第5話 製作始まる

 ○本家エター シーン17 イベント絵 霧子の苦悩 場所 公園 時間 夜 ■花世

総太「……どうしたのですか?」

 先輩はブランコに乗っている。

総太「何か……会社のほうであったのですか?」

 俊介が言っていた。霧子先輩の実家のアパレル会社は大変なことになってるって。

 中国からの安い製品がたくさん入ってきて倒産寸前になって。

 それで、霧子先輩のお父さんは倒れてしまった……。

霧子「父が……父が倒れたことは知ってると思う」

総太「はい。伺いました」

霧子「心筋梗塞ということになっているが……本当は自殺未遂なんだ」

総太「……」

霧子「自宅で首を吊って。私が見つけたときは呼吸がなくて……」

総太「……」

霧子「もう……会社は滅茶苦茶で、手が施しようがなくて。だから……保険金で負債をなんとかしようとしたんだ」

総太「……そうだったのですか」

 なんて言ったらいいんだろうか。

霧子「……」

総太「……それで社員の人はどういっておられるのですか?」

 ボクは前に、霧子先輩が会社の人と話をしているのを見たことがある。嫌な感じのなまっちろい白豚のような人と痩せて、顔の四角い眼鏡の人。

 二人ともすごく嫌な感じの人だった。

総太「ほら、前に会社で話をしていた……」

霧子「専務の芝崎と常務の松木か。彼らが何を考えるかはよく分からない。ただ……」

 芝崎と松木。

 そうか。あのデブと眼鏡、芝崎と松木って言うのか……。

総太「ただ?」

霧子「銀行の融資のこととかあるからな。連中は一刻も早く私に役員になるように言ってくるんだ」

 自分たちが生き延びたいから……自分たちが行きは伸びたいから、社長のお嬢さんに役員を押し付けようとしている。

 社長さんが首を括るような会社の役員。そんなものになったら霧子先輩、身包みはがされてしまう!

総太「……(あのデブめ……許せぬ)」

霧子「それと……あの二人は名前が……名前が気に入らないらしい」

総太「名前って? 何の名前すか??」

霧子「タイラという会社の名前が……どうも気に入らないみたいなんだ。社長が首を括ったような会社の社名はゲンが悪いとか」

総太「何ということを……」

 長年、その禄を食んでおきながら、なんという言い草!

 ボクには分かる。あの二人は会社を自分のものにしようとしているんだ。

 俺の会社。俺だけの会社。

 けれど、自分たちは一切の責任を負おうとはしない。

 担保は霧子先輩。

 何か事が起こって、詰め腹を切らされるのは霧子先輩。

 人の命を食い物にして自分たちは偉そうに振舞う。

 昨日と同じように。そう。昨日と同じように。

霧子「……」

総太「霧子先輩……」

 この人を……この人だけは何としても守らなければならない。

 なんとしてもだ。ボクの命に代えても。

 ボクの……この安い命に代えても。

 でもどうしたらいい? どうすれば……。

 

 もの書きヤクザは昼間、激昂しすぎたのだろう。いつの間にか、ノートパソコンの前で居眠りをしている。

 外ではちりんちりんとガラス製の風鈴が音を立てている。

 やがて……。

 「あ……」

 小娘は気がついて眼を開ける。いつの間にか、大井弘子は部屋に戻ってきていたようである。

 「……」

 大井弘子は妹が書いたシナリオを見ている。

 以下を爆発させたような作品。名指しで芝崎と松木が非難されているシナリオ。

 「ああ、アネキ、帰ってきてたのか……」

 小娘はぼさぼさの頭を書きながら起き上がる。

 「……いいわね」

 姉は言った。

 「霧子というキャラも。総太の言葉も」

 霧子は……言ってみればエターナル・ラブという作品そのもの。時代の流れに翻弄され、不愉快な中年男達に食い物にされてぼろぼろにされていくエターの魂そのもの。その霧子のためにただ一人切歯扼腕し、激昂する総太は丸山花世の想い。

 「……芝崎と、松木は癌だと思うからさ。とりあえず実名で出してみたけど、いろいろと問題もあるかもしれないし。その部分はアネキに任せるよ。変えたかったら変えて」

 「いや。このままで行きましょう。きちんと名指しで書かないと芝崎さんや松木さんには、『私達が本当にどう思っているか』を理解できないでしょうから。それに市原さんは『魂を削れ』と言ったわけで……誰の魂を削るかはこちらに任されているのだから」

 大井弘子は冷静に妹が書いた作品を見ている。

「言いたいことがあれば作品の中で言う。誰が相手でも。そういう勇気がなければお客さんをつなぎとめることって多分できない。これは、このままでいきましょう。変更はしない」

 大井弘子ははっきりと言った。シナリオは当然芝崎たちの目に触れることになる。紛糾もするだろう。だがそれはそれで構わない。スタッフの心にすら何かを残せない作品が、いったいどれほどのものをプレイヤーに与えられるのか。

 「なあ、アネキ……」

 妹は言った。

 「キンダーのスタッフって……小せーよな」

 「そうね」

 「なんで……キンダーにいった奴ってあんなに小せーのかな」

 僕のエター。私のエター。俺のエター。

 連中は作品にしがみついている。しがみついているのだ。

 「……私達には小さくいとおしくみえる作品も、彼らにはそうは見えないのでしょう。それはまるで大きな質量を持つブラックホール。一度その重力に捕まってしまったものは逃れることはできない」

 「でもさー。そんなことしてたら……作品こけたら皆死んじまうんじゃねーの?」

 丸山花世は思っている。沈み行く船。そのマストにしがみついているものはいずれ溺れ死ぬ。

 「あいつら、わかってんのかなー」

 魯鈍そうな市原。ヒステリックに転げまわる芝崎。そしてどこか腑抜けた松木。

 「これから死ぬんじゃない。もう死んでるのよ、きっと。あの人たちは」

 「……」

 「キンダーがつぶれた段階で、もう……彼らの業界人としての生命は終わっているんでしょう。社内クリエイターにとっては会社の倒産はレッドカードと同じだから」

 「退場宣告か……」

 丸山花世は口の中で呟いた。

 そう言われれば、キンダーの社員は……話をしていてもどこか会話がかみ合わない部分がある。話をしているのに言葉が触れ合わない。それは連中が死んでいるからなのか。

 「……アネキ、この作品……本当に世の中に出るのかな?」

 妹はささやくように尋ねた。姉はそれに対して何も言わずに首を軽く振っただけであったのだ。


 ○タイニー・エター シーン46 回想 場所 公園 時間 昼 ■一矢

 ずっと昔だけれど……。

 公園の近くに駄菓子屋さんがあった。おばあさんが一人で切り盛りしている店だった。

 僕はよくあかりと一緒にお店に行った。

駄菓子屋にはいろいろなものが売っていた。飴とか。チョコレートとか、あとはゲームもあった。 あかりはどこにでも入り込んで、トラブルばかりを起こすのだけれど、結局、いろんな人に可愛がってもらうそんな子で。

 駄菓子屋のおばあさんからもとても可愛がってもらっていた。

 でも、ある日、駄菓子屋のおばあさんは倒れて。

 それで亡くなってしまったんだ。

 僕とあかりはちょうど臨海学校に行ってるときで。それで、戻ってきたら、お店は閉まっていた。

 閉まったお店の扉が開くことはなかった。

 いつ行っても扉は閉まっていて。それでカーテンが下りていた。

//イベント絵 店先で座っている子供の頃のあかり

恭介「……帰ろう。もう、おばあさんいないんだよ」

あかり「……」

恭介「もう死んじゃったんだよ。おばあさん」

あかり「うん。わかってる……」

恭介「……」

あかり「……キョースケ。人は死んだらどうなるんだろーか」

恭介「それは……うん。分からないよ」

あかり「私も死ぬんだよなー。いつか……」

恭介「……」

あかり「死んだらどうなってしまうんだろうか?」 

 蝉の声がだんだん聞こえなくなっていく時分のことで。

 秋の虫が鳴き出す頃のことで。

 僕は、あかりの不思議そうな顔を今でもよく覚えている。

 哀しいというわけでもないし、人生の不条理に怒っているわけでもない。

 ただ不思議そうな顔。ただ、意味を理解しかねて首をかしげているあかりの顔。

 そして、おばあさんがひとりでやっていた駄菓子屋さんは今ではマンションになっている。

 

 ○本家エター シーン51 校長室での会話 場所 校長室 時間 昼 ■花世

//立ち絵 校長

校長「平さんのご実家がそういうことに……つまり、お父様が自殺を図られたり、お仕事がうまく行ってないことは知っています」

総太「……」

校長「君が平さんのことをいろいろと気にかけていることも……私は知っていますよ」

 この先生は……本当にすごい人だと思う。生徒のことはよく知っている。

 生徒の事を見ていない先生も多い。でも、この人は違う。

校長「実は、平さんは退学届けを出しに来たのです」

総太「え? そうなのですか?」

 そういうことはボクも聞いていない。

総太「本当ですか、それ……」

校長「はい。学費のことで学校に迷惑をかけてしまうかもしれないと……ですから先回りして退学をしようと」

総太「……」

校長「プライベートなことですから本当であれば、話してはいけないことですが、君は別です。君は平さんのナイトですから」

総太「……そんなんじゃないですよ。それはかいかぶりです。校長先生。ボクはナイトなんてガラじゃないです。そんなに偉くもないですし……」

校長「では偉くなってください」

総太「……」

校長「偉くなって、平さんを支えられるそういう人物になってください。それこそが君の役目なのです」

総太「……」

校長「自分のために。そういうことを言う人が世の中にはあふれている。自分のため。自分のため。自分のため。でも……自分のために行うことはその時点で曇るのです」

校長「どんなに方向が正しくても自分のためでは曇る。それは我欲というのです。我欲では人間は自分の力以上のものは出せない」

校長「けれど……人のためであれば、人間は自分の持っている力以上の力を発揮するのです。いいですか。誰かのために。誰かのために。誰かのために」

校長「鈴木君。生きなさい。誰かのため。一度でいいから誰かのために。そうすることが君のこれからの人生の糧となる」

校長「そして、君が知っているように平さんは、君が奮起するに値するレディですよ」


 ○タイニー・エター シーン49 桜の悩み 体育館 時間 夕刻 ■花世

//立ち絵 桜 ジャージ

桜「……あ、あの、先輩……知ってるかもしれないっスけど……」//疲労困憊

 西片さんは話しかたがちょっともっさりしているんだよな。

恭介「?」

桜「ハンドボール部は……もうダメかもしれんです」

 女子ハンドボール部で何かごたごたがあったことは聖司に聞いている。今日は生徒も何人か来ていなかったみたいだし……どうなってんだ、いったい?

 日比谷先生も状況がよく分かってないみたいだし……。 

恭介「ええとさ……何があったの、いったい?」

桜「どうって……」//言いにくい

恭介「……?」

桜「その……警察にパクられてしまって……」

恭介「へ? パクられる? 誰が?」

桜「だから、ハンドボール部の部員……二年の先輩全員」

恭介「え? そうなの? な、なんで?」

 うちの学校の女子ハンドはすごく強くて……県でもトップレベル。そんな連中が警察のご厄介? どして?

桜「居酒屋で大騒ぎして……三年の追い出しがあったから。おとといの土曜日っス」

恭介「……」

桜「そしたら、先輩の一人が急性アルコール中毒になってしまって……」

恭介「……」

桜「病院に運ばれて。血圧が異常に低下して。それで警察とかも来て……で、全員、べろべろで……飲酒がばれてしまったス」

恭介「……西片さんは……西片さんは、その、警察には」

桜「パクられなかったっス。追いコンの日、母さんが病気で。で、買い物とかしなきゃいけなかったっスから」

 女子ハンド……。

 なんかすごい連中だよな。酒食らって病院直行……どこのオヤジだよ。

桜「とりあえず二年の先輩は自宅謹慎っス」

恭介「そりゃそうだよね……」

桜「退学にはならないみたいですけど、停学一週間とか……」

恭介「……ハンドボール部は?」

桜「特に処分はないッス……」

恭介「そうなんだ……」

桜「けどレギュラー含めて、主要選手が十五人もいなくなってしまったっスから、実質、崩壊っスよ。今、まともに活動できるの私含めて三人っスから」

恭介「三人じゃ……試合はできないよね」

桜「問題外っスよ」

 こんなとき……どういう慰め方をしたらいいんだろうか。

 単なる事件事故だったらともかく、身から出た錆びなわけで。

 なんかすごくビミョーなんだよなあ……。

 

 ○本家エター シーン60 ありすとの会話 場所 駅前 時間 夜 ■一矢

//立ち絵 ありす

ありす「ふーん。霧子先輩、退学届けね……」

総太「……うん」

ありす「また、いつものことだけれど、どうでもいいことに首突っ込んでのね。馬鹿馬鹿しい」

総太「確かにそうなんだけれど……」

 ありすはいつもそうだ。

 他人のことはどうでもいい。他人は他人でやっていく。個人主義者、なんだと思う。

ありす「だいたい、あんたが首突っ込んで、何か状況、変わんの?」

総太「うーんどうなのかな……そう言われると、多分無理っていうか

ありす「多分じゃなくて、絶対っしょ」

総太「……」

ありす「総太。一応、言っとくけど、こっから先はあんたにはどうしようもいないことよ」

総太「……」

ありす「先輩の縫製会社は資本金だけで一億円以上。年少は五十億。そんな会社、どうやって支えんのよ」

総太「えーと、それは……」

ありす「社員はぼんくらばっかり。変わんなきゃいけないのに全然変わろうとしない馬鹿ばっか」

ありす「昨日のままでいい。昨日のままがいい。で、社長は首括って、会社は火の車。そんな会社、どうにもなんないわよ」

ありす「十万二十万の話じゃないのよ。億のお金。倒産すれば、担保の土地も建物も工場もみんな持っていかれる。それが倒産ってことなのよ。それわかってる?」

総太「それは……うん」

ありす「簡単なことじゃないのよ。倒産って……」

総太「……でも、そうなったら霧子先輩」

ありす「霧子先輩のことは諦めなさい」//諭すように。

総太「……」

ありす「……もう、あんたの手に負えるレベルの問題じゃないのよ。総太。あんたにはどうすることもできないの」

総太「……」

 それはわかってる。

 ありす、わかってるんだよ。僕は一介の学生で。何のとりえも資力もなくて。

 でも……。

 このまま手をこまねいてはいられないんだよ。

 

 ただ文字を書く。

 ただキーを打ち続ける。

 文字はやがて川となり人生となる。それが物語。川の流れが寄り集まって作品に育っていく。それが面白い。それが楽しい。だから作品を作る。

 「霧子の父ちゃんの会社はイコールでキンダーだよね」

 妹は姉が書き残していった作品の欠片を眺めている。

 いつの間にか蝉の声は消えてなくなり。気がつけば虫の声。

 ただシナリオを書くだけで時は過ぎていく。

 隅田川湖の花火があって、江戸川。気がつけば東京湾の花火大会も終わってしまった。

 あっという間に九月。

 「また休みはシナリオ作業でつぶれたか……まーいいけど」

 小娘は呟いた。 

 姉の部屋で作業をし、時々は実家に戻って着替えて姉の部屋でまた作業をする。小娘の生活はきわめて単調。もっとも両親としてみれば問題行動を起こさないだけよほどまし、であったろう。少なくとも警察からの連絡の心配をしなくていいのだ。。

 「倒産、だよな……倒産。テーマは倒産」

 小娘は呟いた。そろそろ髪の毛を切りに行かなければならない時分であるか。ぼさぼさのショートヘアがおかしな具合になっている。

 「つぶれるのは惨めだからなー」 

 倒産して全てを持って行かれる。全てなくなる。権利も、作品も。何もかもが。倒産とはそういうこと。

 ――キンダーの社員は自分たちが味わったものを書き記したほうがいい。というか、書かなければならない。それこそが作品を作るということ。

 姉の大井弘子も妹の丸山花世もその点では一致している。

 自分たちが不細工に転げまわった跡。それを、客に見てもらえばいい。そこにこそ感動はある。作品は作り手の成長記録でもあるのだ。

 倒産しました。権利は持っていかれました。つきあいのある雑誌はあれだけ広告費を吸い上げていたのにキンダーの倒産に対してコメントひとつ出しませんでした。で、16CCになったので昨日と同じように、エターを作り始めます。もちろん、その間のことについては製作者は特にコメントしません。

 昨日と同じ。

 いつも同じ。何のかわりもなく穂積丈が出てきてプレイヤーに説教垂れて、テキトーに話が進んで美少女がとってつけたようにして泣きだして、で、カンドーの押し付け。

 それは作品の魂から見てどうなのか。

 そういう作られ方をするエターという作品の魂はどう思っているのか。

 そんな矜持のない作り方が許されるのか。それで、通るのか。それで通してしまっていいのか。

 姉も妹も思っている。

 ――それは間違いだ!

 そんな馬鹿なことがあっていいわけがない。

 クソにたかる蝿のような意地汚さ。薄汚さ。誇りの欠片もない醜い生き方。作り手のいやらしさが透けて見える、そんな作品を作って良いのか。丸山花世は思っている。そんなものは作る意味がない。

 もちろん、市原や芝崎には何か言い分があるのだろう。だが、彼らは自身が物語を作るということができない。何の能力もなければ才能もないのだ。そしてそんな人間の言い分にしたがっていたからこそエターナル・ラブもキンダーガーデンも瓦解してしまった。

 ――自分たちの馬鹿さ加減。自分たちの至らなさ、能力の根本的な欠如、客に全部見せてやれよ。

 自分たちと向き合うこと。それが物を作る意味。作品が生まれ意味。 

 「タイニーよりは……やっぱり本家のほうが、重みがあるかな」

 姉が使っているデスクトップのコンピューターを眺めながら小娘は言った。

本家のエターはキャラクターが会社を潰して、途方に暮れた社員達の人生と重なっている。お金というものに苦しみ、振りまわされた社員の人生がそのまま作品となっている。だから、重みがある。その重みは必ずお客に届くはず。

 「書いてて楽しいのはタイニーのほうだけれど……」

 作品自体はタイニーのほうが作りやすい。キャラは奔放で、やりたい放題。まるで生まれたばかりの子供のように天衣無縫。

 愛されるキャラは……多分、タイニーのキャラ。

 けだし、スタッフに愛されない作品はお客に愛されることはないのだ。

 「……もうちっと、作業しとくか」

 小娘は言った。

 姉が帰って来るまでまだしばらく時間がある。だとすればもう少し先にシナリオを書き進めておくか。

 「えーと……だったら、タイニーのほうを……」

 小娘は姉が使うデスクトップのパソコンを放り出して、自分のノートパソコンに向かった。

 

○タイニー・エター シーン51 あかりの告白 場所 海岸 時間 夕刻 ■花世

//立ち絵 あかり

あかり「……」

恭介「どしたん? こんなところで……」

あかり「……うん」

 あかりはちょっと元気がない。

 自分よりも馬鹿だと思っていた浩平がちゃんと将来について考えているのがよほどショックだったのか……。

あかり「キョースケ……コーヘーは卒業したら実家の和菓子屋の跡をつぐんだって」

恭介「そうみたいだね」

あかり「サッカーは……身長が足りないからやめっちまうんだって」

恭介「聞いてるよ」

あかり「京都の老舗和菓子屋に修行しに行って……」

恭介「……」

あかり「……でもさ、そんなの、おかしくねーか?」

恭介「どうして?」

あかり「そんな……自分の限界見えたから、もうサッカーはやめるなんて……そんな、いきなり方向転換するなんて」//不満

恭介「……」

あかり「私だったら最後の最後までサッカーやると思うんだよな。いいじゃん誰に何言われたって」

あかり「そんなにサッカーが好きなんだったら最後まで食らいつけばいいんだよ。最後までやり続けて。最後まで追い続ければ」

あかり「私だったら和菓子屋なんか絶対に嫌だ!」

恭介「……」

あかり「みんなそうだよ。みんな夢があるとか言って、でも、へらへら笑ってよく考えたら無理だとか。無理だから大学行くとか……」

恭介「あかりは何になりたいの?」

あかり「んー? 私はアラブの石油王とかかな。あとはイギリスの女王陛下とか」

 聞かなきゃ良かった……。

あかり「なりたいものがたくさんあるんだよ。あれにもなりたい、これにもなってみたい……そうやって楽しく生きていたいんだ。それはやっぱり無理なことなのかな」

恭介「……」

 あかりは……みんなは笑うけれど本心からそう思っている。

 簡単に夢を曲げてへらへら笑っているのは……男らしくない。

 あまりにも自分を曲げる人間が多いから。

 笑って簡単に方向転換する浩平の変わり身の早さが、あかりにはズルさに思えるんだろう。僕もその気持、分かる。

 昨日までサッカー、サッカーって言い続けていた奴が、ある日を境に、

 『二十歳になったらもう馬鹿はできないよ』

 なんて言うんだ。でも……それは底の浅い人間ってことじゃないのか?、

あかり「キョースケはいいな。おまえはいつも夢が公務員で同じだから。きっとおまえは良い土木課係長になるぞ」//笑顔

恭介「……うれしくない褒め言葉ってあるんだね」

 っていうか……僕、公務員になりたいなんて一言も言ったことなくて……。

 それ、あかりのお母さんが、『三田君は公務員向きね』って言ったからそうなっただけじゃんか……。

 

 「こんなところか……」

 小娘は呟いた。

 少しずつでも作品を進める。シナリオでも小説でも地道な作業。それは遠い距離を歩く旅のようなもの。派手さもなく、賞賛もない。

 芝崎がホワイトボードの前で踊るようなスタンドプレーは実際の作業にはない。と、いうか、そういう踊りが好きならばダンサーになればよいこと。16CCの社員は多分、職選びを間違えている。 社長はアーティスト気取り。そこに出入りしているのはヤクザ者まがいのちんぴら。ちゃらちゃらした女優気取りの女共に、ピアスの似合うシャブ中業界人と踊るプロデューサー。

 丸山花世は思っている。

 それでもいいのだ。それでも。

 おかしな人間であっても全然構わない。

 ――実力があれば!

16CCの人間には悪いところはない。あるとすれば、やはり、才能が図抜けていないということ。社長の倉田もオタク業界ではそこそこ名が売れているのだろうが、全ての人が知るような名曲を作っているわけではないし、ほかのスタッフも同じ。キンダーから合流した連中に至っては敗残兵である。

 ――力のない人間、心の弱い人間が、不安から寄り集まっているだけ。

 小娘はすでにそのこと気がついている。そして作品を作る人間はいつでも弱い人間ではダメなのだ。三神が言ったとおり。作り手はアンカーにならなればならない。それができる大きさ、強さがないといけない。

 「そういうの……ねーよな、きっと」

 小娘は呟いた。

 と。

 そろそろ姉が戻ってくると思った矢先のこと。

 もの書きヤクザの携帯が鳴った。

 「あれ……アネキか……」

 小娘は携帯を取る。

 「もしもし……」

 ――ああ、花世。

 「何よ……」

 ――今日、ちょっと遅くなるから。

 「ああ、はいはい……」

 小娘は適当に言った。

 ――一時までには戻ります。

 「ん。分かった」

 ――それから、明日のことだけれど、明日、また16CCに行きます。さっき市原さんのほうから連絡があって。

 前回の不愉快極まる打ち合わせから相当の日がたっている。その間、市原からは何の連絡もない。

 「ずいぶんとのんびりしてやがるよな」

 ――お忙しいとかで……ねえ。

 大井弘子の言葉には含むところがある。

 どうせどうでもいいことで時間を潰していたんだろう……というような、諦めであり軽蔑。妹にもそれは良く分かっている。

 「……明日ね。また、三時ごろ?」

 ――そう。

 「なんか……荒れそうじゃんか。また」

 小娘は予感して言い、それに電話の向こうの姉はこたえなかった。

 ――じゃ、またあとで。

 そこで電波は途切れた。小娘は呟いた。

 「なんで作業以外のどうでもいいところでストレス感じなきゃいけねーんだよ」

 

 そして。

 翌日。

 日差しは鋭いが、風は涼しい秋風の日。

 小娘は姉につれられるようにして再び16CCの事務所を訪れることとなったのだ。

 それはある意味運命の日、であった。

 作品にとっても、そして16CCにとっても。

 「行きましょう」


 大井弘子はそのように言って、チンピラの巣窟に分け入り、妹もそれについていく。

 ――あれ?

 オフィスビル一階奥。まだ新しい16CC事務所を訪れた小娘はあることに気がついた。

 ――キンダーCC。

 以前あった看板は無くなっていた。かわりに『16CC games』という看板がかかっている。それだけではない。事務所入り口近くには、ゲーム部門の商品であろう、さまざまなグッズが飾ってある。キンダー時代のゲーム、DVD。マグカップであるとか、タオル、枕――。

 「こんなもん金出して買いたくねーよな」

 小娘はぼそりと言った。姉は微苦笑をしただけであった。そして、今回は妹ではなく姉が、インターホンを取った。

 「恐れ入ります。大井と申します」

 姉はインターホンの向こうにいる誰かと会話をし、小娘は辺りを見回している。

 ――結構こういうグッズも高いんだよな。

 ファンから搾り取るだけ搾り取る。絞られるファンに対する愛は……市原たちには無いのだろうか。

 やがて、愛のない男市原が出てくる。

 いつものようにぼんやりとした、覇気のない表情。

 「いや……どうも……」

 そつ無く笑い、腰も低い。けれど……それは、謙遜ではなくて卑屈。

 「どうぞこちらへ……」

 ヒゲの男はそう言って小娘たちを中に導きいれる。前回と同じように。前回と同じ会議室へ。

 小娘はあたりの様子をそれとなく観察している。会話の無い社内。笑顔も無く、ちただみんなうつろにパソコンに向かう。

 ――音楽製作担当とキンダーの残党。さらにはサイゴンプロ。

 三つの勢力を束ねる力。倉田にあるのか。そのことは分からないが、社内はどうも暗い。

 「花世!」

 立ち止まる妹の名前を姉が呼び、そこで小娘も会議室に入った。

 白いテーブルにパイプ椅子。会議室には市原がいるだけである。

 「ああ、ちょっと待っててくださいね。お茶をお持ちします」

 市原はそう言って部屋を出て行った。

 「……芝崎とか松木とか……あいつら、上司をなめてやがんな」

 丸山花世は言った。

 また遅刻。呼び出しておいて、自分たちは絶対に市原よりも先には出てこない。いつでも偉そうにふんぞり返って重役出勤。

 「……ムカツクな」

 小娘は腹を立てている。大井弘子も顔を曇らせている。

 「……ダメになっていく会社の匂いいがするわね」

 やがて、市原は紙コップを持って戻ってきたが、その時も一人であった。誰もやってこず、誰も出てこない。

 「ええと……今日は、うちのスタッフたちと会っていただくのですが……私は皆さんの側に立つつもりですが……相当厳しいことも言ってくると覚悟をしていただきたいというか……」

 市原はごにごにょと曖昧に言った。

 「間とか?」

 丸山花世はばさりと応じた。

 「ええ……まあ……」

 市原は部下の突き上げをまったく御すことが出来ないでいるらしい。誰も現場を統括できない。全員が市原のことを侮っている。そういう人間を責任者にすえると言うことで倉田という社長の頭は相当どうかしている。

 「ひとつ伺ってもいいですか?」

 大井弘子が言った。

 「ええと……なんでしょう」

 「御社の業績は……どうなっているのでしょうか?」

 「……業績と言いますと?」

 「そういうことです。きちんと会社として回って言っているのかということです」

 「……それは、そうですね。売り上げ的には厳しいというか……ゲーム、売れてませんからね、どこも……」

 「親会社のほうはどうですか?」

 大井弘子は……何かを掴んでいるのか。

 「えーと、その。ええ、まあ、映像部門は儲けているようですから……」

 大井弘子は強い視線を市原に送っている。

 「その……まあ、二期連続ということで……16CCも多少は苦労していますが……」

 「二期連続? 二期連続って何よ?」

 丸山花世は口を挟み、一方市原は口が重い。

 「……いや、その」

 そして大井弘子は追及の手を緩めた。

 「ところで……御社では、いつも、ディレクターやプロデューサーは、エグゼクティブプロデューサーである市原さんよりも現場に入るのが遅いのですね」

 「……」

 「部下がいつでも上司を待たせる……」

 「いや、まあ……松木は、今回は別のプロジェクトがあって、そちらに移ってるので……」

 「感心しませんね」

 上司も待たせる。来客も当然待たせる。

 どれだけ芝崎は偉大なのか――。

 「遅いな……何やってるんだ」

 市原はぶつぶつと言うと突然部屋から出て行った。その場の空気に持ちこたえきれなくなったのか。そして丸山花世は言った。

「私は皆さんの側に立つつもりですが、相当厳しいことも言ってくると覚悟をしていただきたいって何言ってんだよな」

 小娘はすでに相当機嫌を悪くしている。

 そんな言い草があるのか。

 それは、脅しではないか。

 自分は部下のことを制御しきれない。何も出来ない。トラブルになったら、おまえらと現場で渡り合って何とかしろ。そういうことであろう。

 「なんつー昼行灯なんだよ」

 「そうじゃないのかも……」

 「?」

 「そうではなくて、市原という人間は相当、腹黒いのかも……」

 「どうして?」

 「私達と現場の人たちを噛み合わせ、そろって傷を負わせて、自分の社内での発言力を高めようとしている……」

 虎を競わせて自分が漁夫の利を得る。完全な悪である。

 「……程度悪ぃな」

 小娘は警戒するように呟いた。

 「っていうか……そんな社内抗争にかかりっきりになってるような会社……大丈夫なのか?」

 「……」

 大井弘子はちょっと苦い顔をしただけ。

 やがて。腹黒いリーダーに率いられた一段が戻ってくる。

 太り気味のなまっちろい芝崎。さらには、ヒネた面をした背の低い色黒のちんちくりん。そして、若干太り気味の、特に特徴のない中年男。素晴らしく立派な連中でもなければ、感銘を与える人物でもない。意気揚々と……何をそんなにいきがっているのか男達は自分たちの席についた。

 芝崎、デブ、ちんちくりんという具合にテーブルに座る。対面に大井弘子、丸山花世が座る。座長となる腹黒い市原は大井弘子の左手に座った。

 「それでは……はじめましょう」

 市原は言った。

 「まずは、紹介を。まず、越田。うちの原画です」

 紹介されたデブは軽く頭を下げだだけであった。

 「それから間」

 ちんちくりんのヒネ坊は何も言わなかった。

 「大井です。妹の……」

 「丸山です」

 小娘は言った。デブもちんちくりんも、ひどく、突っ張ったような嫌な感じのする人物である。尊大。傲慢。思いあがり。気負いとプライド。

 そして、大井弘子が言った。それは苦言であった。

 「失礼ですが、芝崎さん、エグゼクティブ・プロデューサーとプロデューサーはどちらが偉いのですか?」

 遠まわしに女主人は責めたのだ。

 ――おまえはいつも遅刻ばかり。何をやっているのか。

 すると、芝崎はひどく卑屈な笑顔を作って言った。

 「それはもう、市原さんですよ……お金を管理しているのは市原エグゼクティブプロデューサーですから」

 涎を垂らす犬のごとき醜さ。あるいは……大井弘子たちが知らないだけで社内では、何がしかの暗闘があり、市原の側が巻き返しに成功したのか。もちろん、そういうことは、大井弘子の言わんとすることからはかけ離れている。

 姉が言いたいのは、

 ――それだったら、何故、いつも、待たせるのか。

 ということであるのだが……。

 ――こいつ何にも分かってねーな。

 丸山花世は芝崎次郎の血の巡りの悪さに激発寸前である。

 「ええと……それでは、ですね……」

 市原は言いかけ、そして、そこで丸山花世は言った。

 「なー。どうでもいいけど、イラストの人、同席させるの?」

 「え?」

 市原はなんともいえない微妙な顔を作った。

 「だからさー。そっちの二人の人は絵の人なわけでしょ? そういう人を連れてきていいの?」

 「越田も間もずっとエターに関わっていますし、今回はどうしても自分の口でいろいろとお二人に指示を出したいということでして……」

 越田も間はニヤニヤと笑い、芝崎は知らん顔をしている。

 ――そういうことか。

 小娘は理解している。つまり、それはこういうこと。

 ――芝崎、一人ではうちらには対抗できない。だから、芝崎が、越田と間の二人を引っ張り出してきたんだ!

 芝崎一人では、歴戦の大井弘子や狂犬丸山花世の連合軍に対抗しきれない。一人では無理。だから、イラストの連中を仲間に引き込み、共同戦線を張った。もちろん、越田と間にも何か思惑がある。それは、外注に対する力の誇示であり、市原に対する示威行為。さらには16CC上層部へのアピールもあるだろう。

 ――オレ達は、キンダーの残党偉いんや!

 というところを見せたいのだろう。加えて、提携先のブランへの威嚇もあるだろう。

 いずれにせよいえるのは、彼らはそれほどにはエターという作品に対して愛情などもっていない。すくなくとも作品への思いいれは自分達の我欲に比べてずっと優先順位は低いのだ。

 「とにかく、越田も間もお二人のシナリオについて、いろいろと文句というか、言いたいことがあるということでして……」

 市原は言った。

 「伺いましょう」

大井弘子はさらりとこたえた。

 「ただ……一応申し上げておきますが、絵の方がシナリオにケチをつけると言うことは、私の側からも絵の側にケチをつけてもいいということになりますが、それでも構いませんね?」

 「……」

 大井弘子の言葉は、非常に重いものであった。

 「それで構わないのであれば、結構です。どうぞ。伺いましょう」

 大井弘子の発言は場の空気を気温にして三度ほど下げるものまであった。芝崎は歯噛みをし、越田は目を閉ざし、そして、間というチンピラは苦虫を潰したようにひどい顔を作った。

 「えーとそれでは……」

 市原は空気があまり読めていないのであろう。話を勝手に進めていく。

 「あ、いや、その前に……」

 市原は突然、何かを思い出したようにして言った。

 「えーと、キャラの名前なのですが……こちらのほうで変更しておきました」

 「はあ?」

 丸山花世は相手が何を言ったのか分からずに、素っ頓狂な声を上げた。

 「なんだって?」

 「ですから、キャラの名前ですが、こちらのほうで変更をしました」

 「……どういうことでしょうか?」

 「いや、ですから……」

 市原は口ごもり、そこでデブ越田がしゃしゃり出てくる。

 「えー、やっぱり、いろいろと問題がありまして」

 「問題とおっしゃいますと?」

 妹には分かるのだが……大井弘子は相当に腹を立てている。

 「まず、ありすですが……これは、エロゲー大手に同じ名前のソフトハウスがありまして……」

 越田は楽しげに言い、間が続ける。

 「ありすとかぶるので、これはNGということで……」

 越田は言う。

 「それから、ありすという名前は、カーテンコールで使われていたあさひというキャラと名前がかぶるので、NGとということで」

 「おいちょっと待て」

 丸山花世は喚いた。

 「なんじゃそりゃ?」

 小娘が突然席を立ったのに、男達は嫌な目をしている。

 「なんだよ、そりゃ。エロゲーのソフトハウスの名前とかぶるって……そんな理由があるか?」

 「……」

 「だいたい、なんだ、テメー、前の作品と名前が似てるからって……」

 「おなじ『あ』のつく名前ですから。そういうのは良くないと判断しました」

 越田は言い、そこで丸山花世は机を叩いて叫んだ。

 「誰が!」

 「それはみんなで、決めたことでして……」

 もの書きヤクザの剣幕に、越田は僅かに怯んでいる。そして丸山花世は叫んだ。

 「その、『みんな』の中に、私らは入ってないだろーが!」

 小娘は若いのだろう。そうではないのだ。

 越田たちは最初から大井弘子も丸山花世も除外することを決めていたのだ。意図的にそうやって外している。何のためか? それは……おそらく、自分達のほうが偉いのだということを見せ付けるためである。自分達がエター。朕は国家なりではなくて朕はエター也。わざと頭ごなしに決めて、自分の権威がどれほどのものかを見せ付ける。

 「そういうことで、こちらで決めた名前……変更しておきましたから」

 芝崎がしゃしゃり出てきて言った。

 それは一枚のペーパー。

 

 ×福田ありす → 扇町いりす 理由 ありすが大手メーカーソフトの名前とかぶるため。

 ×相川千織 → 相澤詩織 理由 言いにくい。

 ×平霧子 →国府津マリア 理由フランス人の娘らしくない。また、間が昔好きだった声優から。

 ×海老原忍 →大友麗音(レイン) 理由 名前が古臭い。

 ×安治夕子 →本村夕菜 理由 特になし。

 

 ×桝本亮→ 徳大寺通

 ×深谷俊介 → 栃本イッキ

 ×浅利豊夫 →このキャラは削除。

 

 つまり全キャラ変更。浅利に至っては、存在そのものが消されている!

 「なー、浅利、消されっちまってんじゃんか!」

 丸山花世は怒った。そして、間と越田は怯んでいる。

 まさか、小娘がここまで激昂するとは彼らも思っていなかったのだろう。と、いうか、自分達の権威、エターナル・ラブ≒スタッフの意見に外注の小娘が大反発を見せるとは彼らは最初から考えていなかったのだろう。

 ――オレ達がその気になれば、どいつもこいつも黙るんだ。社長も、重役も。だから、下請けの小娘に何が出来る! てめーはオレたちの言うこと聞いてりゃいいんだよ! オレたちが俺達の血肉こそがエターそのものなんだからよ!

 男達はそのように信じて疑っていなかったのだ。

 「っつーか、なんで、そういうことは作業がこんなに進むまで言わなかったんだ!」

 シナリオ作業は相当進んでいる。すでにキャラクター達は動き始めているのだ。ありすも、千織も。

 「おまえらなー……」

丸山花世は顔を真っ赤にして言った。

 小娘が自分が馬鹿にされたから腹を立てているのではないのだ。作品と言うものは生まれようとして生まれてくるもの。名前を与えられ、キャラが踊りだす。そのキャラの踊りは作り手もとめることが出来ないしとめてはいけない。

 止められるとすれば……それは、その程度のキャラでしかない。

 「花世……」

 大井弘子は妹を制した。

 怒りに我を忘れた小娘と違い、姉は分かっているのだ。

 ――ここまでなったからこそ、今、こういう理不尽な嫌がらせをしてきている。

 その嫌がらせの黒幕は間違いなく芝崎次郎。

 性格の悪いなまっちろい豚野郎。

 芝崎が何故そういうことをしたのか、姉は理解している。彼は、自分か作品を統括するべきだと考えているのだ。自分の作品る自分のテリトリー。エターは自分のもの。私物。自分の思い出であり、三十年ちょっとの自分の人生のうち三分の一を共にしてきた作品。だが、丸山花世も大井弘子もそのような芝崎の縄張り意識には頓着しない。なぜならば、二人には作品のスジというものが読めているから。

 ブランでもタイニーの仕事を請け、16CCでも仕事を請ける。

 それはつまり作品から選ばれたということ。

 人が選んだのではない。天が選んだこと。芝崎はそういう感覚が分からない。自分が作品と向き合っていないから。結局は芝崎という男は美術館の管理人程度の能力しかないのだ。だが、プライドだけは一流。まるで一流の芸術家気取り

 ――オレのエターで勝手にはさせん。オレのエター! オレ様のエターなんだ!

 さらに、名前の変更にあくまでこだわり、全てを書き換えるように芝崎が画策したのは、彼自身が、丸山花世の小さななぞなぞを解けなかったと言う悔しさ。

 ――謎が解けなかった! 小娘が作った謎を解けなかった!

 理解できなかったという事実は拗けた芝崎の頭ではこう変換される。

 ――こいつら、オレを馬鹿にするために、からかってきてやがるんだ!

 かくして、芝崎は大井弘子と丸山花世に仲間を抱きこんでのサボタージュという方法で嫌がらせをしてきた。間であるとか越田はそれに乗った。おそらくは、二人が芝崎に乗ったのは市原に対する憎しみや、丸山花世の後ろにいるだろうブランに対する反抗心からであろう。

 それが真実。


 そして……当たり前のことであるが、スタッフの中にそこまで深い亀裂が生じた場合、作品は立ち行かなくなるのだ。

 「市原さん、これはどういうことですか?」

 大井弘子は低い声で言った。

 「えーと……その、ですね。ボクも、混乱するからなるべく早く決めるようにと現場には言ったのですが……」

 「今から名前を戻してください」

 大井弘子は言った。

 「名前を戻してください」

 男達は沈黙した。

 「それで話が済むことですし。戻してください」

 「えーと……それはできないです」

 市原は言った。

 「なんで?」

 丸山花世は詰問した。

 「それは……その、社内報とかに名前をすでに書いて、刷ってしまったので……変更がきかないって言うか……」

 「何ーっ!」

 丸山花世は激発しかかり、姉がそれを抑えていった。

 「つまり、御社では社内報が製作中の作品に勝るわけですね?」

 「社内報だけじゃなくて、テレカのイラストにも名前を書いてしまったので……」

 「それは、要するに、本作よりもテレカやグッズのほうが優先されるとそういうことですか?」

 「いや、その……」

 シャブ中市原はぼそぼそと言った。

 「だいたい名前が古臭いって、てめーどういう意味だっ!」

 小娘は怒っている。

 「……そ、その」

 市原は芝崎や越田、間の表情をうかがっている。

 「現場の意見として、そうなったっていうか……いや、ボクも古いってそう思いましたし、昭和の香りっていうか……」

 市原は本心では小娘にやり込められて面白くないのだろう。いやらしい反抗心を言葉の端々に覗かせている。それが小娘には腹立たしい。

 「なんだとこの野郎! 麗音なんて名前の奴、どこにいるってんだ! てめーの家族にいんのか? ああッ?パクリは気にいらねーとか言って、てめーは声優の名前丸パクリじゃねーか! 常識考えろよ、このタコ!」

 小娘の激発に間正三郎が口を歪めている。両足を投げ出し、腕を組んでふんぞり返ったちんちくりんは罵声がいたく気に入らないらしい。

 「花世……」

 大井弘子が言った。

 言っても無駄。つまり、意趣返しをすることが芝崎たちの目的であるのだから、正論などは通じないのだ。わざとやっている。わざとサボタージュしている。で、あれば、理由などなんでもいいのだ。 ――とにかくてめーは気にいらねーんだよ。

 それが芝崎や間、越田の結論。

 もっとも……そこまでサボタージュをする意味があるのかは丸山花世にも分からない。そうするだけの利益があるのか。単なる自己満足にしては、やり口が手が込んでいる。

 否。倒産する会社の人気仙はその程度のものか。

 「分かりました」

 大井弘子は言った。市原は、

 「ああ、そうですか……」

 と曖昧に言った。使えないエグゼクティブは大井弘子が、

 ――皆さんの意見に従います。

 と、そういう意味で『分かりました』と発言したのだと勘違いをしていたのだ。だが、実際は違う。

 「申し上げますが、皆さんはいったい何を考えておられるのか。私には分かりかねます」

 「……」

 「ただ、こういうことははっきりと言えます。名前は作者の専権事項です。つまり、私と花世がそれで良いと言えば、それでいいのです。古かろうが新しかろうが、言いにくかろうが、そんなことはどうでもといいのです。私達がそれでいいと決めたのですから」

 「もちろん、皆さんには皆さんの言い分があるのでしょうし、私達も百パーセント自分の要望を押し通すつもりはないのです。それであれば、皆さんが先に名前を用意して来ればいいだけのことです。そうすれば問題もおきません」

 「適当に書き直せばいいだろうという意見は、これは私としては納得がいきませんし、妹もそうでしょう。それではたとえば、撮影にすでに入っている映画の主人公の名前を、突然変えろといわれてそうですかと納得する監督がいるのか。多分、そういうことはないでしょう」

 大井弘子の言葉を男達はむっとした様子で聞いている。

 彼らには反省であるとか自省という言葉はないのだ。

 「みなさんがどういう気持で名前の変更を求めてきたのかは知りませんし、私にも理解しかねます。ただ、ほかのソフトハウスの名前と同じだからということでヒロインキャラの名前の変更を求めてくるなどというのは、非常に志が低い」

 「ほかのソフトハウスだけじゃなくて……前作のキャラと名前がかぶるからってこともあんだよ」

 態度の悪い間がしゃしゃり出てきた。

 ――パクリヤロー。

 小娘はちんちくりん色黒をにらみつけている。

 「前作は前作です。そんなものはどうでもよろしい」

 大井弘子は切って捨てた。

 「そんなものは……どうでもよいのです。思い出は助けに来てくれませんから」

 「けれど、エターには歴史があるわけで、ファンもついていきている。いまさら変えるわけには……」

 越田が言った。

 越田のほうが間よりは話が多少分かるのか。いや、同じであるか。

 「残念ですが、歴史もファンも意味がありません。エターには現状それだけの力はないのです」

 大井弘子はあっさりと言った。

 「エターという作品にはもう神通力はないです。それだけのパワーも人を引き込む魅力もありません」

 「いや、そんなことは……」

 市原は言ったが、大井弘子は聞いていない。どうせ市原は何も言ってないのと同じであるのだ。

 「で、あればこそキンダーガーデンは潰れたのです」

 大井弘子の言葉は静かなものであったが、同時に雷鳴のようにして響いた。

 「みなさんの会社はつぶれたのです。キンダーガーデンという会社は自己破産しました。なくなったのです。そして、権利はブランが買い取った」

 男達の表情はこわばっている。

 「みなさんは作品をよそにさらわれたと勘違いされているようですけれど、それは違います。みなさんは作品を守りきれなかった。守りきれなかったのです。いまさらに、オレのエターと喚かれてもそれはスジが違います。そういうことを言う権利はみなさんにはもはやないのです」

 「……」

 「みなさんはキンダーガーデンがつぶれて、それでこちらに移って来たわけで……作業もすぐに引き継いだのでしょう。ですから、権利が買われた際に作品そのものの質が相当に変質してしまったことに気がついておられないのだと思います」

 人が変わるようにして作品もまた変わっていく。

 それは一晩放置された生鮮食品が、元に戻らないのと同じ。ただ作品の魂は必ずしも劣化するとは限らない。熟成する場合もあるし、化学反応を起こして別物になる場合もある。

 大井弘子も、丸山花世も感覚として分かっているのだ。

 入札で買い取られたエターの魂は、放置された時期に変わったのだ。さらに、そこに雑菌としての大井弘子や丸山花世とふれることで、以前のものとは相当違う作品になっている。

 ――いつまでも、以前と同じままに。

 スタッフはそう考えている。けれど、作品はそう思っていない。

 ――もう、前のままではいられない。

 「作品は……すでに以前のそれとは違っています。もう、今のエターは皆さんが知っているエターではないのです」

 大井弘子の言葉に賛同するものはいなかった。

 と、いうか、賛同以前に大井弘子の言っている意味を理解できたものがいなかったのだ。唯一妹を除いては。結局は、その程度のスタッフ。その程度の伸び代しかない人々。

 「みなさんは私達よりも自分達のほうが上であるとお考えのようです。それはまったくその通りです。けれど、まったく見当違いなことでもあるのです。いまだにキンダーガーデンが続いていて、これがキンダーの案件であるならば、私もみなさんの意見に従うと思います。しかし、みなさんはキンダーの社員ではありません。キンダーは無くなった。つぶれたのです。つぶれた会社の人間が新たに始めるエターなのです。だとすれば、皆さんの経験や知見といったものは役に立ちません。みなさんは自分を誇れるほど偉くはないのです。プロデューサーなどというのは僭称です。僭越な称号なのです。芝崎さんは、それこそ雑巾がけから始める気持ちでないといけません」

 大井弘子の言葉には澱みがない。一方、なまっちろい豚野郎は顔色を失って、ただでさえ不健康に白い顔が青紫に変色している!

 「むしろ私と花世がブランでもエターを手がけていることを鑑みれば、作品世界に今の時点で一番深くコミットしているのは私であり妹です。みなさんではない。みなさんはみなさんが私達よりも上にあると考えているようですが、それは間違いです。私達は皆さんと対等です」

 「ですからこそ、苦言として申し上げています。このままではこのプロジェクトは危ない。昔のまま、昔のままでやっていけるほど情勢は甘くはありません。はっきり申し上げましょう。破滅したやり方を今回も取るのであれば、また破滅するのです。キンダーはつぶれましたが、同じように16CCもつぶれる。利益を出せないやり方、利益を出せない作品なのですから、それは当然のことなのです」

 大井弘子の意見はスジが通っている。

 「繰り返しになりますが、私は、名前については絶対に自分達の案を押し通したいと言うわけではありません。そうではなくて、ただ、皆さんの作り手としての気構えについて指摘しているとそういうことです」

 大井弘子はよどみが無い。一方、市原は何も言わない。ほかの男達も、正論を前にただふて腐れている。そして大井弘子は怯まない。

 「皆さんは作り手として見たとき非常に切羽詰った状況にあります。私達のように個人でやっている者の『製作者としての寿命』は『個人の寿命』とイコールです。どんなに能力の劣る作り手でも、個人の製作者は命が終わるまで作り手足りえるのです。ですが、みなさんのような社内クリエイターは会社の消滅がイコールでレッドカードです。お客さんの『あなたの作品はもう要りません』と言う声こそが倒産であり、破産なのです。会社の社長の病気などは、関係ありません。皆さん自身に対する退場命令、それが倒産なのです」

 大井弘子の言葉は低い。そして間正三郎は腕を組んで目を閉じている。反抗的な態度。きわめて不細工で小狡い抵抗。

 「で、あれば、皆さんは仲たがいをしている場合ではないのです。過去の行きがかりを捨てて、心をひとつに一丸とならないことにはこの苦境は乗り切ることができません」

 「そんなの関係ねえ」

 腕を組んだまま間正三郎が言った。

 「会社の内部のこととか、そんなの関係ねえだろ。だいたいなんでそんなことをてめえに言われなきゃいけねえんだよ。たかが外注に。オレだってな、三十八年間積み上げてきたもんがあんだよ!」

 「三十八年積み上げて、まだそれかよ」

 丸山花世が言い、その言葉に間は奥歯を噛んだ。

 「あんた、パクリヤローっていっつも2ちゃんねるに書き込まれてんじゃん。三十八年やった挙句にいただいたあだ名がパクリヤロー。何考えてんだよ」

 丸山花世は相手の心臓を一突きにし、露払いをした妹に代わって姉が続ける。

 「いいえ。あるのです。あるのですよ、間正三郎さん。心をひとつにしない会社は成功しないのです。そして御社の置かれている状況を鑑みたとき、ヒットではダメなのです。ホームランでないと失地は回復できない。一度切れてしまった物語との絆は、生半なことでは戻ってこないのです。それこそ誰かが倒れて亡くなるぐらいでないといけない。けれど、今の皆さんはそうなっていない。今の皆さんは上は上で下の力を殺ごうと画策し、下は下で険悪に上の地位を狙って策動している。同僚を疑い、誉めそやすふりをして実は相手を下に観ている。みなさんは内部でまとまっていない」

 「……」

 間正三郎はぶんむくれて貧乏ゆすりをし、越田は眉間にしわを寄せて沈黙している。そして全ての首謀者である芝崎は唇を震わせている。市原は何も言わずにうつむくばかり。

 彼らが怒るのは、大井弘子の指摘が正しいからである。

 一ミリの間違いも無い事実であるから。反論のしようもなく、また、彼らの拗けた心のうちが白日の下にさらけ出されているかに。まったく身動きができない。もしも、大井弘子の考えに狂ったところがあるのであれば、彼らはこう言うはずである。

 ――それは違いまする

 その一言で済むはず。だが、そうしない。

 それはやはり彼らの心に、悪を成そうという暗い動機があったればこそ。下を争わせて自分の発言権を増そうとするシャブ中エグゼクティブ・プロデューサー。それにとってかわろうとするプロデューサー。実力の無いエグゼクティブ・プロデューサーも、さらにはプロデューサーも両方をそろって侮っている原画。原画は、グラフィッカーのことも心の中では下に見ている。グラフィッカーは尊大な態度を取っているが実は心はガラスのよう。

 全員がもろく、全員が弱い。

 そして大井弘子は自分の弱さにも暗さにも立ち向かう気が狂ったような勇敢さを持ち合わせている。それは丸山花世も同じ。

 たった一人で作品の神様と向き合って戦い続ける人間と、会社に守られた人間。鍛え上げられた歴戦の古兵と敗残兵。とても一対一では勝ち味などない。

 だからこそ芝崎は仲間を扇動したのだ。


 一人では大井弘子には太刀打ちできない。だから越田や間を現場に引っ張り出して会議で大井弘子と噛み合わせた。そして愚かにも越田や間はそれに乗っかってしまった。もちろん越田たちには自分の力を誇示したいという思いがあったのだろう。そして全員が大井弘子の正論に粉砕されることになった。

 「市原さんもそうですが、皆さんはどうもよく理解されていないようです。私達は16CCに雇用されているのであって、皆さんに雇われているわけではない。で、あれば、現場スタッフの個人的な利得よりも会社の利益を優先するのです。これは当然のことです。皆さんがおかしなことをしているのであれば、当然、これに異見をしなければならない。それは私達の責務でもあるのです。ですから『関係ない』では済まないのです」

 大井弘子は低い声で言った。

 「とにかく、作品のことは今は、ひとまず置きます。それよりも先に、みなさんはやるべきことがある。まずは、私達に本当に何をさせたいのか……仕事をさせたいのか、それとも、自分達の野心の手助けをさせたいのか、あるいは親会社や提携先に打撃を与えたいのか。みなさん、まずはそれをきちんと話し合って決めてください。私達を呼ぶのは、みなさんの間に統一した見解が生まれてからです」

 大井弘子は席を蹴って立ち上がった。丸山花世は何も言わなくて済んだが、大いに溜飲を下げている。

 ――その通りだ。

 キンダーの社員は愚かしいのか、それとも、腹黒いのか。どちらにせよまともではない。一緒に仕事をしていくのに不都合なほど狂っている。

 「市原さん、あなたの責任ですよ。あなたが話をまとめて、私のところに連絡をください」

 「ええと……まとめるとは何を?」

 市原はやはりコカインで頭がいかれているのか。丸山花世が怒りを通り越して呆れている。

 「あんたねー……狂ってるんじゃないの?」

 せっかくの大井弘子の指摘もまったく無意味。うつ病では仕方がないか。

 「このまま、作品を作る意味があるのか。てめーらの中でよく考えろっつーの。エターの新作、そんなもの作るだけの価値があんのか」

 「え、ええと、それは、もう会社的に作るということで決定していまして」

 どこまでも血の巡りが悪い四十男。大井弘子は言った。

 「それはあなたの意見でしょう。市原さん。みなさんの意見ではない」

「……」

 「一晩、みなさんで腹を割って話し合われると良いでしょう。それが先です。そうしてこのままでいいのか、このまま作業を続けていいのか、昨日と同じでいいのか。昨日と同じ事をやっていてそれでいいのか。そういうことをよく話し合ってください。作業に入るのはそれからです」」

 大井弘子はさっさと帰り支度をして部屋を出て行く。妹もそれについていく。男達は……ただ、暗い怒りを燃やすばかり。その怒りはいったい誰に向けられるのか。

 結局は、彼らは古いワインの澱のようなもの。

 かつての成功体験がどうしても自己変革を鈍らせる。

 ――これでいい。

 ――このままでいい。

 否。そうではない。

 ――変わることがもはやできない。

 その先にあるのは……いったい何?

 

 時刻は四時をちょっと過ぎる。

 恵比寿駅はすでに空きの香り。売られている服も冬物となっている。

 「あいつら……ホントにどうしようもねーよなー」

 丸山花世は姉のあとについていくだけ。

 「そんなの関係ねえとかさ……こっち、シナリオ提供してるわけで、それで関係できてんじゃんか。それを言うに事欠いて『そんなの関係ねえ』とか。てめーは幼稚園児かよ」

 「そうね」

 大井弘子は何かを考えている。

 「何が『三十八年積み上げてきたものがある』だよな。馬鹿じゃねえの」

 「……」

 怒り狂っている妹に比べて、姉は言葉少ない。

 「あいつら、作品のこと、何にも考えてねえんだよ。いとおしいとか、かわいらしいとか、そういう気持なんかまったくなくて……」

 「作品の神様に対する敬意とかも全然なくて……社内報に刷っちまったから名前を変えろってなんじゃそりゃ!」

 適当。いい加減。流れ作業。

 「やる気がねえならこっちに全部預けろよな! やる気あんなら最初から出てきやがれ! 何が、ほかのソフトハウスと名前が一緒だからダメだ!」

 叫ぶ妹に姉が言った。 

 「花世」

 「あ、え? 何?」

 「この仕事は……多分ならないわ」

 「……」

 喚いていた小娘が口を閉ざした。姉は静に、諭すようにして続ける。

 「この仕事は多分ならない。作品の神様は、私達がこの作品に携わることを、多分望んでいない」

 「……」

 「覚えておいて。花世。私もそうだし、あなたも、キャラの名前を変えたのは芝崎さんだと思っている……妨害しているのは芝崎さん。でも多分そうじゃない」

 「?」

 「そうではなくて……妨害しているのはキャラよ」

 「え?」

 小娘は足を止めた。

 「ありす。名前が変わった。何故? 芝崎さんが無理に変えた……そう見ることもできる。でもそうじゃない。WCAの人間であれば、こういう見方をするの。つまり、名前が変わったのは『ありす』というキャラが拒んでいるから」

 「……」

 「……16CCの作品に出たくない。そこに行けば悪いことが必ず起こる。だから、キャラが作り手の足を引っ張る」

 「そんなこと……あんのかな?」

 小娘は首をかしげた。納得がいかなかったからではない。そういうことがあるのを認めることが怖かったのだ。

 「キャラは……誠実に作者が向き合ったキャラは時に、びっくりするようなことを作り手に教えてくれる。そういうものよ、花世」

 大井弘子は長い経験で知っているのだ。そういうことがあることを。そして小娘も、なんとなく理解している。そういうことが……ありえると言うことを。

 「うーん……」

 「作り手を選ぶのは作品の側。作品こそが作り手を選ぶ……そうでしょう?」

 「うん。まあ、そうだけど……」

 「カリオストロの城はルパンが宮崎監督を選んだの」

 「……」

 「エターは私達を選んだ。でも……それは必ずしも、作品を完成させて欲しいという、そういうことではないのかも……」

 「って言うと……」

 「つまり……」

 小さな同人ゲーム。

 タイニー・エター。

 小娘ははたと気がついた。

 「もう……本家はダメだから、分家に作品の魂を全部移しかえる……」

 三神も言っていた。ダウンサイジングをしてもいいから作品を生かしたい。そこしかエターという作品が生き延びる道はない。エターという作品もあるいは分かっているのか。

 ――このままでは干からびてしまう。

 遺伝子を何としても遺す。遺したい。そのために……小娘たちは呼ばれた。

 「うーん……」

 丸山花世はうなった。

 「あれ、ってことは……やっぱり、16CCっていう会社は……」

 隆々として続く会社であれば作品の魂が逃げ出したいと思うだろうか? そんなことはないはず。船が沈みかけているからこそ作品も逃げたがっているのではないのか。 

 「ちょっと調べてみる必要があるわね」

 大井弘子は言った。

 もしも……もしも、大井弘子の勘が間違っているのであればエターも16CCも続く。これからも平穏に、幸福に。けれどありすたちキャラの叫びと、エターという作品の意思が正しいのであれば、16CCという会社は……。

 「花世、ちょっと手伝って」

 

 数時間の後。

 大井弘子の行動は電光石火の如く。

 情報通の同業者に連絡して16CCの近辺を洗ってもらうと同時に、その上の親会社NRTの資産内容その他をチェック。

 丸山花世もシナリオ作業はいったん中止して姉の補助に回る。イツキの近くにあるマンガ喫茶でNRTの財務諸表をダウンロードして印刷。それを店に持ち帰ってチェック。さらに偶然やってきたなじみの公認会計士と首をつき合わせて決算書や投資家向けのIR情報を調べてあげる。

 そして……。

 「市原のタコが言ってた二ヶ月連続がどうとかって……このことかー!」

 テーブル席で小娘は叫んだ。プリントアウトしてきた諸表にはこうあったのだ。

 ――当社子会社16CCは二期連続の赤字……。

 赤字。赤字なのだ。さらには、

 ――当NRTグループでは、三期連続の赤字をもって子会社の整理清算を行う。

 つまり、それは……。

 「ええと……今年アカだったら、16CCなくなっちまうんじゃんか!」

 「そうね……」

 大井弘子も顔色が悪い。

 「市原の野郎、なんで、こういう大事なことを隠しやがるんだ!」

 優柔不断のふりをして事実は隠蔽。部下同士を争わせて自分の保身を図る。たいした悪党ではないか!

 偶然店にやってきたお客の公認会計士が説明してくれる。 

 「NRTという会社の決算は三月……。それまでに、黒字に持っていければ整理はないみたいですけれど、どうなんですかね……」

 はげてちょび髭、もう六十を過ぎた会計士は、見てくれは冴えないが相当の切れ者である。

「NRTという会社も……相当、台所事情苦しいみたいですし。自己資本率は低下するばかり。メーンバンクもないみたいですし、どういう会社なのか。監査法人が突然変わったりしてますし、これはネガティブなイメージしかありませんなあ……」

 親会社も苦しい。

 16CCは二期連続赤字。

 そして、社員のあの体たらく。

 「アネキ……」

 小娘は珍しく冷や汗をかいている。

 「……これは、ひょっとして、ひょっとすると」

 キャラが教えてくれる。この会社は危ないと――その言葉の通りになっている。

 そして。

 携帯電話が鳴った。

 大井弘子の携帯。

 主人は液晶を確認して、ちょっと顔を曇らせる。

 「市原さんよ」

 「あの悪人か……」

 毒づく妹を制して、姉は携帯に出る。

 「はい……あ、はい。そうです……そうですか……間さんが……はい」

 どうも……慶事ではないらしい。それは当たり前のことであるか。

 「……お腹立ちですか。分かりました。それでは、間さんにこちらに直接電話を寄越すように仰ってください。はい。そうです。この携帯の番号で結構です」

 「……」

 小娘も公認会計士も事の成り行きを見守っている。

 「ええ。仰りたい御用向きがあるならば……もしよろしければ、直接お会いして話をしてもいいですし。ええ……そうですか……そんなことを」

 大井弘子は続ける。

 「それで、大丈夫なのでしょうか。このまま……作品を続けていいのか。ちゃんとみなさんで考えてください。いえ、謝られましても……そういう問題ではないのです」

 女主人は顔をしかめている。どうも、あまり話の内容は芳しくないようで……。

 「それと……私たちのほうもいろいろと伺いたいことがありまして。はい。そちらにもう一度、来週ぐらいに伺おうと思っています。はい。そうしてください。いえ。じかにあってお尋ねしたいことがありますゆえ。はい。そうしてください……では」

 女主人は電話を切った。

 「なんだって?」

 「間さん。ひどく激昂しているんですって。あいつはオレ達が無能だと言いやがったって、社内で息巻いてるそうよ」

 「無能って……ホントのこと言って何が悪いの?」

 「さて……だから、向こうに伝えてくれって。何か言いたいことがあるなら電話してくれって。直接何度でも『会社はつぶれました』って言うから」

 大井弘子はぼやくようにしていった。それは女主人にしては珍しい表情。

 「本当のこと言われて激昂って……三十八にもなって。しかも、それを気が狂った伝書鳩のように伝えてくる市原もどうかしてんよな」

 丸山花世は憎憎しげに下唇を突き出した。

 「いや、支えきれなくなったから間の討伐をうちらにやらせるっとことなのかな?」

 「さあ。考えがあるのか、それともただ単に依存心が強いだけなのか」

 大井弘子は言った。

 「間の野郎、電話、かけてくっかな?」

 丸山花世はちょっと楽しげに言った。姉は妹の問いにすぐに反応する。

 「こないでしょう。心の拗けた人だから」

 「そうだよな……」

 間が怒っているのは正論を言われたから。そして、自分の心の邪悪さを指摘されたから。

 「あの野郎、なんか、妙にかっこつけてて……斜に構えたビジュアル系のバンドみたいなんだよな。出来損ないのジャガイモみたいな面しやがって」

 丸山花世は呻いた。

 「いずれにせよ…もう一度、話し合いに行かなければならないわよね」

 姉は暗い表情で言った。

 「そうだね」

 妹も応じる。

 まさに風雲急を告ぐ。エターのまわり、全ての人を巻き込むようにして大風が起ころうとしていた。

 

 ○タイニー・エター シーン63 あかりの言葉 場所 海岸 時間 夕刻 ■一矢

//立ち絵 あかり

あかり「なんでかな……みんなを幸せにしたいと思うんだよなー。みんなをあったかい気持にしてあげたいと思うんだ」

恭介「……」

あかり「みんなが幸せになるように……そう生きてたいんだ。誰かの涙は見たくない。誰かの笑顔を見ていたい。でも、なんかうまくいかないんだよな」

 あかりはちょっとだけ傷ついている。

あかり「なんでかな。みんなもっと素直に生きれば良いのに。誰が偉いとか、誰が権力持ってるとか……」

あかり「歴史とかしがらみとか……そんなもの持ってたってちっともしあわせじゃないじゃんか」

恭介「……そうだね」

あかり「思い出は大事だよ。思い出は。でも、過去は過去だよ。過去のせいで今が幸せでないんだったら、そんな過去なんかいらないよ」


恭介「……」

あかり「なんでみんなもっと……素直に生きられないのかなぁ」

恭介「……」

 あかりは素直に生きている。

 素直すぎる。それは……多分強いからなんだ。

 自分が正しいと思っている。いつでも正しいと。間違ったときには謝れば絶対にみんな自分を許してくれるんだっていう確信があるから。

 でも、この世界に生きている人は、みんながみんなそうだってわけじゃない。

 疑いに凝り固まっている人がいて、自分の自尊心にあえいでいる人がいる。自分の醜い顔から逃れて鏡を避け続けている人がいる。

 そういう人にしてみればあかりは恐ろしい。

 亡霊は太陽の前では存在できないから。

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