第3話 混迷

 丸山花世は普段は女子高生をやっている。都内の女子高。放っておけば女子大学にエスカレーターであがっていく。何もしなくともいつの間にか大卒になっているのだ。遊んでいても大卒。何もしなくても出席日数さえ足りていれば大卒。だというのに、丸山花世のクラスメイト達はえらく勉学に熱心なのだ。大学は外に。大学はAランク校に。

 早稲田慶応。旧帝大系。医学部であるとか。

 みんな分かっているのだ。『学歴など無用』と言っているテレビのコメンテーターが自分の子供は早稲田慶応に入れていることを。そして連中はコネを使って子弟を電通であるとか博報堂といった一流企業に押し込んでいることを。

 学歴はあって当然。

 良い学校に行き、留学。MBAの取得。外資系企業へ。そうでなければ法曹。きょうび学生の情報量はたいしたもの。

 ちなみに丸山花世は……学歴など無用の長物だというテレビのコメンテーターの意見は最初から聞いていないし、かといって、行儀よく勉強をするクラスメイトを尊敬してもいない。それは物書きヤクザがはっきりと次のようなことを認識しているかである。

 ――学歴とかコネとか……本物の才能の前じゃ無力だよ。

 才能の前ではコネは意味を成さない。コネでは大リーガーになれない。学力もまた同じ。賢しらに点をとったところで、その程度。運命の前では物理のテスト結果に意味などない。

 要するに丸山花世はいろいろな話を聞きすぎてしまっているのだ。

 耳年増……という部分もある。知り合いはみんな彼女よりも年上。海千山千と言って良い連中と付き合っていれば、自然と、ものの見方もひねてくる。ましてや生意気な小娘は自分でも作品を書いているわけで、そういう人間からすると、しゃかりきになっている人間は薄く見える。もちろん、

 ――才能が無い人間は学問やってくしかないんだよ。

 というのがクラスメイト達の声であることは丸山花世も知っている。だが、一方で、こういうことも事実。

 ――運命。そういうのってあるんだよ。ほんとーに。

 小生意気で猪口才なわりには運命を信じる。丸山花世はちぐはぐである。

 そしてそんなちぐはぐ娘のことをクラスメイト達が好むわけもない。建前を悪と言うものも存在するが、そういう人間に限って事実しか言わない人間のことを嫌うのだ。一方、丸山花世のほうは自分がつまはじきにされたとしてもそれほど気にしない。

 ヤクザな娘は知っているのだ。

 ――付き合うに値しない人間って……いるだろ?

 そういう人間だから、いつでも一人。いつでも浮いている……もっとも一人だからといって孤独というわけではない。


 「……なんだ、メールか……誰だ」

 図書室でうつらうつらしていた小娘は飛び起きた。携帯のベルが一瞬だけ鳴り、すぐに沈黙する。どうやらメールの着信があったようである。窓の外。アブラゼミの鳴き声が遠く聞こえる。

 そろそろ休み前の試験の季節。クラスメイト達のなかには昼休みも勉学にいそしむものがちらほらと見受けられるが、当然、ゴロツキ娘は殊勝ではない。

 「……腹減ったな」

 午前の授業はすでに終わっている。

 「化学とか……そんなのいらねーよな。そんなもんなんの役に立つっていうんだよ……」

 あまりにも退屈な授業にヤクザ娘は『腹が痛い』と幼稚園児のような嘘をつき、そこで教室を抜け出して来たのだ。そしてそのまま図書室で居眠り。

 「あー……誰だよいったい……」

 昨日はアネキ分に付き合って品川のブランセーバーへ。その後、丸山花世は自宅に戻って資料などを調べ、深夜になってから自宅すぐ近くの大井弘子のマンションに行って、タイニー・エターのキャラなどについてああでもないこうでもないと話し合い。結局家には戻らず姉の家に一泊。そして、姉妹の出したとりあえずの結論は、

 ――相当、厳しい仕事になる。 

 不遜な小娘は携帯をチェックする。

 「……なんだ、オカジーか……」

 四次元美少女の編集者岡島からのメールである。。

 ――再増刷。

 それは、以前丸山花世が携わったエロラノベの増刷を知らせるもの。

 「そっか……たっつんの作品、増刷かかんのか……」

 春先に出たエロラノベ。まだ出してから半年もたっていないが二度目の増刷がなった。

 「……これでたっつんの墓にまた立派な花を飾ることができるよな」

 仲間が草葉の陰で喜んでいる。そうであって欲しい。丸山花世はそのように思い、そして携帯を机の上におく。

「腹減ったけど……眠い……」

 寝るか、食うか。どちらかを選べと言われて小娘は前者をとったのだ。だが……。

 再度。携帯が鳴った。

 一度だけベルが鳴り、そして切れた。

 「……なんだよ……またオカジーか。普段、あんまりメールなんてよこさねーのに」

 丸山花世は顔に制服の跡を残したまま呻いた。まさにデスマスク。ひどい顔のまま小娘は携帯を確認し……そこで僅かに目を細める。

 ――花世。

 それはアネキ分からの出頭命令。

 ――16CCから連絡あり。急遽会いたいとの由。十五時三十分。恵比寿駅で待つ。

 簡潔な指令文。小娘は体を起こした。

 「何だ……随分急だね。でも……」

 そういうことであれば、出座しなければなるまい。

 

 恵比寿。十五時二十分。

 JRの長いエスカレーターを下りきったその先。制服姿の丸山花世はぼんやりとしている。駅前に停まっているタクシーのボンネットの上を陽炎が揺れている。 

 「暑いな……」

 小娘は顔をしかめた。連日の打ち合わせ。

 打ち合わせが常態となっている女子高生は多分珍しい。

 「アネキの部屋にしばらく泊まりこみになっかもなー……」

 小娘はうなった。

 大森にある小娘の実家から、大井弘子のマンションはすぐ目と鼻の先。歩いて五分の距離。これまで仕事を一緒にしたことがないが、共同でシナリオをあげるとなれば、近くにいたほうが良い。

 ――学校はテキトーに切り上げて、アネキのいない間にアネキの部屋で作業をする。で、アネキがイツキから帰ってきたら、バトンタッチ……。

 ちなみに丸山花世にも親はいる。

 両親がいるからこそ子供ができる。生意気な小娘を製造した製造元は、

 ――なんでこんな子ができたのか?

 といつも首をかしげているとかいないとか。

 製薬メーカーの営業をやっている父親に親戚の測量機器の製造会社で事務をやっている母親。娘が物書きになる要素はどこにもない。普通であれば。

 ――やはり大井さんのところのお嬢さんの影響か。

 本家の才媛に親しくさせていただいた結果がこれ。だとしたら何故、大井弘子の従順で人当たりのよい性格面での影響を妹は受けなかったのか。そのことが丸山夫妻には不思議でならないらしい。だが。娘は知っている。

――アネキはあれでいつも黙ってるだけで、本当は相当感情が激しいからなー。

 知らぬが仏。夜道で抱きついてきた酔客に裏拳を飛ばした上に踵を叩き込んでそいつの顎を叩き割ったことを知っているのは丸山花世だけ。

 ――血反吐はいてのたうってたからなー、あのおっちゃん……。

 アスファルトの上、少し笑ったように口から地を垂れ流して昏倒する中年男の姿を物書きヤクザも覚えている。それは壮絶な光景。脳裏に焼きついて離れない思い出。

 物書きヤクザに言わせれば、暴力を使わない自分のほうがましと言ったところだが、両親は何故か実の娘よりも本家のご息女の言うことを信用するのだ。

 ――私がちゃんと見ているから大丈夫ですよ。花世ちゃんは十分に実力もあるし、これから先が楽しみですよ。

 などと言う大井弘子のそのような言葉に、ヤクザな小娘を持つ両親はいつも卑屈に頭を下げるのだが、身柄を預けられる妹のほうは内心渋い顔であるのだ。

 ――私が罵声を担当しているからアネキは聖人君子をやってられんじゃないか?

 いわば自分はヨゴレ役。不満を爆発させるのはいつも妹の役回り。丸山花世が言いたい放題で他人をくさして回ることで、大井弘子は溜飲を下げ、だからストレスも発散できる。妹の無分別があるから姉は分別を保っていられるのではないか――。丸山花世もそのようなことを思うことがあるのだ。

 もっともそれでは、反骨精神の塊である丸山花世に順当な発言ができるかというとそういうわけでないことは本人が一番良く知っている。

 ――ま、人には似つかわしい役回りってあっからな……。

 姉には姉に向いた役があり、はねっ返りの妹には妹に向いた生き方がある。

 そして。

 ぼんやりとしていた丸山花世の視界に、昨日と同じように本家の才媛が飛び込んでくる。

 五分ほど遅刻、であった。

 本日はチノパンに白いブラウス。パーカーを羽織った大井弘子。美人の作家は昨日と同じようにカバンをひとつ。

 「ごめんなさいね。少し遅れてしまって」

 「ああ、うん。いいよ。どーせ今来たところだし……」

 妹は言い、姉は続ける。

 「いろいろと気になることを調べていて……」

 「16CCのこと?」

 「そうね」

 言葉の調子で、妹は姉の心のうちを大体察することかできる。

 「あんまり良い感じじゃ……ない?」

「……そうね」

 「何が良くない?」

 「特に何がってわけじゃないんだけれど……とにかく、行きましょうか」

 大井弘子は言うとすぐに歩き出す。妹もそれに続く。

 「……やっぱり、ゲームの会社じゃないのね。母体が音楽の製作会社だから」

 「ヤクザもんの会社ってこと?」

 雑踏を掻き分けるようにして渋谷方面へ。

 「そこまでは言わないけれど。芸能プロとかそういうのに近いのかもね。声優のイベントやったり、音楽作ったり……社長さんは自分で曲を作ったりもするみたいだけれど」

 「やっぱりカタギじゃねーじゃんか。よくわかんねーけど、社長がコカインやってるよーなところっつーことっしょ?」

 「どうかしらね。でも、物語を作る人々ではない。そういう人がトップということは……」

 「先行き暗ぇなー……」

 わかっている人間がトップでも回っていかない時代。現場がわかっていない人間がトップでは成功はおぼつかない。丸山花世は文句をはいて散らす。それは多分大井弘子も一度は思ったこと。

 「クリエイター社長ってダメだよね。予算の管理とかできねーし。社長は帳簿読めねーと。予算以上の制作費突っ込んでどうすんだよな」

 「そうね」

 いつもであれば丸山花世の言葉を笑って聞き流す姉の表情が硬い。状況は要警戒レベル。

 「……で、どこ行くの? 16CC本社?」

 「いいえ。そうではなくて……」

 昨日のブランとの打ち合わせの場所は品川の本社オフィスだった。本日は……。

 「それにしても……昨日の今日で、えれー、急じゃんか」

 「そうね……」

 大井弘子は歩きながら言った。白いスニーカー。美人の女主人はヒールを履くということがほとんどない。それでもスタイルがいいので、見栄えが悪くなると言うことも無い。

 「こんなに急な呼び出しは……ブランのほうから連絡がいったからなんかね?」

 丸山花世はそういいながら雲ひとつ無い青空を見上げる。紫外線の量はおそらく半端ではないはず。

 ――私のほうからも市原には、お二人をこちらでも使う旨、伝えておきます。

 ブランの事務所を出るときに、三神はそのようなことを言っていた。緊急の接触には、ブランでの動きも関係しているのか。

 「そうかもしれないわね」

 かつての部下の動き。市原はそれを気にしているのか。


 「三神のにーちゃんは、市原の部下だった人で……でも、キンダーは潰れた。で、三神はブランに行っちまった。ブランはエターの権利を持ってて、で、その権利を、市原っていう人が入った16CCに貸した」

 人間関係は複雑である。

 かつての上司と部下。部下が元受会社に再就職。上司は下請け。

 「心理的に、難しいものってあんのかね。かつての上司と部下」

 「そうね。男の人はそういう上か下かに敏感だから。特に宮仕えであれば……」

 「つまんねーなー。会社員って」

 丸山花世は心底つまらなそうに言った。

 「でも、一人ではない。誰かがそばにいてくれるのはいいものかもよ?」

 「そうかねー。足引っ張るだけの仲間ならいねーほーがよっぽどましだよ」

 妹はあまりの暑さに耐えかねてブラウスの胸の辺りをつまんでばたばたと扇ぐようなしぐさをしてみせる。と。大井弘子の足が止まった。チェーンのコーヒーショップである。

 「ここ?」

 「そう。ここ……」

 たいして味も良くなければ、落ち着いて話も出来ないチェーンのコーヒー店。椅子も安っぽくて、あまり居心地のよい場所とは思われないのだが……。

 「ふーん。なんか……安い打ち合わせだね」

 丸山花世ははっきりと言った。

 話をするならばするで、格式というものもあるのではないか。なんでも良いから顔をつき合わせば良いというものではないし、何よりも、相手に対する礼儀というものがある。

 ――おまえらなんか安いチェーン店で十分なんだよ。

 と相手に取られては発注者の側も逆に、『こいつはその程度の礼しか尽くせない器』と侮られてしまうのではないか。だが。

 「私のほうからここを指定したの」

 姉は言い、妹は尋ねる。

 「どうして?」

 「うん、それは……」

 姉は言いかけ、そこで姉のカバンの中で携帯が鳴った。飾り気のないベル音である。姉と妹は性格も顔も似ておらず、それは血統的に当然なのだが、着信の音に関する趣味は似ている。

 「……ちょっと待ってて」

 大井弘子はそのように言い、カバンの中から携帯電話を取り出した。

 「はい。もしもし……ああ、そうです、はい……私です……」

 「……」

 妹分はぼんやりとあたりを見回すばかり。

 ――それらしい野郎は……見当たらんな。

 店先には打ち合わせの相手となるような人物は見当たらない。

 「分かりました。先に店で待っています」

 大井弘子はそのように言って携帯電話を切った。

 「遅れてんの?」

 「そうね。今、渋谷ですって」

 「ふーん。ま、それだったらすぐか」

 「先に入って待ってましょう」

 大井弘子は妹を促した。丸山花世もそのまま店に入る。三時過ぎの店内は外の暑さを嫌ってか。案外に混んでいる。大井弘子は窓際の席に座り、妹は姉の隣の椅子に腰を下ろした。

 「ねえ、アネキ、なんで、この店を選んだのさ?」

 もう少し、ゆっくりと話せる店もあるだろうに。

 「恵比寿周辺で私が知っているお店がここだけだったから」

 「ふーん……」

 大井弘子は続ける。

 「最初は、向こうの人、どこかで呑みながら打ち合わせをしようってそういうことだったのね」

 「呑みながら、か……」

 大井弘子が暗い顔をしている理由を丸山花世も理解する。

 「酒呑みながら打ち合わせ……時々聞くよね、そういうプロデューサー」

 酒の席で打ち合わせ。それは……褒められたことではない。

 「重要事項決めるのに呑みながらって、どーかしてるよな……」

 場合によっては億の金が動く仕事。それを呑みながら、アルコールで鈍った頭で打ち合わせ。それは危ういこと。

 「……」

 「……」

 姉妹は共通の認識がある。

 「話が決まってから呑みっていうのは悪くないけど、話が定まる前にビールっていうのは……ダメな打ち合わせのパターンだよなあ」

 ダメな打ち合わせを嬉々として行う。そういう人間が明敏であるとかいうと多分そうではない。と、いうか、そやつらはすでに一度倒産劇を経験しているのだ。

 「お酒が入るとだらしなくなるから……だから、どこか喫茶店でやろうということになって、それで、ここになったってわけ。まあ、直接そういうと角が立つから『お店があって夜出られないから』ってそういうことを言ったんだけれど」

 「ふーん……で、来るのは? 市原っていう人?」

 「そうね」

 「越田っていう人は?」

 先日、三神によってダメだしをされていた原画家。丸山花世としてはそいつの顔を拝んでみたいと思っていたのだが……。

 「いいえ。いらっしゃるのは市原さんだけみたいね」

 「ふーん」

生意気な小娘は適当に頷いた。そして、そこで席を立った。セルフサービスのチェーン店である。黙っていたのでは何も出てこない。

 「アネキ、何、飲む?」

 妹は言い、財布を出そうとする大井弘子を制した。

 「ああ、いいよ。この前、オカジーから貰った原稿料、あるから。たまには私が出すよ。何がいい?」

 「それだったら、アイスティを。ミルクと砂糖をつけて」

 「了解」

 丸山花世はカウンターに向かいながら、いろいろと彼女なりに頭の中で整理をしている。

 ――市原。そいつは酒を呑みながら仕事の話をするような奴。

 もちろん、それは『感心しない』ことではあっても『最悪』ではない。

 ①正しい

 ②間違っていない

 ③正しくない

 ④間違っている

 という四段階で言えば下から二番目。

 それは、せいぜいが『まあ許される』という程度のものでしかない。

 「……」

 丸山花世には、昨日会ったばかり三神という男の会話も思い出される。三神という男はおかしな人間であるが、おかしいからこそ信用できるということもあるのだ。

 ――三神のにーちゃんは、キンダーの同僚をあんまり好いていなかったみたいだったし……。

 かつての上司である市原に対しても、三神は高い評価をしているようすでもない。

 ――越田ってイラストのことは聞いたけど……もうちっと市原って奴のことを聞いときゃよかったな。

 昨日の今日。突然の打ち合わせ。

 ――やっぱ順当に言って、三神のにーちゃんが『大井を使いますよー』って市原に伝えて、それで、市原って人が焦って、アネキに連絡してきたって、そんな感じだよな。

 かつての部下と上司。でも今は権利を供給してくれる会社の社員と、下請けの社員。いつの間にか立場は逆転している。

 ――なんかメンドーなことになってきたな……。

 ただ作品を作れればそれでいいのではないのか。ただ、楽しく作品に関われればそれでいいのでしはないのか。作り手は、ただ、それだけでいいのではないのか。人間関係であるとか、売り上げであるとか、受注本数とか広告費とか……そんなことは本来的にはどうでもいいことではないのか。

 「……なんか、すっきりしねーんだよなー」

 丸山花世は呟き、カウンターでアイスティを二つ受け取る。ひとつはミルク。もうひとつレモン。砂糖は多めに貰う。そして。

「あれ……」

 丸山花世が自分の席に戻ってきたときには、すでにそこには待ち人と思しき人物の姿があった。

 頭を丸刈りにした髭の男。年齢は三十から四十の間といったところか。

 男は大井弘子と何か言葉を交わしている。

 耳にはピアス。ちゃらちゃらした感じの男、というわけではないが、だといってカタギには見えない。遊び人のような人物である。

 ――業界人っぽくない奴だな。

 見るからにオタクっぽい男ではない。

 ――パチスロとかパチンコの雑誌作っている編プロの人間みたいな感じだな。

 丸山花世は冷静に男りの様子を眺めている。男がつけているのはジーンズにティーシャツ。その上から麻だろうか半そでのシャツをつけている。足はサンダル。

 ナンパな人物。丸山花世は奇矯な人物が好きであり、逆に洒落男への評価は厳しいのだ。

 「花世」

 大井弘子が呼ぶ声があり、妹はトレーを抱えたまま姉のそばに戻る。

 「花世です。私の相棒で妹です」

 大井弘子はそのように言い、丸山花世は特に頭も下げないで遅れてやってきた男のことを見ている。 「ああ、妹さんですか……随分とお若いですね。学生さんですか?」

 前日会った三神は変人だったが、元の上司である市原は如才が無い。とりあえず会話はできるまともな社会人ではあるらしい。

 「市原と申します……」

 男はそう言って小娘に名刺を差し出してくる。小娘はトレーを机のテーブルにおいて、名刺を受けとった。

 「ごめん、私、名刺持ってないんだ……」

 「そうですか」

 丸山花世は相手の名刺をじっと眺める。

 ――16CC エグゼクティブプロデューサー 市原明和

 「ふーん」

 丸山花世の態度はぞんざい。だが、上の空の小娘を誰もなじったりはしなかった。

 「いやー、大井さん、お綺麗な方ですね。話には聞いていたのですが……」

 市原は言った。大井弘子はただ笑っただけだった。

 「そうだ、資料をお持ちしました。これまでのエターの作品全てと関連書籍……」

 男はそういって大きな紙袋を出してくる。

 「確認してみてください」

 「はい。分かりました……」

 大井弘子は紙袋を受け取る。中にはプレステのゲームが数本。さらには攻略とイラスト集がセットになったファン向けの資料本が数冊。たいした重さである。

 「ああ、そうだ、ここはセルフサービスですね?」

 市原は言った。そんなに悪い人間には見えない。他人との会話もできるし、外見はともかくまともな人間……。

 「僕も、何か、注文してきましょう……ちょっとお時間ください。話はその後ということで……」

 市原はそう言って大井姉妹のそばから離れていった。

 「花世……どう思う?」

 大井弘子は妹に尋ねる。どう思うとは……多分、市原のことだろう。明敏な大井弘子は妹の直感を信頼しているのだ。 

 「どうかね……外見はちゃらいけど、まあ、編プロとかにいそうなタイプだよね。ゲームオタクって感じじゃねーな……」

 丸山花世はそう言いながら、市原からもらった名刺を眺める。

 「……」

 「どうかした?」

 「いや、うん……」

 ちょっと引っかかるもの。けれど、それは目に見えて大きな異常ではない。小娘はそれとなく振り返って市原の様子を見やる。エグゼクティブプロデューサー殿はカウンターで受け取ったアイスコーヒーを持ってこちらに戻ってくるところであった。

 「アネキ……いや、あとででいいや……」

 小娘が気になったのはとても瑣末なこと。どうでもいいこと。だが……もしかしたらそれは市原という男を読み解く糸口。ほころびはテーブルの上に放置された市原の名詞。名刺に刷られたメールアドレス。

 ――ichihara.FMB@16CC

 丸山花世は思っている。

 ――FMB、ね。自分が潰した会社の名前……。

 自分が潰した、自分が社長だった会社のネームをそのまま名刺に使っている。それは、

 ――俺は社長だったんだ!

 という負け犬の遠吠えにも見えるし、

 ――いつか見ておれ。

 というごまめの歯軋りにも見える。

 どちらにせよ、髭の中年男は未練を持って生きている。昨日は昨日と過去を清算して新たに道を歩き出したわけではないということ。

 ――面従腹背の腹に一物って奴か?

 新たな会社に引き取られはした。けれど、そのことを本当にありがたいとは思っていない。上層部に対する反発心。その発露がメールアドレスの、

 ――FMB。

 という三文字。本当に自分の運命を受け入れたのであれば、自分が潰した会社のことを名刺に残したりはしないのではないか。

――寄せ集めの会社16CC。社員の気持はひとつになりきれてないってことか?

 丸山花世は思っている。もちろん、そんなことを小娘が考えているとはおそらく市原は考えもしないはず。

 「いやー、お待たせしました……」

 男は腰を低くして言った。それが本当に大井弘子を敬しての行動かはわからない。

 「本当は、知り合いの店にご招待しようと思ったんですよ。魚介のおいしいお店を知ってるんですよ。そこでワインでも飲みながら……」

 市原は言い、大井弘子は薄く笑った。

 「そうですね……ただ、私も夜は出られないものでして……」

 「そうでしたね。お店をやられていたんですよね。聞きました」

 市原は大井弘子の本当の理由を知らない。つまり、

 ――重要な会合にアルコールは邪魔。

 「いやー、それにしてもお美しい。森田君のほうから聞いてはいたのですが……ああ、これは失礼でしたか……」

 市原は繰り返した。そして、そこで妹分は思った。

 ――こいつ、相当の女好きだな……。

 美人を褒める。一度褒めるのは外交辞令。二度褒めるのは下心があるから。もっとも、今はセクハラ訴訟が恐ろしいから、相手の容姿を一度褒める人間すら珍しい。

 「さっそく本題に入りたいのですが」

 大井弘子は『下心』を疎ましく思ったのか事務的に言い、そこで市原は言った。

 「……それでは改めまして、自己紹介を。市原明和と申します。16CCでエグゼクティブプロデューサーをしております。一応ゲーム部門の取締役をしています」

 「大井弘子……ペンネームは一矢と申します。こちらは妹の丸山花世です」

 丸山花世は何も言わずに頭を下げた。

 「ご姉妹でシナリオライターですか、たいしたものですね」

 大井弘子は微笑で返し、一方、丸山花世は市原の耳を凝視している。片耳につけたピアス。

 ――いい大人が光モンか。感心しねーよな。

 「丸山さんは……学生さんですか?」

 市原は先ほど小娘にぶつけた質問を繰り返した。物書きヤクザは、

 「ああ、うん。そう」

 と気のない返事を返した。いつもの丸山花世であれば『見りゃ分かんだろう?』と切り返すところではあるが、そうはしない。市原という男の内面を見切っておきたいと思ったからである。

 「ええと……それでは森田さんのほうからお話はあったと思うのですが、お二人には弊社のエターナルラブの最新作のシナリオをお願いしたいのです」

 「……」

 大井弘子は黙っている。そして、丸山花世も。

 姉妹だから分かるということがあるし、姉妹だから感じるポイントが同じということもある。

 ――森田?

 丸山花世はその一点に引っかかり……ということは、多分、大井弘子の沈黙も、その部分に引っかかったのだろう。

 ――森田……。

 確かに話を寄越してきたのは外注の森田。けれど……。

 ――三神のことは?

 三神智仁は、

 『自分のほうから市原には連絡しておく』

 と昨日言っていた。

 『ブランのほうでも何か作業をしておられるようですね』

 ぐらいの発言は市原からあってよさそうなのだが。もとより三神は市原の部下だったはずで、だとすればまずはかつての部下の名前が出てくるはずではないのか。

 「……?」

 なんとはない違和感、である。もっともそれはさほど大きな問題ではない。多分、今は……。

 「ご存知の通り、エターは今回が六作目となるわけです。来年は十年目の区切り。そこで蒼ファルで知られる大井さんにシナリオをお願いしたというわけです」

 「……」

 大井弘子は黙っている。丸山花世も市原の表情を見ている。

 「エターも七、八とどんどん続けていこうと思っています。六作目が調子が良いようであれば、七作目も大井さんに頼もうかと、そう考えてます」

 「七作って、ねえ……」

 丸山花世がこらえきれなくって呟いた。

 「……キンダーって潰れたんでしょう?」

 女子高生の呟きに市原は口を閉ざした。

 「キンダーは潰れて……エターナルラブのカーテンコールもやっとのことでリリースしたわけじゃんか……」

 そんなへとへとの作品、七作も八作も作れるのか。作るだけの余力はあるのか。

 「……一度死んだ人間、生き返んないみたいに一度死んだ作品、蘇らんよ。新しい16CCって会社、キンダーの十分の一の資本金しかないんしょ?」

 丸山花世は悲しげに言った。だが。市原は小娘の意見をまったく聞かなかった。

 「いや、それは大丈夫です。16CC単体の資本は小さいですが、親会社のNRTは四十社の企業を束ねるグループ企業ですから」

市原は自信たっぷりに言った。

 「新興市場ですが株式も公開していますし、そのあたりは大丈夫です」

 「……」

 丸間花世は口をつぐむ。確かにそう。そうなのだろう。大きな企業。大きなバックボーン。けれど……。

 ――何かが違うんだよなー。

 何かがずれている。何かが。どこかで狂っているのだ。

 「PSPでもエターの作品を作る計画が進行していますし……」

 市原は言った。

 「いろいろとメディアの展開もしていこうとそう考えておりまして……とりあえず、アニメにまで持っていきたいと、そう考えています。その前にまずはドラマCDですね。お二人もこれから忙しくなると思いますよ」

 エグゼクティブプロデューサーは言い、大井弘子がぽつりと言った。

 「アニメ……ですか」

 「そうです。NRTのグループ企業にはアニメの製作会社が含まれています。そこと連携してやっていけば、アニメ化は可能ですし、実際、そのような動きも始まっています」

 「……」

 「派生商品がいくらでも作れますからね。アニメのシナリオ。ドラマCD。民放ラジオ。あとはマンガ、小説……お二人とも頑張って稼いでください」

 市原の言葉に、丸山花世は内心で首をかしげている。

 ――こいつ……なんかおかしいな……。

 市原の言っていることは、正しいのかもしれない。いや正しいのだろう。だが。何かが、おかしい。何かが狂っている。

 「ギャルゲーっていうのは基本的に、周辺産業がおいしいんですよ。キャラクタービジネスでお金が入ってきますから」

 市原は本当に、おいしいと思っているのだろうか? 本当に? 

 「だったらなんでキンダーって会社は潰れたの?」

 丸山花世はずばりと切り込んだ。

 「そんなにいろいろとメディア展開して……なんで、キンダーは潰れたん?」

 失礼なことを言うなと大井弘子は妹を止めたりしない。それは大井弘子も確認したいこと。市原は応じる。

 「いや、キンダーは社長が病気になっちゃったんですよ。銀行が融資を続けるとか続けないとか、そういう話になっている時に社長が倒れて、それで、銀行も融資を止めようと、そうしているうちにずるずると倒産ということに……」

 「つまり……原因は社長さんの健康問題にあると?」

 「まあ、そんなところです。あとは銀行の思惑があって……」


 市原の言葉は曖昧だった。丸山花世はふーっとため息をついた。生意気な小娘はそういうことを言っているわけではないのだ。

 ――逆。だろ?

 ゲームを作って、ノベライズ。マンガ化。アニメ。権利ビジネス。そういうメディア展開が行き詰ってうまく回っていかないから会社は左前になり、その心労で社長が倒れた。だから銀行は融資を止めた。社長が倒れても金が回ってれば銀行も融資を止めたりしない。むしろ、早く次の代表を立てろと会社をせっついてくるはず。キンダーも潰れたりはしなかったのに違いない。

 「資金的なものがクリアーになって座組みが変わってますから、あとは問題もありませんから」

 市原は言った。

 「ざぐみ?」

 聞きなれない言葉に丸山花世は首をかしげた。

 「ざぐみって……何それ?」

 ぶしつけな小娘に、市原はちょっとだけたじろいだようである。

 「会社の組織が変わったと……そういうことです」

 「ふーん。だったらそう言やいいじゃんよ」

 業界用語……なのだろうか? 個人にしか分からない私用語を振りかざされても女子高生には理解できないのだ。

 「……まあいいけどさ」

 丸山花世は頭を振るようにして言った。そして市原は言った。

 「僕としては、大井さんたちに賭けているわけですから……どうか魂削ってがんばってください」

 「……」

 丸山花世はもう一度長いため息をついた。

 ――魂削れって……あんたねえ。

 表現が大げさ……というか、芝居がかっているのか。市原は自分が格好いいことを言っていると信じているのか。だが。

 ――軽々しく言うような言葉じゃないよなー。魂削れなんて……。

 妹はそのように思い、姉も呟く。

 「魂を削る……ですか」

 時々だが、自分が何を言っているか分かっていない人間がいるのだ。

 「はい。お二人には期待しています。とりあえずはゲームをやってみてください。さっきお渡しした紙袋にこれまでの作品、全て入ってます」

 「うん……」

 丸山花世は頷くと、紙袋の中からパッケージをひとつ取り出す。エターナルラブ。無印の作品。市原は言った。

 「それが最初の作品ですね。エターの第一作」

 「……って、あれ? 二千円? 安くない?」

 丸山花世は言った。値段は二千円。

 「っていうか、これ、販売、キンダーガーデンじゃないんだ。潰れたから?

 「いいえ。それは廉価版です」

 大井弘子は市原と妹の会話に神経を集中させている。すでに作品を作る製作モードに入っているのだろう。作品は人生の交差点。作品は人。人生。作品は市原の一部だが、同時に、市原こそが作品の一部。

 魂を削れ。

 プロデューサー殿は言った。その魂には当然、市原の魂も含まれるのだ。そのことを市原は理解していないかもしれないが……。

 「古くなった作品の権利はどんどん売り飛ばしていくんですよ」

 市原はこともなげに言い、丸山花世は珍しく唖然としている。

 「え、ええと……権利、売り飛ばすの?」

 「ええ。持ってて仕方ないですから」

 市原ははっきりと言った。

 「仕方ないって……あんた……」

 権利は大事なもの。そう簡単に売っていいのか。と、いうか自分たちが作った作品を『売り飛ばす』などという表現おかしくないか? たとえば、不幸にして夭折した龍川綾二が、自分の作品の権利を、

 『売り飛ばしましたから』

 などと簡単に言うだろうか? そんなことは絶対に言わない。自分が作ったもの。我が子同然の作品。売り飛ばすなどということはありえないし、まず、著作権を売り払おうという考えに思い至らないはず。それならば、死んだほうがまし。だが市原は言うのだ。

 『持ってても仕方がないから』

 「ただ寝かしておいてもお金になりませんから、古くなったものはどんどん売って、廉価版にしていくんですよ。ゲームは」

 「えーと、それは……」

 小娘は戸惑っている。

 確かにそうなのだろう。ゲームの世界ではそれが当たり前。

 だが……それでいいのか。そんなドライに、二束三文で廃品回収に出すような口調で、いいのか。

 ――自分が関わった作品に愛ってねーのかな、こいつ……。

 何かが……何かがかみ合わない。作り手としてもそうだし、それ以前に人としても何かがおかしい。何かが。

 ――こいつは……おかしいんじゃないか?

 丸山花世は危惧している。危惧する小娘の耳朶に、昨日会ったばかりの変わった男の言葉が蘇ってくる。

 ――彼らが私に我慢がならなかったように、私も彼らに我慢がならなかったからです

 三神はそのようなことを言っていた。

 ――ちょっとよく分からんおっさんだな……。

 そつはない。でも、それだけ。何か、市原という男には何か大事なものが欠けている。だからこそ会社は倒産したのか……。

 「大井さんたちはとりあえずプロットを作ってください。で、それをこちらに送ってください」

 「……」

 丸山花世は目の前にいる中年男になんともいえない視線を送る。

 「こちらでそれを見て、それから製作に入っていただきます」

 大井弘子は小さく頷いて言った。

 「分かりました……」

 姉の視線は市原の顔の上。表情のその裏、さらにその裏を読もうとする不思議な視線。感受性の強い人間は、大井弘子が時々見せるその視線に居心地の悪さを感じるのだ。市原は、だが、美人の視線に何も感じていないようである。

 「できれば、三万本は行きたいんですよね。エターの六は。最低でも三万本……」

 三神も同じことを言っていた。小娘は市原ののほほんとした表情を見ながら、三神の言葉を思い出す。

 ――一万五千がやっとでしょう。

 三神はそう計算していたが……。そして丸山花世は市原の何の根拠もない希望的な観測ではなく、昨日会った変わり者の悲観論にむしろ共感する。

 「本当に……三万なんて行くの?」

 おめでたい市原の希望に、物書きヤクザは率直に訊ねた。

 「まあ大丈夫でしょう。前回のカーテンコールがアペンドのストーリーだったにも関わらず二万行きましたから。六は三万本は堅いでしょう。なんといっても大井一矢さんのシナリオですし……」

 「でも原画は越田って人なんでしょう?」

 丸山花世は言った。予備知識はすでに昨日仕入れている。

 「ええ、そうですが……」

 市原は言葉のおしまいを曖昧に濁した。

 「……ともちかっていう人から越田っていう人に原画の人、変わってるんでしょ?」

 「そうですが……」

 市原はどうも丸山花世の言わんとすることを少しだけ理解したようである。

 「……三連敗している奴に現場任せていいの?」

 丸山花世はずばりと言った。

 「……いや、それは……まあそうなんですが……」

 市原はぶつぶつと言った。腐敗した沼底からあがってくるメタンガスの泡のようである。

 「今から、変更というわけにもいきませんし……」

 「アネキ使うんだったら、もっといきのいい若い原画にしたほうがいいんじゃないの?」

 丸山花世は遠慮を知らない。そして、大井弘子は止めない。妹が言わないのであれば自分が言おうと思っていることであるから。

 「越田も新しい会社になったので妙にやる気になっていますし……」

 市原は何を考えているのかぼつぼつと続ける。

 「それに、僕も、若い人のこととかよく分からないんですよね……イラストレーターのこととか、今どういう人が出てきているのか、調べるのももう面倒っていうか……」

 「……」

 姉妹は渋い顔のまま顔を見合わせる。

 「え、ええと……」

 丸山花世は目を白黒させている。まさか相手がそんなことを言いだすとは思ってなかったのだ。

 ――八百屋なんですけど、今どういう野菜が市場に入ってんの分かりませんとか、魚屋ですけど、今、セリ場に何があるのか調べるのしんどいですからって言うのと同じだよな、それって……。

 それはエグゼクティブ・プロデューサーなのか。そういうプロデューサーがいていいのか。それは職責の放棄ではないのか。

 ――このおっさん、ほんとに大丈夫なのか?

 丸山花世は市原の人間性そのものを危ぶんでいる。

 「越田さんという原画さんについては、私も危ういと思っています。拝見しましたが、絵柄が古くなっている。率直な意見ですが」

 大井弘子が妹に代わって言った。

 「イラストは……最初にデビューした時がピークで、あとは落ちるばかりです。上がることはありません」

 大井弘子の言葉は重い。市原は腕組みをして沈黙する。

 「……私たちは外部の人間ですから、そちらの決定についてまでは口を挟みません。ただ、三万本という数字は楽観的だと思います」

 「……」

 「去年と今年では状況は違います。ゲームの世界での一年はほかの業界の三年と捉えるべきでしょう。実際、プレステのゲームのリリース本数は激減しています」

 「ええ、ですからうちでもPSPのタイトルを……」

 「私達が関わるのはPSPのゲームではありません」

 大井弘子は断定した。

 ――PSPのことなんて、今カンケーねーよな……。

 どうも……市原という男は苦しくなるとおかしなところで変な理屈をこねるという悪い癖があるようである。筋違いの言い訳癖、というべきか。

「次の作品は最大で一万五千本。実際にはその半分の七千本ぐらいが実売と考えたほうがいいと思います」

 「いや、七千ということはそういうことはないと思いますが……一応、いろいろと広告も打ちますし。予算で六百万から七百万ほど注ぎ込むことになってますから、七千ということは……」

 「ええ? 広告だけで、七百万円も使うの?」

 丸山花世は素っ頓狂な声を上げる。

 「えー、もったいないじゃんよ……」

 小娘は……知っているのだ。本当に売れるものは宣伝などいらないと。宣伝を必要とするものは売れないもの。

 「いや、それは、広告使わないと売れないですから。キンダーの時からそうしてきたわけで……」

 姉妹はまた沈黙する。

 ――キンダーの時からそうしてきたわけで。

 キンダーの時から。そしてキンダーは倒産した。そのやり方をそっくりそのまま踏襲する。それで本当にいいのか。それで本当に……。

 「とにかく、お二人に頑張っていただかないと……」

 市原はうつむいて言った。市原も本当に自分のやり方に百パーセントの自信があるわけではないのか。そして大井弘子は言った。

 「……分かりました。やれるだけのことはやってみます」

 言い切るアネキ分に、妹はやれやれと言う表情を作る。

 ――こいつはトンヅラしたほうがいいんじゃねーの?

 丸山花世はそのようにすでに見切っているのだ。だが、決定するのは姉。

 「そうですか。では、お願いします……」

 市原は多少はほっとしたのか、表情を緩めた。そして大井弘子は多分それを聞きたかったのだろう、こう言った。

 「ところで、ブランのほうでも、エターの外伝となる同人ゲームを作ることになっていますが……そのこと、三神さんから伝わっておりますよね?」

 大井弘子の言葉に市原が見せた表情はちょっと不可解なものであった。

 そつなく、けれど外からは内心が良く読めない中年男は、奇妙な沈思を作ったのだ。

 「伝わってませんか? エターナルラブの外伝となる作品を三神さんのほうでも作るということで、私達はそれを受けることにしました」

 「……え、ええ。知ってます。昨日、三神からメールを貰いましたから。タイニー・エターですよね」

 ――なんだ、話伝わってんじゃん。

 丸山花世は思った。では……先ほどの沈黙はいったい何?

「三神君もブランで立派にやってるようで……」

 市原は先ほど一瞬だけ見せた不可解な表情を消して、それから言った。

 「ただ、ブランという会社は数字ばっかりなんですよね。数字数字、売り上げ売り上げ……だからクリエイターに優しくないんですよ」

 「16CCはクリエイターに優しいと?」

 大井弘子は相手の内面の動きを見定めるようにして低い声で言った。

 「ええ、まあ……うちは、社長が倉田って言いまして、本人が楽曲を作っていますから、クリエイターの気持は分かるんですよ」

 市原は説明をしてくれたが、丸山花世は思っている。

 ――クリエイターだからって……売り上げは大事じゃねーのか? 金なきゃ現場、回らんだろうに。

 「それにうちは、何度も言いますがNRTというグループの一員ですから。金銭的に親会社のバックアップがありますから、ですから大丈夫なんですよ」

 「……バックアップと言っても、慈善事業ではないのでしょう」

 大井弘子は目を閉じて言った。

 「……まあ、そうですが、ですが、大丈夫ですよ」

 大丈夫。市原は大井弘子に言ったものなのか。それとも自分に言い聞かせるために言ったのか? 言った本人の表情はひどくぼんやりとしている。

 そして。市原は不意に話題を変える意味もあったのか、おかしなことを言い始める。 

 「知ってますか? 三神君、前立腺に病気持ってるんですよ。何やってるんですかね、ははは……」

 「……」

 奇妙な笑みを浮かべるエグゼクティブ・プロデューサーに大井弘子は冷ややかな視線を送り、丸山花世は露骨に嫌な顔を作って応酬する。

 「他人の病歴なんかどーでもいいだろ」

 「……」

 「他人の病歴なんかどうでもいーっつーの。仕事できりゃ」

 丸山花世の怒気をはらんだ物言いに市原は再び口を閉ざした。そしてその一言で生意気な小娘は全てを理解したのだ。

 ――こいつ、三神のにーちゃんが嫌いなのか。

 どうでも良い場面でどうでもいいことでかつての部下を貶める。普通の感性ではあるまい。あるいは、そこまで昔の部下を憎んでいるのか。

 ――こちらも我慢がならないし、あちらも我慢がならない、か……。

 丸山花世の眼差しは暗い。

 ――ただ愉快に作品作ってっていうことにならないのは……なんでなのかな。


 うつろに輝く中年男のピアスを見ながら丸山花世は長いため息をひとつ。

 

 恵比寿の駅前は人が多く――。

 丸山花世はアネキ分に連れられてエスカレーターを上へ上へと登っていく。どこか気の抜けた、うつろな打ち合わせで得るものは……あったのだろうか。

 「なー、アネキ……あの市原って大丈夫なのかね」

 「さて……」

 丸山花世は疲れ果てている。

 「なんか変なんだよなー。アニメ化とか、仕事はいくらでもありますとか……PSPのゲーム作りますとか……なにもかもが微妙にずれてんだよなー

 大きな態度というわけではない。お前らに仕事をくれてやってるんだという尊大な態度ではない。そつなく仕事をしている。だが何かがひっかかる。何かが足りない。何かとても大事なものが……。

 「FMBとか……メールアドレスに昔自分がやってた会社名を残すって言うのもさ。臥薪嘗胆って奴なのかね? 面従腹背を公言しているみたいであんまり感じよくないと思うけど。もう会社なくなったんだから、過去は過去って割り切らんといかんと思うんだけど……未練がましいんだよな、あのおっさん」

 丸山花世の手には紙袋。紙袋には叩き売られた可愛そうなゲームが入っている。

 駅ビルの外は熱波に包まれている。今夜も寝苦しい夜になるのか。

 と。大井弘子はぽつりと言った。

 「あの人……うつ病かもしれないわね」

 「……」

 「発言に整合性もないし、覇気もない。調子よくあわせているけれど、頭の中が本当に回転しているのかどうか……」

 「うーん……うつ病か」

 「一時でも会社のトップを張っていたわけでしょう。そういう人間があれでは務まらないと思うのね……だとすれば」

 「頭の病気か……」

 親会社が吹き飛び、自分の会社も轟沈。自分が社長だった頃に未練たらたらなのはメールアドレスでも分かる通り。

 「そんな奴をトップに戴いて、大丈夫なのかね、このプロジェクト……」

 「……さて」

 大井弘子は首をかしげている。

 そろそろエスカレーターは途切れようとし……そして途切れる。丸山花世は紙袋を肩に背負うように持ち直すと改札に向けて歩き始める。そして。物書きヤクザはしんみりとして言った。

 「ほんとに可愛そうな作品だよね、エターナルラブって……」

 「……」

「もう疲れ果てている作品。寿命が終わってしまったばーちゃんみたいな作品。でもさ、市原たちはそれにすがりついているんだよ」

 三万本は行きたい。三万本……遠い、本当に遠い数字である。

 「なんかさ、作品の魂、最後の最後までしゃぶりつくすみたいで……てめーら、エターナルラブ以外に作れねーのかよ」

 丸山花世の独白は苦い。

 「それともいろいろとやったけれどダメだったのか……で、結局、昔の名前で出ています状態なのか? だとしたらてめーらどんだけ才能ねーんだよ」

 大井弘子は黙って聞いている。

 「昨日の三神ってにーちゃんと話をしていたときはそんなことは感じなかったんだよね。三神っていう人は……なんとかして作品を生かそうっていうそういう意図があって、そうする価値があると思って動いている」

 ――私はゲームを作るのです。

 三神はそんなことを言っていた。

 ――自分よりも能力がある人が現れれば自分の席は譲らなければならない。

 とも言っていた。そのあたりに明確なポリシーがある。作品は何世代にも渡って受け継がれるもの。ある意味、不滅。エターナルであるのだ。そして人間の命は有限。どちらを優先させるか? 三神は前者を取っている。

 ――自分の命と作品であれば作品を取る!

 それは丸山花世にとってて共感できる潔さである。一方市原はそうではない。

 ――あいつ、俗物だよな。

 小娘は嫌気が差しているのだ。

 「三神のにーちゃんは、ドラマCDとかアニメとか、派生商品とか……そんな変なこと言ってなかったし。なんなのかな……時代錯誤なんだよね、市原って人は」

 丸山花世はぶつぶつと不平を吐き散らす。

 「景気も悪くて、みんなお金もなくて、ゲーム機でゲームする人もいなけりゃ、リリースされるタイトルも激減してて……その少ないお客から搾り取るようにしてお金を吸い上げる。ビジュアルファンブックとか、ドラマとかノベライズとか……お客からむしりとれるだけむしりとる。そんなの、オタクの連中、気の毒じゃんか。まるで結婚詐欺だよ。もう少し……少しでいいから、ファンに対する配慮だってあっていいんじゃないのかな?」

 「そうね……」

 丸山花世がそのように言えば市原は何というか、容易に想像できる。

 ――キンダーでずっとやってきたことですから。

でも……会社は潰れたのだ。もうキンダーガーデンという会社は消滅している。それは、お客が、

 ――おまえにはもう付き合ってられない。

 とダメだしをしてきたからなのだ。

 あるいは、

 ――おまえのところの商品には、それだけの金を出す価値はもうない。

 そういう天の声があったからキンダーは存在ができなくなった。そのキンダーガーデンのスタッフを用いて、キンダーと同じやり方を踏襲する。それで本当にうまく行くのか。生き残れるのか。奇跡は何度も起こらないから奇跡なのではないのか。  

 「権利を売り飛ばすとか……なんかさ、作品に対して愛がないんだよね、市原って人。大事な何かが足りないんだよね。何かが。かといって、お金さえ儲ければいいっていうタイプでもないし」

 クリエイターでもない。商人でもない。ただ、社長ごっこをしたい人。

 「軽々しく使わないほうがいい言葉を簡単に使うし……やっぱ、会社潰す奴はあの程度なのかな……まあ精神病ならしょうがないか」

 「そうね」

 妹の呟きに姉は頷いた。けれど。姉は、仕事を下りようとは言わないのだ。

 「アネキ……この仕事、危ないよね」

 「そうね」

 「それでもやる? やる価値、ある?」

 コミットすればするほどにアラが見えてくる。これは……大井弘子が最初に危惧したように大変な仕事である。でも。

 「そうね。あるのでしょう」

 女主人は言った。

 「あるから私達は呼ばれた。そうでしょう?」

 「うーん……まあ、そうなんだけど……って、そうなのかなー」

 丸山花世は姉ほどは物語の神様を信奉していない。自分の能力についても運命についても口で言うほどには信頼していないのだ。

 「やれるだけのことをやってみましょう。きっと、物語の神様は私達に何かを見せてくれるはずだから」

 「何かって?」

 「それは……何かまだ分からないけれど、何か。とても重要な何か、よ」

 大井弘子は諭すように言い、妹分は応じる。

 「まあいいや。そういうことなら……見に行こう。その何かって奴を」

 そう。それがどんな結末であったとしても結末を見に行かなければならない。

 

 そして深夜半。

 丸山花世は液晶テレビを前にひどく疲れた顔をしている。

 大井弘子の自宅。古い2DKの部屋にはエターナルラブのパッケージが散乱している。

 

 ①エターナルラブ

 ②エターナルラブ2

 ③エターナルラブ 閉ざされた想い

 ④エターナルラブ4 過ぎゆく夏 

 ⑤エターナルラブ5 マイメモリー


 それぞれ同じ製品が三つずつ。

 まったく同じものが三つずつ。

 「多すぎだよな……一つありゃ十分だっつーの」

 丸山花世はうなった。

 市原との打ち合わせを終えて、一足先に大井弘子の部屋に戻った小娘がまず行ったことは、昨日打ち合わせをしたブランセーバーから送られてきた配達物の再配送をお客様センターに頼むこと。

 ――資料を配送します。

 絶対に指令を伝えることを旨としたている三神が、

 ――今日中に。

 と言えば、それは必ず今日中に処理をするということなのだ。かくて小娘はポストの中に放り込まれていた宅配の不在者通知に電話をかけ、そして十九時ちょうどに三神智仁の荷物を受け取った。ちなみにというか、当たり前のことだが、送られてきたのは市原から受け取ったエターナルラブの廉価版ゲームとまったく同じもの。それも、

 ――姉妹でそれぞれひとつずつ。

 ということで、計十本!

 結果、大井弘子のマンション、和室はゲームとその他資料で埋め尽くされることになった。

 「アネキ……中古のゲーム屋やったら?」

 「そうね」

 イツキを閉めて戻ってきた大井弘子のほうはリビングでノートパソコンを開いている。ネットで何か検索しているようだが……。

 「どうでもいいけど、アネキ、パンツぐらいはいたほうがいいよ」

 上はタンクトップ。下は何も履かないという開放的な姿の姉に、妹は注意を喚起した。だが、その言葉は大井弘子の耳にはあまり入ってない。妹のほうも半分諦めている。と。

 ――おにいちゃん!

 液晶テレビから突然、鼻にかかったような女性の声が飛び出してきた。画面に映し出された二次元美少女の横顔。

 ――おにいちゃん大好き!

 エターナルラブ。永遠の愛。初代無印エターの最終幕である。血のつながらない兄妹の感動の抱擁シーン……感激のラストシーンであるのだ。

 「……おにいちゃん、ねえ」

 生意気な小娘はちょっと表情が複雑である。

丸山花世は姉が店に行っている間中、一人でずっと初代エターを攻略していたのだ。基本的にはボタンを押しっぱなし。時々選択が現れて、物語が分岐。

 「うーん……なんかなあ……」

 生意気な小娘は顔色が冴えない。

 「……あんまり面白くねーっつーか」

 無印エター。悪くはない。何も悪くはないのだ。だが……物事を知りすぎている丸山花世には通用しない。オタクの夢想。都合のよい話。

 「なんかさー……三十年ぐらい前のメロドラマでもこんなのねーっつーか……」

 さまざまな障害。主人公を襲う不幸。心の傷。そして少女たちとの出会い……それはそれでいいのだが……。

 丸山花世のすぐそばには廉価版エターのパッケージが転がっている。パッケージ裏にはユーザーの声がプリントされている。

 ――最高に泣ける話です! 自営業二十九歳

 ――僕の人生変わりました! 学生十八歳

 「こんなんで人生変わるのか……泣きてーのはてめーじゃなくて、てめーの親御さんだろうよ……」

 丸山花世は疲れたように頭を振った。

 「苦難を乗り越え、過去を乗り越えて美少女と結ばれる……か」

 それは夢物語。そんなことはありえないお話。

 「今の美少女、他人の苦労につきあったりしねーっつーの」

 小娘はぼやいた。

 美少女は基本、ちやほやされて育つ。ちやほやされて育った人間は基本、我慢ができないし、またする必要も無い。そんな人間が取り立てて優秀でもなければ金が有るわけでないどうでもいい青年のために献身的な努力をするか? そんな話を現実としてプレイヤーは聞いたことがあるのか?

 「だいたいどんな美少女もあっという間にオバハンになっちまうんだよ……」

 丸山花世はぼやく。

 「……甘えんなよなー。物語に」

 作品は決して甘いものではない。娯楽だから、金を出しているのだから楽しませろという理屈は一方で正しい。だが、楽しいだけの作品、美しいだけの物語はいつか必ず読み手に復讐をするのだ。

 「それになー……ちょっと気になるんだよなー」

 物書きヤクザは呻いた。

 「まあ……これは好みの問題なんだけれど……」

 主人公の横顔。自分のことで手一杯。いつでも自分自分自分。過剰な自意識。自己本位で女々しい人物像。自分が人々に支えられていることに気がつかないままに物語は進み、そして、どうも最後まで他者に思いが向かないままに物語りは終結する。

 ――美少女は主人公を愛してくれましたとさ。めでたしめでたし……。

 「……作品だからまあそれでもいいけどさー」

 丸山花世は呟いた。作品はそれで終わる。けれど、人生はめでたしめでたしでは済まない。作品を作ることを生業にしている小娘には、やはり作品のアラが目につくのだ。

 ――私は……こういう作品は好かんなー。

 それは多分、丸山花世が女、だからだろう。

 「なんかさ……スカっとしねー、じめじめしたキャラクターなんだよなー。こいつが多分キンダーの社員のメンタルなんだろうなー」

 どうしてもっとすっきり男らしくできないのだろうか。

 「おにいちゃんか……。まあ、そういうの、好きな奴もいんのかね……」

 ヤクザ娘はプレステのコントローラーを投げ出して、それから下半身に何もつけていないアネキ分のほうに向かった。大井弘子は……こちらも渋い顔をして2ちゃんねるのスレッドを眺めている。

 「どうだった? ゲームのほうは?」

 「ああいうのがはやった時期もあったんだって、そんぐらいかな……」、

 丸山花世は思ったままを語った。 

 「作品は……人じゃんか。作っている奴のメンタリティーとか、精神年齢とか、それがまんまキャラの行動になるわけで……」

 丸山花世も表情は暗い。

 「書き手が幼い……のか。幼いふりをしてるのか。どっちか分からないけど。過保護に育ったお坊ちゃまみたいな作り手なんじゃないかな。人間としてフツー済ませとく経験をしてない、そういう書き手だと思うな。そういう人間を好きな奴もいるかもしれないけど、私は勘弁」

 「そう」

 大井弘子はノートパソコンを眺めたまま応じた。

 「書き手は読者……アネキ、よく言うじゃんか。書き手と同じ波長を持ってる読者だけがその作品を楽しめる」

 「そうね。そう思うわ」

 大井弘子は妹を見上げて言った。

 「作者と読者は……多分魂が似ている。魂だけじゃなくて考え方や、もしかしたら体格、背格好も似ているかもしれないわね。繊細な作者の作品を愛読する読者は繊細。粗野な作者の作品を愛読する読者は粗野。拗けた作者の作品を愛読する人は拗けている。もとより魂が相似の関係でないと、作品を理解できない」

 「エターのファンはだったら、女にも感情があって、そいつが泣いたり悲しんだりしているってことがわかってない、他人にも心があるってことが理解できねー奴らなんじゃないかな。感受性や共感能力が圧倒的に鈍い。で……それは作者もそうなんだと思うよ。独りよがりなんだよな。自分が快感なら相手も快感だろうって、そんな感じ? 馬鹿か」

 「……」

 妹はオタクを先導する教祖大村のことを思い出している。そして教祖に群がるオタク連。大村は自分の信者を嫌っていたが、我欲ばかりということでは先導する側もされる側も極めて似ている。魂は相似形。 

 「でもさ……人間っていろいろと生きていって、自分も踏まれたり、傷ついたりってことで成長していくもんなんだよね。そうやってプレイヤーのほうは少しずつまともになってって……でも作り手は変わらない。どうして作り手が成長しないのかは分からんけどな。だから、やっぱりプレイヤーが減っていくのも当然なんじゃないかな。自分の子供に、エターをやらせたいファンって……多分いない」

 「自分の子供にエターをやらせたい、か……そうね」

 大井弘子はまた笑った。

 「でも……それじゃだめなんじゃないかな。ビートルズ聴いてた人は子供にもビートルズ聴かせたいって思うし、黒澤の映画見て感動した人は、子供にも黒澤の映画見せたいと思うと思うんだよね。そういう作品を作ろうって言う気概……まあ、そんなのゲーム屋に求めるのは酷か」

 「そうね。どうかしら……」

 「まあ、一作目だからね。次の作品をやってみて、だね。回を追うごとに作り手も進化している……というわけでもないか。セールス順調に落としてってるから」

 丸山花世は言いたいことはだいたい言ってしまい、そこで、攻守が入れ替わった。

 「それよりも……これ、ちょっと見て」

 「ん。何?」

 姉が示した2ちゃんねるのスレッド。丸山花世は横から覗き込む。


 ――卑怯な野郎、間ショウザブロー! キャラ引き写しのパクリヤロー! 

 

 「何これ?」

 小娘は引いている。

 「うん……定期的にあげられているんだけれど、この間っていう人、どうも、16CCのチーフグラフィックみたいなのね……」

 「そうなん?」

 「過去にキャラをパクったとかで……そのことを定期的に誰かが書き込んでいるみたいなの……」

 大井弘子は言った。

 「ふーん……」

 自分の子供にも見せたい作品。

 そういう気概を16CCのスタッフはやはり持っていないのか。

 

 ――卑怯な野郎、間ショウザブロー! キャラ引き写しのパクリヤロー! 

 ――卑怯な野郎、間ショウザブロー! キャラ引き写しのパクリヤロー! 

 ――卑怯な野郎、間ショウザブロー! キャラ引き写しのパクリヤロー! 

 ――卑怯な野郎、間ショウザブロー! キャラ引き写しのパクリヤロー! 

 ――卑怯な野郎、間ショウザブロー! キャラ引き写しのパクリヤロー! 

 

 「しつけーな。書き込んでる奴……」

 丸山花世は辟易している。

 「まあ……能力のねー奴そんなにいじめたってしょうがねえじゃんか……。粘着が過ぎるファンっていうのも考えもんだよね」

 物書きヤクザは億劫そうに言い、そこで大井弘子は声を低くして言った。

 「本当にそう思う? 花世」

 「本当にって?」

 「これ……ファンの人が書き込んだものだと思う?」

 「……」

 「これは……多分、恨みをもって書いている。だから、ただのファンじゃない」

 「……えーと」

 丸山花世は口をへの字にして画面を眺める。そうすることで、何かが分かるということもないのだが。

 「多分、これは間という人と実際に一緒に仕事をしたことがある人の書き込み。恨みを相当に買ってるのでしょう。間という人は。だから書き込みに怒りがこもっている。これは憎しみが骨髄にまで達している、そういう人の叫び」

 小娘は沈黙する。

 「仕事でトラブルを起こしやすい人。人の憎しみを買いやすい人物。人間的に相当問題のある人なのでしょう」

 「そんな奴と仕事しなきゃいけねーのかよ」

 丸山花世は疲れたように言った。

 波乱はこのときすでに必至の情勢。

 「そうね……だから、相当に気をつけないと……」

 大井弘子は固い表情のままに呟いた。

 ゲームを作るチームは言ってみれば軍団。プロデューサーが将軍。ディレクターは中尉。シナリオは歩兵。原画は重騎兵。グラフィッカーは軽騎兵。音楽は砲兵。それぞれが局面にあった仕事をしなければ勝利はおぼつかない。 

 エターに関して言えば、

 市原が将軍。シナリオの歩兵部隊は大井弘子と丸山花世の傭兵が担う。間という男は軽騎兵部隊の隊長と言ったところか。

 「なんか……あんまりグラフィッカーっていう仕事の人に良い思い出ってねーんだよな。なんでなのかな」

 丸山花世はうんざりしている。人間的に問題のある譜代旗本が幅を利かせている組織。当然、そういう組織では外様はやりにくくなる。しかもそれを統括する将軍市原はうつ病の疑いもある。

 「なんか、先行き暗ぇよなー……」

 丸山花世はため息をついた。

 まだ作業に入る前からこのていたらく。先行きは限りなく暗い。

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