第2話 キンダーガーデン
新橋にある居酒屋イツキから徒歩で五分。駅前にある24時間営業のマクドナルド。禁煙になっている二階席の窓際カウンター。
大井弘子と丸山花世のコンビは小さな窓に向かって話を始める。
目の前にはJRの高架。その上を山手線が走っている。
「えーと、で、何よ、仕事って……」
時刻は十一時になろうとしている。丸山花世はコーヒーをすすりながら隣に座っているアネキ分を眺める。
「ってか、アネキが一緒に仕事しようって言うのはじめてじゃない?」
「そうね」
ペンネーム大井一矢こと大井弘子は曖昧に頷いた。
「二人で仕事ってことは……細かい仕事ではないよね」
細かい仕事であれば、姉一人でやるはず。
「いや、まあ……そうね」
大井弘子は何かを考え込むようにしていった。気がかりなことでもあるのか。
「としたん? 店のガス栓だったら締めてきたじゃんか」
妹は姉の様子を伺っている。
「うん、いや。そうね」
「……その仕事、ちょっとやばいスジ?」
「……」
そういうところ。だいたい当たり。他人を巻き込むことはあとあとのことを考えると避けたい。で、あれば、よく知っている身内を使うのが得策。そのようなことを姉は考えているのか。
「ま、私も細かいことを言うつもりはないし、金を取りっぱぐれるとか、そういうのは気にしなくて良いよ」
ヤクザな娘は適当に言った。金は……あればいい。なければないで構わない。どうせ親のすねをかじる女子高生でしかないのだし。
「いや……そうね、そういうこともあるのだけれど……」
「?」
「ほかの人には頼めということもあるのだけれど、なんとなく、この仕事、花世に任せたほうが良いような気がするのね。きっと……人としても作り手としても大きく成長できる、そんな気がするから」
「セイチョーねえ……今のままでもジューブンなんだけどさ、私は」
物書きヤクザには向上心はあまりない。その日をとテキトーに生きられればそれでいい。
「大きくなりゃいいってもんじゃないじゃんか。なんでもそうだけど。恐竜みたいにでっかくなりすぎてついには破滅とか。小回りきくほうがいざというときに逃げが打てるんじゃねーの?」
「まあ、そうなんだけれど。でも……そうね」
姉は妹のことを眺めている。不遜でおしゃべりな小娘はいつものようにスカラベ……フンコロガシのペンダントを無意識に弄んでいる。水晶の球を転がす金属のコガネムシ。それは、WCAと呼ばれる組織の会員認定証。水晶球は持っている作家のレベルが上がるごとに微妙に色合いを変えていくのだそうな。ちなみに、小娘は水晶の色が変化するなどという物理的にありえないことは信じていないし、当然だが見たこともない。
「とにかく、話をかいつまんでしましょう」
「ああ、うん。そーして」
遠い親類。はとこ同士。大井弘子と丸山花世は顔立ちもあまり似ていない。だというのに、実の姉妹のように息が合っている。血統としては遠いが魂的には極めて近しい。だから、話も早い。
「さて……と、言っても何から話したものか。そうね……まずは、エターナルラブっていう作品、花世、知ってる?」
「うん? エターナルラブ? 知らんなあ……マンガ? アニメじゃないよね」
「ゲーム。プレステの……」
「エターナル、エターナル……うーん。そんなのあったっけ?」
「ギャルゲー、ね」
姉の言葉に丸山花世は僅かに眉をひそめた。
「ギャルゲーってさあ……なんか、その言い方、あんまり愛を感じないよね。一段低い相手を観るような」
話は脱線し、妹が不平を言う間に大井弘子は笑いながら携帯をいじっている。ネットで検索。いつでも画像を取り出される。資料要らずな時代である。
「だいたい今時、ギャルなんて言う奴いねーっつーの。大村ぐらいか……まあいいけどさ」
「ほら、これ……」
三インチの液晶には、ゲームイラストが映っている。制服姿の女子が並んだ典型的なギャルゲーのパッケージイラスト。
「あ、うん……これか。うん。エターナルラブ。見たことあんな……」
丸山花世は頷いた。
「思い出した。そういうの、ある。有楽町の量販店で売ってるの見たことあるよ。二年ぐらい前か……。結構、たくさん出ているよね」
「そうね。シリーズもので、外伝を含めると十作ぐらい出ている……」
「結構息の長い作品じゃんか……で?」
「この作品の六作目。そのシナリオをやってくれないかって、そういう話を貰っているのね」
「それを私に手伝えって?」
「そうね」
大井弘子にとっては悪くない話。だがというのに顔色が冴えないのは……何故?
「ギャラが少ないとか?」
「そうではないの」
それでは何をそんなに浮かない顔をしているのか。
「あんまり……風回りがよくないのね、この作品。運命的に」
「運命的に……風回りが良くない、か」
妹分は知っている。風回りがよろしくない。星回りがよろしくない。大井弘子は時々そういうことを言う。それは、作品としての成り立ちそのものが芳しくないということ。ちなみに丸山花世は同じような意味で『スジが悪い』という言葉を使う。
「どんなふうに風回りが悪いのさ?」
丸山花世は訊ね、大井弘子はずばりとこたえた。
「製作会社が一度倒産しているのね」
「そいつは……」
物書きヤクザは無意識に舌を出した。
会社が倒産。それは……作品としては相当におかしなことになっている。
「製作会社……この作品、もともとはキンダーガーデンっていうところが作っていたのね」
「幼稚園……ねえ」
名は体を現す。それは事実。
「エターナルラブは今から十年ぐらい前にキンダーガーデンからプレステ専用のゲームとして発売されて。それで、結構売れて」
「ふーん……ちょっと見せて」
丸山花世はアネキ分から携帯を受け取る。液晶にはアマゾン販売画面が映っている。
「『エターナルラブ』『エターナルラブ2』『エターナルラブ 閉ざされた想い』『エターナルラブ4 過ぎゆく夏』『エターナルラブ5 マイメモリー』……。ふーん。結構出てるね。『エターナルラブ スターダスト』『エターナルラブ 春風の吹く頃』『エターナルラブ カーテンコール』」
丸山花世は納得したように見ている。
「プレステソフト。パソコン用……ああ、なんじゃ、ドリームキャスト用って……私、ドリキャスなんて触ったことないんスけど……」
大井弘子は妹の横顔を眺めている。そこで生意気な小娘は顔をはたと思いついたように言った。
「ってあれ、こっちはドラマCD……」
小娘はちょっとだけ顔を曇らせる。
「最初の作品は……ああ、十年も前の作品なのか。私、小学校入ったぐらいか。なんか、あれだよね。ゼロ戦みたいだよね。どんだけ作れば気が済むんだって感じだよ」
生意気な小娘の発言は当たらずとも遠からず。
人間は一度成功すると、その成功体験から逃れられなくなる。それをすればうまく行く。それを作れば安全牌。ある種の信仰、であろう。
「……アネキ、この作品、一番売れて、何本ぐらい出たん?」
「二番目の作品で十万本ちょっとってことだけれど」
「それって何時の話?」
「今から八年前、ね」
「八年か……」
丸山花世はうなって、しばし沈黙する。
「最初の一作目が出たのが九年前」
「随分と……息の長い作品だなあ」
丸山花世はため息をついて、それからアネキ分を見やった。
「……アネキ、この作品にも、神様ってついてんのかな?」
古来日本には、長く使われた『もの』には魂が宿ると言われている。だからこそ使われなくなった品々を供養する風習が起こるのだ。針供養などはその最たる例。作品も同じ。長く愛された作品には女神が宿り、精霊がつく。あるいは、長く支持される作品のキャラは、キャラ自体が意思を持ち、時に作品を作る人間を指定までしてくることがある――とは、これは、大井弘子の説であり、妹分もその説を大いに支持しているのだ。。
「ルパン三世とか……絶対、あれって神様ついてるよね。ってか、ルパン自身が二次元の存在のくせに一個の意思を持っているって言うか……」
丸山花世は言った。
「前さ、金曜ロードショーで『カリオストロの城』見たけど、あれって、絶対ルパンたちが宮崎監督をご指名でやらせてるよね」
それは普通の人間が思いつかない感覚。生意気なだけの小娘は、しかし、作品のことに関しては非常に素直であるのだ。
「ルパンや次元が、宮崎監督に作ってもらいたいって思ってて、それで、カリオストロの城ができた……」
「そうね」
大井弘子は頷いた。誰も理解しない感覚。姉妹にだけ理解できる感覚、である。
「監督を選んだのは製作会社のお偉いだろうけれど……でも、やっばり選んだのはルパンなんだよなー。不二子とか……」
キャラが呼ぶ。スケジュールを決めたのはもちろん会社であり、会社の役員。けれど、そうは言っても、抜擢しようとした監督が事故にあったり、病気になったり、あるいはスケジュールの調整がつかなかったりということは往々にしてあること。めぐり合わせ。星回り。かくして、カリオストロの城はルパン三世の思惑通りに宮崎監督のものとなった。
「お金ではなくて……名誉でもなくて、そういう神様のついた作品と巡り合うことが作り手の幸せ、か」
妹は姉に言った。それは普段から姉が妹に言い置くこと。
「そう」
だとすれば大井弘子が妹分を仕事に誘った理由は透けて見えてくる。
長く生きてきた作品。その作品に触れること。それは作り手としてきっと意味のあること。いくら売れるかではない。そういうめぐり合わせにあること。それが作り手として最大の名誉でり、また本物の作り手である証。
「ふーん」
丸山花世は握っていた携帯を大井弘子に返した。
「でも……会社は潰れた」
「そうね。株式会社キンダーガーデンは一昨年潰れてる」
「エターナルラブは五作と幾つかの外伝作品で終わった」
「そう。終わった」
「でも六を作る。どういうことなん?」
会社がなくなれば普通は作品の命脈も費える。そういうもの。けれど、作品は生き返ろうとしている。そんなことがあるのか。許されるのか。物理的にそのようなこが可能なのか。
「ちょっと話が長くなるわね」
大井弘子はコーヒーを一口。それから語り始める。
「キンダーガーデンという会社は自己破産をしてしまった。その時、エターナルラブの製作チームは五作目のアペンドストーリー『カーテンコール』を製作中だったのね」
「『カーテンコール』、ね……」
名は体を現す。大井弘子はいつもそう言っている。妹はそのことを知っているのだ。そして、そういう象徴的なタイトルをめぐり合わせとして戴く作品は、やはり普通ではない。
「で、キンダーガーデンが保有しているタイトルは競売にかけられることになったの」
「ふーん……」
生々しい話。金が絡む話は、実は物書きヤクザはあまり興味が無い。
「管財人によって競売にかけられた権利は、同じようなゲームの会社であるブランセーバーという会社に落札されたの」
「ふーん……って、ことは、アネキはそのブランセーバーからお声がかかったってそういうことなん?」
「それが、ちょっと違うのね」
「……」
「花世。この仕事は成り立ちからして相当おかしなことになっているの」
大井弘子は明らかに警戒をしている。ただ楽しく幸せにというわけには……どうもいかないらしい。
「権利は確かにブランセーバー社が買ったの。もちろん、競売に不正は無かったし、法的な問題も無かった。実際、キンダーガーデンの社長さんはブランセーバーに重役待遇で迎えられている。だから……」
「ナシはついてたって、ことか」
権利をプラスで社長ごと買い取ってくれ。そういうことなのだろう。
「そう」
「めでたしめでたしじゃん……って、そういうわけでもなさそうだけど」
「そうね。キンダーガーデンの社長はいいとして、製作の現場はそのことを知らなかったのね。だから、『カーテンコール』を製作していたスタッフは、別会社である16CCという会社に合流して、そこでエタールラブの権利を落札するつもりだった……」
「……なんかきな臭いにおいがするんだけれど」
丸山花世は苦い顔をした。
「ってか、16CCって変な名前だよね。何の会社なの?」
名前は体を現すのだ。ゲームの会社もだから、横文字カタカナの社名が多いし『ゲームの会社』と説明を受ければ、
『うん。そんな感じだ』
と、納得するものが多い。ブランセーバーもゲームの会社だといわれれば、割合に容易に納得がいく。だが、16CCとは……それはいったい何の会社なのか実態が判然としない。と。丸山花世はあっと小さな声を上げた。
「あ、あのさ、もしかしてだけれど、アネキ、四×四、十六ってことで16CCじゃないよね?」
「……うーん、どうなのかしら」
大井弘子は沈黙し、丸山花世も口を閉ざす。事実であって欲しくない推察というものもこの世にはあるのだ。
「まあいいや。名前については。で、なんなの、その会社」
「……16CCという会社は、NRTグループというグループ企業で音楽製作を担当している会社らしいわね。で、以前からキンダーガーデンとは楽曲の製作とかでつながりがあったみたいなの」
「ふーん」
「そんな縁もあって投げ出されたキンダーの社員達はそこに身を寄せて、エターナルラブの製作を続けることになったみたいね。16CCの中にわざわざキンダーCCという部門を作って……」
「キンダーCCねえ……」
丸山花世は口をへの字に結んだ。ヤクザな物書きも呆れることはあるのだ。
「なんか……それって、ねえ」
児戯、である。
キンダーCC。
――俺たちが、俺たちこそが本当のキンダーガーデンなんだ!
という名乗り……はいいが、そんな叫びに何の意味があるのか。
「でも権利はブランって会社にに持ってかれたんでしょ?」
「そうね。社長と一緒にブランに全て持っていかれてしまった」
「ああ、でも、カーテンコールだっけ、作品はキンダーの残党が作っていたんだよね?」
「そう」
おかしなねじれである。
社長プラス権利はブランという会社に。作品のデータと写真の多くは16CCに。そして多分だが、
『俺たちが本当のキンダーなんだ!』
とヒステリックに叫ぶ人々と、権利のホルダーであるブラン間には熱烈な友好関係があるとは考えにくい。
「なんじゃそりゃ……」
奇奇怪怪な話、である。あまりにもおかしな話であるからこそ耳をそばだてる。物書きヤクザは姉の顔をまじまじと見つめている。
「ただ、いつまでもそうしているわけにはいかない。だから、手打ちがなされた」
「……そりゃそうだよね」
「キンダーの側がブランの側から権利を借りる。お互いに業務提携して、売り上げの何パーセントかをブランにライセンス費として払う。そういうことになったのね」
「まあそれが一番穏当だよね」
作品は作りかけ。出ないよりは出したほうがいい。実利はいつでも感情的なしこりに勝る。
「ってか、なんで、キンダーの残党ってそんな波風立つようなことしたのかね」
丸山花世は言った。
「キンダーCCなんて名前……ブランセーバーって会社に対するあてつけみたいだよね。実際、権利はブランが持ってるわけで、裁判になったら負けんじゃないの?」
「さて。自分たちがいなければ作品は出来ないという自負。というか、思いあがりなのかしら、ね。そのあたりのことは私も分からないの。向こうのスタッフにまだ会ったわけではないから」
「ふーん」
丸山花世は首をかしげる。
「とにかく、キンダーCCとブランセーバーの行き違いはトップ同士の話し合いで手打ちになったの」
「まあ、そうだよね。っていうか、そんなこじれるような問題でもねーと思うんだけど」
社長と権利はブランに。現場スタッフとデータなどは16CCへ。普通であれば、冷却期間を置いて話あえば済むこと。
――俺たちこそが正統なキンダーガーデンなんだ!
などと喚かなくとも、放っておけば、
『作品の製作を続けてください』
という指示なり指令がブランセーバーから出されるはず。なぜならば、ほかの人間では多分エターナルラブは作れないはずだから。そこで条件などを話し合えばそれで済むこと。喧嘩になどなりようはずもない。だというのにいったい何がどうなっているのか。いや。潰れる会社、潰れる会社の社員というのはそういうものなのか。
「で、手打ちがなされて、『キンダーCC』という部門名はなくなり、16CCゲームに変更になった……」
大井弘子は声を低くして言い、妹のほうも渋い顔で応じる。
「会社同士の付き合いを、現場のプライドに優先させるってことだよね」
――俺たちがキンダーガーデン! 俺たちこそ正統!
現場の想いなど資本の前ではまったく意味がないということ。そのようなことは女子高生の丸山花世でも理解している。かくして16CCの上層部は、喚く現場を切り捨てた。
「キンダーガーデンの残党ってさ……頭悪いんじゃないの? っていうか、権利とか著作権とか、そういう概念っていうのがそいつらにはないのかねー」
「そうね。そうかもしれないわね。それとも、何か深慮があるのか」
大井弘子は言った。妹分は割合に他人に対する見切りが早く、だから、
――多分、こいつは馬鹿に違いない。
と馬鹿認定を済ませば、それで終わりである。だが、大井弘子はよく言えば他人を買いかぶる、そういう癖がある。妹としてはそこがちょっと心配なところであり……。
「とにかく、そういうことなのね。そういう状況で、私のところに仕事が持ってこられたわけ」
「うーん……ってことは、つまり、アネキのところに話を持ってきたのは16CCの連中ってわけね」
「そう……いいえ」
「……」
大井弘子はちょっと考え込むような態度を見せた。
「違うの?」
「違わないのだけれど……まあ、そうね。だいたいあっているけれど、違うのね。私に話を持ってきたのは前にシナリオを一緒に書いた同業者で……ほら、森田さんって知ってるでしょ? 前に、一度、この店で花世も会っていて……あの人」
「森田……ああ、モリヤンか。インコが死んで泣き崩れてた人っしょ?」
森田。スキンヘッドのおかしなライター。丸山花世は三十過ぎのいかついおっさんのことを覚えている。
――インコが……飼っていたインコが……死んだ……。ピィちゃん……。
森田というシナリオライターはインコの名前を呼びながら焼酎のグラス片手に号泣していた。その様子を小娘も良く覚えている。
「モリヤン経由か……」
「で、森田さんからFMBっていう会社の社長の市原という人を紹介されたの」
「FMB……」
ブランセーバーにキンダーガーデン。で、16CC。最後はFMB。あまりにも会社が多くてそろそろ丸山花世は訳が分からなくなってきている。さらにはインコのモリヤンに市原。
「えーと……それは……」
あまりにもプレイヤーの数が多すぎる!
「FMBはキンダーガーデンの子会社であり同時に下請け会社だったのね。キンダーガーデンの社員だった市原っていう人が別会社としてそちらを任されていた。で、FMBはキンダーガーデンの倒産の煽りを受けて連鎖倒産して、そこの社長で市原という人も16CCに合流した。16CCのゲーム部門を実際に取り締まっているのはこの市原という人……らしい」
「らしいって……アネキ、そんないい加減なことで大丈夫なの?」
「さて」
大井弘子は笑った。
「私は会社の内情までは分からないもの」
「ま、そりゃそうだわな……」
「とにかく、そういうことで、ブランセーバーのほうから権利を譲り受けた16CCが正式エターナルラブ6の製作を始めることになった。そして私たちが、そのシナリオを担当することになった……」
「ふーむ……」
なんとなく嫌な予感というものはある。
作品に関わる人々があまりにも多すぎるというのはいいことなのか。船頭多くしてなんとかということにならないのか。丸山花世としては小さな不安を感じている。
――ま、アネキと一緒ならば大丈夫か……。
物書きヤクザはのように自分を納得させた。能力的には大井弘子は抜群であり、さらに言えば運もいい。幸運な人間と行動することは生存するうえで重要なこと。
「そういうことなら、まあ、やってみっか。どこまでできるか知らんけど……」
小生意気な娘は頷いた。
恐れて身動きをしないという選択もあるにはあるが、それでは何も得られない。
「と、いうことで、さっそくだけれど、明日、向こうのスタッフと会うことになるけど、構わない?」
「うん。いいよ。オッケー。その……16CCの市原っていう奴に会うわけね」
丸山花世は適当に言い、そこで大井弘子は首を横に振った。
「いいえ」
「へ? 違うの?」
普通は責任者に会うではないのか。
「16CCに行くのは、あとまわし。それよりもまずは……」
「まずは?」
「ブランセーバーに行きます」
「ブランセーバー? どして?」
製作は16CC。権利のホルダーに出向くのは、何故?
「呼ばれているから」
「……」
それだけの理由。ただそれだけ。けれど。どうも大井弘子には何か考えがある……らしい。
翌日。
時刻は午後三時過ぎ。
品川駅港南口。制服姿の丸山花世の姿がそこにあった。半そでシャツにチェックのスカート。目を転じればオフィスビルの上空を暗い雲が覆っている。僅かな雲間からは青い空が顔を覗かせているのが見える。
そろそろ夏休みが始まる――。
「こいつは……夕立が来るか」
少女は呟いた。残念ながら傘は用意しておらない。雨が降ったら降ったでその時はその時。
「こんな暑い日に授業なんかやんなっつーの……」
と。
「待たせたわね」
小娘の背後で声があった。ジーンズに男物のワイシャツ。長袖のシャツは腕まくり。携えているのは大きな皮のカバン。カバンの中には製作に必要なこまごまとしてものが入ってる。メモ用紙であったり筆記用具であったり、電卓。一方妹分のカバンの中にはほとんど何も入っていない。学業がそれほど人生に役に立たないことを丸山花世は知っているのだ。少なくとも、良い学校を出ている人間が学歴に劣っている人間よりも良い作品を書いているわけではないことを物書きヤクザは経験として理解している。
「店の用意は?」
妹は尋ねた。色白の美人は五時には店を開けねばならない。打ち合わせが出来るとすればそれまでの間、ということになる。
「ああ、仕込みはもう終わらせてきたから」
儲からない居酒屋などやらなくとも大井一矢のネームバリューがあれば筆一本で生きていけるはず。だというのに大井弘子は店を続けている。体力的にはしんどいと思うのだが、そうするだけの意味があるのか。ヤクザな妹にはそのあたりの必要性についてはよく分からない。
「行きましょうか」
大井弘子は言った。
「ああ、うん」
権利のホルダー。ブランセーバー本社へ。
「雨になりそうだね……」
「そうね」
「なんかさー。雨の日が多いんだよね。私が人と会うときって……」
丸山花世は言った。
そういえば、亡くなった龍川綾二と出会ったときも雨ではなかったか。
「私もそうね。重要な人と会うときは雨の日が多いかも」
姉は応じた。
「雨女の家系なのかね」
「どうなのかしら……」
大井弘子は首をかしげたまま曖昧に笑った。考えても答えの出ない質問、ではあるのだが。丸山花世のほうも姉が適当に笑ったことで腹を立てたりしない。ただの世間話、である。
「ブランセーバーって品川にあったんだ……って、ブランセーバーってどういう意味なん?」
「ブラン。白。セーバーは刃ってことみたいね」
「白刃……なんか、剣呑な名前じゃんか」
「社長さんが居合いをやっているとかいないとか。なんかそんな話を前に聞いたような」
「ふーん」
丸山花世はそれほど感銘を受けていない。
「どうでもいい会社名だね。まあゲームの会社の名前なんて厨っぽいのばっかりだから、しょーがないか」
生意気な女子高生はアネキ分について歩いていく。階段を下りて高いビルの合間を縫うように縫うように……。
やがて。二人はとあるオフィスビルの前で立ち止まる。
白いタイルのビルディング。
「十階……十二階建て、か……」
丸山花世は見上げる。そこが目的地。
「ブランのオフィスはここの四階と五階」
「……アネキ、来たことあんの?」
姉は一度も道に迷わなかった。ということは、すでに先方の所在を知っていたのか。
「いいえ。ただ、ここの近くに知り合いの焼き鳥屋さんがあって。一度、前にそのお店に来たことがあるの」
「ふーん……」
そういうことであれば分からない話でもない。
「行きましょう」
大井弘子は言い、丸山花世も頷いた。
一階のロビーを通ってエレベーターへ。目的階は四階。生意気な小娘はその間、自分が聞いた会社名であるとか人名を頭の中でさらっている。ちなみに前夜、丸山花世は自分でも会社の関係であるとか人物のことをネットでもって調べてはいたのだ。もっとも。ネットに流れているような情報であるから確度の高いものは少ないが。丸山花世の整理した情報は以下の通り。
①エターナルラブ……(エターと略されることが多い、らしい)という作品を作っていたのがキンダーガーデンという会社。
②キンダーガーデンは青物横丁駅のそばにあった……資本金は一億円。
③キンダーガーデンの子会社がFMB。これは大崎にあった。社長は市原。市原はもともとキンダーガーデンの社員だったが、独立して、キンダー作品の製作下請けとなった。
④で、キンダーは倒産。おととしの十月のこと。キンダー子会社FMBも倒産。キンダーの社長は権利をつけてブランセーバーに引き取られ、キンダーの社員はNRTというグループ企業傘下の音楽製作会社16CCに入った。親会社破綻で潰れたFMB市原も16CCに合流。
⑤16CCはその際に自社の一部門としてあてつけのようにして『キンダーCC』を設立。
⑥エタースタッフは16CC内のキンダーCCで作りかけであった『エターナルラブ カーテンコール』を製作強行。一方、ブランセーバーと16CCの上層部は手打ち。キンダーCCは廃止。16CCゲームに名前を変更。
⑦16CC、ブランセーバーからエターナルラブ製作の権利を獲得。エターナルラブ6の製作を開始。
時系列で話を追うと……以上のようなところか。
かなり複雑な話で権利やら人物関係が入り組んでいる。そして……たいていの場合はそうなのだが、いいものはすっきりしていて美しい。ごてごてとしているものは醜い。作品も同じで、成り立ちがすっきりしているものは美しく、そうでないものは醜い。
――こいつはちょっとどころか、相当危ないよなー。
丸山花世は嫌な予感をすでに感じているのだ。
醜い作品は……売れない。売れるわけがないのだ。
「花世、こっちよ……」
エレベーターの向こう。アネキ分はそのようにして誘い、丸山花世はそれに応じる。
エレベータを降りたすぐのところは小さなエントランス。
――ブランセーバー。
というロゴが入った金属のプレート。
エントランスには小さなテーブルがあり、その上にはインターホン。
――前に仕事をしたグラップラーに比べると、多少は立派か……。
丸山花世は思った。
そして……受付のインターホンを押して来客を伝える必要性はなかった。すでにそこに若い男が一人待っていたからである。
中肉中背の男。眼鏡をかけた若い男。ちょっと猫背なそやつは姉妹に向かってこう言った。
「大井弘子さんと丸山花世さんですね」
表情の乏しい、抑揚の無い声色の持ち主。いい男ではないが、まあ、見られた顔といったところか。
そして姉ではなく、妹がまず口を開いた。
「あんた、誰?」
ヤクザな小娘には社会通念であるとか常識というものはない。そんなものには興味がないのだ。ただ、だからといって丸山花世が単なるアウトローかというとそういうわけでもない。ヤクザな娘にはヤクザの娘だけに通じる理屈があるのだ。たとえばそれは自分にも他人にも嘘をつかないということであったり、率直に物を言うことであったり……空気を読んだ上で、わざと耳の痛いことを言うこともある。それは、人間、財布にいくらあって、借金がいくらで、債権がどれだけあるのかといった現状をはっきり認識しないことには、行動がままならないことを小娘が知っているからである。
「こんにちは。三神といいます」
若い男は軽く頭を下げた。ちょっとぼんやりした表情の男に、丸山花世は内心思っている。
――なんだ、このにーちゃん……大丈夫なのか?
だが。大井弘子は妹のようにさっさと『馬鹿認定』を済ませることがない。相手がどういう人物かは確認をきちんと済ませてから。
「大井一矢です……森田閃人のほうから紹介を賜りました。メールを下さったのは……」
女主人は頭を下げ、三神と名乗った若い男はぼーっとした表情のまま言った。
「はい。私です。とにかくこちらへ……」
若い男はそう言うと、オフィスの中に姉妹を導きいれた。ガラス戸を開いてすぐのところに小さな会議室。会議室にはホワイトボードとテーブル。壁にはブランセーバーの製品であろう、ゲームのポスターが貼ってある。 窓からはつい先ほど物書きヤクザ姉妹が歩いてきた通りが見下ろせる。
「あ、今、コーヒー、持ってきますから。座って待ってください」
三神はそのように言い残してどこかに行ってしまい、そこで大井弘子はテーブルについた。妹のほう席には着かずに会議室に張られたポスターを見上げる。
「B機関報告書……か。聞いたことあんな。スパイかなにかの話だよね。結構硬派なゲーム作ってんだね」
「そうね……」
女主人は頷いた。妹は席に着かずに、窓からの景色を眺める。西から東。低く流れる雲が急ぎ足に迫ってくる。
「こいつはやっぱり雨になるなー アネキ、傘持ってないから、一度イツキに寄ろうと思うんだ。家とは反対の方角だけれど」
「そうね」
女主人のほうはカバンからペンを取り出している。古い万年筆。稼業である原稿書きには使われることのない旧時代の筆記用具。だが、大井弘子はその古い遺物を愛用している。
やがて。去っていったばかりの三神が戻ってくる。トレーにコーヒーの入った紙コップを三つ。あとは砂糖とミルク。
「すみません。お待たせしました」
三神はカップをテーブルに置き、窓際の丸山花世はその様子を眺めている。
――なんか変な感じのにーちゃんだな。
ぼんやりした、表情の無い若者。快活さはない。
「どうぞ」
猫背の若者はそう言って、丸山花世に席とコーヒーを勧めると自分は窓際の席に座った。
「うん……」
生意気な小娘はおとなしくアネキ分の隣に座った。
「改めまして……三神といいます。三神智仁です」
若者はそう言って、名刺を出してくる。
――ブランセーバー 開発部 三神智仁
大井弘子がそれに応じる。
「大井一矢です。こっちは妹の丸山花世です」
実際には丸山花世は妹ではない。だが、そのことを訂正しない。事実はだいたいあっていればそれでいいというのが、物書きヤクザの信条。それに。血統はともかくとして、丸山花世にとっては大井弘子は精神的な意味で姉。
「そうですか。三神です」
三神智仁はそう言って、名刺を丸山花世にも手渡した。
「ごめん。名刺ないんだ」
生意気な小娘は言った。
「分かりました」
男は特に感慨を持たなかったようである。それどころか、三神は丸山花世の服装や態度についても何も言わなかった。
――高校生ですか?
でもなければ、
――あなたの実績は?
でもない。何の感慨もなければ、何の疑惑もない。なんともすっとぼけた男であるのだ。それはそれで呼び出された側には不安なこと。そして小娘の不安をよそに若者はどんどん話を進めていくのだ。
「さて。お呼び立てして申し訳ありません。今日はお二人に頼みがあります」
時候の挨拶もない。いきなりの本題である。
ちなみに、丸山花世もアネキ分の大井弘子も三神に会うのはこれがはじめて。メールで呼び出して、初対面の相手であるのだ。
「シナリオを書いてください」
「……」
目が点……とはこのことである。
「……えーと……なんつーかトートツだよね……」
さすがの物書きヤクザも呆れている。三神という男は……馬鹿なのではないか?
「出会ってすぐっていうのは……なんつーか、もうちょっと、なんつーかさ、いろいろと相手のことを知ってから仕事の依頼したほーがいーんじゃねーの?」
あまりにも常識の無い相手。丸山花世は他人の非常識には寛大なほうだが、それでも、金が絡む話であれば相手に慎重になることを勧めるぐらいの常識は持ち合わせている。
「蒼のファルコネットはすでにプレイしました」
蒼のファルコネット。蒼ファル。大井弘子の新作同人ゲーム。三神はその作品を知っている。
「火風亭の人とも話をしました」
蒼ファルのメーカーが火風亭。三神はメーカーの担当者とも接触をしている。変な男だが……動きは早いということか。
「蒼ファル。いい作品です。売れるための基準をきちんと満たしています」
男ははっきりと言った。変な男がはっきり言うからこそ信じられることがこの世にはあるのだ。
「売れるための基準?」
丸山花世が鸚鵡返しに尋ね、そこで三神は言った。
「そうです。売れるための基準」
「それ、その基準って一体何よ?」
「Make you want.Sell you need.です」
「何……なんだって?」
ヤクザな娘は身を乗り出して素っ頓狂な声を上げ、三神は日本語で言い直した。
「自分が欲しいものを作れ。自分が必要としているものを売れ……自分が本当に欲しているものを作る。そういうものは売れます。少なくとも、作品を欲している作者がひとつは買いますから。蒼ファルは客などどうでも良くて、自分たちが見たい作品を作っている」
「……」
「あとは値段ですね。必要としているものであっても高すぎては意味がない。七千円は高すぎる。でも、千五百円ならば納得する。蒼ファルは千八百円。値段としては最高でしょう」
「……」
「蒼ファルだけではありません。その前の作品『ざくろの木』もプレイしました。東祐樹名で書かれた『鬼の子の詩』も拝読しました」
「すげーな、鬼の子の詩まで……」
丸山花世は呻いた。二千部しか売れなかった絵付きの詩集。妹分も一冊だけ持っている。
「鬼の子の詩は傑作です。私は二冊持ってます」
男の言葉に大井弘子はちょっと笑っただけだった。
「そういうわけで私は大井さんの力は知っています。どういう作風か、どれぐらいの能力で、どれぐらいの運のキャパを持っているか。これ以上知る必要はありません」
「……」
小娘は黙っている。
「大井さんの作品はすべてがいいものです。それがどんなにご本人か調子が悪いときに作られたものであっても、です」
男は言い切った。そしてさらにこう続ける。
「私はいいものが欲しい。いいシナリオ。いいイラスト。いい曲。他人がいいものを使っているのは我慢がなりません。率直に言って非常に不快です。いいものはすべて私のもとに集まるべきです」
「……」
三神ははっきりと言った。そして丸山花世は呆れると言うよりもむしろ感動を覚えた。
いいものはすべて自分の下に集まるべき。
何の根拠も無いが、そのほうがいい。そんなことを真顔で言い切る男はめったに無い。
――こいつ、とんでもねー馬鹿か、天才だぞ!
物書きヤクザはそのように思い、そして、そこで三神はさらに信じられないことを語った。
「丸山さん。あなたのことも知ってます。あなたはシナリオでプロデューサーを病院送りにした大悪人です」
「は?」
物書きヤクザは彼女にしては珍しい表情を作った。相手の言葉の意味が分からなかったのだ。
「聞きました。あなたがシナリオで、自分を雇ったプロデューサーを病院に放り込んだと」
男はまばたきをせずに言った。
「え? 何それ?」
意味が分からないので小娘は首をかしげている。
「グラップラーの三重野というプロデューサー……あの人、病院送りになったそうですが、ご存じなかったのですか?」
グラップラー。『絶望的な作品を作れ』と丸山花世にけしかけたおかしな同人メーカー。そのメーカーの営業担当が三重野。そして丸山花世は三重野の魂を切り刻んで彼が望む『衝撃的な作品』を書き上げていたのだ。その後グラップラーがどうなったのか、丸山花世は知らない。
「え、そうなの? 三重野のおっさん、病院送りになっちまったの? なんで?」
「あなたの作品を最後まで読みきったことで精神に変調をきたしたそうです」
「へー……」
丸山花世は曖昧に頷いた。そう言えば以前、斉藤亜矢子がイツキに来たときに、
――丸山花世の作品を読んだスタッフは全員が全員気落ちして暗くなった
というようなことは言っていたが、どうも連中のダメージは気落ちぐらいでは済まなかったようである。
「べれった……グラップラーのべれったの友人に持田雪というものがいるのです。私の高校時代の後輩です。その人間から聞きました」
「……」
業界、いかにも狭い。
「あなたが三重野氏を心療内科に送ったのです」
「ふーん。三重野のおっさん病院送りになったのか……」
丸山花世は複雑な表情を作った。小娘も多少は反省をする。お灸が過ぎたか。いや、しかし。珍しく自省する丸山花世に三神は真顔で言った。
「丸山さん。あなたは本当にいいことをしました」
皮肉ではないのだろう。
「……」
「三重野という人は営業を極めるべきでした。営業ということで会社に入社したわけですから、彼はそれを全うしなければならない。途中で自分の職責を勝手に変更するのは天命に対する冒涜です。営業は勝手にクリエイターになってはいけない」
「えーと……」
自分と同等、それ以上に過激な相手に、丸山花世も怯んでいる。一方、大井弘子は妹と、妹を怯ませる変わった男の会話をじっと聞いている。
「時々いるのです。営業で入って編集に横滑りであるとか、営業で入ってプランナー。それは間違った生き方です」
「……」
「クリエイターになるのであれば、天意を問わなければならない。小説の公募に作品を送るとか、マンガを雑誌に持ち込むとか。なにも大賞をとる必要はありません。努力賞や期待賞でいいのです。三重野という男はそういう天意を得てから自分の作品を作るべきでした」
男は感情を表に出さない。
「どさくさにまぎれて他人のふんどしで相撲を取り、あわよくばクリエイターとしての名声を得てなりあがろうとする。薄汚い夢想家。反吐が出ます」
三神は抑揚の無い声で言った。この男……丸山花世とは別ベクトルで破壊神である。丸山花世が真っ赤に燃える熱兵器であるならば、三神と言う男は絶対零度の冷凍攻撃。
「そういうことを聞いていますから、私は、あなたの能力についても把握しています。丸山さん。シナリオで人を殺せる人間はやはり普通ではないのです」
「……うーん」
丸山花世は微妙な顔で呻いた。そんな褒め方というのがあっていいのだろうか。そんな賞賛を喜んで受け入れていいのか。小娘は腕組みをして考え込み、そこで大井弘子が言った。交渉の主は大井弘子であるのだ。丸山花世は今回は副、である。
「それで、三神さん。いったいどういうシナリオを私達に?」
「はい。エターナルラブを作ってください」
「……」
それはとてもおかしな注文であった。いや、おかしくないのか。
「えーと……言われなくとも、私ら16CCってところでこれからエターナルラブっていうのを作ることになってて、それはあんたに言われなくても決まっているんだけど」
妹が言い、さらに姉が続けて言う。
「どこまでご存知なのかは分かりかねますが、私たちは16CCでエターナルラブの六作目を作ることになっています。そのことは……ご存知ですよね?」
男は、すぐに応じる。
「はい。知ってます。その上で、16CCて作られるエターナル6とは別に私のところで別のエターナルを作ってください」
「……」
妹は姉のほう見やった。
――こいつは……またおかしな雲行きになってきやがったぞ。
けれど、姉のほうは何も言わない。ただ状況を見守り、相手の言葉の意味を探っている。
「16CCのエターナルとは違うエターナルを?」
丸山花世は尋ね、男は頷く。
「そうです」
「そんなこと……なんかおかしくねーか?」
生意気な小娘は言った。男は小娘の非礼をなじったりはしない。
「繰り返しますが16CCでエターの六作目が作られることは認識しています。ブランもあちらとは業務提携をしたうえで、プレステをはじめとするゲーム機用のゲームの製作権利を供与していますから」
「……それでは、権利的にぶつかりませんか?」
大井弘子は言った。作品を作る権利を与えておきながら、別ラインで同じ作品を作るのは商業道徳的にまずくはないか。だが、三神は平気な顔をしている。
「あちらに譲ったのは『ゲーム機用のゲームの権利』だけです。同人ゲームであるとか、携帯電話に配信するための作品については譲りませんでした。商業的に延び代があるのはもはや同人と携帯電話だけですから」
直截にしてごまかしをしない言い方。だが、聞いているほうはそのほうが安心である。
「ゲーム機でのソフトは、百億単位の金銭的が融通できる大手以外は利益を出すことがができません。ブランにもそこまでの資金的な余力はありません」
「つまり……16CCには金にならないところだけをくれてやったっつーこと?」
丸山花世は怯みながら訊ね、そして三神智仁はあっさり言った。
「いいえ。彼らの頑張りに賭けたのです。彼らが努力をして十万本を売れば、権利の買い取りに使った金銭に見合うペイはあると思います」
「そんなことが可能でしょうか?」
大井弘子は懐疑的である。
「プレステというゲーム機はもはや終末期にあります。そのようなハードのゲームが十万本も売れるとは常識的に考えられないのでは? 何よりも……キンダーガーデンという会社は……」
大井弘子は言葉のおしまいを濁し、三神はうんと頷いた。
「潰れていますしね。十万本を売る能力があるスタッフであれば、キンダーは生きていたでしょう。潰れることもない」
――こいつはっきり言うな……。
丸山花世は若い男の顔を見ている。と。三神は思いも寄らぬことを言った。
「キンダーのダメさはそこにかつていた私が一番よく理解しています」
「え? あんた、キンダーの社員だったの?」
「そうです。入社したのは最終末期でしたが。多分お二人ともご存知な名前だと思いますが、FMBの市原のことも知っています。上司でしたから」
「……」
「キンダーは自己破産をして、社長はセーバーに来ました。私はその時一緒にこちらに来たのです」
「とうして16CCに行かなかったん?」
丸山花世は尋ね、男は応じる。
「彼らが私に我慢がならなかったように、私も彼らに我慢がならなかったからです」
「……」
「人間的にあわないということはあるのです。ですから私はこちらにやってきた。そして彼らは16CCに行った。それだけです。誰が悪いわけでもないでしょう」
三神は何の感慨もない様子で言った。
「ふーん……」
丸山花世はうなり、アネキ分が訊ねる。
「三神さんも、エターナルラブという作品は、これからも長く続くそのような作品にはなりえないと……そうお考えなわけですね? 大筋としては」
頑張れば十万本。頑張れば……だが、十万本は恐ろしく遠い。
「それは分かりません。物事はやってみないことには。ちなみに、前作は二万本がやっとでしたが」
「……二万本って」
それが多いのか少ないのか。丸山花世は首をかしげ、男は言った。
「もろもろ費用を考えても、感心しない売れ行きだったということです」
「……で、次は十万本?」
それは無理。
なぜならば……。
「アネキ、六割の法則ってゲームにも当てはまるのかね……」
丸山花世は言った。大井弘子は頷く。
「そうね」
六割の法則。続きものの作品は回を追うごとに売れ行きが落ちていく。それは大井弘子が口にする法則。あくまで小説の話であるが……十万部売れた作品の二作目は六万部。三作目は三万六千部、四作目はさらにその六割で二万一千部。アニメ化などのてこ入れがあれば部数は上向く。ゲームもおそらくは同じようなものであろう。だとすれば……。
――エターの六作は売れて一万二千本、か……。
そういう縮小再生産を避けるために、メーカーはいろいろな手を打ってくる。グラフィックの強化、操作性の向上。シナリオのボリューム追加。そしてやがては開発資金の重さに耐え切れなくなってメーカーは瓦解していく。
「状況が芳しいかと言われればそうではないです。16CCが使える予算が増えたわけではありませんし。16CCの資本金はキンダーの十分の一。一千万円しかありませんから」
それはつまり同じ事をしていたら十分の一年で会社の資金がショートすると言うこと。
「資本のことは置くとしてです……」
三神は続ける。
「おそらく市原は、エターの6で売りにするのは『大井一矢シナリオ』という点ですが、それだけではお客は呼び込めないと思います……もちろん、これは大井一矢を侮っての発言でありません。そうではなくて、ゲームは小説と違ってシナリオだけでは成り立たない、そういうものだということなのです」
「……」
「大井一矢のプラス分は重要なファクターです。けれど、ゲームはシナリオだけでは立ち行きません。シナリオに見合うイラスト、シナリオと同じぐらいの魅力を持ったイラストの器量が必要なのです。シナリオとイラストは車輪の両輪。同程度の力で作品は進むことかできる。どちらかが劣っていれば作品はその場でスピンして立ち往生します」
「16CCでイラスト描いてる奴はそこまでの力はないってこと?」
生意気な小娘は言った。そして三神智仁は即答する。
「もともとエターという作品はともちかひびきというイラストレーターがキャラデザをしていました」
「存じ上げています」
大井弘子は頷き、不勉強な妹は曖昧に首を縦に振った。ともちかなどという名前は丸山花世は知らない。だが、困ったときは頷いておけばいいのだ。あとは聡明な姉が何とかしてくれるだろう。
「一作目、二作目はともちかキャラでした。ですから十万本のセールスを売り上げることが出来た。三作目からはともちかが下り、キンダーの社員がキャラデザを担当するようになりました。売り上げは落ちました。もちろん、後任の原画イラスト担当だけが悪いのではないのですが……まあ、それでも大きな要因でしょう」
「……」
「ともちかあってのエターです。ともちかがいないエターはエターではない。少なくともお客はそう思っている。私もそう思いますから」
「ふーん……」
彼らが我慢がならなかった。私も彼らに我慢がならなかった。
三神のような人間、ナイーブな人間には耐えられないかもしれない。
「エターの6に関して言えば原画はキンダーから合流してきた越田という男が担当するはずです」
「越田さんでは荷が重いと?」
「越田は三作やって、ともちかを越えることが出来ませんでした。それに……」
「それに?」
丸山花世は食いつく。
「越田はアニメーター出身です」
「それが……どしたん?」
「アニメーターあがりの原画イラストは職人です」
「悪ぃことじゃないじゃんか。何かまずいん?」
「極端な言い方ですが、芸術家ではないのです。職人。違いは、折れないか折れるか、です」
「……」
それは丸山花世の言う、小説家とライターの違いにも似た理屈
「芸術家は骨があって容易には折れません。ですから、彼らの生涯は不遇な場合が多いのです。職人はそうではありません。風に揺れる柳のようです。金のために仕事をしているわけですから。ですが、それではダメなのです。それではお客をひきつけることはできません。ゲームでもイラストでも……私達が求めているのはアンカーです。碇なのです。重くなければいけない。そうでないとお客という船をつなぎとめることができません。大勢のお客をひきつけるには不器用な、でも絶対に折れない気骨が必要なのです。気骨という表現が気に入らないのであれば、絵から匂い立ってくる魅力です。アニメーターあがりのイラストレーター、原画家は、何でも描けるのです。本当に何でも描くことができる。でも『その描き手でしか描けないたった一つの描き筋』を、アニメーターあがりのイラストは描けないのです。何者にもなれる。何物にもなり得る。でもなれないものがある。それは自分自身。それではゲームのキャラとして弱いのです。もちろんですが、今、私が言ったことは相対的なものです。どこの世界にも特別な存在、特殊な天才はいますからアニメーターあがりでも人を惹きつける『自分の画風』を持っている人間はおります。ただ、ともちかが去って以降エターが売り上げを減らし続けたのはこれだけは事実です」
「……」
大井姉妹は沈黙である。
「もっとも人は変わるものです。越田も会社の倒産を経験しました。何か彼も得るものはあったはずです。ですから私はそこに賭けてみようと思うのです。奇跡が起こる可能性は排除されるべきではありません。その可能性がゼロに限りなく近かったとしても、です」
「ふーん」
三神の話し方は理屈っぽく、ちょっと回りくどいところがある。丸山花世は口を尖らせるようにして頷いた。
――市原。同じ会社の人間が三神で、原画の担当は越田。前任のイラストはともちかひびき、ね……。
小娘は頭の中に人物関係を頭に刻んでいく。割合と忘れっぽいところもあるので、明日にはその記憶がどうなっているかは分からないが。
「16CCの話は分かりました。それで、こちらのエターナルラブは……」
大井弘子は尋ねた。状況は相当におかしなことになっている。だからこそ色白の美人の表情はとても険しい。
そして、ここからが本題――。
「少し話が回り道をしてしまいましたが、こちらでもエターを作ります。ただこちらはあくまで同人ブランドです」
「……同人」
丸山花世は呟いた。
「はい。同人ブランドです。タイニー・エターナルとか、そういうものを作ろうと思います。名称は変更するかもしれませんが」
姉妹は沈黙する。
「お二人にはそのシナリオを頼みたいと思うのです」
「……ひとつ質問をよろしいですか?」
大井弘子は尋ねた。
「どうぞ」
「何故……エターナルラブを?」
何も、16CCとバッティングするような企画を動かさなくても良いのではないか。大井弘子の言わんとすることはたぶんそういうこと。
「この時期に16CCでも同じような企画があるわけですし」
「そうですね。それは……」
三神智仁はちょっと考えて言った。
「私も本心では16CCの企画の先行きに不安を感じるからです」
「……」
「キンダーは自己破産をし、そして製作陣はすったもんだで16CCに合流した。セーバーともしっくりいきませんしね。そんななかで、とりあえず上は手打ちをした。全てはお金のためです。それが悪いとは言いません。利益を出さなければ会社は潰れます。ただ私は、商売人ですが、作り手の端くれでもあるのです」
三神の表情は読めない。
「エターという作品は、ご存知かも知れませんが、五作目の外伝である『カーテンコール』をなんとか世に出すことができました。一度は潰れてしまい、発売も白紙になってしまった作品です。その作品が世に出ることになった。これは、名前の通り、文字通りの『カーテンコール』なのです。一度、幕が下りた作品。ですが、エターナルラブという作品は、ファンの喝采に応じるために戻ってきたのです。ただ、ファンにもう一度会いたいがために。会ってお礼を言いたいがために」
「……」
「作品を作ったのはそれはスタッフです。多分、越田や市原たちは俺たちが苦労をして作品を作ったんだと言うでしょう。苦労したのは自分たちであって、作品はただのモノ。生産物であると。それはそうです。その通りなのです。けれど私はそのような意見とは別の考えを持っているのです」
別の考え。
それこそが我慢の出来ない一線。
「あれは作品の意思です。何としても、這ってでもファンのところに戻っていきたいという作品の意思です。だから、カーテンコールという作品は世に出たのです。それこそが小さな奇跡なのです。誰も……この国のほとんどの人はカーテンコールという作品のことなど知りもしません。でも、やはり倒産した会社の作品が世に出るということは奇跡なのです」
それはとてもおかしな考え方。ありえない素っ頓狂な思考。けれど、それは丸山花世にとっても大井弘子にとっても腑に落ちるものの考え方。共感できる叫び。
「いじらしい作品だと私は思うのです、エターナルラブという作品は。いとおしい作品なのです。愛するに足る作品なのです。私は、この作品が紙芝居といわれる作品が本当にいとおしいのです」
そういう告白を丸山花世は前にも聞いたことがあった。形を持たないエロラノベのキャラに対する想いを熱く熱く歌い上げた好漢。そいつは、最後まで小説家として誇り高く死んでいった。
「ですから、私はエターナルラブという作品が哂われるようなことになることを看過できないのです。『またも潰れてなくなった』と物笑いになるようなことは許しがたい。もちろん、それは作品はいずれ終わるときが来ます。いずれは。それは仕方がないことなのです。人と同じで作品もいずれは死ぬのです。ですが、それはおそらく今ではないはずです。手の打ちようがあるのならば、何か策が講じられるのであれば、できる限りのことはしなければなりません。それが、私を育ててくれた作品に対する私の恩返しなのです」
三神の声には抑揚が無い。だが。言葉が単調だからと言って、魂までも平板ではないのだ。
「私は市原たちの努力があれば十万本ぐらい売れるかもしれないと先ほど申し上げました。けれど状況がそんなに甘くないことも理解しています。市原たちは三万本のセールスを目標にしていますが、おそらくは一万五千がめい一杯でしょう。それ以上は伸びない。と、なれば、そこでデッドエンドです。一千万円ちょっとの資本金しかない16CCではそれ以上に息が続きませんから」
「……」
「だとすれば、今のうちに、ちょっとでも作品の名前が生き延びる道を私としては考えておきたいのです。どんなに小さくなってもいい。エターナルラブの名前を残しておきたいのです。実際、プレステのゲームとしては利益が出なくなったとしても、同人ゲームとしてサイズを小さくすれば、細々とではありますが、作品は作り続けることができる。もちろん、豪華な声優は使えなくなりますし、派手な宣伝もできない。でもいいんです。私はゲームを作っているのですから。声優のコレクションアイテムを作っているわけではない。そうやって、生きながらえていれば、もしかしたらまた作品が復活する目も出てくるかもしれない。可能性があれば何でもやってみる。それが私の信条なのです」
三神は言い、そこで小娘は言った。腹を割って全てをさらけ出す相手は聞いていて信頼が出来る。
「三神さんっつったけ……」
「そうです。丸山花世さん」
男には表情は無い。けれど相手の気持は分かる。同じ作り手として共感できる。
「あんた、けっこーハートの熱い人じゃんか。見たところただの猫背のにーちゃんだけれど」
歯に衣着せぬ小娘の言葉に三神は少しだけ表情を緩ませた。
「そうですね」
「ま、そういうことならばやりましょー。だいたい話は飲み込めたし」
丸山花世は言った。決定権は本当は姉にあるのだが、どうせ大井弘子も同じ考えであるのに違いない。
「いいっしょ、アネキ?」
「そうね」
作品は人。人物の交差点こそが作品。多くの人が関わるまさに人生そのもの。その作品をきっかけに天の高みに昇るものがいて、大金を手に入れるものがいる。社内で出世するものもいるだろう。ただ単に生活の糧を手に入れるだけのものもいるし、逆に、作品に携わることで身を誤るものもいる。自らの家庭を破壊させるものがいて、体を壊すものがいる。自分の限界を知り業界を去るものもいる。
作品はただ幸せなだけではない。
エターナルラブの分家とも言うべき同人ソフト。それはいったいどういったものに仕上がるのか。
「では、早速ですが作品についての打ち合わせに入りましょう。こちらからの要望です。一つ目は、攻略できる女性キャラは五人。高校生を中心にしてください。二つ目。舞台は高校です。人物の相関関係、あるいは地名等はそちらで好きなように作ってください。三つ目。ストーリー的には『エターナルラブ』という作品が学生の恋愛を描くものですから、そのようなものであれば構いません。以上の三つの点をおさえていただければ、物語の流れについてはお二人の気に入ったようにやってください。私はお二人を知っています。ですから、思いのままにやってください。それが私のお願いです。ちなみにキャラ一人当たりのシナリオの分量は百五十キロから二百キロを目安に想定しています。分量については目安を越えていただいても構いません。納期については急いでおりませんが、一応本日から三ヶ月をめどにやってくださればありがたいです」
「……冬コミに間に合わせたいと?」
「ちょっと難しいかもれませんね。原画のスケジュールは押さえてあるのですが」
三神は言い、そこで、丸山花世が口をはさんだ。
「え? もう、原画の人見つけてきてるんだ……」
「はい」
三神は言い、大井弘子が特に意識をしないままに訊ねた。
「どういう方ですか? 原画の人は……」
「ともちかです」
「……」
「ともちかひびきです」
「え?」
大井弘子も面食らったようである。
「ともちかさんは……エターナルラブの製作から身を引かれたのではなかったのですか?」
「はい。下りましたが? それが何か?」
「だって……下りたのに?」
生意気な小娘もきょとんとしている。何かおかしくないか? 話のつながりが……。
「はい。けれど、タイニーのエターナルは別の仕事ですから。フリーのともちかを使ってはいけないという法律はないですし」
「……」
姉妹は思わず顔を見合わせた。
「だから使います。ともちかを。それに、もともとともちかはキンダーと喧嘩別れをしたわけではありませんから。向こうは向こうで忙しくなった。何か衝突があったわけではありません」
三神智仁はしれっとしている。まったく悪びれないその様子に丸山花世は感心している。
「でもさー、16CCのほうは、越田っていう人でやってくるわけでしょ?」
それは……ともちかという人物や三神にとってはいいことかもしれないが、16CCにとっては気分的に面白くないことではないか。
「……向こうの連中、納得するかな?」
丸山花世の問いに三神は応じる。
「彼らの同意や納得は関係ありません。何か言い分があるのであれば16CCもともちかを使えばよろしい。負け戦が続いている越田に執着する必要などないのです。それだけのことです」
「……」
「もとよりエターという作品は越田の私物ではありません。越田よりも能力がある人間が現れれば、越田は当然自分の席を譲らなければなりません」
三神は冷徹である。冷酷というよりは残忍なのか。だが、その徹底振りが聞いていて心地よいのは何故なのか。
「それはほかのスタッフも同じです。市原もそうですし、当然ですが私もそうなのです。私も含めて今いるスタッフより能力が優れた人物が現れた場合、能力の劣ったものは自分の地位を新任の者に譲らなければなりません」
三神は筋が通っている。
「どうしても作品に携わりたいのであれば新任の、自分よりも能力のある人間の下につけばいい。それだけです」
男は続ける。
「作品の権利は会社のものです。法律論では。ですが、作品はファンのものなのです。なによりも作品の魂は作品のものです。私達クリエイターというものは、元来、作品が生まれるのを手伝い、補助の役回りを担っているだけです。作品を自分のもの、私物と考えるのは思いあがりです」
「えーと……」
丸山花世は沈黙する。どこかで聞いたような言説。どこかで……そんなことを言っていた変わった連中がいたが……。
「三神さん、あなたは……」
大井弘子は眼差しを鋭くして言った。妹が思い出せないことを明晰な姉は察知している。そういう変わった考えを振りかざす集団が存在している。
「あなた、もしかしてWCAの……?」
WCA。ワールド・クリエイターズ・アソシエイツ。物語を作る力を持つ人々が入ることを許される奇妙な集団。ちなみに、組織の会員になったからといって特に便益が図られることはない。ただ会員証の水晶球が送られてくるだけ。
――ちょっと宗教がかったおかしなカルト集団。
そのようにWCAを揶揄する声も業界にはあるとかないとか。そして三神は言った。
「はい。そうです。私もWCAの会員です。お二人と一緒です」
「えー、あんた、WCAの協会員なん?」
小生意気な娘は素っ頓狂な声をあげる。そういわれれば、この奇妙な雰囲気は……だが。
「アネキと私以外に始めて見たわ、WCAの会員……」
「私もほとんど見ませんね。友人でマンガ家をやっている男が一人……あとは、あなたがた……」
「え……って、ことは」
丸山花世ははたと気がついた。
「あんた、私らがWCAの人間だって最初から……」
「はい。知ってましたよ」
丸山花世は慌てて尋ねる。
「え? どうやって知ったの? そんなことできんの?」
小娘はほかの会員を知らないし、知る術があるとも思っていない。
「できますよ。WCAの本部に問い合わせれば。まあ、ちょっと変わったところですから、普通のやり方ではないですけど」
「ねえ、どうすんの、どうやって調べんの?」
小娘は相手の話のおかしなところに食いついた。大井弘子は多分『会員検索』のやり方を知っているのだろう。だから笑っている。
「テストの時のハガキ。そこに事務局本部の電話番号が載っています。そこに電話をかけて、こちらの名前と会員番号を言います。平日の十七時から二十時までです」
「……」
「それから、知りたい相手の名前を訊ねます。たとえば『丸山花世』について知りたければ、『丸山花世はWCAの会員ですか?』と聞くのです」
「それで?」
「会員でなければ『存じ上げません』と言われます。それで電話は切れます。もしも会員ならば……」
「会員ならば?」
「相手は何も言いません。沈黙です。沈黙のまま電話を切ります。それで、会員だと確認できます」
「そ、そんなことになってたんだ……」
小娘は大いに感心している。IT時代に、そんなアナクロな秘密結社のようなことをやっているとは……いや、WCAは秘密結社であるのか。
「ア、アネキ、知ってた? すげーな、WCAって!」
「そうね」
大井弘子は苦笑いである。
「私は……そうですね、大井さんの作品を読んで、ああ、もしかしたら、この人はWCAの人ではないかとすぐに思いました。雰囲気とか、書き筋とか……ですから、事務局に問い合わせました」
姉妹はそろって黙っている。
「丸山さんについては大井さんから紹介を貰ったあとに偶然後輩から似非プロデューサーを破滅させた話を聞いて、興味を抱いて同じように昨日ですか、WCAに問い合わせました。それで分かりました」
「なんか……あ、あんた、マメな人だね……」
丸山花世は珍しく怯んでいる。一方、三神は言った。
「トップに大事なことはマメさです。相手の情報を知るだけではダメです。自分がどう思っているかをきちんと説明する。どんな方法でもいいから自分の考えを説明して、なおかつ相手に確実に理解させなければなりません。口頭で、それでダメならば文書で。絵でもいい。とにかく指示を出して、それを相手に絶対に理解させる。マメでない、怠惰な人間はトップには向いていません」
三神は言い切った。
そして小娘は思った。
――こいつはたいした食わせもんだぞ……。
「大井さん。丸山さん」
食わせものは呼びかける。
「今回の仕事はただ作品をつくるというものではないのです。エターナルラブという作品の文字通り、生き死にに関わる難事です。大げさな言い方をすれば作品の未来をお二人に託す、そういうことなのです」
姉妹は黙っている。
「16CCでも使われるお二人をこちらでも使うのは、そういうことなのです。ほかの人には頼めない。それはWCAの会員であるお二人には分かっておられるはずです」
作品には魂が宿り、神様がつく。
それはアニミズムに通じるもの。
「作品についている魂。息吹のようなもの。これは、実際にそれに関わって最前線で作品と切り結びをする作家でないと理解できないですし、捉えることが出来ない。もちろん、そこまでのレベルに達していないで意味も分からずにシナリオを書いているものも大勢います。そういうヤブ医者に任せるわけにはいかないのです」
「分魂……ですか?」
大井弘子は言い、三神智仁は本当に愉快そうに、かつ満足そうに微笑んだ。
「その通り。その通りなのです、大井弘子さん。WCAで言うところの分魂です。一作目から五作目に至るまで長く続いたエターの本流とも言うべき魂の流れ。作品の魂の本道。この流れから支流を作って、作品の匂いであると雰囲気をタイニー・エターのほうに導きいれたいのです」
普通の人では見えない、平均以下のシナリオライターでは考えることもない物語の流れ。作品の血統。作品の縁。WCAの会員の多くは、作品をひとつの命、一個の人格を持つ生き物として捉える。三神もそうなのだろう。あるいはそれは迷信といいし、俗信ともいう。けれど作品に本気で向き合えば向きはあうほどに作品とは命であると思わないとつじつまかあわないという場面に出くわす。
それは作品に対する純粋な畏敬であり憧憬。
「本家のエターの製作にかかわり、本家となる作品の声を聞いた人間でないと、その魂を移植することはできない。適当に行き当たりばったりで、凡百のライターに任せてはいけない仕事なのです。この仕事は。ですから、私は市原が本編のエターでお二人を使うと聞いて、それで、こうやって先回りしたということなのです」
大きな川。エターナルラブという大河。そこの改修工事を頼まれた土建屋姉妹に、ついでに放水路を作らせる。三神の計画はそのような土木事業に置き換えた方が分かりやすいかもしれない。地盤であるとか川底の様子、周りの地勢、川の水量といったものを理解した連中に任せれば、ついでの水路作りもスムーズに行く。当たり前のことである。
「……作品の資料等は今日中にそちらに配送する手続きをします。何か質問は?」
三神は尋ねた。丸山花世はこたえる。
「今はねーな。ま、わかんなくなったら聞きに来っからいーよ」
「そうですか」
あっさりと引き下がる妹に比べるとだが、姉は慎重である。何かを考えるように沈黙する大井弘子に三神は尋ねる。
「何か?」
「……いいえ。構いません。花世と同じで、疑問があればまたこちらから訊ねることにします」
大井弘子は言い、そこで会見は終わった。
そろそろいつものようにイツキを開ける準備をしなければならない。
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