短編

第12話 螺旋のストライクシュークリーム

 昼下がりの休憩時間に入ったあたりで、白猫探偵事務所の正面玄関から野島弥一が帰ってきた。

 彼は右手に提げたビニール袋を掲げ、オフィス内の仲間達に呼びかけた。

「ただいまー。お土産持って帰ってきたぜー」

「何それ?」

 コンビニのおにぎりを食べていた西井和音が目をぱちくりさせる。

「もしかして食べ物?」

「デザートだよ、デザート。こないだ洋菓子店から受けた依頼の報酬だとよ。支払いが済んだばかりだってのに親切なモンだぜ」

「ホームレスの一件か」

 手作りのお弁当から目線を外し、貴陽青葉がいつもの無表情で淡々と述べる。

「従業員の一人がここいらで集落を作ってるホームレスの一人にうっかり廃棄予定のスイーツを与えてしまったのがキッカケで、味を占めた彼らが執拗な物乞いをしてくるようになった、という話だったな」

「大変だったぜ。最初はホームレス側にしぶとく交渉を重ねて、それでも駄目だから結局は俺のコミュニティの力を借りて力押しだもんな」

 ホームレスを撃退した弥一の『とある仲間達』については知らない方がいい。人のプライベートに興味本位な深入りは禁物だ。

 弥一はビニール袋から例の代物を取り出し、青葉達の前にその正体を晒した。

「今後店で発売する予定の新商品、その名も『螺旋のストライクシュークリーム』だ」

「ほほう」

「なんつーネーミングセンス」

 弥一、青葉、和音が頭を寄せ合って『螺旋のストライクシュークリーム』を見下ろす。

 シュークリーム自体の見た目は一口サイズだが、容器であるトレイのサイズはピザ一枚分より一回り大きく、数十個以上のシュークリームがその上で螺旋状に並べられている。

 青葉はトレイの上蓋のラベルに記載されている注意書きを読み上げる。

「なになに? 『一、シュークリームの中身は何が入っているか分からない仕様になっています』、『ニ、最初に中身を割って内容物を確かめると面白さが半減します。ロシアンルーレットみたいにお楽しみください』……何だ、これ」

「食品衛生法的に大丈夫なのか、それは」

 ふらっとこちらにやってきた社長の蓮村幹人が眉を寄せて唸る。

「法第十九条、施工規則第二十一条によると、食品ごとに具体的な表示事項を載せるようにしなければならないらしい。普通はラベルに書いてある」

「乳や卵みたいなアレルギーの原因となり得るものは載っている」

 青葉はつぶさに原材料名の項目に目を通した。

「あとは添加物や着色料ぐらいか。でも、それ以外の記載が見当たらない」

「難しいことはよく分からんっ」

 和音が螺旋の端、最初の一個を摘み上げる。

「ま、入ってたとしてわさびとかその程度でしょ? まずは一口」

「かず姐、ちょっとっ……」

 青葉が止めに入ろうと手を伸ばした時には、既に和音の口腔内でシュークリームは咀嚼されていた。

 最初は美味しそうに頬肉を動かしていた和音の顔が、みるみるうちに青ざめる。

「……かず姐?」

「…………」

 棒のように倒れ、和音の白目が天井を向いた。

「かず姐!」

「お、死んだか」

「西井君、何があった!?」

 弥一が平然としている中、青葉と幹人は慌てて和音を抱き起こした。

「起きるんだ、西井君! こんなところで死ぬんじゃない!」

「ど……」

「ど?」

「どり……あん」

「ドリアン? って、うわ! 臭ぇっ!」

 弥一が鼻を摘んだあたりで、青葉も和音の口元から漂う悪臭に顔をしかめた。

「マジかよ!? ドリアンの悪臭が閉じ込められたシュークリームだと!?」

「青葉、換気だ!」

「了解」

 大急ぎで事務所の窓を全て開け放ち、換気扇まで回し、五分くらいでようやく発酵した生ゴミの如く猛烈な悪臭はほとんど感じられなくなった。

 青葉は肩で息をして、近くに鎮座していた書類棚にもたれかかった。

「最悪だ……二十代半ばの女に喰わせる代物じゃないぞ、これは」

「部外者に見られなくて本当に良かった。あと少しで彼女のイメージダウンに繋がるところだ」

 弥一に和音の介抱をさせている間、青葉と幹人は絶望的な目で悪魔のシュークリーム軍団を見下ろした。

「青葉。これは非常事態だ。もしお前がこれを食して西井君の二の舞になったら……」

 幹人の懸念は尤もだった。何せ、青葉はこれでも十六歳の現役女子高生なのだから。

「店には申し訳無いが、いますぐこれは厳重な処置を施した後に廃棄すべきだ」

「社長に賛成。要らないビニール袋を三枚重ねにしてガムテープでぐるぐる巻きにしてから処分しよう」

「いやいや、ちょっと待てよ!」

 和音をソファーに横たえ、弥一が猛反論してきた。

「せっかく持って帰ってきたってのに、これしきのことで捨てるとか勿体なさ過ぎるだろ!」

「む……」

「俺の汗と涙、そしてお店さんの好意が詰め込まれた奇跡の逸物を!」

「むむ……っ」

 そう言われると幹人も下手に首を横には振れなかった。

「そ……そうだな。あくまで西井君が最初にハズレを引いてしまっただけで、もしかしたらそれ以外はまともな味である可能性も……」

 変な言い訳を重ね、幹人は端のシュークリームを口の中に放り込んだ。

 さっきの和音同様、すぐに倒れてしまった。

「社長まで!?」

「おいおい、今度は何!?」

「ば……バナナ……だと?」

 どうやらバナナ味を引いてしまったようだ。味としては普通だが――

「そうか。社長はバナナが苦手だったな」

「運が無いっすね」

「み……水……」

「ほい」

 青葉が冷蔵庫のミネラルウォーターの五〇〇ミリボトルをそのまま幹人に渡すと、今度は弥一が三つ目を手に取った。

「まあ、俺は基本的に好き嫌い無いしな。悪いが社長と同じ轍は踏まねーよ」

 ぱくっと一口。今回は即効で倒れるようなことは無かった。

 代わりに、弥一の顔つきが物悲しくなる。

「……言い忘れていたが、遺伝子組換え食品の項目に納豆が載っていた」

「先に言えよ、それ」

 どうやらビンゴらしい。

「畜生……変にいい納豆が使われてやがる。納豆なんてな、油揚げに包んでパリパリに焼いて醤油かけて食えばいいんだよバカヤロー」

「泣くな。あれだけ力説しといてみっともないぞ」

 しかし、一口も食べていない青葉からしても、これの製造を企画した連中の神経を疑ってしまう。ネーミングセンスの時点で大概だったが、かりそめにも探偵として百戦錬磨の三人をたった三個のシュークリームで壊滅状態に追い込むとは思いも寄らなかった。

 青葉が四個目を摘み上げて凝視していると、和音が全身を震わせて腕を伸ばす。

「あ……青葉……止せ……! あんたも死にたいのか……!」

「かず姐、大丈夫だ。私は死なん」

 青葉は覚悟を決めた。

「みんなの仇、私が獲る! イタダキマス!」

 実食。さあ、私の舌は何の味を感じ取る?

「……ふむ」

「青葉、どうよ」

「普通に美味しい。メロンクリーム味だ」

「マジか。じゃあ、次からは特に変なのは入って無いのか?」

「さあ?」

 青葉が次の五個目を食べる。

「これは……イチゴ味だ」

「フルーティーなのが続いたな」

「じゃあ、もう変なのは混じってないね!」

 和音が復活し、五個目を食べた。

 再び死んだ。

「かず姐ェええええええええええええええええええええええええええっ!?」

「はひ……ふへ……」

「おい、言語野がマヒってるぞ」

 顔が青ざめるだけでなく、唇が真っ赤になり、さらには舌も回っていない。おそらく激辛の何かを無警戒で受け入れてしまった為に起きた悲劇だ。

「何故だ……何故かず姐ばかりが責苦を受ける?」

「おい、もう面白さなんてどうでもいいからよ、中身割って何が入ってるか調べようぜ」

「最初からそうすれば良かったのだ……!」

 幹人が怒り心頭気味で起き上がり、弥一と共に端から順々にシューの皮を破って中身を白日の下に晒していった。

 すると、おかしなものが出るわ出るわ。

 ウルトラデスソース、明太子、金平糖、QPしゃぶしゃぶドレッシング、甘酒のゼリー、スッポン、ウコン、高麗人参、エトセトラ――

 これにはさすがの幹人も顔面が汗まみれになるくらい狼狽する。

「……これを作った奴は馬鹿なのか?」

「よく店開けましたよね、これ」

 弥一がトマト入りのシュークリームを眼前に掲げて呟く。

「社長。そういやこの中に一人だけ、こいつでダメージを負わなかった奴がいますよね」

「そうだな。さすがに同じ苦しみを与えてやらねば私達が納得しない」

 いい年こいた大人の男二人がいたいけな十六歳女子高生を野獣の眼光で射る。

「そういう訳で青葉、お前も道連れじゃ!」

「会社全体の責任は従業員全員で――」

 襲いかかってきたバカ二人を、青葉は鮮やかな手際でボコボコにして無力化した。

 手をぱんぱんと叩き、青葉はふいーっとひと息ついて説教する。

「あんたらは揃いも揃って馬鹿なのか? この私にパラハラが通用しないのはよく分かっている筈だ。ていうか、労基局に訴えるぞコノヤロー」

 青葉は自分のデスクに戻り、中断していた昼食を再会した。周辺で倒れる仲間達の惨状についてはお構いなしだ。

 自分で作った卵焼きを食べようと、口を大きく開く。

「むごっ!?」

 口腔内に、よく見知った舌触りが飛び込んできた。

 なんと、正面の少し離れたところから、和音が例のシュークリームを青葉の口の中に投擲していたのだ。

「青葉ぁ……お味は如何ぁ?」

 和音の眼は正気を失っていた。道端に生えた毒キノコを食べたら人間は大体あんな感じになるのかもしれない。

 食事の勢いでうっかり咀嚼してしまい、口の中に磯の香りが広がった。

「海苔の佃煮味……だと……?」

 言われるまでもなく不味い。しかも調味料的な味が全くしないという点でも非常に性質の悪い味覚破壊工作だ。口の中が変に磯臭い。

 和音が次のシュークリームを投擲する体勢に入った。

「まだまだ一杯あるわよぉおおおん」

「か……かず姐、落ち着くんだ。話せば分かる」

「そうだぜ、西井ィ」

 ゾンビのように起き上がった弥一が白目を剥いて彼女の横に並び立つ。

「青葉とじっくり話し合おうぜ。残りのシュークリームを全部奴に押し付けるまでな」

「それを人は強要と言わないか!?」

「捕まえたぞ、青葉」

「しまった!?」

 前方のゾンビ二匹に気を取られ、背後からこちらを羽交い絞めにした幹人の気配に全く気付かなかった。完全に不覚を取られてしまった形だ。

「さあ、青葉よ。苦しい時も悲しい時も我らと共に分かち合おうではないか」

「離せこのヒゲオヤジっ……ちょ、かず姐、その数はさすがに胃がもたれる!」

「はい、アーン」

「やめてぇえええええええええええええええええええええええええええっ!」


 こうして、白昼の悪夢は幕を閉じた。


   ●


 証拠映像などの提供でいつも世話になっている白猫の連中には、日頃の感謝を込めて、たまには差し入れの一つでもくれてやろう――などと思い立ち、彩萌署の新渡戸文雄はスイーツが入ったお洒落なビニール袋を片手に彼らの事務所に赴いた。

 この時間なら一人は御留守番くらいしてるだろう。新渡戸は玄関先のインターフォンを鳴らし、およそ三十秒くらいは誰かが出てくるのを待っていた。

 しかし、しばらく待っても誰一人出てこない。それどころか、扉の向こう側は人っ子一人がいる気配すら無い。

 もう一回インターフォンを鳴らして、同じくらい待ってみる。

 やはり、誰も出てこなかった。

「……誰もいない?」

 一応、手前のドアノブを捻って、静かに引いてみる。

 開いた。思ったよりも不用心なことだ。

「鍵のかけ忘れか?」

 だとしたら、普段の彼らではありえない凡ミスだ。付き合いの長い新渡戸なら、真っ先に彼らが何かの大事件に巻き込まれていると想像するレベルだ。

 とりあえず中を覗いてみる。

「……は?」

 新渡戸が目にした惨状は常軌を逸していた。

 まず、玄関を開けてすぐのところで青葉が倒れ伏している。

「青葉!? おい、どうした、何があった!?」

 彼女を抱き起こしてすぐ、異変の正体が明らかになった。

 何故か、青葉の口に大量の小さいシュークリームが突っ込まれていたのだ。

「ふごっ……ふが……」

「何してんの、お前」

「ふごごごご……ご……」

「何言ってるか分かんねーよ」

 新渡戸には既に見えていた。倒れているのは青葉だけではない。ソファーには和音がぐったりと横たわっており、弥一は何故かデスクの上でケツ丸出しのままグロッキー状態、幹人に至っては電子レンジに頭を突っ込んだままピクリとも動かない。かてて加えて、床には潰れたシュークリームがぶちまけられている。

「……何をどうしたらこんな状況が作り出されるんだ?」

 新渡戸は床に置いた例の差し入れをちらりと見下ろして呟く。

「せっかくこの、『滅びのバーストシュークリーム』を差し入れてやろうかと思ったのに」

「ごも……ごぼぼぼ……」

 青葉の目尻から小粒の涙がちろりと流れたが、彼女にしては珍しいその瞬間に対し、新渡戸は何の感慨も抱けず、ひたすらその場で茫然としていた。



                  螺旋のストライクシュークリーム おわり

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