を発揮したところで、覇剣戦争は止められないのですよ?」

「それはそいつらの勝手だ。すべてを承知した上で、殺したり殺されたりの世界に飛び込んでいくのなら、俺はなにも云わんし、止められん。好きにすればいい。が、俺をそんな修羅の巷に引きずり込んでくれるな」

「……っ!」

 ソルがなにかを云おうと身を乗り出してきたが、泰一はそんなソルをまごころの籠もった熱い目で見た。それでソルも意気を挫かれてしまった。

 それからしばらくは火の消えたような沈黙があったが、泰一はふと思い出したように云った。

「それに、俺は病気でな」

 えっ? と呟いた女の声は、ソルであったかルナであったか。泰一がその見極めをつける前に、正行が茫然とした様子で云った。

「先生、病気って……」

 それきり正行はなにを云えばいいのかわからなくなってしまった様子である。しかし当の泰一はにやりと不敵にわらってみせた。

「実はおまえと行き合ったのも病院の帰りなのだ。少々、重い宣告を受けた」

 すると正行の瞳が小さく揺れた。彼は驚懼したようだった。

「先生、死ぬの?」

「今日明日という話ではない」

「死んじゃうの?」

「人は誰でもいつか死ぬ」

「そうじゃなくてさ!」

 張り裂けそうな少年の叫びを聞いて、泰一は少しのあいだ目を閉じた。正行がなにを聞きたがっているのかはわかっている。しかしこれを子供に話してもよいものであろうか。泰一が迷いの晴れぬまま目を開けると、正行がまだ十歳のくせに一人前の顔をして、一歩も譲らぬという気構えをみせている。

 ――少しは大人扱いしてやるか。

 泰一はそう片笑窪を彫って、ソルやルナたちにも聞かせるつもりで白状した。

「癌だ。膵臓の癌でな、動脈に絡んでいて、摘出手術は難しいと云われた。抗癌剤の投与が主な治療法になるということだが、まあもって半年か一年か、そのくらいであろうよ」

 そこで泰一は正行から目を切り、ソルとルナに優しく微笑みかけた。

「そういうわけで、俺はそう遠くないうちに痩せ細って剣も握れんようになる。おまえたちの期待に応えられるような、強い剣士ではなくなってしまう。諦めて別の剣士を探せ」

「そんなのおかしいよ!」

 あまりのことに絶句しているソルとルナを飛び越して、正行がそう叫んだ。のみならず泰一のすぐ傍らにまで詰め寄って幼い声を一所懸命に振り絞った。

「それだったら、その覇剣戦争ってのに参加して至高の鞘ってのを手に入れればいいじゃないか! どんな願いも叶えられるっていうなら、病気くらい治るはずだろ?」

「云ったであろう。人を殺してまで叶えたい願いなどない」

「じゃあ殺さないようにすればいいじゃないか!」

「それは理想だ。不殺を貫いて勝ち残れるほど甘い戦いではあるまい。殺らねば殺られるという瞬間は必ず巡ってくるだろう。そういう状況に立たされたとき、俺はあるいは、電光石火に相手を殺してしまうかもしれん。俺はそれが怖い。恐ろしい」

「先生……」

 愕然と打ちのめされてしまった正行を尻目にかけ、泰一はソルたちに眼差しを据えた。

「話は終わりだ。帰ってくれ」

 ソルとルナは顔を見合わせた。そしてその目に無念の色を湛えながらも、泰一に一礼して立ち上がり、踵を返して部屋を出て行く。

「あっ……」

 正行がそれを引き止めようとして、その手を空しく握り締め、悠々と胡座を掻いている泰一を涙の光る目で見下ろしてきた。

「先生は、おかしいよ」

「ほう。どうしてそう思う?」

「だって、誰だって死にたくないはずだろ? 自分が生きるためなら、仕方ないじゃないか」

 正行が苦しげな顔をして言葉を濁したのを、泰一は見逃さなかった。

「仕方ないとは、なにが仕方ないのだ?」

「それは……」

 正行の顔に怖れが浮かんだ。泰一はさらに踏み込んだ。

「自分が生きるためなら、人を殺すのも仕方ないか? それならそうと、なぜはっきり云えぬ?」

 正行はなにか嘔吐を堪えるような呻き声をあげた。口のなかいっぱいに酸っぱいものが詰まっているかのようだった。

「云えぬか?」

 泰一が責めるように問い糺しても、正行はなにも云えない。と、ここで初めて泰一は顔を和ませた。

「それでよいのだ」

 泰一は立ち上がると、正行の頭を撫でてやった。正行はようやく息をすることを許されたというように安堵の表情を浮かべている。

「俺もおまえと同じだ。自分が生き残るためなら人を殺しても……とは云えぬ。この覇剣戦争には、俺には想像も及ばぬ貴い願いを懸けている者もいるだろう。それをただ自分が生き長らえたいがために、そうした願いを踏みにじり、人を殺して……そんなものは鬼だ。地獄だ。俺は、そんな鬼になって生きるくらいなら、布団の上で平和に死にたい」

 そのとき雲が太陽を覆ったのか、障子を透かして入ってくる光りが減じて、部屋が青白い薄闇に沈んだ。正行がつと顔をあげた。それがいやに大人びている。

「先生は、優しいね」

 正行はそう云いながらも、負けん気の漲る顔を部屋の出口の方へ振り向けた。

「でもおれは納得できない!」

 それを号令として、正行は風に転がる桶のように部屋を飛び出していく。

「正行!」

 泰一がそう制止の声をあげても、正行は止まらなかった。


        ◇


 よく磨かれて黒光りしている廊下を、靴下を履いている正行はときおり滑って転びそうになりながらも玄関まで走り抜け、靴を履くのももどかしくて靴下のまま飛び出した。

 ソルとルナはちょうど耳門をくぐって出ていこうとしているところだった。

「待ってよ!」

 正行がそう声を張り上げると、二人の少女は弾かれたように振り返った。正行は前庭を駆け抜け、二人の少女の前まで行くと息を整える間もなく自分の胸を掻き毟った。

「おれと契約してくれ! おれが先生を助ける!」

 前置きもなにもなく言葉をぶつけたからソルたちは呆気に取られたようだった。だがすぐに正行がなにを考え、なにを決意したのか解ったのだろう。ソルが柳眉を逆立てた。

「自惚れるな! 体も出来上がっていない子供になにができる!」

 その面罵に、正行は泣きそうになった。それを見かねてか、ルナがソルを抑え、代わりに優婉な声で云う。

「坊や、心意気は立派です。しかし坊やのような幼子を戦いに駆り立てることはできません」

「でも!」

 ルナならばソルと違って少しは話を聞いてくれるかもしれない。正行はそう思って食い下がったのだったが、ルナの瞳は氷のように冷たかった。

「絶対、できません」

 正行はまたしても泣き出しそうな顔をしたが、涙はこらえてこう云った。

「じゃあせめてもう少し待っておくれよ。母さんに話してみる」

 それにはソルもルナもちょっと目を丸くした。

「……あなたの御母堂がなにか?」とルナ。

 正行は目元を素早く拭うと、少しだけ顔を希望に輝かせて笑った。

「おれの母さん、先生とは幼馴染ってやつなんだ。だからおれやお姉ちゃんたちが駄目なことでも、母さんが云えばきっと……」

 正行はそこに願いをかけていた。その儚い希望をなんとしたものか。ソルとルナは目と目で通じ合うと、正行を見下ろした。まずソルが口を切った。

「正直なところ、誰がなにを云おうとあの御仁が我らを手に取ってくれるとは思わない」

「しかし、私たちもあの方は惜しいのです。あの方は技だけでなく心もお強い。できれば私たちの使い手になっていただきたい。そこで――」

 ルナはいったん言葉を切り、薔薇色の唇に微笑みを含んだ。

「そこで坊やの意気に免じて、三日だけ待ちましょう」

「三日?」

 目を見開いて鸚鵡おうむ返しに呟く正行に、ソルの方が首肯して答えた。

「覇剣戦争の開戦は六日後、ゆえにその半分の三日までは待とう。三日で駄目なら、私たちは鬼丸殿のことは諦め、別の使い手を探すことにする」

「それでよろしいですね、鬼丸様?」

 ルナのその言葉は、正行の背後に向かって投げかけられていた。正行が肩越しに振り返ると、泰一が開け放された玄関の引き戸に左肘をかけて、こちらをねめつけているところだった。

「三日後、正行とどこで会う?」

「どこででも」

 ルナがそう答えると、泰一は玄関から出て来て前庭の飛石を踏みながら、その場の全員に聞かせるように云った。

「剣道場にせよ」

 どうして? と正行が問おうとしたのに先んじて、泰一はソルたちに、この近くに自分が幼少のころに通っていた剣道場があること、今はそこで正行らに剣道を教えていることなどを話し、その番地を伝えていた。

「心得ました」

 ソルとルナが二人声を揃えて頷いたところで、正行は自分の順番が回ってきたと思った。

「先生、どうして剣道場なの?」

 すると泰一は正行を見下ろして、まるで悪童が勝ち誇るように笑った。

「三日後なら、ちょうど連休に入っている。俺も病気のことを話せば、三日後までには引き継ぎも終わるだろう。しかもその日は道場が休みではないか。つまり俺とおまえで、その道場を日がな一日独り占め――いやいや、二人占めできるというわけだ」

 正行は事情がよく呑み込めずに首を傾げた。

「どうして道場を使う必要があるの?」

 すると泰一の微笑みが淡い陰りを帯びた。

「……正行よ。おまえの気持ちは嬉しい。だが沙代子がなんと云っても、俺は意見をげぬ。そこの二人には悪いが、応とは云わぬ。だからおまえは三日後、泣くことになるだろう。そんなとき、竹刀を握れば、くさくさした気持ちも晴れるというものだ。おまえがくたくたになるまで稽古をつけてやろう!」

 つまり泰一は正行がソルたちに悪い返事を伝えたあと、すぐ稽古に移れるように、剣道場を選んだというわけなのだ。

 泰一に稽古をつけてもらえるとあれば正行は普段なら飛び上がって喜んだであろうが、今はただ悄然とした悲しい気持ちが胸を締めつけるのみであった。

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