第二回 朝の情景

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「おはよ」

 朝一番、私は太陽の光と彼女の声で自分が生きていることに気がつきました。 ラピス相棒の声を通じさせる“神器”もいつものとおり首からかかっているようで一安心といったところでしょうか。

 で、気がついた事がもう一つ。

 彼女の笑顔が怒りを隠すために引きっている。

 ……。

 正直なところ、気が付きたくありませんでしたね。

「…。お、おはようございます。昨晩は大変お世話になってしまったようで…えぇと…その…、なんか、怒ってません?」

 迷惑を掛けたのだから、いとう表情をされるなら分かるのですが、何故怒っているのでしょう?

 恐る恐る彼女に聞いてみた。

 先ほどまでは口の端がピクピクと痙攣けいれんしていただけだったのだけれど、今はもう顳顬こめかみの辺りまでピクピクしている。

 これは、相当怒っているのでしょうねぇ…。

 リリアの怒った時そっくりですもの。

「…ねぇ、どうしてあたしが怒ってるか、分かる? あたしあのあと大変だったんだからね!? あんたは脱衣場で寝ちゃったから楽でよかったのかもしれないけど、あたしはあんたを着替えさせてやったり……

 それによく考えたら、あんた自己紹介すらしてないじゃないの。えぇ?どうなの、そういうのって、人として、どうなのかしらね? ねぇ!!」

 …恐い。

 っていうか私人じゃありませんよ?

 でも、ここでそんなコトセリフを吐くほど愚かではありませ……

「何?あんた、無視!?」

 ………加速度的に機嫌が悪くなるところまでそっくり!?

「いえ、ちょっと知っている人に似ていたものですから。そうですね、本当でしたら最初にすべき事柄でした。 改めまして、私の名はリン・ウェリエースと申します。以後お見知りおきを。」

 と、最低限度の自己紹介を終えた…、と思いたいのは山々なのですが、

「…それだけ?他にもっと言うべきことがあるんじゃないかしら?あるわよね?」

 やはり無理でしたね。そりゃあ、普通無理ですよね。

「…いえ、失礼しました。私は…そうですね、見ての通りのエルフ族の血縁にあ者です。いわゆる亜人種というヤツです」

「そんなもの、見りゃ分かるわよ。って、どうして今更そんなことを?」

「私は、その、正確にはエルフという種族には属していないからです。」

「…。う、嘘、でしょ?それじゃあ、あんたは……ダークエルフ?」

「そうでもありそうでなし、といったところでしょうか」

「?」

「私、混血児ダンピールなんですよ。聖魔ハイエルフ悪魔ダークエルフの。ですからどちらでもあると言えばありますし、どちらでもないと言えばないんです。」

「ダンピール?なに、混色ハーフってこと? ははっ、てことはあんたの中にはダークエルフの血も流れてるんだ。じゃ、じゃあさ、あんたも物とか人とか壊すのとか好きなんだ?」

「どちらかと言えばその辺で日向ぼっこでもしてる方がよほど好みですね。料理とか得意なんですよ、あとは裁縫とか。」

 先刻から、彼女から殺意とも敵意とも取れる気配が哀しいほどに伝わってくる。慣れ親しんだ感覚です。…慣れ親しみたくなんかなかったのですけど。ほんとに、気付きたくなどありませんでした。上手い嘘をつければ良かったのですけど、自分の不器用さに辟易してしまいますね、こういう時は。

「けど、ダークエルフなんでしょ?どうせっ、あたしの事も全部終わったら殺してやろうと思ってるんでしょ!そうに違いないわ!!だって、だって……」

「…いえ、だってとか言われましても…困りましたね。

 私は殺生ってあまり好きじゃないんですよ。貴女の過去に何があったのかを聞こうとは思いませんし、たぶん過去ダークエルフにまつわる思い出したくもない事があったのだろうことはお察しします。ですが、私にもこれまで生きてきた生き方というものがあります。生まれはどうしようもありませんが生き方はどうにもできるものですよ」

 彼女の言った言葉は私に対する完全な侮辱です。しかし、よく聞きなれたセリフでもありますし、あの様子では仕方がないことでもあるのでしょう。

 今さらそれを言われても気に留めませんが。

 私がそれを言われるたびに心を痛めてくださる方がいますので、私がその言葉を許すわけにはいかないんですよね。たとえそれが私のエゴに過ぎなくとも。

 っていうか、私がそれを許すと私が彼女に許されませんし。

「知ってるわよ。ダークエルフは悪魔の化身だ、ってね!」

 ……ああ、本当に、リリアがここに居なくてよかった。

「たしかに、ダークエルフの特性としてどうしようもない凶暴さ、好戦嗜好があることは事実ですが、私の場合それは半分だけですし、私個人としては戦いその物を好んでませんのでその様に言われまして、ね。

それに貴女はハイエルフ・・・・・についてはご存知ないのではありませんか?」

 そう、彼女はダークエルフという悪意については身をもって知っているのでしょう。ですが、ハイエルフの存在についてはおそらく無知だ。まあ、知ってたら知ってたで驚きなんですが。それにそこはハイエルフに責任が在るのでなんとも言いにくくはあるのですが。

「ハイエルフというのはですね、“世界の秩序の守り手”とも呼ばれる聖魔の一族です。中でも私の母リーフェル・プラネテスの所属していた『神楽』の一族は《黒柱の支守ささかみ》だったのですよ。」

「……何、それ。」

 まぁ、そりゃあそうでしょう知ってるわけないですよね

『ふむ、それについては儂から説明しよう。』

 と、それまでただ黙って聞いていたラピスがいきなり喋りだした。当然、ラピスの事など知る由もない…アレ?そういえば私も彼女の名前を聞いていませんでしたね。まぁいいか。

 で、当然驚くわけです。

「え!なに、今の声?」

 まあ、当然の反応ですよね。

「ああ、今の声は首飾りこれですよ。〝神器〟ファブニール。流神りゅうじんラピスが封じられています。」

『ふむ、驚かせたようですまぬな。儂の名はラピス。“ラピス=グーテンベルグ”この名は現世において顕現しているために用いる枷の様な物だが、取り敢えずはラピスと呼称すればよい。』

 首元から低く掠れた声が優しく響き、彼女を諭した。当然のことながら彼女は仰天した様子で私を指差して叫んだ。


「腹話術っ!?」


 あんまりな言い方ですが、言いえて妙と言えなくもないですね。ですが、

「少し違います。先ほど申し上げた通り、この首飾りは『神器』です。神を納めるべくして製造された器のことで、彼――ラピスは、かつて神として世界にあり、今神として信仰されている彼らの同族なんですよ。にわかには信じられないと思いますが。で、ラピス。今彼女に『黒柱の支守』について説明なんかしてどうするおつもりなんです?」

 そう、今彼女にそんなことを説明しても意味はない。だから、彼女に説明すべきことはこの場ではただ一つだけだ。

「まぁ、そんなわけで、コレには今神様が封じられているわけですが、そんな事、いまはどうだっていいんです。いま、貴女に分かって頂きたい事実はただ一つだけです。」

「な、なによ。神様がどうとかハイなんとかがなんとかなんかで騙されたりしないんだからね!」

「いえ、別にその点に関しては正直なところどうだっていいんです。ですから、これだけは分って頂きたい。

 私はですね、私の人となりも知らずに私に流れてる血の一滴を理由に人殺し扱いされる事に虫唾むしずが走るんですよ。有体に言えばムカつくんです。お分かりいただけました?」

 多少強い口調で、苛立ちも露わに言い切った。

 …少々どころではなく大人げなかったですね。

 なんか黙っちゃったんですけど。

「…えっと、もしかして私言い過ぎましたか?」

 悪い事をしたとは全く思ってはいないのですが、恩義ある相手に対する言葉づかいではなかった気もしますし。

 でも、彼女は、

「…べ、別に。言いすぎたのはこっちもよ。」

 と言った。強い少女だ。

「いえ、私もむきになりすぎました」

 自分の事ながら、よくもまぁいけしゃあしゃあと言えたものだと思う。が、後悔はない。

「…ええ、もう平気。ごめん。」

「いえ、私のほうこそ。人間という生き物が自分達と異なる知的生命体に対して酷く冷めた生き物であるという事を忘れていた事が良くなかったんですよ。もう少し考えてから話すべきでした」

「…。あんた、もしかして人間嫌い?」

「ええ、まぁ。多少は、ね。見れば分かるとおりこんな容姿なりなもので、ハーフっていうのも中々に差別の対象にされやすいんですよ。まあ、そんなことはどうだっていいんですけどね。さてでは、大変申し遅れましたが私の名前はリン。リン=ウェリエースといいます。実父がダークエルフ、母はハイエルフ、そして義父は祝聖遣いでした。」

「祝聖遣い?魔法使いじゃなくて?」

「ええ。正真正銘、なんの媒介も必要とせず声を張り上げて祝詞のりとを歌い上げるだけで世界を奏でる事の出来た“祝聖遣い”の一人です。ダークエルフである実父のところに母と共にいたのは私が物心ついてすぐ辺りまでで、母は私を連れて父の元から逃げました。何日も何日も逃げ続けて、逃げ延びた先が先刻言った義父、“祝聖遣いシャルズ・ウェリエース”の隠れ家だったんですよ。まさしくお似合いってヤツですよね。その希少性から人々の目を避けて隠れ住んでいた“祝聖遣い”と人々を恐怖の底に突き落としていた“魔王”の妻子が一緒に暮らしていたのですから。」

「え?」

「ん?なんです?」

「今、“魔王”の息子って言った?」

「はい。」

「あたしの母さんと父さん、お姉ちゃんは自分で自分を〝魔王〟とかって名乗ってるダークエルフに殺されたの。あんたは、あたしの仇の息子?」

「はい。」

「殺してやる」

「止めてください」

 今、はっきりと分かった。彼女が発しているのは殺気だ。

「殺してやる殺してやる殺してやる、コロシテヤルッ!!!」

「私を殺すなら、私が父を殺してからにして下さい。私も、自分の事を“魔王”とか呼ばせて喜んでいるとち狂ったダークエルフに父と母を殺されました。それだけじゃない。村にいた私の友人知人を皆殺しにされたんです。正義では決してないことは承知の上で、私は彼らの仇を討たねばならない。」

「父さんと、母さんを殺された?魔王にとってアンタの母さんて言ったら魔王にとって奥さんなんでしょ?」

「邪魔なモノは全て壊す。人も、物も、仲間さえも。そういう奴なんですよ。“魔王”と呼ばれるバケモノは。

 しかも、壊したモノのことはその場で忘れる。自分の興味が向かないもの、関係が無いものについても覚えておかない。まさしく、魔の道に生きる者達の王を名乗るに相応しい。

“漆黒の魔法遣い”より尚悪い。『最悪』の権化のような野郎です。」

「じゃ、じゃあ、あたしの家族を殺した事は…。」

「完全に忘れている事でしょうね。」

「そんな……。」

「けど、大丈夫ですよ。私が思い出させて差し上げますよ。…それよりも…。」

「それよりも?」

「学校、今日は休みなんですか?私が見たところ、貴女はたぶん16~17歳でしょう?だったら学校があるはずなのではないでしょうか。今日は平日ですし。」

「…。忘れてた。」

 それからは忙しかった。肩と腹に傷がある私も少なからず働いた。全部終わって彼女を家から見送った頃には昨夜の魔法発動時に喰われた体力の回復した分も使いきって、息も絶え絶えの状態。

 そして呟く。心のそこからの本音を。

「やはり、私はこういう平和なのが一番好ましいですねぇ」

 今更そんな台詞を吐いても空々しいだけだと、内心で自虐の調子もある。だがしかし、好悪感情と云うヤツはどうにでも気ない。好きな物は好きだし、嫌いな物は嫌いだ。

「私には、こうやって家事をして、人に喜んでもらえたり役に立てたりできる事の方が、性にあってるんですよ。

 やはり、争う事や殺しあう事なんてのは馬鹿のやる事ですよ。

 そんなモノよりも、こうやっている事の方が何倍も価値がある。平和が一番嬉しいし、何より楽しい。

そうでしょう?“神”だなんて呼ばれている貴殿あなただって、同意見の筈だ。」

『お主、本当に父親の血を流しておるのだろうな?』

「さぁ?そうでなかったら、と考えなかった日は無いですよ。けど、そんなのはどうだっていいじゃないですか。少なくとも今は、この空の青さだけが真実です。」


7/


「やはり、あんなモノ早々使うものではありませんねぇ。まだ体中が変な感じですよ」

『……。よく似合っておるよ。その姿。』

「お褒めにあずかり光栄至極といったところですか。借り物なのがちょっと恥ずかしいのですが」

『褒めてなどおらんわい。まったく、体が回復したらすぐにでも戻るのではなかったのか?』

「はい。一宿一飯の恩義ってヤツですよ。それにねー、どうせ今日戻っても明日戻っても怒られる度合いが変わるってわけじゃありませんしねー」

『まぁ、その通りなのだろうが…儂等には使命が。』

「使命、たしかに使命は大切ですよ。でもね、こういう心の平穏ってヤツを忘れてしまったら、それこそミイラ取りがミイラですよ」

『…そう、かもしれんな』

「ええ。そんなものですよ」

『しかし、やらねばならぬ事に変わりはない。お主の場合は理由もあるだろう』

復讐どんな理由であれ、どんな大義名分であれ、殺しは殺しですよ。生きるため、食べるため以外の殺しは皆これ平等に穢れであり罪であることに変わりはありません。何の言い訳にもなりませんよ。

どちらにしても、私は殺生など大嫌いです。」

『そこまで嫌いか。』

「はい。ですが、あの男は。“魔王”だけは私の手で討ち取ってやらなければなりません。もとより、家族の恥は家族がはらうべき物です。

彼だけは、必ず私の手で絶命せしめてやりましょう。

誇りなどと言う大層な言葉を使うつもりはありませんが、そうですね。

彼の命を葬り去る以外は、出来るだけ多くの命を助け育むために生きたいですね」

 ……。

 黙ってしまいましたか。さすがの「神」といえども、従者の意見は尊重する、という事ですね。

 …それとも、前回の言い争いの果てに古物商に売り飛ばされたのがよほど懲りたのでしょうか。

 何でもいいですが、仕事がはかどって助かります。

 で、今私は何をしているのかというとですね、

『それで?いつまでやっているつもりなのだ?他人の衣類の繕い物など。』

 つまりは縫い物の事である。

「楽しいですよ。貴殿アナタもやりますか?やるのであれば“”を貸しますよ。」

『いらん。』


 ―――とまぁ、そんな感じで亜人と神様の心温まる会話が弾んでいたちょうどその頃――――

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