第11話 最高の相棒

 青葉と泰山の手前にはきちんと茶が出されているのに、幹人の分だけは用意されていなかった。

 まあ、当たり前か。黒狛からすれば、こちらは招かれざる客だ。

「ふざけんじゃないわよ」

 応接間のソファーの真ん中を陣取り、杏樹が唇をへの字に曲げて管を巻く。

「あんた達の為に裂ける人員はうちに一人もいないわ。つーか、自分が関わってる案件で丸損こいて追い回されてるのはあんた達じゃない。うちは一切関係無いんですけど。あたし達は一般市民! だから敵の本拠地に乗り込んで騒ぎを鎮静化するなんて以ての外!」

「そう目くじらを立てないでください」

 泰山が苦笑を浮かべながら杏樹を諌める。

「誰だって大変なのは同じなんです。私の部下もいまは白猫の職員を援護している真っ最中だ。協力する姿勢だって大事だとは思いますがね」

「そもそも石谷さんは何でこいつらを連れて来たんですか?」

「東雲あゆという女子高生に頼まれたからです」

「あゆに?」

 青葉が素で驚いたような反応をすると、泰山も似たような顔をして答える。

「君も彼女と知り合いだったか。なら話が早い。我が社もこの事件を受けて民間人に紛れて四季ノ宮に避難しようとしていたんだが、その直前で東雲さんが飛び込んできてね。俺とも馴染みが深い人物と関係がある子みたいで、一応は話だけでもと思って事情を聞いたんだ。彼女、どうやら未来学会に何かしらの恨みがあるみたいでね」

「北条の一件だな」

 青葉が目を細めて述べる。

「しばらく連絡が取れないと思ったら、未来学会の周辺を嗅ぎ回っていたのか」

「彼女が調べ上げた情報は全て俺が預かっている。もしかしたらこの状況を打開する突破口になるかもしれない」

「ちょっとちょっと、勝手に話を進めないでよ!」

 杏樹が立ち上がり、全身を使って威嚇する。

「あんたら人の話を聞いてた? 私達は関係無いっつーの! 大体、さっさと出て行ってくれないと本当に困るんだけど!」

「そうだな。蓮村さん達を追って、未来学会の連中がここに来ないとも限らない」

 轟が場違いにリラックスした様子で言った。

「何度も言うが俺達は無関係だ。それに、うちのエースを不能にした奴の頼みを安請け合いすると思います?」

「……………………」

 杏樹と轟の論理は正しかった。理由も彼らがいま述べた通りだ。

「だとしても、このままじゃ仕事どころの話じゃないっす!」

 龍也が焦燥気味に口を挟んできた。

「お願いっす! 金なら俺がどうにか都合しますから!」

「火野君の頼みでもさすがに無理。探偵の仕事の範疇を越えてるし」

「そんな……」

 突然、部屋全体に乾いた銃声が響き、天井に小さな黒い孔が空いた。

 青葉が天井に向けて発砲したのだ。

「弾一発分が無駄になった。請求書には誰の宛名を書けばいい?」

 一斉にのしかかった沈黙の中、青葉がゆらりと立ち上がる。

「大人連中が全く頼りにならんようなら、私一人でも水依を助けに行く」

「待て、青葉」

 幹人は鋭く彼女を制した。

「他に手を考えよう。自暴自棄になるのはまだ早い」

「社長が黒狛四号を不能にしなければ、池谷社長が協力してくれる可能性はまだあったかもしれない。その口で何を言ったところで説得力は皆無だ」

 それを言われるとかなり辛い。まさか部下に本気で怒られる日が来ようとは。

「どいつもこいつも役に立たない。もういい」

 青葉が毒を吐いて立ち上がり、ソファーを離れて戸口の前に立つ。黒狛どころか幹人ですら見放したようだ。

 彼女がドアノブに手を掛ける。

「待って」

 意外にも、青葉を引き止めたのは玲だった。

「私、さっきまで例の子を救出する算段を組み立てていたの」

「何だって?」

「ちょっと、玲……!」

 杏樹が止めるのも気にせず、玲は自信満々に告げる。

「いまこの場にいない人達も含めて、黒狛と白猫の職員は一人一人が何かしらの分野を極めたエキスパート。下手な警察よりは上手くやれると思う」

「玲! 何を勝手に――」

「社長は黙っててください」

 怒っているのか、玲がさっきまでの温和な雰囲気とは似ても似つかぬ形相を浮かべる。

「街を支配した未来学会の連中は、いずれ人の家に土足で踏み込んでくる。多分、この事務所にも。私は嫌ですよ、そんなの。だって、私はこの黒狛が――この街が好きなんです」

 幹人も美作玲という人物をあまり知らない。仕事上はあまり関わる相手でもないし、そもそも彼女は裏方の仕事が多いと聞いている。でも、杏樹の反応から見るに、彼女がこういった感情を吐露するのは珍しいのだろう。

「何の変哲も無いこの街で私達は一緒に生きてきた。黒狛の仲間がいて、ライバルの白猫の人達がいて、石谷さんの会社があって、火野君もいて……いままでたくさんの縁を結んでくれたこの街が、あんな訳の分からない連中に壊されるのなんて、私は嫌です」

「玲……」

「言われてみれば、たしかに」

 いままで否定的だった轟がようやく肯定的な見解を示す。

「そう考えるとだんだん腹が立ってきたな。美作の言う通りだ」

「私も同意です」

 泰山が首を縦に振って同意する。

「さて、池谷社長。貴女の部下達はこう言っていますが、貴女はどうするおつもりで?」

「……ええい、もう! わーったわよ! やればいいんでしょ!? やれば!」

 杏樹が自棄気味に叫ぶ。

「しゃーないわね! そんなに言うんだったら街の救世主くらいやってやるっての! で、何だっけ? 救出プラン? 何でもいいからとっとと話しなさい!」

「私達に協力してくれるのか?」

 幹人は慎重に再確認した。

「すまない。この借りはいずれ返す」

「あんたには何も期待してないっつーの。その代わり」

 杏樹は青葉の傍まで駆け寄り、彼女の頭を強引に自分の小脇に抱えこんだ。

「本日限定であんたと青葉ちゃんは黒狛の傘下に入る。どんなに無茶でも玲の考案した作戦には必ず従う。そういう条件だったら協力してあげる」

「その程度の条件なら痛くも痒くも無い」

「池谷社長」

 青葉が右手に持ったスマホの画面を杏樹の顔の前に掲げた。

「水依からメールが来た。これ、何だと思う?」

「……まさか」

 杏樹は意外にも複雑そうな反応をした。


   ●


 街の大混乱が巻き起こる十分前。紫月は今月で何度目になるか分からないお見舞いの為、斉藤久美の病室を再び訪れていた。

 部屋に入ってベッドの上の彼女と対面する。

 今日で決着を付けなければ――決意した矢先、久美の方から口を開いた。

「また来てくれたんだ」

「話があるからな」

「私もね、君に話があるの」

 久美は寂しそうに微笑んだ。

「初めまして、葉群紫月君」

「……!?」

 内臓が口から全て飛び出しそうな気分になり、自然と片足が引いてしまう。

「逃げないで」

 彼女は釘を刺すように紫月を制した。

「……斉藤先輩。いつ、気付いたんですか?」

「最初から。ごめんね、騙すような真似をしちゃって」

「騙す?」

 何から何まで訳が分からない。理解に努めようとしても思考が千々に乱れる。

 久美は状況の整理も兼ねて説明する。

「これは最初から全部、私の自作自演。蓮村さんは君よりずっと前から私のお見舞いに来てくれて、それで君が私にしたことを話してくれたんだ」

「あいつから何を聞いた?」

 何処から質問したらいいか分からなかったが、まずは目先の謎から知りたいと思った。

 久美は瞑目して答える。

「君が私と健の身辺調査をして報告書を作ったこと、こんなことになった責任を取る為に入間と戦ったこと、君がずっと私のことで思い悩んでいること――やっぱり探偵さんって凄いね。たった一人でこれだけのことを調べ上げちゃうんだもん」

「じゃあ本当に最初から最後まで演技だったってことですか?」

「うん」

 久美があっさり認めるが、紫月からすれば色々と納得がいかなかった。

 たしかに最初のあたりから既に違和感はあった。事実が発覚した現段階なら、あの時の自分には余裕が無かったからそこまで気が回らなかったのだろうと振り返ることも出来る。

 しかし、それ以上に大きな疑問が残る。

「……じゃあ、先輩はどうしてあんな真似を?」

「納得がいかなかったから、かな」

 彼女が俯き加減に述べる。

「いまでこそ普通に会話出来てるかもしれないけど、思い出すだけでもやっぱり怖いし、この病院から一歩でも外に出たら発作が起きて気絶するの。そういう時、目を覚ましたら必ず考えるよ。何で自分がこんな目に遭わなきゃいけないんだろうって」

 不公平は何処の世にも存在する。生まれながらの敗者も、確実に存在する。それを言い訳と吐き捨てる勝者の発言力が強いこの世界でも、在るものは在るのだから仕方ない。

 同じように、勝者だった者が意味も無く被る損害も確実に存在する。

 例えば、斉藤久美のように。

「そう思ったら、恨みがましくなるじゃん」

 久美は自分の体を両手でかき抱いて、震えていた。

「だったら、こういうことになった元凶に責任を取ってもらうくらいしか、いまの私が納得する方法は無いって……立ち直れるかもしれないって思いたかった。ただ、それだけなの」

 藁にも縋る思いというのは、まさにこういうのを指すのだろうか。

 どのみち、それで久美の社会復帰の手助けになるのなら、主治医としても協力しない手は無いだろう。だから幹人と結託して、こんな馬鹿げた計画を思いついたのだ。

 しかし、彼女にだって分かっていた筈だ。限界は遠くない、と。

「葉群君は思ったより優しくしてくれた。でも、君が必死になりきろうとする度に、今度は見てるこっちが辛くなってさ。だから、今日で許して終わりにしようって思ったの。葉群君だって、本当はそのつもりでここに来たんでしょ?」

「……はい」

 紫月は俯き、拳を固く握った。

「それから斉藤先輩をどうするかはこの場で考えるつもりでした。だって、支えを失った先輩がどういう行動に出るのか、正直予測がつかなかったから」

「だったら良かったじゃん。手間が省けてさ」

 無理をしている風も無く、彼女は歯を見せて無邪気に笑った。

 女の子は本音を隠す達人という話を聞いたことがある。もしかしたら、彼女はこちらに心配を掛けまいと無理をしているのかもしれない。

 余計に胸が痛い。鉄板にむき出しの臓物を押し付けているように苦しい。

「私はもう、大丈夫だよ」

 久美は人を安心させるような面持ちで告げた。

「時間はもうちょっと掛かるけど、必ず立ち直ってみせるから」

「……どうして先輩はそこまで強いんですか?」

「強くないよ。ある人にちょっとだけ勇気を分けてもらっただけ」

「ある人?」

「白猫のエースさん」

 意外でも何でも無かった。久美の救助を直接行ったのは白猫のエースだけだからだ。

「蓮村さんが教えてくれたの。その人が私を助けて、入間を倒したって。顔は知らないし会いたいと言っても会わせてくれなかったけど、いまでもその人は私のヒーローなんだ。だから私はいつかその人に会って、必ずお礼を言うんだ」

 いままでの久美は寄る辺の無い昏い野辺をひたすら這い回っていたに違いない。白猫のエースは、そんな彼女の前に突如として舞い降りた篝火のような存在と言えるだろう。

 今度会ったら、久美の言葉をあいつに聞かせてやりたい。

「だから頑張るよ。あの人のみたいに、強くなれるように」

「……そうか」

 もう、彼女の心配はしなくて良さそうだ。

「あいつに貸しが一つ生まれちまった。どうやって返そう」

「? あいつ?」

「いいや、こっちの話」

「斉藤さん!」

 ようやく場が和やかになったと思ったら、今度は主治医の女性が血相を変えて病室に飛び込んできた。

「いますぐこの病院から避難します。あなたも一緒に」

「先生? 何かあったんですか?」

「それはっ――」

「あーらら、こりゃ大変だ」

 さっきからずっと電源が点けっぱなしになっていたテレビの画面を見て、紫月は眉をひそめて肩を竦めた。


 『彩萌市内で謎の集団が暴徒と化して民間人を襲撃。死者、怪我人多数』


「酷い……」

 久美が映像の中の殺戮を目の当たりにして瞳を潤ませる。

 紫月は即座にテレビを切った。

「あんまりじっと見るもんじゃない。それより、先生」

 紫月は主治医と一緒に部屋の外に出ると、小声で話の続きを始める。

「まさか、この病院にも?」

「ええ。数は三人ですが、一人一人が化け物みたいな挙動をしてて――あんなの人間じゃないです。ていうか、そんなことよりこの病棟の人達だけでも……」

「避難させたい奴が簡単に動かせるんだったら話は早いんですがね。さっき聞いた話だと、斉藤先輩はこの病院から出られないらしいじゃないですか」

「それは……そうなんだけど……」

 さっきから彼女が度々言い淀んでいるのは、ここが精神病患者用の隔離病棟だからだ。それ以外に説明は要らないだろう。

「仕方ない。相手の数が少ないなら俺が行って制圧してきます」

「簡単に言わないでっ……! あれはもうそんなレベルの相手じゃ――」

「見ぃつけたぁ!」

 廊下の曲がり角から、三十代くらいと思しき出っ歯の男が前のめりに疾駆してくる。

 彼の腕には黒い機械が装着されている。あれが何かは知らないが、テレビの映像に出演していた暴徒の連中が装備していた物品と同じであることから、こいつは十中八九奴らの仲間と見ていいだろう。

「なあなあ見てくれよ! 俺、こんなに速く走れるんだぜぇええええ!」

「ああ、そうかい」

 既に相手の目前で腰を落としていた紫月は、上着の懐に右手を突っ込み、

「だから、何だ!」

 抜き出した十手を一閃。相手の勢いとこちらの打撃力がぶつかり合い、男の顔が潰れた空き缶のように変形し、交通事故みたいな勢いで跳ねて地を転がった。

 ひしゃげた男の顔を見下ろし、紫月は冷ややかに告げる。

「俺はあんたの三倍速く走れるぞ。来世はシャ●・アズナ●ルに転生する予定だから」

「親父にもぶたれたこと……無いのに……」

 男はそれっきり喋らなくなった。別に死んだ訳でも無さそうだし、まあいいや。

「先生。●ムロ・レ●を一匹やっつけました。これであと二人でしたっけ?」

「え……ええ」

 先生までドン引きしている。仕方ないか。

「さて、お次はカ●ーユをビタンしてきます」

「葉群君」

 久美が病室の扉を開けて、紫月を不安そうに見つめる。

「行っちゃうの?」

「ええ。街がこの状況なら、きっと君のヒーローも戦ってる。だったら俺も行かないと」

 無論、自分一人が行ったところで誰も彼も救えるとは思わない。でも、一つくらいは護ってやらないといけない。

 だって、あいつは俺の相棒だから。

「あいつが君に与えた希望が俺を救ってくれた。だから、今度は俺の番だ」

 久美に背を向けて、一歩を踏み出す。

「葉群君」

 彼女が呼び止めてくる。紫月は振り返らなかった。

「……さようなら」

「さようなら、先輩」

 彼女と会うことは、この先もう二度と無いだろう。これは、そういう挨拶だった。


 隔離病棟に侵入したのはさっきの一人だけ。次の一人は通常の病棟に出てすぐの地点で見つかった。

 相手は二十代後半の女性だ。テレビでよく目にするアーティストにそこはかとなく似ているような気がしたが、だからといって呑気にサインを求める気にはならなかった。

 生憎、色紙なんて持ち合わせていない。ていうか、彼女の名前すら思い出せない。

「あれ? まだ生きてるのがいた」

 焦点が合わない目がこちらを向く。手には血まみれのメスが握られていた。

 腕には黒い機械。やっぱりあれが狂気の源らしい。

「死ねぇ!」

「今度はセ●ラさんかよ」

 女が馬鹿正直に真っ直ぐ突っ込んできた。紫月は空いた左手で相手の手首を――取ろうとして、空を掴んだ。

 彼女が掴まれる直前で自身の腕を真上に跳ね上げたのだ。

 動きが読まれているのか――まるで北条戦と同じだ。まさかとは思うが、この女もさっきの出っ歯もPSYドラッグを摂取しているのでは?

 逡巡しているうちに逆手に持ち替わったメスの切っ先が紫月の額に迫る。

 紫月は特に意識せず、さっと彼女の後ろに回り込んで十手を後頭部に叩き込んだ。

 崩れ落ちる彼女の体を丁寧に受け止め、適当な壁に寄りかからせる。これで二人目だ。

「……そういうことか」

 紫月は彼女の腕に装着されていた黒い機械を外し、中に装填されていた液体を機械の小窓越しに見つめ、その正体をすぐに看破した。

 案の定、PSYドラッグだ。しかも北条が使っていたものよりかは性能が低い。

「この機械はPSYドラッグ専用の注射器って訳かい。誰がこんなモンを――」

「おいおい、使えねー女だな。なにやられてんだよ」

 通路の突き当たりから、遠巻きに別の男がこちらの様子を眺めている。彼も例に漏れず腕には黒い機械が装備されている。さっきの二人よりかは喧嘩慣れしていそうな、肉体的にも屈強な金髪の若い男だった。

「おめーか? その女をヤったの」

「殺しても犯してもいねーよ。それより、あんたらはこんなトコで何してんの? この黒い機械は何? どこ産?」

「この装置はPSYドライバーつってな」

 男は自らのPSYドライバーなる代物をこれ見よがしに持ち上げると、ポケットからUSBメモリーみたいな形をした液体入りの細い容器らしき物を抜き出す。

「このアンプルの中に入っているPSYドラッグを注入する戦闘用の注射器だ。ドラッグの効果は肉体強化から未来予知まで何でもござれだ」

 一人目の●ムロは肉体強化、二人目のセイ●さんは未来予知か。

 だったら、こいつが使うPSYドラッグの能力は何だ?

「いくぜクソガキ。現人神様から受け継いだ力の片鱗を見せてやる」

「は?」

 訳分からんことを言ったかと思えば、男はアンプルをPSYドライバーのスロットに装填して、機械本体のダイヤルやスイッチをてきぱきと操作した。

 ややあって、男の掌で野球ボールサイズの火炎が燃え盛る。

「ふぁッ!?」

「こいつが超人たる俺達の力だああああああああああああああああああ!」

 男が火炎をオーバースロー気味にぶん投げてきた。紫月が慌てて身を伏せて回避すると、通り過ぎた火炎がそのまま後方の壁に当たって爆散する。

 壁に入った放射状のヒビを見て、紫月は目を剥いて口をぽかんと開いた。

「……何これ? 何のSF映画? いま俺、もしかしてミュータントに襲われてる?」

「オラオラオラァ!」

 火炎の球が立て続けに投擲される。一球入魂とはこのことなのか。こいつはもしかしたらメジャーリーガーになる夢があったのかもしれないというくらいの気合が、投げられる球の全てに込められていた。

 紫月は火炎球を回避しながら相手に肉薄する。

「馬鹿め、ビンゴだ!」

 男の右手に、さっきの十倍以上の大きさの火炎球が生まれる。

 至近距離で叩き込むつもりか。

「終わりだ、クソガキ!」

「お前がな」

 場所が廊下の一本道なのもあって逃げ場が無い。かてて加えて、攻撃範囲が広すぎる。

 本当なら、この段階で紫月は燃えカスになっている予定だった。

「あっ!?」

 男の右手の甲にメスが突き刺さり、発生していた火炎が一瞬で霧散する。

 この隙は逃さない。懐に入り、十手で額を一突き。男が白目を剥いて仰向けに倒れる。

 相手の気絶を確認して額を拭うと、紫月は向かい側に驚くべき人物の姿を捉える。

「葉群君、おっす。なんだか久しぶり」

「誰かと思ったら東雲さんか」

 背中に細長い布袋を背負った東雲あゆが、メスを両手一杯に携行しながら歩み寄ってくる。さっきの見事な援護は彼女の仕業だ。さすが忍者の末裔といったところか。

「どうして君がここに?」

「葉群君に頼みがあるの。事情は歩きながら説明するから、倒した連中を一か所に纏めてからここを出よう」

「そうだな」

 紫月はいま倒したばかりのパイロキネシス使いを見下ろす。

「こいつは……ドモ●かな。リアルで●ッドフィンガー撃ってたし」

「はい?」

「何でも無い。さっさと済ませよう」

 淡泊を装い、紫月はあゆと共に気絶中の男女一組を担ぎ上げた。


 あゆから受けた簡単な事情説明のおかげで、今回の一件に関してほとんど無知無関係だった紫月でも状況はすぐに呑み込めた。

「なるほど。天然のニュータイプである井草さんに人口のニュータイプのお友達を作ってあげようっていう計画か」

 一人で駄目でも皆で行けば怖くない、みたいなノリだろうか。

「でも街の人間を無差別に襲う理由にはならないよな。やりたいなら勝手に組織内だけでヤク中を量産してりゃ済む話だろうに」

「それにもやんごとなき事情がありまして……」

 病院の敷地を出て、二人は未来学会の方角に徒歩で向かっていた。呑気にバスやタクシーを捕まえている余裕が無いからだ。

「まあいい。で、俺は結局何をすればいい?」

「未来学会のビルに乗り込んで水依っちを直接奪い返すの。救出作戦の概要は白猫と黒狛の間で取り決めるようにこっちで仕向けたけど、やっぱり人手が多いに越したことは無いと思う。もしもの為のピンチヒッター。君と私はその役割だよ」

 つまり美味しいところを掻っ攫って千両役者になれと言っているのだ。これまでにこなしたどの仕事よりも難易度が高い。

「街の掃除は警察がやってくれてる」

 あゆが鉛色の空を見上げると、オリーブ色のヘリが何機か頭上を通り過ぎた。

「自衛隊のヘリか。こりゃいよいよ大事だな」

「でも、解決したら英雄になれるよ」

「笑うぜ。女の子一人護れなかった奴が街を救うヒーローになれってか」

「私だって誰一人救えなかった」

 あゆは背中の布袋を紫月に手渡した。

「でも、次を護れない理由にはならないでしょ?」

「かっこいいねぇ」

 紫月は布袋の中から、一振りの大太刀を取り出した。

 忘れもしない。これは先の戦いで使用した極上業物――秋嵐だ。

「見るからに新品っぽいな。別固体か」

「秋嵐のコピー品。お祖父ちゃんの知り合いが四季ノ宮に鍛冶工房を持っててね、その縁で融通してもらった物なんだ。後でちゃんと返さないとね」

 潜入捜査から武器の調達まで手を回した彼女は、もしかしたら探偵や忍者を越えた何かしらのエージェントなのかもしれない。

「東雲さんは先に本部のビルに向かってくれ。俺より三倍速く走れるだろ?」

「葉群君は?」

「どっかで適当に足を拾う。バイクの一台くらいは転がってるだろ」

「分かった。じゃ、また後で」

 あゆの姿が一瞬にして視界から消えた。その速さは三倍どころでは無い。

 紫月は全力疾走で大通りに抜け、病院のテレビで映された事件現場に到着した。ここは彩萌駅前の大きな交差点だ。商社ビルや都会の駅前だったらよくあるような小売業の店舗が居並んでいるのはいつも通りだが、交通網が既に麻痺しているせいか、車道に存在する全ての車がその場で立ち往生を喰らって行列を形成していた。中には横転して炎上している車体なんかも見受けられる。

 救急車を遠くに止めざるを得なかったのか、救助隊がせっせと往来しているというのに特殊車両の一つも見受けられない。歩道には大勢の人々が血を流して倒れており、隊員達はその介抱に当たっている様子だった。警察や自衛隊なんかも護衛や避難誘導に参加している為か、ここに敵らしき人影は既に見受けられない。

 まるで、海外で起きたテロ事件のニュース映像を見ている気分だ。

「よし、次だ、次!」

「ちょっとっ……野島、少しは休んだら? 顔色悪いよ?」

「んなモン誰だって同じだ。社長だって言ってたろうが。最高の仕事をしろって」

 既に応急処置が済んだ幼女の前で、一組の男女が言い争っていた。

 あれは白猫探偵事務所の西井和音と野島弥一だ。彼らも救急隊に混じって怪我人の応急手当てに励んでいたらしい。

「どうせもうここに敵は来ねぇ。ちゃっちゃと終わらせるぞ――って、ああっ!?」

 弥一がふいにこちらの姿を見て素っ頓狂な声を上げた。

「葉群紫月!」

「え? あれが?」

 彼らが血相を変えて一斉にこちらへ詰め寄ってくる。この様子だと、既にこちらの正体が彼らには露見しているようだ。

「お前、こんなとこで何やってんだ?」

「いまから未来学会のビルに乗り込むところっすけど……」

「よし、それなら丁度いいや」

 和音が近くの道端に転がっていた大型二輪――カタナを起こした。

「さっき連絡が入った。うちのエースと社長も黒狛と組んで本丸を潰すってさ。だから、あたしがあんたをそこまで運んでいく」

「いいんすか?」

「これで貸し借りはチャラだから。ほら、さっさと乗りな!」

 シートに跨いだ和音からヘルメットを投げ寄越され、紫月は彼女の後ろに飛び乗った。

「野島。すぐ戻るから、しばらく一人で頑張って」

「お安い御用だ」

「いくよ、葉群君!」

「はい!」

 エンジンを入れ、カタナが急発進。

 彼女の運転テクは神業じみていた。いまや鉄の障害物と化した車の間を絶妙な速度変化ですり抜け、時にはもぬけの殻となっていたプリウスを踏み台に特撮も真っ青のジャンプアクションまで繰り広げたのだ。

 話には聞いたことがある。白猫の社員達も黒狛同様、何らかの分野に秀でたプロフェッショナルの集まりであると。

 杏樹によれば、野島弥一はかつて若手の有望な医師として彩萌総合病院で重宝されていた秀才。西井和音はありとあらゆる車両の運転技術に精通した元・スタントマンで、特撮モノの女性戦士のスーツアクターだったという。

 我が黒狛探偵社は、轟や玲に勝るとも劣らない実力を持つ二人を擁する化け物みたいな事務所をライバルとして認めていたのか。

 陳腐な言い回しだが、敵に回すと恐ろしく、味方に回ると頼もしい。

 彼らの力を思い出しているうちに、未来学会の本部ビルが視界に入った。


   ●


 路上駐車の解消を目的として設置された駅前の市営駐車場は、未来学会の地下駐車場とそのまま繋がっていた。市営駐車場の地下は関係者用の車両を停める為にある空間だが、奥の物資搬入口から先は地下鉄の線路みたいなトンネルになっていたのだ。

 停めてあった適当な車のスマートキーを玲にハッキングしてもらい、彼女の運転で隠し通路の暗がりを静かに進む。この車を後で元の場所に戻す為、未来学会の地下に着いたら、玲とは車と共に別行動となる。

 後部座席に龍也と並んで座っていた青葉は、窓の外を意味も無く眺めながら、ついさっき打ち立てた救出作戦の概要を思い出していた。


 作戦の立案者である玲と、警察関係者との人脈が深い泰山、そして幹人の三人だけの短いディスカッションと他方への電話による情報入手を経た結果、作戦は次のように展開されることが決まった。

「二手に分かれて行動しましょう」

 玲がホワイトボードと黒いマーカーを用いて作戦の概要を説明する。

「一つは井草水依ちゃんを直接奪還する救出部隊。もう一つはとある車両を確保する捕獲部隊です」

「捕獲部隊?」

 龍也が太い首をかしげる。

「何の話ですか?」

「さっき井草さんから青葉ちゃんに届いたメールには車のナンバープレートの番号が記載されていたの。それがいまから一時間後に未来学会の地下駐車場に停車するから、これを彩萌市内の人が少ない場所で押さえて欲しいんだってさ」

 彼女の口ぶりだと、その情報は水依の未来予知によるものだと分かる。

「その役割は俺と美作さんでやる」

 泰山が挙手して申し出る。

「東雲さんの調査結果によれば、駅前の市営駐車場から未来学会の地下駐車場まではトンネルで繋がっているそうだ。救出部隊には市営駐車場から潜入して、小型のGPS発信機をその車に装着してからビル内の探索を始めてもらう」

「その車って誰のですか?」

「交通局の連中に調べてもらった結果、そいつは警視庁のお偉いさんの車で、しかも新渡戸さんや小樽署長も彼の行方を追っていたらしい。にわか信じがたいが、彼女の未来予知能力は本物みたいだな」

 泰山も元は警察組織の人間だ。特に地元の警察との親交は深い。幹人の存在は今日初めて知ったようだが、新渡戸とは仕事で何度か会ったことがあるらしい。

「そこで署長に進言した結果、ハンティングゲームへの参加の許可が下りた。よって俺は救出部隊には参加出来ない」

「人手を欠くのは惜しいが、それが水依の頼みなら聞かない理由は無い」

 あれだけほっとけだの止めろだのと言っていた水依が、最後の最後で助けてと涙ながらに懇願した。その上で発信した要求なら、きっとそれには必ず意味がある。

 少なくとも、青葉はそう信じていた。

「で、救出部隊はどーすんの?」

 杏樹がソファーの上で脚を組みながら横柄に訊ねる。

「まさか青葉ちゃん一人に行かせる気じゃないでしょうね?」

「勿論、社長も一緒です」

 玲がマーカーの先で杏樹を指す。

「それから、火野君。あなたも救出部隊の仲間入りです」

「俺っすか?」

「発見した水依ちゃんを担いでいく役割。それに、会いたいんでしょ?」

「分かりました。俺、やります!」

「おいおい、ちょっと待てや」

 龍也が意気込んだと思ったら、今度は轟が不平を漏らす。

「ビルの中が手薄とは限らんだろ。素人が突っ込んだところで足手纏いにしかならないぞ」

「これまでの話を聞く限りでは東雲さんが先行してる筈です。彼女と青葉ちゃん、社長がいれば火野君一人が居たところで足枷にもならないでしょ」

「じゃあ、俺はどうすんの」

「東屋さんの仕事は救出部隊に対する保険です」

 玲はホワイトボードに、救出の簡単な手順を描き記した。

「ビル内に侵入した救出部隊が水依ちゃんを発見、保護して、石谷さんが手配したヘリを使って屋上のヘリポートから脱出する。もし何かしらの要因で救出部隊が屋上まで来れなくなった時は、東屋さんがビルの外壁に風穴を空け、そこから救出部隊を脱出させる。出来ますよね、その程度の芸当」

「……あんま使いたくないんだけどなぁ」

 轟は杏樹の執務机の後方にある扉を空けて一旦その奥に引っ込み、黒光りする大型の筒を抱えて部屋から気だるそうに再登場する。おそらく、あそこは黒狛の秘蔵っ子専用のモニタールームだろう。彼と同じ立場の青葉には簡単に察しがついた。

「これ、誰にも言わない頂戴ね」

 彼が持ち出したのは、いわゆるロケットランチャーだ。しかも、かの有名なRPGである。こんなものを隠し持っている探偵社は、世界広しと言えど黒狛だけだろう。

「さて。じゃあ、行くわよ。状況開始!」

 杏樹が立ち上がり、両手を強く叩いて乾いた音を打ち鳴らした。


 情報戦・電子戦のエキスパートにして参謀役の美作玲、ありとあらゆる武器を使いこなす元・自衛隊員の東屋轟。黒狛が戦闘力最強などと陰で噂されているのは、主にこの二人の超常的な特技に起因しているのかもしれない。

 敵に回すと恐ろしいが、味方になると非常に頼もしい。うちの事務所はいつもこんな連中と張り合っていたのかと思うと冷や汗が出る。

「着いたわ」

 件の地下駐車場に着き、玲以外の全員が降車する。

 玲の車が折り返して去ると、杏樹が早速問題の黒いプリウスを発見し、あらかじめ泰山から受け取っていた小型の発信機を車体の真下に取り付けた。

 その間に、青葉もいつも被っている白猫の仮面を装着する。今回は激しい戦闘になる可能性があったので、ボイスチェンジャー機能はあらかじめ取り除いている。

 無駄口を叩いている余裕は無い。三人はエレベーターの横の階段を三段飛ばしで駆け上る。杏樹が先頭、龍也が真ん中、青葉が殿だ。

 五階まで来て、杏樹が息を切らしながら呟いた。

「思ったよりすんなり進めてる。気持ち悪いわね」

「あゆから貰ったマップだと地下駐車場のさらに下の階にシェルターがある。兵力が出払う直前に事務員なんかはそこに避難したんだろう。誰もいなくて当然だ」

 貰ったマップの情報は全て頭の中に叩き込んである。記憶力には自信がある方だ。

 無言で走り続けているうちに額から汗が噴き出てきた。地上六〇階のビルを走って昇るのは苦行以外の何ものでも無い。

 先に音を上げたのは杏樹だった。

「ねぇ、やっぱり関係者用のエレベーター使った方が早くない? 東雲さんが職員達を制圧したんでしょ?」

「王虎の所在が掴めない以上は却下。ここの職員百人よりもあいつ一人が断然厄介だ」

「そんなに強いの? その……ワンワン?」

「ボケる余裕があるならまだ大丈夫だな」

「二人の体力が俺には信じられないっす」

 龍也が顔色一つ変えずに言った。

「やっぱり探偵ってタフなんすね」

「そういう君もいい走りっぷりじゃないか」

「まあ、体力だけはいっちょ前なもんで」

 適当に会話しながら走っているうちに、いつの間にか五十階まで辿り着いていた。

「およ?」

 次の五十一階に上がろうと身を翻したところで、三人の前にベージュ色に塗装された防火扉が立ちはだかった。これより先の階は行き止まりである。

「うっそぉ!? ここまで来て、もう上に上がれないの!?」

「エレベーターも止まっている」

 青葉は横のエレベーターのスイッチを何度か押し込み、階数表示を睨み上げた。

「ある程度の階層まで辿り着けば侵入者はそう簡単には逃げられなくなる。このビルが無駄に高い理由もこれで説明がつくな」

「こうなったら正面突破しか無いわね」

 杏樹は手持ちのタブレット端末にこの階のマップを表示する。

「この通路を抜けた先は修練部屋になってる。ここの階だけ防火扉が降りたってことは、連中は十中八九、私達をあの部屋に招待するつもりでしょうね」

 ここからでも例の部屋に繋がる扉が見えている。通路に光源がほとんど無い為、まるで地獄に繋がる門でも見ている気分になる。

「完全に罠だな」

「でも、行かなきゃ」

 龍也が一歩分だけ踏み出した。

「最初から命懸けは覚悟の上っす」

「よく言った。行くぞ」

 三人は慎重に通路を進み、扉の前で立ち止まり、息を呑んで取っ手を握り締めた。龍也が右側、杏樹が左側の扉を同時に開き、青葉が銃口を部屋の中に突き出した。

 コンクリートの柱と打ちっぱなしの床だけの殺風景な部屋だった。

「黒狛探偵社の池谷杏樹社長、その他水依様のご友人方、よくぞいらっしゃいました」

 対岸の通用口を塞ぐように、白いおしろいを顔に塗りたくった痩躯の男が立っていた。

 しかも彼の横には、銀色のボタンが至る所に付いた白いジャケットを纏う人間達が鶴翼の陣を敷いていた。全員もれなく腕にPSYドライバーを装備しており、頭にはヘッドマウントディスプレイのような機械まで装着している。

 数は五十から六十といったところか。揃いも揃って剣や薙刀、銃火器などで武装しているところを見ると、少なくともこちらと友好的に接してくれるつもりは無いらしい。

「お初にお目に掛かります。私はライズ製薬株式会社・新薬開発部門主任の高白と申します。そしていま私の横に広がっている彼らは、私の部門が総力を上げて開発した改良型PSYドラッグの被験体の中でも最高の戦闘能力を誇る精鋭部隊」

 勝手にべらべら喋ったかと思えば、高白なる男は懐から取り出した扇子をばさっと広げて、ほくそ笑むと同時に口元を隠した。

「正式名称・PSYソルジャーズと申します」



 仕事終わりの飯は最高だ、と言わんばかりに、あゆは食堂で満漢全席を楽しんでいた。

 未来学会の非戦闘員は別の場所に避難している。万が一侵入者が現れた時の備えとして、彼らの安全だけは何があっても確保したかったのだろう。外で薬漬けの連中を大暴れさせるように命じた奴とは思えない配慮だ。もしかしたら指揮官は二人いて、うち一人は不要な争いを避けたいと考える穏健派なのかもしれない。

 スパゲッティやハンバーガーを貪って脂肪分を摂取しながら、あゆはひたすら待ち続けていた。

 最後に残る、最大の障害を。

「こんなに食べたら太っちゃーう。でも、まあいいか」

 手を伸ばそうとしたフライドポテトが目の前で破裂した。顔や服にマッシュされたジャカイモの飛沫が降りかかる。

「わ……私のフライドポテトがあああああああっ!」

「呆れた。敵の本拠地でランチタイムとか、イカれてるにも程があるわ」

 食堂の入り口からサイレンサー付きのハンドガンを突き出していた王虎が、本気で呆れ返ったように肩を竦めた。

「これまで数多くのイカレ野郎と対峙してきたけど、あなたはその中でもとびっきりのおバカさんね」

「いえいえ、私なんかまだまだですよ」

 あゆはゆっくりと席を立ち、手元のフォークを弄びながら挑発する。

「この程度じゃあの二人には及ばない」

「あの二人? 誰のこと?」

「さあ? でも、いずれ会えるんじゃない?」

 あゆは伸びをすると、屈伸や前屈といった準備体操をしながら言った。

「それでさ、王虎さん。もし良かったら、これから食後の運動に付き合ってくれません?」

「なるほど。あなたは単なる囮。侵入者が水依様を奪還するのに邪魔な奴らをこの場に呼び寄せる餌って訳ね」

「狙いが分かってるのにわざわざ来ちゃうって、王虎さんもなかなかのお人良しだなー」

「私がいなくても侵入者対策は万全だもの。それに、あなたを放っておくとロクなことにならない気がしてね」

 王虎はストラップで提げていたAKライフルの銃口をあゆに向けた。

「悪いけどここで死んでちょうだい、現代に蘇った忍者さん」

「私は忍者じゃない」

 スカートの下からクナイを抜き出し、腰を低く落とす。

「通りすがりの探偵だよ」

 呵責容赦の無い王虎の発砲と共に戦闘の火ぶたは切って落とされた。

 火花と硝煙が弾ける銃口から目線を外さず、居並ぶ机の上を走りながら弾丸を回避、蹴っ飛ばした椅子で相手の射線と視界を遮った。

 王虎が椅子をかわし、再び発砲。あゆはリロードの隙を縫って右手を一閃、投擲したクナイで銃口の先端を破壊する。これでAKは使い物にならない。

 王虎はコンバットナイフとハンドガンを抜き、発砲しながらこちらへ素早く詰め寄ってきた。これが彼の本来の戦闘スタイルらしい。

 さっきから持っていたフォークを投げて王虎の突進を一瞬だけ牽制して、

「風魔戦技・蹴の一――万物返し!」

 手前の机を蹴り上げ、即席の壁としてお互いの間を遮った。

「続いて打の一・天嵐掌!」

 机の天板を螺旋気味に捻った掌で突き飛ばして王虎にぶち当てる。これはさすがに効いただろう。

 と思ったら、一旦は倒れたものの、王虎は案外簡単に起き上がり、ハンドガンで発砲。

 弾丸があゆの頬を掠めて小さな傷を作る。

「強い……!」

「あっぶねぇ、死ぬとこだった」

 二人して、互いの実力に畏怖する。

「うっふふーん、青葉ちゃんでもこうはいかなかったわよん?」

「あなたが思うより青葉は強いよ。少なくとも私なんかより、ずっと」

「彼女を随分と高く買っているのね」

「本当のことだよ」

 私は知っている。青葉の強さは、決して単純な腕っぷしだけじゃない。

 彼女の弾丸はもっと疾く、もっと鋭く、もっと重い。的の中心の、さらに向こう側を狙う心眼があるからこそ、彼女の銃弾は世界の何処にでも当たってしまう。

 王虎が放つ、静の美を体現するような弾丸に、勝るとも劣らない。

「私を倒したければ貴陽青葉か葉群紫月を連れてきな」

「……そう言われたら負けを認めざるを得ないわね」

 何を思ったのか、王虎はハンドガンを下ろした。

「例え貴女を倒したとしてもそれを越える怪物があと二人? 冗談じゃないわ。命がいくつあっても足りやしない」

「じゃあ、いますぐ依頼主を見捨てて逃げちゃう?」

「……私だって、迷ってる」

 彼の瞳からは、既に戦意が喪失していた。

「井草家のボディガードだって、最初はただの仕事のつもりだった。でもね、彼らはこんな私を家族の一人として扱ってくれた。ただ一緒にいるだけで楽しかった。でも私はあくまでただの傭兵。ここで純粋に二人を護りたいと思ってしまったら、私は自分の生業を捨ててしまうことになってしまう。争いの無い温かな場所で名も無い一人になるか、命のやり取りに興じて名のある一人になるか――私はどっちを選べばいい?」

「大切な人を命懸けで護る、名のある一人になればいい」

 あゆは偉そうに言った。

「水依っちを本当の意味で護りたいなら、私達に力を貸して」

「たったいま、貴女がそう必死になる必要も無くなったわ」

 王虎は極めて無造作にハンドガンを食堂の扉に向け、三発発砲した。

 すると、扉のガラス越しに控えていた、三人の白い制服の連中が血の飛沫を散らして立て続けに倒れる。

 すぐさま扉は開かれ、後続の連中がぞろぞろと踏み入ってくる。

「高白の奴、とうとう本性を現したわね。おかげで迷いが吹っ切れたわ」

「こいつらは?」

「PSYソルジャーズ。簡単に言うと、ライズ製薬お手製の精鋭部隊」

 こいつらの情報だけはあゆも入手していなかった。内偵したのはあくまで未来学会だけで、この短期間ではライズ製薬の調査に手が回らなかったのだ。

「私と貴女が揃った時に来たってことは、こいつら、私達をまとめて始末するつもりよ」

「とうとう指揮官に裏切られちゃった訳か。じゃあ、やることは一つだね」

 あゆは呑気に伸びをしてから、両指の骨をぽきぽきと鳴らす。

「私達でこいつらをぶっ飛ばそう」

「未来予知に気をつけなさいよ。Are you ready?」

 王虎が前方に突き出したハンドガンの銃身とナイフの刀身をクロスさせる。

「stand by――」

 PSYソルジャーズも臨戦態勢に入った。

「ready move!!」

「Yeah!!」

 踊り手は現代に蘇った忍者、東雲あゆ。介添えは最高峰の傭兵、王虎。

 前人未踏の舞踏会が、いま始まった。



 水依がいる部屋まであと一息だったのに、最悪の形で足止めを喰らってしまった。

 青葉が仮面の奥からPSYソルジャーズを睥睨していると、何が可笑しかったのか、高白が耳に障る哄笑を上げる。

「ふぉっふぉっふぉ! これで貴様らは袋の鼠という奴よ。このビルはまさしく理想の監獄。我々こそは水依様を護る最後の関門といったところか」

「あなた達は一体何がしたいの?」

 杏樹が前に出て毅然と言い放つ。

「新薬開発部門の主任とか言ったわね。PSYドラッグとPSYドライバーが完成した以上、あなた達が水依ちゃんを護る必要はもう無いでしょ?」

「ありますとも。彼女は未来学会の旗印。これからも未来学会の連中を押さえつけておくには水依様の力が必要となるでしょう。当然の話です」

「人間を何だと思ってんのよ。腐ってるわ」

「んん? 貴方達こそ何を言っておられるのかな?」

 高白は本気で理解不能といった反応を示す。

「まさか、貴方達は彼女を一人の人間として尊び、ヒューマニズムでこの私に楯突いているのでは無いでしょうな? だとしたら笑止千万。彼女はこの世界の未来を決める礎として存在する神であり、貴方達のような下等な人種とは次元を異にしているのです」

「その神様を傀儡に仕立て上げ、あんたの手で未来学会どころか全人類まで支配しようっての? 馬鹿みたい。まるであんたが神様になるとでも言ってるみたいじゃない」

「前言撤回します。池谷杏樹、貴女はそこらの馬鹿より呑み込みが早い。いまこの場で投降するなら、私の部下として貴女を歓迎して差し上げましょう」

「だーれがあんたみたいなマザファキ野郎の靴を舐めるかっての」

「全く以てその通りっす」

 龍也が地の底から響くような声を奮い立たせる。

「未来を決める礎? 次元を異にする? 下等なのはあんたの思考回路っす」

「ほう?」

「井草さんは神なんかじゃない」

 彼の拳に鉄さえ握りつぶさん程の力が込められる。

「いつもぼーっとしてて、朗らかで、たまに不器用で、そのせいで自分の未来まで犠牲にすると決めるような、とても優しい一人の女の子っす! 彼女の未来を決める権利は彼女以外の誰にも無い。それでも誰かがあの子の未来を奪うなら、俺達があの子の未来を奪い返してみせる。少なくとも、てめぇみたいな腐れ外道には絶対渡さない!」

「だからどうした!」

 高白が絶叫して両手を広げる。

「現実を見るがいい! この状況、この戦力差! 水依様のもとへ行きたければ、お前達だけでこのPSYソルジャーズを切り抜けてからにしろ!」

「言われなくても、そうさせてもらう」

 青葉が二丁のベレッタの銃口を眼前の敵に向ける。

「私が連中の足止めをする。池谷社長と火野君はその隙に巫女の間へ急げ」

「たった一人で何が出来る!?」

 高白の言う通り、あの人数を相手に一人で戦うのは無謀が過ぎる。理屈から言えば全滅は避けられないし、そもそも足止めすら叶わない。

「それでも、やるしか無いんだ」

 自分に言い聞かせ、改めてそうするしかないと確認する。

 例え自分の命を擲ってでも水依を助け出す。最初から決めていたことじゃないか。

 大丈夫。私が死んでも、白猫の仲間が、黒狛の連中が、あゆが、火野君が、新渡戸さんが、石谷さんが――黒い仮面のあいつが、きっと何とかしてくれる。

「お嬢さん。君は下等を下回る低劣にして愚鈍な生物らしい」

 高白が片手を挙げると、銃火器を携えた敵が一斉に銃口をこちらに向ける。

「さようなら。白猫のおバカさん」

 彼の片手が降り下ろされ、敵勢の引き金が落ちる。

 頬の横を何かが通り過ぎる感覚。敵の銃弾だろうか。

 いや、違う。

 後ろから、丸い何かが飛んできたのだ。

「手榴弾っ――!?」

 高白が目を剥いて身を後ろに引く。

 彼の頭上に浮いていた、オリーブ色の球体が爆発。咄嗟に高白の前に躍り出た三人の敵が爆風を受けて首や腕を吹っ飛ばされた。

 白煙が前後左右に広がって漂う様を呆然と眺めていると、後ろ側の通路から、黒い人影がゆったりと歩いてくる。

 彼はやがて、青葉の目前で立ち止まった。

「お前は……」

「ようやく来たわね」

 杏樹がふっと笑みを浮かべる。

「うちの、エースが」

 青葉とは対照的な黒いジャケットと黒い犬の仮面。腰には何処かで見たような日本刀が差してある。

 初めて姿を見る。彼は黒狛探偵社のエース。コードネーム・黒狛四号だ。

「黒狛四号。あなたの無期限休暇を解除します」

 杏樹が意気揚々と告げる。

「休み明けの初仕事よ。思いっきり暴れてきなさい」

「イエス、ボス」

 彼はいつも聞いたような声で応じ、左手で懐から十手を、右手で腰の日本刀をゆらりと抜き放ち、煙幕の中へ鋭く切り込んだ。

 突然の事態に騒然となっていたPSYソルジャーズ達は陣形を崩され、黒狛四号が放つ正確無比の斬撃を甘んじて受け入れるという憂き目に遭っていた。彼の太刀捌きと十手捌きは実に鮮やかで無駄が無い。自分に触れさせず、相手をとにかく速く殺れとプログラミングされた戦闘マシンみたいだ。

 一人で五人の敵を葬ると、彼の背後から剣と槍を振りかざす別の敵が飛び掛かる。

 青葉が両手の銃を発砲。その二人の頭を即座に撃ち抜いた。

「何をしている!」

 青葉は口をぽかんと開けて立ち尽くしていた龍也に檄を飛ばす。

「ここは私達に任せて、二人は早く水依のところへ!」

「でも、それじゃあ二人が――」

「お前が言ったんだろうがっ!」

 自分の肩ごしに龍也を睨みつける。

「自分の手で奪い返して来い、未来を!」

「……っ!」

 龍也が意を決したように頷くと、杏樹が鋭く先導する。

「行くわよ!」

「はい!」

 二人が同時に駆け出すと、高白がその場でへたり込みながら扇子を突き出す。

「ここを通すな! 奴らを殺せ!」

 指示に応じ、三人の敵兵が杏樹と龍也に正面から突っ込んできた。

 杏樹が正面の敵から奪ったナイフで、元の持ち主の頸動脈を切って絶命させる。左右から挟み撃ちしてきた敵は、青葉と黒狛四号が一人ずつ葬った。

「退けやオラァ!」

 龍也が見た目通りの恐ろしい怒声を放ち、正面の敵にタックルをかまして吹っ飛ばす。普段は温厚な彼も、本当にキレるとこの程度は簡単にやってのけてしまうらしい。

 杏樹と龍也があっさりと敵勢を切り抜けて奥の通路に消える。

 黒狛四号と青葉は手近な敵を一瞬で片付けて並び立つと、遠巻きにこちらの様子を窺っていた敵勢を睥睨してから同時に駆けだした。



 発信機を取り付けた車が地下駐車場から飛び出し、市の中心を離れ、国道を沿って静岡方面に向かう。

 この様子を、玲はノートパソコンの画面に表示されたマップでモニタリングしていた。

 高速で動いている赤いビーコンが件の車両。三つの青いビーコンが警察車両だ。新渡戸と結託して、味方である警察車両は玲の指示を受けて対象を追跡している。

 しかもただの追跡ではない。交通網が復旧し始めたこのタイミングで、人や車の通りが比較的少ないであろう地点へ追い立てているのだ。

 きっと、追跡対象の運転手はこう思っているだろう。

 何で俺が警察車両に追われているんだ? 一体何処で情報が漏れた? ――と。

「……こちら黒狛三号。そろそろ狙撃ポイントをM1が通過します」

『了解。タイミングの指示を』

「ええ」

 赤いビーコンが向かう先には、決して動かない緑色のビーコンが点滅している。

 対象がポイントに辿り着くまでの予測時間が迫ってきた。


 彩萌市は富豪が多い関係で、自家用機の離陸に必要となる非公共用飛行場が設営されている。この施設にはIMSの社用ヘリを一機だけ駐機させており、最近ではとあるご夫人の依頼を受けて、犬探しの為だけに華麗なる燃費の無駄遣いを働いてしまった。

 機種はアグスタA119コアラのステルス塗装仕様。見た目が気に入ったのと、民間機にしては搭乗人数が多いからという理由で購入に踏み切った代物だ。

 泰山は床に体を固定して、開け放ったハッチからドラグノフの銃口を覗かせ、スコープ越しに広々とした人気の無い灰色の道路を凝視していた。

 距離は大体一キロ弱。飛行中なので風が強い。弾道の逸れは既に織り込み済み。

 耳のインカムから玲の声がした。

『カウント四秒前。三、二、一――』

 泰山の直感が告げる。

ああ、当たるな、これは。

『――いまっ!』

 発砲。ビルや家屋の隙間を通り抜け、7.62×54mmR弾の一閃が追跡車両の後輪右側を見事に撃ち抜いた。


 人通りが少ない閑散とした住宅街付近の大通りで、黒いプリウスのタイヤが予定通りのポイントでバーストして車体をスピンさせ、手近なガードレールに衝突してようやく活動を停止した。

 警察車両の三台が即座にプリウスを包囲すると、うち一台に乗り合わせていた新渡戸と共に部下の巡査達が一斉に降車して、問題の車に乗っていた人物の顔をガラス越しに確認する。

 間違いない。警察庁次長・村井重三だ。

 新渡戸は降車時に持ち出したレスキューハンマーで運転席側の窓ガラスを割って、手際良く扉のロックを解除して重三を引っ張り出し、彼の懐から電子キーを奪い取って後部トランクを空けて中を改める。もしかしたら未来学会が保有していたPSYドラッグとPSYドライバーを大量に持ち逃げしている可能性があったからだ。

 しかし、入っていたのは予想外にも、初老の男性だった。

「マジかよ」

「き……君は」

 まだ意識があったらしい。井草勝巳は両手両足を縛られたまま、新渡戸を虚ろな瞳で見上げていた。目立った外傷は無いが、脱力の具合から見て、スタンガンみたいな非殺傷兵器を喰らった可能性が高い。

 新渡戸は仕方なく、自分のスマホで救急車を要請した。



 巫女の間に掛かっていた鍵は、杏樹がこっそり携帯していた自動拳銃で破壊した。

 龍也は彼女と一緒に部屋の敷居を跨ぐと、手錠で足首を玉座の脚に繋がれたままへたり込んでいた水依の傍に駆け寄った。

「火野君……?」

「井草さん、もう大丈夫っす」

「火野君。水依ちゃんの耳を塞いで」

 杏樹が手錠の鎖を拳銃で破壊すると、龍也はすぐに水依の体を抱え上げて部屋を去り、階段を駆け上って屋上のヘリポートに向かった。

 その道すがら、背後の杏樹がスマホで別行動中の玲に連絡を入れる。

「お姫様を確保! 屋上にヘリを寄越して!」

 これで少なくとも龍也と杏樹、水依の安全は確保される。

 しかし、下の階に残してきた紫月と青葉はどうなる?

「……青葉は?」

 憔悴しきっているというのに、水依はまず真っ先に青葉の心配をした。

「いま葉群さんと一緒に戦ってるっす。大丈夫、あの二人が揃えば無敵っす!」

 これは決して水依に対する気遣いではない。確証があるから言っているのだ。

 紫月も青葉も、一人一人はたしかに優秀だが、決して度を越して強くはない。杏樹や幹人、他のメンバーと比べたらプロとしてはまだまだ欠点だらけだろう。

 でも、あの二人が一つになったら?

 まるで互いの欠点を埋めてしまえるくらい正反対な二人が一堂に会したら?

 だからこそ、龍也は信じて前に進み、水依とこうして再会したのだ。

「二人共……絶対に帰ってくる」

 いまの龍也には、二人が滅びるイメージが全く浮かばなかった。


 肉体強化と未来予知を有する四十五体、発電体質や発火体質といった超常系の力を有する十五体の計六十体で構成された無敵の超能力集団、PSYソルジャーズ。彼らはライズ製薬新薬開発部門で管理していた被験体の中でもPSYドラッグに対する適性が高く、その上で戦闘に関する優秀な資質を持ち合わせた者達ばかりだ。

 だというのに、このザマは何だ?

 白猫と黒犬の仮面を被った一組の少年少女を相手に、傷一つ負わせていないどころか、逆に圧倒され始めているではないか。

 高白がいま目の前にしている光景は、さながら悪夢の仮面舞踏会だった。

 白猫の少女が二丁拳銃を操り、PSYソルジャーズが火炎や電撃などを放つ前に急所を的確に撃ち抜いて一人ずつ死滅させる。

 黒犬の少年が日本刀と十手を快刀乱麻の如く振り回し、荒々しく兵の胴や首を裂いて血風を撒き散らしながら次の兵に飛び掛かる。

 この上に厄介なのは二人の連携の密度だ。黒犬の少年に隙が生まれたら白猫の少女が遠距離からの発砲で対処し、白猫の少女が開いた活路を突き進みながら黒犬の少年が一撃必殺の太刀捌きでPSYソルジャーズをばったばったと斬り伏せる。まるで盾と剣だ。

 いくら未来を予測出来ても、二人を捉えられなければ意味は無い。こちらの攻撃は絶対に当たらないし、あちらが放った攻撃をこちらは絶対に避けられない。

 つまり、PYSソルジャーズは確定した敗北の未来へと歩を進めている状態なのだ。

「ば……馬鹿な……っ!」

 兵力の四分の三を失ったところで、高白の声がしゃっくりのように引き攣る。

「たった二人で……私の精鋭を……」

 床一面に広がる内臓や肉塊、高濃度の薬物を含んだ粘り気のある血の池が、彼らが行った殺戮がどれだけ凄惨であったかを示す成績表のようだった。

 再び隣り合った暴虐の化身達に向かって、高白は錯乱と共に叫んだ。

「貴様ら……一体何者だあああああああああああああっ!?」

 彼ら一人一人の正体は大体検討がつく。

 でも、二人が揃った時に生まれる悪魔の正体を、高白はまだ知らなかった。

「知らないなら教えてやる」

 黒狛の少年が十手の先を前方に振り上げるのと同時に、白猫の少女も片方の銃口をぴたりと高白の額にポイントする。

「私達は彩萌市を護る最後の盾」

「そしてこの街に害を成す馬鹿共をぶった斬る最後の剣」

「私は」

「俺は」

 悪魔の名が、いま明かされる。

「白猫探偵事務所の」

「黒狛探偵社の」

「「秘蔵の探偵だ」」

 突如として横の壁が大爆発を起こして吹っ飛ばされ、灰色の煙が二人と高白の間に割り込んできた。何者か知らないが、外側から爆発物でこのビルを攻撃したのだ。

 高白は腕で顔を覆うと、煙が晴れると同時に、壁に空いた風穴の前に急ぎ、信じられない光景を目の当たりにした。

 なんと、あの二人は近くを飛んでいたヘリのハッチから降ろされた縄梯子に捕まって、このビルからの脱出に成功したのだ。正確には、黒犬の少年が片手だけで縄梯子に捕まり、白猫の少女が彼の空いた片手を掴んでぶら下がっている。

「青葉ぁああああああああああああ!」

 この階より一際低い近くのビルには、二人の人物が控えていた。

 一人は白猫探偵事務所の蓮村幹人。もう一人は、ロケットランチャーの弾頭を交換している真っ最中の大柄な男だった。ビルの壁を爆破したのは後者だ。

 黒狛の少年が白猫の少女を片腕の力だけでぶん投げると、幹人が頭上から落ちてきた少女を受け止めて地面に倒れ込む。

 高白は唖然と呟いた。

「秘蔵の……探偵」

 これは何かの間違いだ。たかが探偵如きに我らの神を奪われ、しかもたった二人の子供にこちらの戦闘力を食い荒らされ、未来学会に仇を成した全ての人間に逃亡を許すとは。

 これを人は、完全敗北と言うのだろう。

「……げっ!?」

 悪夢はまだ続いていた。

 いましがたロケットランチャーの弾頭を交換し終えた大柄な男が卑しいにやけ顔を晒し、得物の筒先をこちらに向けてきたのだ。

 発射。白と灰色が入り混じった煙の尾を曳き、ロケット弾が身を伏せた高白の頭上を通り過ぎ、あろうことか残りのPSYソルジャーズの群れに突っ込んでしまった。

 大爆発。至近距離で巻き起こった爆風に煽られ、床に転がっていた人の腕や内臓といったグロテスクな代物が壁の大穴から掃き出された。

 かろうじて転落を免れた高白は、目の前に落ちた味方の生首としばらく睨めっこして、やがて全ての終わりを悟って意識を失った。



 如何にあゆであろうと、血痕と肉片が散らかった食堂で食事をする気はさすがに起きなかった。

 こちらに仕向けられたPSYソルジャーズの面々は全て王虎と共に始末した。実はこれがあゆにとって人生初の殺人行為となる訳だが、いざやってみるとそんなに罪悪感は湧かなかった。不思議な気分だ。

 適当な椅子に腰かけ、あゆは大きなため息を吐いた。

「ふいー、思ったより時間掛かっちまったー」

「いま水依ちゃんからメールが来た」

 王虎が顔色一つ変えずにスマホの画面を眺める。

「あの子は無事みたい。黒狛探偵社とかいう奴らの手で保護されたそうよ。高白が直接率いていたPSYソルジャーズ総勢六十体も全滅。たかが十体相手に手こずってた私達が馬鹿みたい」

 平静を装ってはいるが、王虎の肩や頬は切り傷を負っていた。手刀だけでカマイタチを起こせる能力者による負傷だ。あゆも実は無傷ではなく、王虎がカバーしてくれなければ、左腕の火傷だけでは済まなかった。

 あゆは再び、血溜まりに沈むPSYソルジャーズの亡骸を見遣った。

「……お祖父ちゃん。仇は討ったよ」

 未来学会は単なる流通の窓口だが、薬物の製造元であるライズ製薬との繋がりもいずれは警察の手で暴かれる。そう遠くない未来に双方は共倒れするだろう。

 これで復讐は完了した。でも、不思議と気分は良くなかった。



 落下時に白猫の仮面が脱げていたことにすら気付かず、遠ざかるヘリのハッチから顔を覗かせていた水依を見つけて青葉は安堵した。救出作戦は成功だ。

 その下で、縄梯子に掴まっている黒狛四号が黒犬の仮面を外して自らの素顔を晒す。

 これが、白猫と黒狛に身を置く秘蔵の探偵同士における、初の顔合わせとなった。

「とうとうバレちまったか」

 ロケットランチャーの片づけを終えた轟が苦い顔をして唸る。

「まあ、あいつなりにこれがフェアだと思ったんだろ。あれはそういう奴だ」

「知ってる。だから私はあいつを気に入ったんだ」

「そうかい。ま、お知り合いってことなら今後も仲良くしてやってくれや。じゃあな」

 屋上から去り往く轟の背中は、何処となく彼に似通っていた。

 しばらく経つと、幹人は言葉を選ぶように言った。

「……青葉。彼の正体を知った以上、彼とはもういままで通り友人として付き合えないかもしれない」

「社長はあいつの正体を知っていたのか」

「随分と前からな」

 幹人の秘密主義には慣れている。特に腹は立たなかった。

「私はずっと前から、黒狛四号の正体があのバカならいいなって思ってた」

 青葉は心の底から安心しながら告げる。

「これだったらいいなっていう願いを叶えてくれた。あいつは最高の相棒だ」

「そうか」

 幹人はいつも通り、青葉の頭を撫でまわした。

「成長したな。私なんかより、ずっと大きくなった」

「もっと褒めるがいい」

「事務所の片付けが終わったら祝勝会だ。食べたい物があったら何でも用意してやろう。そうだ、井草さんも誘ってみるといい。きっと喜ぶぞ」

 幹人に言われて思い出した。

 事務所の片付けの前に、水依に会わなければ――と。


 自分が助かったという自覚を得られたのは、縄梯子を伝って紫月がヘリの中に這い上がってきた時だった。

「紫月君、お疲れ様」

「いえーい」

 紫月とハイタッチする杏樹をぼうっと眺め、水依は力なく呟いた。

「……お母さん」

「へ?」

 杏樹が素っ頓狂な声を上げ、自分で自分を指差した。

「なに? あたしのこと?」

「……何となく、そう見えただけ」

「そういうあなたは柚木さんにそっくり」

「……!」

 杏樹から口から出たのは、あまりにも予想外な苗字だった。

「私には柚木っていう友達がいたの。随分と昔、この街で占い師をやってた彼女に仕事の協力をしてもらってさー。特にそのぼーっとした平たい眼なんかあなたとそっくり。でも仕事が終わった途端にいきなり消息を絶って――って、あれ? 何で泣いてんの?」

「……柚木は旧姓。結婚して、その人は井草水穂になった」

 ぽろぽろと、膝の上に涙が落ちる。

「私は……井草水穂の……娘です……っ」

「……そっか」

 杏樹は寂しそうに微笑む。

「いいことを教えてあげる。私は柚木さんとの別れ際、彼女にぴったりの二つ名を遊び半分でプレゼントしたことがあるの」

「二つ名?」

「そう。笑っちゃうかもしれないけど――」

 紫月と龍也も興味津々のようで、杏樹に熱い視線を注いでいた。

「禁忌の探偵。どう? 納得でしょ?」

 母の本業は探偵ではないと訂正するのは無粋だろう。それくらい、その二つ名は素敵な皮肉と敬意で溢れていた。

「今日からその名前はあなたのモノよ。お母さんから貰った最後の贈り物、大事にしなさい」

「……はい」

 水穂にとって、杏樹は初めて自分が持つ力に誇りを与えてくれた相手なのだろう。

 まるで、水依にとっての青葉みたいだった。

「そろそろ飛行場です」

 龍也が窓越しに眼下の滑走路を眺めて呟いた。

「帰りましょう。俺達の街に」

 ここは彩萌市。金持ちがちょっと多い以外には何の変哲も無いけれど、大切な家族と仲間が共に暮らす故郷の街。

 母が地を這ってでも愛し、自分を産み落としてくれた素敵な居場所だ。


   ●


 彩萌市が街としての機能を完全に取り戻したのは騒ぎの四日後だった。

 街で暴れていた薬物中毒者の軍勢は、他県からすっ飛んできた自衛隊の大部隊が放ったスタングレネードで制圧され、結局警察側には誰一人として死傷者どころか怪我人すら出なかった。しかし、民間側に出た怪我人と死傷者の数は通常の大規模テロとさほど変わらない。つまり、街全体としては最悪の結果に転んでしまったのだ。

 未来学会とライズ製薬への強制捜査は後日執り行われ、PSYドラッグに関わっていた数多くの物的証拠が元となり、それぞれの団体は遠くないうちに解散へ追い込まれる結果となった。勿論、井草勝巳が立ち上げた殆どの企業もこの一件による風評被害で瓦解の一途を辿るだろう。

 そして、問題の井草勝巳は現在、留置所に勾留されている。

 面会室の窓越しに、勝巳は自らの娘、井草水依と対面している。この様子を、新渡戸は勝巳の背後から静かに眺めていた。

「すまなかったな、水依」

「お父さんが無事で良かった」

 水依が目じりに小粒の涙を浮かべる。

「まだ居なくなっちゃ駄目だよ。だって、私の家族はもう、お父さんしか……」

「そんなことは無い。私は父親失格だ」

 勝巳は水依の背後に立っていた王虎を見遣る。

「王虎。これが最後の依頼だ。家の中にある私の私財を全て使ってくれて構わない。だから、これから先も水依の傍にいてやってくれないか?」

「その依頼は承服しかねます」

 王虎が迷いなく答える。

「水依様が私を法廷代理人に据え、司法側に貴方の保釈請求を申請しました。家のお金は全て貴方の保釈金に充てます」

「水依、お前……!」

「そーゆーこと」

 素で驚いている勝巳とは対照的に、水依の態度は落ち着き払っていた。

「家は引き払って、王虎さんが新しくマンションを借りるってさ。そこが私達の新しい家だよ」

「ご主人様が帰ってくるまで、彼女はこの私めが命を懸けてお守りしますわ。だから、ご主人様も早く帰ってきてください」

「お前達……」

「いい娘さんと従者様を持って幸せだな、井草さんよ」

 とうとう、新渡戸は素知らぬ顔で口を挟んだ。

「二人の願い、受け入れてやんな。お嬢ちゃんにはまだ、あんたが必要みたいだ」

「……ああ、分かった」

 勝巳は俯き、涙を堪えながら言った。 

「帰ってきたら、この三人でまたやり直そう。新しい家族として、今度は真っ当に」

 この様子なら保釈金さえ払えば、後にどんな判決を下された後でも闇の世界から足を洗えるだろう。裁判所は条件に見合う金さえ受け取ったら保釈を許さなければならないというのもあるが、彼の場合は本当の黒幕である高白に利用され、その上で作戦を中断しようと考えを改めたので情状酌量の余地がある。

 ちなみに元凶の高白はほぼ死刑確定だろう。前述の被害評価を裁判所に聞かせてやるだけで無期懲役は免れない上に、非人道的な人体実験の数々が白日の下に晒され、目を覚ました後も自分の罪を正当化しようとする発言が見受けられた。勝巳と違い、救いようの無さは火を見るより明らかだ。

 面会時間が終わる直前、勝巳は両の掌を窓に張り付かせる。

 水依と王虎は、それぞれ片手の掌を彼の掌と重ね合わせた。

 二人と一人を隔てる窓なんて、彼らには在って無いようなものなのかもしれない。


 留置所を出て、一旦は王虎と別れ、水依は駅前の噴水広場で身を震わせていた龍也に手を振った。寒空の下で長時間待たせてしまったのは本当に申し訳なく思っている。

 彼と向かい合い、水依は手に提げていた小ぶりな紙袋から、王虎の手を借りて綺麗にラッピングした小箱を差し出す。

「これ、四日遅いバレンタインデーのプレゼント」

「わざわざ持ってきてくれたんすか? 超嬉しいっす!」

 年不相応な外見の強面が年相応にはしゃぐ姿は何となく可愛らしかった。

「人生初の同い年の異性からのバレンタインデープレゼントっす! これで今年は胸を張って生きていけます!」

「悲しいことを言わないの。これからも毎年作ってあげるから」

「マジっすか!? わっほーい!」

 喜び過ぎだ。彼がどれだけ荒んだ心の持ち主だったかがよく分かる。

「……火野君」

「はい?」

「言いそびれてた。ごめんなさい」

「え? 何で?」

「私の為に、あんな危ない目に遭わせちゃって」

「何言ってんすか。俺はほとんど何もしてないっすよ」

「そんなことは無い。だって、あの時火野君が来てくれて、凄い嬉しかった」

 もしあの場に到着したのが杏樹だけだったら、こうして龍也と顔を合わせることさえ辛いと思っていただろう。

 彼の勇気を見習いたい。あれは心の底からそう思った瞬間だったのだ。

「ありがとう。貴方のおかげで、私は心の底から笑えるようになりました」

「れ……礼ならあの二人に言って欲しいっす」

 照れているのか、龍也が耳まで赤くして顔を背けた。

「それより、さっき葉群さんからメールが来ました。これから一緒に、葉群さんと貴陽さんが行きつけにしてるラーメン屋に来ないかって。貴陽さんも東雲さんも、いまそちらに向かってるそうです」

「青葉……」

 あれから青葉には一回も会っていない。勝巳の逮捕や保釈に関する手続き、自身の事情聴取などに追われていたので、あの日からいまに至るまでは知人友人に会うどころか学校にすら行っていないのだ。

「彼女はきっと、純粋に喜んでくれると思います」

 こちらの心境を見透かしたのか、龍也が飄々と言った。

「最近一緒に居て良く分かりました。彼女は体が小さくても心はビッグな人です」

「……そうだね。うん、その通りだよ」

 彼に言われるまで忘れていた。

 貴陽青葉という人間が、神より寛大な心の持ち主だということを。


   □□□


 水依が龍也にチョコを渡し終えた場面を遠巻きに眺め、青葉は身を翻して例のラーメン屋に向けて歩き出した。場所が駅前なので、ここからだと店までの距離は目と鼻の先だ。

 灰色の雲間から粉雪がちらつく。積もらないし、すぐに止むだろう。

 店の前に着き、何の気無しに扉を開く。すると、入ってすぐのカウンター席には、既に注文の品を待っている紫月の姿があった。

「お? 青葉、久しぶりじゃん」

 といっても、たかが四日会っていないだけだ。

 青葉は券売機で券を発行して、特に考えもせずに紫月の隣に腰を下ろした。

「何かいいことでもあったのか? いきなり皆を呼び出したりなんかして」

「そういや井草さんをここに呼んだことが無かったなーって思っただけ。火野君と青葉は単なるオマケだ」

「そんなことばっかり言ってるから友達が少ないんだ」

「お互い似たようなモンだろ」

「ああ言えばこう言う奴だ、忌々しい」

 ここまではいつもの憎まれ口によるやり取りだ。さて、お次はどんな話題を振ればいいものか。

 まあ、最初から決まってはいるのだが。

「紫月君」

「あん?」

「私はこう見えてまだ十六歳の女子高生だ。思春期相応に悩みもするし苦しみもする」

「何だ、いきなり」

「まあ、聞け」

 青葉は店主から差しだされたお冷やのグラスを意味も無く揺らす。

「自分一人の力じゃどうにもならないって分かっていても背伸びをして一人で無理を重ねる時だって頻繁にある。本当にどうすればいいか分からなくて立ち止まってしまう時も、自分を大切に想ってくれている人をないがしろにすることだってある。それが最近良く分かってきた」

 その結果、一時であれ水依を苦しめてしまったし、龍也からも怒られてしまった。まだまだハーフボイルドもいいところである。

「でも、私が頼って許される人がいるっていうのを教えてくれた奴がいる。そいつは何処からともなく現れて、どうしようも無い状況を一気にひっくり返して私の目の前から消えていった」

「まるでヒーローだな」

「そうだ。そいつは私のヒーローだ」

 青葉は右拳を紫月の横に持ち上げた。

「だから、もし私が立ちいかなくなった時はまた助けて欲しい。私のこの願い、君は受け入れてくれるか?」

「青葉が言うヒーローみたいになれるかは知らんけど、いいぜ」

 紫月も自らの左拳を持ち上げる。

「そんくらいはお安い御用だ。お前だってそうだろ、相棒」

「ああ」

 拳と拳がこつんと触れ合う。

 これが後の探偵史で語り継がれる、伝説の名コンビ誕生の瞬間だった。

「あ、やっぱり先に来てた!」

 新たに入ってきた客が騒々しいと思ったら、やっぱりあゆだった。しかも彼女の後ろには龍也と水依もいる。

「ここに向かう道すがら二人を見つけて一緒に来たんだ」

「そうかい。とりあえず早く座ったら?」

「私、ここー!」

 券売機を弄った後、あゆが率先して紫月の右隣を選ぶ。これで紫月は両手に華だ。ちなみに水依は青葉の左隣、龍也は水依のさらに隣だ。

 他の客もそこそこ人数が居るのに学生連中だけが騒がしいのはどうかと思ったが、今日だけはどうか許して欲しい。

 だって、今日はバレンタインデーの百倍以上も特別な日なのだから。

「青葉」

 水依が青葉の肩に手を置いて微笑みかけてくる。

「ただいま。遅くなってごめんなさい」

「別にいいさ。それより、おかえりなさい。そして――」

 彼女と再会したら必ず言おう――そう心に決めていた言葉は思いの外、舌の上から自然と滑り落ちた。

「ようこそ、私達の世界へ」

 魔界同然の現実世界にまた一人、規格外の少女が仲間入りしたのであった。


「ここが例のラーメン屋か」

「ええ。美味いですよ」

「ほう? ――って、おいおい、ガキばっかじゃねーか」

 前に青葉の紹介で行ったラーメン屋の前まで来て、新渡戸は駒木と共に扉のガラス越しに、カウンター席でやかましくしている五人の男女を眺めていた。

 駒木が心底苦そうな顔をして唸る。

「飯の時くらいは静かにやりたいもんだぜ。飲み会じゃあるめぇし」

「じゃあ別の場所にしましょう。ここに来るのはまた今度っつーことで」

 新渡戸はあっさり諦めて身を翻し、誰にも聞こえないように呟いた。

「ようやく、あんな風に笑えるようになったんだ。邪魔しちゃいけねぇよな」

「あん? 何か言ったか?」

「いえ、別に」

 ラーメンを食い逃した代わりに、今日は珍しいものが見れた。

 いつもは仏頂面で表情の起伏が乏しいというのに、いまのあいつは年相応に無邪気な笑顔を咲かせて仲間達とわいわい談笑していやがる。

 その絵面を写真に収めて幹人の野郎に送りたかったが、それこそ無粋だろう。

「貴陽青葉と葉群紫月……か」

 彩萌市を護る最高の盾と最強の剣は、若干十六歳の高校生二人組。

 これから先は彼らの時代になるだろうと、新渡戸の長年培った刑事の勘が囁いた。



                            禁忌の探偵編 おわり

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