第一章

第一回 始まりの日

1/


『きょうせんせいにならったこと。

 むかしむかし、にんげんはしゅくせいというのがつかえました。

 だけど、にんげんはしゅくせいでけんかばかりするので

 かみさまがおこってにんげんからとりあげてしまいました。

 にんげんはおばかさんです。なんでみんななかよくしないんだろう。

 あたしにはわかんないです。』


 ・・・・・・。

「はぁ~」

 力なく吐き出した息は、ゆるゆると空気に溶けて消えてしまった。

 眠れなかった。…と言ったら、少し嘘になる。

 目を瞑るのが怖かったんだ。

 目を瞑ると、どうしてもあの夜の情景がまぶたの裏に映るんだ。

 それは、お昼の時に三人で話した内容のせい。…かもしれないし、そのあと学校から帰ってきてから気まぐれに開いてしまったこの日記のせいかもしれないし。

 どっちにしても、今はもう関係ない――と言うよりどうでもいい。

 どうしてお昼あの時、ミルはあの話題になった時に止めなかったんだろう。「もうそろそろ潮時ってやつじゃないのかい?」なんて、彼女の声が聞こえてきそう。


 ベッドの脇サイドテーブルの上にある十二年前の日記。私がまだ、五歳の頃の日記。

 家にまだ、わたし以外の家族がいた頃の日記。

「なんでまたこんな物開いちゃったかなぁ…」

 あの日、この日記を書いた次の日のこと。

 お姉ちゃんの誕生日にそれは来た。

 魔王を自称するダークエルフと魔物がたくさん。街の人もたくさん亡くなったお母さんも、お父さんも、そして「隠れてなさい、白雪。 大丈夫!お姉ちゃんがなんとかしてくるわ。 だから、ね? ちゃあぁ~んと、ここにいるのよ」って言って、出て行ったお姉ちゃんも返ってこなかった。

 もう、この家にはあたししかいない。

 お母さんとお父さんの遺体は見つかったけど、結局お姉ちゃんは遺体も見つからなかった。

 だから、お姉ちゃんのお墓は空っぽのまま。


 それからの事は思い出したくもない。

 本当はもう折り合いをつけた方がいい時期を過ぎている事も分かってる。

 …だけど、さ。

「悔しいじゃない。そんなの」

 吐く声には粘つくような暗い響きがあった。

 苦しいのも辛いのも私一人じゃない。そんな事は分かってる。

 ―――分かってるからって、納得できるほどあたし・・・は素直な性格をしていない。

「…でも、それももう限界なのかな」

 あの思い出したくもない夜から十二年が経つ。私ももう十七歳。もすぐ大人だ。いい加減前を見るべきなんだろう。



「………冗談じゃないわ」



 ―― そうか。 宿主しゅくしゅよ。ぬしは自らの望みに臨むか。

 ――善きかな

「誰ッ!」

 振り向いても誰もいなかった。

 誰もいない家なんだから、当たり前なのに…

 でも。

「おっかしいなぁ、確かに声が聞こえた気がするんだけどな。」

 …いや、ちょっと待て。

 今の声耳元でしなかったか?

 その時、カーテンに覆われた窓から凄まじい光が射しこんできて、ちょっと経って凄い音が聞こえてきた。

 そういえば、今夜だったっけ。 

 年に一度の風物詩、神樹の森アーエルが秋の嵐を歌い始めたのだ。  


 それはまだ、夏の暑さの抜けきらない九月も半ばのこと。

 私はきっと、この夜の事を生涯忘れることはないだろう。

 それは、私が私の人生を私の足で踏みだす日、その始まりの夜のこと。


2/


「……ッ! これは、少々効きましたね」

 足は止めず、絶えず前へ歩を進めながらもやはり先刻さっきの肩への打撃は結構響いていて、無視できないと言うほどの事はなくともじくじくとした痛みを発し続けている。

 日暮れからこちら、風雨それは勢いを増し続けるばかり。

 神樹の森――通称『アーエル』は世界で唯一の現存する聖域だ。太古の動植物内包し、更には独自の深化体系を築いたこの森には春夏秋冬それぞれに通例の自然現象がある。今宵降り続くこの大雨は、すなわちこの森における秋の風物詩。

 …つまり、これから雨脚が強くなる可能性はあってもやむ可能性は皆無というコト。

「というか、聞こえてくる噂を信じるなら時間が経てば経つほどに強くなるだけで現状維持も望めそうにないんですよね。トホホ」

 日が落ちてからまだ数刻と云ったところなのに神樹の森の風物詩は聞きしに勝る荒れ模様。視線を上に向けてみれば、なんと森の空気の通りのせいなのか、分厚い枝葉の層から落ちてきた雨粒がちゅうで立体的な川になっていた。帯電しているのでしょう、青白く光るそれはまるで龍のよう。

 下方を見れば地面の下で群生する光苔ひかりごけの放つ淡い光が屈折している。水が膜を作っているようだ。

「……参ってしまいそうですよ、ほんとに」

 先ほどからキィキィと耳障りな高い鳴き声を発する不気味な鋼蟲こうちゅうもこちらには一切目もくれずに帰巣の足を速めている。

 …森の住人すらこれとは…いったいこの先森の中で何が起こるのか、想像すらしたくなかった。


 実際、この季節に神樹の森に入る人間なんかほぼいない。命知らずの馬鹿野郎や冒険者だってここには来ないだろうし、自殺志願者だってもうちょっとまともな死に方を選ぶ。

 だというのに、何が楽しくてこんな時にこんな森の奥深くで追いかけっこなんかしなくてはいけないのか。

 ともあれこの雨では音での索敵は不能、先刻の魔法攻撃のせいで森自体が怒り狂っていていつ何が起きてもおかしくなく、ついでに武器の類は補修中、ならびにちょっとした買い物中の事で未携帯――つまり攻性装備はなにも持ってない、と。

「ちょっと笑えますね。どん詰まりじゃないですか」

 ―――こちらとら早々反則技秘儀なんか展開出来使えないってのに。

 ぼやくもののしかし足は止めない。

 先刻まで引っ切り無しに矢やら魔法やらを雨霰と投げてきた彼らが今は静かだ。日は落ち切り、夜の帳が覆い尽くしたこの完全な暗闇の中で、さすがに諦めたのかもしれません。

 しれませんが「少々都合が良すぎますよね」彼らが撃ち放ってきた魔法の多くは危険度の極めて高い軍用攻性魔法だった。一般には秘匿された狭域殲滅級やら空間圧縮形の必殺の魔法がバシバシ飛んできた―――これらの違法手段を見せたという事はつまり諦めるという選択肢がないという事を意味するだろう。

 返す返すも面倒な話ですよ。


 雨も強ければ風も強く、足元は不安定で落ちたら一巻の終わり。武器もなければ運もない。まったく、ないないづくしのどん詰まり。せめてもの救いは森の民エルフの血の恩恵でしょう。この真っ暗闇の中、補助もなくここまで普通に来れたのはそのおかげですし。

 ともあれ―――

「このままだとあの方の予言通り・・・・・・・・、ですか」

 ――笑えない話です、と。深い藍色の瞳に疲労の色を濃く写し、美しい亜麻色の髪も濡れるままにした青年―――リン・ウェリエースは立ち止まると共に力なく呟いた。

 逃走劇これもかれこれ6・7時間になる。数刻前に接敵し、小競り合った結果一人を濁流の中に沈めることはできましたけれど、そこから先は足音こそ聞こえるもののどうやら遠くから観察するに留めている節があります。

「私が足を止めれば向こう様もとくれば、これはもうほとんど確定的ですね。

 …それでラピス、こういう状況なわけなんですが、どう見ますか?」

 立ち止まった理由はいくつかあるが、ほとんどは些事さじで重要なのは話し合うことだ。

 正直、疲れて考えがまとまりきらない。かろうじて着て出ていた外套のおかげで体の冷えこそそうでもないですが、傘を差すような余裕なんかあるはずもなく、型やら体やらは地味に攻撃を食らっているために痛みを吠え続けている。

 雨音と強風の|協奏曲≪コンツェルト≫が鳴り響く中、大樹の如き枝の上にリンはたった一人立つ。ラピス、と語りかけた相手は、しかし胸元からの返答だった。

『うむ、向こうがこちらを追い立てる気がないのというのであれば是非もなし、だろうな。しかし…|アーエル≪ここ≫で打てる手となると、な』

 |澱≪よど≫みの無い微かに枯れた低い声だった。

「やれやれ、やはりその手しかありませんか」

 ――出来れば使いたくなかったのですがね。

 と、リンは首から掛ける神器からの声を聞いて口の端を苦笑の形に歪めた。

 が、腹はくくったという事なのだろう。彼は両の|腕≪かいな≫を水平に広げて双瞳を閉じ、桜色の唇から柔らかな旋律を口遊くちずさみ、

そよぐ音はたゆたいて、ハーユミリィ・リィーリルリィ彼方の景色を我に見せん・ユーラ・ステューラ

 求む先のこずえもて、光を透過し遊びゆかんクーラル・ムーラン・ファユミーリ。】

 そして開いたまぶたの下、双眸に移る薄琥珀色の光の先に彼は見た。

「ありましたよ。姿を隠すのに適していそうな所。しかし……」

『しかし、なんだ?』

「あれはたぶん民家ですね。山小屋ではないでしょう。明かりも視えましたし、巻き込むわけにもいきませんよ。私は見ての通りの外見ですからね。…さすがにあんな離れた場所まで追跡はされないでしょうけど、どうしたものやら」

『賭け、だな。』

「あまり分が良いとは言えませんけどね」

『勝算は……』

「五分五分…六分四分ってところでしょうか。敵さんがこちらの読み程度の方々であってくれることと遠見先の家主の心が広いことに期待するよりほかにないですもん」

『……そう、か。まぁ今更戻れぬしな』

「選択肢がないんですから、賭けでもなんでしませんとね。それに、さっきから嫌な予感ばかり増していましてね。正直いつまでもここに居たくないんですよね」

『うむ』

 そうして、リンは息を薄く吐く。

 胸元からかすかに光が漏れ、リンにしか聞こえないであろう極小の囁きもまた、漏れ聞こえた。曰はく『汝が力を赦す』、と。

 半開きであった瞳を見開き、飛ぶ先を見据え、リンは口をすぼめて謡う。

さあ、天空の乙女たちよ、我を導き給う!セイネーラ・ラルリィールラ・ラウ!

|水に惹かれる水妖精のように、我を彼方まで運び給う!《ミレフィーネ・フーラ・フィーラ・トゥレルデ!》」

 紡がれたのは四小節から成る祝聖の聖歌。

 歌い上げ足を前に踏み出すと淡い光の粒子の様に、リンの体はほどけていった。

 しかし、彼が解けきる瞬間、風が揺らいだ。


3/


 窓の外からは相変わらず激しい雨の音がする。

 うちが森に面しているせいもあって結構風鳴りもしていてうるさいのだけど、何故かコンコン、コンコンというノックの音は聞き落さなかった。

「すみませぇ~~~ん」

 続いて声も聞こえてきた。

 誰だろう、こんな夜中に。

 ……いや、ちょっと待って!なんでこんな森の際辺鄙なところに、この時間に誰が!?

「ごめんくださぁ~~い」

 けれど、この時私は相当に頭が参っていたみたいで、声の弱々しさとなんだか間の抜けたような人の良さが滲むような声音に油断してドアを開けてしまった。…もちろん、チェーンロックはしたままだ。

 けれど、すぐにピシャリと閉めた。

 嘘だ。

 何かの間違いだ。

 そうに決まっている。

 だって…

 だって、そこに居たのは見間違えようもなくエルフだったのだから。

「あ、あのぉ~~」

 少しだけドアを開けて見て、また閉めた。ドアの隙間から見えたそいつは、エルフのくせに随分と情けない顔をした奴だった。雨に濡れて、亜麻色の髪が額に張り付いてる。

 どうして、うちの玄関の前に立ってるのか。

「すみませぇ~ん」

 考えこんでいると、あの人のよさそうな声がドア越しに聞こえてきた。

 こんな夜中だ。宿はもう全部締まっているし、なによりもここからでは距離がある。ほとんどうちが頼みの綱、なんだろう。        

 理性ではそれを理解しているし、たぶんそう悪い奴でもないと思う。

 けれど恐い。

 からだが震える。

 たとえ相手の顔と口調が情けなくても、たとえ相手が雨でずぶ濡れになっていようとも、あのエルフ族独特の長耳は忘れられない。

 それにしてもなんで?

 なんでエルフが…でなければダークエルフが家の前に立っているの?

 毎年の事なのに、つい先週も降ったのに、今夜は雨音がやけに大きく聞こえる。

「すいませぇ~~ん」

 と、考えていると、あの間の抜けた声がまた聞こえてきた。

「今夜一晩だけ泊めて頂けないでしょうか~?多少のお礼なら出来ます。無茶なお願いだというのは重々承知していますが、なんとかならないでしょ~か?おねがいします!」

 ………。

 なんか…情けない。

 ……いや、礼儀正しそう、っていうのは、うん。分かるよ。

 …で、こいつは…エルフなの?

 エルフって普通、もっとこう……気品に溢れていて雨とかに降られてもピシッとしているものなのでは?

 それともダークエルフの演技?

「あ・あのぉ~~~」

 ・・・・・・・・・これが演技なら騙される私は悪くないはずだ。たぶん。

 大丈夫、こんな情けないヤツがダークエルフなワケがない。それに……


「すみませぇ~~ん。助けて下さぁ~~~い。」


 こんな声で哀願しているのを無視したりしたら、まるであたしが悪人みたいじゃない。

 ……、それにしても。

「あのぉ~~~~~」

 少し情けなさ過ぎやしないだろうか?

 まぁ、いいか。意を決してチェーンロックを外した。

 押し入ってくる様子はない。

 恐る恐るドアを開いていくと、捨てられた子犬を連想させるずぶ濡れのエルフがいた。やっぱり押し入ってくる様子はない。 

 そうして、かなり時間かけて扉を開けた。そして、

「どうぞ。ごめんね、チョット考え事してたもんだから。上がって、そしたら悪いんだけど風呂場まで行ってくれる?そのままじゃ風邪ひいちゃうでしょ?」

 と、一気にまくし立てる。

 この人(?) には何の関係もないのだけれど、やはり外見がエルフ……というか耳が横長いヒトと一緒に居たいとは思えない。だので、なるべく離れていられるようにする。押しかけてきたのは向こうなのだから、文句は言ってこないだろうし…なにより性格的に何も言ってこなさそうだ。

「あ・あのぉ~~」

 そのエルフが話しかけてくる……ん!?

「その肩の傷…っていうかそのケガの事よ!外套にまで染みてるじゃないの。一体なにやってたのよ!?」

「ええ……あぁ、ちょっと。色々ありまして…やはり目立ちますか?」

 ・・・こいつ、本気で言ってるのだろうか?

 目立たないわけないじゃない。

 いや、言うまい。取り敢えず早いところ風呂場に向かってもらおう。

 うん、それがいい。

「………」

「ん?なに?もっと大きな声で言って。

 傷に響くの?お風呂止めとく?」

「いえ、傷自体は見た目程には酷くはないですよ…痛みは残っていますけどね。それよりもいきなり押しかけてしまってすみませんでした。色々あって森の中を彷徨さまよってしまいまして。死ぬかと思いました」

 ?

 イマナンテイッタ?

 いやいやいや、森の中で彷徨ってた!?

 今、この天気の中を!?

 少しだけ目頭を強く抑えてグリグリとみしだいて、私は頑張って頑張って声を出した。

「……いいわ。それより早くお風呂に入ってきて。あ、そういえばまだ沸かしてないや。今沸かしに行って来るから、お風呂場に行っててね。あ~・・・・・・・・・場所は玄関から入ってすぐ左にある部屋だから、行けばわかるよ。じゃっ。」

 あたしは早口で言い捨てると、逃げるように外の湯焚き場へ走った。


4/


 背中に森を負うような形でぽつりと一軒だけ建っている家の前、に着いたまでは良かったのですが、正直な所、まだ迷いは拭いきれません。

 一応いたと思うので大丈夫だとは思うのですが…

 というか、

(「完全に民家ですよね?」)

(『民家、だな。しかしさりとてここで悩んでおっても仕方あるまい。そもそも儂にはどうすることも出来ぬよ。要はお主次第、ということだ。』)

 脳内会議ではさして方針が決まらず、しかしこのままではやはりまずいと言う事で、

「すみませぇ~~~ん」

 扉の前に立ち、意を決して出来るだけ大きな声を出す。

(自分で言うのもナンなんですけれど、随分と間の抜けた声になってしまった様な気がします。)

 扉越しに気配を感じる。

(ああ、良かった。夜遅くこんな時間ですので無視されるかもと……)

「ごめんくださぁ~~い」

 そうしていると遠慮がちに扉が開いた。

 ですが、チェーンロックのかかった扉からこちらを視認した途端、弾かれたように扉が閉められました。

 やはり容姿の問題でしょうか。エルフとダークエルフの見分けは付き辛いことで有名ですし…。

「そもそも亜人自体、忌避の対象ですからね…」

 しかもこんな時間だ。例え私が人間だったとしても対応は変わらなかったと思います。

 ・・・って、諦めるわけにもいきません。

 もうそろそろ本気で限界ですし。

 気合を入れましょう。

「あ、あのぉ~~」

 ……気合を入れてこれかと少し悲しくもなりましたが、そのおかげか、小さく扉が開いて、またすぐに閉じました。

 どうやら、目が全くないわけではなさそうです。

 ともあれ、ここがダメなら後は野塾しかないわけで。

「すみませぇ~ん」

(『情けない、あまりにも情けない。』)

(「放っておいて下さい。」)

(『おぬしの母はもっと、こう…、雨に降られてもピシッ…として、気品に溢れておったというのにな。』)

(「私は父さん似なんですよ、人間の方のね。」)

 念話でのやり取りは周りに気取られないから傍目には突っ立ているかの様に見える筈なのですけれど、それでもやはり変な目で見られるのでは、と思わなくも無い。…いえ、手遅れですね。

 断られるにしろ、受け入れられるにしろ、なんらかのリアクションが返ってくるまでは仕方がない。

 選択肢はもう残っていないのですから。

 ……それにしても、返事ないですねぇ。やはりこのような時分に訪ねたのがいけなかったのでしょうか。

「すみませぇ~~ん」

 やっぱダメか……。

 でも最後に……

「今夜一晩だけ泊めて頂けないでしょうか~?多少のお礼なら出来ます。無茶なお願いだというのは重々承知していますが、なんとかならないでしょ~か?おねがいします!」

 さすがにこれ以上の哀願は自尊心が邪魔をして出来ない。

(『普通はここまでできぬよ。ある種の才能といっても良いのではないか?』)

(「巨大なお世話です」)

 家の中の気配が、少しだけ扉寄りに動いたのが分かる。

「あ・あのぉ~~~」

 こんなところで今まで培ってきた戦闘スキルを使うことに思うことがないとは言いませんが…背に腹は代えられませんから。

「すみませぇ~~ん。助けて下さぁ~~~い。」

 いや、しかし。いくらなんでも情けなさ過ぎるだろうか。

「あのぉ~~~~~」

 と、いい加減哀しさで押し潰されてしまうのではないかと思いながら声を出していると、ついに扉を開いてくださいました。

 とてもゆっくり、警戒心を剥き出しにした状態で、それでも入れてくれようとする優しさに、少し涙が出てしまいました。

 雨が降っていて良かったです。

「どうぞ。ごめんね、チョット考え事してたもんだから。上がって、そしたら悪いんだけど風呂場まで行ってくれる?そのままじゃ風邪ひいちゃうでしょ?」

 優しそうな顔立ちをした、十六~七歳くらいの女性でした。

 しかし、哀しいかな。今の私には暖かな湯殿よりも寝床の方が必要だったりする。さすがに、人の身でないとはいえ雨の中の全力疾走と夜間における祝聖の行使はかなりこたえた。正直な話、今の今まで意識を保ってこれたのが奇蹟に近いような疲労度だったりする。

 しかし…だからと言って礼を欠いて良い言い訳にはならない。

「あ、あのぉ~~」

 私はとりあえず自己紹介くらいはすべきだと思い、声をかけた。

 が、しかし、私が声をかけると、彼女はビクッと背を震わせて、少々間を空けてから振りむいた。

 たぶん、背が震えた事に、本人は気が付いていないのでしょう。エルフの容姿をした私の声にこの反応をしているいであれば、ほぼ間違いなく原因は“ダークエルフ”にあるのでしょうから、「可哀そう」とは口が裂けても私からは言えないのですが、それでも思わずにはいられない。この方は一体、どれほどの恐怖を味わったのだろうか、と。

 それなのにもかかわらず、エルフの容姿をした私を家に迎え入れてくれた。尊敬の念を覚えて止まない。なんと気高く高潔な精神の持ち主なのだろう。

 ……と、考え事をしているといきなりくるっと彼女が振り向いた。

 振り向いた彼女は目を大きく見開いて叫んだ。

「あ!あんた、それどうしたのよ!?」

 ん?別段のどこか驚かせる様なことをした覚えは無いんですけ……

「その肩の傷…っていうかそのケガの事よ!外套にまで染みてるじゃないの。一体なにやってたのよ!?」

 …。

 神樹の森の中でもかなり奥深く、神域の近くで命がけの鬼ごっこをしていただなんて……ダメですね。少し頭悪すぎです。

「ええ……あぁ、ちょっと。色々ありまして…やはり目立ちますか?」

 無難な答え…かな?うん。

 いや、しかし…

「………」

「ん?なんだって?もっと大きな声で言って。

 傷に響くの?お風呂止めとく?」

 と、どうにも声に出ていたらしく、お恥ずかしい。

「いえ、傷自体は見た目程には酷くはないですよ…痛みは残っていますけどね。それよりもいきなり押しかけてしまってすみませんでした。色々あって森の中を彷徨さまよってしまいまして。死ぬかと思いました」

 ・・・あれ?

 なにか、彼女目頭をグリグリしているのですけれど。

(『当たり前だろうの。お主、神樹の森アーエル秋雨あきさめ異名いなを知らんわけではあるまい?』)

(「…たしか、神の庭の総洗濯、でしたっけ?」)

(『しかり。そんな中を生身で踏破する馬鹿者など普通おらぬわ。戯けめ』)

(「あぁ、それで! ・・・・・・」)

「いいわ。それより早くお風呂に入ってきて。あ、そういえばまだ沸かしてないや。今沸かしに行って来るから、お風呂場に行っててね。あ~・・・場所は玄関から入ってすぐ左にある部屋だから、行けばわかるよ。じゃっ」

 彼女はそう言って颯爽と家の外へと駈け出して行きました。

 さて、『風呂場』の位置は・・・・・・

 あ…れ……?

 意識が………

『大丈夫か?』

「え・ええ、いえ、今のは少しあぶなかった。

 ありがとうございました。おかげでブラックアウトせずに済みました。こんなところで倒れてしまっては私達を家に入れてくれた彼女に迷惑をかけてしまいますからね。もっとも、私達がここでこうしているだけで、彼女にとっては迷惑以外のナニモノでもないのでしょうけれど。」

『まったくだのぅ。明日の朝にはここを出て元の宿へ帰らねばな。』

「ええ。でなければ、神忌の下っ端なんぞ話にならないほどの恐怖を見ることになるでしょうね、私達は。真に恐ろしいかぎりですが。」

『同感だ。』


5/


 ドサッ

 あたしが風呂場の外の湯焚き場について炉に薪をくべ始めた直後、突如としてその音は壁越しに(たぶん脱衣場あたりから)響いた。

「な……なんの音だろう?って、まさかアイツっ!!

 あたしの前だけ強がってみせて、本当はボロボロだってんじゃないでしょうね!?」

 ついつい、口から心配するような言葉が漏れる。本当はエルフなんて大っ嫌いなはずなのに。そうして言葉を紡いでしまっている今この瞬間、体は家の壁を周って玄関に入り、脱衣場まで来てしまっていた。

「はぁ、はぁ、はぁ、………。」

 そしてついた先で見た物は床に崩れ落ちながらも規則正しく寝起きを立てるエルフだった。

「すぅ~…すぅ~…」

 寝てる。

 寝ていやがる。

「あ・あたしがこんなに心配してたのに……

何?なんなのこいつ。え…エルフのっ

エルフのくせしてっ!なんでッ

なんでこんなにッ

幸せそうな顔して

眠ってんのよっ!?」

 どうして…。

「どうしてこんなにっ、あたしは…こんなに辛いめにあったっていうのに。コイツも…所詮は……だめ、こんな事、いっちゃあ……。」

 こいつのこの、幸せそうな寝顔を見てたら自分の事が醜く見えてしかたがない。

「バカみたいね、こんな風に人の寝顔を見て、泣いたり怒ったりして。

 …ん?

 ・・・・・・あ、あれ?

 コイツが寝ちゃったら…あたしがコイツを着替えさせなきゃいけないの?起こすのも……なんか悪いし。」


こうして、その日の夜は更けていった。

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